紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
2005年09月30日(金) |
甲斐駒ヶ岳へ向けて出発 |
22時ころに集合、23時過ぎに出発しました。
甲斐駒ヶ岳に向けて出発です。
友と交代で運転をして、高速道路を飛ばしました。
車の中では、なかなか寝付けずうとうとしたころに交代の時間。
缶ビール1本で23時に寝ろっていうのが間違いでした。
一ノ宮サービスエリアで交代して、それから中央道の駒ヶ根インターで降りて、木曽駒の登山口までのバスの発着場所「仙流荘」に着いたのが朝の4時前。
まだまっくらです。
そのまま3人で車の中で仮眠。
これまたほとんど眠れず。
ちょっと体制が悪かったのでしょう。
寝不足の山登り、どことなく心配ですが、無理せずがんばってきます。
おやすみ。
さて、今日、阪神タイガースがリーグ優勝しました。
大阪に来てから、阪神ファンを名乗らなくなった私。
本拠地に来て、大勢の熱狂的なファンに気後れしてしまいました。
それでも、東京に住み始めたときは、故郷が懐かしくて、巨人戦のナイター中継をラジオで聞きながら、ときどき入る他試合の途中経過に一喜一憂していました。
そして、阪神が勝ったときは、母が大喜びしているんだろうな、と思いを馳せることも。
………。
んん?
熱狂的な阪神ファン。
ごく身近にいました。
阪神戦を見ているときの母の解説は、どの番組の解説者よりも的確でおもしろかったのを思い出しました。
いつもは20時には熟睡している母。
きっと今日は、大喜びで夜更かししたことでしょう。
そして、熱狂的な巨人ファンの父や兄は、さぞかし不機嫌だったことでしょう。
いや、もうなんの期待もしていないかも?
おやすみ。
長い長い打ち合わせでした。
私の取材してきた感触を伝える打ち合わせ。
私はいわゆる「感想」を、口頭で人に伝えるのが大のニガテです。
話しているうちに、感動したことや心に残ったことが、私の言葉足らずでだんだんと薄れていってしまいます。
ホントはもっと感動したんだけどな……。
って感じ。
だからこうして日記を書いているのかも。
いや、日記でもなかなか感動は伝え切れていません。
今日はイラストをイラストレーターさんに依頼するにあたって、その取材時の様子や人の印象を伝えなければいけませんでした。
それも、急に言われて「ええっ!」と思いながらも、一人ひとりの印象を伝えました。
その点、さすがプロのイラストレーターさん。
私が話しやすいように誘導してくれました。
結果、楽しい打ち合わせに。
あ〜、笑った笑った。
でも「話術」ってすごいな、ってあらためて思いました。
人を楽しくさせる話のもっていき方ができて、しかも安心して話をさせてくれる。
たぶん、たくさんの人と接して自分から積極的に「話術」を吸収していかないと、習得できないのでしょう。
何事も「努力」ですね。
がんばろ。
おやすみ。
ずっと原稿執筆。
それから、ミーティング(?)。
それからクラシックビール。
………。
これって、のみすけ日記に書くことでした(笑)。
ということで、おやすみ。
旅から帰ってきてから、まだバイクを洗っていません。
泥がついているので、洗ってあげたいのですが、なかなか時間が取れず。
洗い方もよくわからず、どうしようかなぁ、と思っていたら、メールが1通。
「マフラーに水が入らないように注意して水洗いするといいですよ」
何も言っていないのに、いきなり洗車のアドバイス。
ちょっと驚きながらも、きっと私のことだから洗っていないんだろうな〜、と思ってメールをくれた友に感謝。
そういえば、以前、私のバイクのサビの取り方も、いきなり教えてくれたことを思い出しました。
気になって仕方がないんだろうな(笑)
あしたは無理だけど、あさっては洗車デーにしようと思います。
どうもありがと。
今日は久々に「ハイキングセミナー」の仲間と山登り。
個人的に山登りはコンスタントにしているのですが、セミナー仲間との山登りはお盆以来です。
仕事が忙しくて、もう無理かな、ドタキャンになるかな、と思っていたのですが、なんとか参加することができました。
登った山は六甲全山縦走路の3分の一。
鵯越(ひよどりごえ)駅から菊水山、鍋蓋山、摩耶山を縦走して阪急の六甲駅に下山しました。
山登り自体も楽しかったのですが、なんだか今日は久々にセミナー仲間に会えたのが、とてもとても楽しかったです。
この「つながり」って何かな。
ひとつのことをいっしょにやり遂げた「つながり」かな。
安心感が私の足を前へ出させます。
