紫
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きょうで、駐車場の契約が終わります。
私が初めて「自分の車」を手にしたときに借りた駐車場。
しばらくしてから、父の駐車場と交換したので、この駐車場にそれほど思い出はありません。
わが家の車が1台になり、月ぎめの駐車場も解約しました。
解約にあたって、困ることがひとつ。
父の大工道具が、駐車場に積まれているのです。
これが、私が早く父の大工道具をどうにかしたかった理由です。
なんで、死んですぐに道具を処分したがるのか、と数人の人たちから聞かれましたが、ただ、単に置く場所がないから。
とりあえずは、私の車に積みましたが、さて、どうしよう。
まだ動くものを捨てるに忍びず、かといって、どこかに売りに行こうにも、どれとどれがセットの機械かなんて、まったくわからず。
父の大工仲間に教えてもらえばいいのですが、どうも母がいやがります。
ということで、しばらくは私の車は物置状態。
でも、旅の予定はないから、いいかな。
ま、そのうちに。
おやすみ。
夜中に近い時間に、家に帰りました。
母を起こさないようにしていたのですが、トイレに起きてきたもよう。
「あ、帰ったの……」
と、寝ぼけまなこで言いました。
深夜の帰宅を母に気づかれたが最後です。
まず、おにぎりが2つとたまご炒めが出てきます。
それから、ちょっとしたサラダを作ってくれます。
そして、またおにぎりとたまごとウインナー。
母は、私がかなりの少食になったことを、いまだ知りません。
私がいつでもおなかを空かせていると思っているようです。
さすがに、最後のおにぎりとたまごは食べられませんでした。
母がふたたび寝静まってから、サランラップに包んで冷蔵庫へ。
きっと。
寂しいんだな。
ひとりになったことのない母に、私にできることは………。
おやすみ。
もう〜、限界かも!
と何度も思うけれど、私には「限界」なんてないのです。
ありあまる体力が、今の私を支えてくれているのでしょう。
だって、私は強いんですから。
おやすみ。
2007年06月27日(水) |
変えなきゃいけないもの |
夕方になって、ふいに「食事」に誘われました。
きょうは水曜日。
母といっしょに夕飯を食べる日です。
でも、そのふいに誘われるほうがかなり、ホントにかなり珍しくて、誘われるがまま、食事に行くことにしました。
母に電話をしました。
「きょう、外で食べる」
「……。あ、そう……。待ってたけど、もう食べるね」
「………。」
とてつもなく「申し訳ない」気持ちになりながらも、「私には私の『時間』がある」と自分に言い訳をし、十年ほど前によく聴いていた「スチャダラパー」のある1曲を思い出しながら、「私も、私の生活を変えないと」と思い直しました。
自由はいつまでも、続かない。
自分ひとりで、生きているわけじゃないんですから。
おやすみ。
4月から始まって、ちょっとしんどかった「仕事」が、きょう、終わりました。
終末期の医療について。
話を聴くにつれ、命の消え入る瞬間をどうしても思い出してしまい、毎回、涙をごまかすのに必死だったけれど、でも、あのときの医療者側の態度や行動への意味づけができるようになりました。
「最後に体をきれいにしたいので、外に出て待っていてください」
父が息を引き取り、私が死亡の確認をし、それから10分もしない間に病室の外に出されました。
「いっしょに病室の中にいて、見ていていいですか」と喉まで出掛かっていましたが、言えませんでした。
母が心配だったし、私にはやることが山積だったから、というのは表向きの理由で、ホントは父の体に何をされるかを知るのが怖かったから。
そのまま、外に出て市役所と葬儀屋さんと告別式の打ち合わせ。
母はベンチのすみっこでで小さく、とても小さくなっていました。
終末期の講義のなかにあった「死後の処置」。
最後に講師の先生が言いました。
「世の中にあまたの職業はあるけれど、死んだ人の身体に触れる職業は限られています。だからこそ、心をこめて最後のケアをしなければいけません」
ビデオで見た死後の処置に、あのとき、中に入らなくてよかった、と思いながら、処置をしてくれたナースの顔を思い出したいのですが、思い出せません。
ただ、私がずっと腹立たしく思っていた医療者のあのときの行動は「最善」だったのかもしれないな、と思えるようになりました。
心がこもっていたかどうかは、別として。
いつか、遺族でもカルテ開示に応じてくれるようになったら、真っ先に請求したいと思います。
父にされた最後の治療を、知っておきたいのです。
おやすみ。
2〜3日ほど前から、携帯メールにいきなり「迷惑メール」が届くようになりました。
出会い系サイトです。
以前、登録していたネットスケジューラーを使用するときに使っていたハンドルネーム宛てに届くので、その会社からアドレスなどの個人情報が流出したとしか考えられません。
とにかく。
夜中をのぞいて、1日に100通ほど届きます。
ほぼ2分置き。
インターネットで対策法を調べると、「そのアドレスからの迷惑メールは、アドレスを変更するしか手段はない」と書かれています。
たしかに、そろそろアドレス変更しようかな、と思っていたところ。
ということで、きのうから新しいアドレスを検討中です。
なかなかいいのが思いつきません。
ま、そのうち、いいのが思いつくのでしょう。
それまでしばらく、我慢、します。
おやすみ。
あ〜、あしたがやってくる。
どうしようどうしようっ!
