紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
八ヶ岳についてこんなふうに書かれていました。
「伝説によると、八ヶ岳と富士山はどちらも『自分のほうが高い』と言って譲りませんでした。仕方がないので阿弥陀如来が審判となって背比べをしたところ、八ヶ岳に軍配が上がりました。負けた富士山は悔しさのあまり、八ヶ岳を蹴飛ばしました!
すると八ヶ岳は八つに砕け散り、富士山より低くなってしまったのです」
なんともおかしな話ですが、これがホントだったら、富士山ってやつはいったい……(笑)。
でも、実際に山の成り立ちによると、八ヶ岳は30万年前には3000メートルを優に超す巨大な独立峰だったとか。
活発な火山活動を繰り返すなかで山の大半が吹き飛び、現在の姿になったと考えられているそうです。
八ヶ岳連峰。
どうも魅力的な山です。
はい。
おやすみ。
思うに、秘密主義なワタシは、旅の様子をていねいに描写することがニガテで、日記を読み返すと、どうも表しか見えてこない日記になってしまいます。
ま、それでいいんじゃない?
日記を通じての私しか見ていない人がどんどん増えて、そのうち、表、だけの付き合いしかなくなるのでしょうか。
私は旅先からメールや電話をしないぶん、数枚、絵はがきを送ります。
古いけれど、時間差のコミュニケーション。
いいんじゃない?
コミュニケーションのありかた。
そこまで深く考えなくても、いいんじゃない?
だって、いつまでたっても刹那主義な私だから。
今がよければすべてよし。
おやすみ。
朝はぐうたら。
でも、撤収はてきぱき。
今日の予定は、愛媛に住む友の家に行くこと。
うどんを食べること。
温泉に入ること。
徳島の魚屋に行くこと。
明石大橋を渡ること。
でしょうか。
それをすべてクリア。
イッキに日記を書いたので、もう書く気力なし。
とにかく楽しい楽しい2日間でした。
穂高に行けなかったのは残念だけど、石鎚山に登れたし、いろいろ盛りだくさんに遊んだし、これはこれで大満足。
石鎚山、今度は違うルートから登りたい。
そのためにも、岩場を登る練習をしておかないと!
と、去年も同じことを決意してたよなぁ、ワタシ、と懐かしく振り返りながら、夏の最後のイベントを終えました。
さて、もうすぐ9月。
次のイベントに向けて、がんばります。
おやすみ。
途中で、運転を交代しました。
やはり、旅の疲れがあったのでしょうか。
かなり眠く、もう無理!と思ったところで、ゲートに到着。
そこで仮眠ができました。
よかった。
30分ほど仮眠してすっきり。
運転も代わってもらって、登山口まで行きました。
去年も登った石鎚山。
今年はどんな登山になるかな。
朝ごはんをすませて、ストレッチ。
いざ、山へと入ります。
西日本の最高峰である石鎚山。
修験者の山として知られています。
なだらかな登りのあと、かなりの急登。
鎖場は二の鎖だけにして、三の鎖は巻き道を登りました。
もともと岩場がニガテな私。
去年、ここを登って、しかも降りてきたし、もういっかー、と自分に言い訳をして弱気。
山頂では、ピークに達していた眠気がおさえきれず、30分ほど昼寝をしました。
あぁ、すっきり。
仲間を待って下山。
途中で大粒の雨が降り出してカッパを着ましたが、もうあっという間にずぶぬれです。
それでも、こんなときこそこぼれる笑い。
笑える力があるんだから、雨なんて大丈夫!
