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2007年03月31日(土) いませんか

車を1台、売るんです。
それは、妙に切なくて。
ためいきまじりの3月末日。

できれば、知っている人もしくはそのまた知り合いに買ってもらいたいのです。
だれか、欲しい人、いませんか?


2007年03月30日(金) 友、集結

小樽から、友がやってきました。
東京からも、友がやってきました。

友が、たくさん集まりました。
この場所で、この人たちと同時に会するのは、もうないかもしれません。
いや、これからもっとこんな機会は増えるのかも?

なんだかとてもシアワセな気持ちがして。
そして、とっても切なくて。
みんながさりげなく、私を心配してくれて。
それは、とてもとても、とてもうれしくて。

どうも、ありがと。

さて、あしたから、またがんばるのだ!

おやすみ。


2007年03月29日(木) 喪失と再生

父の入院費を支払いに病院に行きました。
たった10日間ほどの入院でしたが、けっこうな金額でした。
きょうもまた母といっしょに役所に行き、いろんな書類を受け取りました。
そして、きょうも母はつぶやきます。

「ついこの間、ここでいっしょにコロッケを食べたのになぁ」

父は、つい最近まで元気でした。
入院してからも、長丁場になることはわかりましたが、こういう結果になるとは思ってもみませんでした。

「あのリハビリ室で、半年後にはリハビリをしていると思ってたのになぁ」

ぽつりと出る母の言葉に、胸がざわざわするけれど、やはり私は泣けません。

出るべきところに出ればいい、と言う人もいるけれど、私にはそういう「知恵」も「勇気」もありません。
ただ、ただ、日に日に元気をなくしていく母の力になることで、せいいっぱいです。

思いがけず弱い母に少し動揺しながらも、私はなぜ、こうも強(したた)かでいられるのか。

それは、私は16歳のときに一度、家族をなくしているからなのだと、きょう、気づきました。

母は、父とふたりで一生懸命に生きてきました。
私は、あの日から「ひとり」で生きることを強いられてきました。

そっか。
だから、私は強いんだ。
とはいえ、やはり「死」という喪失感にはとまどうばかり。

今、読みたい本はやはり喪失と再生の物語「ノルウェイの森」でしょうか。

おやすみ。


2007年03月28日(水) あした

米子に住む友を待って、神戸に住む「パパ」さんが、思いがけず早く来てくれて、みんなできょうの準備を始めました。
明日、家族の住む場所へ帰る友の送別会のために。

料理の注文とドリンク類の買出し、お惣菜の調達、ネットでギターコードを探し出し、いきなりピアノ伴奏を依頼。
ホントは、もっと早めに準備に取りかかる予定だったのだけど、私用でそれもままならず。
それでも、主役の人柄が映し出された、とてもとてもやさしい会になりました。

みんな、一言ずつ、友へ向けての言葉を贈ります。
その一言一言に、友が言葉を返します。

そう、この雰囲気。
このあたたかさ。
ムショウに胸が詰まります。

私も、友に向けての歌を準備していたけれど、それは、やめておきました。
ちょっと、場違いな気がしたのもあるけれど、ホントは、私が精神的にギリギリのラインに立っていたから。

友に伝えたい言葉や気持ちは、とめどなくあふれてきます。
でも、それは、心の隅に置いておくとして。

「行ってらっしゃい」

明日は、友の、旅立ちなのです。

おやすみ。


2007年03月27日(火) 家へ送る

今月、故郷に帰る友を、家まで送りました。
これで、ホントに最後です。

最後に手を振り別れました。
これで、ホントに最後。

おのずと、私の好きな歌が頭の中を流れます。

「さよならだけが、人生さ」

ひとつひとつの、さよならの瞬間を、大切にしたい。
以前にも増して、そう思います。

おやすみ。


2007年03月26日(月) 春の訪れ

友人たちに、ランチに誘い出されました。
私の歯医者の診察日に合わせて、集まってくれた友人たち。
どうも、ありがとう。

16階にある中華レストランのランチを食べました。
味はそれほどでもなかったのですが、10人用の円卓を4人で囲んで2時間ほど長居。

そして、その後、小一時間ほど散歩をして、途中でなぜか10分100円の「ぶるぶるマッサージ(正式名不詳)」で運動したつもりになり、それから私には珍しくおいしいといわれるケーキ屋さんでケーキ……と言いたいところですが、ベーグルとコーヒー。
そこでも3時間近く居座り、延々と尽きることのない話をして、大笑い。

