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2004年03月31日(水) おわり・はじまり

三月の終わりは、ちょっぴり、さびしんぼ。

明日から4月。
新しい毎日を、送ろう。

おやすみ。


2004年03月30日(火) ペンライト

東急ハンズで、LEDライトを買いました。
30分ほど迷って迷って、買いました。
私のものではありません。

海外でも使えるもの。

いろいろ考えたけれど、海外に慣れている友は、もういろんなものを持っているでしょう。

海外で暮らすために「あってもいいもの」。

そう思って買いました。
必ず必要なものではありません。

小型のペンライトにしました。
必要なときに、思い出して使ってください。
けっしてコンサート会場では使わないように。

買ったばかりのペンライトを持って、明日、会社を辞める友に会いに行ったら、ちょうど昼食中とのこと。
残念。

「残念」

この言葉は、その友がよく私に言ってくれた言葉です。
自分自身が会社を辞めたときのことを、しみじみと思い出しながら、彼女に伝言を残して帰りました。

なんとも、いえない、気持ちです。


2004年03月29日(月) 今日は

お休み。


2004年03月28日(日) ピアノの発表会

子どもたちの緊張した表情に、思わず笑みがこぼれました。
会場に向かって、慣れないお辞儀をして、イスに座って。
それから、鍵盤を鳴らし始めます。

今日は、友のピアノの発表会。
子どもたちよりも、ちょっと「おとな」の彼女は、かなり緊張している様子。
それもそのはず。
まだピアノを始めて1年も経ちません。
そしてもちろん、初めての発表会です。

「途中で、頭がまっしろになったらどうしよう」

会場前に、こんなことをつぶやいていた友。
でも、そんな心配は杞憂に終わりました。

子どもたちより、ちょっと上手にお辞儀をして、イスに座ってピアノを弾き始めました。
途中、つまづいたけれどそんなことを気にすることなく、堂々と弾き続ける友。
そして、キレイにフィニッシュ。
弾き終わってから、ようやくこぼれ出た友の笑顔に、見にきてよかったと思いました。

「また、発表会に出たい」

発表会のあと、彼女は何度も言っていました。
あの独特の舞台前の緊張感と、終わったあとの達成感を、友も味わったのでしょう。

発表会。
私も同じ緊張感と達成感を知っています。
もう、味わうことはないけれど、それでも今日は、懐かしい気持ちで、いっぱいになりました。

ありがと。
また見に行くね。


2004年03月27日(土) やさしい運転

対向車線の車が、右にウインカーを出していました。
路地に入りたいのでしょう。
それでも、なかなか車の流れは止まりません。

2車線の道路のT字路をを右折するときは、私もかなり気を遣います。
私の車が止まっていることで、渋滞が起こしているんじゃないかとか、後ろの車に怒鳴り込んでこられたら、どうしようとか。

逆のことも考えます。
私がこの車の右折のためにブレーキをかけると、後ろの車が怒ってくるんじゃないかな、とか。

タイミングがいいときは、積極的に止まるのですが、ある程度の流れがあるときは、あまり止まりません。
というよりも、いろんなことを考えて、止まるタイミングを逃します。
ホントは、止まって、気分よく右折させてあげたいのに。


「あ……」

ウインカーを出していた車が、目の前で右折していきました。
ドライバーは、大きく見えるように会釈しています。
運転していた友は、そのまま何もなかったかのように、車を進めます。

 止まってあげる人なんだ…。

そのとき、助手席に乗っていた私は、新鮮な驚きを覚えました。

その後も、友は、対向車だけではなく、自分の前に入ろうとウインカーを出している車を、わざわざ止まって惜しみなく入れてあげていました。

「えらいね」

思わず私は言いました。
そうすると、友は、

「1台くらい入れても、変わらへんやん」

大渋滞のまっただなか。
ホントはイライラしていてもおかしくない状態のときの友の言葉。

そう。1台くらい入れても、この先の進行になんら問題はないのです。
それでも、なかなかブレーキに足が向かない私。

でも、その日から、できる限り右折でも割り込みでも、どんどん入れてあげることを心がけています。

後ろの車が怒ろうがどうしようが、右折しようとしている車が、気分よく曲がってくれることのほうが、重要な気がしたからです。
右折を許すことで、交通渋滞も避けられます。

