不動産担保ローン チラシデザイン コンのみ日記
コンのみ日記
紫 |MAIL

My追加
目次過去の日記未来の日記


2004年09月30日(木) 予報

今日で9月も終わり。
1年の初めに立てた知る人ぞ知る「私のシアワセ予報」は、何ひとつ達成できず。

あ、夏山登山には2回も行ったからいいかな。

あと3カ月で、1年が終わります。
早いですね。


2004年09月29日(水) アルバム

大学に入学して、東京での初めてのひとり暮らしが始まりました。
最初の1カ月は、寂しくてまさに泣き暮らしていました。
電車のなかでも、教室のなかでも、人が多ければ多いほど、孤独感がつのり、寂しくて体がぶるぶると震えたくらいです。

「ひとりで生きていける」と思っていた18歳。
いざ、ひとりになると、自分がいかに寂しがりやだったかということに気づかされました。

寂しさのあまり、大学に行くのもイヤになって、真剣に「退学しよう」と思っていたとき。
本屋の店頭で、とある本を見つけました。
「サラダ記念日」です。
作家のプロフィールを見ると、偶然にも同じ大学の出身でした。

大学を拒否し続けるのではなくて、もっと大学を知ってみよう。

そう思って買った「サラダ記念日」。
同じ大学出身の人の著書を読むことで、何か変わるかもしれない、思ったからです。

結局、大学を好きになることは、卒業までの4年間、ありませんでした。
でも、「サラダ記念日」を読み終えたそのときから、寂しいときや悲しい気持ちを、三十一文字で表現するようになっていました。

三十一文字に詰め込まれた気持ち。
日記にだらだらと書きつづるよりも、短歌としてたくさんの気持ちをぎゅうぎゅうと詰め込むことで、心のなかのやり場のない気持ちが、生きてくるような感覚でした。
いつしか、孤独の歌だけでなく、恋の歌も詠むようになり…。

短歌、誰に教わったわけでもなく、流派なんてまったく知りません。
私の「気持ちのアルバム」。
これも、「思い出の宝箱」のなかにすっぽりとおさまっています。


2004年09月28日(火) いよいよスタート

毎年、年末になると、サントリーが提供する「一万人の第九」のコンサートが開かれます。

その練習が、きょうから始まりました。
今年で2回目。
昨年は、あまりにも多忙だったため、なかなか練習に行けませんでした。
今年も、同じくらい忙しいはずなのですが、なんとなく「やる気」が違います。

あのコンサート当日の「感動」を知ったからでしょうか。
昨年は、ほとんど口パクでしか歌えなかった第九。
今年は、すべてを歌えるようになりたいと思います。

それでも、約1年ぶりに歌った第九でしたが、楽譜を見ると、なんと歌えるではありませんか。

それでも、少し詰まるところがあります。
もちろん、楽譜なしでは歌えません。

これから、12月までにがんばって覚えます。
とはいっても、なんといっても相手はドイツ語。

ちんぷんかんぷん(@_@)


2004年09月27日(月) 地図を抱えて

社会人1年目の5月。
初めてひとりで車を運転して、営業に出かける時期がやってきました。
免許は、19歳のころに取得していましたが、学生時代に車を持つことなどなく、4年間はペーパードライバーでした。

バイクには乗っていたので、「道路」自体には慣れていましたが、「車」にはまったく慣れていません。

しかも、5速マニュアル、重ステ、フェンダーミラーのカローラバン。
窓はくるくると回して開ける手動タイプ。
ガソリンを入れるときは、まずエンジンを切って、車のキーをスタンドのお兄さんに渡します。
集中ロックなんて、とんでもない。
ラジオはなぜかAMのみ。
当然ですが、テープもCDもありません。

