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2004年11月30日(火) |
雲仙から長崎。そして平戸。高速道路。 |
雲仙普賢岳。
近くで見れば見るほど、雄雄しい山でした。
普賢岳の噴火の様子を資料館のビデオで時系列に観ていきました。
リアルタイムでテレビでは観ていたものの、こうしてあらためて記録ビデオを見ると、噴火の恐ろしさと、被災者の感じた恐怖がよりいっそう濃いものとして伝わってきました。
「火山灰で夜よりも暗くなりました」
昨日の陶芸家の女性が言っていたことが、大げさではないことを知りました。
そんな普賢岳を背に、坂道を下りしばらく行くと長崎に着きました。
路面電車の走る街、長崎は、坂道とタクシーと、細い道路と、観光客。
そして教会。
どこかに車を停めてゆっくりしよう、と思ったけれど、あまりにも人が多いため、原爆資料館にのみ、立ち寄りました。
ここでも、戦争の悲惨さについて、原爆のおそろしさ、戦後の被害について、生々しい資料や写真から、再び戦争について考えました。
これだけ、おそろしい悲惨な体験をしているのに、どうして戦争は……。
知覧特攻平和館をあとにしたときと同じような気持ちになり、しばらくぼーっとしながら車を走らせました。
今日は、九州の西の端、平戸(ひらど)へ向かいます。
ぼーっとしていたためか、途中で道を何度も間違え、どうしようもなく高速道路にのり、無事に平戸ユースホステルへ到着。
きれいなきれいなユースホステルでした。
こんなところだったら、また来てもいいな。
2004年11月29日(月) |
途中であきらめた九重山、そして雲仙普賢岳 |
九重の山に登ろう。
昨日の夜、思いました。登山グッズはすべてそろっています。天気も快晴。登山日和です。
ただ、九重の山に関する資料を見つけることができず、一抹の不安。
ユースホステルのペアレントさんは、気軽に行けるところだ、と言ってはいたものの、山をあなどるべからず。
「牧の戸」の登山口で、これから山に登ろうとしている60歳くらいの男性に声をかけました。
「これから登るんですか?」
気さくに九重の山について教えてくれて、最後に、「ぼちぼちといっしょに登りますか」とのお誘い。
嬉しくて「はい!」と言ったものの、まだ何にも準備をしていなかったので、後で追いかける、ということになりました。
トレッキングシューズに履き買え、ザックを整理して九重に登り始めました。
登り始めは、急登でしたが、道が整備されているので、さくさくと登ることができました。
息を切らしながら、どんどん進んでいくと、私の苦手な岩場が出てきました。それでも、少し慣れてきたのか、けっこうすいすいと岩場を登っていきます。
岩場を登りきったところで一息ついたと同時に、弱いほうの右足に痛みを感じました。
うわっ、なんでまたこんなときに…と思いましたが、仕方がありません。
この先、進むかどうか迷いに迷ったすえ、戻ることにしました。
誰かといっしょなら、これしきの痛みは、不安を感じることなく登っていたのですが、やはり一人。
山登り初心者の私は、好奇心よりも、「もし、何かあったら…」という気持ちのほうが勝っていました。
降りる途中、いつの間にか追い越していた60歳代のおじさんとすれ違いました。もう一度、おじさんに着いて登ろうかと思いましたが、気持ちはもう降りる方向へ向かっていました。
車に着いて、トレッキングシューズを脱いで、しばらく車で足のマッサージをしながら、今回の旅について考えました。
「北海道が一周できるんだったら、九州だって一周できる」
