紫
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「試写会のチケットがあるんだけど」
夕方、友が言いました。
てっきり「いっしょに行かない?」だと思っていたワタシ。
ちょっと(けっこう)うれしくて、「行く!」と行ったら、「じゃあ、行ってきて」とのこと。
なんと、友は仕事があって行けないのでした。
もらう予定のチケットは2枚。
山以外の娯楽からは遠ざかる予定だったけれど、タダだし久々に時間もあるし、友でも誘って観に行くとしますか。
なーんて言いながら、とってもとっても楽しみなのでした。
早く明日になぁれ。
幼稚園のころからの友の誕生日。
最近は、いろいろとお世話になっています。
いつもありがとね。
はっぴーばーすでー!
予定の山行をキャンセルして、ぽっかりあいた日曜日。
こんな日は、勉強でもしよう。
さて、なんの?
さぁ、なんでしょう。
おやすみ。
明日の山行は、あきらめました。
はぁぁぁ。
今年も、やっぱり無理だったかな。
おやすみ。
毎朝、コーヒーを飲みます。
以前は、コーヒーミルで豆をひいて、自分でお湯をポトポトとおとしていたのですが、最近は時間がなくなったため、コーヒーメーカーに頼りっぱなし。
それでも、けっこういい味を出してくれています。
コーヒーメーカーが、ぐつぐつ、しゅぼしゅぼ、と音と立てて、コーヒーをいれてくれます。
同時に、あの独特の香りもしてきて、イッキに目が覚めます。
さ、きょうも一日、がんばろう!
そんな気分にさせてくれるコーヒー。
でも、ここ数日。
豆が切れてしまいました。
豆を買いに行く時間もありません。
酸味の入った豆はきらいなので、コンビニでは買えません。
だからでしょうか。
ここ数日は、ずいぶん居眠りが心地よいのは。
そういうことにして。
おやすみ。
あいたたたた……。
おやすみ。
新年会でした。
鍋をみんなでつつきました。
チーズ豆腐やおでんも食べました。
最期は雑炊。
おいしかったです。
とりとめのない話で盛り上がったり、ふだん思っていることで大笑いしたり、楽しい時間を過ごせました。
ときどき、ふと。
不思議感が走ります。
この人たちは、私の友だちなんだなって。
居心地のよさも、不思議感。
みんなが同じ話をできるのも不思議。
いろんなことが不思議ふしぎフシギ……。
ただ、わかっているのは、やっぱりこの友たちを大切にしていきたいということだけ。
そしてこの友たちに、もっと「自分」を出していければいいのにな……、とつくづくそう思った1日でした。
遠慮なく……ね。
おやすみ。
毎日毎日、グループワーク。
大変です。
おやすみ。
小学校のとき、給食に「米飯」が登場しました。
好き嫌いの多い私は、給食は天敵でした。
さすがに高学年になると、我慢して食べることを覚えましたが、それでも給食の時間はまさに拷問のようでした。
そんななか、毎週金曜日は米飯給食になり、そしてそのときのおかずは決まって「カレー」。
鳥の皮入りカレーもそれほど好きではなかったのですが、ふだんの日よりはまだましでした。
きょうは「カレーの日」だそうです。
1982年(昭和57年)、全国の小中学校で一斉に給食にカレーが出たことを記念してつけられたそうです。
と、ここまで書いて、力尽きました。
しまりのない日記ということで。
おやすみ。
ナイチンゲールって、すごい人ですね。
おやすみ。
久々に紀伊国屋書店に行きました。
文房具と書店が大好きな私には、紀伊国屋は1日遊べる場所のひとつです。
とはいえ、私にも予定があるので、そんな理想的なことはできません。
そして、十年来、医療系の書籍・雑誌を作り続けてきた私が立ち寄るところは、やはり医療系の棚が集まる場所。
私の手がけた本を一つ一つ手にとって確認していくのが、シアワセのひとつです。
いつしか。
書店から私の手がけた本は消えていくでしょう。
時代とともに、新しい内容の本に代替わりしていくでしょう。
そのとき。
私は、この広い書店のどこに立ち寄るのでしょう。
それでも、やはり「ここ」に立ち寄ってしまうんでしょうね。
おやすみ。
懐かしい友と再会しました。
約4年半ぶり。
私のことを覚えているかどうか心配だったけれど、杞憂(きゆう)に過ぎませんでした。
彼女が語り出して、思い出しました。
一つ一つの音をていねいに発音する彼女の口調が、私は大好きだったこと。
もっともっと語り合いたかったけれど、お酒を飲んでしまった私は、あっと言う間に夢の中。
今度、会うのはいつになるのかな?