かなり強烈な通り雨だったらしく、下山したら晴れてきました。
それでも、もうテントを出す気力はなく、近辺のロッジを予約。
調理器具も食器もそろっていて、なんとも文化的な夜になりました。
そして、なんといっても今晩は月食。
あいにく、山の中なので、全部は見られませんでしたが、月が出始めたころにやっと見ることができました。
星も、北海道で観たときと同じくらいたくさん見えました。
さて、そんなところでそろそろ眠気が……。
一足お先に、おやすみ。
きのう、というかきょうの0時半過ぎに帰ってきたばかりですが、今晩から山登りに出かけます。
西穂高に向かう予定でしたが、アルプス全域はほとんど雨。
天気図を見て晴れている方角、四国に向かうことになりました。
急きょ、方向転換を決定してくれたリーダーの決断力に頭が下がります。
またまたおにぎりをたくさんにぎり、食材をつめて車に乗り込みました。
穂高、という大きな山ではないけれど、石鎚山(1982メートル)に変更。
穂高には行きたかったけれど、仕方がありません。
だって、雨だもん。
24時をまわるころ、出発。
行き先は変われど、登山、楽しみです。
まずは、おやすみ。
行きと同様、帰りのフェリーもずいぶんゆっくり寝ていました。
ほとんどベッドから出ず。
食事もほとんど食べず。
寝ていました。
起きたら、もう舞鶴港が間近に迫っていました。
まだまだ、旅は終わっていません。
ここから2時間は走ります。
とはいえ、車がどんどん多くなってくる高速道路。
もう旅気分は消えていきました。
おにぎりを作ってくれた場所に行き、おみやげを渡して、やっと帰着。
バイクにシートをかけながら「お疲れさま」。
今回の旅で、やっとバイクからも「相棒」と呼んでもらえているような気がします。
また、いっしょに、走ろうね。
とりあえず今晩はゆっくりおやすみ。
朝はゆっくりめに起きました。
朝食を食べ、ちょっとゆっくりしてから荷物をバイクに積みました。
宿主さんたちに「行ってらっしゃい」という「さよなら」を言い、バイクを走らせました。
小樽に直接行って、友が経営している小樽の宿でフェリーの時間までのんびりさせてもらおうと思ったけれど、ふと、地図を見ながら思いました。
あ、このルートを通ると、北海道に移住して農業をしている友の家の前を通るんだった……。
急きょ、ルート変更をして友の家の前を通る方向に行きました。
土曜日。
友人夫妻はだいたい土曜日に買い出しに出かけると、以前、泊まったときに言っていました。
いなくてもいいか、と思いながら、友の家へ。
1年でずいぶんと変わった景色を眺め、畑の人たちの中に友の姿を探すと……、いました!
思いがけずちょうどお昼どきだったため、いっしょにお昼ごはんをいただきました。
ごちそうさまでした。
てっとりばやく近況話をお互いにして、2時間ほど滞在。
まだまだゆっくりしたかったけれど、小樽の市場に行きたかったので、重い腰を上げました。
元気でがんばっている様子。
安心しました。
その2時間後に小樽に到着。
夕飯はお寿司!と思っていたけれど、小樽のミュージシャンたちが集まるバーベキュー大会が海岸であるということで、急きょそれに交ぜてもらいました。
みんなでわいわい。
初めて会う人たちばかりだけど、わいわい。
旅って、いいな。
人って、ステキだな。
そんなふうに感じた今回の旅。
後ろ髪をひかれる思いで、フェリーに乗船。
出航がかなり遅れたけれど、小樽の夜景をずっとずっと見つめていました。
また、来るよ。
北海道。
おやすみ。
「赤岳、行こうか」
宿の人が誘ってくれました。
えーーーっ!
ホントですか〜っ!
ということで、きょうは「赤岳」へ登山。
もううれしくて仕方がありません。
準備をして出発。
ちょっと登山にしては遅めだけど、ま、大丈夫でしょう。
登山もうれしいけれど、宿主夫妻といっしょにお出かけできるのが、とてもとてもうれしいのでした。
昼過ぎに赤岳の「コマクサ平」で昼食。
空はかなり快晴。
ときどきリスが出てきます。
山頂はまだ先ですが、かなり満足した私。
もう、ここでいいかな。
と思っていたところ、またまた宿主さんが言いました。
「このへんで下山して、タウシュベツに行こうか」
えーーーっ!
ホントですか〜っ!
私の運転でバイクでは無理、と思っていたのですが、連れていってもらえるとのこと。
ホントにありがとう。
タウシュベツ川にかかる橋は、思った以上に老朽化が進んでいたけれど、とてもきれいに浮かび上がっていました。
こんなに細いのにSLが通っていたんだな。
そう考えると、むしょうにわくわくしてきて、珍しく何枚も写真を撮りました。
歴史にとどまる心に触れた瞬間、またまた宿主さんが言いました。
「帯広のお菓子やさんに行こうか」
えっ!
ホ、ホントに?