カー・オーディオを買いました。
純正で装備されていたものはテープとラジオしか聴けません。
しばらく長い旅に出ることはないので、このままでもいいかな、と思っていたのですが、やっぱりCDが聴けないのは、ほんのちょっと寂しい。
夕方、久々に時間ができたので、帰宅途中にオートバックスへ寄り道。
できるかぎりシンプルで安いやつ……と思っていましたが、展示品はどうもピンときません。
予算も合いません。
もすこし今のでガマンしよう……と帰りかけたところ、オーディオコーナーの端っこにちらりと気になるポップが……。
「限定5台! 8000円」
その40分後。
私の車に新しいオーディオが装着されていました。
自分のためのお買い物。
最近、疲れていたココロもちょっと元気になったかな。
って、単純なワタシ。
さ、まだまだがんばるぞ。
おやすみ。
きょうは「夏至(げし)」でした。
1年中でいちばん昼が長い日。
なんか夏もまだ来ていないのに、フシギな感じ。
でも、1日を通しても正午より昼下がりのほうが暑いので、夏至を過ぎた8月が暑くてもフシギではないのかな……、と子どものころからのこじつけの疑問を、必ずといっていいほど毎年の夏至の時期に思い出します。
かといって、調べたことはありません。
子どものころの無邪気な疑問は、そのまま残しておこうと思います。
最近は、行動の「根拠」を問われることが多くなりました。
「なぜそう思うのか」
「どうしてそうなったのか」
「では、どうすればいいのか」
たとえば「そのコップをなぜそこに置いたのか?」
漠然と心の中で思っていても、それを言葉にすることはとても難しく、聞かれるたびにどぎまぎしてしまいます。
意味のない行動をよくする私としては、いちばんニガテとする作業です。
「すべてに意味がある」
無意識のなかでの意識。
無意味と思っていることにも、意味がある。
こんな私の行動ひとつひとつにも、意味があるのでしょうか。
以上、いつものとおり意味のないまとまりがつかない日記でした。
はぁ〜〜。
おやすみ。
忙しい日々。
心身ともにくったくた。
だけど、がんばるっ(>_<)
暴走族って、何が楽しいんだろ。
って思うくらい、
タバコを吸う人って、何がうれしいんだろ。
って思います。
精神安定剤なら、他人だけでなく友人・知人にも迷惑のかからないものにしてくれ。
と言いながら、私も飲酒をやめられるのか?って言われれば、辞められません。
でも、ひとりではまったく飲みませんが。
ひとりじゃない夜が多すぎるのが難なのか?
