紫
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「雪が見たい」
暖かい12月に、ふとそんなことを思いました。
とくにウインタースポーツをするわけでもないけれど、やはり雪を見ると、なぜかわくわくします。
ツンと澄ました空気のなか、深々とした雪のなかを、キュッキュッと音を立てて歩くときの、あのぜいたくな気持ちがなんともいえません。
どこかの北国で、年越しでもしようかと思ったりもしたけれど、ここ数年の年末年始の「恒例行事」もあり、なんとなく正月は実家で、という気持ちもあり、で、今年も静かに正月を迎えようと思いました。
ただ、やはり「雪を見たい」という気持ちは抑えられません。
白い息をはきながら、ときどき空を見上げてとめどなく降り注ぐ雪や、海に降り積もうとしては溶ける雪を眺めたり。
雪国に育ったわけではないけれど、雪をふみしめるあの感触を知ってからは、よりいっそう雪への憧れが強くなったように感じます。
今年は暖冬。
雪は、どこか遠くに行かないと、見られないかな、なんて思っていたその朝。
しとしとと冷たい雨が、朝から降りしきっていたかと思うと、いつの間にやら雨の音が消えていました。
やっと雨がやんだのか、と思い外を見ると、なんと大きな雪がまさにコンコンと降っていました。
「あ…」
と思い、久々に感じた「わくわく」。
この気持ちを誰かに知らせたい、と数人の友にメールを打ちました。
雪はまたいつの間にか音を立てて降る雨に変わっていたけれど、なんとなくちょっと遅れてきたクリスマスプレゼントのような、そんな私の大晦日。
今年も残りわずかな時間となってしまいましたが、みなさま、来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
今年は、年賀状は出しません。
「小さな忘年会」をしてきました。
「忘年会」と名がつくものは、今年2回目。
会社にいたころは、12月下旬になると毎日、どこかの忘年会に呼ばれていたので、もう今ごろは肝臓が疲れていましたが、会社を辞めてからはそんなことはありません。
でも、あんまりなさすぎるのも寂しいなぁ、ということで、友を誘って「小さな忘年会」をしてきました。
ただ、集まったメンバーはよく考えると、お酒を飲まない人たちばかり。
みんなジュースで私だけお酒というのも、なんだか寂しいので、最近、関心を持ち始めた「梅酒」の店に行きました。
これなら、なんとか飲んでくれるかも?
ということで、探して見つけたのが、阪急梅田にある「PLUM」という店。
50種類くらいの梅酒が置いてあり、料理もまあまあおいしい。
ただ、人気がある店らしく、17時半オープンのはずなのに、17時40分に行って、もうテーブル席は予約で満席でした。
でも、せっかくなのでカウンターに3人で座って「小さな忘年会」を開始。
各自好きな梅酒を飲みながら、今年の反省から来年の抱負をおもしろおかしく語って、楽しいひとときでした。
その店は、20時までに出ると、会計が20%オフになるということだったので、19時50分にその店を出ましたが、忘年会、といえば、二次会がつきもの。
ただ、もう2人はアルコールは飲めません。飲めないけれど、甘いものは食べられるということだったので、喫茶店で私はビール、2人は紅茶とケーキで二次会突入!