……。
…………。
あ、私、本気で笑ってる。

そんなことに気づいたときには、私はもう満面の笑みだったことでしょう。

ここ数日の春めいた日よりに素直に喜べなく、あの3月中旬に訪れた寒波が恨めしい日々でしたが、今日は全身で春の訪れを喜んでいました。

あしたは、暖かい「春の雨」が降るそうです。
傘をお忘れなく。

おやすみ。



2007年03月25日(日) あのとき

「しんどい?」

そう聞くと、父は確かに首を横にふりました。
母と私はその言葉に、安堵を覚えました。

「がんばってよ」

と言うと、父は小さく、それでも確実にうなづいていました。
がんばる意思があることに、私たちは期待しました。

きょう、ふと、そのときのことが思い出されました。

一生懸命、ホントに一生懸命に呼吸をしている父。
しんどくないはず、ありません。

あれは……。
「しんどくないよ」と首を横に振ったのは、父の最期の「やさしさ」だったのかもしれません。
そして、そのとき、父は自分の「最期」を悟っていたのでしょう。


そして……。
側にいる医療者は、もっと早くに父の死を感じていたのだと思います。
医療者の端くれである私も、あの独特の呼吸に「死」を意識しなかったわけではありません。
「家族」だから、気づかないふりを、いえ、治るほうに期待をしたのでしょう。

私は、この気持ちを忘れないようにしていかなければいけません。

父のために。
これからの、ために。

おやすみ。


2007年03月24日(土)

インターホンに掃除機、ガスコンロ、テレビなどなど、家の中のありとあらゆるものが壊れてきています。

「だんだんと古くなってきたなぁ、おい」

ここ数日、父がよく言っていたそうです。
買い物好きの父は、元気になったら母といっしょに買いに行こうとしていたそうですが、できなくなってしまいました。

とはいえ、このまま買わずにはいられません。
まずは、緊急度、重要度を考えると、毎日、必ず使う「ガスコンロ」を買いに行くことにしました。
これは、ガスをつけるにはつまようじでコンロのとある部分を支えておかなければいけなくなるほど老朽化していたからです。
私がいないときに、ガス漏れなどを起こしてもらっては困ります。

ということで、近所の「コーナン」というホームセンターに行きました。
偶然、特売のコンロがあり、有無を言わさず購入。
時間があったので、インターホンも見に行くことにしました。

私は機械音痴ではないけれど、インターホンともなると、取りつけがよくわかりません。
パッケージの説明を読んでいると、母がひっきりなしに話しかけてくるので、なかなか理解できません。
しかも、電気の配線なんて、まったくさっぱり理解不能(汗)
こういうときに「男手があったらなぁ……」と珍しく弱気。

でも、父は「インターホンなんてわかるかいっ!」と言って、見向きもしてくれなかったとか。

男手があっても、その「手」によっては役立たずということでしょうか。
でも、そんな役立たずな手でも、生きていてくれれば、よかったなぁ……。

おやすみ。



2007年03月23日(金) ただ、待つばかり

父の戸籍をとりに、父の戸籍のある町まで行きました。
ここは、私の生まれ育った町でもあります。
以前は、この町に来るのがとてもいやでしたが、今は「懐かしい」という気持ちしか感じません。
やっぱり、ちょっとは成長したのかな。

助手席に座る母が「変わったなぁ。ますます田舎になったなぁ」とつぶやきます。
当たり前ですが、幼かった私よりもこの町の思い出をたくさん覚えている母。
何も言いませんが、おそらく父とこの町で暮らしたときのことを思い出していたのでしょう。

父の戸籍はすぐには出ませんでした。
他府県になると、死亡届けが戸籍に反映されるのが1週間ほどかかるそうです。

仕方がないので郵送にしてもらうことにして、帰りに家族全員で大好きだった「第一旭」のラーメンを食べて帰りました。

何をするにつけても、どうしても父のことが頭から離れない母。
ひいき目に見ても、仲のいい夫婦ではありませんでしたが、これほどまでに気落ちする母を見ていると、これが長年連れ添った「配偶者の死」というものでしょうか。

ご心配をおかけしていますが、私は元気です。
「親が死ぬ歳なんだな」とここ数年、覚悟はしていました。
それが少し、ほんの少し早かっただけで、順番を違(たが)わなかっただけでも幸いなのだと思っています。