さっさと、寝よ。
おやすみ。
「死ぬのが怖くない人、いますか?」
終末期の講演会で、講師が会場に問いかけました。
つい3カ月ほど前の私なら「怖くない」と手を挙げていたことでしょう。
でも、今は挙げられません。
私のうしろの席の人が、手を挙げました。
「もし、死んでも亡くなった父と祖母が迎えてくれると思います。だから死ぬのは怖くありません」
そう。
そうなんです。
自分が死ぬのは、怖くないんです。
ただ、そのとき考えたのは。
私が手を挙げられなかったのは。
もし、私がいなくなって、その後、遺された人に「悲しみ」を残すのが、とてもとても、怖いのです。
だって、私はいないのだから、その人の悲しみを慰めることができないのですから。
私は、私を知る人たちに多かれ少なかれ悲しみを与えないために「生きなきゃ」と思います。
今は、毎日、悲しみに明け暮れる母のために。
そして、そんな母を見ながら、何の手のほどこしようもない父のために。
今日は、父の3回目の月命日です。
月日って、ホントはゆっくりと経つんですね。
おやすみ。
当時。
私の長い長い入院生活を支えてくれたのは、そばにいる友人や親戚、そして遠くに住む家族の存在が大きかったのは確かですが、ホントに私の「世話」をしてくれた「付き添い」さんだったんじゃないかな、と今、思います。
北海道の北見出身で、中学校のときにブラジルに家族で移住したソノキさん。
ブラジルで同じ移民の日本人と結婚して、それから数十年後に、なぜか日本で病院の「付き添い婦」として「出稼ぎ」に来ていました。
もちろん、日本語はぺらぺら。
というよりも、ブラジル語はほとんど話せません。
40年住んでいても、ブラジル人と接する機会はほとんどなく、日本人社会の中だけで育ったそうです。
入院のストレスが積もって、ソノキさんに冷たく当たったときもありましたが、私と同室の中国人患者さんに、仕事とはいえとても献身的にお世話してくれました。
ときどき、火を使わずできるブラジル料理を作ってくれて、病院のつまらない食卓を賑(にぎ)わせくれました。
私が退院してしばらくしてから、日本の病院が完全看護になり「付き添い婦」が廃止になりました。
どうしているかな……。
もう、ブラジルに帰っているかな。
ソノキさんの存在を調べる手段は、いくらでもあります。
調べられない言い訳はただ「時間がないから」。
今度、休みができたら、調べてみようかな。
なんだかむしょうに、ソノキさんのあけっぴろげの明るさに、接してみたくなりました。
その明るさの裏に潜んだ「苦労」と。
今日は「海外移住の日」だそうです。
1908年(明治41年)のきょう、ブラジルへの第1回移民158家族781人がサントスへ上陸した日。
父と同じ歳のソノキさん。
お元気ですか?
生きていてくれて、いますか?
山の説明会があったので、梅田までふらりと行きました。
少々、寝不足気味だった私は、説明会が始まり、いよいよ本番!というところで、すやすや、すやすやといちばん前の席で眠ってしまいました。
ごめんなさい。
でも、いっしょに参加した友が聞いていてくれたので、大丈夫でしょう……。
あしたの仕事の準備がなければ、いっしょに説明会を受けた友とお茶くらいしたかったのですが、それもできず。
紀伊国屋で参考資料を買い、阪急百貨店でまたまた母のためにお刺身を奮発し、最寄駅の花屋で父と祖父のために、花を買いました。
帰りのバスに揺られて、窓の外の景色を眺めながら、またいつもの「喪失感」に襲われました。
この「喪失感」。
父を亡くす以前から、私のなかにずっとずっと、ずっとずっと持ち続けています。
いつになったら、消えてくれるのでしょう。
それとも、ずっとずっと、積もっていくものなのでしょうか。
それでも。
私の買った刺身と花を喜んでくれる家族が「できた」ことは、シアワセなのでしょう。
おやすみ。
期せずして、きょうも「東お多福山」に登りました。
ホントは「西お多福山」のはずだったのに……。
途中、まだ住宅街を抜け切っていないところで、住民だろうと思われる男性が「あっちだよ」と教えてくれました。
ん? 地図には「こっち」ってなっているけど……。
それでも、ついつい「あっち」の方向に進んでしまったのが間違いのもと。
予定していた登山道からは大きくはずれて「風吹岩」まで出てしまいました。
数多くの登山道が入り混じっている六甲山。
もちろん、そこから「西お多福山」に軌道修正できたのですが、暑さと地図読みに疲れて、そんな気力は残っていません。
ホントは有馬温泉まで行く予定でしたが、六甲道の「灘温泉」になりました。
ま、温泉だから、いっか。
でも。
きょう、私のこの性格は、危険だな、と思いました。
私たちがどこに登るのかも知らずに、「あっちだよ」と教えてくれた人の言うなりに進んだ結果、道を誤ったこと。
人を信じるとか、信じないとかという問題ではなく。
私自身が、周囲に流動的なんだということ。
自分の進むべき道は、他人にはわかりません。
しっかりと見据えていかないと、いつ、流されるかわかりません。
大げさですが、そんなことを「山をのぼりながら考えた」のでした。
『草枕』より。
おやすみ。
「あっ……!」
にんじんの千切りをしてたら、指を切りました。
最近、多いな。
痛みはあんまり感じません。
血が止まりません。
もしかして、私も、父と同様、肝臓が弱っているのかも?
