紫
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カルフールは、わくわくするけれど、私のマイカルには負けるかな。
おやすみ。
今日、誕生日の友のため、何日か前からちょっとした企画を練り始めました。
サプライズでバースデーパーティーをするためです。
バースデーイベントをしてくれる店を選んだり、花を調達したり。
いえ、これは全部、ほかの友がしてくれました。
私は言うだけ。
おかげで、とてもステキで楽しいバースデーパーティーになりました。
単に「おめでとう」の言葉だけではありきたりなので、カードに「32歳のときに自分は何をしていたか」「32歳になったときの自分予報」を書きました。
これがまたおもしろい企画。
いちばんの楽しさは、友の喜んだ顔。
始終、嬉しそうに楽しそうにしている友に、心の底から「おめでとう」。
ゆっくりのんびり、でも確実に前に進んでいきましょう。
これからもよろしく。
ふわふわ、ふわり。
今日は早めにねんねんこ。
ぐぅ。
「なーーんか、やな感じ。
言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」
って思いました。
でも、言いたいことははっきり言わないほうがいいってこともよく知っています。
さて、見極めが大事。
でも、言いたいことはついつい言ってしまうのが私の悪いところでもあるのです。
わかってはいるのですが…。
ホントにホントに仲のいいクラスでした。
個性的な人間がたくさん集まっているのに、どうしてこれだけ仲良くなれたのかが不思議なくらいでした。
そんなクラスの同窓会が、今日、開かれました。
卒業して数年間は、毎年開かれていたのですが、いつからかなくなってしまいました。
何度も何度も同窓会を開こうという動きはあったけれど、いつしか消えていました。
今回はホントに開催。
幹事さん夫妻にどうもありがとう。
担任の先生も含めて、45人中32人が集まった今日のこの会。
懐かしい顔や、「え、誰だっけ」という顔がたくさんでした。
今日、来られなかった人たちとも、一応は全員連絡が取れた様子。
みんな、生きていてよかった。
しみじみとそう思いました。
志半ばにして去っていった彼女もきっときっと喜んでいることでしょう。
またいつか、こうしてわいわいと集まることができればいいな。
おやすみ。
2003年10月25日(土) |
サプライズ披露パーティー |
22時ころに、恒例のお誕生会が始まりました。
恒例は恒例だけど、今日はちょっと様子が違います。
バースデーソングをみんなで歌って、寄せ書きのクッションをプレゼント。
私も持っているこのクッションは、おそらく「一生涯の宝物」になるといっても過言はないでしょう。
そしてそのあと、つい先日入籍したばかりの二人に向けて、サプライズ結婚パーティーが始まりました。
今日の日のために、朝から奔走してくれた「腕のいい職人さん」と、今日の司会を自ら申し出てくれた「色白のアルピニストさん」が、楽しくあたたかい会を進行していきました。
「結婚の報告くらいに」と考えていたらしい二人は、かなり動揺。
そんな当人たちにお構いなく、旅人たちが次から次へとお祝いのことばを贈ります。
もちろん、歌もあります。
この日のために、毎日毎日夜遅くまで練習を続けてきた新婦の「ライダー仲間」さんと「かつてラガーマン」さんが、いっしょに演奏。
あたたかいスピーチと演奏を聴いて、心がとてもとても温まりました。
私も歌わせてもらいました。
つい先日、ラジオから流れてきた懐かしい歌を、なんと今日はアカペラで。
いつもより緊張したひと時でした。
このあともみんなで合唱して、いつもの集合写真を撮って。
今日もまたあたたかい気持ちのまんま、布団にもぐりこみました。
お幸せに。
いそがしいよぅ
古巣で仕事をしていると、必ずコーヒーを入れてくれる後輩がいます。
私がコーヒー好きなのを知っているのでしょう。
ホントに必ず「コーヒー、飲みますか?」と聞いてきてくれます。
古巣とはいえ、あまり「勝手知ったる」態度はやめようと、なかなか給湯室にいけない私は、そのコーヒーがとてもありがたい。
何もかもを捨てて辞めた私に、「教えてください」と聞いてきてくれる後輩がいます。
教えることは苦手だけど、理解してくれるのはとてもうれしい。
今日は久々に「隣の彼女」を思い出しました。
彼女は、果たして私のことを思い出してくれることはあるのでしょうか。
