紫
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今日はハロウィン。
アメリカでは、仮装した子どもたちがカボチャをくりぬいて作ったランタンを持って、家々をまわってはお菓子などをもらうという習慣があります。
11月1日のキリスト教のすべての聖人の祝日「万聖節」の前夜祭とのこと。
日本の「お盆」のようなものだそうです。
まったく雰囲気は違いますが。
このハロウィン。
以前、子どもたちがもらうお菓子に毒物が入っていたことがあり、今は手作りのお菓子よりスーパーなどで売られているお菓子のほうが喜ばれるとか。
なんだかちょっと寂しいですね。
毒物といえば、母親にタリウムという劇薬を飲ませていた高校生が逮捕されました。
命をなんだと思っているのでしょう。
まとまりがないところで、おやすみ。
いつもの日曜日。
いつもの土曜日。
昼は、パスタを食べ、夜は蕎麦を食べ。
我ながら麺好きだなぁ、とつくづく思います。
ただ、麺は麺でも「きしめん」はあまり食べません。
パスタのフェトチーネも、好んでは食べません。
きっと、私は平べったいのがニガテなのだろう、と自己分析しています。
旅に出ると、必ずどこかで蕎麦を食べます。
麺にしてもつゆにしても、蕎麦がいちばん、ご当地の味を出しているように思います。
駅の立ち食い蕎麦でも、地域の味がそれぞれ違います。
今は、新蕎麦のおいしい季節。
あぁ、おいしい蕎麦が、食べたいなぁ……。
おやすみ。
9月中旬から下旬にかけて取材をしたミニコミ誌がようやく発刊されました。
ちょっと遅れた様子。
でも、無事に発刊されてうれしい。
誌面を見て、取材をかけた人たちのことを思い出しました。
来週には手元に届くでしょう。
喜んでくれるかな。
自分の書いた記事や、自分の作った本、雑誌が世に出る瞬間が、いちばん緊張します。
「できた! 出た! おわり!」
ではありません。
本や雑誌というのは、書店に並んでから人々の評価を受けていきます。
そして、捨てられないかぎり半永久的に手元に残ります。
さて、今回のミニコミ誌。
どのくらいの人が手にとって読んでくれるのでしょう。
楽しみでもあり、ちょっと怖い瞬間でもあるのです。
昨日の日記を読み返すと、なんか誤解を生じそうだったので、珍しく弁解。
自分のことを心配しろっていうのは、私自身に言っている言葉です。
たとえ酔っ払って書いたことでも、訂正しないようにしているのですが、昨日の日記は、せっかく心配してくれている人たちに、誤解されると困るので……。
と、弁解から始まった今日の日記。
ホントは、ロッテの話とか吉本の話とかチャーハンの話とか山登りの話とか、いろいろと書きたいことが浮かんだ1日でしたが、なんとなくバツが悪いので、今日はもうおしまい。
何をどうすればいいのかもわかっているけれど、きっと怖がっているんだな、って思います。
おやすみ。
はた迷惑な日記をここ数日書いていますが、元気、元気です(笑)。
「もやもやは、日にち薬」と友からの助言どおり、いつしか消えるでしょう。
ご心配かけてすみません。
人のことより、自分の心配しろっつーのって話ですね。
おやすみ。
もやもや。
ココロのもやもや。
理由は、わかっているんだけどね。
おやすみ。
さぁ、どうしよう。
私、どうしたら、いい?