ただ心配なのは、心配性で寂しがりやの母。
母に代わりにすべての手続きをすることが精一杯で、私にはどうすることもできません。
ただ、ただ、時間が静かに経ち、気持ちを癒してくれるのを待つだけなのです。

心静かに。
おやすみ。



2007年03月22日(木) 暖かい1日

午前中は惰眠をむさぼり、午後からは役所へ行きました。
きょうは母もいっしょです。
休み明けのせいか、それとも異動の多いこの季節のせいか、役所はとても混雑していました。

つい2日前。
ひとりで「死亡届」を出しにきたときのことを、感情といっしょに思い出しながら、世帯主の変更などの手続きをして、きのう、母と歩いた商店街まで買い物に出かけました。

母は、父のいたころと同じように買い物ルートをたどり、父の好きだった「ちりめん山椒」を作るために材料を買い揃え、さんざん父の悪口を言ったあと、「つい2週間前までは私のために風邪薬を買ってきてくれていたのになぁ……」とぽつりと言いました。

母の一言ひとことに、むせかえる気持ちをこらえながら、ふと気づきました。

これまで、肉親を亡くした友にかける言葉は見つからず、自分の非力さを嘆いたことが何度もあったけれど、かける言葉なんて、どうでもいいのです。
どんな形にせよ、友から送られてくる言葉や気持ちたちが、どれほど遺族を慰めるのかを、初めて知ることができました。

私って、こんなに弱ったっけ?
まだまだ悲しみがあふれてくるのは当たり前?

急すぎた父の死を、いちばん受け止められていないのは、もしかしたら私なのかもしれません。

でも、私は泣いている場合ではありません。
まだまだ、私にはするべきことがたくさんあるのです。

おやすみ。


2007年03月21日(水) きょうのこと

昨夜は火の番で、葬儀会館に泊まりました。
珍しく母がビールを飲み、珍しく母が夜更かしをしていました。
テレビのないひっそりとした部屋だったけれど、昼夜問わず通りを走る車の音が、その静けさを乱してくれていました。

深夜に訪れた突然の弔問客に驚きながらも感謝をしながら、今日になりました。

告別式は、いちばん遅い時間帯しかあいていなくて、午前中は母と会場近辺を散歩。
よく晴れ渡った、気持ちのおだやかになる空を眺めながら、てくてく、てくてくと歩きました。

「こんなにいい日になるんだから、悪い人じゃなかったんやね」

ときどき、気丈にも故人をしのぶ母の言葉に胸が詰まるけれど、今は泣いている場合ではありません。

 私じゃない。私がいちばん悲しいんじゃない。

そんな、どうでもいい言い訳を自分に言い聞かせて、てくてく、てくてく歩きました。

昔、よく母と通った「立ち食いうどん」を久々に食べ、ほのぼのとあたたかい川沿いの道をのんびり歩きました。

 今日の空と、このうどんの味を、私はきっと忘れないんだろうな。

そんなことを考えながら、「私がしっかりしなきゃ、なぁ……」と思いながら、葬儀屋さんといろんな打ち合わせを済ませました。
打ち合わせ、といっても、気心知れている親戚しかいないので、それほど大したことはありません。

きのう、初めて会ったお坊さんは、とてもとてもいい人で、その優しい言い草に、これまた胸がぐぐっと詰まるけれど、それはこらえて、その時間を待ちました。

きのうより落ち着いていました。
でも。
きのうより気持ちがざわざわしていました。

これまで、家族を守ってきた気の強く、友の多い母からの、文句を含めた父との思い出」をぽつり、ぽつりと聴きながら、空を見上げ……。
そして、いろんな人に弔問の申し出のお断りをして。

14時。
告別式が始まりました。
きのうと同様、とてもとても、あたたかくて、親戚たちが私と末っ子の母を見守る「親」のようなまなざしに、悲しみよりも感謝の気持ちがこみあげてきて、おかしなことに私は微笑んでいたかもしれません。

なぜか、今は老人ホームにいる祖母との思い出が走馬灯のようにかけめぐり、フシギと涙はこぼれませんでした。

そして、故人との最後の対面を済ませて、父は火葬されました。

 終わったな。

子どものころの、バレエの発表会が終わったときに似ている「達成感」のある気持ちを懐かしく感じながら、こんなときにしか顔を合わせない親戚と、子どものころの私やいとこたちの話しで盛り上がり、「お疲れでませんように」と心のこもった常套句を、ありがたく受け止めて、家に帰りました。