いい意味でも悪い意味でも。
おやすみ。
最近、毎週水曜日の深夜にNHK放映の『プロジェクトX』という番組を観るようになりました。もちろん再放送です。
「人類の歴史と文明を劇的に変えたのは『プロジェクト』である。 」
このようなサブタイトルがついています。
これだけを読んで番組を見ると、「昔の人はすごいなあ」と単純に考えてしまいます。
でも、この大掛かりなプロジェクトを実現させてきたのは、「無名の日本人」。
この番組さえなければ、名前も顔も知られることのなかった人たちがほとんどです。
もちろん、プロジェクトは一人の力では動きません。
「チームワーク」という船にのって、進むべき方向へ動きます。
私の辞めた会社は、今、大きなプロジェクトが動いています。
この業界では新参者だけど、だからこそ自由気ままな発想で「ものづくり」をしてこられたんだと思います。
古巣で仕事をしているここ数日。
がんばってほしいなあ、とプロジェクトXを観ながら思いました。
おやすみ。
午後から古巣。
ここは、私を知っている人たちばっかり。
ありがとう。
明日もよろしく。
おやすみ。
今週は古巣に戻って、仕事です。
最後の仕上げは、会社のマッキントッシュを借りて、久々に「組版」をします。
うん、やっぱりマックはいい。
辞めて1年半も経つと、知らない人や名前のわからない人がたくさんいます。
以前と変わらず、同じように話し掛けてきてくれる人もいます。
私も当たり前のように「そこ」に座っています。
なんとなくずっと音信普通にしていた「ふるさと」に戻ったようで、人の視線がこっぱずかしい1日でした。
明日もまた古巣で仕事、です。
おやすみ。
小さい小さいオムライスに、シアワセ気分♪
おやすみ。
小学校4年生の1学期のオワリに、のっぽの男の先生がやってきました。
担任の先生が産休・育休に入るためです。
産休で先生が休むというのも、男の先生が担任になるのも、こんなにのっぽな人と身近に接するのも生まれて初めてでした。
二学期から始まったのっぽ先生の授業は、まさに破天荒。
授業は毎日「国語、算数、理科、社会」。その間に、体育、音楽、図画工作、書道、道徳などの授業が入ります。
近畿大学理学部(?)卒業のその先生は、シーラカンスの研究をずっとしていて、理科の授業はほとんどシーラカンスの話。
国語も社会も教科書を使わずに授業が進められました。
苦手だった算数もなぜだかその先生に教えてもらうと、まるで魔法がかかったようにすらりすらりと問題が解けました。
あれはホントに魔法だったのでしょうか。
極めつけが体育。
おそらく小学校4年生が、普通は授業で習わないことをたくさん教えてもらいました。
たとえば、マット運動では地上転回(?)やバク転、側転の前ひねり、後ろひり。
運動神経のいい児童が、もっともっと伸びるように。
運動の苦手な児童には、側転だけでもできるように。
クラスのみんながきれいに側転ができるように、私たちも教えあいっこしました。
そして、運動場を使った授業では、私たちはなんとラグビーを教えてもらいました。
もちろん、そんなカリキュラムはありません。
ラガーマンである先生は、何もかもを無視して、ラグビーを必死に私たちに教えてくれて、そして私たちもラグビーという生まれて初めてのスポーツに必死になっていきました。
1年にも満たない時間だったけれど、その先生とめぐり合えたことは、まだ「人生」を知らない私には、かなり影響を与えたと思います。
今日は久々にテレビでラグビーを観戦。
きっとあの先生もどこかでテレビにくぎ付けになっているのでしょう。
みんなでお金を出し合って買ったあの白いラグビーボール、今も持っていてくれているのでしょうか。
おやすみ。
ベランダをふとのぞくと、見慣れた懐かしい葉っぱがにょきにょきと顔を出していました。
「あれ? イチゴ?」
一人暮らしをしていたからずっと育てていたイチゴは、私の度重なる引越しに耐え兼ねて、とうとう枯れてしまったのが、おととしの冬。
毎年、春になると必ず花を咲かせ実を結び、びょーんびょーんとツルを伸ばして株を増やしていたイチゴのために、いくつものプランターを買ってきて、あまりにも増えすぎたために、知人に里子に出していたイチゴ。
大阪に来てから、イチゴの元気がみるみるなくなっていくのがわかりました。
当時の私の「大阪なんて大嫌い」という思いが、イチゴにも伝わったのかもしれません。
今は大阪という土地にも人にもすっかり慣れ、「ボケ」と「つっこみ」にも寛大になり、この土地を「もっと知りたい」と思うようになりましたが、イチゴはもうとっくに枯れていました。
