紫
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「祝日法の改正により1973年(昭和48年)年4月から設けられた休日」らしいです。
けっこう最近にできたんだな……というよりも「祝日法」というのがあるのに驚きました。
そしてまたまたちらっと検索。
その意義にふたたびびっくり。
「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける」
そうか。
祝日って休む日ではなく「祝う日」なんだ。
読んで字のごとくですが、単なる休日という意識のほうが強くあります。
でも。
きょうは振替休日。
とくに何を祝うでもなく、休日。
休日にふさわしいスケジュールではなかったけれど、今日を休日にしてくれた「祝日法」に感謝する日かな。
おやすみ。
まだまだ毎日、あわただしくて、早く、連休が過ぎると、いいな。
おやすみ。
19歳の友人に、ひとり旅のよさを聞かれました。
うまく答えられません。
その彼女の歳からひとり旅をしていた私。
きっかけは、「ひとりでできるもん」だったような気がします。
誰かがいれば、その誰かにまかせっきりになってしまいがちな私。
私ひとりだったら、私ひとりで決めなければいけません。
そう。
自分を強くしたかったのでしょう。
ひとり旅に出て、たまたま出会った記念碑が、たまたま私の大好きな石川啄木でした。
この城跡で、この景色を見て、この風を感じながら、啄木はこの歌を詠んだんだな。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
歴史が好きでよかった。
啄木が好きでよかった。
旅には、いろんな発見があります。
きょう、19歳の友と会話をしながら、「旅」を知らない大学生にはなってほしくないな、と、思いました。
旅は、自分を発見させてくれます。
おやすみ。
「天王寺(てんのうじ)」で飲みました。
最初は3人で。
小一時間ほどでひとり帰って、ふたりきり。
いろんな話をしました。
楽しかったり、深刻だったり。
とりとめがなかったり、ちょっと胸がきゅうっとなったり。
こうした時間を、私は求めていたことに、途中で気づきました。
そうして、時間はあっという間に過ぎ、終電に近い電車で帰路につきました。
「お酒の席でしか日本人は本音を言えないのか」
とある雑誌で、アメリカ人が書いていた記事です。
「お酒」の席でしか……というのは、極端な気もしますが、ある意味、当たっているような気がします。
私としては、それはそれで、そのほうがいい、とも思います。
どんな形にせよ、人と人とが、じっくりとゆったりと話し合う。
そんな場があることが、生きることにとっても重要なのです。
おやすみ。
来月。
久々に、ハイキングの計画を立てています。
10人くらいの大所帯で。
この夏、大きな大きな山に登るためのトレーニングです。
私以上に山に慣れていない友たち。
常日ごろからの自主トレとして「階段一段飛ばし」を推奨しています。
連休が明けたら、少しずつ必要なもの、あったら便利なものを伝えていかなくちゃ。
私の勝手な趣味に、楽しんでつきあってくれる仲間たち。
たくさんたくさん、思い出計画、立てていきましょう。
おやすみ。
山の話をすると、止まらなくなるのは、山好きとしては、当たり前なのでしょう。
だって、私も私の知っている数少ない山を、たくさん語りたい、って思うもん。
おやすみ。
なんだか、きょうの感覚は不思議でした。
ま、どうでもいいけど。
おやすみ。
なんだろう。
なんでしょう。
空白の1日。
おやすみ。
1日のオワリに、とてもとても、とてもいい話を聞きました。
よかった。
ホントによかった。
うれしいニュースを、ありがとう。
ホントにホントに、ありがとう。
おやすみ。
半年間、貯めていた500円玉貯金箱をあけました。
そのまま郵便局で貯金。
すぐに引き出して、銀行の口座に入れました。
去年の4月から半年に一度、ちょっと大きな「支払い」のために、こうしてまだ満タンにならない貯金箱をあけます。
そして、支払い。
足りないぶんは、日ごろの貯金から補充します。
もちろん、貯金は減るばかり。
というか、このところ、いろんな出費が重なり、今回でもうほぼすっからかん、になってしまいました。
学生時代より、ビンボーかも。
そう思うと、おかしくなってきました。
学生時代、毎日300円以下の食費で、よくがんばったな。
今も、大差はないけれど。
さ、また新しい500円玉貯金箱を買いにいくとしますか。
お金くらい、きちんと生活していれば、すぐに貯められます。
おやすみ。
1日、ボーっとしていました。
高齢者の特徴と、終末期の患者さんの症状を聞きながら、気が付いたら、目に涙があふれていました。
あぁ、あのときのあの症状は、もう「死」への兆候だったのかと……。
よかった。いちばんうしろの席で。
主観を、患者さん側に置くのか、医療者側に置くのか。
もちろん、主体は患者さんです。
でも、主観は「医療」を前提としていなければいけないのかも……と、きょう、ふと思いました。
父が亡くなる前日。
いろんな「家族」が楽しそうに幸せそうに洋食屋さんで食事をする光景を見て、「退院したら、一度、食事に来ようかな」と思っていました。
子どものころに通ったレストランと同じく、「家族」で久々に外食を楽しもうと思っていました。
もしかしたら、私がそんなことを安直に考えているときにも、医療者は「かなり危険な状態」と予測していたのかもしれません。
終末期医療。
癌の患者さんによく使われる言葉です。
病院は、患者さん主体に医療を提供してくれます。
家族には……?