そんなことから、九州の旅を計画しはじめたことを思い出しました。
山は、また違うときにくればいいか。
そう思うと気持ちが軽くなりました。
温泉「竹ふえ」で、「山登り」の疲れを癒し、再び九州一周の旅を始めました。
まだ正午前。
阿蘇から熊本まで2時間ほどなので、先日、渡れなかった島原に渡ることにしました。
熊本からフェリーに乗って、阿蘇に着いたのが15時くらい。
そのまま、雲仙普賢岳で宿を取りました。
雲仙焼きという窯元を尋ねて、そこで焼き物についていろいろと聞きました。
ホテルの温泉に入り、豪華なベッドですやすやと眠りました。
おやすみなさいませ。
2004年11月28日(日) |
別府堪能。フェリーの見送り |
まず、泥湯に入りました。
泥湯、初めてです。
1時間に一回、泥をかきまぜてくれます。
そして静かに静かに入り、熱くなったら静かに上がって、ベンチで泥を乾かします。
泥が乾いたら、また静かに湯船に入ります。
そして乾かす。
この繰り返しでした。
毎週通ってきているという福岡の女性が、入り方を懇切丁寧に教えてくれます。
こうして、常連の人がいろいろと教えてくれるので、けっこう楽しく入ることができました。
もちろん、体も髪の毛も洗えませんが、体が芯からぽっかぽか。
ぽかぽかしたまま、昼食の地鶏屋さんに向かいました。
知る人ぞ知る地鶏屋さん。
私は肉が苦手なので、やまめを食べました。
おいしかった。
そして、これまた隠れた湯「塚原温泉」でもう1湯。
酸味のあるつるつる温泉。
温泉の沸き出る山を散策したあと、別府に戻ってこれまた「堀田温泉」。
あぁ、もう体がふやけまくり。
気分もふにゃふにゃ。
極めつけが夕飯の回転寿司。
いつも2人で分けながら食べて4〜5皿なのに、きょうはあまりにもおいしくて10皿も食べてしまいました。
そして、再び別府港。
19時半発のフェリーに乗り込み、大阪に帰る友たちを見送ります。
フェリーでの見送りは、小樽の港で慣れているけれど、夜の港は初めてです。
大声で「行ってらっしゃい」と叫ぶと、「行ってきまーす」の声が返ってきました。
歌でも歌おうかと思ったけれど、ギターがないのでやめました(笑)。
遠くなる友の影にいつまでも手を振ります。
頭のなかには、もう歌われなくなった歌が、自然とメロディを奏でていました。
「♪君の出会った旅人は、ステキな奴だったかい?」
そんな歌詞を思い出しながら、今日も別府ユースホステルに泊まりました。
明日から、また一人旅の再開です。
昨日の大雨はすっかり上がって、今朝はカラリと晴れた青い空。
早朝に起きて、昨日は視界ゼロに近かった阿蘇の大観望を訪れました。
少しガスはまだ残っていたけれど、谷の町がうっすらと見えて、これはこれでキレイでした。
それから、再び別府港へ戻ります。
昨日と同じく10時20分。
昨日と同じくがやがやとフェリーから乗客が降りてくるなか、またまた友の笑顔を見つけました。
そして今日は3人旅。
旅先で友を迎えるというのが久々で、懐かしい気持ちになりました。
由布院で由布岳を見ながら、温泉につかり、軽井沢銀座に似た雰囲気の由布院の町を散策。
人の多さと道の狭さには閉口したけれど、由布岳のすばらしさと温泉の気持ちよさに満足。
1日たっぷり遊んだあとは、またまた別府。
今日の宿は別府ユースホステルです。
ペアレントさんに教えてもらった近所の居酒屋でお酒と刺身を堪能して宿に帰りました。
宿では、またまた3人の仲間と合流。
計6人となった私の旅。
さて、明日はどこに行くのかな。
自分で予定を決めない、というのは、けっこう楽だなぁ、と思いながら、ぐっすりと眠りました。
かぼすチュウハイ、おいしかった!
