紫
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あまりテレビは観ない私。
でも、今、はまっている番組があります。
「砂時計」というテレビドラマ。
珍しくビデオまで撮っています。
調べてみれば、今春、映画化されるとかなんとか。
でも。
やっぱりドラマで観ておきたい。
ということで、毎日、帰ってはビデオを観ています。
あぁ、こんなワタシ。
ひさしぶり〜〜〜っ!
おやすみ。
なんだか予定外に忙しい1日でした。
飲みの予定は、ドタバタキャンセル。
ごめんです。
かなり久々に、東海自然歩道を歩きました。
そして、今日をもって、今年の私の山歩きが開始されました。
今年も、時間の許す限りたくさん歩きます。
と、意気込んでいますが、今日の東海自然歩道。
単調な林道が続く下りの道がほとんどで、大したことはありません。
今日のメインは、滋賀県信楽(しがらき)の山里奥深くに建つ「ミホ・ミュージアム」です。
メインといっても、東海自然歩道の通り道にあるため、せっかくだからちらっとのぞいて行こうという、単なるこじつけのようなメインイベント。
でも、これがけっこう、いい美術館でした。
国内よりも、海外から絶賛されているようで、ガイコク人が多く、あちこちで英語や中国語らしき言語が聞かれました。
中国の理想郷である桃源郷をイメージした造りとのこと。
そういえば、中学校のときに、桃源郷の漢詩を学んだなぁ、と思い出し、少し憧憬の念を覚えながら、ここがそうなのか、となぜか納得。
そして、その後、東海自然歩道を歩き、電車で京都まで行きました。
その間、非常に寒く!、寒く寒く。
いっしょに歩いた妊婦さんが心配だったのですが、大丈夫だったかな……。
京都で降りて、恒例の「第一旭」のラーメンを食べて、持ち帰りラーメンも2つ買って、外に出たら、ぽかぽか体が温まっていました。
今日は、いい一日。
いい一日。
やっぱり……。
ありがとう。
去年の夏だったでしょうか。
私の住む家の近所に植えられている椿たちが、町内会の計画で切られました。
おそらく、植え込みに不審な人物が隠れられないように……という、子どもを守るための計画だったのでしょう。
それでも、私の住む山に20年前から植わっていて、毎年、きれいに大きな花をつけて周囲の目を楽しませてくれていた椿。
珍しいチェーンソーを使いたいらしい大人の男たちが、計画外の木も切り倒そうとしていたとき。
母が言いました。
「もうっ! やめなさい!」
そうして守られた1本の椿。
先日、その椿の前を、母と通りました。
「この木だけ、1本、残ったんや」
母が言いました。
「じゃぁ、この木だけは花を咲かせるんだ」
私の単純なコメントに、母がまた言いました。
「残されたこの木だって怒っていて、今年は花を咲かせないよ」
………。
植物や動物たちと、会話のできる母が、私は、子どものころからうらやましくて仕方がありませんでした。
さて、椿。
仲間が減ったことにへそを曲げずに、今年もキレイな花を咲かせてくれるよう、私からも毎日、話かけていくことにしますか。
おやすみ。
話題が遅れていますが、先日、女子マラソンのオリンピック代表選手が決まりました。
残念ながら、Qちゃんは選考から外れました。
その選考会のニュースを見ていて、母がぽつり。
「ホントは、私も出ているはずやったんだけどなぁ」
子どものころ、山の上のもっと上に住んでいた母は、毎日、兄姉たちとかけっこをしながら、山の上から町の小学校まで通っていました。
もちろん、帰りもあっちこっちと走り回りながら、山の上のわが家まで帰っていたとのこと。
積雪2メートルほどあった冬は、スキーで学校まで。
帰りは、通りかかった近所のおじさんがときどき車に乗せてくれたそうですが、基本的に山をてくてくとスキーを担ぎながら登っていたそうです。
あぁ、なんという、生まれながらのアルピニスト!