お菓子にはあまり興味はないのですが、おみやげをそろそろ買っていかなければ……と思っていたところ。
ということで、帯広でおみやげを買い揃えて帰ってきました。
宿に帰って3人で外のベンチに座りビールで乾杯。
星空を眺めて、今晩のお客さんの到着を待ち、4人で再び乾杯。
旅の最後の夜が、ここで、こうして迎えられてよかった。
おかげで、とても充実した旅になりました。
ありがとう。
さて、明日は小樽まで走ります。
おやすみ。
2007年08月23日(木) |
眼下に広がる十勝平野 |
ツーリングマップルに写真が載っていたため、急きょナイタイ高原まで走りました。
そういえば、行ったことがなかったな。
途中にタウシュベツ川にかかる旧国鉄士幌線のアーチ橋も見たい。
下調べをあまりしてこなかったので、すべてツーリングマップルと相談しながら、きょうの予定を決めました。
もちろん、宿は連泊です。
大雪国道を抜けて、上士幌へ。
ナイタイ高原は、とてもとても大きな牧場でした。
しばらく、高原のレストハウスで休憩&ランチ。
十勝平野とその向こうに広がる山々に見とれながらぼーっとしていました。
気が付いたらもう14時。
そろそろ帰らないと。
途中、糠平温泉に入りました。
今回の旅でこれが最初で最後の温泉になるとは思っていなかったけれど、十分すぎるほどゆっくりつかりました。
タウシュベツ橋に向かう道が林道だったので、バイクで入るのはあきらめ、暗くなる前に宿に戻りました。
今晩も旅人同士で語らう楽しい楽しい夜。
さて、明日はどうしようかな。
おやすみ。
2007年08月22日(水) |
快晴、そして風、大雨。 |
朝、起きたら、かなり強い風が吹いていました。
離島まで行くフェリーは欠航寸前。
みんなに「やめなさい」と止められ、フェリーに乗るのはあきらめました。
さて。
どうしよう。
きょう、泊まる宿はもう決まっています。
直接、行くと早すぎるので、オロロンロードをもう少し北上して、利尻を見に行くことにしました。
風は強いけれど、快晴です。
きっとキレイに見えることでしょう。
きのうと同じく、ゆっくり走りました。
1時間ほど走ったところで利尻が顔を出しました。
てっぺんに少し雲がひっかかっていましたが、それでもきれいに海に浮かび上がっていました。
あちこちの展望台でバイクを停め、バイクが少しでも入るように写真を撮りました。
写真を撮る私にライダーたちがあいさつをしてくれました。
なんだかうれしくて、思いっきり手を振りました。
時間の都合もあり、途中から海沿いを離れて、農道を走ります。
ゆっくりゆっくり。
40号に入って南下を始めてもゆっくり。
もう、ゆっくりのスピードに慣れてしまい、80キロも出せません。
音威子府(おといねっぷ)まで来てやっと昼ごはん。
名物の駅そばは定休日だったため、国道沿いの蕎麦屋に入りました。
黒い蕎麦。
おいしくいただきました。
とくに何をしたというわけではないけれど、きょう1日に満足し、さて、これから今晩の宿に向かうため、バイクにまたがりました……、あれ、あれ?
なんだか南の空に不吉な黒い雲が……。
私が今いる場所は、青すぎるほどの快晴。
せっかく雨を逃れて北上したのに、わざわざ雨の降る場所へ逆戻りです。
でも。
いいのです。
少し早めにカッパを着て、雨雲に突っ込んでいきました。
その後は……、ご想像にお任せします。
今晩は、比布(ぴっぷ)の宿。
ここは、楽しくてあたたかい宿。
今晩も楽しい夜は過ぎていったのでした。
おやすみ。
2007年08月21日(火) |
ゆっくり、オロロンロード |
朝はゆっくり8時から朝食です。
きょうは日本海に沿って北上し「羽幌(はぼろ)」を目指します。
見送りの人たちに手を振る余裕もなく、急すぎる坂道をセカンドでおりました。
小樽の懐かしい街並みを眺めながら、5号線をゆっくり走りました。
いつもは100キロで走りぬける一般道を、ゆっくり、ゆっくり。
どれだけ追い越されても、どれだけ後ろの車にあおられても、法定速度を守っている、という強みを全面に表しながら、ゆっくりライディング。
すると、今までの旅で聴こえなかった波や風車の音、海から吹く風の音が、はっきりと聴こえました。
とてもステキな宝物を見つけた気分になり、海岸線で何度も停まり、何度も風を感じ、写真を撮り、そしてまた次に気になるところまで走って。
そんなことを繰り返しているうちに、友の友が経営している喫茶店に到着しました。
小一時間ほど珈琲を飲みながらおしゃべり。
楽しい時間をありがとう。
夕方16時くらいに、今日の羽幌の宿に到着。
さすがに疲れたため、近所の温泉に行く余力もなく、宿のお風呂で疲れを癒し、夕飯の時間まで絵はがきをしたため、ふと気づきました。
あれ、きょう、私、お昼ごはんを食べていなかった……!