2004年11月26日(金) |
大雨の阿蘇。一人旅はしばしお休み |
阿蘇の朝は、少しうす曇でした。
でも、青い空もところどころに見え、過ごしやすい1日になるのかな、という印象でした。
九重の山々を眺めながらやまなみハイウエイを通り、目の前に迫る由布岳に見とれながら、別府港に到着。
10時20分に、神戸からやってきた「さんふらわあ」が港に着岸しました。
週末とあって、たくさんの人ががやがやと降りてくるなか、友の笑顔を見つけました。
今日から一人旅はしばらくお休みです。
九州はあまり訪れたことがない、という友。
「やっぱり、まずは阿蘇でしょう」と言って、再び阿蘇に車を走らせます。
途中から、大雨、濃霧に襲われながら、黒川温泉近辺のおいしいお蕎麦屋さんで昼食を取り、小国(おぐに)の喫茶店「りんごの樹」でコーヒーと名物アップルパイ。
そして、九州に住む友のおすすめの温泉「竹ふえ」と、黒川温泉の「いこいの湯」。
夕飯に、高菜ごはんと天ぷらを食べて、それから今夜も瀬の本ユースホステルで宿をとりました。
車を運転するのも怖いくらいの大雨の1日だったけれど、雨の日に合った阿蘇めぐりができました。
でも、明日は晴れてほしいなぁ…。
ゆっくり寝よう…と思いつつ、つい習慣で早く起きてしまいました。
ホテルの朝ごはんを済ませて、9時出発。
明日の朝は別府で用事があります。
最初は、長崎あたりに泊まって、早朝に別府に向けて高速道路を飛ばそうかと思っていましたが、島原に渡ることができなかったため、予定が狂いました。
高速道路代ももったいないし、適当な場所にユースホステルもないし…、ということで、今日は阿蘇近辺まで戻ることにしました。
熊本市内の大渋滞を抜けて、大津(おおず)市から阿蘇のミルクロードに入ります。
阿蘇に来るのは2回目ですが、やはり人に連れてきてもらうのと、自分で道を探してたどり着くのとは、印象が違います。
阿蘇の頂上は、すすきがいっぱいの大草原でした。
阿蘇の大きさにあらためて感動したあと、今日の宿、瀬の本ユースホステルへ。
車で10分ほどの黒川温泉に行き、「いこいの湯」(500円)にちゃぽん。
立ち湯で足と腰の疲れを癒し、気分も体もリフレッシュ。
宿に戻って、ペアレント(オーナー)さんといっしょに小一時間ほどテレビを観ながら語り合い、それから部屋に戻って早めに寝ました。
ちょっと運転に疲れてきたかな。
「神様は、ホントにここにいたのかも」
そんなことを思わせるような雲海を見ました。
高千穂の国見が丘まで、ユースホステルから約10キロ。
昨晩、同宿した仲間と1台の車に乗り込んで、見に行きました。
秋から初冬にかけてしか見られない雲海。
ただ、ただ、静かにじっと、見つめていました。
この高台から、地上に向けて稲穂を巻き、稲作を教えたいう神々。
それゆえに「高千穂」という地名が着いた、と聞きました。
どこからともなく、高千穂に古くから伝わる民謡「刈干切(かりぼしきり)唄」が聞こえてきます。
ホントに、静かな気持ちになれた朝でした。
宿に戻って、朝食。それから身支度を整えて出発です。
もう1泊しようかどうか迷ったけれど、やはり先を急ぐことにしました。
目指すは、島原。
島原は、辞めた会社の後輩が、年に一度、家族で里帰りをする場所です。
彼女のメールに、「とてもよいところ」というのはわかりましたが、どんなところか見てみよう、と思い、目標を定めました。
