紫
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少しイライラ・もやもや。
でも、この「イライラ・もやもや」は自分で解決するしかないんです。
「イライラ・もやもや」を忘れるために仕事しーよおっと。
「イライラ・もやもや」をなくすもっと手っ取り早い方法が何かなんて、私がいちばんよく知っているくせに。
明日から10月です。
去年は沖縄に行っていて、楽しかったな…。
独り言日記でした。
おやすみ。
うそ、仕事します。
今日はつかれた。
おやすみ。
日も暮れてまっくらな宇治川ラインを少しのぼった人里離れた山奥に、今日の「悲しい式」の式場がありました。
ひっそりと静かに、それでもたくさんの「友」がその場にいました。
懐かしい顔ぶれがいっせいにそろったその式場。
ホントなら「元気だった?」と再会を喜び合いたかったのに。
「がんばってたと思うよ。一生懸命だったと思う」
泣きながら友がつぶやきました。
たとえ100人の友がそばにいても、癒しきれない感情に耐え切れず、彼はこの世を去りました。
来た道を戻り、いっしょに行った友を駅まで送りました。
「こんなときにだけど、来年、入籍するねん」
こんなときだからこそ、彼女のシアワセ報告がよりうれしく感じました。
ホントにホントにおめでとう。
今度、再会するときは「笑顔」で。
帰りの車のなかで、なぜか大声をあげて歌いたくなったのは、今日の新月に近い月のせいでしょうか。
おやすみ。
「悲しい報せ」のために、電話をかけてきてくれた高校時代の親友に「ありがとう」。
私ができることは、あなたから聞いたこの「こと」を、できるかぎり早く当時の「
女子バレーボール部」に報せることだけです。
そして、女子バレー部を代表して明日の「悲しい会」に参列することだけです。
たった3年間とはいえ、同じコートに立った君へ。
「それは、ないんじゃない?」
怒りにも似た感情を、私はどうすることもできません。
おやすみ。
忙しくて忙しくて、この忙しさは来月いっぱい続きます。
来月はもっともっと、忙しいでしょう。
がんばるぞ。
大阪に来たときに、困ったこと、驚いたことはたくさんあります。
そのなかの1つがこれ。「ボケ」と「つっこみ」。
よく漫才師がやっているアレです。
京都で生まれ育ったとはいえ、私が住んでいたころはそれほど「ボケ」とか「つっこみ」とか言われていなかったように思います。
少なくとも我が家では、そんな文化はありませんでした。
それとも私がただ、つっこまれていることに気づかなかっただけ?
何かとぼけたことをまじめに言うと、
「なんでやねん!」
決まり文句のように返ってきます。
誰かがボケていて普通にしていると、
「そこはつっこむとこやろ!」
と逆につっこまれます。
別にボケてるつもりでもないし、まじめに話をしているのに急にボケられたりして、話のコシが折られます。
なんでもかんでもつっこんできて、ダジャレにダジャレを重ねて話がまったく違う方向に進んでいっても平気な大阪人。
それこそ、「もうええっちゅうねん!」です。
でも、その「もうええっちゅうねん!」がなかなか言えない私。
「つっこみ」が大の苦手です。
そんなこんなで最近、「つっこみ」練習中。
がんばっている私に、こんなアドバイスが。
「ボケた人が気まずい思いをしないように、気をつかってあげること。相手をいたわる心から生まれた大阪の文化です。つっこみは『愛』です」
!!
そうか、「つっこみ」は「愛」か。
そうわかったとたん、むやみやたらにつっこみはじめた私。
なんでもかんでもつっこんで、愛情豊かな人間になるっちゅーねん!
そのうち、うまくつっこめるようになるっちゅーねん!!
……。
ますます「つっこみ」がわからなくなってきたように思いますが、がんばってます。
みなさま、よろしくご指導お願い申し上げます。
「そんなこと、練習すんなっちゅーねん!」←ただしいつっこみ?