会えたことに、ありがとう。
毎日、疲れています。
おやすみ。
友人と食事をして帰ってきました。
仕事が残っているので、20時くらいに店を出ました。
2時間ほど、わいわいおしゃべり。
楽しかったです。
帰ってから2〜3時間ほど、パソコンに向かいました。
仕事が残っているなら、さっさと帰ってすませてしまったほうがいいのに……、とも思いますが、仕事の合間になんでもない話をわいわいと喋ることが、大事なのです。
きっと。
きっと現実逃避では、ありません。
たぶん。
おやすみ。
お年玉年賀状は、2枚だけ当たってました。
もちろん、切手シートです。
実は切手大好きな私は、切手シートは大歓迎です。
それでも、筆マメな私に来る年賀状はけっこうな数量で、これだけきたらもしかしたら「ハワイ旅行〜?」と期待もしていたのですが、それは甘い考えだったようです。
プラス志向で「2枚」の当たりに喜んでいると、母が一言。
「10枚ほど年賀状が来て、1枚切手シートが当たってたよ♪」
………。
そういえば、去年も2〜3枚は母は当たりハガキを交換していたっけ。
…………………。
今年は宝くじは、母に買ってもらうことを、新年の抱負に加えておきました。
おやすみ。
「あいたたた」
朝、起きてベッドから降りるときに、太ももに痛みが走りました。
きのうの山行で、筋肉痛になったのでしょう。
でも、ちょっと様子が違います。
痛いのは太ももの一箇所だけで、ほかの部位は飛んでも跳ねてもまったく痛くありません。
ん?
どうしたのかな?
体をひねって痛い部分に目をやると、なんと大きな青たんができていました。
きのう、道なき道を下っていったときにすべって尻もちをついた結果、できたのでしょう。
なんとなくおかしくなって、朝からひとり、にやにやと笑ってしまいました。
こんな青たんを作らないためにも、地図、きちんと読めるようにならないとね。
おやすみ。
山に行きました。
「読図」です。
地形図を見ながら、自分が今、どの場所にいるかを確認します。
地図が読めないと、つらいです。
難しいです。
地図が大好きな私ですが、後半部分はけっこう間違えていました。
これからも、要勉強です!
いい気分転換になりました。
いえ、夕方からやはり仕事だったのですが……。
ま、いつものことでしょ。
おやすみ。
「放浪者」なのかな、って、ときどき思います。
いつも「家」を探しているような気がします。
それは、私が思春期のときに、一晩で「家」をなくしたからなのでしょう。
別れを惜しむ間もなく、私は「家」を後にしました。
最期にちらりと見た私のピアノの姿をいまだに覚えています。
真夜中に、猫の「太郎」を連れに戻ったとき、妙に平静だったこと。
父を慕っていた職人さんがお小遣いをくれたこと。
「太郎」が、やけににゃーにゃーと鳴いてぶるぶるとふるえていたこと。
そのときから、私はどこか平穏な場所を求めているような、そんな気がします。
そんな場所。
ないのにね。
自分でつくっていくしか、ないのにね。
おやすみ。
生まれて初めてスキー板を足につけたのは、おそらく小学校1年生のとき。
場所は「白樺湖」でした。
わけもわからず、父に手を引かれながらスキーを教わったけれど、私はけっして「スキー好き」にはなりませんでした。
私の興味を引いたのはアイススケート。
当時のオリンピックの影響もあったのでしょう。
私は、無我夢中で白樺湖の氷の上で、スケートを練習していました。
もちろん、そのときも父に手を引かれながら。
そのときの写真は、確か「フエルアルバム」に残っていて、いつでも見返そうと思えばできるのですが、なかなか見返す気持ちにはなりません。
おそらくそのときがいちばん「家族」を演じていたからだと思います。
もう、いい年なんだから、過去のことは忘れようよ。
そんなふうに言い聞かせても、やっぱり忘れられないことは、忘れられないのです。
それは、いいことだと、私は思っています。
おやすみ。
まだ新年ですが。
ちょっと疲れたかな。
おやすみ。
「爪が痛い」が語源となってできた言葉があります。
「冷たい」
あぁ、日本語はなんて美しいのでしょう。
きょう、出会った言葉に、あらためて感動を覚えました。
何度でも、私を感動させてくれる言葉たちに「どうも、ありがとう」。
近年。
若者言葉で略語が多すぎる!と嘆いている言語学者が多くいますが、こうして言葉の語源をたどっていくと、日本語は昔からいろんな言葉を略して言うことが多いように思います。
言葉は生きているんです。
だから、変わっていくのは仕方がないんです。
ただ、人が不快に感じる言葉だけ、刃(やいば)となる言葉だけは、使い方に気をつけないと。
ふだんの私の言動に、ちょっと心を痛めながら……。
おやすみ。
はい。
きょうからまた始まりの日。
おやすみ。
成人式でした。
今年、私の友も成人式を迎えます。
15歳のころから知っている彼女は、当初のあどけなさはまだ消えないながらも、この5年でずいぶんと「おとな」になりました。
ひとりでふらりとあいさつにやってきた彼女。
今までに見た新成人の誰よりもかわいくてステキでした。
高校を卒業して働きながら看護学校に通っている彼女は、おそらく私が学生だったときよりも、かなり大変だと思います。
でも、今ががんばるときだから。
この二十歳のときにがんばることが、のちのちの力になるのだから。
そんなことを言ってもまだ彼女には伝わりませんが、心の底から応援しています。
おめでとう。
新成人!