車を走らせしばらくすると、「椎葉(しいば)」という地名が見えました。
いつの間にか、椎葉方面に車を走らせていました。
細い細いぐにゃぐにゃ道。
対向車が来たら、ひと汗かきながら、道を譲り合います。
着いた先は、人里離れすぎた椎葉。
平家の落人が住みついた里。
そして、その落人を見守った那須与一の弟。
ひっそりとした山里の面影を十分に残した村でした。
木に登って、柚子を落としている家がありました。
その香りから、この里の歴史を想像している私に気づいた人が、2つの柚子を私に差し出しました。
「持っていくと。車に置いておくと。いい香りがするとよ」
それから、しばらく木に登っている人と、下で受け取る人たちと、私とで、おしゃべりタイム。
熊本までの道のりを聞いて、気を取り直して熊本へ向かいます。
これまた、途中、いろいろと寄り道をしながら、天草の三角港に向かいました。
ただ、寄り道が多かったため、予定の船に乗れず。
最初に泊まるはずだったユースも、とある理由でキャンセルして、今日は、天草市内のビジネスホテル泊。
久々のビジネスホテルは、出張によく行っていたときを思い出して、なかなかいいものでした。
明日はゆっくり寝ようかなぁ。
2004年11月23日(火) |
神話の里、高千穂。夜神楽を見る |
8時。
3日間もお世話になった友の家を出発しました。
まだ眠そうな友と、華奢(きゃしゃ)なおばあちゃんに見送られて、小林を後にしました。
「行ってきます」と車の中から叫んだら、「行ってらっしゃい」と返ってきました。
うれしい気持ちが心のなかいっぱいにあふれます。
さて、きょうから一人旅。
今回の旅の目的である「高千穂」まで行きます。
なぜ高千穂なのかは、さておき、10号線をひたすら北上し、日向(ひゅうが)に到着。
海岸沿いを走り、神武天皇が東征に出航した港のある美々津の保存地区を通り、海を眺めながら少し休憩。
それから、牧水記念館に向かいました。
歌人・若山牧水は、私が生まれて初めて「短歌」に感動した石川啄木の最期を看取った人です。
旅と酒を愛した牧水。
その息子の名は「旅人(たびと)」というそうです。
「ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり」
尾鈴山を見ながら詠んだ有名な歌です。
彼の生涯のエピソードに、牧水という歌人をもっと知りたくなりました。
館長さんといっしょに、牧水と啄木について、ほんの少しお話をしたあと、高千穂へ向かいました。
車1台がやっと通るくねくね道をゆっくりゆっくり走りながら、今日の宿「高千穂ユースホステル」に到着しました。
今日は、勤労感謝の日。昔で言えば収穫を神様に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」。
高千穂神社では、年に一度の夜神楽が開催されていました。
ユースで知り合った考古学が好きな小学校の先生親子に連れられて、高千穂名物の夜神楽見物。
天照大神(アマテラスオオミカミ)が素戔嗚尊(スサノオノミコト)の乱暴な振る舞いに怒り、天の岩戸に隠れた際に、天鈿女命(アメノウズメノミコ)が岩戸の前で面白く舞ったのが始まりと言われています。
毎年11月〜2月にかけて、各集落で神楽が行われるとか。
高千穂では、11月22〜23日の夜に行われているようです。
獅子舞が、夜通しで集落の一軒一軒の家を、お布施をもらいに回るそうです。