もともと食に無頓着な私ですが、昼食を忘れるなんて重症です。
ゆっくり……とはいえ、1年ぶりのバイクによほど緊張しながらバイクを走らせていたのでしょう。
同室は、チャリダーのお姉さんでした。
宿泊客は、アンモナイトの調査・研究で来ている大学院生が4人。
家族連れが1組
みんなでわいわいと旅話やアンモナイトの話で盛り上がり、きょうも楽しい1日。
こんな感じで、きょうの旅はおしまい。
おやすみ。
2007年08月20日(月) |
到着。小樽。あたたかい夜。 |
昨夜、少し喉の痛みを感じたので、旅のあいだに風邪などこじらせては困ると思い、風邪薬をのんで寝ました。
そのおかげで、昼前までぐっすり。
ときどき目が覚めたものの、体がベッドから起き上がろうとしませんでした。
おかげで、朝食代が浮いたかな。
きのう、作ってもらったおにぎりを朝昼兼用にして、船内を散策。
展望風呂。
読書。
そして、また睡眠。
あの船の揺れが眠気を誘うのでしょうか。
航行中は、ほぼ寝ているか、本を読んでいるかしかしていません。
映画も子ども向けのものばかりだったし。
そんなこんなを繰り返しているうちに、いつもの「どおぉん、どおぉん」という音が聞こえ始めました。
港に着く2時間ほど前から聞こえるこの音。
いったい何の音かはわかりませんが、もうすぐ小樽、です。
少し道に迷ったものの、無事にきょうの小樽の宿に到着。
懐かしい顔ぶれが「おかえり〜」と声を揃えて迎えてくれました。
あしたの私の行動予定をみんなで議論して、楽しく懐かしい話をわいわい。
みんなの近況を聞いたり。
とてもとても楽しくてうれしくて。
旅の始まりは、いつものとおり、あたたかい気持ちでいっぱいの夜になりました。
さて、あしたはどんな旅になるかな。
おやすみ。
ギリギリになって、バタバタとするのはキライです。
ギリギリになってから、バタバタとする人を見るのもニガテです。
だから、もう3日ほど前からパッキングは済んでいました。
それが私の、旅、のスタイルだから。
いつもの場所で、いつものおにぎりを作ってもらいました。
旅の楽しみのひとつです。
旅立ちは、あまり人には言いません。
だって、私の旅だもん。
バイクに荷物を積んで、ちょっと緊張。
あたたかい笑顔に見送られて、ちょっとセンチメンタル。
旅立ちはいつも、そう。
こんな感じ。
ただひとつ、違ったことがありました。
遅めに港に着いて、乗船の合図を待っていると……。
ええっ!!
見送りのないはずの港なのに、よく知る笑顔が。
私と入れ違いに、きょう帰ってきた旅人です。
どこかで私が旅に出るのを聞きつけたようで、3時間ほど港で待っていてくれました。
あまりにもびっくりしたおかげで、緊張が少しほぐれました。
お見送り、どうもありがとう。
疲れていたのか、出港を待たずして寝てしまいました。
さて、私の夏の旅が始まります。
どんな旅物語が生まれるのでしょう。
おやすみ。
なんだか、胸騒ぎ。
おやすみ。
朝、車で出かけました。
もともと、高速道路には極力乗らない主義の私。
地道で、せっせと目的地に向かいました。
とある交差点で右折をすると、そこは阪神高速道路の高架下を通れます。
やたっ!日陰だ!
と喜んだのもつかの間、なぜかどんどん日が照ってきて、あれあれあれれという間に料金所。
いつの間にやら阪神高速にのっていたようです。
700円、返せ〜!
とはいえ、少しくらい早くつくなら……と思い、料金を素直に払いました。
でも、そこは……、大渋滞!
うぅ、遅刻するかも……(涙)。
高速道路を1駅で降りて、すぐに見つけた市営駐車場に車を停めました。
市営だし、比較的に安いでしょう。
アポイントぎりぎりに間に合い、すぐに出るつもりだったのですが、その日にうちに資料を作ることになり、そのまま居座り。
心配な駐車料金は1時間300円。
最大1600円。
ま、仕方がない。
そう思い所用を済ませて駐車場に向かいました。
もう1600円の時間帯。
ふと、市営駐車場の隣にあるコインパーキングに目をやると……。
「1時間200円!」
……。
どう考えても、こっちのほうが安かった……。
どうも、きょうの私の行動に腑に落ちない点をいろいろ考えながら、てくてく駐車場を歩きました。
でも、私の車がありません。
ん?あれ?あれれ?