これから秋に向けて、いろんな企画がある様子。
なかなか参加できないけれど、また、時間があいたときにひょっこり参加したい。
ところで、今日の山は菊水山の登りの階段がいちばんきつかっただけで、あとはそれほど息切れすることもなく景色を楽しんで登れました。
あえて言うと、最後に縦走路のルートから外れて、直登コースみたいなところを、せっせと下ったときは「もう二度とここには来ない!」とココロに誓いましたが(笑)
六甲全山縦走。
私は出ませんが、友が単独で出るとのこと。
無理せず、がんばってほしいですね。
高校生のころにバイトをした隣の隣のラーメン屋さん。
当時はまだ幼稚園だった長男を筆頭に次男、三男とやんちゃ兄弟がいました。
大きくなったら、この店舗兼住宅にどうやって3人の部屋ができるのかな。
そんなことを心配したこともあります。
彼らが大きくなる前に、私は彼らの近所から離れてしまったけれど、ときどき、当時のことを鮮明に思い出します。
あの高校まで住んでいた家や隣に住んでいた3つ下の少年、いつも私の面倒をみてくれたパン屋さん、サルを飼っていたいちばん端っこのおばさん、裏に住んでいた兄の初恋の女の子……。
あのまま、私はあの家に住み続けていたら、住み続けることができたなら、今の「人生」を私は生きていないでしょう。
おそらく、どんな人生を歩んでいても、私は「後悔」してはいないだろうと思うけれど、今でもムショウに懐かしくなるのは、あの高校まで住んでいた「家」。
高校生のころにバイトをしていた隣の隣のラーメン屋さんは、数年前に100メートルほど離れたところに店舗を出したようです。
もちろん、3人兄弟の誰かが継いだのでしょう。
あのやんちゃ坊主の誰かが……。
年月は流れて、人はどんどん成長していきます。
もちろん、私も少なからず成長したはずです。
でも、どこかで何かを引きずっているような、そんなキブン。
今日の夕飯は、いつもよく行くラーメン屋さんで「天津麺(てんしんめん)」を食べました。
私のバイトしていたラーメン屋さんの人気メニューでした。
天津麺の玉子を食べながら、ふとセンチメンタル。
ラーメン屋でセンチメンタル。
似合わねーっつーの。
釣具屋さんに取材。
見知らぬ世界の話は、面白いです。
最近、日記が短いのは、原稿書きで必死だからだと思ってくだされば幸いです。
ふぅ。
遊んで来たから当たり前(涙)。
今日も取材。
明日も取材。
そして、原稿。
〆切は、今日。
………。
書けるかっ!(ぜいぜい)。
今日から通常に仕事。
遊んで来たから当たり前。
2005年09月20日(火) |
船の中の時間、そして舞鶴 |
ゆっくり寝たつもりだったけれど、7時に目が覚めました。
適当に船の中を散策して、朝食を食べに行きました。
カフェでコーヒーを飲んで、それから読書タイム。
今回の旅用に買った本は宮本輝氏の『星宿海への道』。
久々の読書に思いがけず夢中になり、気がついたら昼でした。
4時間たっぷりカフェで読書していたことに驚きながら、時間をぜいたくに使ったことに、満足感たっぷり。
おなかも空いていないので、お風呂に入りに行きました。
展望風呂でのんびりして、それから缶ビールを買って、今度はプロムナードで読書の続き。
そして、ベッドに戻って昼寝。
読書。
昼寝。
20時半に舞鶴に着くまで、それの繰り返し。
以前の30時間の船の旅は、時間をもてあましていた私だけど、今回の船での滞在時間は私にぴったりのようで、何もしていないけれど楽しい時間を過ごすことができました。
舞鶴から高速道路にのって帰宅。
帰ってからもまだまだ旅気分が続いていたのは、それだけ満喫してきたということでしょうか。
さて、明日から仕事です。
また、次の旅に向けてがんばります。
おやすみ。
2005年09月19日(月) |
比布から旭川、富良野から小樽、塩ラーメンにウニイクラ。 |
朝はのんびりしていました。
今日の夜のフェリーで帰るのですが、出港が23時50分。
小樽の友と20時に夕飯の約束をしているので、それに間に合うように行けば大丈夫です。
旭川の「ひびき」で塩ラーメンを昼ごはんに食べました。
塩ラーメンが好きなのですが、ここはやっぱり味噌ラーメンがおいしかったみたい。
次回は味噌にしてみます。
それから十勝岳温泉「カミホロ荘」へ。
十勝岳の上に、雲がかかっているのが不安でしたが、ここまで来たら行ってみないと……、ということで、山へ向けて走ったのですが、案の定、雨が降ってきました。
もうカッパを着ていたので、安心なのですが、なぜか雨が痛い。
なんだろう、この痛さ……。
んん?