「よく来たよく来た」ということで、かなり飲まされるとか。
お酒の弱い人は、すべての家を回ることができず、どこぞで眠りこけてしまう人もあるとか。
でも、みんなが楽しみにしている祭りなんだな、と地元民の話を楽しく聞きました。
22時半ころに終わってユースで戻り、少しのおしゃべりをして、消灯。
今日もいい1日でした。
おやすみ。
2004年11月22日(月) |
霧島連山縦走。快晴の一日。 |
眠い目をこすりながら、友とふたり、各自の車に乗り込みます。
1台は高千穂河原へ、もう1台はえびの高原に車を駐車。
途中のコンビニエンスストアで、昼食と飲み物を買って、ビジターセンターでほんの少しの情報を仕入れて、出発。
えびの高原から韓国岳(からくにだけ)、獅子戸岳、新燃岳、中岳のピークを通り、高千穂河原まで歩きました。
いわゆる「霧島連山縦走」です。
ひとりで登山は、まだまだ不安だらけの私。
友が着いてきてくれたので、縦走を決心できました。
最初の韓国岳の登りがきつかったけれど、あとはほとんど下りの登山道。
大きな霜柱が、太陽が上がっていくにつれてじょじょに溶け初め、道はどんどんぬかるみます。
トレッキングシューズを履いていてもつるつる滑り、ガレ場はとくに危険です。
スニーカーを履いていた友は、私以上に怖かったでしょう。
「ゆっくりゆっくり」
怖がる友をそう励ましながらも、私自身も下りのガレ場が苦手なため、なかなか余裕がありません。
日が落ちてから、ようやく高千穂河原に到着しました。
ふぅ。
「私は山登りには向いていません」
とまで、友に言わせてしまったことに、もう少し下調べしておけばよかった、と反省。
でも、稜線を歩いているときに「こんな景色、初めて見ました」と言った友の言葉が、なんとなくうれしくて。
もっともっと、いろんな景色や場所をいっぱい見せてあげたい、と思いました。
頂上で食べた恒例の塩ラーメンがおいしかったこと。
初めて見た「火口」は、とても大きかったこと。
山の稜線から友のおばあちゃんに手を降ったこと。
帰りに入った霧島温泉がとても気持ちよかったこと。
夕食に入ったパスタ屋のアルデンテが、ちょっと固めだったこと。
今日のことは、私にとってとてもとてもステキな思い出になるんだろうな、とそんなことを考えながら、ビール1缶でぐっすりと寝てしましました。
明日は、絶対に筋肉痛です。
おやすみ。
2004年11月21日(日) |
知覧。戦争について、自分の生き方について考える |
あれ?
という感じで目が覚めました。
さっきまで、おしゃべりしていたのに、いつの間に?
いつ寝たのかもわからないけれど、もう朝でした。
う〜ん、眠いっす。
ギリギリの時間で朝ごはんを食べて、それから身支度を整えて、出発。
まずは、池田湖に向かいます。
池田湖のイッシーとそうめん流し。
そうめん流しは、朝食後で満腹のため、食べられず。
イッシーは、湖の底深くもぐっていたため、拝見できず。
でも、満足して次の目的地、知覧(ちらん)に向かいました。
知覧特攻平和館。
あまりにも衝撃的すぎる事実が、そこにありました。
「ひめゆり」とも「原爆」とも違う「戦争」の歴史が、そこにありました。
多くは語らず。
いえ。語れず。
「彼ら」の生きた証に、何度も胸が詰まりました。
二十歳前後で、何かを、誰かを命を賭けて守ろうとした彼ら。
そういう時代だったとはいえ、今の自分の幼さが恥ずかしくなりました。
戦争って、なんで、なくならないんですか?