些細なことだけど、大事なことを教えてくれて、ありがとう。

「歩行者にも同乗者にも、そして、ドライバー同士にも「やさしい運転」をしていこう、と思いました。


2004年03月26日(金)

近所のテニスショップまで、宅配便を出しに行きました。
ちょっと大きな道路を隔てて100メートルほど先にあります。

玄関を出ると、植え込みのなかに朱色とピンクの小さな花がつぼみを開かせようとしていました。

しばらく歩くと、紙をくしゃくしゃっとしたような朱色の花の木が満開を迎えていました。

そよそよ吹く風につられて空を見上げると、抜けるように真っ青。

テニスショップに着き、宅配便を出してまた同じ道を歩きました。
今度は、自然とハミングがこぼれてきました。

春になると、必ずといっていいほど、口ずさむ歌があります。
自然と歌ってしまいます。
そんなときは、私もこの春とひとつになっているんだな、と思います。

そんな歌。
ありませんか?

春を、歌っていますか?


2004年03月25日(木) きはしとち

24歳のとき、初めて「ワープロ」を購入しました。
富士通のオアシス。
どのメーカーの何がいいのかどんな性能があるのかもわからず、ただ、店員にすすめられるがままに、買いました。

キーボードにも初めて触りました。
五十音順じゃないということに、驚愕(きょうがく)!

付属のブラインドタッチ練習ソフトで、毎日、仕事から帰ると練習しました。
そのソフトで、1日15分くらい練習したあと、それまでに詠んでいた短歌や俳句、それから日記を入力。
フロッピーディスクに保存して、私の初めての「電子日記」が出来上がりました。

新聞に載っていた料理のレシピも入力しました。
私だけの「お料理メモ帳」も出来上がりました。

朝礼で話す内容も、ワープロの画面と相談しながら、考えました。
私だけの「朝礼スピーチ集」が出来上がりました。

仕事でワープロもパソコンも使っていなかった私。
それでも、趣味のなかで覚えたブラインドタッチが、今、私の仕事をおおいに助けています。

ワープロは、パソコンに変わり、最初の「かな」打ちは、「ローマ字」打ちに替えて、覚えたブラインドタッチはさらに速さを増し。

「きはしとち」
「くまのりれけむ」

かな打ちだった私が、最初に覚えたキー配列。
今もときどき、頭のなかで呪文のように唱えていることがあります。
さて、なんの呪文なのでしょうか。

おやすみ。


2004年03月24日(水) 小豆島ラーメン

今日の昼は、ラーメンでした。
駅に隣接したショッピングセンターのなかに、いつも気になっていたラーメン屋さんがあります。

小豆島ラーメン。

……。
聞いたことがないだけに、いつもいつも気になっていました。
今日は、ちょうどおなかが空いたころに、その前を通ったので、ふらりと入ることができました。

厨房をカウンタ−で囲んだだけの小さな店舗。
まだ朝の11時ということもあり、お客さんは私ともう1人。

ラーメンをすすっていると、もう1人のお客さんと店員さんの会話が聞こえてきました。

そのお客さんは、今日は休みの様子。

店員「今日は、何しまんの?」
客「今日か? 今日はずっとサウナや」
店員「どこのサウナに行きますのん」
客「国道越したところにあるやん。古いビルの中やねんけどな」
店員「中身はキレイなんやね」
客「……、いや、そんなに…」

思わず、ラーメンを吹き出しそうになりました。
でも、まだまだ会話は続きます。

客「昼間は空いていて、いいで」
店員「混むときって、夜でっか?」
客「そやな〜、勝った連中がぎょうさん来(き)よるわ」

勝った連中……、競艇!?