あ、そうだ、きょうは入り口にいちばん近いところに停めたんだ!
それから150メートルほどまた逆戻り。
きょうは、そういう日なんだな……、と思い、なんだかあきらめの境地。
職場に行き、パソコンを開いていろいろしていると、腕の左右になにやら動くものが……。
「……!うぅ……!」
アリの行列が私の腕の下を通って、遠く遠く延びていました。
どうやら砂糖をねらっている様子。
「アリちゃん、もう帰ってね」
砂糖を掃除しながら、アリに語りかける不惑の歳手前のオンナって……。
でも、そんなこんなで、きょう一日を楽しむことができました。
ね。
おやすみ。
きょうは「送り火」です。
テレビで大文字の送り火をみました。
そして、今年いっしょに大文字に登った仲間たちのことを思いました。
あのときの感動を、思い出してくれていればいいな。
子どものころからかわいがってくれた伯父からメールがきました。
初盆を案じてのメール。
おそらく、私ひとりですべてを担っていると思ったのでしょう。
ちょっと泣き言を返したらこんな返事。
「君は大丈夫。明るくて、強い」
そっか。伯父が言うなら大丈夫かな。
そういうふうに思い込ませてくれた伯父のメールに感謝。
北海道の友からメール。
北海道も暑いみたい。
私の今度の旅の話をひととおり説明するとこんなメール。
「あいかわらず、ハードだね」
え。ハードな旅は私はニガテなはずなのに……。
ちょっとした焦りがあったのでしょう。
計画練り直しです。
私らしい旅を、楽しみたい。
さ。
そんなふうにきょうは過ぎました。
山の計画を立てたり、旅の計画を立てたり。
お盆のおわりは、これでいいのです。
でも、いつまで私は、こんなお盆を続けていられるのでしょうか。
おやすみ。
父と母が暇があるときに耕していた畑は、もう今はまったく何も手付かずです。
おそらく、今年になってからは一度も足を運ばずだったのでしょう。
今ごろ、どうなっていることやら。
茗荷がぴょこぴょこ生えているんだろうな。
野菜は、近所の「100円農家」から買っいますが、その農家も最近は人気が高くて、なかなかいいものが手に入りません。
スーパーの野菜は、鮮度が悪くていまいち母は気に入らない様子。
「今年は、きゅうりは豊作だったりしますか」
今日の昼。
友にメールをしました。
その友のご父君は、近所に畑を借りていて、それは見事に野菜を育てています。
そして、ときどき(しょっちゅう)、おすそ分けをいただきます。
母も、その友の家庭からもらった野菜には、一目置いていて、「どうやったら、こんなに立派なトマトができるのかな」とよく父と言っていました。
その家のきゅうりを、きょうは「おねだり」しました。
おまけに「トマト」と「かぼちゃ」もついてきました。
どうもありがとう。
母が喜びます。
遅くの帰宅に母はもちろん就寝中。
あした、楽しみだね。
おやすみ。
次の満月は、皆既月食だそうです。
そのとき、私はちょうど山の上にいます。
雨さえ降らなければ……ですけれど。
今回の月食は、月がすっぽりと地球の影に隠れた状態で上がってくるとか。
それまでは満点の星空を楽しむこととしましょう。
おやすみ。
きょうからお盆です。
わが家は「初盆」です。
ホントはきょうの夕方に迎え火を焚くようなのですが、きょうは私は用事があり家にいません。
なので、きのうの夕方に迎え火を焚きました。
買ってきたお供えセットのきゅうりとナスに割り箸を刺し、仏壇に飾りました。
先日、お寺からもらってきた卒塔婆を立てかけ、なにやら文様の入っている「ありがたい紙」をコップの中で燃やします。
この火を頼りに還ってくるそうです。
それから、その火でろうそくを灯し、そのろうそくの火をお線香に移しました。
おかえり
1日早かったけれど、きっと父をはじめ、この仏壇にいるご先祖さまたちは還ってきてくれたことでしょう。
送り火は16日。
それまで、のんびりしていってね。
おやすみ。
「おまえ、オレと付き合え。返事はオレの靴箱に入れとけ」
中学校2年生のとき、ひとつ上の先輩からそんな脅迫めいた手紙をもらったことがあります。
いかにも破きましたというノートの切れ端に、鉛筆であまり麗しいとはいえない文字。
いわゆる「ラブレター」でした。
それまでも、いくつかのお手紙はいただいたことがあり、そして子どもなりに丁重にお返事させてもらっていたのですが、その手紙だけは返事は書けませんでした。
当時、生徒会をしていた私。
とくに何をしなくても、どうしても目立ってしまいます。
私たちの斬新な改革に対する保守派からのいわゆる「テロ」なのかもしれない……!