って、陳腐な質問なんでしょうか。
海に出て、桜島までフェリーで渡り、ガソリンがなくなりそう〜っと焦りながらも、桜島の温泉に入り、ギリギリになってガソリンを入れて、都城経由で帰りました。
ごはんを食べて、友とおばあちゃんと3人でコタツでうたた寝。
それから、ふとんに入ってぐっすり眠りました。
おやすみ。
2004年11月20日(土) |
宮崎上陸! 指宿温泉で海と梅酒。 |
朝ごはんは、海苔に包まれたおにぎりでした。
このおにぎりを食べるのは、何度目でしょう。
おにぎりの入っていた折箱に、あたたかいメッセージが書いてありました。
あたたかいあたたかい気持ちがたくさん詰まったおにぎりをほおばりながら、着岸を待ちました。
車に乗り込み、フェリーを降りると、まぶしいくらいの青い空をバックに、高くそびえるフェニックス。
これが、宮崎で最初に見た風景です。
イッキに大阪の空気が吹き飛びました。
まず、宮崎にいる友の家を目指します。
宮崎のコンビニエンスストアで買った大きすぎる地図と、教えてもらった住所をたよりに近所まで来たものの、家の入り口がまったくわかりません。
友に電話して、国道まで出てきてもらいました。
予定よりも30分ほど遅れて到着。
想像していた以上に「都会的なお住まい」でした(笑)。
友の車に乗り換えて、今度は二人旅です。
小林市から霧島の山の道を抜けて海に出て、薩摩半島の東南、指宿温泉(いぶすきおんせん)で宿を取りました。
本当は、途中でいろいろと寄り道をして…と思っていたのですが、九州、あなどるべからず。
地図では読み取れない広さに、予定が狂いました。
それでも、指宿でのんびり食事、ゆったり温泉。
そして、梅酒と芋焼酎のロックで飲みながら、夜通しになるかと思われたおしゃべりに、とてもとても楽しい楽しい九州1日目が更けていきました。
中学校からの友の出産祝いに駆けつけました。
次男誕生です。
3年前に生まれた長男は、病気で亡くなりました。
それから、ずいぶんと苦しい気持ちが友とその夫を襲いましたが、それでも、ふたりでいっしょに乗り切ってきました。
もしかしたら、もう二度と子どもはつくらないかもしれない。
そんなふうにも思ったことがありましたが、4900グラムの元気過ぎる赤ちゃんを産んでくれました。
「誰にも似ていないけれど、面影が長男にそっくりやわ」
そう言って微笑む友。
「出産、おめでとう」という言葉よりも、「おつかれさん」の言葉を友に贈りました。
病弱だった「おにいちゃん」のぶんまで、健やかに育ってくれることを、ただ、ただ願います。
そんな思いを胸に19時半。
大阪かもめフェリーターミナルから、船が出ました。
久々に甲板から、遠くなる港を見つめます。
どんどん、どんどん遠くなる埠頭。
夜景を見送るのも、いいかもね。
そんな独り言をつぶやきながら、さて、これから旅の始まりです。
きょうも、おしまい。
さぼりすぎ?
東海道自然歩道の旅、3日目でした。
いえ、ホントは、違う企画だったのですが、コースが東海道自然歩道と同じだったので、3日目になりました。
一人旅が好きな私ですが、もう十分に一人旅は満喫しています。
だから、今は、「人」と旅をする楽しさ、も満喫しようと思っています。
もちろん、「人」と旅をするのは、ときどき難しいこともあります。
でも、あたたかいことも、いっぱいです。
山歩きは、ひとりでは行ってはいけない、と思っています。
そう思ったきっかけは、山歩き以外のときに思いました。
とにかく、どこかに何かが待っている、というようにしていないと、糸の切れた凧は、どこに行くかわからない、ってこと。
東海自然歩道。
いろんな人生を思い起こしますね。
おおげさ、ですが、ね。
つ、つかれた……。
昨日は、18歳になった友の誕生日でした。
受験生です。
がんばれ!
16歳になってから、祖母との二人暮しが始まりました。
いくら近所に住んでいて、しょっちゅう会っていたとはいえ、かなりぎくしゃくした生活でした。
いつもイライラして、口を開けば八つ当たり。
口をきくこともあまりなく、いらいら、いらいら。
生活パターンが違いすぎたこともあるけれど、今までの生活が、もう戻ってこない、ということに、いらいらしていたのだと、今は思います。
祖母との暮らしに慣れるまで、約3年。
慣れたかな、と思うころ、私は進学のため東京に行きました。
祖母と暮らした家を出る日。
冷たすぎる春雨が降っていました。
祖母とちょっとした口げんかをしたまま、家を出た私。
曲がり角で、ふと振り返ると、小さくなった祖母がまだ玄関に立って私を見送っていました。
大きく手をひとふり。
祖母も右手を挙げてひとふり。
あふれでる涙を、もう止めることもなく、祖母に「ありがとう、ありがとう」を心のなかで繰り返しました。
いつの間にか、「家族」になっていた祖母。
今は、老人ホームにいる祖母に、私はなかなか会いにいけません。
かなり痴呆が進んでいるため、娘たちの顔をみてもわからないそうです。
私は…?