父の部屋に四十九日までの祭壇(?)を作り、お線香をあげると母が言いました。

「ずっとこらえていたけど、やっぱり寂しいなぁ」

目を真っ赤にした母の本音を聞きながら、私も子どもころのように思いっきり泣ければいいのだけど、喪主に代わって、私にはまだまだこれからするべき手続きがたくさんあるのです。

なんとなく「一家離散」した日のことを思い出しながら。
そのときと、なんら変わっていない弱い自分を、たしなめて。

おやすみ。
おやすみ。
おやすみなさい。



2007年03月20日(火) もっと……、もっと……………

あまり眠れない夜を過ごして、アサイチで市役所に行きました。
むせぶ思いをこらえながら、いろんな手続きをしました。
思いがけず時間がかかったけれど、最後に大きな白い箱を持って家に帰ると、母が「どうだった?」と聞いてきました。

今日と明日の予定をできるかぎり冷静に説明し、きのうの夕食用に買った賞味期限切れのおにぎりをおそるおそる食べて、14時過ぎに家を出ました。

恥ずかしながら金銭的都合で、いちばん小さい会場・いちばんシンプルな祭壇しか選べなかったけれど、それは意外ときれいで、そして左右に供えられたいくつかの生花が、華やかさを増してくれていました。

「そのこと」を伝えてくれた人たちと、生花の贈り主、そしてあまたにわたる電報、書留に、それから私に送られてくるおびただしい数のメールに、心の中で何度も何度も「ありがとう」と繰り返しながら、親戚が集まるのを待って19時。

総勢10名の小さな小さな「お通夜」が始まりました。
喪主の意向で、親戚だけにしか声をかけなかったお通夜でしたが、それはとてもとてもあたたかくて、シアワセな夜でした。
「遠くの親戚より……」とは言うけれど、私は祖母の側で育ち、血のつながりのたいせつさを教わり、少し「苦労」をしたせいか、「親戚」は私を大事にしてくれているのがわかります。
ホントにありがと。
ありがとう。

とはいえ。
なんだろう。
感謝する気持ちは、もっともっと伝えたい。

だから言います。
きのう。
私の父が亡くなりました。

もっともっと、生きたかっただろうに。

無念のまま。

おやすみ。



2007年03月19日(月) 疑問

どう、すれば、よかった?
私は、それで、よかった?

わからない。
わからないけど。
人の命は、そこで尽きるものだから。

「声を殺して」泣くって、どんな感じなのか。
知らなくて、いいんだね。

おやすみ。
すぐ、そばにいるからね。

おやすみ。


2007年03月18日(日) シアワセな、電話って?

今日は「もう、そろそろかな」と思っていた1日でした。

そんな日は、ちょっと忙しい。
そして、ちょっとした「不安」のまま、過ぎました。

家族がいっぱい来ました。

シアワセでいいなぁ、と見守りながら、それでも「私もシアワセなんだ」と思いました。

明け方の電話は、今日の日記か明日の日記か?

それは、また、今度、ね。

おやすみ。


2007年03月17日(土) ミステリーな1日

久々に「ミステリーツアー」をしました。
いっしょに行く相手に、行き先を告げずに遊びに行きます。
たまにバスツアーの広告で見るアレです。

以前はよく企画していたのですが、最近はすっかりごぶさた。
ホントは今日は、山登りのはずだったのですが、いっしょに行く仲間が体調不良なのと、かなり寒い1日になるとの予報だったので、夜になってから行き先変更しました。

とはいえ、企画を練る時間もなく、行き先候補をいくつかピックアップし、いつもなら途中で出す「クイズ」とかも考えるのですが、そんな暇なし。
ま、簡略化ミステリーツアーも楽しいでしょう。

今回のメンバーは3人。
そのうちの1人がミステリーにつつまれたままの出発になりました。

ミステリーツアーなので、開けっぴろげに地図を見られなかったり、地名を口に出せないので、なかなか助手席の友と意思の疎通が図れなかったり。
でも、それはそれで楽しかったです。