店員「絵、は大丈夫ですの?」
客「絵を描いている人は、禁止なんやけどな。でも、月に1回くらいは会うで」

サウナで絵?
………、刺青!?

ごくふつうに会話が進んでいっていることに、「地域性」を感じざるをえませんでした。

小豆島ラーメン480円。
小豆島が遠い遠い国に感じたひとときでした。

おやすみ。


2004年03月23日(火) かぶ

麻雀牌に、花札、株、パチンコ台。
正統なところで、百人一首。

子どものころのお正月の遊びです。
お正月だけではなく、親戚が集まったときや、家族でなんとなく気が向いたときに、なぜか花札とか麻雀とかで遊んでいました。

これが、ただのゲームではなく「賭けごと」につながるということは、ずっと後から知りました。

こういうゲームは、子ども同士で遊ぶより、おとなが入ったほうがだんぜん面白い。
「ポン」とか「チー」とか言い過ぎると、決まって「泣き虫は嫌われるぞ」と一言いう叔父。
「四一(よいち)、九一(くいち)で親の総取りや」
と、必ずいう祖母。

おとなになるに連れて、これらのゲームは自然としなくなりました。
しなくなったというより、親戚同士で集まることがなくなったことと、周りに株や花札を知っている友がいなかったこと、それから、中学生のときに、クラスの男の子たちがしていた花札や株の子どもじみたところを見て、イヤになったことが理由です。

今では、トランプでさえしなくなりました。

きのう、久々に「くっぴん」という言葉を使いました。
賭け事はきらいだけど、また子どものときのように、祖母と歳の近いいとこたちと、それから彼らの父である叔父と、「オイチョカブ」をしたいな、と思いました。

今はもうこの世にいない叔父の思い出のひとつです。

おやすみ。


2004年03月22日(月) セリフ

「妙な言いがかりは、いいかげんにしてください」

なーんて、セリフ。

どうでもいいことが多すぎますね。


2004年03月21日(日) 長介さん

なにげなくテレビを観ていると。
……ええっ!
いかりやちょうすけさんが、亡くなった?
あの、ドリフターズのいかりやちょうすけさんが?

ドリフターズといえば、私の幼少年にを風靡(ふうび)したお笑いグループです。
ご本人たちは「コミックバンド」でデビューしたそうですが。

当時、我が家に住んでいた大工の職人さんたちといっしょに、毎週、「8時だよ!全員集合!」と観るのが楽しみでした。

夜、遅くて、朝、早い職人さんたちに合わせて、私も無理して早起きしたり、ずいぶんと夜更かししたりして、結局は「子供の教育に悪い」ということで、アパートを借りてもらったそうです。

ちょっと寂しくなった我が家。
でも、ドリフターズの番組だけは、その後も毎週観る習慣は残りました。

いかりやちょうすけさんの訃報は、私自身にとっても、そんな「思い出」から「お別れ」するようで、なんとなく物悲しい。

ホントは、「お別れ」ではなくて、ますます色濃くなってくるのは、わかっているのにね。

おやすみ。


2004年03月20日(土) リニューアル中

あぁ、仕事をしなきゃ。

そんなことを思いつつ。
ホームページのリニューアルを始めてしまいました。

そんなこんなで、明日、オープン。
でも、トップページだけのリニューアルになるでしょう。

ではでは。
おやすみ。


2004年03月19日(金) 尻切れトンボの日記

なんとなく、2002年3月の日記を読み直しました。
私が会社を辞める直前の日記です。

見事にほとんど会社関係のことばかり書かれていました。
「いっぱいいっぱい」だったんだなぁ、と思いました。

辞めたことには、やはりまったく後悔はしていないし、思い出すと腹立たしいこともたくさんあるけれど。

やりのこしたことがいっぱいあったなぁ。

そんなことを思いました。

今日は、もうおしまい。


2004年03月18日(木) ひたる

今日も取材。
今月は、取材月です。
でも、もうないでしょう(たぶん)。
月曜日までに3本、記事を書きます。
構想はできているので、大丈夫でしょう。
土日は、つぶれますが、いつものコトです。