アラレ?!
地面に細かく跳ねる白い小さな粒が見えました。
北海道は、もうすっかり冬支度です。
大して気温は低くはないのですが、それでも身震いしながら温泉へちゃぽん♪
あぁ〜〜、気持ちがいい!
数年前に友に連れてきてもらってから、ここの温泉にはほぼ欠かさず入りに来るようにしています。
これで、今回2湯目。
もう1湯くらい入りたいけど、もうタイムリミットです。
小樽に向けて出発。
無事に20時に友と合流できて、すし屋「魚真(うおまさ)」へ。
なんと、友がウニ・イクラ丼をごちそうしてくれました。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、顔はにやけたまんま。
あ〜、最後の夜はほっぺたが落ちるかと思ったくらいのグルメな夜でした。
23時過ぎにフェリーに乗り込み、出港の時間を待ちます。
出港時は、甲板に出られるみたいでしたが、見送りのない港。
しかも夜の小樽港。
そして、急激に襲ってきた睡魔に負けて、さっさと寝てしまいました。
明日は舞鶴。
旅のオワリの日。
おやすみ。
2005年09月18日(日) |
大雪の高原沼めぐりと気持ちのいい温泉 |
朝から大雨。
でも、きょうはトレッキングの日です。
でも、大雨。
カッパを着込んで、大雪(たいせつ)の高原沼を散策しました。
ぬかるみの道をひたすら歩いて、でも、熊が出た形跡があるとかで、通行禁止。
半分ほど歩いて帰ってきました。
大雨だったから、半分でちょうどよかったかな。
紅葉にはほど遠かったけれど、雨の中の幻想的で静かな景色を見ることができました。
その後、高原沼温泉に入浴。
この温泉がまた気持ちのいい温泉。
露天風呂がサイコーによかったです。
そういえば、今回の旅で初めての温泉です。
ここに入ることができてよかったよかった。
よかった♪
夕飯時には、また新しい旅人といっしょに語らいながら、私はちょっと早めに就寝。
もう眠くて眠くてたまりません。
旅って、疲れるんですよね……ってぜいたく?(笑)
おやすみ。
2005年09月17日(土) |
島抜け、そして稚内から比布へひたすら南下 |
「1便」と呼ばれるフェリーで、島を出ました。
「島抜け」です。
たった2泊3日だったけれど、やはり名残惜しい。
私の大好きなフェリーの見送りも、今回は見送りをされる側だけしかできなかったけれど、この出港時の銅鑼(どら)の音や、港につないであったロープをみんなで外している風景は、どこか物悲しくて、いつもどの港を出るときにも、見入ってしまう風景です。
そして私に手を振る人たち。
ありがとう。
また来るよ。
「さよならだけが人生さ」
ふと、そんな言葉がよぎります。
いつ、何が起こるかわからない人生。
だからこそ、別れ際を大切にしよう。
私意ですが、この言葉をそんなふうにとらえています。
けっして悲しい意味ではないと。
昼前に稚内に到着しました。
きょうは、旭川の少し北にある比布(ぴっぷ)という町の宿に泊まります。
途中、「まるや食堂」で塩わかめラーメンを食べて、ひたすら南下。
小雨が少し降りましたが、すぐにやみました。
ゆっくり80キロで走る私を2台のバイクが、左手を挙げて挨拶をしながら追い越していきました。
私が初めて北海道に来た時と比べて、ピースサインをするライダーは極端に減ったけれど、こうしてまだ「無言のふれあい」を楽しんでいるライダーもいるんだな、ということにちょっとすがすがしい気分になりました。
比布の宿に17時に到着。
楽しいお祝いの席にいることができて、なんだかうれしい夜になりました。
おやすみ。
2005年09月16日(金) |
のんびり礼文岳とやりたいこと。 |
宿の仲間といっしょに「礼文岳」へ登りました。