おやすみ。
2005年10月22日(土) |
大原から延暦寺まで。 |
東海自然歩道を歩いてきました。
今回は、大原から比叡山延暦寺まで。
いよいよ滋賀県に入りました。
大原の里を出たのが10時半前後。
延暦寺に着いたのが15時半くらい。
予定コースタイムの1時間オーバーです。
前半は、2キロで300メートルの急坂がありましたが、まだ体力もあり元気。
問題はその後です。
登り下りともに、段差の大きすぎる階段の連続。
登って下りて、下りて登っての繰り返しに、かなりバテ気味。
これでもか、これでもか、もうそろそろだろう……と連続する階段をにらみながら歩き続けたところで、昼食スポットに到着。
ふぅ、疲れた。
各自用意してきた具材を鍋にぽいぽい入れて「きのこ鍋」完成。
仲間の一人が鍋用ラーメンを持ってきてくれていて、きのこ鍋ラーメンになりました。
それから、いつも作ってもらうおにぎり。
あまりにも寒くて、気がつけば、いつもの倍くらいの量をパクパクと食べていました。
それからまたしばらく歩いて、延暦寺に到着。
あまりにも冷え切った体を温めるために、京都駅の近所の居酒屋で「焼酎のお湯割り」を飲みました。
おかげで、風邪をひかずにすみました。
酒は百薬の長ですね。
おやすみ。
今日も、懐かしい人と会いました。
懐かしい人、はたくさんいます。
たくさんいるけれど、なんだろう。
やはり、あの「丘」を知っているからかな。
なんだか親しみを感じます。
とはいえ、今日会った懐かしい人とは、あの「丘」で会ったことはありません。
たいして長い付き合いでもありません。
それでもやっぱり「懐かしい」。
「空気」かな。
同じ空気をもつ者同士だからかな。
それぞれ強い個性をもつ人たちだけれど、同じ部分でつながっている。
「旅」というキーワードは、人生を豊かにしてくれる気がした夜でした。
けっして大げさではなく。
おやすみ。
古きよき仲間たちと、昔話で盛り上がりました。
富良野の丘で出会った仲間たち。
その瞬間、瞬間を覚えています。
もうあれから15年。
お互いに変わっていないようで、いろんなことが変わっています。
それでも「ホンネ」が言い合えるこの旧友たちを、たいせつにしたいと思いました。
おやすみ。
2005年10月19日(水) |
最近、がんばっているので |
今日くらい、日記、おやすみ。
2005年10月18日(火) |
どうでもいい。今日はl今日 |
刺身を食べるとき、わさびを刺身の上にちょこっとのせて食べます。
以前は、醤油にわさびをまぜて食べていましたが、この食べ方を知ってからは、そうするようになりました。
そのほうが、おいしいってわかったからです。
わさびが新鮮なことにこしたことはありませんが、チューブから出るわさびでも、まぁ、それなりにおいしいです。
今日の晩は、居酒屋さん。
いろんなものが食べられました。
今日は今日で。
おやすみ。
昨日、蓼科山(2530メートル)に登ってきました。
ちょうどハイキングセミナーの仲間が登るとのこと。
私もちょうど長野にいたので、急きょ、登山だけ混ぜてもらうことにしました。
「山と高原地図」では「八ヶ岳(やつがだけ)」。
蓼科山は、どうやら八ヶ岳連峰の最北の山のようです。
別名「諏訪富士」と呼ばれている独立峰を、7合目まで車で行き、そこからてくてく、わいわいと登りました。
7合目からの標高差は約600メートル。
後半は、かなり直登の岩場を手足を使っての登り。
それでも、なんとか登りきることができました。
山頂はというと、さっきまで晴れていたのにいきなり真っ白。
私の登山ではおなじみの「乳白色の頂上」がそこにありました(笑)。
独立峰、晴れていたら当然周囲の山だけでなく山を囲む街もぐるりと一周見渡せるとか。
残念!
