紫
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父が亡くなったとき、メールをくれた友がいました。
よくいっしょにハイキングに行く友です。
「また、山登りに行こう」
そんなとりとめのない内容のメールがとてもうれしくて、すぐ返事をしました。
「今年はみんなで富士山か?!」
富士山にあまり魅力を感じていなかった私は、もちろん、冗談のつもりでした。
でも、すぐに返事がきました。
「富士山、行こう。山登り、しよう。人間くさく生きよう」
なんだか、そんなメールに感動して、この夏の富士山行きを決めました。
ということで、あしたから富士山ツアーの出発です。
ツアーにのらないと、かなりお金がかかることと、私自体が数年前に7合目付近でリタイヤしていることを考えて、ツアーでの登山を選びました。
4月からじょじょに準備を始め、登山初心者の友には買い物リストを作り、「富士山? 行く行く!」と気軽な参加者には「かなりしんどいよ」と念を押し、参加者全員に出発日まで「階段の昇り一段飛ばし」の義務を課しながら、富士山への熱気を高めてきました。
と言いながら、私がいちばん不安がっているのは百も承知です。
3000メートルより700メートルも標高の高い山に登るのは、日本では富士山以外にありません。
高山病や体力は大丈夫だろうか。
心配性の私。
ぐるぐる不安がうずまきます。
でも、大丈夫、という確信がひとつ。
それは、あした登る仲間のたくましさ。
あしたは、早いのさ。
おやすみ。
5月ころ、ハガキが来ました。
私のお気に入りの美容師さんからです。
どうやら店舗を替わった様子。
転勤かな?
この美容師さん、私が大阪に住みだしてしばらくしてからずっと同じ人に髪の毛を触ってもらっています。
同じ系列の違う店舗に異動してからも、その美容師さんのいる美容室に行きます。
これって、追っかけか?
でも、去年から、極貧状態になり、なかなか美容室に行けませんでした。
髪は伸ばしっぱなし。
毛先もバラバラ。
そろそろ美容室に行きたいっ!
と切に願っていたころに、届いたハガキ。
さっそく行くつもりだったけれど、今度は多忙につきなかなか行けず。
きょう、になりました。
ちょっとドキドキしながら予約の電話をかけました。
聞きなれた声に名前を言うと、とっても喜んでくれました。
あぁ、覚えていてくれたんだな。
かなりうれしくて、いそいそとその美容室へ行きました。
自動扉が開くと、見慣れた顔のふたりが一斉に待っていてくれました。
「場所、わかりました?」
「久しぶりですね」
「来てくれてうれしいです!」
私は私で知己と会っているような気持ち。
話を聞くと、独立して二人できりもりしているとか。
そっか。
がんばらないと!
大阪のJR福島駅からごく近くにある美容室「ever」です。
もし、行きたいかたは割引券を私が持っているので、ご一報ください。
ホントに腕のいい美容師さんと、気が利くアシスタントさんが待っていてくれます。
私も、がんばらないと!