そんな母は、オリンピックの時期になると、いつも言います。
「金メダルくらい、取れてたよ」
確かに。
高地トレーニングを普段の生活からしていた母とその兄姉にしてみれば、オリンピックなんて「屁のカッパ」……か?
「アンタも、陸上を続けていれば、オリンピックに行ってたのになぁ」
母がぽつりと言いました。
そんな私もまんざらでもなく、確かに、いい線まで残っていた自信はあります。
なんの根拠はありませんが。
この親にして、この子あり。
オリンピックに行っていただろう自分を、選手たちと重ねながら、毎週、マラソンを見ていた冬が、今年も終わります。
おやすみ。
先日、左手の薬指の先っぽを、ざっくり、切りました。
あ、ちょっと大げさな表現でした。
さくっと切りました。
包丁で。
あまり包丁で手を切ることのない私ですが、切ったときはけっこう深い傷になります。
そのため、なかなか思うように血が止まってくれませんが、そんな私にも慣れているので、ゆっくり血を止める準備をします。
初めて、包丁で指をざっくりと切ったのは19歳の春。
バイト先の厨房で、慣れてきた包丁にうっかり指を切りました。
いまだにその指の感覚がおかしく、変な爪の生え方をしているけれど、人の再生能力に驚いたことを覚えています。
だから。
今も、包丁で指を切ったときは、19歳のときのことを思い出します。
あのときの傷が大丈夫だったのだから、今回も、大丈夫。
ただ、私の中の思い込みに、「年齢」という言葉は入っていませんが。
でも、きっと、大丈夫!
おやすみ。
新しくできた父の位牌と小さな骨壷が、壇上に並べられました。
そこに供養されている位牌とお骨の数は、想像していたよりも意外と少なく、これならいつ来ても父の位牌を探し出せそうです。
永代供養。
ほかの人たちの骨といっしょに父の骨が一つの壷の中に混ざるのかと思っていましたが、この1年、家のお仏壇にいたときと同じように、父のお骨はそのまま。
聞くと、大きな骨壷は壇上に並べるスペースがなく、すぐにほかの骨といっしょにされることがあるとのことでしたが、小さな骨壷はできるかぎりそのままそこに置いているとのこと。
あぁ、よかった。
この1年。
お墓をどうしようか、どこのお墓に入ってもらおうか、など母を悩ませ続けてきた父のお骨。
いろいろと考えた結果、永代供養を選びました。
お寺に向かう車の中で、母が言いました。
「釣りが好きだったから、海にまいてあげてもよかったね」
それも、よかったかもね。
でも、こうしてお参りに行ける場所があることも、残された者にとって大事なんだな、と思います。
いつか母がお骨になったときも、父のお骨の隣に置いてあげよう。
そんなことを考えていたら、またまた母。
「私は、あの寺に永代供養してもらわなくていいからね」
……え……?
「私は六甲山にまいてよ」
……は……?
とりあえず、母がお骨になったときにあわてないように、今から散骨の方法を調べておかないと。
去年の葬儀の日と同じくらい暖かい暖かい今日。
「やっぱり、悪い人じゃなかったんや」
母がつぶやきました。
そんな私も、1年経って、ようやくおだやかな春を迎えられそうです。
久々に「青春18切符」を使いました。
岡山県の「日生(ひなせ)」まで。
何をしに行ったかというと、2〜3年前から有名になりつつある「カキお好み焼き(カキオコ)」を食べに。
比較して食に対する欲求が少なく、かつ少食な私ですが、この冬、毎週のように、いえ、毎日といっていいほど、カキオコの話を聞かされ、そして、同じ町にある水餃子のジューシーさを説明され、刺身を食べさせてくれる魚市場もあり、在来線で2時間ほどで着く町「日生」に、どんどん興味が傾いていきつつあた冬のある日……、友たちに声をかけてしまいました。
「18切符で日生に行こう!」
1月下旬に決めた日生ツアー。
やっときょう、実現しました。
カキオコの店「もりした」は話好きな店主と、それを仕切る女将さんとの会話が楽しく、もちろんカキオコもおいしく、ペロリとまではいきませんが、珍しく全部食べられました。
でも、満腹!