「なんかわからないけど、このあいだからにょきにょき芽が出てきてん」
母が隣にきて言いました。
枯れたとばかり思っていたイチゴ。
じっとずっと土のなかで、芽を出してもいい時期を待っていたのでしょうか。
「来年、花は咲くかな…」
そのイチゴに自分を重ね合わせた気分になり、ふとそんな言葉が口をつきました。
「イチゴが食べられるよ」
母の返事に、胸が熱くなるのを隠しながら、家を出ました。
あの甘酸っぱいイチゴ、来年の春にはまた食べられるといいですね。
おやすみ。
今日は湯豆腐。
豆腐好きの私には、たまりません。
子どものころは、「鍋料理」は嫌いでした。
熱くて熱くてたまらないからです。
「おとなはなんで鍋料理が好きなのかな」
食卓に鍋が出ると、いつもそんな疑問が頭をよぎりました。
ようやく「おとな」と呼ばれる年齢になって、お酒を飲むようになって、仲間でわいわいとする楽しみを覚えて。
「鍋、しようよ♪」
いつからか、自分から率先して鍋パーティーを開くようになっていました。
「酒をたしなみ、会話を愉しむ」ことを覚えたのでしょう。
今日の湯豆腐も楽しい愉しい会でした。
あのまずいワインも、いい思い出。
おやすみ。
久々に淀屋橋まで行きました。
おわり。
カキフライを食べました。
おいしかった。
やっぱりこれですね、はい。
ということで、もっとカキフライについて語りたかったのですが、忙しいのでまた今度。
おやすみ。
2003年10月12日(日) |
宣伝!「宮澤英子」作品展『ざわざわ』 |
今度、イラストレーターをしている友の個展が開催されます。
この場を借りて、宣伝。
って、私の日記だから、借りるもなにもないのですが。
ぜひぜひ行ってください。
ほんわかあたたかいイラストを描いています。
行ったら感想を聞かせてくださいね。
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■宮澤英子作品展「ざわざわ」
■日程:2003年10月7日(火)〜11月9日(日)12時〜19時まで(月曜休館、日曜17時まで)
■場所:Gallery ART SPACEのトイレのなか(!)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3−7−5第5大鉄ビル4階
営団地下鉄銀座線外苑前駅3番出口より徒歩5分
http://www2.odn.ne.jp/artspace/
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今日の日記はこれで、おしまい。
10月は案の定、忙しくなりました。
あ〜、大丈夫かなあ…。
不安。
よく電話がかかってくる家で育ちました。
そりゃ当然。
家が事務所代わりだったからです。
先代のあとをついで、父が工務店を開いてからは、私の家は四六時中といっていいほど、電話が鳴りました。
夜中の電話は、もちろん「やくざ」です。
そして、その電話に出るのは、私の役目。
「もしもし」
「おとうちゃん、おるか?」
「まだ帰っていません」
「なんや、まだかいな。おかあちゃんは?」
「もう寝ました」
「起こしてきてくれへんか」
「……………、いや!」
子どもだからこそ、こういう会話ができたのでしょう。
そして、子どもだからこそ、こういう会話が許されたのでしょう。
なぜ、こんな深夜にしかも「やくざ」から電話がかかってくるかは、当時はわかりませんでした。
でも、さすがに幼い私との会話に「やくざ」も「人の子」であり「人の親」なんだな、と子どもながらに思ったことを覚えています。
「おじょうちゃんも、たいへんやな。はよ、ねーや(寝なさい)」
「おじさんの電話が鳴ったから、起きたんです」
「…………、そ、そやな」
毎晩、限りない「付き合い」で午前様の父。
深夜の電話に、ノイローゼ気味だった母。
そんな家庭環境のなかでも、頭が良すぎた神経質な兄。
そして私は、深夜の電話に応対しながらも脳天気すぎるほど、世間知らずに育ちました。
最近よく、「やくざ」の乗っている車や、「親分」そのものをよく見ます。
不思議と怖くないのは、子どものころの経験と、やくざ上がりっぽいまじめな職人さんがたくさんいたおかげでしょうか。
それでも、私は商売を始めたばかりの父にいやがらせをし、母を苦しめたやくざの名前を忘れることはできません。
やくざがなんぼのもんやっちゅうねん!!