今月は、ちょっくら旅に出よう、と思っていたけれど、しばらく先になりそうです。

そういえば。
会社を辞めてから、車で日本一周しよう、と思っていたことを思い出しました。
各地に滞在している旅の友を訪ねてみよう。
そんなことを思っていました。

そんなことを思っていた自分が、なんだか、とても、懐かしい。

……。
あぁ、現実逃避。
記事を書かねば。

ぜんぜん、大丈夫じゃなーいっ。

おやすみ。


2004年03月17日(水) もくれん

「あ…、あの白い花…」

大学4年の春、もうすぐ卒業を迎えているとき。
ふと、白い花が目に入りました。

「あ、あれは、木蓮かな。木蓮だよね?」

……。
いっしょに歩いていた友に聞かれても、わかりませんでした。
それどころか、「木蓮」という名前の木があるのも初めて知りました。

空に向かって、花を咲かせているその木に、就職を目前に控えた私とその友には、とても心強く見えました。

木蓮。

今も、白い木蓮を見ると、そのときの気持ちと、そのとき、いっしょに歩いていた友を思い出します。

木蓮という「名」を、教えてくれて、ありがとう。

今は、中学校の教師をしている友に、いつか直接、伝えたい「気持ち」です。

おやすみ。


2004年03月16日(火) いろいろ考えた結果

今日の日記は、おやすみ。



2004年03月15日(月) 今日、感じた・思った

胸にこみあげてくる熱い「何か」を、おさえるのに必死でした。
壁に飾られた数枚のモノクロ写真。
それは、確かに彼の「聖地」を映したものでした。

故郷を「聖地」と呼ぶ彼。
故郷を「聖地」と呼ぶ意味を知っている彼のモノクロ写真に、いつの間にか、こらえていた涙が頬を伝っていました。

「なにひとつ不自由のなかった旅館のぼんぼんが、一転して奈落の底に落ちた。つらい日々だった。しかし逆に考えれば運命が与えてくれた贈り物だったとも思う。僕はそこで遅まきながらはじめて自我というものに目覚めたのだからね。自分が子供から大人になる分岐点が、くっきりとそこに立ち現れたんだ」(藤原新也の写真展より)

インド、アメリカを放浪して、23年ぶりに生まれ育った故郷に帰ったという藤原新也さん。
そのときの思いは、生意気ながらに私にはわかるような気がします。
でも、すべてがわかるというわけではありません。

なぜなら、私はまだ「故郷」に帰り、そのときの「思い」をつづる気にはならないから。

ただ、今日は、なんとなく背中を押されたような気がしました。

乗り越えなきゃいけないものは、身近にある。

そんなふうに、ただ、思いました。

おやすみ。


2004年03月14日(日) 目下の目標

先日、取材した記事を1本、書き上げました。
書き上げた、といっても、27字×14行。
たいした量ではありません。

それでも、この短い分量のなかに、主張したいこと、そのときの情景を簡潔にまとめなければなりません。
2時間ほどかかって、ようやく文字数におさめて、メールで入稿。
ふぅ。大丈夫かな。

明日もまた、小難しい内容を取材します。
あぁ、緊張。

今朝からどうも調子が悪くて、取材の準備は、遅々として進まず。
さて、明日はいったいどうなることやら。

目下のところ、この風邪らしき体調の悪さから、うまく逃げ出すことだけを目標に。

おやすみなさい。


2004年03月13日(土) エール

なーーんにも書くことがない日、なんて、ない。
だって、少なくとも、その日1日は何かをしているわけだし。

たとえば、朝食のこととか、その日に着ていた服を買ったときの話とか、通勤のときに考えていたこととか、おもしろかったテレビ番組とか。

なんでもいい。
なんでもいいから、書いていくと、だんだんと日常が変わってきます。

「あ、これ、日記のネタにしよう」

そういうふうに、日々の「出来事」をこまめに覚えていくようになります。
携帯にメモしてみたり。
誰かとの会話をそのまま日記にしてみたり。

それでも、書くことがないときは、書くことを探すんです。
そうしたら、いろんな発見ができます。
私がよく使うのは、「暦」。
今日がいったい何の日なのか、だけで、日記になります。