2003年09月24日(水) |
いもづる式に思い出す。 |
同窓会が決まったからでしょうか。
最近、よく高校時代のことを思い出します。
とは言うものの思い出せることはもう限られています。
学校を休んで買い物に行ったり、隣の高校の文化祭に忍び込んだり。
午後の授業を全部サボって、ピザを食べに行ったり、友だちといっしょに家でビデオを見たり。
サボってばかりではありません。
英語の授業で友だちと英語コントをしたり、文化祭で毎年セリフのない「不良」の役をしたり。
こうなると、どんどんいもづる式に思い出がどんどんどんどん掘り起こされます。
おそらく、同窓会に出席すると、私の覚えていないことや知らないことがどんどん出てくるのでしょう。
何年か経って、当時どんなことを考えていたか、友人同士で語り合えるなんて、とても貴重なことだと思います。
来月の同窓会、こんなにわくわくしているのは、私だけでしょうか。
おやすみ。
来月、高校3年生のときのときの同窓会があります。
3年生といっても、高校時代は3年間ずっと同じクラスだったので、高校時代の同窓会、と言ったほうがいいのでしょう。
仲のいいクラスでした。
1年生の文化祭までは、分裂しかけていたけれど、そのあとなぜか一致団結しました。
互いが互いを「思いやり」の目で見るようになったからだと思います。
きっかけは忘れました。
それでも、3年を卒業するときには、全員がかけがえのない「仲間」」になっていました。
その同窓会が、来月あります。
最近、その連絡を何人かにしました。
みんな喜んでいます。
来られない人は残念がっています。
高校時代の仲間は、一人、遠く遠くにいってしまったけれど、きっとその彼女も今回の同窓会を喜んでいるはず。
同窓会の連絡をしていると、その彼女と最後に会ったときのこと、最後に交わした会話を思い出さずにいられません。
きっと楽しい会になるからね。
だからどこかで………。
そんなことを思いながら、今日は最後の2人に連絡しました。
みんなみんな、集まればいいね。
おやすみ。
十数年前の話。
友といっしょにバイクで伊豆にツーリングに行きました。
帰り道にどしゃぶりの雨に降られて、バイクの調子も悪くなり、アクセルをまわしてもスピードが出なくなってしまいました。
仕方なく横浜でもう1泊。東京まではあと一歩のところでした。
翌日はうってかわっての晴天。
気分も新たに残り少ない帰り道を楽しもうと思い、エンジンをかけました。
ぶぉん、ぶるるん
私のバイクは、昨日の不調がウソのようにエンジンがすんなりとかかりました。
「わーい、かかったかかった♪」
と友のバイクに目をやると…。
ぶる…、ぶる……、プス…。
エンジンがかかりません。
もともと友のバイクは、つねにオイルがじんわりと漏れていて、よくエンジンがかからなくなっていました。
こうなると、何度、セルをまわしても無駄です。
さて、どうしましょう。
友は、近所の広い駐車場までバイクを転がして行きました。
はい、ここで「押しがけ」です。
友がハンドルを握り、私がうしろを押して、思いっきり走ります。
けっこう体力を使います。
すぐにかかればいいのですが、なかなかうまくいきません。
走ること30分。
もう二人ともあきらめの色が見え始めたそのとき。
ぶぉん!