おやすみ。
選挙に行く途中、母がふと、立ち止まりました。
「この木に、いるよ」
どうやら、蝉を見つけたようです。
とはいえ、私の目には、どこをどう見たって、蝉の姿は見えません。
鳴き声なんて、とんと聞こえません。
「どこにいるの?」
母に問いました。
「こっち。ここ、ここ。ほら、あそこ」
プラタナスの木を、ぐるりと反対側にまわって見上げるくらいの距離に、ひとつ、蝉が止まっていました。
あぁ、なぜ木の反対側に止まっている蝉が、母には見えたのでしょう。
今に始まった疑問ではありません。
でも、それは疑問ではありません。
母は、自然と対話ができる。
子どものころ、ふとそれに気づきました。
だから、母が育てる木や花は、どんどん大きく元気に育っていくんだって。
だから、母が通る道には、花がたくさん咲き誇るんだって。
残念ながら、私にはその血は伝わっていません。
ただ、花や植物が好きなことだけは、母譲り。
でも、今は休止中。
そんなことを考えていたきょう。
ベランダに蝉が舞いこんできました。
なんだか、今年はいろんなことをスタートさせたい気分になりました。
仕事も私生活も、勉強も山登りも。
そして……。
深夜に舞いこんできた蝉に。
ありがとう。
おやすみ。
深い人だな。
ゆうべ、夜更けまで語り合った友を駅まで見送ったあと、思いました。
私の吐く薄っぺらい言葉が、恥ずかしくなりました。
そんな友を夏の終わりの山の予定を聞きました。
残念ながら休みがとれるかどうかわからない、とのこと。
そして友は言いました。
「縁が合ったら、いっしょに登れるでしょう」
なんの焦りもなく、ただ自然体の言葉に「そうですね」とだけ答えました。
そう、あせっちゃいけない。
山はそこを動かない。
人生は長い。
長いんです。
おやすみ。
ちょっと、気持ちをぶつけてみようかな。
そう思い、少しずつ語り始めました。
この人なら、何か答えを出してくれるかも。
そして、静かに聴いてくれました。
私が言葉につまると、私の言いたいことを、わかりやすくまとめてくれました。
やっぱり。
この人は、どこか私と似た感覚を持っている。
少し前から、ときどき感じることはあったけれど、きょうは実感しました。
性格が似ているわけではありません。
そのときに起こっている事象を受け止める心の場所が、きっと同じ深さのところにあるのでしょう。
そして、私よりもっともっと広大な心を持っている。
お互いに、いろんな話をしました。
5年前の話や、4カ月前の話。
気にかかる一家の話。
そこに集まる仲間たちの話。
時間が経つのも忘れながら、泣いて、大笑いして。
きょうの夜、私のなかでくすぶっていたものが、すぅーーっと消えていきました。
どうも、ありがとう。
ありがとう。
疲れちゃったよ〜。
おやすみ。
「子犬の里親を探しているねん」
先週、友が言いました。
猫派の私は「ふぅん」とだけ返事。
会話がはずまないまま、駅で別れました。
その後。
偶然、ほかの友とその父と会いました。
「子犬を飼おうと思っている」
去年、かわいがっていた犬を交通事故で亡くした一家。
同じ種類の犬を……と言っていましたが、さっき聞いたばかりの里親探しの話を、ちらっと言ってみました。
そのときは、あまり気乗りがしなかったみたいで、その話はそこで終わってしまいました。
点と点は、うまく結びつかないもんだな。
そんなことを考えながら、すっかり犬のことなんて忘れていたのですが、先日から、点が線になりかけています。
縁って、不思議。
おやすみ。
あの年と同じ、暑い1日になりました。
痛いくらいに照りつける日差しに、心がきゅうっとうなります。
ちょっと早く起きて、ほんの少しだけ掃除。
「きょう」の準備をするのは今年で5回目になります。
去年までは、遠くからやってくる友といっしょに、朝から買い出しに行ったり、写真をプリントしたり、友を迎えに行ったり、ちょっと温泉に行ったり……と、まるでいつも何かをしていないと、きょう1日が過ごせないかのように、用事をどんどん作り、あーだこーだと友と相談しながら準備を進めていました。
でも、今年は私に予定があり、準備ができません。
なんだか、いつもと、違う夏。
それでも、できるだけ早く帰り、夕方の準備には間に合いました。
よかった。
暑い暑い夏の1日。
しかも、平日にもかかわらず。
たくさんの仲間が「彼」を慕って集まりました。
きょうは「彼」の命日です。
「おーー、久しぶり!」
「いま、何やってんの?」
仲間同士のそんな会話が繰り広げられるなか、親戚の法事に訪れたようなどこか心地のいい感覚にとらわれました。
今年、初めてバイクで北海道を旅した夫妻が言いました。
「あいつが語っていた景色が、そのまま、そこにあった」
このひとことで、どれだけ多くの旅人が、北の大地に思いを馳せたことでしょう。
彼が熱く語ったあの景色が、あの風が、静かに呼び起こされ、そして感覚として残っていきます。
生きて、いるんだな。
彼は、人の心のなかで、じっとなんかしていないんだ。
あちこちを旅して、そして出会った人たちに語りかけているんだ。
暑い夏の始まりです。
さぁ、旅に、出よう。
おやすみ。
予約、しました。
おやすみ。
そういえば、先日、飲み会がありました。
久々、といえば、久々。
例によって例のごとく2件目の店ではぐーすかとお休みモードでした。
もう言わずと知れたこと。
ただ、いつもと違ったのは、2件目の店は、なんと「立ち飲み屋」だったのです。
もう、寝にくいこと!