なんだかショックを受けるのが怖くて、ここ数年、会いに行けません。
今月、誕生日を迎える祖母。
一度、会いに行ってみようか、と思います。
なんといっても、「家族」ですもんね。
記事、書けない。
難しい。
逃げたい。
眠りたい。
おやすみ。
麺類が好きです。
麺類のなかでも、パスタが好きです。
その次に蕎麦、うどん。
そうめんは、夏場は好きですが、冬場はあまり食べません。
そうめんチャンプルにすると、冬場でも食べます。
ごはんよりも、麺類党の私。
毎日、食べても飽きません。
きょうは、納豆蕎麦を作りました。
実は昨日も作って、今日も食べました。
自分でも、我ながら麺好きだなぁ〜、とぼんやり考えていたときに思い出した友がひとり。
2つ目の会社でいっしょだった同僚です。
蕎麦好き、とか、パスタ好き、とかいう人は、たくさんいるけれど、麺類全般が好きな人は、あまりいません。
その同僚は、毎日麺類を食べても平気…というより、私と同じく毎日麺類を食べていたい人でした。
約束をしているわけではないけれど、時間が合えば2人でよくランチにラーメンやパスタを食べに行きました。
いろんな話をして、いっぱい笑いながら食べるランチ。
とてもとても楽しかったのを覚えています。
互いに会社を辞めてからも、連絡を取りあっている彼女。
今は、2児の母となって、外食なんてとんでもない、なんて状況かもしれませんが、またいつか、いっしょにランチを食べて、なんでもない話で笑い転げる日が来るのを、待っています。
やっぱり、そのときのランチは、パスタかな?
サボるよー。
取材記事をずっと書いていました。
忙しいので、しばらくサボり日記が続きます。
今日も、第九の練習に行ってきました。
楽しい2時間でした。
歌うって、気分がすっきりします。
そのあとのビールも、もちろんおいしい。
という1日でした。
おやすみ。
今週は、忙しい。
仕事でよくあちこちに行きます。
フリーになってからは、出張はほとんどなくなりましたが、会社員時代は、全国各地を飛び回っていました。
いちばん行きたかった北海道出張の夢(?)は、かないませんでしたが、岩手や熊本、徳島、山口は、けっこう楽しい出張の思い出があります。
いちばんつらかったのが、宇都宮。
いや、宇都宮自体は、ごく普通の地方都市なのですが、訪れた時期が悪かったのです。
3月中旬の快晴の宇都宮。
宇都宮といえば、ギョーザ……ではなく、東照宮で有名な日光のスギ花粉が直接、舞い降りてくるところ。
もう1年分のくしゃみをその3日間の出張でしたように思います。
ただ、花粉症は、宇都宮が原因ではなくて、東京の誇りだらけの空気が原因とみています。
現に、大阪に越してきてからは、花粉症がずいぶんと和らぎました。
もう同じ目にはあうまいと、3〜4月にかけての東京出張は何があっても行かなくなりました。
しかし、出張。
総じて、楽しい思い出ばかり、です。
「うどんの会をしよう」
「しようしよう」
いつも「おいしい会」は、そんな感じで突然に決まります。
きょうは「讃岐うどん」と「鮭のちゃんちゃん焼き」の会。
徳島に住んでいた友が、「讃岐うどん」を買ってきてくれて、そして鮭は北海道から送られてきました。
おいしい、おいしい。
おのずと口からこぼれる言葉は、とてもシンプルです。
おいしい、って、シアワセの代名詞なのかもしれません。
そのシアワセを助長しているのは、この個性あふれる仲間たちだということも、忘れてはいけません。
笑いのたえない夜に。
かんぱい!