一次会よりも、さらにパワーアップして、飲んでしゃべって大笑いした二次会となりました。
一年のオワリに、大笑いしたとても楽しい「小さな忘年会」。
おかげで、いい歳の瀬を過ごせそうです。
おやすみ。
学生時代の今ごろは、冬休みには毎年帰省をしていました。
早めに指定席を取ればいいのですが、なにしろビンボー学生。
新幹線で帰るだけでもぜいたくなのに、さらに500円も払って指定席は取れません。
でも、座って帰りたい。
ということで、私がとった手段は、始発の新幹線に並ぶこと、でした。
ただ、始発の新幹線は競争率が高く、会社員でも東京駅近辺のホテルに前日から泊まり、6時の始発よりも1時間ほど前から改札で並んでいるほどでした。
そんな始発に私は乗れるわけもなく、乗る根性もありません。
でも、がんばって6時に始発に並ぼうとしていると、ふと、隣のホームが目に入りました。
6時17分発の2番目の新幹線。
まだ人もまばらで、余裕で座れそうです。
たった17分の違いなら…と、その年から2番目の便に並び始めました。
デパートでも、開店前は人が並ぶように、新幹線も始発はかなりの混雑。でも2番目の新幹線は、楽勝で座れます。
今はもう「帰省」をすることはありませんが、今の時期になると必ず思い出す「思い出」のひとつです。
といっても、もう、始発の新幹線に乗ることってないかもしれませんね。
確か、私が「自動二輪中型限定」という免許を取得したときは、免許の条件のところに、「自動二輪中型限定」などという文字が書かれていたような気がするのですが、記憶違いでしょうか。
昔から、中型限定免許のことを、「普通自動二輪」と呼んでいたのでしょうか。
ふと、そんなどうでもいい疑問が頭をかすめました。
そう、どうでもいいことなのです。
今日、とある理由で、免許を更新しました。
新しくなった免許は、やはりブルーだったし、有効期限が延びたわけではないけれど、うれしい一瞬でした。
今日のこの気持ちを大事にしていきたいと思います。
今日の「うれしい気持ち」と「ちょっとさびしい気持ち」は、ずっと忘れないようにしないと。
つきなみですが、メリークリスマス!
2004年12月24日(金) |
2004年のクリスマスイブ |
きょうは、忙しかったけれど。
クリスマスイブだけど。
なんだか充実した1日でした。
みなさん、どうもありがとう。
2004年12月23日(木) |
バースデーパーティー |
何度か予定変更の連絡があり、22時近くになってから、やっと「始まったよ〜」のメールが入りました。
それから、タクシーを飛ばして会場に駆けつけると、もうすぐ誕生日を迎える友が、歌っているところでした。
1年ぶりに来るカラオケボックス。
カラオケ嫌いで知られている私がいきなり部屋に入ったため、友はかなり驚いていました。
「きゃー、偶然〜♪」というわかりきった嘘を言って、そのあと、バースデーソングが流れました。
「あぁ、やっぱりな」という感じの友に向けて、みんなで「おめでとう」を浴びせました。
ちょっと恥ずかしそうで、でもとてもうれしそうに「ありがとう」を繰り返す友。
あぁ、これこれ。この笑顔。
この「うれしい顔」が見たかったんだな。
そのあと、みんなが1曲ずつ、友に歌のプレゼント。
私も1年ぶりに、マイクを持って歌いました。
今日の午後、頭を悩ませながらも選んだ歌に、ささやかながら自分の「贈る言葉」を盛り込みました。
とてもとても、いい1日でした。
最初、誘われたときは、「私が行ってもいいのかな。場違いじゃないかな」なーんて、珍しく消極的に思ったこともあったけれど、「おめでとう」と「ありがとう」の気持ちがいっぱいのなかに私も参加できてよかったな、と思いながら、ぐっすりと眠りにつきました。
おやすみ。
とてもやさしくてあたたかい演奏を聴きました。
ピアノとベースと、リードギターとドラム。
当初の予定では、そこにボーカルが加わるはずだったけれど、ボーカルの彼女は喉を痛めてしまい、やむをえず客席のほうに。
それをカバーするかのように、残されたバンドメンバーが、せいいっぱい演奏をしてくれました。