セミナーのコーチが沸かしてくれたお湯で紅茶をもらい、みんなでおしゃべり。
景色は乳白色でも、やっぱり登ってよかったな、と思いました。
往復4時間の山、また登ればいいのです。
1泊2日で行ける山。
信州は、意外と近いのです。
行ってみたい「場所」がありました。
会いたい「人たち」がいました。
ただ、それだけでした。
行ってみたい「場所」は、予想よりも少し違う場所にありました。
会いたい「人たち」は、想像よりもはるかにステキな人たちでした。
ワクワク、というより、ドキドキしながらその場所に行きました。
カーブをいくつ曲がったのでしょう。
その数ごとにドキドキが増えていきました。
「ワクワク・ドキドキ」が私のテーマといえども、やはり「ドキドキ」は緊張の証です。
蓼科山に登った後の汗だくの私。
先に温泉に入ってくればよかった〜〜っと少し後悔しながらも、写真で見慣れた低い階段を登り、ドアを開けました。
「あ、あ、あ、あの……………」
「あ……、ですよね?」
よく知っている二人がそこにいて「ハジメマシテ」のご挨拶。
私の好きな細麺であっさり味のボンゴレと、少し酸味をきかせたコーヒーが話を弾ませます。
「ドキドキ」は、いつしか「ワクワク」に変わり、次に会う約束をして二人と別れました。
来て、よかった。
会えて、よかった。
1泊2日の強行軍だったけれど、ふたりとやっとめぐり合えたことに「感謝」です。
おやすみ。
2005年10月15日(土) |
「あした」と「わたし」 |
朝、7時半に名神高速にのりました。
目指すは諏訪インター。
そう、またしても信州へ向かいました。
天気は、雨。
でも、何度も言いますが、雨女の私。
雨には慣れっこです。
13時過ぎに友と諏訪湖畔のパスタ屋さんで合流。
ほぼ1年ぶりの再会に話は尽きず。
16時近くまでおしゃべりしていました。
同じ湖畔沿いの温泉「片倉館」で垢落とし。
ドイツ風洋館の中にあり、深い浴槽は胸の高さまで湯があり、しかも底には玉砂利が敷きつめてあります。
いったいなんのために?
好奇心は沸いたものの、珍しく誰にも聞かず調べず。
頭の中は、湯につかりながらも今日と明日の予定でいっぱいだったからです。
湯から上がったのが17時前。
さて、どうしよう。
「きょう」にするか「あした」にするか。
つるべ落としのような空と地図なき道と相談したうえで「あした」にしました。
何が「あした」か?
それは、「あした」と「わたし」だけの秘密です。
おやすみ。
なんか、しっくりこない二人、が私の中にいます。
あなた、じゃないよ。
おやすみ。
ちょっと予定が狂いましたが、なんとか週末は「私のもの」になりそうです。
大阪の南、奈良の北。
ちょうど県境に「生駒山(いこまやま)」があります。
標高642メートル。
大阪市内を一望に見渡せます。
大阪に住み始めたとき、夜、ふと遠くの空を見ると、頂上に電気がついている山がありました。
あんな高いところの電気がはっきりと見えるって、なんだろう……。
本屋に行って地図で調べたところ「生駒山」ということがわかりました。
なんと遊園地もあるとのこと。
それからいつか行ってみたい場所のひとつになった生駒山。
今日、ようやく行くことができました。
山頂には、テレビ局の大きなアンテナがずらりと並んでいます。
いつも見えていた光が、どこの光かわかりませんが、なんだかわくわく。
そっか。
ここか。
東京での電波塔は、東京タワーがその役割を果たしています。
「迷子になったら、家の屋根のアンテナの向いている方向に向かって帰って来い。いずれ東京タワーに着くから」などと、今から考えたら無謀なアドバイスを上司から受けたことがあります。
大阪では、アンテナの向く方向に生駒山があるんだな。
でも、東京タワー(333メートル)よりはるかに高い生駒山。
アンテナを探さなくても、どこからでも見えますね。
世間は連休明けの火曜日。
私も、まったく仕事から離れたわけではありませんが、今回は気分的にのんびりさせてもらいました。
今日からまたがんばろー。
「今日はお仕事ですか?」