2004年11月05日(金) |
なんのへんてつもない金曜日 |
1日のオワリは、長かった。
おやすみ。
最近、山歩きをすると、ときどきマウンテンバイクの集団に会います。
かなりきつそうに、自転車をかついで山道を登り、とても楽しそうに林道を下っていきます。
ただ、かなり細い自然歩道の急な下り坂を、警笛もならさずに猛スピードで真横を通り過ぎていくのには、閉口です。
もし、私がふらりと左右に歩いていたら…と思うと、怖くなることもしばしば。
下り坂のスピードの楽しさはわかるけれど、もすこしスピードをゆるめてほしいと思います。
というか、ここ、歩道だし!
なーんて、ついこのあいだ、いやーな気分になっていた私。
きょう、自転車に乗りました。
自転車といっても、ミニサイクルです。
前方からカップルが並んでやってきます。
私とすれ違うときも、並んだまま。
こんな狭い道なんだから、せめてすれ違うときだけでも前後に歩いてほしい……、と思った瞬間。
先日の山歩きで猛スピードで追い越してきたマウンテンバイクを思い出しました。
「譲り合い、なんだな」
どんな道でも、譲り合う気持ちがあるだけで、腹を立てずにすみます。
きょう、すれ違ったカップルとも、私がすれちがうときに、ペダルから足を離してゆっくりすれ違うとかしていれば、おそらくカップルのほうも、少しは道をあけてくれたのかもしれない。
このあいだのマウンテンバイクも、警笛を鳴らすなど隣を通るというアピールをしてくれれば、怖い思いをせず道を譲ることはできたのかもしれない。
譲り合う。
とても簡単なことなのに、なかなかできません。
ジャズの生演奏を聴いたのは、26歳くらいのときだったでしょうか。
友に連れられて行った六本木の「ピットイン」。
奏者と友が知り合いだったため、「身内」の席に座らせてもらいました。
身内同士の歓談のあと、演奏が始まります。
それまで、お酒を飲みながら、笑い話をたくさんしていたのに、いざスポットライトを浴びると、今までとぜんぜん違うドラマーの姿がそこにありました。
そして、演奏。
ジャズを知らない私の耳に入ってきた曲は、「枯葉」でした。
「夏でも『枯葉』を弾くのよ」
と、そこにいた「身内」のひとりが耳打ちしてくれました。
それがとてもうれしくて。
その日から、ひとりで六本木にジャズを聴きに行くようになりました。
今も、「枯葉」を聴くと、当時のことを思い出します。
ただ、当時の私は、ジャズを聴きに行く、というよりも、「六本木にジャズを聴きに行く」というシチュエーションに酔っていた感も、ややあります。
ただ、あのとき、ジャズに出会っていて、よかったな、と、きょう、ジャズを聴きながら思いました。
おやすみ。
ピアノを習っていたため、楽譜は読めます。
楽譜を見て、メロディーは頭のなかで流れます。
ピアノを習っていた当時は、歌謡曲くらいなら楽譜を見れば弾けていましたが、今は、指が追いつかなくてぜんぜん無理です。
初見の楽譜でも、音符を見ながら歌うことは可能です。
可能ですが………。
いざ歌うとなると、音痴のため違う歌になってしまいます。
この「音痴」にずいぶんと苦しい学生時代を送りました(汗)
きょうは、久々に音符を追いながら歌を歌いました。
大勢で大合唱なので、少々、間違っていても大丈夫。
数年前は、自分の声にも音程にも自信がもてなくて、大合唱でも小さな小さな声で歌っていましたが、最近は、ふつうに歌えるようになりました。
「あの声がうらやましい」
去年の今ごろ、今は宮崎にいる友が言ってくれました。
そのときからでしょうか。
「歌っていいんだ」
って、思うようになったのは。
いまだに自信はないけれど、そのときから少し歌うのが、楽になりました。
おやすみ。
おやすみ。
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