「かかったっ!!」
「かかった、かかった!」
あのときの喜びは、どう表現していいのかわかりません。
昨日よりも疲労困憊(こんぱい)したなか、それでも気分はそのときの空と同じく快晴。
いい気分のまま、第三京浜をさっそうと帰っていきました。
今日はなぜかそんな昔を思い出しました。
これからは2日に1回はエンジンをかけましょう。
今日も昨日もおめでたい会、でした。
いつもいつもあたたかくてやさしい会。
そのやさしさに心があたたかくなる会。
さて、明日もがんばりましょう。
おやすみ。
いろんな「思い」も過ぎてみれば「笑い話」。
おやすみ。
出版社に転職して2カ月ほど経ったころ。
文字の間違いを見逃してしまう、という校正ミスをしました。
まだ本になる前の段階で、「大きなミス」というわけではありません。
そして私自身も、校正の大事さを知らなかったころです。
それでも、私に「編集」を教えてくれていた上司は、私に校正の大事さを口をすっぱくして言っていました。
無口で曲がったことがキライで、いつもぶっきらぼうに仕事をしていて、周囲の人たちからは「偏屈者」よばわりされていたその上司。
自分にも人にも厳しい人でした。
それでも、たまーに休憩がてらにコーヒーを飲みに行ったり、仕事帰りに飲みに誘ってくれたり。
会社から離れたときに見せるその上司の笑顔があったからこそ、いくら仕事で厳しいことを言われても、「ついていこう」と思えたのかもしれません。
私が、生まれて初めて出会った「編集者」でした。
そんな上司に、私の校正ミスを指摘されました。
入社2カ月。ちょうど緊張感が抜けはじめていたころです。
それでも、私にはまだ「編集者」の自覚も芽生えていませんでした。
そんな私に上司は、いつも以上に声を荒げて怒鳴りました。
「あんた、編集のプロなんだよ! もっと責任を持てよ!」
私が「ガツン」ときた一瞬です。
「新入社員」という言葉に、甘えてちゃいけない。
ここにいて、給料をもらっているかぎりは、私は「プロの編集者」なのだから。
それからだと思います。私が自分自身の「プロの目」を意識して、雑誌や本を読み出したのは。
毎日のように本屋に寄って、デザインやレイアウトを盗み覚えたのは。
きっと「仕事」ってなんでもそうなのでしょう。
料理人でもカメラマンでも、営業職でも事務職でも、「プロ」として自負するのではなく、「プロ」の意識をもちながら働くからこそ、その道の「職人」としてのびていくのでしょう。
「プロとしての意識をもつこと!」
会社にいたころ、今度は私が後輩によく言っていました。
どれだけ伝わったかわからないけれど、その言葉を言うたびに、もう編集者を辞めてしまった偏屈者の上司が、「よく言うよ」とどこかで私をにやにやと笑っているような気がしてなりません。
「編集者は料理人と似ている。まずいものを作れば誰も食べに来ない。おもしろくない本を作れば、誰も読まない」
久々に「編集」について「編集者」同士で語り合えた夜でした。
「中華料理の店に行って、フランス料理を出されても客は喜ばない」
そうそう、その通り。
読者が喜ぶ雑誌を作りたい。
ずっとずっとそう思っていました。
そして、去年、会社を辞めてからしばらく忘れていたことです。
最近は、「仕事」について自問自答することが多くて、どうにも「内」にこもりがちだった私。
今日は本当に有意義な時間が過ごせました。
「世の中にたくさんある情報をいろんな立場から収集して、読者が情報におぼれないよう、情報不足にならないように、取捨選択しながら情報提供していきたい」
いつも読者を不安にさせない本づくりを心がけていました。
問題提起をしたら、どこかにその答えが書いてあるように。
今日は、私が我が子のように愛していた雑誌について語ってきました。
いまだに新しい「親(編集者)」には馴染んでいないようだったけれど、それでもこれからの「変化」に一抹の「期待」が芽生えた時間になりました。
私もがんばらなくちゃ!
「我が子」に負けてはいられません。
コンのみ日記、不調。
なんとかして。
これで、よかったのかな。
なんとなく不安。
おやすみ。
2003年09月15日(月) |
ホームページのススメ |
最近、「のみすけ日記」を再開しました。
のみすけ日記をつけはじめたのは、これで3回目。
1回目も2回目もいろんな理由で、途中でやめました。
今回は、写真を取り込めるレンタル日記を借りたので、なんとか続きそう。
といいつつ、ついつい写真を撮り忘れてしまうのですが。
それにしても、コンのみの掲示板もコンのみ日記もコンのみアルバムものみすけ日記もすべてレンタル。
なんて手抜きなホームページなのでしょう。
のみすけ日記なんて、パソコンがなくても、携帯メールで更新ができるすぐれものです。
私はカメラ付き携帯ではないので、もっぱらパソコンから更新していますが。
ということで、トップページさえ作れば、気軽にホームページが更新できます。
みなさんも、この際ホームページを作りませんか?