それでも、ぐーぐーと寝ていたらしい私は、なんとつわものでしょう。
ということで、次回はきちんとイスのある場所で飲みましょう。
だって、寝不足になるんだもん。
おやすみ。
久々に、近所の温泉でのんびり。
あ〜、気持ちよかった。
おやすみ。
脳梗塞で、ずっと寝たきりの人。
食事も鼻からチューブでとっています。
排泄も、尿はチューブで、そして便はおむつです。
意識もほとんどありません。
この人の、生きがい、ってなんだと思いますか?
生かされているだけだと、思いますか?
私は、つい最近まで、生かされているだけだと思っていました。
でも、その人の表情がとあることでほんの少し変わることを見つけたのです。
生きていたいんだな、って思った瞬間です。
そう。
生を自分から断ち切るのは簡単だけど、生きるのは、どうも難しい。
その人に「ありがとう」という言葉を繰り返して、お別れしました。
もう、二度と会うことはないでしょう。
それでも、生きる気力を見せてくれて、ありがとう。
生きるすばらしさを教えてくれて、ありがとう。
脳梗塞で、寝たきり。
意識もほとんどないけれど、ときどき目を覚ましている様子。
私が知るかぎり、とても無表情で、いやなことをされたときだけ、顔をしかめっつら。
そんなしかめっつらしか表現ができないことに、一種の「哀れみ」を感じていました。
個人的には、かわいそうって思う心って、なんだか「上から目線」のようで、キライなのですが、それでも「かわいそう」としか感じることができないことが、とても悲しかったのでした。
この人の生きがいってなんだろう。
もしかしたら、生かされているだけなのかも。
そんなふうに思い出したころ。
とあるひとりの看護師さんがやってきました。
その人を昔からよく知る人。
ふと、その人の表情が変わりました。
なんだか笑っている様子。
一生懸命に、意思を表現している様子。
「お孫さんがいてね。毎週、遠くからお見舞いに来てくれるんだよ」
泣いちゃいけない、と思いながらも、やはりこぼれ落ちる涙の数に自分の弱さを重ね合わせて。
でも、こうして、笑える表情を作り出すことのできるその人に、その人の生きがいを感じながら。
生きがいをなくした人に、生きがいを感じてもらえるような医療があるんだ、って。
それは、医療の力ではなくて、「人」としての力なんだって。
いのちの現場は、私にとても大事なことを教えてくれます。
生きとし生けるものに。
生きていたくなくても、生かされているものに。
おやすみ。
もうすぐ、おわり。
さて、今週もがんばりましょう。
おやすみ。
いろんな思いが錯綜(さくそう)して、よくわかりません。
とにかく、眠い。
ただ、それだけです。
おやすみ。
朝風呂に入りました。
それから、山の上の朝ごはんの予定にしていた「味噌ラーメン」を、仲間が作ってくれました。
そして、少しゆっくりしながら、きょうの予定の打ち合わせ。
「ここからだと、白山スーパー林道を通って、白川郷に抜けられる」
「あ、白川郷にうまい蕎麦屋がある」
「白川郷? 行ってみたい♪」
などなどの意見をまとめて、目的地は決まりました。