腹ごなしに「みなとの見える丘公園」まで登り、絶景に感嘆。
午後になっていた市場にはカキ以外の売り物はなかったけれど、しばし休憩タイム。
水餃子の店「山東水餃大王」は、中国に住んでいた友にしてみればイマイチだったらしいけど、私はおいしくいただきました。
こんなふうに食べてばかりの1日。
私の胃袋にしては、よくがんばったな。
でも、何がいちばん楽しかったか、というと、友といっしょに電車の旅ができたこと。
楽しい楽しい1日。
こんな旅、これからも、たくさん、していきたいな。
おやすみ。
地球上に香るにおいって、いくとおりあるのでしょう。
花の香り。
土の香り。
風の香り。
夜の香り。
自然の香りはたくさんあります。
たくさんあるけれど、今の時代は制限のある香りになりつつあります。
このなかで、香りを重宝した平安時代の香りって、どれだけ残っているのでしょう。
香りって、その時を思い出す格好の材料だな、って思います。
きょう、久々に友の手によって、バイクのエンジンがかかりました。
私の懐かしい香りが、アクセルをまわる音とともに、ぷんぷんと。
あいにく、私はバイクのエンジン音を聞き分ける耳はありません。
友が「安定してきたよ」といいながら、バイクをふかすけれど、よくわかりません。
でも、この香りはわかります。
あぁ、バイクの香り。
今年も、走るよ。
どこか、大地を。
旅、できるようにしてくれて、ありがたとう。
ひとり旅、最高です。
おやすみ。
思いがけず、友の結婚記念日に同席することになりました。
この友とは、もうかれこれ20年ちかい付き合いになります。
20年近い付き合いになるけれど、けっこう頻繁に会うようになったのはこの2〜3年。
私の仕事の都合だったのでしょうか。
友の結婚披露パーティーにも参加できず、もう年賀状友だちになりつつあるのかな……、と思っていた友でした。
それでも、私が大阪に来て、旅人たちとの交流を再開し、私の古い仲間たちともまた「遊び」を深めていくうちに、友とその家族ともまたよく会うようになり。
今では、友の家族全体が大事な「友」です。
そして、きょうはその友夫妻の11年目の結婚記念日。
今度、高学年になるおしゃまなおねえちゃんと、もうすぐ小学生になるやんちゃな弟くんが、ピアノを披露してくれました。
あぁ、なんだかその一生懸命さに、ありがとう。
そして、プロのギタリストさんが演奏。
しみじみ、しみじみ、とした夜。
とてもとても、いい時間を過ごせました。
こんないい時間を与えてくれた、友とその家族に、やっぱり。
「ありがとう」。
いいよね。
たまには、こんな時間、過ごしても。
おやすみ。
ケータイの「ご利用料金のご案内」が届きました。
ふと「ご契約期間」をみると今月で10年2カ月。
このケータイ電話会社と契約する前は「東京デジタルホン」。
今でいう「ソフトバンク」に当たるのでしょうか。
家庭の電話のような大きさの機種を、みんなに笑われながらも使っていました。
それから思えば、ケータイって、小さくなったなぁ。
いちばん始めのケータイは「PHS」。
いわゆる「ピッチ」です。
これはちっちゃかったな。
なーんて、私の持つケータイの変遷を思い出していたところ。
ふと。
気づきました。
以前、日記にも書いたけれど、私が初めて携帯電話にあったのは小学校の3〜4年生のころだったと記憶しています。
新しい物好きの父が、携帯電話をもらってきたのでした。
自宅から半径2キロ以内しか通じない、なんの役にも立たない携帯電話。
あの、家の電話よりも大きかった電話が、こんなにコンパクトになるなんて。
ちょっと不思議。
でも、科学は進歩しているんですね。
おやすみ。
東京に住んでいたころ、遠方から遊びに来る私の友が行きたがっていたところは、もっぱら「ディズニーランド」でした。
今から思えば、パスポートを買っていればよかったと思えるほど、年に何度も足を運んでいました。
キャラクターのキライな私ですが、ディズニーランドではまったく違います。
ミッキーマウスやドナルドダックを見つけると、手を振ったり写真を撮ったり。
それだけ、私には夢の国でした。
きょう、ふと、思いました。
ディズニーランドや原宿、明治神宮や東京都庁に行ってみたい、という友はたくさんいたのですが、もともとの東京の名所「上野動物園」に行きたいという友はほとんどいません。
というよりも、私の覚えているかぎり、1人、だけ。
子どものころから動物園のにおいがキライな私も、あえて動物園をすすめることはしませんでした。
だって、ディズニーランドだって、ネズミやアヒルやクマがいる動物園みたいなものだもん。
なーんて言い訳は、今、考えたこじつけですが、上野動物園。
けっこう楽しいです。いや、ホント。
ということで、今日は「東京都恩賜(おんし)上野動物園」が開園した日。
1882年(明治15年)だったそうです。
開園当初から生きている動物って、いるのかな?