全走行距離480キロの旅は、終始、笑いの耐えない1日になりました。

いつもどんなハプニングも笑いに変換してきた仲間たち。
これからも、いつまでもよろしく。

おやすみ。


2007年03月16日(金) 中途半端

私の尊敬するバレリーナのひとりは、なんといっても「森下洋子」さんです。
3歳のころから現在もずっと踊り続けています。
広島出身の森下さんは、小学校6年生から上京して、住み込みでバレエ漬けの生活を始めたそうです。

好きなことに没頭する森下さんもさることながら、それを支え続けたご両親の思いもすごいなぁ、と思います。

「洋子はバレエにあげた」

ご両親の言葉です。
子どものころから体が弱く、医者に「何か運動をさせて、強い体作りをしていきましょう」と言われて習わせたクラシックバレエが、こうも娘の人生を左右させるとは思わなかったでしょう。

何かを始めるきっかけは、人それぞれです。
そのきっかけを踏み台にして、そこからどう飛躍するかは、本人しだいということでしょうか。

バレエを始めたころの森下さんは、人一倍不器用で覚えが悪かったとか。
でも「どんなに難しいステップも練習すればできるようになるんだ」ということを体で理解し、誰よりもレッスンを重ねてひとつひとつのステップを体得していったそうです。

努力すること。
そして、続けること。

なんでも中途半端にしてきた私には、耳の痛い言葉かな。
おやすみ。


2007年03月15日(木) 来るよ

大変だったけれど、楽しい1週間でした。
与えられた課題を、こなすのは容易ではありません。
それでも、仲間たちといっしょに笑顔のなかで課題を一つ一つ達成していきます。
もちろん、達成なんてできません。

でも、みんなでフォローしあって、いろんな考えを共有していくには、これまでの個人主義の人生とはうってかわって、とても新鮮。
そして、楽しい。

今日は最近チームを組んだ4人での「仕事」でした。
緊張はしたけれど、どことなく安心感。
どちらかというと、楽しい時間を過ごすことができました。

どうも、ありがと。
これからも、よろしく。

さ、これから春がきます。
よろしくね。


2007年03月14日(水) お酒の席

大阪・梅田のスペイン料理に行きました。
今回は大人数で。
初めて飲む友や何度も飲んでいる友など、いろいろ。
でも、みんな毎日顔を合わせています。
初めて飲んでも、飲まなくても、どうでもいいのです。
居心地のいい時間を過ごせたのですから。

居心地がいいから、居心地のいい笑顔がこぼれます。
みんなの優しさに、「ここにいてよかったな」と思えます。

いろんな話しをして、途中、何度も思います。

 あした、また互いを見る目が親しくなっているんだな

お酒の席って、これまでの距離をいっそう縮めさせてくれるのが、私は好きです。

今日も、心の底からおおいにに笑って。

おやすみ。


2007年03月13日(火) 1行日記

ちょっと長丁場かな。


2007年03月12日(月) イチとかサンとか

アサイチ。
友のありがたみに感謝しました。

アサニ。
私の表情の違いに気づいた某ティーチャーに感謝しました。

アササン。
互いを信じあい「腕」を出し合った友情に感謝しました。

アサヨン〜アサ11。
先週の金曜日の友たちに、感謝しました。

ゴゴイチ。
今年から心を入れ替えた「ワタシ」を褒めました。

ゴゴニ。
母からの電話に感謝しました。

ゴゴサン。
味噌汁ぶっかけごはんが食べられたことに感謝しました。

そんなこんなで、今日の感謝とワタシに。
おやすみ。


2007年03月11日(日) 昼過ぎ。

今日の昼ころ、やむをえず、書類にサインをしてしまいました。

それにサインをしてしまったことが、ずっとずっと頭の中から離れません。

インフォームド・コンセント。
ある意味、脅迫に近いものがあるのかもしれません。

後悔しながらも、なすすべが思いつかず。

ごめんね。ごめんね。

ただ、心の中で謝るばかりなのでした。


2007年03月10日(土) 1年

父が入院中とはいえ、命にまったく別状はないので、きょうは1月から予定していた打ち上げパーティーに参加してきました。
私がよく行く洋食屋さんに総勢8名で。

やっぱりこのメンバーで行くのは楽しい!
毎日顔を合わせているから、共通の話題や同じ悩みもたくさんあって、そしていろんな私を知っていてくれます。

ぺちゃくちゃ、わいわいわい。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、そして私は例によって飲みすぎて、そのまま睡眠タイム。
帰る時間に起こしてくれました。