けっして完璧とはいえないけれど、でも、一生懸命さが全身に伝わってきて、それが感動を呼び、体が何度もぞくぞくとしました。
音楽での感動の伝え方って、いろいろあると思います。
奏者の技術がすばらしくて感動することもありますが、それよりも、奏者が何を伝えたいか、によって、人は音楽に心を打たれるのだろう、と思います。
今日は、ボーカルの彼女の口惜しい気持ちを十分に理解している仲間が、緊張しながらも楽しんで「音楽」を聴かせてくれました。
彼女のためだけではありません。
客席にいる人たちが楽しんで聴けるように、親しみやすい曲目を準備してくれたり、興味深い話を曲と曲とのあいだにしてくれたり。
そんな行為のすべてが「感動」につながりました。
次回の演奏は25日。
クリスマスの日にまた、彼らの演奏が聴けます。
25日もまだボーカルの彼女は歌えないようですが、いつか、ボーカルが入ったバンド演奏を聴ける日が来るのを期待して。
おやすみ。
先日、コーヒーメーカーを買いました。
近所の大手スーパーで約800円。
ホントに使えるのかな、と半信半疑で買ってきたのですが、これがまたシンプルでとても使いやすく、ひいた豆と水を入れてなんと1分でコーヒーができあがります。
これまでは、朝、やかんにお湯を沸かして、豆をひいて、サーバーとドリッパーとフィルターを準備して、とぽとぽと沸騰したお湯をゆっくり、ゆっくりと注ぎながら、コーヒーをおとしていっていました。
これが、時間があるときは、楽しいひとときなのですが、疲れているときや時間がないときは、なんとなく面倒。
そんなこんなで、だんだんとコーヒーを飲まなくなってきていました。
コーヒーを飲むことよりも、コーヒーをいれるという動作自体が、あんなに大好きだったのに…。
それでも、最近はようやく冬らしい気候になるにつれて、だんだんと体がコーヒーを欲してきたため、コーヒー用のポットを買おうと出かけていった先に、安いコーヒーメーカーを見つけてしまった、というわけです。
最初は、使い勝手が悪い、なんて思っていたけれど、だんだんと慣れてくるとかわいい1品。
自分でもっていたつもりのコーヒーへの「こだわり」も、イッキになくなりました。
何かに「こだわ」るって大事なこともあるけれど、捨ててしまえば、とても気分が楽になることもあります。
だけど、「未来の自分」へのこだわりは、まだ捨ててはいけない、と思いました。
来年こそ、がんばるぞ!
つい先日。
めがねを作りました。
もちろん、近視用です。
今まで使っていためがねは、フレームが曲がってきていて、使い心地がきわめて悪く、しかも、8年前に作っためがねなので、度がかなり合わなくなってきていました。
2年ほど前に、「角膜真菌」という眼の病気になり、しばらくコンタクトレンズを使用できなかった期間があります。
そのときに、「新しいめがねを作ろう!」と決心してから、なぜか2年後の今ごろ、ようやくめがね屋へ足を運んだという次第。
いや、もう眼はすっかり治ってはいるんだけど。
でも、やっぱり一度、決めたことだから…ということで、今、新しいめがねをかけながら、いろいろと仕事やインターネットをしています。
新しいめがねは、以前と比べてフレームが細く、まだ違和感がありますが、すぐに慣れるのでしょう。
「あ、たら〜しぃ〜、わた、し〜」って感じ。
今度こそ、めがねをふとんの下敷きになどしないように気をつけなければ…。
ぺしゃんこになるし…ね。
2004年12月19日(日) |
1日の終わりに思ったこと |
できない約束は、しない。
おやすみ。
12月ももう下旬に入りました。
この時期になると、おそろしくイヤだったことを思い出します。
今もまだ、その「恐怖」から抜けきれないでいます。
ずっと、ついてくるのかな。
それならそれで、いいけど。
「恐怖」からは抜けきれていないけれど、逃げることはぜったい、いやだ。
と思っています。
おやすみ。
水曜の昼。
小一時間ほどの間に、父の携帯から4回ほど着信履歴がありました。父から私に電話をかけるなんて、1年に1度、あるかないかです。しかも、留守番電話に残されたメッセージは「電話、して!」とかなり急いでいる様子。
もしや、老人ホームにいる祖母に何か異変が…?