残念ながら、そこまでは私の興味が届かず調べていませんが。
おやすみ。
朝、起きてからの一秒一刻が、去年の今日を彷彿させます。
駅までバスに乗っている時間。
あのとき、父にはまだ意識があったっけ。
「しんどい」って聞くと、首を振ってくれたっけ。
大掃除をしている時間。
看護師さんがやってきて、父の意識レベルを何度も確認していったっけ。
無言で聴診器を当てて、父の肺の音を聴いていったっけ。
少し買い物をして帰ろうと思っていた12時40分。
友たちに会いました。
これから食事に行くとのこと。
いっしょにどうか、と誘われ、少し迷いましたが、着いていくことにしました。
なんとなく、ひとりで、その時、を迎えるのが怖かったからです。
総勢9名。
あちこちで笑い声が聴こえるなか、13時40分。
そのとき、私は、いったいどんな表情をしていたのでしょう。
最後の1時間は、ずっと心電図を見つめていた私を思い出しながら、今年は友のにぎわいを聴きながらそのときを迎えました。
ふと、思いました。
母は今、どうしているかな。
家で、ひとりで、父と向かい合っているんだろうな。
なんとなくむしょうに申し訳ない気持ちになり、一足先に帰ってきました。
母が食べたいと言っていた「点点」の一口餃子と、刺身盛り合わせを買って。
おだやかな春を迎えられるはずだったのに、今日はあいにく寒い1日。
そういえば、去年の今日も、寒かった、な。
おやすみ。
2008年03月18日(火) |
誰も知らない。何があったか、誰も。 |
なんにも知らないくせに。
おやすみ。
今月に入ってから、去年の今ごろの日記を、読むことが多くなりました。
そして、私は、毎日、夜、泣いているような気がします。
ということは、毎日、読み返しているということでしょう。
そんなつもりはないのにね。
先日、私の悔しい気持ちと、人に聞いてもらいました。
それでも、すっきりしませんでした。
いつか、すっきり、とは言わなくても、納得する日がくるのでしょう。
でも。
私はいつまでも「すっきりしない気持ち」を覚えていようと思っています。
だって。
誰もがそんな気持ちで、大事な人の死に寄り添っているのですから。
………。
おやすみ。
明日、二十歳になる友のバースデーパーティーをしました。
もちろん、サプライズで。
感情を素直に表現できる彼女は、とてもとても喜んでくれました。
そんな笑顔に、私たちもにっこり。
人を笑顔にさせてくれる笑顔。
二十歳になる友の屈託のない笑顔は、百点満点です。
これからも、よろしくね。
おやすみ。
惰眠をむさぼりました。
何度か、父の夢をみました。
夢のなかでは、父はもうこの世にいない設定で、私は、父がいつ消えてしまうか冷や冷やしていました。
父の独特の口調が夢の中に広がり、母が、普通に父と会話をし、夢だとわかっていながらも、私は、あの瞬間を思い出し、悲しみを再現せざるをえませんでした。
1年経っても、やはり、私のなかでは、悔しい思いでいっぱいです。
おやすみ。
2008年03月14日(金) |
思いがけず、茶色い袋 |
帰りがけに、友がふらりと寄ってきました。
ホント、ふらり、と。
飲みの誘いか?と思い、財布と相談しないと……と思った矢先。
「これ、持って帰って」
茶色いナイロンの袋を渡されました。
「え?」
意表をつかれ、すっとんきょうな声を出しながら、袋の中をちらりとのぞきました。
「あ……」
深夜、家に帰り、テーブルの上に袋の中身を置いておきました。
おそらく、明日の朝には位牌の前に供えられていることでしょう。