たった490メートルしかない山ですが、ほぼゼロメートルから登ります。
1時間半で頂上。
息もけっこう切れ切れです。
頂上からの景色は圧巻でした。
海の向こうに浮かぶ利尻。
反対側にはスコトン岬。
周囲を囲む海。
2000メートル級の山、いえ、3000メートル級の山にも劣らない景色。
もしかしたら、先日登った「北穂高」よりも、宇宙に近い場所かもしれない。
そんなふうに思いました。
登りは2人だったけれど、帰りは4人で下山しました。
バスの乗って、フェリーターミナルで1人を見送り、1人はバイクで島を散策。
私ともう1人で港に座って酒盛りを始めました。
いいね。
のんびり、旅。
久々、だね。
やりたいことはいっぱいあります。
でも、こののんびりも、やりたいことのひとつです。
おやすみ。
2005年09月15日(木) |
札幌から稚内。オロロンロードでの叫び |
朝、7時に知人の家を出ました。
きょうは、はるか遠く「稚内(わっかない)」を目指します。
いえ、ホントはその先の「礼文島(れぶんとう)」まで。
稚内からは船に乗り換えるので、とりあえずはフェリーターミナルまで走ります。
夕べのうちに友が作ってくれた地図をタンクバッグに挟んで、まずは海岸線、オロロンロードを目指します。
何度も通ったこの道。
でも、今回は違う感覚。
海の香りと空の色と、風が体に当たってするりと通り抜けていく感覚。
どこまでも続く大地と、終わりのない海と、そして私が一体化しているような、けっして大げさではなく、そんな感覚。
やっと「夢」が実現したんだな。
学生のころに抱いた夢のひとつを今、叶えているんだ。
なんだか嬉しくなって、「わぁーーーーーっ!」とヘルメットの中で叫びながらオロロンロードを通り抜けました。
稚内港に着いて、バイクを駐車場に預けて乗船です。
約2時間、船酔いする私はすぐにぐっすりと熟睡体制。
あっという間に礼文島に着いていました。
「おかえり」
「ただいま」
シンプルな言葉の繰り返される場所に来ることができてよかった。
最果ての地で、私の名を知る人たちがいることが、いつも嬉しい。
さ、明日は、歩くよ。
自分の足で。
おやすみ。
2005年09月14日(水) |
小樽に到着、そして札幌 |
ゆうべは、疲れもあってかぐっすり熟睡しました。
今朝は、何度も朝寝を繰り返して起きたのが9時前。
新造船になってから、窓のない二等寝台。
しかも、ベッドのカーテンを閉めていたら、昼も夜もわかりません。
以前は「海のプロムナード」と呼ばれていたところに行きました。
新造船に期待していたベッドのコンセントもつけられなかったようで、乗客がコンセントを見つけてはこぞってパソコンや携帯を充電しています。
私の好きだった「海の足跡」も、ただひとつ外に出られる甲板からは、遠くに流れていくのが見えるだけ。
ちょっと残念。
それでも、展望風呂が以前よりもずいぶんと広くなっていたことにはびっくりしました。
やっぱりこのくらいの広さがないとね。
21時に小樽に着くまで、お風呂に何度か入ったり、プロムナードで海を眺めたり、映画を観たり、昼寝をしたりと、飽きることのない船の旅。
たっぷり30時間かかっていたときは、この船の中の時間が苦痛で仕方がなかったけれど、今回は珍しく楽しいひと時。
やはりスピードアップは、結果としてよかったのでしょう。
小樽に到着してから、一路、札幌の知人の家に向かいました。
気温12度。
その数字にますます寒さを感じました。
知人の家に22時に着き、それから宴会です。
とはいえ、やはり疲れているのか、私だけさっさと寝てしまいました。
明日はたくさん走ります。
寝不足は、いけません。
おやすみ。
舞鶴発小樽行きの新日本海フェリー。
出港時刻が深夜1時になってもうずいぶんと経ちます。