いや、それなら母から電話があるはず。
その母からの電話は一本もないとすると………!!
悪い予感で頭がいっぱいになりながら、父に電話をかけました。
「もしもし、なにー?」
わざと落ち着き払った口調で第一声を発しました。
「車検証、見つかったぞ!」
父が、少し興奮して言いました。
「え? 車検?」
いったい父が何を言っているのかわかりません。
東北の訛りがあり、いまだにふだんから何を言っているかよくわからないのに、興奮するとますます早口になり、さらにちんぷんかんぷん。
とりあえず、なぜかどこかに落ちていた私の車の車検証が見つかったとのこと。車検証が落ちていたからには、私の車が盗まれたに違いない、と急いで私に電話をかけてきた、ということがわかりました。
私の車は、そのときはガソリンが空っぽではあったけれど、ちゃんと駐車場に機嫌よく停まっていて、おそらくフェリーに乗るときに車検証を宮崎港で落としたのだろう…、とばかり思っていました。
その日は、知人に車を貸す予定だったので、すぐには確認できなかったけれど、その夜、車を借りた知人が一言。
「車、たまには掃除してもいいかもね」
…………??
いや、旅帰りでいつも以上に散らかっていたのはわかっているけれど、人に「掃除しろ」なんていわれるほど汚かったかな。別にいいじゃないか。運転できれば…と、内心、ムッとしながらも、車についてはそのまま確認せず…、いえ、すっかりそのことについては忘れていました。
そして、今朝、いざ車に乗り込むと、なんとまあ、驚くほどの散らかりようでした。
助手席に積んであった地図類は下に落ちているし、後部座席の衣類もぐちゃぐちゃ。なにやらいろんなものが、座席の下に落ちているし、なんかいつもと様子が違います。
やっぱり、掃除しなきゃなぁ…。
なーんて、「掃除しろ」と言われてムッとしたことをほんの少し反省しながら運転席に座ると、バイザーにはさんでいた領収書が運転席の下に落ちていました。
あれ?と思いバイザーを見ると、あれれ?
バイザーに取り付けていた黒いカードケースがそのままそっくりなくなっていました。
車上荒らしだ!
そのとき、初めて車上荒らしにあったことに気がつき、そういえば月曜日に車を停めたときに、荷物が多すぎて車のキーを閉め忘れたかもしれない、ということを思い出し、とりあえず、盗まれたものを確認すると、被害総額2万円……!
………、というのは幻で、2000円ほど残っていたガソリンスタンドのプリペイドカード1枚。
私の車に積んである「大事なもの」はそっくりそのまま車の中にありました。
モンベルの寝心地のいいシュラフ2万円(2001年購入)とかコールマンの最近いい味を出してきたトレッキングシューズ7000円(2002年購入)、梅田のギャレで買ったとても履き心地のいいカヌーサンダル1万円(2004年購入)、夜行高速バスでもらった毛布(無料・高速バスのロゴ付)、私の足跡つきの地図、などに手をつけずに逃げるなんて、ドロボー失格だ、ばかやろー。
なーーんて、いいつつもほぼ被害なし、という状況にそっと胸をなでおろし、明日から、車、きれいにしよ〜、と思いながら、帰路につきました。
明日、って、いつの明日?