そんなことを考えながら、今日、一日を、終えるとします。
わたし?
私は長生き、しますよ。
おやすみ。
いそがしいよぅ。
偶然に、蓼科山の映像を見ることができました。
2年前に登った山。
タイミングが悪く、山頂はガスで乳白色。
でも、また登りたい。
そう思わせる山でした。
でも、そのときは、登山ではなく、白樺湖のほとりに住む人に会いにいくことがメインでした。
だから、山頂の景色が見えなくってもよかったんです。
だって、人の世は移り変わるけれど、山はいつまでも、そこ、から動くことはないのですから。
白樺湖は、子どものころに父と母と兄とで毎年訪れていた場所です。
私はそこで、父からスキーとスケートを教えてもらいました。
あのときに、見えていたきれいな山々が、蓼科山だったかどうかは定かではありませんが、軌跡を求めて、今年も訪れようと思います。
とはいえ、やっぱり、秋かな。
おやすみ。
い・き・て……!
先日。
和歌山県出身の友に聞きました。
「梅酒用の梅を探しているんだけど……」
友の家が梅農家だったら、ちょっといいやつを分けて、といいました。
もちろん「購入する」という意味だったし、残念ながら、友の実家は梅農家ではありませんでした。
そんなことはすっかり忘れて、きのう、その友からメールがきました。
「きょう、母から荷物が届いたんだけど、梅が入っていたよ。青梅でいいやんなぁ」
私のさりげない話をお母さんにしてくれたこと。
そして、お母さんが私に梅を送ってくれたこと。
それが、むしょうにうれしくて、友の感激メールを送りました。
何がうれしかったかって?
友が、私との会話を覚えていてくれたこと。
お礼に京都のお漬物を買って行きました。
毎日、きちんとお弁当を作っている友に、なにかさりげなく役立つように……と。
あ、でも、お漬物がキライだったら、どうしよう。
ま、深くは考えず。
おやすみ。
追伸:
もらった梅は、今晩は水にひたして、あした、漬けます♪
きょうは、父が仕事でお世話になった人の家に、ごあいさつに行く日でした。
もっと早めに行きたかったのですが、なかなか日程が合わず、きょうになりました。
ホントは、午前中に行く予定が、私の予定変更があり夕方に訪問。
不在でした。
残念。
その後、母とトマトを買いに行きました。
トマトが大好きな母。
とても、とても、喜んでいました。
スーパーに売られていた、梅を買うかどうか迷っていました。
これまでは、父のお弁当に梅干をひとつずつ入れていたようですが、今はその必要もなくなりました。
「今年のぶんはいっぱいあるから、来年にしようか」
毎年、梅干を漬けている母。
季節の風物詩をひとつ、減らして。
そろそろ、梅雨に入る模様。
ときおり、訪れる私の涙雨もいっしょに流しきってくれればいいのに。
おやすみ。
梅酒好きな人たちといっしょに「梅酒」を漬けました。
ひとつは、ホワイトリカーで。
ひとつは、純米酒「白雪」で。
ひとつは、泡盛「どなん」で。
ひとつは、黒糖焼酎「れんと」で。
さてさて、まずは3カ月後のホワイトリカーがお楽しみ。
おやすみ。
「毎日、仕事に出てくる」
「明日を思いわずらうな」
看護師になるにあたって、この2つを覚えておくように、と、とある医師が言っていました。
たしかに。
たしかに、そのとおり。
ちょっと、ぐらっときました。
新社会人、ばんざい。
知り合いのかつての給料の皮算用した結果を言いふらして、そんなにうれしいのか?
