紫
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閏日(うるうび)。
4年に1度の2月29日。
この日のことを、私は小学校の低学年のころに知りました。
そんな貴重な年があるんだ。
ただただ、感動していました。
そして、その日に生まれたかったな、と思いました。
今は、まったく思いませんが……。
かつてイギリスでは、この日のみ女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、男性はそれを断わることはできないとされていたそうです。
この日のせいで、泣いた男性がいたかどうかはわかりませんが、女性から男性への告白が、それだけ貴重なものだったのでしょう。
今は、バレンタインデーというものがあるのにね。
というよりも、最近では、男性からより女性からの告白が多くなったとか。
時代の流れか。
はふ〜。
おやすみ。
今年は「おめでた」ラッシュです。
この年で、こんなラッシュがくるとは思っていませんでしたが、晩婚の世の中。
あって当然なのでしょう。
5月に一組、7月に出産と寿が一組ずつ。
それと、日程は決まっていませんが、もう一組、寿。
そのうちの大半が、スピード結婚です。
その早さに驚かざるをえませんが、でも、いいのです。
だって、ふたりの「恋物語」はいつまでも続くのですから。
そして、先日。
もう一組、スピード結婚なふたりが結婚の報告にやってきました。
あぁ、今年はなんて幸せいっぱいな年なんでしょう。
なんだかうれしい気持ちが、ふつふつとあふれかえってくるのでした。
もっとほかに、いないのかな♪
おやすみ。
高校時代は、1年のときからかなり頻繁に大学受験のための模擬試験を受けさせられました。
いったい、あのときのお金って、どこから出ていたのでしょう。
学費?
いえ、公立だから一律のはず。
では、模擬試験のたびに集めていたんだっけ?
それすら覚えていません。
でも、あのときの模擬試験の結果や偏差値で、間違いなく志望大学選びの資料にしていました。
今から考えたら、それで、よかったのかどうか。
自分の偏差値に見合った大学を一生懸命探していたけれど、ホントは私はまったく違う学部に行きたかったんだっけ。
まったく違う大学に行って、今ごろは、「編集」の「へ」の字も知らない世界で、やっぱりバリバリ!と働いていたんだろうな。
でも、今の人生に後悔はありません。
当時の夢とか未来とか、ではなく、今、目の前にあることを一生懸命にすること、そこにモチベーションを見出すことも、人生なんだろうな、と思います。
そして、そこに私は天職を見出したのだから、恵まれているのだと思います。
とはいえとにかく、私は大学に行かせてもらえただけで、ありがたいです。
毎年、この2月末になるたびに、そう思うのでした。
おやすみ。
そろそろ、確定申告をしないと、なぁ〜〜。
と毎日、思っていますが、なかなか進みません。
私は毎年、郵便で確定申告をしているので、国税庁のホームページにいき、数字を入力して、プリントアウトすればいいだけなのですが、それが、なかなかできません。
今度の休みに、しよう。
なんて思っているけど、今年もきっとギリギリになるんだろうな。
ま、するだけ、まし。
おやすみ。
なんか、劣等感。
おやすみ。
久々に温泉に行きました。
湯船につかり、のんびり。
2年ほど前までは、好きな時間に温泉に行き、好きな時間に仕事をしていたっけ。
そんなことを思いながら、何度も顔をじゃぶじゃぶと洗いました。
あ〜、気持ちよかった。
温泉からの帰りに、ラーメンを食べました。
ここのラーメンも久々。
あ〜、おいしかった。
家に帰る途中、大雪が降ってきました。
雪の中の運転も久々。