なんてことは考えませんでしたが、なんだかあまりいい気分はしません。
友人に相談して、しばらく様子をみることにしたその3週間後。
再び、靴箱になにやら紙切れが……。
「返事は、靴箱に入れておけ。オレの靴箱はここだ」
同じような文面でしたが、今度はていねいに靴箱の地図まで描いてありました。
こんな紙切れでこんな文面でも、それでも真剣に想ってくれているんだなぁ、と思いながらも、でも、その命令口調がどうも気に食わず、またまた友人に相談。
そして、友が作ってくれた返事がこれ。
「オレのことは忘れろ」
もちろん、その返事を出す勇気はまったくなく、結局、返事をせずまま、彼は卒業していきました。
たまに思い出す「返事を出していない手紙」です。
きょうは、手元の郵便物を整理。
久々に彼を思い出し、今ならもっと気のきいた言葉でお返事できるのにな、とちょっぴり反省したひとときでした。
おやすみ。
まだ「mixi(ミクシィ)」というソーシャルネットワークサイトがここまで世間に知られていないころ、友人をmixiに誘うのに一苦労しました。
私は、マスコミ系に知人がいるため、比較的早い時期にmixiを紹介してもらいましたが、周囲の人は誰も知りません。
「友だちの友だちはみな友だちだ、みたいなサイトがあるんだけど……」
「登録は無料で、いやだったらすぐにやめられるよ」
「日記を書いたり、友人の日記にコメントしたり、掲示板みたいなところに書き込みしたり、けっこう楽しいよ」
などなどと言っているうちに、なんだかあやしい宗教に誘っているみたいで、ちょっとどぎまぎしていました。
あれから数年。
もういろんなところで、mixiの話題を聞きます。
おそらくほぼ初対面同士でも、自分のmixiの中での名前を教えあっているのでしょう。
これって、新しいコミュニケーションの取り方なんだろうな。
人見知りをしてしまう私には、これはちょっとニガテで、けっして初対面やそれほど喋ったことのない人とは、自分からmixiの話題はしません。
とはいえ、聞かれればよっぽどな人でないかぎり、受け入れるようにしています。
遠いところに住む友や疎遠にしていた友を身近に感じたり、はたまた近所に住みながら「へぇぇ、こんな考え方をしていたのか」と発見したり。
見たくない日記は見なきゃいいし、見たくないコミュニティはやめればいい。
自分なりにmixiをうまく利用していけばいいんです。
おやすみ。
心がざわざわしています。
なんでかな。
きのう、旅気分を味わったからかな。
刹那主義は、やっぱり、ダメですか。
おやすみ。
「沖縄の歌にはエネルギーがあって、そのエネルギーを感じてもらうために、歌います」
5年前、アメリカに留学した友が言いました。
そして、歌いました。
小さな体からめいいっぱい声を歌にしました。
彼女の歌から、熱い熱い気持ちが伝わってきて、自然と涙があふれていました。
あのとき初めて「沖縄」に触れてみたい、と思ったような気がします。
そしてその1カ月後、私は沖縄に旅立っていました。
沖縄の歌を聴くと、いつもそのときの気持ちと、あのときの状況を思い出します。
あのとき、私のいた場所は悲しみにあふれていて、そして私は「思い出」の中で生きようとしていたような、そんな「とき」……。
今日は、沖縄民謡を聴きに行きました。
プロの歌を聴くのは久しぶり。
三線の音色がやさしくて、ライブで会った人たちはみんな楽しくて、なんとなく旅先の宿気分。