以前は、23時発だったので、大して変わりはないのですが、小樽到着がその日のうちの21時。
新造船になりスピードアップが図られ、時速60キロの航行が可能になったからとか。
時間短縮はありがたいのですが、21時に小樽に着くより、早朝4時に着いたほうが、旅人としてはうれしい。
でも、そんな贅沢は言っていられません。
舞鶴港に着いたのは、もう0時をまわっていました。
さて、これから出港です。
いつもいつも。
旅立ちの瞬間は、どこか切なくなる瞬間です。
日常から切り離されるための「心の儀式」のようなものでしょうか。
銅鑼(どら)が鳴ります。
行ってきます。
「灘」という地域に、最近よく行きます。
もちろん、仕事で。
灘というと、ついつい私は「酒」を連想します。
それから、最近では「震災」。
灘。
もしかしたら、私の好きな「下町」なのかもしれません。
昔ながらの商店街を歩きながら、ふと、そんなことを思っていました。
おやすみ。
今日は、ホントは「東海自然歩道」を歩く予定だったけれど、ここ数日の疲れが出てきてしまい、延期することにしました。
最近は、丸1日休養の日がまったくなかったので、今日はのんびり何にもしない1日……。
にはなりませんでした。
先週は取材を3本したので、3本の取材記事をせっせと書きました。
やっぱり今日は、東海自然歩道に行かなくてよかったんだな。うん。
それでも、体は休養できました。
明日はまた取材。
がんばろー。
おやすみ。
「山崎まさよし」さんのライブに行ってきました。
とくに大好き!というわけではありませんが、気になる曲をいくつか歌っているので、友に誘われるまま、着いていきました。
大阪の南の海沿い「泉大津」にできた「泉大津フェニックス」。
産業廃棄物の処理場です。
泉大津の駅からシャトルバスで20分。
そのシャトルバスのバス停までは徒歩10分。
会場のバス停に着いてから会場までも徒歩10分。
日差しをさえぎるものは何もなく、もちろん、コンビニもありません。
よくまぁ、こんな不便なところに作ったなぁ、と思いますが、目的は産業廃棄物処理場だから、仕方がないのかも?
ライブは、とてもよかったです。
でも、体調がだんだんと悪くなってきているような気がして、途中で帰ってきてしまいました。
ちょっと疲れすぎたみたい?
帰りのシャトルバスは、時間になっても発車せず。
「満員」にならないと発車しないと出発しませんとかたくなに関係者が言っていたのですが、最終の新幹線や特急で広島や名古屋に帰る人が、猛抗議をしたおかげで、20分遅れでようやく出発。
車が動き出したときは、乗客全員で大喝采でした。
なんか一体感。
バスの中ではぐっすりおやすみ、でした。
きょうは、夜遅くまでお話タイム。
おやすみ。
小学校のとき、バスで行く遠足がいくつかありました。
車にひどく酔う私は、あまり楽しい思い出がありません。
いつも悲壮な顔をしているか、バスの席を2つ占領して横になっているか、です。
そんな私を元気づけようと、みんなでマイクを回し始めて歌を歌い始めました。
もちろん私にも回ってきます。
歌うと車酔いを忘れるとかなんとか?
音痴な私は、人前でマイクで歌うなんてもってのほか。
しかも、当時からテレビを観ない子どもだったため、流行りの歌謡曲なんてまったく知りません。
みんながトシちゃんとか聖子ちゃんの曲を熱唱しているなか、私にもマイクが回ってきました。
「………、♪こんぴらふねふね おいてにほあげて しゅらしゅしゅしゅ〜」
なんと、民謡を歌ってしまいました。
民謡だとみんな知らないから、音痴でもわからないと思ったのです。
我ながら渋い選択。
でも、これが功を奏してか、バス酔いから解放されました。
緊張するといいのかも?