そんなふうにして、今まで続いてきたコンのみ日記。


今日、新たにホームページを立ち上げた友がいます。
控えめだけど、芯の強い彼女に、エール!

「継続は力なり」

お互いに、これからもがんばりましょう!


2004年03月12日(金) なんだか

しょんぼり。


2004年03月11日(木) しなくてはいけないこと

どうしよう、どうしよう。
行く時間がないっ!

そう思って、資料を読むと、なんと郵送でもオッケー。

なんだ、よかった。

ということで、今年も無事に「確定申告」をしました。
郵送で。

ちょっと不安はあるけれど、何かあれば連絡があるだろうし、いちおう期日までに到着する予定なので、遅れたことにはならないでしょう。

今年からは、ホームページから出力した用紙で、確定申告ができるようになりました。
自宅でゆっくり書いていけるので、楽チンです。
という私は、「やるぞ、確定申告」というソフトを購入してしまいましたが。
何も考えずに入力していけばいいので、これまた便利でした。

そういうわけで、ひとつ、「しなくてはいけないこと」が減りました。
まだまだ、「しなくてはいけないこと」はたくさんあります。

まずは、緊急度の高いことから先にしていかないと。
ということで、睡眠をとります。

おやすみ。

ぐぅ。


2004年03月10日(水) 今日のしごと

大阪教育大学まで行ってきました。
遠かった。
疲れた。

仕事内容?
それは、秘密です。
いえ、今日は眠いので、また今度。

おやすみ。
ふわふわ。


2004年03月09日(火) 危機感

昨日は、父が仕事を休みました。
両親の会話を聞いていると、最近、父は仕事を休みがちな様子。
ひざに水がたまって、歩くと痛いそうです。
先日、水を抜いてもらったのですが、やはりまだ痛い。

年をとると、体のあちこちにガタがきます。
それは例外なく私の父にも襲ってきている「老化現象」。
少し、耳も遠くなってきています。

父が働けなくなったら…。

そう思うだけで、不安で胸がいっぱい。
私の稼ぎでは、まだ両親を養えません。
サラリーマンではないので、退職金も出ない父。
年金も皆無に等しい父母。
とてつもない危機感に襲われます。

もう一度、サラリーマンに戻ったほうがいいのかも。
もしくは、結婚?

家にいると、そんなことを考えざるをえません。
とりあえず、今は、目の前の目標に向けてまっしぐらにがんばるしかありません。

人生においては、「刹那主義」ではないから、きっと、大丈夫。

おやすみ。


2004年03月08日(月) 泳ぎ

まだ、私が2〜3歳のころ、お風呂でおぼれかけたことがあります。
信じられないかもしれませんが、そのときのことを、かなりはっきり覚えています。
それだけ、衝撃的な「事件」だったのでしょう。

お風呂のふたの上にのって遊んでいた私。
何かのはずみで、ふたが外れて風呂桶にたまっていた水にドボンと落ちてしまいました。
そのとき、母は違う部屋でテレビを見ていたそうです。

ドボンと落ちた私は、声を出すこともできず、水の中でぐるぐると回転していました。
もちろん、泳げません。
不思議と「苦しい」という感覚は覚えていませんが、目の前の景色が、ぐるぐると変わっていったことは覚えています。
そして、そのあとの記憶は、ありません。