午前の遅い時間に、近所に住む友からこんなメールが届きました。
仕事は仕事ですが、2〜3時間なら空いています。
ということで、うどん屋とコーヒー屋でランチタイム&お茶を楽しんできました。
その店は、友も行ったことがないという店だったのですが、味よし、雰囲気よしで、大当たり。
いつもながら、友の嗅覚というか触覚というか、「おいしいもの屋」さんへのはずれのないリサーチ力には感服しています。
雨の日だけど、ご近所さんならではの楽しいランチタイム。
また行きましょう♪
十年ほど前の初夏、小樽の海を眺めながら、ギターを練習しました。
とある宿のスタッフをしているときです。
まったくギターには興味はなかったし、コードも覚えたくない!なんて思っていたのに、その宿のオーナーに言われてなぜか無理やり練習させられました。
そして、5日後に人前でギターを弾いて歌わされました。
今となっては、いい思い出です。
縁側に座って海に向かってギターを練習していると、いろんな人に声をかけられました。
「こうして弦を押さえるといいよ」「その音は、これにも変えられるよ」
いろんな人のアドバイスをノートに書き込み、最初はいやいやだったけれど、だんだんと弾けるようになると楽しくて、毎日猛練習。
当時、私は足につけていた装具が取れたばかりで「まだ、走っちゃだめ」とドクターから言われていました。
歩くときも「転ばないように慎重に」と釘をさされていて、宿のスタッフをしていながらも、それほど動き回ることはしていませんでした。
もちろん、宿のオーナーもそんな私の足のことは重々承知。
だから、ギターを教えてくれたのかもしれません。
座っていてもできること。
まさか人前で「デビュー」させられるとは思わなかったけれど、あのとき、猛練習しておいて、よかったな。
きょう、なくしたと思っていた私のオリジナルの「ギター練習帳」がひょこっと出てきて、今はない坂の上の宿が妙に懐かしくなりました。
おやすみ。
なーーんて言ったけれど、ゴロゴロなんてしていられません。
雑務処理で忙しい1日でした。
ま、気楽ですけどね(笑)
なんだかわけもわからず、月曜〆切の原稿が、きょう、仕上がってしまいました。
明日から三連休。
久々に………、ゴロゴロしーーよおっと♪
おやすみ〜♪
もう、忘れてしまった。
みょうがの食べすぎかしら。
最近、あまりにもバタバタとしすぎて、とうとう英会話の勉強をしなくなっていました。
あんなに夢中でがんばったのに……。
とはいえ、成果はまったく出ていません。
がんばったとはいっても、ただ、テレビを眺めていただけですから。
昨日の日記じゃないけれど、「やりたいこと」「なりたい自分」があるって、シアワセなんだな、って思います。
やっぱり「目標」を持たないとね。
「夢」や「目標」は、必ずしも達成するべきものではなくて、人生の前進に必要なものなんだな、って思います。
だから。
「夢」を追えなくなったときに、方向修正が難しいんだろうな。
さ。
私も英会話の勉強、がんばろ。
来月から(来月からかよっ!)。
おやすみ。
あるお店を取材しました。
その店は、夜の小料理屋を本業としていますが、昼はご主人の「趣味」でカレー屋さんをしています。
このカレーがまた口コミで人気を呼び、ランチタイムは毎日満員御礼。
カレーは昼にしか食べられず、夜は普通に小料理屋ののれんが出ます。
ご主人に聞きました。
「なぜ、昼にカレー屋を始めたんですか」
「ずっとカレー屋がしたかった」
ただ、それだけでした。
若いころに、小料理屋だけでなくカレー屋でも修行を積んだご主人。
ずっとカレー屋をしたかったけれど、当時はカレーだけで食べていけず、小料理屋を出したとか。
商売を始めて15年目にして一念発起。
ランチタイムだけのカレー屋を始めたそうです。
「夢」をあきらめずにいつまでも持ち続けて、どんな形であれ「夢」を実現したご主人。
「やりたいこと」「なりたい自分」って、少し目標を変えるだけで達成できることもあると思っています。
今日、取材したご主人の話を聞いていて、あらためて「自分のこれから」を考えました。
さて、どうなるかな。