今から思えば、とてもシンプルな車だったと思います。

そんな車の運転を、7人の先輩や上司に日替わりで同行させてもらい、1カ月かけてみっちりと教え込まれました。

バック駐車や縦列駐車するときのコツも、人によって言うことが違います。
ギアを落とすタイミングやブレーキの踏み方の違いに、叱る人とほめてくれる人といます。

いろんな人の運転の癖を見て、何度も叱られ、そして励まされながら、入社1カ月後の、初の一人営業デビュー。

埼玉の大宮バイパス大渋滞のなか、5件の店舗を巡回する予定が、行けたのはたったの3店舗。
叱られるーっと思って帰ってくると、先輩や上司が、私のくたくたの顔を見て、とても安堵していたのを覚えています。

「おつかれさん」以外の言葉は、何も聞かれないけれど、なんとなくその瞬間から「新入社員」から「社員」という意識に変わったような感じがしました。


きょうは、新御堂筋の大渋滞にはまりました。
23歳のころ、泣きそうになりながら、大渋滞にはまっていたころとはまったく違って、かなりふてぶてしい運転。
でも、どこか抜け道はないかと、足の上に地図を抱えて走る癖は、当時と同じままだな、と、渋滞を抜けたときに、ふと、気づきました。

おやすみ。


2004年09月26日(日) スイミー

小学校1年生か2年生のとき、「スイミー」という物語を、教科書で読みました。

仲間はずれのスイミーの案で、大きな怖い魚を追い出す話。

誰もが知っていると思っていたこの物語。
知らない人が、たくさんいました。

谷川俊太郎さんの訳のこの絵本。
今はもう、教えられることはないのかな。

「スイミー」と「チックとタック」、それから「もちもちの木」。
そして「最後の授業」と「卒業」は、私の学校生活のなかで、忘れられない物語りです。

スイミー、知っている人のほうが少ないのかもしれませんね。
ちょっと寂しいかな。

おやすみ。


2004年09月25日(土) 子ども部屋

中学校からの親友の家に、行ってきました。
彼女と会うのは、2年ぶり。
3年前に病気で子どもを亡くした彼女。
今は、二人目の子どもがおなかのなかにいます。
もうすぐ臨月。
無事に出産してくれることを、祈ります。

手作りの小さな仏壇に、手を合わせました。
この子が生まれたとき、病院に会いに行ったけれど、検査でほかの病室に行っていたため、結局、会わずじまい。

その後、彼女とは何度か会っていたのですが、2年前の今ごろ会ってから、とんとごぶさたしています。

「生まれる前に、会いにきて」

そんなメールをもらいました。

だんなさんといっしょに、3人でわいわいしゃべって、近況報告をしあって。

楽しい時間を過ごすことができました。

「今度は4人で会いましょう」

車のなかから、言いました。

二人とも、笑顔で何度もうなずいていました。

新しい家に用意されていた2つの子ども部屋。
十年後にも、こうして遊びにきていられればいいな、と思いました。

おやすみ。


2004年09月24日(金) 何が必要で、何が欲しいのか。

未来の計画も過去の思い出もなんにもない。

よくわかりませんが、なんとなくきょうも、センチメンタル続投。

おやすみ。


2004年09月23日(木) 雨が降りそうで降らなくて、でもちょっと降ったかな

こんな日は、センチメンタル。

おやすみ。


2004年09月22日(水) 言葉と気持ち

「さよなら」の語源の話を読みました。

「さようなら」は「左様であるならば」た転じたそうです。
古語辞典を開いてみると、「そうであるならば」とのこと。

もっと訳せば「それでは」という意味なのでしょう。

 「それでは(また会いましょう)」
 「それでは(お元気でいてください)」

「それでは」のあとに続く言葉をにごらせてしまう日本人独特の言葉のあいまいさが、私は大好きです。
「それでは」といって、次の言葉をのみこむさりげない別れのあいさつ。

すべてを言ってしまえば、ストレートに相手に伝わるけれど、あいまいにすることで、言葉では言い表せないいろんな気持ちも、相手に伝えることができるように思います。

ただ、あいまいすぎるのも、いけません。
伝えたい言葉や気持ちをあいまいにしすぎて、相手がいろんな想像をすることで、逆に相手を悲しませたり、不快な気持ちにさせてしまうこともあります。