この友たちと出会ってもうすぐ1年。

「ありがとう」を伝える友がたくさん増えたことに、感謝、です。

おやすみ。


2007年03月09日(金) 入院

父のいる病室は、6人部屋でした。
それぞれがカーテンを閉めていて、環境としてけっしていいとは言えませんが、仕方ありません。

「着替え、持ってきたか?」と父。
「パジャマ、持ってきたよ」と母。
「パジャマ……?」と父。

おそらく、父のいう着替えはパジャマではなく、退院して帰るための普段着のことだったのでしょう。
きのう、救急車で運ばれたばかりなのに、そんなに早く退院してもらうわけにはいきません。
しっかりと治してもらわないと!

帰りの車のなかで、母は何度も「よかった」を繰り返していました。
けっして自分から病院に行かない父。
とうとう自分の手に負えなくなり、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちできのう救急車を呼んだそうです。

救急車を呼ぶ、って、ホント、勇気がいることなんだな。

ということで、しばらく父の世話で夜も眠れなかった母でしたが、しばらくぐっすり眠れることでしょう。
よかった……と私も心のなかでつぶやきました。

おやすみ。


2007年03月08日(木) よかん

10時過ぎに着信がありました。
母からです。
用事を済ませてからかけなおしました。
いやな予感が的中。

予定を早々に済ませようとしましたが、午後イチに大事な大事な予定があり、結局帰りついたのは、19時過ぎ。
母が私の大好きな「鍋(ひとり用)」を作って待っていてくれました。

さて。
これからが、忙しくなるかな。

とにかく明日は、父母の確定申告に付き添ってきます。

おやすみ。


2007年03月07日(水) キレイな歯

週に1度の歯医者の日。
今日は4700円かかりました。
歯茎の歯周病の予防と虫歯の治療。
これって、高い? 安い?

いままで、歯医者を三日坊主にしてきたことを考えれば、適当な治療費なのでしょうか。

ま、深くは考えず。
時間とお金が許す限り、歯医者通いは続けることにします。

目指せ!
芸能人よりキレイな歯!

おやすみ。


2007年03月06日(火) かえる

住み慣れた土地を離れて、故郷に帰る友がいます。
理由は違っても、同じ経験をしている私としては、そんな友の「さびしい」気持ちがなんとなくわかります。

故郷といっても、私の場合は生まれ育った場所からは遠く離れたところに行ったので、感覚は違うのかもしれません。
でも、やっぱり……。

そんな友に口下手な私ができることは、ただただ笑顔で見送ることだけです。

あと1カ月弱。
たくさん思い出を作りましょう。

おやすみ。


2007年03月05日(月) 希望

花粉で目がかゆい、って、私にはあまりなかったのですが、今年の花粉は目にきています。
もちろん、鼻も。

でも、東京にいたことよりはましなのは一目瞭然。
はやく引退して、山のまんなかくらいに住みたいなぁ。

おやすみ。


2007年03月04日(日) かいご

「痛い、痛い」と父が言います。
何が「痛い」のかわかりません。

私はいずれこの人を介護できていけるのでしょうか。
とりとめのない不安のまま。
おやすみ。


2007年03月03日(土) 記念日

今日は、記念すべき桃の節句。

粉雪が舞っていたあの日を覚えています。

おやすみ。


2007年03月02日(金) ことば

先日、友の父が亡くなりました。
しばらく姿を見なかったのですが、きょう、久々に会いました。
元気、を装っている友に、かける言葉は見つからず。

そんなことで悶々としている私の前で、ある友が「おかえり!」と肩をたたきながら声をかけました。

あぁ、こんな声のかけかたもあるんだな。
「おかえり」か……。

私もそんな言葉が見つかればいいな。

おやすみ。


2007年03月01日(木)

歯医者。
歯ぐきの治療は歯科衛生士(?)さん。
そのほか奥歯のなんとかは医師さん。

なんだかわからないけれど、2700円でした。
1回の治療費がけっこう高いのが、この歯医者さんの難点ですが、ま、続けていこうと思えるだけいいのかな?

とりあえず、お金が続くかぎり、歯医者通いをがんばります。

「歯が命」と言えるくらいに。

おやすみ。


目次過去の日記未来の日記


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