途中、スーパー林道で何度も何度も写真撮影の途中下車を繰り返し、こうとなっては憧憬の山ともいえる「白山」を展望台から眺め、すっかり観光地と化している「白川郷」でうまい蕎麦を食べ、ジャガイモの多い「飛騨牛コロッケ」をほおばりました。
旅慣れた仲間たちは、互いに互いを心地よく気遣いながら、つかず離れずで行動しています。
集団での旅行のように面倒くさくなくて、ひとり旅のように人恋しくなくて。
この距離感が、とてもいい。
そんなことを考えながら、いろんなことに思いをめぐらし、何が平穏で何がスリリングなのか、ホントに大事なものはなんなのか。
「ホントにたいせつなものは、目に見えないんだ」
サンテグジュペリの言葉を思い出しながら、帰りの車はすっかりと眠りにおちてしまいました。
山には登れなかったけれど、いい2日間。
どうも、ありがとう。
ここ数週間の緊張と、運転の疲れが出たのでしょう。
朝は誰に起こされることもなく、運転席でゆっくり眠りました。
すでに起きていた仲間たちのところに向かうと、もう登山中止は暗黙の了解で決まっていました。
外は今は小降りといえども、雨。
天気図にはゆっくりと進む大型の台風。
仕方がありません。
ちょっとがっかりしながら、登山のなくなったきょうの予定をみんなで議論しました。
こんなとき、頼もしきは旅慣れた仲間たち。
地図を見ずとも、次から次へと案が出てきます。
白山の近所のひなびた温泉に入り、金沢の回転寿司屋まで車を飛ばし、福井の六呂師温泉のコテージで山頂で食べるはずだった豚汁を作り、夜はみんなでのらりくらりと宴会。
そして、雑魚寝。
真夜中に奇妙な行動をする人にちょっと驚かされましたが、それもまた旅の一興。
あしたの予定なんて、決まっていません。
決まっていないけれど、大丈夫。
だって、こんなに心強い仲間たちといっしょなんだもん。
おやすみ。
早朝の天気予報を見ながら、数人の友にメールをしました。
「きょう、どうしましょう」
台風のなか、行っても仕方がない。
それなら家でのんびりしていたい。
みんな、そんなふうに思っていたら、どうしよう。
もし、中止になっても、私ひとりでも出発しよう。
私のそんな予想とは正反対に、こんな返事がいくつか届きました。
「台風の進路次第でなんとかなるかも」
あぁ!なんてすばらしい仲間たちなのでしょう。
一瞬たりとも弱気になったことに心のなかで謝罪をしてメールを送り返しました。
「行きましょう!」
そして21時を過ぎて、続々と集合場所に集まってくる仲間たち。
ひとしきりの談笑。
そして、出発。
いつものようにいつもの場所のマスターが作ってくれた大きな大きなおにぎりを持って……。
今晩から「白山(はくさん)」に行ってきます。
台風の進路が心配ですが、いつも「曇り空から晴れを期待する私」でいたいんです。
といっても、相手は「曇り空」なんかではなく猛烈な「嵐」ですが。
とりあえず、行ってきます。
台風が接近しているのを、今日の夜遅くに知りました。
最近の多忙&疲労に、新聞を読む力もありません。
週末に予定があり、かなり気になりましたが、きょうも力尽きて早めにおやすみ。
明日の朝、検討することにします。
関係者のみなさま、連絡をお待ちください。
おやすみ。
今日って、誰かの誕生日だったような……。
そんな日、ありませんか?