おやすみ。
疲れているとはいえ、仕事。
もちろん。
今週も〆切前で忙しいです。
週末の遊びのために、今週もがんばるぞー♪
2005年10月02日(日) |
さくらの湯と駒ヶ根の蕎麦屋 |
目が覚めたら、まだ2時半でした。
ゆうべ、こんなに早く寝たらきっと3時に目が覚める、と思って寝たら、やはり目が覚めてしまいました。
外はもちろんまっくら。
寒くなってきたので、フリースを着てまたシュラフにもぐりました。
とりあえず5時にセットしておいた目覚ましが鳴り、もう一度、起床。
やっぱり朝は寒いね、と友と言いながら、シュラフの中から出ることができません。
もう少し寝たり起きたりを繰り返して7時半にやっとホントの起床。
朝食に塩ラーメンを食べて、テントをたたんで10時発のバスに乗りました。
11時にバスを降りて、「さくらの湯」という温泉へ。
これがまたつるつる温泉で気持ちがよかったです。
それから去年食べた駒ヶ根の蕎麦屋に行き、蕎麦を食べてから高速道路にのりました。
あまりにも眠気が襲ってきたため、友に一ノ宮まで運転してもらうことにして、私はおやすみモード。
この3日間でいちばんぐっすり寝た感じ。
かなり疲れがたまっていたのでしょう。
一ノ宮をはるかに過ぎて、養老で運転を交代して最初に集合した駐車場に到着。
おつかれさまでした。
今回も、いっしょに行った仲間のおかげで楽しい登山になりました。
これからは、ハイキングの楽しい季節です。
また、歩きましょう。
おやすみ。
2005年10月01日(土) |
ザラ場に泣かされた甲斐駒ヶ岳 |
うとうとしかけたな〜、と思ったころに放送がなりました。
バスのチケットの販売を開始します、とのこと。
朝5時半。
バスにはシーズン時でも臨時バスが必ず出て、登山者の積み残しはないと聞いていたので安心していましたが、同行の2人が心配したので買いに行くことに。
おかげで、準備の時間がたっぷり取れました。
6時半にバスに乗車(片道1100円、荷物台200円)。
7時半に「北沢峠(2030メートル)」に到着して、みんなであーだこーだと言いながらテントを立てました(1人500円)。
ちょっとのんびりしすぎて8時40分に、いざ甲斐駒ヶ岳に向けて出発。
原生林の中を気持ちよく歩き、途中、日本カモシカにも出会い、最初の峠「仙水峠(2264メートル)」で景色を堪能した後、かなりの急登が始まりました。
ひーひーふーふーと言いながら、途中で何度も休憩し、ときどき振り返って背後の景色に見とれ、やっと木が切れてハイマツに覆われ空が広がってきたところに、駒津峰(2740メートル)に到着。
天気もよく、そこから見る景色は圧巻でした。
目の前に、東駒ヶ岳と摩利支天と呼ばれる白い砂と岩の頂上がどどーんとそびえていました。
背後には、鳳凰三山と呼ばれる山のひとつ「地蔵ヶ岳」のちょこん突き出した頂上。
そして、その向こうに富士山のてっぺん。
それから、ちょっと離れて大きくそびえたつ北岳。
お隣の仙丈ヶ岳。
さて、先を急がないと帰り道が暗くなります。
一度、駒津峰の急な岩場の下りをどんどん降りて行くと、また登りになりました。
最後の20分の登りは砂場の登り。
ずるずる、ずるずる、と滑りながらもやっと頂上「甲斐駒ヶ岳(2967メートル)」。
登って一通り景色を堪能したとたんにガスがふっとわいてきて、一面が乳白色に。
頂上で昼食を食べるつもりだったけれど、登ってくる途中に食べたいつもの大きな大きなおにぎりでおなかがいっぱい。
それに、早く降りないと日が暮れてしまうので、15分ほど休憩してそそくさと降りることにしました。
帰りは、途中から双児山コースを降りました。
先頭を歩いていた友が体調不良を訴えましたが、なんとか予定通りの時刻で下山。
テントに戻り、野菜たっぷりの夕飯はクリームシチュー。
それから、なぜかご近所さんがくれた蕎麦。
満腹になりすぎて、その晩は21時には就寝。
明日はのんびり起床、の予定です。
おやすみ。
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