たくさんのエネルギーをきょうはもらったなぁ……と考えながら、帰りの電車はすっかりぐっすり夢の中。
さ、明日からがんばろ。
おやすみ。
朝ごはんを食べて、なぜかベッドで二度寝。
二度寝って、めったにしない私なので、すぐに目が覚めてしまいましたが、なんとなくすっきり。
予定より1時間遅れてホテルを出て、今回の旅の目的地「21世紀美術館」に行きました。
できた当初から、ずっとずっと行ってみたかった美術館。
ちょっと予想とは違ったけれど、見たかったものが見られてよかったです。
それにしても、暑い暑い1日でした。
帰りは、後輩がビールを買ってきてくれました。
ありがとう。
なんだか、あっという間の金沢だったけれど、目的を果たせてよかったです。
こんなふうに、私の旅は、突然始まります。
旅に誘ってくれて、ありがとう。
楽しい思い出を、ありがとう。
おやすみ。
「今年こそ、そろそろどこか行きましょうよ」
元いた会社の後輩が誘ってくれたのは6月の終わりくらいだったでしょうか。
これまでも、何度か唐突にふらりといっしょに旅に出ていたのですが、ここしばらくは私の都合で行っていません。
「そろそろ」と言われると、「そろそろ、行こうか」という気持ちになり、これまでに「いっしょに行こう」と言っていた場所に行くことにしました。
そして、きょう。
昼前の特急「雷鳥」に乗りました。
そう、向かった先は「金沢」。
目的は……、あしたのオタノシミ。
まずは、舌とおなかを満足させるために、金沢の魚と地酒を満喫。
ホテルについている温泉で疲れを癒して眠りにつきました。
最近は「山」ばかりな私。
久々に「旅」を満喫しています。
おやすみ。
伯父の葬儀場に、少し早く着きました。
いったんは車を葬儀場に止めたものの、時間はたっぷりあります。
私ひとりだったら、おそらく懐かしい場所をめぐって車を走らせますが、母はそうはいきません。
母は、私よりも、もっともっと、この地に思い出があり、おそらく、もっともっと、この地が変わったことを知りたくない人だからです。
さて、どうしよう。
「高校に、行こうか」
母が言いました。
母の言われるとおりに私が通っていた高校に車を走らせました。
「ここに、運動会に来たね」
あのときは、シアワセだったんだな、という気持ちしかよみがえってきません。
なんだか母の心苦しい表情に、早くこの場から去らせてあげたいと思い、早々を葬儀会場を後にしました。
シアワセって、なんだっけ?
私は今、シアワセを毎日満喫しているつもりだけど、それは、ウソ、ですか?
それは、やせ我慢ですか?
それは偽善で慈善ですか?
それでもいいんじゃない?
おやすみ。
母のいちばん上の姉、つまり伯母の結婚式に出たとき、たしか私は小学生だったように思います。
もちろん再婚。
伯母には、私より5つ上と3つ上の娘がいて、私ともよく遊んでくれていました。
新しく伯父になったその人を、私はいまいち好きになれず、ずっと避けてきました。
実際に、伯母に災いばかりをもたらし、再婚してからは伯母は苦労ばかり背負わせてきたような人。
きょうは、その伯父のお通夜に参列してきました。
「続くときは、続くんやね。こんな年なのかな」
意外にも悲しんでいる伯母に驚きながら、
ソンナ年ナンテ、ナイヨ
心の中でつぶやきました。
お通夜が始まり、お坊さんの怠惰な読経を聴きながら、思い出すことはやはり4カ月ほど前のことばかり。
私はこのとき、どんなふうだったかな。
私はきちんと、挨拶、できたかな。
私は父の最期を見届けたっけ?