まずは、おやすみ。
とうとう「ガラスの仮面」の最新刊が出たそうです。
少女漫画誌の「花とゆめ」に長期連載されている漫画。
4年ぶりに42巻目が、12月16日に発売されたとか。
主人公の平凡な女の子・北島マヤが、名優・月影千草に才能を見出されて大女優に成長していくという話。
以前も書きましたが、ガラスの仮面に影響されて、いったいどれだけの女の子が、女優を目指したことでしょう。
という私も、真夏の夜の夢の「パック」の役を一生懸命に練習したっけ。
原作では、「パック」という妖精の役になりきったマヤが、舞台の端から端だけでなく、天井とか屋根裏とかを身軽に飛び回り、観客を驚かせるシーンがいくつかありました。
私も役になりきって、ピアノの上のイスから飛び降りたり、家の階段をジャンプで2段ずつ登ったり、とかなり危険な練習を重ねましたが、到底できず。
いや、役になりきってもおそらく不可能。
それを、ひょいひょいとこなす主人公・北島マヤ。
「マヤ、おそろしい子だわ」(C.月影千草)
さて、最新刊。
本屋で立ち読みなんて歳でもないので、いつかブックオフに出たときにでも、買おうかな〜♪(買うのかっ)
ちょっと……、最近…。
疲れすぎている…。
おやすみ。
高校3年生の今ごろ、期末試験もほぼ終わり、冬休みを待つだけの私は、お正月だけのアルバイト探しに夢中でした。
受験勉強の合間に、アルバイトニュースで見つけた高校生を雇ってくれるバイト先に片っ端から電話をかけ、いくつか電話で断られ、いくつか面接で断られ、採用になったところは祖母に反対され。
結局、正月は受験勉強に打ち込むことになりました。
なぜ、受験というせっぱつまったときにバイトを見つけなければいけなかったかというと、大学の受験料をためるため。
当時で1校だいたい3万円の受験料を納入しなければ、試験さえ受けられません。
同級生が、国公立・私立を含めて、最低5校は受けるというなか、私の予算で受験できるのは、1校がぎりぎり。
落ちたら、もうそれまでです。
そんな私の様子を察知してか、母があと2校分の受験料をくれました。
普通の家庭では、親が受験料を出すのは当たり前だったのでしょうか。
それでも、私には、苦しい生活のなか、6万円という大金をこっそり私に渡してくれた母に、感謝の気持ちでいっぱいで、その夜はふとんにもぐって泣きじゃくったのを覚えています。
冬休みに、アルバイトをせずにすんだおかげか、私は無事に大学に合格することができました。
その後の究極のビンボー学生生活を送ることになるとは、思ってもみませんでしたが…(汗)
三宮の梅酒専門店に行きました。
鹿児島で、「上等梅酒」というおいしい梅酒を飲んで以来、ちょっと梅酒が気になりだした私。
友が持ってきてくれたクーポンの切り抜きから、この店を選びました。
「あず」という名前のその店は、スナックやバーなどの入っている雑居ビルの3階にありました。
ドアを開けると、実にいろんな梅酒がカウンターにところ狭しと並んでいました。
まず、喉がからからに渇いていたので、瓶ビールで乾杯。
それから、店のマスターにイメージを伝えて、好みに合いそうな梅酒を出してもらいました。
まず1杯目は、こくがあってまろやかな「さつまの梅酒」。
「上等梅酒」よりもこい感じがしました。
2杯目は、「夏至」。涼しい夏というイメージらしいのですが、ちょっときつめの梅酒。
これは酔っ払ってしまう、と思い、チェイサーをもらいました。
そして、3杯目は、「最初に飲んだ感じのをください」と注文。
そうして出てきたのが、「さつまの梅酒」のこってり感はあまりなく、「夏至」よりもさわやかであっさりの梅酒。
………、うまい!!
これは今日のヒット賞だ、と友にいい、梅酒の名前を聞いてみました。
「真澄です」
あぁっ、あなただったのね(涙)
私の好きな長野の「真澄」というお酒をベースにしてできた梅酒。
「きっとこういう感じの梅酒が好きだろうな、と思ってお出ししました」
と、梅酒マスターのうまい口上を「そうすかー」と適当に流しておきながらも、「あ、もう1杯くださ〜い♪」と、2杯目の「真澄」を頼んでいましたとさ。
あー、おいちかった。
ぐっすりおやすみ。
きょうは、「パンの日」らしいです。
なぜか?