おかしい、と思った母がお風呂場に来たとき、私はぷかぷかとお風呂の水にうつぶせ状態で浮いていたそうです。
間一髪、のところで私は救い出されました。

「おばあちゃん(私の祖母)に叱られるから、誰にも言わなかった」

おとなになってから聞いた当時の話。
私の「水」への恐怖心を裏付けられた気がして、なんとなく安心(?)。
そして、私の泳ぎが変なのも、きっと子どものころの「恐怖心」からくるのでしょう。

納得。
よかった、です。

おやすみ。


2004年03月07日(日) うめ

梅の花を見に行ってきました。
キレイだったよ。

それだけ。
おやすみ。


2004年03月06日(土)

「もしもしー。雪ですよー」(がちゃん)

電話に出たら、いきなり切られました。
この一言を残して。

窓の外を見ると、晴天とはいえないけれど、青い空と白い雲。
雪の気配なんて微塵(みじん)だに感じません。

それでもしばらく空を眺めていると…。
あら、あらら。あらあらあらあら。

霧雨のような雨が突然降ってきたかと思うと、いきなり「みぞれ」になりました。

「雪に変わるかも…」

しばらく、外を見ていたけれど、なかなか雪に変わらず、あきらめて仕事を再開しました。

結局、私は、見られませんでしたが、けっこうな雪が降ったとのこと。
残念。

寒さは嫌いだけど、寒さのなかにとる「暖」が、なんともいえず心地がいい。
たとえば、真冬の「湯たんぽ」なんかは格別です。

今日の「なごり雪」。
みんな、それぞれにそれぞれの思いが詰まっているのでしょう。

おやすみ。


2004年03月05日(金) 新しい仕事

久々に緊張する打ち合わせでした。
今度、いっしょに仕事をする人と初顔合わせ。
これまでの略歴とか仕事内容を伝えます。
まるで「面接」!

というより、これがフリーランスの「営業」のような感じなのでしょう。
仕事をもらうために、自分をアピール。
いちばん苦手な「仕事」かも。

思えば、フリーになってからいいのか悪いのか「営業」にまわったことがありません。
今日は、経験のためにも「営業」まわりをしておけばよかった、と思いました。

いろんな環境、会社での仕事を柔軟にこなしていく力量が、私にはまだ欠けているような気がします。

今日、打ち合わせをした今までとはまったく違った仕事。
うまく進むといいな。

それにしても、今日のたった30分の打ち合わせは、ホントにくたくた。

ぐぅ…。


2004年03月04日(木) 背面飛び

高校2年のとき。
体育の授業で「走り高跳び」という種目がありました。
友たちが「ベリーロール」という飛び方をしているなか、私と数名の友は「背面飛び」を練習しはじめました。

理由はひとつ。
背面飛びのほうがかっこいいから。

体育の先生も一生懸命に教えてくれました。
それでも、背面飛びをする女子は少なく、お手本になるのは先生の飛び方だけ。
だから、自分たちでここが悪い、ここをこうするとひっかからないなど、お互いに友の飛び方をチェックし、研究して、教えあいながら、練習を続けました。

そして、最後の授業で記録をつけます。
個人の最高記録を目指します。

不思議なことに、そのクラスの高記録を制覇したのは、すべて「背面飛び」チーム。
私の記録が、クラスで2番だったことに、自分でも驚きました。

「背面飛び」のほうが高く飛べるのでしょうか。
「背面飛び」チームの人たちが、運動神経の優れた人がそろっていたのでしょうか。

たとえそうであったとしても、それがすべてではない、と思います。

個人記録のなかのチームワーク。
あのとき、私がつい手をバーにあてて落としてしまう癖を見つけてくれる友がいなかったら、私はいつまでたっても高く飛べなかったでしょう。