よくわからなくなってきました。
ここまで書いて、結論のないまま、おやすみ。
父の初めての「月命日」でした。
昔、祖父が亡くなった日にちが来ると、祖母が「きょうは『おじいさんの日』と言って、ふだんとは違ったお供えをしていたことを思い出しました。
日が経てば経つにつれて、父の死に納得できない思いが強くなります。
それでも、やはり「訴訟」という行動には踏み切れません。
私に配偶者がいればまだ手続きなど少しは楽なのだろうけど、あいにく、独身を通してきた私には、そんな都合のいい存在はありません。
いつも強がってばかりいるけれど、ホントは、臆病者の意気地なしで、だれか他人への依存度がかなり強い私。
どうしようもないですね。
月命日だからといって、特別に何かするわけではありません。
買い手のついた父のお気に入りだった車に乗って、母と買い物にでかけました。
もう、これで母とこの車に乗るのは、最後かもしれません。
母もあきらめがついたようで、買い手があったことに喜んでいる様子。
毎日のように思い出すことがあります。
抑制帯つきの車椅子に一生懸命に座る父。
「しんどい?」の問いに首を振る父。
院内でうつされたインフルエンザに苦しみ、一生懸命に、呼吸を続ける父。
そして、病室を訪れるナースの、まるで「死」を予測しているかのような態度。
そして、言葉を亡くした父に「お父さん……」と語りかけた母の姿。
そんなことを、思い出しながら、きょう、1日が、過ぎました。
父に聞きたいです。
いつ、「死」を予測しましたか?
「しんどい?」の問いに、首を横に振ったときですか?
私たちの声は、いつまで聞こえましたか?
人工呼吸をしてでも、もっと、生きたかった、ですか?
………。
もうすぐ、四十九日です。
おやすみ。
駅や道路で歩きタバコをしている「人間」が、数人、いました。
むせて、たまりません。
あまり公にはしていませんでしたが、私は遺伝的に気管支が弱くて、タバコの煙にはすぐにむせます。
気管支から肺がびっくりします。
それでも、タバコには寛大でいました。
私が勝手にむせているだけなのだから…、と。
でも、私は、タバコが大嫌いです。
あの煙にむせる自分をガマンしながら、もう数十年。
精神安定剤?
人に迷惑、かけてないって?
おおいに迷惑です。
人前で吸おうが吸う前が、あなたの体についた臭いでむせて、呼吸が苦しい人が、いるんです。
タバコも「処方せん」での購入になればいいのに。
って、極論?
おやすみ。
今日は、粗大ゴミの日。
父の寝ていた布団が粗大ゴミ。
そういえば、ずいぶん前に、こんな短歌が「週刊文春」で入賞してたっけ。
君と吾のネガフィルムがゴミになる可燃でもなく不燃でもなく
東京都が半透明のゴミ袋を義務付けたころ。
可燃物と不燃物の区別が、妙にうるさくなってきたころ。
あのとき、私は、幸せだったのかな?
そうとは言えないな。
父の寝ていた布団は、明らかに「可燃でもなく不燃でもなく」、粗大ゴミです。
おやすみ。
「筍、買いにいかないとね」
母が言いました。
毎年、この時期。
父といっしょに京都の長岡天神に筍を買いに行っていたとか。
何も言いませんが、母は私がいっしょに行ければ……と思っている様子。
私にだって、予定はあります。
とはいえ。
やっぱりそんな母のささやかな願いをかなえたい、と思うのが「親孝行」のひとつでしょうか。
ということで、筍と、父母の足跡を探しに、近々出かけようと思います。
って、行けるのかな?