パンにあまり興味のない私は、調べない調べない〜。
ということで、今日はクタクタ。
おやすみ。
毎年恒例の忘年会が、今日、ありました。
今年は、忙しいのとギターが手元になかったので、練習は前日に30分ほどしただけ。
毎年、マンネリになってきているので、今年は何かほかのことをしよう、と思っていたのですが、ほかのことを考える時間もなく。
「今年も楽しみにしているよ」
と、何人かが声をかけてくれたこともあり、ギターで歌う決心がつきました。
ギターを弾くのを途中でやめて、ほぼアカペラで歌ったことは、お酒をほんの少し飲みすぎたから、ということにしておいて。
歌い終わったあと、歌ってよかったな、と思いました。
みんなが、楽しんで。
みんなが、うれしい顔をして。
それを見ているだけで、今年もここにいることに幸せを感じざるをえませんでした。
あたたかい夜と、あたたかい人たちに、乾杯!
久々に、芝居を観に行きました。
梅田コマ劇場地下にあるシアタードラマシティまで。
観た芝居は「リンダリンダ」。
私の好きなブルーハーツの曲をふんだんに使ったミュージカル仕立ての芝居でした。
役者人は、私の知らない人たちばかりでしたが、楽しい時間を過ごすことができました。
私のブルーハーツ好きを知ってか知らないでかわかりませんが、誘ってくれた後輩に感謝です。
ブルーハーツのコンサートには行ったことがありません。
でも、今日は、「ブルハ」のコンサートに行っているような、そんな気分にもなれました。
いい1日。
おやすみ。
日記、たまってきたので、きょうは、お休みとします。
なーんか、不愉快。
人に、日記を書くのを進めておきながら、最近、私自身が少し億劫に感じてきています。
文章を書くことは好きだし、楽しいけれど、最近は「日記」というものに、飽きてきたような感じ。
でも、やっぱり書き続けるのでしょう。
ということで、今日のところは、これにて御免!
1行日記〜♪
2004年12月05日(日) |
一万人の第九、感動の1日 |
フィナーレで、胸がじーんと熱くなりました。
一万人の第九、今日が本番でした。
大阪城ホールにいるすべての人たちとの一体感。
目に見えない一つの形が、そこにありました。
指揮者、佐渡裕さんのバトンテクニックに見とれながら、吸い込まれるように自然と音と声が調和していきます。
去年のことは、風邪でふらふらだったため、まったく覚えていません。
でも、去年よりも今年のほうが完成度が高い第九になったことは、間違いありません。
ゲストのミッシャ・マイスキーさんのチェロも最高でした。
そして、オリンピックで金メダルをとった柔道の野村選手と、マラソンの野口選手も招かれて、楽しいトーク。
最後に大合唱したほたるの光に、また胸が熱くなり。
感動の1日と、この感動の場をくれた友、そしていっしょに練習に励んだ友に、感謝です。
ありがとう。
夕方から、一万人の第九のリハーサルです。
明日が本番。
大阪城ホールで歌います。
去年は、風邪をこじらせてしまい、リハーサル、本番ともにふらふらでした。
今年も、風邪をひいたらどうしよう。
そんなことを考えると、喉がなんだか痛いような感じ。
いやいや、病は気から!
思い込みで病気になるのはいけません。
リハーサルは、とても楽しく終わりました。
途中の居眠りは欠かせません(笑)。
明日の本番に向けて、ビールを3杯。
さ、がんばるぞ。
南港到着。
そのまま、仕事。
そして、夕方になって、家に帰りました。
家に帰ってお土産を渡して、洗濯物をかばんから出して、ようやく旅が終わりました。
また、いつもの日常が始まります。
それでも、またがんばろう!
そんな気持ちになりました。
明日も朝、早いので、このへんでおやすみ。
高千穂で講演会をするというちょっと有名な二人。
時間がないので、写真の展示くらいなら手伝える、ということに話がまとまりましたが、旅先の朝のだらだらモードに時間がなくなり、残念ながら写真展示のお手伝いは、お断りしました。
残念!