言葉のバランス。
難しいけれど、言葉と気持ちのキャッチボールができる人でありたい、と思います。


2004年09月21日(火) 今日の日記は

あしたに、「つづく」。

おやすみ。


2004年09月20日(月) 偏食

子どものころから、肉がキライです。
ところが、ひき肉にすると、肉は食べられます。
ハンバーグやウインナーは大好きですが、ハムはキライです。
ソーセージはも苦手ですが、魚肉ソーセージは好きです。

焼豚も嫌いですが、ビンボー学生のころは、栄養を取るためにガマンしてラーメンの焼豚を食べていました。

二十代後半になってからですが、薄い牛タンと薄いカルビは食べられるようになりましたが、好んでは食べません。

「わがままなやつ」とよく言われます。
自分でも、そうだなあ、と思います。
だから、できるかぎり偏食を公言しないようにしています。
「食べ物の好き嫌いはあるか」と聞かれると、「肉よりも魚類のほうを、好んで食べますね」と、あいまいに答えています。

あいまいに答えないと、なぜ肉が嫌いなのに、ハンバーグが食べられるのか、という質問が必ず飛んでくるからです。

最近は、「その手の質問には答えないことにしているんです」と答えることもあります。

正確には、「答えない」ではなくて「答えられない」です。
だって、ホントに自分でもわかりません。
なぜ、ハンバーグステーキはおいしくて、ヘレステーキがまずいのかなんて。

偏食のメカニズム、いつしか解明される日がくるのでしょうか。
いえ、私としては、そんな研究よりも、ガンなどの病気を治すための研究をすすめてくれたほうがいいのですが。

おやすみ。


2004年09月19日(日) 予定

三連休ということに、きょう、気がつきました。
気がついただけで、仕事三昧の毎日。
連休は、関係ありません。

仕事があるのは、ありがたいことです。
8月の前半は、ちょうど仕事が中断して、「暇だから昼寝でもしよう」という感じでした。

今は、そのしわ寄せがきている感じ。
そのうえ、いろいろ段取りが悪くて、ますます「ぎゅうぎゅうっ」と身動き取れません。

9月は、旅に出よう、と思っていたけれど、いろいろな都合があり、また延びました。
仕事をくれる人がいるかぎり、それにこたえていきたい、と思いながら、旅の予定がどんどんずれ込むのは、なんとも心苦しい。

三連休をきちんと休めるようであれば、予定はいくらでも立つのですが、なかなか予定通りにはいきません。

フリーランス。
こういう面では、自分の予定は、あってないに等しいものですね。


2004年09月18日(土) イラスト

イラストレーターの友が、個展の準備のために、東京からやってきました。
私のよく行く店の階段で、さりげなく個展が開催されます。
期間は11月末まで。

あーだこーだ言いながら、友といっしょに飾りつけ。
階段をあがるごとに、友のイラストが見えていきます。

私に少し時間ができたら、友のイラストのポスターを作る予定。
友のイラストを、不特定多数の人に見てもらえるのは、とてもうれしく思います。

1枚2000円で販売もするとのこと。

彼女独特の「旅」の世界。
階段を飾るイラストに、ほんのりあたたかい気持ちになりました。

おやすみ。


2004年09月17日(金) ことばたち

きょうは、たくさんの言葉を聞いて、帰ってきました。
やっぱり、ライブはいいすね。


2004年09月16日(木) 仕事

1日におわりに届いたメールに、どっぷりどんより。
仕事って、つらい(>_<)


2004年09月15日(水) きょうのこと

きょうは、友と数人で、食事会。

おやすみ。


2004年09月14日(火) 基本はひとり

「どこに行くか」と「だれと行くか」。
どちらを優先させるか。

という話を、先日、遊びにきた埼玉の友がしてくれました。
よく聞くと、北海道を旅する人に「どこに行くか」を優先する傾向があるとか。
なんとなく納得。

私は、まずいきたい場所を決めて、日程が合えばいっしょに行く人を募ります。
もちろん、いっしょに行く人は「いっしょに行きたい人」でないといけません。
だから「だれと行くか」もどうでもいいわけではありません。