これはつっこみ?
ふんわり、ふわふわ。
「一度、あげた看板は、ちょっとやそっとのことではおろしちゃいけない」
最近、心に響いた言葉です。
少し前に開店した小料理屋の若い板さんとその奥さんに、洋食屋のマスターが言いました。
なんとなく、そんな言葉を思い出した今日。
刹那主義なんて言っていられません。
さて、明日もがんばりますか。
おやすみ。
小学校5年生のころ、市のマラソン大会に出場したことがあります。
陸上部だった私は、部活の先生のすすめで、いつもいっしょに走っていた友といっしょに申し込みました。
マラソンといっても、小学生の部はたったの2キロ。
それでもアップダウンの激しい道を往復します。
スポーツなら、何をさせても群を抜いていたその友に、私が対等に張り合えるのはマラソンくらいでした。
でも、彼女を抜いたことはありません。
いつもゴールギリギリで、彼女がすぅーっと当たり前のように前に出ます。
だからタイムの差はいつも1秒。
彼女が1番になるのは当たり前のことだったので、私もとくに「くやしい」とは思いませんでした。
市のマラソン大会の当日。
世間は広いもので、私たちよりも1分近く早い選手が1位を取りました。
だから、私たちは2位と3位を争います。
ゴール近くになって、ラストスパートに入りました。
ラスト50メートルくらいになると、最後の力を振り絞って短距離走のように思いっきり走ります。
「あれ?」
どうしたことか、いつものように彼女はすぅーっと前に出ません。
それどころか、ペースが落ちたように思いました。
「抜ける! ………でも…」
何を思ったのか、私もペースを落としてしまいました。
と同時に、すぅーっといつものように彼女は私の前に出て、いつものように1秒差のタイムで2位と3位。
ペースを落としたとはいえ、それでもタイムは私も友も自己ベストでした。
そして、そのあとしばらくしてから、私は陸上部を辞めました。
今も私の部屋には、そのときにもらった3位の賞状が飾ってあります。
あのとき、彼女を抜けなかったわけは、11歳の私しか知りません。
何年か前に「痴漢」を通報したことがあります。
通報してもらった、というほうが正しいのでしょうか。
「いっしょに通報しましょう」
「四谷三丁目」の駅に着いたとたん、隣に立っていた女性がいきなり声をかけてきたと同時に叫びました。
「駅員さん、この人、痴漢です!」
よく聞けば、その女性も半年ほどずっと痴漢をされていて、でもなかなか通報する勇気が出なかったとのこと。
通報された痴漢もびっくりですが、私もかなりびっくり。
そのあと、パトカーに乗って四谷警察で調書をとりました。
パトカーに乗ったのも調書を取ったのも何度か経験済みですが、痴漢の通報や朝のラッシュ時の地下鉄を5分も止めたことはもちろん初めて。
経験しないほうがフツウなのでしょう。
30年ほど前にやはり痴漢罪で捕まっていたらしいその痴漢。
前科があるため、2週間ほど留置所に入れられた様子。
初犯なら「厳重注意」になることもあるとか。
「仕事もクビになるだろうね」
担当の警察官がつぶやいていました。
それからは不思議と痴漢にあわなくなりました。
あわなくなった、というより、あわないように十分に警戒するようになったのでしょう。
通報当日は四谷警察で午前中がつぶれ、そのあと、四谷警察に1度呼び出しがかかり、それから検察庁に行って検事さんにばかばかしい話をまたいろいろ聞かれて。