でも、彼らと知り合え、彼らの話を聞いたことで、ブラウン管の中の戦争が、現実になりました。
「戦争を知らない私たち」ではなく、「戦争を知る私たち」になるよ。
そんなことを、昨夜、話していたことを思い起こしながら、同室だった看護師の女の子と、天岩戸神社を見学。
ここでも、宮司さんにガイドを頼み、いろいろと神様について教えてもらいました。
私の生まれ故郷に住む彼女と、また会いましょう、と約束をして、高千穂を先に離れました。
夕方17時に、宮崎に住む友と待ち合わせ。
それまでは、のんびりと国道を走らせました。
途中、日向の町に立ち寄り、日向・延岡にしかない「天領うどん」を食べました。
宮崎のうどんは、讃岐とはまったく正反対の細くて柔らかいうどんなんだな、と思いました。
これはこれで、またおいしく、おみやげで買ってかえろうかと思いましたが、要冷蔵だったため、やめておきました。
現地で食べるのが、おいしいのでしょう。
温泉に入って、のんびり。
17時に余裕で間に合うはずだったのですが、宮崎市内がかなりの渋滞。
結局、友との待ち合わせの場所には辿りつけず、会えずじまいでした。
宮崎市内は、熊本と同じくらいの大都会でした。
19時10分発のフェリーに乗り込み、出港前にビュッフェで夕食を済ませて、甲板に立ちます。
結局、出港は30分遅れて19時40分。
宮崎の夜景を見送り、ベッドに戻りました。
旅の最後の宿は、フェリーのなか。
ベッドで旅の日記をつけていると、けっこう揺れてきたため、早々に寝ることにしました。
明日の朝は、南港です。
なんだかんだと言っていた旅ももうそろそろオワリ。
明日の夜、フェリーに乗ります。
福岡か別府から乗ろうかと思っていたけれど、やはり最初に降りた土地をフェリーから見送りたい、と思い、宮崎から乗ることにしました。
となると、今日中に宮崎県内に入っておいて、明日はのんびり最後の1日を楽しみたい。
そういうことで、今日は九州で最初に泊まったユースホステル「高千穂ユースホステル」に向かいました。
とはいうものの、かなりの距離です。
急ぎ足で向かわねばいけません。
でも、途中で有田焼きの資料館で、これまた無料のガイドさんの話を聴きながら1時間半。
雲仙で陶芸家から教えてもらった話と、今日のガイドさんから聞いた話とで、焼きものについて、理解度が上昇。
とてもおもしろかったけれど、有田焼きを買うには資金不足でした。
そして、佐賀。
大隈重信記念館。
すごい人だったんだな、と思いました。
「人は学ぶことによって作られる」
心に残った言葉でした。
ここでも、1時間ほど時間がかかり、だんだんと手持ちの時間がなくなってきました。
でも、ここまで来たからには!と、吉野ヶ里遺跡へ。
無料ガイドの時間まで30分。
待っていられず、自分で回ることにしました…が、いや、広すぎる!
三分の一も見ることができず16時の閉館。
それでも、弥生人たちが、ここで村を作り、長(おさ)などの支配者を作り出し、近隣の村々と戦さをしながら、稲作を始めて子孫を残していったんだな、と思うと、わくわくしてきました。
歴史は、ホントにロマンです。
そしてやっと高千穂ユースホステルに向かいました。
真っ暗な山道を越えて、ユース到着が21時。
夕飯に入ったうどん屋の店主夫妻と旅の話で盛り上がり、時間ぎりぎりに温泉。
同宿の人と日にちが変わるまでお酒を飲み、わいわいと話をしました。
テレビを観ない私は、同宿の人たちの二人が、最近よくニュースに出ている人たちとはつゆ知らず。
それでも、イラクで今起こっていることや、テロリスト集団のことについて、これまで知らなかったことをたくさん聞いて、飲んで、しゃべって。
2時過ぎにようやく布団に入りました。
今日がいちばん、旅先らしい夜だったなぁ。
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