おやすみ。
極力、日曜日に予定を入れないようにしています。
なぜなら、日曜日は両親が車で買い物に出かける日だったから。
今は、私が母といっしょに買い出しに出かけています。
買出しに行くなか、父のことをぽつり、ぽつり、とつぶやく母。
それを、静かに聴く私。
そんな生活が始まっています。
それは、なぜか私にはとてもいい時間。
いつかまた、落ち着いたら、父の奇妙な行動を、おもしろおかしく日記に残せる日が来るのでしょう。
おやすみ。
そろそろ限界。
あぁ、山に登りたい。
汗をかいて、山で塩ラーメンを食べたい。
とはいえ、今月はとてもとても忙しいのでした。
来月から、またゆっくり登り始めます。
一歩、一歩。
ゆっくりね。
おやすみ。
「がまん、しないでね」
きょう、初めてそんな言葉を言われました。
その一言で、わたしは、あふれ出る涙を拭いませんでした。
あぁ、この人は、知っているんだ、って。
それから、私は、今、私が抱えている気持ちを、吐き出しました。
そして、その人は言いました。
「泣きたいときには、泣きなさい」
泣きたいときに泣く。
それは、私自身、それがよかれと知っていたことだけど、いざ、自分が、そんな悲しみに、包まれて、、、。
泣きたいときには、泣けません。
でも。
「泣きたいときには、泣きなさい」
そう、促されれば、自然と涙はあふれ出て。
あぁ、私は、思い切り泣かせてくれる気持ちを探していたんだな。
そんなふうに思いました。
今日はどうもありがとう。
この日記を読んでいないあなたに、心の底から、ありがとう。
みんな、せいいっぱい、生きている。
おやすみ。
大阪城公園で、花見をしてきました。
実は、私はここで花見をするのが、大阪に住み出してからの夢でした。
なんどもそんな機会はあったのに……。
「花見、したいね」と友。
「しようか」と私。
きのうのこんな軽はずみな会話で、いきなりきょう、花見を決行しました。
もちろん、参加者はきょう声をかけ、総勢8人が集まりました。
防寒対策なんて、何にもしていないのに、集まった仲間たち。
うれしい人たちです。
桜はときどき吹雪きになり、大阪城は宵が深まるにつれて白く浮き立ち、ときどき「靖国の桜」と比べてしまうけれど、それでも、どちらかというと、大阪城の桜のほうが、静かで、寂しげな雰囲気があるのは、土地柄と歴史のせいでしょうか。
きょうは、楽しい花見になりました。
よかった。
今年も花見ができて。
花見ができた……というより、大事な人たちと、思い出に残るイベントができて、よかったな、って思います。
どうも、ありがとう。
先日から、少しずつ、家の整理整頓をしていました。
私の部屋に父の祭壇を置いて、私が父の部屋を使う……、という予定で。
きょう、最終的な荷物の移動を終えて、初めて、父の部屋で眠りにつきます。
なんか、おかしなキブン。
だって、この部屋の持ち主は私で三人目。
みんな、どこかにいなくなっています。
私も、もしかして……?
なーーんてことは考えない。
だって、私は、生きているんですから。
母とふたりで、生きていくんですから。
おやすみ。
約1カ月ぶりに「仲間たち」と再会しました。
「おはよう」のあいさつが、こんなにすがすがしく、そしてうれしいものだということを、あらためて知りました。
ここにも「生きる息吹」が満ちあふれていて、そして、私を見るまなざしがどことなく優しくて、それがどうにもはがゆくって。
「元気だった?」
「何にもできなくてごめんね」
「それだけ元気だったら心配ないね」
などなど、あまたに声をかけてくれる友人たちが、私にはとてもとても大きな宝物です。
去年、そして、今年に、母、父を亡くした友とも会話しました。
あのとき。
彼女たちは、自分の力を振り絞って「笑顔」を見せてくれていたんだな、って、つくづくわかりました。
私って、ホントに弱いな。
一時は、この仲間と会うことはもうないかもしれない……と思ったこともあったけれど、きょう、ここにいてよかった。
どんなに境遇がつらくなっても、何があっても、私はここを、この仲間たちと「卒業」するでしょう。
新たな決意。
そして、努力すること。
続けること。
それでも、ときどき、息抜きは大切ですよね?