どうも、ありがとう。
もうすぐ二十歳になる友が、この春、ひとり旅に出ようとしています。
「原チャリで淡路島を一周する」
友のそんなセリフを聞いてしまったからには、いてもたってもいられなくなった私。
「とほ」と「FREE」というひとり旅を応援する雑誌をあげました。
そして旅の地図として「ツーリングマップル」をすすめておきました。
その翌日。
さっそくツーリングマップルを購入してきた友。
行動が早い!
行き先も、淡路島ではなく、高松と徳島にしたそうです。
友の中で広がる旅。
とても楽しそうです。
ただ心配なのは、原チャリ。
ちらりと「18切符」の存在もすすめておきました。
さりげなくさりげなく。
旅の後押し。
そうして、もうすぐ新しい旅人が誕生します。
「行ってらっしゃい!」
きょうは、おしまい。
去年。
友の母が亡くなりました。
その前に、私の父が、思いがけず亡くなりました。
友の母と私の父が亡くなった経緯は、まったく違います。
それでも、親がいなくなった、という事実は、事実、です。
ときどき。
思います。
私は。
あのとき。
結婚。
していたほうがよかった?
今日は「東京大空襲」の日だそうです。
広島も、長崎も、そして、知覧も訪れた私。
でも、東京大空襲や、大阪大空襲を物語る場所には、訪れたことがありません。
その場所を物語る資料館。
あったら、訪れてみたい。
いえ、訪れなければいけない、と思っています。
おやすみ。
胸くそ悪い。
きのう書いたその「mixi(ミクシィ)」の日記の話。
なんだかんだと言い訳していましたが、ホントは。
ある後輩の「死」を、とある後輩の日記で知ったからです。
あとで聞けば、白血病だったとのこと。
ホントに、残念でなりません……。
その後輩は、ある意味、「会社の先輩」。
そしてその後輩の同期の上司として配属された私。
転職したてで、どうしていいかわからなかった時期に、その彼女は私に言いました。
「私の同期は、ちょっと癖があるけどいいやつなんです」
同期思いの彼女。
そして、介護の仕事をしたい、と言って会社を辞めていった彼女。
そして、こんなその彼女の死に対して、こんな日記があった。
『あなたが無駄に生きた今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日である』
「無駄に生きた」というのはひっかかるけれど、「痛切に生きたかった」という明日。
大事にしようよ。
無駄な毎日は、ないよ。
きっと。
「mixi(ミクシィ)」という、とあるサイトがあります。
ごく数人の友を招待しておきながら、私は実はあまりこのサイトに好意的ではありません。
でも、ある意味、便利なので、籍を置き、ときどき日記をしたため、コメントを読み、「あぁ、そうか」とうなずくのみ。
メインの日記は、やっぱりこの「エンピツ日記」です。
個人的な理由ですが、日記に対してコメントはいらないからです。
でも。
やっぱり。
特定の人に読んでほしいことはmixiに書かざるをえません。
その「マイミク」の中に私が考える「特定」の人以外の人がいても仕方ありません。
もう、やめようかな。
そんなことを考えていたら、きょう。
「ミクシィ、招待してください」
大事な友からメールが届きました。
これまで2度ほど、珍しく私がミクシィに誘った友。
もうしばらく、続けてみようかな。
だって、使い方は本人次第だもんね。
おやすみ。
ふらり、と帰り道。
十数メートルほど前を歩く友たち。
これから、どこかに飲みに行くのでしょう。