あんな無駄な時間はもうまっぴらごめんです。
「女性専用車両」の表示を見るたびに、そのときのことを思い出す今日このごろ。
そういえば、阪神電車は朝の特急だけに女性専用車両が導入されたとのこと。
阪神電車には「巨人ファン専用車両」があるってホントなのでしょうか。
おやすみ。
2003年10月05日(日) |
「絶対」のとらえかた |
「『絶対』ですよ」
と言ったのに、なーーんにも果たしてくれない。
「絶対」ってそういうことかな。
「うわあ」
友のくれた見慣れた赤い紙袋を広げると、懐かしい香りがあふれてきました。
この香りがほのかにした歩くとミシミシと床のきしむ台所が、私は大好きでした。
懐かしすぎるその香りに、泣きたくなる気持ちを抑えて「ありがとう」と言いました。
毎朝、朝ごはんよりも先に豆をひき、ポトポト、ポトポトと時間をかけておとした濃いめのコーヒー。
もうこのコーヒーのする台所に立つことも、このコーヒーが手紙といっしょに送られてくることもありません。
それでも、このコーヒー豆の香りに宝箱に入ったはずのいろんな思い出がどんどんどんどんこぼれてくるのは、今が「秋」だからでしょうか。
明日の朝、新しい豆でコーヒーをいれよう。
思い出の宝箱のなかにとっぷりとつかってみよう。
だから今日は早めにおやすみ。
早く明日になるために。
2003年10月03日(金) |
散歩とソフトクリームと閉まっていた玄関と |
1日中、ひきこもり状態で仕事していました。
今日のこの快晴の空も、たぶんそよそよと吹いているだろう秋風にもあたることなく。
だから、日が暮れてから、買い物がてらに散歩に出かけました。
快晴の空もそよそよ秋風もなかったけれど、ヒンヤリとした夜の空気はとてもとても気持ちよかったです。
いっしょに散歩に付き合ってくれた「腕のいい職人さん」と、細い路地を通ったり、おいしいケーキ屋さんで買ったソフトクリームを歩き食いしたりと、楽しい散歩になりました。
いつも「人」がいる場所の前も通りました。
玄関には「お休み」の貼り紙がされていて、ひっそりとしていました。
「みんな、いないんだな…」
もちろん、みんながいないのは知っていたけれど、こうしてあらためて玄関が閉まっているのを見ると、またまたちょっとさびしんぼモード。
でも、近所のスーパーで「卵78円」を1パックずつ買って帰って、近所のマンションに住む「赤い帽子の少年」に手を振って、元同僚に仕事の電話をして。
それから、またまた鍋を2人でわいわいとつつきあって。
さて、明日もがんばろう。
こんな感じで、1日の終わりに元気になりましたとさ。
おやすみ。
今日は「古巣」に戻って仕事していました。
ここ1年ほど触っていなかったマックを使い、久々にDTP。
楽しかったです。
やっぱりマック、欲しいなあ。
家にG3マックがあるのですが、古すぎてUSBケーブルが入りません。
モニタももう写らず、今はただの箱状態。
なんとかならないかな。
ということで、今日もひとりごと日記。
毎日、疲労たっぷりです。
それでも、今日はなんとなく楽しみな「会」の計画を立てたため、気分よく眠りにつくことができました。
楽しみだ楽しみだ。
おやすみ。
何をはじめるにあたっても。
忙しすぎるっ!
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