今までは、行きたい場所が決まれば、いつの間にか一人旅に出ていましたが、最近は、行きたい場所が決まれば、まず「いっしょに行きたい人」を誘ってみることにしています。
私は、基本的に「けち」なので、「私の旅はだれにもあげない」と思っているけれど、だれかの思い出のなかに入り込むのも、なんとなく楽しくなってきました。

となると、やはり、旅にしても、遊びにしても、飲み会にしても、「だれと行くか」が優先度が高いのかな。

ただ、やっぱり基本は一人旅。
あれ? 何が書きたかったのだろう……。

おやすみ(寝てごまかす)


2004年09月13日(月) 久々のライブ

久々に、行きたいと思った「ライブ」がありました。
さいしょは、ひとりで行こうと思って、1枚だけ申し込んでいたのですが、場所が三宮ということもあり、ライブが終わってから三宮で食事もいいなあ、と思って、数人に声をかけました。

ライブといっても、ごくマイナーな歌手で、それでも知る人ぞ知る、といった感じの人です。
2年ほど前にも、この人のライブに、ひとりで行ったことがあります。
帰りは、ライブの余韻にひたりながら、ボーっと帰ってきたのを覚えています。
今回のライブは2人。
そのうちのひとりは、私がギターで弾き語りをしたことがある曲を歌っています。

歌ではなく、言葉を聴きにいく感じ。

でも、あまりにもマイナーなので、断られて当然、と思っていたら、1人だけ「行きたい」という友がいました。

ということで、久々にライブ。
楽しんできます。


2004年09月12日(日) 集団のなかのひとり

ふと、バイクに乗るのも、山登りをするのも、感覚が似ている、と思いました。
どちらも「孤独」だということ。
たとえ、人といっしょにワインディングロードを走っていても、人といっしょに急登を登っていても、最終的に頼りになるのは、自分の力量・技量だということでしょうか。

それでも、完全な孤独というわけではありません。
バイクに乗っていたときは、バイクや全身にあたる風と語りかけていたし、山に登るときは、山と、山の合間を吹く風に語りかけているし。

語りかける対象を求めているだけで、本当は、自分自身に問いかけているのでしょう。

バイクも山登りも、自分自身への「甘え」の存在しない世界が、なんとも魅力的です。
だから、「一人旅」に出たがるのかも。


連鎖的にこんな考えがよぎった今日。
久々に、きょうは、「集団のなかのひとり」になったからでしょうか。
みんなで楽しく過ごすには、自分自身の強さももっていないといけません。


2004年09月11日(土) 日本一

新幹線に初めて乗ったのは、たしか幼稚園のころだったと思います。
父の実家がある岩手で、親戚の結婚式があり、父とふたり、朝6時の新幹線に乗り込みました。

当時は、どこに行くのか何しに行くのかもわからず、新幹線では慣れない密閉空間に、電車酔いを起こして何度も嘔吐を繰り返していました。
ぐったりとした思い出しかない新幹線だけど、「また乗りたい」と思ったことがひとつ。