お互いに掲示板に書き込んだりハーボットで遊んだりオフ会したりしましょう。
ホームページ作成、いっしょに勉強していきましょう。
おやすみ。
ふわふわ、ふわり。
眠いよぅ。
給食が大嫌いでした。
偏食すぎた私は、小学校の6年間、毎日の給食に悩まされました。
当時は、給食は「残さず食べさせる」という教育方針だったのでしょうか。
昼ごはんが終わっても、掃除の時間になっても放課後になっても、ずっとずっと給食を食べ終わるまで、食べさせられました。
給食室のあった私の小学校。
「給食のおばさん」たちは、ホントにこれをおいしいと思って作っているのかが、6年間ずっと疑問でした。
おとなになってから、当時の給食のおばさんに聞いた話しですが、「もっとこうすれば食べやすい味になるのにな」と思って作っていたことがたくさんあったそうです。
それを聞いてなんとなく安心。
今は、無理やり食べさせるということはなく、しかも当時と比べておいしくなっているとのこと。
今だったら、もっと有意義な放課後を過ごせたことでしょう。
給食を食べたくないばかりに、3日ほど仮病を使って学校を休んだことがありました。
なんと4日目の朝には、「みずぼうそう」になり、そのまま2週間、学校を休んだことがあります。
もう好き嫌いは、ずいぶんと減りましたが、やはり食べられないものはあります。
でも、無理やり食べなくていいから、もう仮病は使いません。
おやすみ。
今日の月は「十六夜月(いざよいづき)」。
満月が15番目の月として、今日は16番目の月になります。
30分ほど遅く出る少し欠けた月、です。
満月もキレイだけど、その前後の「少し欠けた月」も私のお気に入りです。
14番目の月は、「がんばれがんばれ」と応援したくなるし、16番目は「おつかれさーん」と言いたくなります。
そんなことを考えていた高校時代。
国語の先生が平安時代の「月」の呼び方について教えてくれました。
今日の十六夜月。
「いざよう」とは、「もじもじする」という意味があります。
満月より、30分ほど遅く現われる月を「もじもじしながら出てくる月」ということで、「いざよい月」と呼ぶようになったそうです。
明日の17番目の月は、立待月(たちまちづき)。
あさっての18番目の月は、居待月(いまちづき)。
しあさっての19番目の月は、寝待月(ねまちづき)。
だんだん遅く出てくる月を、まずは「立って待とう」「座って待とう」「寝ながら待とう」と、古人は秋の月をこよなく愛していたのがわかります。
さらに20番目の月は、臥待月(ふしまちづき)。
「もう待っていられず床に入って、寝てしまった」という月とのこと。
なんとも優雅な月の呼称なんでしょう。
国語や日本史の先生のさりげなく、それでもその時代に思いを馳せてしまうような「余談」が、私は大好きでした。
それでも、私の知りたかった「月のうさぎ」については、そのときの余談に出てこないまま。
いつか先生に会ったときに、教えてもらいたいことのひとつ、です。
ぜんぶ、あげる。
おやすみ。
父は昔、「宮大工」でした。
東北生まれで11人兄姉(きょうだい)の末っ子の父は、中学校を卒業してすぐに大工になりました。
それから、各地を転々としながら、日本列島をどんどん南下。
京都で「宮大工」になったのは、二十代前半のころだったと、私がまだ幼いころに母が教えてくれました。
その話しを聞いたときには、父はもう宮大工はやめて、工務店を開業していました。
父が修復に携わった社寺で覚えているのは、清水寺。
あの「清水の舞台」と言われる屋根を、父がていねいにていねいに張りなおしたそうです。
もちろん、宮大工の偉い親方の指示に従っていただけのことですが。
それでも、その話を聞いたとき、幼心に私は単純にも「清水寺は父の寺なんだ」と思ったのを覚えています。
今も清水寺に行くと、清水の舞台を1枚1枚じっくりと眺めてしまいます。
おそらく当時から何度も修復され、父が張ったという屋根ももうほかの人が張りなおしているのだろうけれど、それでも「宮大工」のときの父の「作品」のひとつと思うと、そこにいただろう若かりし父の姿を探してしまいます。
「編集職人」として、父と同じく「物を作る」仕事をしている私。
自分が手がけた「本」や「雑誌」を町の本屋で見かけると、胸が熱くなります。
きっと、父にも一口にはいえないいろんな思いがあるのでしょう。
いつか、父の長い長い昔話しをしながら、父の「作品めぐり」をしてみたい。
同じ「職人」と呼ばれる仕事をしている者同士で、物作りの喜びを語り合いたい、と、うとうと夢のなかで、思いました。
「あ、海老フライ…」
車に乗り込んだときに、ふと思いました。
先日、久々に入った「収入」で何か家に買って帰ろうと、季節はずれの炎天下を歩きながら考えていました。
何かおいしいもの、おいしいもの………。
……………。
!!!