元気になった私に、またまたマイクが回ってきました。
えーーっ。
もう知っている民謡、ないし。
う〜ん。
う〜ん……。
「♪人に 聞かれりゃぁ お前のこ〜とを〜〜」
なんと、演歌「花街の母」を歌ってしまいました。
しかも語りつきで。
父に連れられて行っていたスナックのママさんが、いつも歌っていたのを思い出したのです。
バスの中は大爆笑。
でも、もう二度とマイクは回ってきませんでした。
ほっ。
作戦成功。
おやすみ。
取材先にアポ入れを3件しました。
明日から毎日取材が入ってしまいました。
ホントは、1日ですませて2日間で原稿を書きたかったけれど、そうは問屋がおろさないようです。
取材先にいきなり電話をして、内容を説明して、取材の許可を口答でもらうのですが、説明の苦手な私はいつも「あわわ」状態。
それでも、わかってくれる先方の理解力に感謝です。
さて、明日から特に忙しい3日間。
気合入れて、がんばろー。
おやすみ。
新しい仕事の打ち合わせに行ってきました。
なんだか楽しそう。
でも、〆切までの時間が短すぎるかな。
がんばるっ(>_<)
まずは、おやすみ。
今月は忙しいです。
雨でした。
だから、ゆっくりのんびりしていました。
35名の団体は、私たちより早く出たらしく、山小屋はもぬけの殻でした。
朝ごはんは塩ラーメン。
食事の時間は雨など関係なく楽しいひと時です。
眺望は期待せずして、お隣のジロウギュウへ登りました。
ときどき、風でガスが晴れるときがあるけれど、雨はいつまでも降り続きます。
だって、台風だもん。
真っ白の頂上に到着。
いつか、隣の三嶺(みうね)といっしょに縦走したいと思いました。
いつか……、ね。
下山後の温泉は、塩江温泉「行基の湯」400円。
新しくできた道の駅の中の温泉で、まあまあ気持ちがよかったです。
大粒の雨の降りしきる露天風呂も、なかなかなもの。
それから、フェリーの時間までかなりあるので、あちこちうろちょろ。
これまで、けっこう香川にうどんツアーに連れてきてもらっているのに、自力でいけるうどん屋がないことに気づきました。
やっぱり、買おう。
あの本(どの本?)。
20時のフェリーに乗って帰りました。
帰ってから………、仕事が待ち受けていました。
〆切、結局、間に合わなかったのよ〜(汗)
2005年09月03日(土) |
剣山、登ってきたよ。 |
四国の剣山に登りました。
1955メートルの日本百名山。
いつか行きたいなぁ、と思っていたときに、愛媛の友が「どこかに山登りしませんか」とメール。
すかさず「剣山」を提案。
すぐに、山行計画を立てて友に送ると、その速さにびっくりしていました。
そう、遊びの計画に関しては、早いのです。
いや、早すぎるのかも。
とにかく剣山。
雨の場合は想定していても、台風なんてまったく考えていない計画書を片手に、登ってきました。
初日は晴天で気持ちのいい山歩きでしたが、2日目は朝から雨。
だって、台風だもん。
交通の都合上、15時からの登り始めだったので、山頂ヒュッテに宿泊。
誰もいないかと思ったら、35名の団体がいてびっくり。
台風が来ていても、ツアーは出るみたいです。
山小屋素泊まり4300円。
食事は、自炊で夕飯はパスタとサラダを作りました。
せっかくだから外で食べよう♪と言いながら、友と山小屋より少し離れた頂上で夕飯を作りました。
寒くて手が凍えてきたけれど、でも、楽しい。
ふだんより近く見える飛行機雲を眺めながら、自然といっしょに夕飯。
ぜいたくこの上ない時間でした。
夜は早めにおやすみ。
あした、晴れていれば日の出を見に行く予定です。
さて、いよいよ切羽詰ってきました。
おやすみ……。
寝ていいのかっ。おいっ。
新学期です。
いえ、私はまったく関係ありません。
関係あるといえば、朝っぱらから近所の学校の放送が聞こえて、耳障りなことくらいでしょうか。
「始業式を始めます。1年生から順に体育館に行きなさい」
命令形の口調に、教師だな、と思います。
度重なる放送は耳障りだけど、ちょっと懐かしい。
おとなになってから、中学時代や高校時代の友が、どんどんと教師の道に進みました。
私も一時、教師の道に進みかけましたが、途中であきらめました。
先生も、ひとりの人間なんだな、と思いはじめたのは、つい最近のことです。
でも、生徒の前では「ひとりの人間」でいてはいけないような気もします。
ただ最近は、先生も「ひとりの人間」であることを主張する傾向にあるような気もします。
先生という職業。
校門を出ても、生徒が生徒であるように、先生も先生でい続けなければいけない。
ふと、きょうの放送の男性教師の声を聴きながら、そんなことを考えました。
職業意識があるなら、当然のことだとは思いますが。
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記