私は……、私は……。
「私」ばっかり。
自分のことしか考えられていない自分に嫌気がさしたきょうのお通夜。
伯父のことばかり悪く言えませんね。
久々でもなく集まった親戚たちは、長女である伯母ではなく、末っ子である母とその娘の私のことを心配してくれていました。
モウ、大丈夫、ダヨ
そう言えればいいのにね。
おやすみ。
もうすぐ初盆がやってきます。
あいかわらず、冠婚葬祭に無頓着な母子。
何をすればいいのか、さっぱりわからん状態です。
きょうは、初盆前に棚経を上げてもらいにいきました。
あちこちから檀家さんが集まり、小さなお寺は大賑わい。
きっと、きょうが一年のうちでいちばん忙しい日なのでしょう。
お寺を実家にもつ友とその家族のことを思い出しながら、静かに順番が来るのを待ちました。
きれいだな。
6人のお坊さんが唱和する経が歌のようにも聞こえ、心のどこかを震わせています。
いっしょに唱えたい、と思ったけれど、あいにく手元に経本がありません。
父の戒名がよばれ、手を合わせました。
もうすぐ、初盆、です。
姿の見えない父に語りかけました。
返事はもちろん、ありません。
ぐったり、疲れました。
こういうときの私は、私にかかわる人を、立ち直れないくらいに傷つけてしまうのです。
だから、きょうは、誰に会うこともなく。
おやすみ。
あしたも、忙しい1日です。
きのうのバスのなか、高速道路でもらった長野の地図を見ていました。
ご存じのとおり、私は地図で旅ができます。
バス酔いの恐怖に動じることなく、ずっと地図上の「山」を目で追っていました。
その熱が覚めやらず、きょうはとうとう新たな山行企画を立ててしまいました。
立てたといっても、行きたい山と私の実力、いっしょに行こうとしている仲間の体力と相談して、2〜3個にしぼっただけですが。
日程だけでもおさえてもらおうと、数人の友にメールをしました。
さて、あとは返事を待つばかり。
そして再び思いました。
私って、やっぱり誘ってばかりで、あまり人から誘われることが、ないな。
誘いにくいのか誘いたくないのか。
自分の性格を振り返り、ま、仕方がないのかな、と納得。
でも、いいのです。
こんな私でも、思い出したかのように誘ってくれる友がいるだけで、十分なのです。
おやすみ。
ご来光は8合目手前の山小屋から見ました。
雲海に広がる朝陽の広がりが、とてもとても幻想的で、雲の上にいるという感覚を確かにしました。
夕べ23時30分。
ガイドさんが言いました。
「山頂は台風並の強風のため、山頂アタックは中止します」
ぎゅうぎゅう、と互いにくっついて寝ることを余儀なくされていた私たちは、布団の中から身動きひとつせず、その報告を聞いていました。
外の強風は寝る前からわかっていました。
だから、もしかすると……と思っていたけれど、やはり中止はショック。
でも、もっと眠れることのほうがうれしくて、あっという間に寝てしまいました。
で、起きたら4時半。
ご来光を見て、朝食を食べて、下山です。
途中、さっきまで見下ろしていた雲のなかに入ると、霧雨のように水滴があちこちを舞っています。
ずるずると滑る「ブルドーザー道」を、みんなでわいわい、わいわいとおしゃべりしながらの下山。
とてもとても楽しかったです。
きのう、眼下に広がっていたはずの広大な景色は、きょうはもう真っ白。
同じ山とは思えない景色を眺めて、そして五合目で朝8時の「おつかれさまビール」。
そのあと、温泉に入ってまたまた乾杯をして、バスのなかでたくさんお菓子がまわってきて、おしゃべり。
やっぱりきょうもみんな、思いっきり笑顔でした。
思えば、私は山頂には縁がないのかもしれません。
でも、そのたびに、どんなことでも楽しくしてしまう仲間のたくましさを、いつもいつも実感するのでした。
楽しい山行を、どうもありがと。
また、山登り、しましょう。
おやすみ。
富士山へ向けたバス車中は、とてもにぎやかでした。
いえ、にぎやかなのは私たちのグループ総勢12名。
バスに乗ったとたん、お菓子の回しあいっこ。
あぁ、懐かしい雰囲気。
でもしばらくすると、みんな熟睡モード。
今晩からの富士夜間登山に向けて体力を温存しているのか、それともふだんの昼寝癖がここでも出たのか、は明らかにするまでもありません。
かくいう私も、ぐーすかぐーすかとたっぷり睡眠を取りました。
朝7時に出て、富士山五合目に着いたのが17時前。
早めの夕食を取り、登山の準備をして、今は晴れ渡っている富士山をバックに写真を撮りました。
このまま、晴れていてくれますように。
台風情報を知らせてくれる人も数人いましたが、それよりもここ数日の天気の荒れ模様のほうが気になるところ。
とりあえずは山小屋を目指します。
ツアー客約40名が、ゆっくりゆっくり、ガイドさんの話を聴きながら、ゆっくりゆっくり歩を進めます。
眼下に広がる富士吉田の町、山中湖、河口湖、遠くに小田原。標高を上げていくにつれて山の向こうに見えて広がる町。
山中湖で催行されていた花火を見下ろしながら、一歩一歩、登ります。
あんまりにもゆっくりすぎて、ちょっとしびれをきらしたこともありますが、それもこのツアーの良さなのでしょう。
21時過ぎ。
山小屋到着。
2時間ほど仮眠をして、それから頂上のご来光を目指します。
さて、あした。
ちゃんと起きられるかな?
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記