浜松駅を過ぎてしばらくしてから、左手に大きな大きな裾野の広がった富士山が見え始めました。

初めて見た富士山をじーっと見つめる私に、父がひと言。

「大きいだろ。日本一や」


学生になってから、帰省するたびに新幹線に乗り、必ず富士山が見える側に座っていますが、あのときに見た雄大な富士山は、なかなか姿を見せてくれません。

富士山。
その裾野から頂上まで、惜しみなくその姿を見せてくれる日本一の山。

「富士登山はおもしろくない」と一概に言うけれど、やはり日本一の山への達成感はなんとも言えないものがあるのでしょう。

数年前、荒天のため、途中で引き返した富士登山のくやしい思い出。
いつかまた、達成したいと思います。

おやすみ。


2004年09月10日(金) 読唇術

人と話すとき、私はあまり口を大きく開けません。
だから、聴力障害者には申し訳ないのですが、おそらく読唇術は使えないと思います。

口を大きく開けずに話す癖を、ときどき人から指摘されます。
そのときは、「父が東北人なので」ということにしています。

東北の人は、寒いからあまり口を開かずに話す。

そんなことを聞いたことがあるし、実際にそうみたいです。
だいたいの人は、それで納得してくれますが、実は、学生時代までは、ふつうに口を開いて、話していました。

では、いつからあまり口を開かなくなったのでしょう。
いくつかのきっかけが、あります。

まず、最初のきっかけは、社会人になって、車で営業をしはじめたとき。
車のなかで、得意先の人との話し方をひとりでシミュレーションをしていました。
「まいど〜」の言い方まで、練習しました。
それから、注文をとるまでの「話術」も練習しました。
その練習のときに、車のなかでひとりでぺらぺらしゃべっているように思われたくなくて、口をあまり開かずにしゃべっていました。

この練習が功を奏したかどうかは、わかりません。

2つめのきっかけは、社会人になって初めて、課で暑気払いがあったとき。
二次会のカラオケでは、まずは新人から歌を歌わなければいけませんでした。
何をするにも、新人から…という昔ながらの社風の会社。
得意先との接待でも、やはり歌は「若い人から」という風習があります。
もちろん、歌わなければ叱られます。
ただ、音痴な私は、人前で歌うとますます音痴になってしまいます。

その暑気払いの前日、一生懸命、車のなかで歌う練習をしました。
その練習のときに、車のなかでひとりで歌っているのが恥ずかしくて、口をあまり開かずに歌っていました。

この練習が功を奏さなかったことは、間違いありません。

それから、あまり口を開かずに話す癖がついたように思います。

きわめつけがその数年後。
「2001年宇宙の旅」という映画を観たとき。
コンピュータのHALが、乗組員の口の動きを読んで、秘密の話を知り、次から次へと乗組員を殺していく、という場面があります。

あのとき、口を動かさずに腹話術のように話していたら、HALは、読唇術が使えずに、無事にHALの動きを止めることができたのではないか。


………。

それから数年経ちますが、そろそろHALの動きを止められるようになっているかもしれません。
いえ、ホントは、ふつうに話したいのですが…。

おやすみ。


2004年09月09日(木) 怠惰

もうだめ。

もう、眠い。

日記、さぼり気味。

ま、こういう毎日も、いいよね?


2004年09月08日(水) ふぅ。

やっと日記が追いついた。

バタンキュー………。


2004年09月07日(火) はい。

きょうは、おやすみ。
いいでしょ?


2004年09月06日(月) ハイウエイ

諏訪湖には、バイクでも車でも、何度も行きました。
身近なツーリングポイントでした。

諏訪湖から女神湖、ビーナスライン、白樺湖。
近辺のユースホステルに泊まって、情報交換。

当時は、温泉にあまり執着がなく、近辺にどんなにいい温泉があるかなんて、まったく知りませんでした。

火山のふもとです。
いい温泉がないわけ、ありません。

ということで、今回は温泉を堪能しました。
でも、最終日に入ろうとした温泉は、なんと「レジオネラ菌」が発生したため、営業停止。

その温泉は、「ハイウエイ温泉諏訪SA」。
そう、高速道路のサービスエリアのなかにある温泉です。

途中で高速を降りて、ほかの温泉に入る気力もなし。
のむヨーグルトだけ食べて(飲んで)、帰ってきましたとさ。



2004年09月05日(日) オフロード

安曇野に住む友と、初めて会ったのは21歳のとき。
富良野の宿で、「ヘルパー」をしていました。

その友は、オフロードのバイクで富良野まで来ていて、ときどき、仕事の合間にふらりと出かけていました。

ある日。
帰ってくるのが、ずいぶんと遅いなぁ、と思っていたら、足をひょこひょこと引きずりながら、部屋に帰ってきました。
なんと、宿に入る前の舗装されていない道路で転んだとか。