その授業の終わりの日。
なんだか涙が出て止まりませんでした。
背面飛びチームは、なぜかみんな泣いていました。

たかが体育の授業。
それでも、忘れられない高校時代の1ページ、です。


2004年03月03日(水) 捨てることはいつでもできる。

「あ…」

ちょっとつまづいた瞬間、右足の靴の内側が靴底から離れて、パカっと大きな口を開けました。

「あ〜ぁ…」

用事を済ませてから、近所の靴屋さんに行き、新しい靴を探しました。
靴屋に汚い靴を履いていくと、みんなが私の足元を見ているような気がして、ちょっと気恥ずかしかったけれど、小一時間ほど探して、新しい靴を買いました。

「こちらの靴は、お包みしますね」

もう十年近く履きならした靴。
よく見ると、左足のほうも穴があきかけていて、見るも無残。
このまま持って帰っても、もう履かないだろう。
ここで捨ててもらおうかな。

私の汚い靴をていねいにていねいに箱に入れている店員さんに、私は、

「この靴、まだ修理できますか?」

と聞いていました。

私は足が少し弱いので、靴はあまり買い換えません。
同じ靴を毎日履いて、自分の足になじませます。
靴ずれができても、がまんして履いていくと、いつの間にやら、靴が私の足の形を覚えてくれます。

この靴も、私の足をがんばって覚えてくれました。
靴の中がぼろぼろになってきたな、と思ったら、母が市販の靴底を入れてくれて、また履いて。

「もう少し、履きたいんです」

そう続けると、ていねいに靴の箱のふたをしめた店員さんは、私を同じフロアの修理センターまで連れていってくれました。

「直るといいですね」

ていねいにおじぎをしながら、笑顔で売り場に戻っていった店員さん。

ということで、私の汚い靴は、今、修理中。
ちょっと時間はかかるようだけど、でも、また履けるようになるとのことでした。

あのとき、店員さんが「この靴、どうしますか」と聞いていたら、「捨ててください」と即答していたと思います。

「捨てることはいつでもできる」

ふと、母の言葉を思い出したひとときでした。

おやすみ。


2004年03月02日(火) 編集用語

新刊の「組み見本」を「入稿」するための準備をしていました。
「版面(はんづら)」を決めて、「ラフ」を切ります。
「ページデザイン」の「指定紙」も作りました。

「原稿整理」した「テキストデータ」をフロッピーにコピーして、封筒に入れて準備完了。
明日、これをもって、印刷屋さんと打ち合わせです。

こうして、編集用語をふつうに使っているけれど、ときどき、この用語を教えてくれた人のことを思い出します。
かなりのヘンクツ者だったけれど、その人はまさにこだわりをもつ「編集職人」でした。

その人のもつ編集者の力量を、すべて受け継ぐことはできなかったけれど、「アミカケ」の使い方は、彼ゆずりだと確信しています。

さて、明日は、今まで作っていた本の「青焼き」の日でもあります。
「誤植」の出ないように、しっかりチェックしてきます。



2004年03月01日(月) 古巣

朝から古巣で仕事中でした。
校了前の校正刷り(ゲラ)の素読み(すよみ)のお仕事。
なぜかこの会社では「読み込み」といいます。

もともと担当していた雑誌なので、作りや用語等には慣れていますが、やはり雰囲気が少し変わっています。
もちろん、編集長が変わると雑誌自体が変わっていくのはやむをえません。
編集方針も、若干違ってきているように思いました。

会社を辞めて、この4月で丸2年。
それでも、少し離れた位置から見た「私」の雑誌は、私と「隣の彼女」の足跡がたくさん垣間見られ、思わず校正以上のことをしてしまいました。

「大きなお世話かな」

そんなことを考えながら、古巣をあとにしました。

「編集はきらいだ」と言って辞めていった「隣の彼女」。
その後、念願のイラストの仕事をしていると聞きました。

「ヘルシーにハッピーにラッキーにに生きていきたい」

「隣の彼女」の人生の目標です。

「きらい」と言いながら、ホントはそんなにきらいでもなかったんだろうな。
今日は、ゲラを読みながら、ふとそんなことを思った1日でした。

おやすみ。


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