日にちだけが特別さをアピールしているけれど、それが何の日かわからない。
友の誕生日を忘れたのなら、その友に聞けばいいのだけど、日にちに「あなた、誰かの誕生日だっけ? 私にとって『特別』な日だっけ?」と聞いても答えてくれません。
でも、どうしても気になる今日の日付。
とうことで、きょう生まれたすべての友に、ハッピーバースデー。
って祝われても、うれしくないか。
おやすみ。
愚痴はたくさん言います。
でも、相手を選びます。
たとえば、職場の愚痴なら会社の人に言います。
仲間の愚痴なら、その仲間を知っている人に言います。
私の置かれている状況を、まったく知らない人に説明するのが、面倒くさいからです。
それに、説明しているうちに、どんどん落ち込むのは自分自身です。
今月に入ってから、心身ともにハードスケジュール。
「死」と「生」の接点にいるからなのでしょう。
いろんな思いが頭の中を、ぐるぐる、ぐるぐる、と巡ります。
そんななか。
ふと立ち寄った洋食屋さんで「どう、がんばってる?」と聞かれました。
ふだんなら、「別に〜」とか「知らない」とか適当に言うのですが、ついつい私の口からこぼれた言葉は……。
「………。疲れた。………」
その瞬間。
あぁ、私、ホンキで疲れているんだな。
あらためて実感。
でも、あしたから、またがんばります。
「死」と「生」の接点にいて、不随意でも「生きよう」としている人たちのために。
おやすみ。
久々に、母にお弁当を作ってもらいました。
いつもは自分でなんだかんだとおいしいものを詰めているのですが、きょうはもうヘトヘト。
月曜日から、ヘトヘト。
母に甘えました。
お昼休み。
母に作ってもらったことをすっかり忘れてお弁当箱のふたを開けると……。
おにぎりや玉子焼き、ハンバーグにウインナー。
私の中学時代の大好物がそろいにそろっていました。
高校から両親とは別れて住んでいた私。
なんとも懐かしい気持ちになりました。
おにぎりと玉子焼きは、母の味がします。
お昼も輪をかけてヘトヘトだったけれど、それでも、お弁当、いいですね。
母の味を知っているって、いいですね。
おやすみ。
「新・世界七不思議」というのがあるそうです。
それが、きょう、選ばれました。
中国の「万里の長城」、インドの「タージマハル」、ペルーの「マチュピチュ遺跡」、チチェンイツァの「ピラミッド(メキシコ)」、リオデジャネイロの「キリスト像(ブラジル)」、ヨルダンの「ペトラ遺跡」、ローマの「コロシアム(イタリア)」。
残念ながら、選ばれなかった候補に、京都の「清水寺」がありました。
何が七不思議なのかはわかりませんが、どうせなら選ばれてほしかったな。
なぜなら、あの「清水の舞台」のひとつは、当時、宮大工だった父が、その修復作業に立ち会ったものだから。
今日も、父が生前にお世話になった人のところへ挨拶に行きました。
「いろんなことを、教えてもらいました。職人として、貴重なことも、たくさん……」
そんな言葉に母が涙ぐみ、私は、やはり隣でガマンしていました。
私だって、父の思い出を語りたいのに。
もっと、大工だった父の話を聞きたいのに。
もし、今、私が交通事故で死にいたったら、母は「生きていられない」と言います。
寂しさが、人を殺す。
その寸前までいったことのある私には、その気持ちはよくわかります。
だから、私は人を死なせちゃいけない。
そう思うから、長生きするんです。
悲しむ人がいなくなるまで。
迷惑をかける人がいなくなるまで。
おやすみ。
山登りを始めて、変わったことがあります。
それは「一人前」の量を食べられるようになったこと。
以前は、知る人ぞ知るかなりの少食で、できることなら、何も食べなくても生きていける体になりたい、と思ったくらい食に関して無欲だった私。
毎晩の夕食を兼ねた飲み会で、カロリーを補給していたような感じがします。
だから、けっしてやせないのですが……。
それはさておき。
一人前の量を食べられるようになり、つねに歩くように心がけていたら、だんだんと体力もついてきたのでしょう。
風邪をほとんどひかなくなりました。
以前は年に何回かは高熱を出していたのに。
近々、日本三名山に数えられる「白山(はくさん)」に登ります。
これで3度目。
初めて登ったときは、まだ年がら年中、風邪をひいたり熱を出したりしていました。