子どものころ、父が風邪で寝込んだときに母がお粥を作りました。
そのときにご相伴にあずかったお粥が、とてもとてもおいしくて、それから私はお粥好きな子ども、になりました。
冷えたお粥に、岩海苔や梅干しをのせて食べるお粥、味のりをパラパラふりかけて食べるお粥、母のお手製の漬物をどっさり載せて食べるおかゆなどなど、病気でもないのに、いろんな食べ方を試しました。
数年前、入院したときは、しばらくはお粥が私の病院食でした。
そのとき、初めて自分でお粥をすくって食べたとき。
当然、母の作るお粥の味はまったくしなかったけれど、それでも子どものころに食べた味を思い出したのか、それとも「生きているんだ」と実感できたのか、涙がぽろぽろとこぼれて仕方がありませんでした。
きょうは、七草がゆ。
お粥は食べなかったけれど、毎年、この日は、母のお粥の味と、おとなになってから食べた、涙でしょっぱくなった病院のお粥の味を思い出すのでした。
今年もみなさま、健康でありますように。
おやすみ。
せっぱ詰まって。
おやすみ。
日記、遅ればせながら正月やすみ。
幕末の激動の時代を生きた人のひとりに「吉田松陰」がいます。
山口県で松下村塾で教え、高杉晋作や木戸孝允(たかよし)などの明治維新の指導者となる人物を育てました。
「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」
(誠を尽くして人に接すれば、心を動かさないものはない)
孟氏の言葉を引用して、門下生に送ったこの言葉は有名です。
そんな松陰が「安政の大獄」でつかまり死刑にあったときの年齢を知り、驚きました。
享年29歳。
時代とはいえ、若すぎる死に違いはありません。
あまり有名ではありませんが、松陰は「留魂録」という遺書のようなものを、門下生に遺しています。
そのなかで、人生を四季に例えて「春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す」という一文があります。
「すべての人生に四季があり、たとえ10歳で死のうとも100歳まで生きようとも、人生に長短はない」という境地に達した後、斬首刑を受けたそうです。
………幕末期。
時代が人を育てた、という観もありますが、私は明治期に生きていても、松陰のような人生観には達しなかったような気がします。
ただ、「至誠」だけは忘れずにひたすらがんばることだけが、私にできることでしょうか。
おやすみ。
標高924メートルの愛宕山(あたごやま)に登りました。
頂上には愛宕神社があります。
京都の嵐山からもうすこし山に入ったところに登山口があり、そこから2時間ほどかけて登ります。
去年は、雪でまっしろで7号目あたりからアイゼンを装着したのですが、今年は、雪なんてひとつもありません。
景色もまったく違います。
階段が多くて、けっこう疲れました。
それでも、みんなで登るハイキングは、やっぱり楽しい。
今年から、冬山セミナーが本格的に始まります。
みんなについていけるように、体力をつけておかないと。
今年の楽しみのひとつです。
おやすみ。
大阪府の北にある「勝尾寺(かつおうじ)」に初めて参拝したのが2003年のお正月。
それから欠かすことなく、毎年、この寺を初詣に訪れています。
旧参道を約1時間半ほど歩いて登ってやっと山門が姿を表します。
今年は、休みが長いせいでしょうか。
例年より人が少なく、ごったがえしている感はありませんでした。
いえ、朝から雨、という天気の影響といったほうが間違いないかもしれません。
今年は、運転できる人がいるので、お神酒(みき)をもらおうと思っていましたが、境内のどこを探してもありません。
おそらく、車での参拝客のことを考えて、お神酒をやめたのでしょう。
残念!
とはいえ、この初詣の目的は、参拝だけではありません。
お寺を出て、すぐ隣の「少年の森」なるところに移動して、今年初めての「アウトドア鍋」です。
スーパーで買った食材を鍋にどかどかと入れて、蓋をして待ちます。
その間に、持ってきたおにぎりを食べて、とりあえず空腹を満たします。
そうこうしているうちに鍋ができあがり、みんなで、わいわい言いながら食べます。
おいしかった!
今年も、こんな年明けの行事がつつがなく行うことができて、よかった。
どこか別の地で年越しを……と考えたのですが、やっぱり「いつもの正月」がいちばんです。
今年もいろんな場所でアウトドア料理を研究するぞー。
おやすみ。
元日(がんじつ)です。
毎年、この日のことは「元旦(がんたん)」という言い方が好きだったのですが、今年から「元日」と言うことにしました。
「元日」と「元旦」の意味の違いを知ったからです。
元日は、1月1日のこと。
元旦は、1月1日の朝のこと。
「旦」の字は、地平線から昇る朝陽を現す漢字だそうです。
なるほど。
では、年賀状に「元旦」と書くのは間違いなのでしょうか?
いえ、基本的に年賀状は元日の朝に届けられるものなので、それはそれで間違いはないのでしょう。
ただ、「元旦の朝」というのはやはり今でも間違いらしく、指摘されることも多いとか。
ふむふむ。
年末になると、テレビや新聞からいろんな雑学を見たり聞いたりします。
去年、最後に覚えた雑学は、さっそく元日の日記のネタになりました。
ということで。
本年もよろしくお願い申し上げます。
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