じん帯が切れていて、そのまま1週間ほど入院。
退院後は、松葉杖をつきながら、ヘルパー業に専念していました。

そのときの事故がきっかけとなって、ブレーキのかけ具合や、急ブレーキのかけ方などを、練習しはじめたそうです。

彼女が、怪我をしているとき、もし、私にバイクの免許があったら、私がバイクに乗って帰ってあげられたのに…と、免許がない自分をとても悔やみました。

おそらく、それが、私が「二輪の免許がほしい」と思ったきっかけでしょう。

その年の秋。
無事、中型限定の免許を取得しました。

きょうは、そのときの友といっしょにお昼ご飯。

「林道で、自分の通ったあとの砂埃をバックミラーごしに見ると興奮する」

という彼女。
だから、人といっしょにツーリングに行くのは苦手だそうです。
誰かのあとを走ると、砂埃の中を走ることになるから。

久々に会ったけれど、21歳のころの彼女は健在のようです。

おやすみ。


2004年09月04日(土) 木曽駒ケ岳

朝、6時に菅の平バスターミナルに到着。
2時間ほど仮眠をしました。
8時に起きて、さて、はじまりです。

これから、2956メートルの木曽駒ケ岳に登頂です。
ロープウエイで2612メートルの千畳敷まで上がり、そこから残り300メートルを上ります。

先月、乗鞍岳に登った私。
同じ標高差300メートル。
けっこう楽かも…と思っていたのが大間違い。
木曽駒ヶ岳のほうが、かなりハード。
でも、途中、写真を撮ったり、景色を眺めたりしながら、自分のペースで登ったため、気分・体力的に今回のほうが楽だったように思います。

なんといっても、山頂付近で食べた塩ラーメンが、山の魅力をいっそう引き立てます。
いえ、この塩ラーメンが今回の「メイン」だったのでしょう。

実はこの塩ラーメン。
買っておくのを忘れて、ギリギリになってから町まで車を飛ばして、3キロほど離れたコンビニエンスストアで手に入れました。

いっしょに登った友とふたりで、昨日、作ってもらった大きなおにぎりを食べ、「おいしい。おいしい」と何度も繰り返しながら、ガスのかかった山頂で、のんびり休憩。

登山の醍醐味は、まだまだ知りません。
でも、少しだけ「アルピニスト」の気持ちがわかったような気がします。

夕方になってから下山。
温泉に入り、蕎麦を食べ、真夜中のおしゃべりを楽しんで。

旅。
いいすね。


2004年09月03日(金) 旅立ち

ザックの中には、大きなおにぎりが2つ。
旅立つ前には、必ず作ってくれます。

いろんな人に見送られて、いざ出発。
たいそうですが、たったの2泊3日の旅のはじまりです。

さて、行き先は?

おやすみ。


2004年09月02日(木) テレビ

もう何度も書いているけれど、大学に入って1年間、テレビがありませんでした。
だから、部屋にある音の出るものは、古いラジカセのみ。
ミュージックテープもあまりなく、もっぱらラジオばかり聞いていました。

高校のときも、あまりテレビは観なかったのですが、やはり音が出るほうに首を向けてしまう癖がついています。
ラジオで野球を聴いていて、急に盛り上がったりすると、その映像を求めてつい首をラジオのほうに向けてしまいます。

「あ、ラジオだ…」

この映像のないラジオの音に慣れるまで、しばらくかかりましたが、慣れると映像があることのほうが、ある意味、うっとうしく感じるようになりました。

1年経って、知人からテレビをもらってからも、あまりテレビは観ることはありません。
なぜかといえば、住んでいた部屋のアンテナが壊れていたようで、まったく映らなかったからです。

そんなこんなで、ますますテレビから遠ざかった私。


先日、明石焼き屋さんでラジオが鳴っていました。
ラジオ番組の内容が気になり、ふと映像を求めて店のなかを探していました。

テレビをほとんど観ないとはいえ、やはりテレビって私のなかに溶け込んでいるんだなぁ、と思った瞬間でした。


2004年09月01日(水) おわり

この間の台風で、今まで見ないようにしていたいろんなものが見えてきたように思います。
こんな毎日は、もう終わり。

刹那主義は、どうあがいても、刹那でしかありません。

おやすみ。


目次過去の日記未来の日記


紫 |MAIL

My追加