ホント、あれから、ずいぶん変わりました。
今年の白山。
どんな山行になるのでしょう。
山頂には行けるのでしょうか……。
おやすみ。
飲みに行くと、必ずちょっと多めに払いたい、と思います。
お酒をたくさん飲む私は、ちょっと多めに払うことで「お酒を飲む権利」をもらっているような気がするからです。
とはいえ、計算の弱い私は、つねに人に計算してもらっています。
「私が1000円くらいプラスになるくらいで」
とお願いして、いい金額を教えてもらいます。
でも。
今日は違いました。
きっかり割り勘。
飲んで食べた私には、なんだか申し訳ない。
ということで、そんな気分になるならあんまり飲むなっつぅことでしょうか。
おやすみ。
父の部屋だった場所に私が移り住んで、3カ月ちょっと経ちます。
ベッドをのぞいた家具はすべて私が使っていた物と交換しました。
父が使っていた形跡はほとんどなくなりました。
でも。
ひとつだけ、父のいた形跡を残しています。
それは、ベッドの左横の壁に天井から吊られている鏡。
ベッドに寝転んで、左を向くと、テレビが見えます。
でも、右を向くと壁しか見えません。
そんな構造に父が考案したものは、右を向いたときに、天井から吊らされた鏡に写ったテレビを観ること。
これで、どっちに寝転んでもテレビが見えます。
妙なアイデアと、その鏡の微妙な角度に、父らしさを感じます。
もうひとつ、畳の上に小さな鏡があります。
ベッドに座ると、テレビの画面がちょっと近いんです。
そんなときのために、ベッドの左横の壁に天井から吊られている鏡に写った映像を、畳の上の小さな鏡に写して、それを観る。
こうすると、画面が小さくなります。
おかしなおかしな発想をする父でした。
その考え方が、子どものころから、好きでした。
もっと遊んでほしかった。
そして、何度も思うけど、もっと生きていて、欲しかったな。
おやすみ。
友のご母堂が、きょう、亡くなりました。
長い闘病生活でした。
家族で一生懸命に看病していました。
私は、家族の絆の強さを、この友を通して見つめていました。
きょう、届いた悲しいメールに返事をしました。
今までの私なら返事は控えていましたが、今は、メールでのお悔やみや弔電がどれだけ支えになるかを、少しは知っている私。
元気を出せ、とは言いません。
私なりに私なりの言葉を送りました。
私の父が亡くなったとき。
決心したことがあります。
人の死が、これだけ周囲の人間に悲しみを残すのなら、私は誰も悲しむ人がいなくなるまで生きるんだって。
これからも、大きな悲しみに出会うことでしょう。
そのときのために、長く生きるために、強く、強く、なるんです。
遠い空の下から、友を思いました。
きょうは、友の誕生日。
友を生んだ記念日まで一生懸命に生きたご母堂の「生きる力」の強さを、私も心に刻んでいこうと思います。
おやすみ。
今度、登る山の打ち合わせをしました。
やっぱり楽しいな。
お花を1輪、買っていこうと、朝から思っていました。
そう、1輪だけでいい。
写真の前に小さく置いてもらえるように。
でも、花屋に寄ると、まっさきに目に飛び込んできたのは、大きなひまわりをアレンジしたブーケ。
とても、とても明るい気持ちになれました。
ブーケを、写真の前に置いてきました。
写真をすっぽりと隠してしまいましたが、ま、よしとしましょう。
帰り道。
自転車に乗りながら夜空を見上げました。
なんの目標もない空に向かってつぶやきました。
「誕生日、おめでとう」
ステキなブーケに出会わせてくれたことに感謝をしながらも、やはりこみあげてくるのは「悲しみ」ばかり。
でも。
それでいいのです。
当たり前のことなんです。
ガマンすることなんて、ないんです。
おやすみ。
点検に出していたバイクを引き取りに行きました。
ついでに、盗難保険の更新もすませました。
そして、今年初めて、バイクに乗ることができました。
ほんのちょっとだけだったけれど、とても気持ちがよかったです。
どこか、ツーリングの計画でも立てようかな。
とはいえ、今月は無理。
8月になってからですね。
それまでにまたバッテリーが弱らないようにしておかなくちゃ。
おやすみ。
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