あ〜、怖かった。
それでも。
穏やかに雪を眺めながら運転している私。
きっと「時間」が味方についてくれているのでしょう。
おだやかに。
おやすみ。
「今年は槍ヶ岳に登りたい」という人がいます。
私の中では、私の実力や経験では「まだ槍は早い」と思っています。
身体が整わずに、興味本位だけで登って、しんどい山という印象にしたくないからです。
だから、「今年は槍ヶ岳に登りたい」という人にも、はなから反対していました。
「まだ、早い」と。
でも。
ふと、思い出した言葉があります。
「仲間づくりは技術を超える」
今年の夏。
私は槍ヶ岳を目指します。
まだ、山を知らないころに買った槍の絵の入ったTシャツを着て。
大切な仲間といっしょに。
そして、下山したときに、きっとこう思うのでしょう。
「『槍ヶ岳に行きたい』とわがままを通してくれた人に、ありがとう」
って。
さて。
そうとなれば、これから身体作りです。
今年もたくさん、登るぞぅ。
おやすみ。
ふん。
どうだっていいでしょ。
「スジャータ」という名称のフレッシュがあります。
とくに何の意味も考えることなく、これまで使ってきましたが、今日、その意味を教えてくれる人がいました。
長期間の修行に疲れて今にも命尽きようとしていたお釈迦さまに、森の神さまへのお供え物の牛乳をさしあげたというインドの娘の名前が「スジャータ」というそうです。
おかげで生気を取り戻したお釈迦様はその後しばらくして悟りを得て仏教を成道させたとかなんとか。
そんな私のツボに入る話をしてくれた人に、感謝です。
そういうことで、おやすみ。
中休み。
明日からがんばるぞぅ。
毛がにパーティーでした。
どこでって? 自宅で。
誰とって? 母とふたりで。
先日、どこぞの誰かからカニが送られてきました。
それを今日、食べることになりました。
バキバキ。
むしゃむしゃ。
母はカニを食べさせたら、前後左右どこにも立つものはいません。
とくに味噌の部分の食べ方はずば抜けています。
さささ、と食べ終わって、満足げにレモン酒を飲んでいました。
母と笑いながら、カニを食べた夜。
こうして、ふたり、にようやく慣れていっているような気がします。
母は、慣れてきているのかな?
おやすみ。
車に乗って、お気に入りのCDを聴きました。
たったそれだけで、気持ちが癒されました。
別に、すさんでいるわけではないけれど、どんなときでも癒しって必要なのかもしれませんね。
はふ〜。
おやすみ。
さ、がんばろ。
私の手が、とうとう荒れてきました。
学生時代から、居酒屋でバイトをして、洗い場にある原液のきつい洗剤や、ピューラックスの中に手を突っ込みながら、ダスタ(台拭き等)を洗っていた毎日。
おのずと、私の皮膚は強くなり、ちょっとやそっとじゃ手荒れは起こさなくなってきていました。
ところが。
きょう、左右の手を比べてみると、なぜか右手だけが荒れてきていました。
荒れ始めれば、どんどん荒れます。
あれよあれよ、という間に、私の手の甲は、まっかっか。
まるで、アトピーで通院していたときにのよう。
早く治るといいのにね。
なんか、できることがあったら、いいな、ぁ。
おやすみ。
友人が、せっせと書いているシャープペンシルのキャップをつかみました。
「きょう、帰る?」
途中、ふと会った友人に問いかけました。
「きょう、どうすんの?」
さっきまで、姿を見かけていた友に電話をしました。
「例の店にいるよ」
そうして、きょうは金曜日の「飲み会」。
心置きなく、とても楽しく飲めました。
そして、例外なく、ぐっすりと眠りました。
やっぱり、この友って、いいな。
なんだか、そんな、幸せ気分にひたりながら、電車を乗り過ごさないようにして帰りました。
駅をおりて、歩いていたら、友から電話。