ということで、いつもよくいく店でエビフライ単品1つをお持ち帰り。
大きめの折り箱からはみ出るほどの、大きな大きな車海老のフライが、ギュウギュウ、ギュウギュウとところ狭しに詰められて出てきました。
あんまりにもうれしくて、うまくお礼の言葉も出ないまま、店を後にしました。
車で約1時間半の道のり。
車のなかはだんだんと海老フライの香りで満ちていきました。
「早く帰ろう」
昔から海老好きな母は、この大きな大きな海老フライを見てどんな顔をするのでしょう。
なんとなくアクセルを開き気味に、171号線を走りました。
約1時間半後、家に到着。
いつものようにテーブルの上にちょこん、と折り箱を置いておきました。
すぐにその折り箱を見つけた母。
車海老をじっと見つめながら、
「すごい海老やなあ。すごいなあ。大きな海老やなあ。食べごたえがあるやろなあ。これはホンマにすごいなあ」
と何度も何度もつぶやいていました。
母が夕飯を食べ終わったころに台所をのぞくと、
「すごかったわ」
と一言。
満足気な母の表情に、なんとなく私も鼻高々。
そんな母の「おいしい顔」を作り出してくれたみなさん、どうもありがとう。
久々の親孝行。
雨は降りませんでした。
24歳の半分は、病院のベッドのうえで過ごしました。
寝たきりのまま、窓の外の「小さな四角い空」を見つけました。
深い秋の青い空が、とてもまぶしく、そして切なく。
でも、とても愛しく感じました。
今も病院に行くと、そのときの「空」を思い出します。
私にエールをおくってくれたとっておきの「空」です。
今日はとある用事で病院に行きました。
高い場所で「広い空」を見つめていると、去年、「ここ」に通った人たちの「思い」が堰(せき)を切ったように流れ込んできました。
こみあげてくる思いを「明太子スパゲティ」といっしょにがんばって飲み込んだことは、今日の「広い空」しか知りません。
私の見つけたとっておきの「空」も、今日のこの「広い空」も、それからあなたが見つめる「空」も、みーんなみーんな、あなたの「味方」です。
おやすみ。
いそがしいのであーる
こんなに忙しいの?
のんびり、ゆっくり、ふわりふわり、としたいなあ。
久々にいつもの場所に行って、「エビライス」を食べました。
久々といっても1週間は経ってないのですが、やはり久々気分。
ホントは、スパゲティを食べようと思っていったのですが、いっしょに来ている友2人に「エビライス」のおいしさを知ってほしくて頼みました。
やっぱりエビライス。
サイコーにおいしいです♪
ほんのりシアワセ気分のまま、おやすみ。
いい映画を観てきました。
『夏休みのレモネード』。アメリカの映画です。
私はストーリーを説明するのが苦手なため、あまり多くは語りませんが、「天国」についての概念が、私のなかで生まれたような、そんな映画でした。
カトリックとユダヤの宗教の違いを背景に映画が進んでいきますが、宗教にたいして知識が少なくても、少年たちの会話を通してわかりやすく解説されていきます。
とても無邪気な少年たちの発想に、思わず笑みがこぼれたり、ときどきはらはらしたり。
うまくは言えませんが、「観てよかった」と思える映画でした。
そんなところで、おやすみ。
もう、どうだっていいんですよ。
9月1日は、日記お休みの日。
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