おやすみ。
デパ地下で、3品盛り合わせのお刺身を買って帰りました。
こんな早い時間に家に帰るのは、久しぶり。
でも、山のわが家までは、都会から2時間。
夕飯に間に合うかどうか、微妙な時間帯です。
途中、やっぱり果物にすればよかった、とか、もっと日持ちのする昆布とかにすればよかった、とか、いろいろと後悔しながら、わが家にたどり着きました。
母は、もう夕飯を済ませていました。
あぁ……。
ま、鮮度は落ちるけれど、明日の夕飯に食べてもらいましょう。
ということで、ちょっと長めのお風呂に入り、台所へ行くと……。
あぁ……。
母が、お手製のレモン酒を飲みながら、刺身をつついていました。
「やっぱり、人がいるって、いいなぁ」
率直にこぼれる母の一言、一言に、苦しいくらいにむせぶ気持ちにも、慣れました。
母とふたり、テレビを観ながら、ゆったり20時まで。
常日ごろ、たったこれっぽっちの時間も作ってあげられなくて、申し訳ない気分になりました。
あと、もう少し、待ってて。
心の中につぶやきは、そのまま、テレビの音にかきけして。
おやすみ。
失速。
なんにもやる気が起こりません。
おやすみ。
バイクの保険の更新に行きました。
開き直りではありませんが、もちろん、バイクは、動きません。
まず、保険の更新だけして、週末に点検のためにバイクを引き取りにきてもらうことにしました。
父が亡くなってから、バイクは、もう、売ろう。
そう思っていました。
母に、心配をかけたくないから。
でも、ふと思い出しました。
以前、大事に乗っていたバイクを売ったきっかけも、「母に心配をかけたくないから」だったこと。
同じ理由で、再びバイクから去るのも、ちょっと……、なぁ……。
以前、バイクを売ったときは、今よりもビンボーだったのでバイク用品といえばヘルメットくらいだったのですが、今回は、ジャケットやタンクバックやグローブや、いろいろと小物を買い揃えていました。
買ったぶんくらい、乗らなきゃね。
ますますビンボー根性丸出しですが、そのビンボー根性を言い訳にして、保険の更新に行きました。
さ、今年もどこかに、行きますか。
バイクで。
学生時代から、夢だった場所へ。
おやすみ。
今日は恒例の買い物デー。
恒例、といっても、久々です。
なぜなら、最近、私が週末ごとに山の予定を入れているから。
去年までなら、当たり前のことだったのにね。
父のいない1年は、まだ始まったばかりです。
これから、何度も、こういう喪失感を感じていくのでしょうか。
喪失感なんて、もう子どものころから十分すぎるくらい、感じていたのにね。
「死」って、こういうことなんだな。
生きているって、そういうことなんだ、な。
おやすみ。
今日は、六甲山系の「東お多福山」に登ってきました。
登ってきたといっても、今回はよく行く山ショップ企画の「読図ツアー」に参加です。
以前、読図について勉強(?)していた友人といっしょだったので、心強く参加できました。
私も読図自体は、山の会で教え込まれたつもりだったけれど、基本のところをすっかり忘れてしまい、もいちど、おさらいのつもり。
地図を読む。
かなり楽しめました。
もともと私が地図上で旅ができるからかな、と思っていたら、ほかの参加者も楽しんでいた様子。
そっか。
いいツアーだったんだ
ただ、かなりのんびり歩行だったので、ちょっと疲れました。
ま、こんな山登りも、いいかな。
おやすみ。
21時過ぎに、電話とメールがありました。
「今から飲みに来ませんか、云々」
明日は山登りなのと、行っても1時間ほどで終電の時間になるので、丁重のお断り。
でも、とてもとても、声をかけてくれたことが、とてもとても、うれしかったです。
とても、とても。
とっても。
おやすみ。
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