歩くのが人より少し早い私は、追いつこうと思えば楽に追いつける距離ですが、なんとなく歩調はゆっくりめ。
彼女たちには、彼女たちの会話があって、私は邪魔者かな。
そんなネガティブな思いが心をよぎり。
ふぅ。私、疲れているんだな。
前を歩く友たちが、門を出て、駅の方面ではない路地の階段を降りていく姿が見え………、あ……。
ひとりが振り返り、私と目が合いました。
「今、帰り? 今から飲みに行くけど、いっしょに行くーー?」
それから、楽しい時間が数時間。
おおいに笑いました。
あぁ、誘ってくれてありがとう。
なんだかうれしい夜になりました。
おやすみ。
やっぱり、毎日、忙しい。
初めて入るラーメン屋さん。
ちょっと緊張します。
でも、今回はひとりではないので、まだまし。
でも、緊張します。
初めて入る店って、第一印象が大事だと思っています。
今回の店は、第一印象はうわさ話で聴いていたとおりでしたが、第二印象から少しずつ変わってきました。
また、ふらりとひとりで来てみようかな。
一人旅って、こういうところから、始まるんじゃないかな?
ひとりで、気になる喫茶店に入るとき。
メニューにない「トースト」を頼むとき。
コーヒーをブラックで飲むとき。
ラーメン屋さんにひとりで堂々と入るとき。
あぁ、私って、旅人だな。
って思います。
わかる?
おやすみ。
「槍」まで行く体力と技術が、私にあるのか。
とても心配になった今日。
でも、毎日、地道なトレーニングでがんばっています。
おやすみ。
昔、よく食べた立ち食いうどん、を食べました。
ほぼ、1年ぶり。
休日になると、商店街まで母と買い物にでかけます。
出発する時間にもよりますが、たいていはどこかで昼ごはんを食べて帰ります。
母と私の好きなラーメンだったり、立ち食い蕎麦だったり、ときどきスパゲティだったり。
母が言いました。
「つるつるうどん、食べようか」
「うん」
商店街の入り口近くにある、つるつるうどん屋に入りました。
もう十何年も前から同じ場所で同じ味、同じメンツで店を切り盛りしている立ち食いうどん屋。
去年、父の葬儀の日に、茫然自失な母と私とふたり。
引き寄せられるように、ふらりと立ち寄ったうどん屋。
相変わらず、うどんはおいしくて、それでも、なんとなく口の奥からしょっぱい気持ちがこみあげてきて。
あぁ、この味。
この味は、父の葬儀のときの味になっちゃったんだな。
むしょうに、気持ちがむせび、やたらと「熱い熱い」を繰り返しながら、食べました。
私は、まだ、いろんな思いで、いっぱいです。
おやすみ。
私は「おつかい」が大嫌いな子どもでした。
3軒隣のパン屋さんにも、5軒隣の文房具やさんにも、自転車で5分とかからない酒屋さんやタバコ屋さんにも。
「おつかい、行ってきてー」と言われるのが、いやでいやでたまりませんでした。
おつかいに行った先で、お菓子もらったり、おまけしてもらったりするのは、それはそれでうれしいのですが、なんというのでしょう……。
出不精!
このひとことに尽きます。
自分の居心地のいい空間を壊されたくない。
おつかいを頼まれたときって、そんな気分になっていました。
もちろん。
今もおつかいはキライです。
そして、本来は、とてもとても出不精です。
でも、あちこちと旅にでかけてしまうのは、居心地のいい空間をほかに求めているということでしょうか。
現に何度も転職を繰り返しているワタシ。
深くは考えず。
おやすみ。
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