おやすみ。
突然に、そして即決で、車を買ってくれる人が現れました。
あぁ、ありがとう。
小さいくせに、とてもよく走るんです。
生意気にもフォグランプがきちんとついているんです。
それから、接触がちょっと悪いけれど、キーレスエントリーなんです。
CDもテープも聴けます。
スピーカーもみんなが驚くほど、いいやつがついているんです。
小回りが効いて、そして四駆。
ターボもついているので、高速での追い越しもラクチンです。
そして、私と、それから父が気に入っていた車なんです。
だから、どうしても知っている人に買ってほしかったんです。
そんな車を、買ってくれて、どうもありがとう。
「買ってあげて」とすすめてくれてありがとう。
きょう、私は初めて親戚以外の人たちの前で泣けました。
なんだか、肩の荷がひとつ、おりたような心地がします。
どうも、ありがと。
私の思いをわかってくれた人たちに、ありがとう。
あした、母に電話をしよう。
「車、知人が買ってくれたよ。大事に乗ってくれそうだよ」
おやすみ。
なかなか車に買い手がつきません。
中古車センターに売ってしまえば早いのですが、数年前に私に安価でまだ1万キロしか走っていない車を売ってくれた友と、私の車を文句言わずに機嫌よく乗っていた父に申し訳なく、時間の許す限りギリギリまで、新しい「騎手」を探そうと思います。
大事に乗ってくれそうな人に、数人、声をかけましたが、車ともなると、駐車場のことやその後の維持費のこともあり、みんな首を横に振るばかり。
ちょっとあきらめモード。
でも、最後までがんばります。
誰か買ってくれませんか?
ということで、関係ありませんが、あしたの選挙には行きましょう。
おやすみ。
一触即発。
メッタメタ。
水風船を大事に守っているような感じ。
おやすみ。
日記、おやすみ。私もおやすみ。
尊厳死、の話を、先日、書きました。
それに対して、いろんなメールがきました。
すべてが「それで、お父さんは喜んでいるよ」
それはそれで、うれしいのですが、でも、違うんです。
尊厳死は、本人ではなく、家族、に精神的負担がかかってくるのです。
私はそのことを、その負担を教えてくれた父に、いずれ感謝の気持ちを表したいけれど、やっぱり今は、無念でなりません。
父は、生きたかったんです。
弔電のお礼に生花へのお礼、四十九日の準備にと、よくわからないことばかりです。
とくに私の母は、冠婚葬祭には無頓着な人で、私のほうが社交辞令的に詳しいことが多々あります。
それでも、今回ばかりは私もお手上げ。
というか、気力がありません。
とはいえ、私はそれなりに齢(よわい)を重ねているので、人並みな対応はできているのでしょう。
いえ、できなければいけないのです。
私より10歳近く年下の友人がメールをくれました。
父親を亡くしたときは、その後の手続きでやはり精神的に疲れたと。
そっか。
みんな、そうなんだな。
これって、通過儀礼なんだな。
そして、これは、ある意味、正当なことなんだな。
親を送る。
親を送れて、よかったんだよ。
いろんな不信感は残るけれど、いずれ、それもまた、解消されるでしょう。
ね。
おやすみ。
黄砂がひどい1日でした。
涙が出るのは、黄砂のせい?
そんななか、今日は、友たちと4人でダリ展に行きました。
私は事情ありで、ダリ展には間に合わなかったけれど、ランチから合流して、その後、みんなで大阪港から西九条までてくてく歩きました。
歩くのは大好きだから、苦痛ではなかったけれど、ときどき、心ここにあらずの状態になるのは、気のせい?
きょうも友たちに感謝しました。
楽しい楽しい1日を、ありがとう。
今の私に必要なのは、友たちの「生きる息吹」なのかもしれません。
夜、家に帰ったら、母が喜んで迎えてくれました。
毎晩、泣いているの様子。
少し、やつれているような気がしました。
どんな手続きをしても「配偶者の方をお願いします」と言われます。
「一親等」ではダメみたいです。
同じ血が通っているのは私なのに、やはり基本は「夫婦」。
おかしな世の中ですね。
そんな不条理な手続きばかりで、私は今も泣けません。
ホントは、誰よりも泣き虫なくせにね。
おやすみ。
そのとき。
私は言いました。
「『なし』でお願いします」
いよいよ父の意識がなくなり、主治医に「人工呼吸器」を装着するか否かの最終的な選択をせまられたとき……。
母と相談のうえでした。
でも、最後の決断は、私にまかされました。
人工呼吸器をつけて1〜2週間、延命しても、インフルエンザの薬物で弱りきった腎機能が回復することはありません。
肝機能もかなり低下しているため、透析もできません。
インフルエンザなんて、院内でうつされたのに……。
たとえ、呼吸機能が回復したとしても、父は「尿毒症」に苦しむのでしょう。
それなら……。
「………『(人工呼吸器)なし』で、お願いします……」
とめどなくあふれる涙のなか、私の決断は正しかったのか。
いまだに、私はわかりません。
「尊厳死」という言葉が私の心の支えにはなっているけれど、果たして、父は「尊厳死」だったのか。
「しんどい?」の問いに首を横に振った父を、そして、そのときの母を、私は、一生忘れることはありません。
そして、私の決断の時の気持ちを、私は、忘れてはいけないのです。
いつか、少しでも「そんな人たち」の「役」に立てるように。
おやすみ。
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