「ちゃんと、降りた?」
あぁ、ありがとう。
いつまでたっても、人に甘えてばかりな私ですが、感謝の気持ちだけは、途切れることなく、あふれ出てくるみたいです。
おやすみ。
自分のことを自分の名前で呼ぶ女の子が増えてきている。
そんな話題を、先日、友たちとしてきました。
うん。
確かに、多い。
かくいう私も、小学校3年生くらいまでは自分のことを「ちゃん」づけで呼んでいました。
なぜ直したかというと、子どもじみていて、いやだな、と思ったからです。
私のほかにも、自分のことを自分の名前で呼んでいるコがいました。
そのコは、学級会でそのことを議題にされて、「わたし」と呼ぶようになりました。
最近は、どうなのかな。
自分のことを自分の名前で呼ぶことって、けっこう当たり前になってきているのかな。
ときどき、「んん?」と思うことがあるのだけど、それが時代の流れなら、目をつぶることに、しておきましょうか。
おやすみ。
ブルー。
なんだか、ブルー。
はふ〜。
中学校1年生のときに、班ごとで新聞を発行しました。
その名も「Newspaper of the students, by the students, for the students」。
奴隷解放宣言で有名なアメリカの16代大統領「リンカーン」の言葉「人民の人民による人民のための政治」をもじったタイトル。
もちろん、そんなセリフ、無知な私が知るよしもありません。
班の物知りの男の子が、言い出したのです。
内容はというと、そんな高尚なものではありませんでしたが、私はこの言葉がとても気に入り、それからずっと、今の今まで忘れたことはありません。
言葉が気に入っただけで、こと政治に関しては、いつまでも無頓着ですが。
今日は、そんなリンカーンの誕生日ですって。
ホントかな?
おやすみ。
昨日の雪は、昼を大幅にまわるころには溶けていて。
でも、私の車のフロントには、少しだけ積雪。
雪道はいやだけど、まだ、雪に触れることができて、ちょっとうれしい。
私が初めて雪と接したのは、いつだっけ。
覚えている限りでは、まだ4歳のころ。
雪国育ちの父が、大喜びで兄と私に雪だるまを作ってくれたっけ。
雪国育ちの母も、そんな私たちを、見守りながら写真を撮ってくれたっけ。
雪が降ると思い出す、そんな光景。
「たいせつなことは、目に見えないんだ」
星の王子様のセリフを何度も思い出し、サンテグジュペリはいったいどんなことがあったのだろうと思いをめぐらせ。
星の王子様は、雪国には、行ったんだっけ?
おやすみ。
深夜0時に近いころ。
わが家にいちばん近いバス停に着きました。
外は真っ白。
地面はアイスバーン。
ここまで来る山道で、どうもリタイヤしたらしき車が数台。
途中で、何度も「ここでおろされたらどうしよう」「このままバスがスリップして谷底に落ちたら、どうやって脱出しよう」など、かなり本気で心配しましたが、なんとかバス停へ到着。
凍った雪道を、おそるおそる歩いていると、バスの運転手さんが「滑らんと、帰りや!」とわざわざ窓を開けて、忠告しながら走り去っていきました。
ちょっとうれしい。
同じ最終バスに乗っていた知らない人とふたりで、こわい、こわい、と会話をしながら、坂道を下り、互いにわが家へ帰って行きました。
数日前。
雪が見たくて見たくて、小さな旅の予定まで立てていた私の前に、いきなりの「ドカ雪」。
道祖神が、「まだ旅に出なくていいよ」と言ってくれているかのようでした。
どうも、ありがと。道祖神さま。
今日の雪。
私にはとてもとても、とてもうれしい雪になりました。
おやすみ。
友の家で恒例のカニパーティーをしてきました。
恒例といっても、何年ぶり?
彼らが大陸横断の旅に出る前以来だから……、何年ぶり?
彼らが旅に出る前と帰ってきてからでは、私の環境はずいぶんと変わりました。
でも、本質は変わらず、ただの飲んだくれですが。
毛がに、タラバガニ、ズワイガニ。
それから期せずして「いくら丼」。
もう、おいしくておなかがいっぱいすぎて、ビールを2本しか飲めませんでした。
ふと、初めて彼らと出会ったときのことを思い出します。
なんだかフシギ。
こうして、定期的に会える仲になるなんて。
私の居心地のいい空間になるなんて。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎました。
うとうと、寝てしまいそうになりましたが、そこが以前とは違うところ。
きちんと起きて、きちんと電車に乗って帰りましたとさ。
おやすみ。
あぁ、むしょうに雪が見たい。
あの、しんしんと積もる雪。
地球の回る音を吸い取る雪。
以前は毎年、雪国に行っていたけれど、今はもう行く機会がありません。
あぁ、雪の上にさらに降り積もる雪を、見たい。
おやすみ。
「カランコエ」の花が満開です。
大学生のころ、花屋の店頭で出会った花。
それがあまりにもかわいくて、1つ、鉢を買いました。
それからずっと、育ててきた「カランコエ」。
今は、どんどん株を増やして、花屋の軒先に置いてある量よりも多くなりました。
もちろん、増やしたのは母。
だって、当たり前。
母は「彼ら」と話ができるんだもん。
「カランコエ」。
花言葉は「たくさんの思い出」だそうです。
わが家に咲くカランコエは、私の十数年間の思い出を共有しているんだな。
アルバムと同じくらい、大事にしなくちゃ、だわ。
おやすみ。
神戸空港。
搭乗者は、空港駐車場が24時間無料だそうです。
けっこう便利ですね。
伊丹空港は、けっこう高め。
地域的に仕方がないのでしょう。
それを思えば、関西空港も、24時間無料にすればいいのに。
だって、空港利用者しか、駐車しないでしょう。
ちなみに、私が海外旅行に行き始めたときは、成田空港の駐車場も無料だったように思います。
記憶違いかな。
搭乗券があれば、ずっと無料、にしてくれるとうれしいです。
以上、空港に希望の日記でした。
おやすみ。
寒かったな。
おやすみ。
いつももらってばかりで悪いので、家にあるものをちょこっとお届けしました。
いただき物の数品と、母の手作り梅干し。
友は不在で、友のお母さんと立ち話。
いつももらっている物と比べたら、なんだか割が合わなくて申し訳ないくらいです。
「よかったら、うちのお父さんといっしょに、畑に行ってくれない? 大根がこれで最後なの。もらっていってやって」
いつも、あまり人前に出たがらないという友の父。
私といっしょに畑に行ってくれるそうです。
あぁ、なんてウレシイ。
小雨の降るなか、畑の中でせっせと収穫。
いえ、私は畑の端っこで、友の父がにこにこしながらどんどん収穫していく勇姿に感服しながら見ていただけです。
大根に白菜にブロッコリー、かぶ、ネギをいただきました。
「収穫がね。うれしいね」
友の父が畑の楽しさを語ってくれました。
そして夜。
いただいた野菜たちを、家に持って帰りました。
「うわ〜。何?この大根!」
大根の並大抵でない大きさに、母が台所で絶叫していました。
「すごいなぁ。すごいなぁ」
いつもどおり、野菜に感嘆する母。
とても、とてもうれしそうです。
今日は、そんなこんなで、私もなんだかうれしい日。
どうも、ありがとう。
おやすみ。
あぁ、寒い。
おやすみ。
そして、2月。
「如月(きさらぎ)」です。
寒くて重ね着をする「衣更着」から転じて「如月」となった説が有力だそうですが、真相は知りません。
中国から伝わった「如月」という漢字を「きさらぎ」と読ませた最初の日本人は、いったい誰だったのでしょう。
最初から何かを作り出すことはニガテなようですが、既存のものを自分たちの使いやすいように改良して自分たちの文化にしてしまう国民性を、私はキライではありません。
「衣更着」の2月というとおり、寒がりの私は毎日5枚くらい重ね着をして外出しています。
薄着にダウンジャケットの姿が多い街なかで、ひとりこんもり膨れ上がっているのは、重ね着のせいにしておきましょう。
おやすみ。
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