紫
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目次|過去の日記|未来の日記
南に面した部屋に窓が2つ、あります。
1つはキッチンに、もう1つは、父がいつもゴロゴロしている部屋にあります。
夏のあいだは、開けっぱなし。
ときどきいい風が入ってきて、カーテンを大きく揺らします。
先日、父が休みの日。
いつものように、父は窓を開けてゴロゴロと寝ていました。
窓にかかっているレースのカーテンが、ふわりふわり、と揺れて、見るからに気持ちよさそう。
きっとキッチンも気持ちのいい風が入ってきているはず。
私も自然の風にあやかろうと、テーブルに座ってお茶を飲み始めました。
ん…?
待てども待てども、風は入ってきません。
キッチンのカーテンは微動だにしません。
でも、父のゴロゴロしている部屋のカーテンは、さっきと同じように、ふわり、ふわりと気持ちよさげに揺れています。
なんとなく昔、見たホラー映画を思い出し、少しの「恐怖」を感じているところに母がやってきました
「ほら、あっちの部屋、いい風が入ってきてるなあ。気持ちよさそうやなあ」
ふむ。これはいつもの現象なのか。
きっと気流の関係で、あっちの部屋が風の通り道になっているのかも。
そんなふうに妙に納得してベランダに出ると、なんとそこには、扇風機が出されていました。
「………」
あっけにとられて、何もいえないままの私に母が一言。
「あほやなあ」
「……………………」
ますます何も言えなくなったある日曜日のできごとでした。
2003年08月30日(土) |
「僕らの遊び場、広いんや」 |
中学校のときの文化祭で、コーラス部が歌っていた歌を今もときどき思い出します。
タイトルは忘れました。こんな歌です。
ぼくたち、大阪のこどもやねん
町じゅうのことならなんでも知ってるで
すみからすみまで路地の裏まで
僕らの遊び場広いんや
そのとき1回だけしか聞いていないはずなのに、なぜか耳に残りました。
聞いているだけで楽しくて、あとでコーラス部の人に会うたびに、「あの歌、よかった〜」と感想を伝えていました。
私にも子どものころの遊び場は、たくさんありました。
小さな公園や1時間に1本しか電車の通らない線路、家の前にあった中学校のグランドや、どんどん家が建ってきている近所の建築現場。
いっしょに遊んでくれたのっぽのけんちゃんは、今はいったいどうしているのか検討もつきません。
生まれ育った町に、ずっと住んでいる人を、ときどきうらやましく思います。
きっと住んでいる人たちにしてみれば、わずらわしいこともあるのでしょうが、それでも子どものころの自分を知っている隣近所のおじさん、おばさん、幼なじみがいる環境に、少し憧れます。
近所の人とすれ違うたびにあいさつをしたり、世間話しをしたり、同級生の噂話を聞かされたり。
今は、生まれ育った場所からはずっと離れた山の上に住んでいて、歩いていても知っている人に出会う可能性は、皆無です。
楽といえば、楽です。
今日は、最近いつもいる場所の裏通りを、てくてくと歩いていました。
前から自転車に乗ってやってくる目のくりんとした女の子。
誰かに似ている
そうは思ったけれど、知っている人にすれ違う、ということに不慣れな私は、似ているだけで「違う人」だと思っていました。
「なにやってるんですか」
あ、やっぱり彼女だった。
かなりどぎまぎとしたあいさつのあと、なぜかこの歌を思い出しました。
「すみからすみまで路地の裏まで」
彼女もきっとこの町のことをよく知っている人のひとりなのでしょう。
そして、そんな彼女とすれ違って「あいさつ」をした私。
私を知っている人がいる町を、もっともっと知りたいと思った今日の昼下がり。
彼女とその妹弟の「遊び場」は、いったいどこだったのでしょう。
おやすみ。
不思議と幼児のころのことを、たくさん覚えています。
人に話すとびっくりされます。
いちばん最初の記憶は、まだハイハイしているとき。
お湯の入ったポットを倒して、右足のひざのあたりをやけどしました。
そのときの「熱い」という感覚にとてもびっくりしたことを覚えています。
うばぐるまに乗っていたときのことも覚えています。
今のように座るタイプのうばぐるまではなくて、昔は、箱のような感じのものが主流でした。
箱なので、なかで立ったり遊んだりできます。
ダメだと言われているのに、うばぐるまの中で立って、うばぐるまがひっくりかえったときもびっくりしました。
もちろん、怒られました。
三輪車でなぜか溝に頭から突っ込んで、しばらく頭に包帯を巻いていたのは3歳くらいだったでしょうか。
公園のすべり台で、兄と「すべり台の下はワニがたくさんいるごっこ」をしていたときに、すべり落ちる兄を助けようと必死で手を引っ張っていたら、なんと右肩を脱臼。
思わず兄の手を離してしまい、兄が「あ〜、ワニに食べられる〜っ」と言いながら、すべっていった姿は今でも鮮明に覚えています。
これもまだ3歳くらいでした。
お風呂のなかでおぼれたのは、1歳か2歳だったのでしょう。
水の入ったおふろに落ちて、アップアップしていたのは覚えていますが、その後の記憶がありません。
夢だったのだろう、と思っていたら、最近になって母が、
「そういえば、お風呂で浮いていたときはびっくりしたなあ」
とつぶやいていました。
記憶がない、というより、死にかけていたようです。
そんなこんなでケガや病気のたえない子どもだったようです。
もちろん、おだやかで楽しい記憶もたくさんありますが、それはまた今度。
そうです。
今日も書くことが思いつきませんでした。
学生のころの自炊料理のひとつに、焼きそばがありました。
4玉100円のそばを買ってきて、アルバイト先の居酒屋から、余ったソースと野菜の切れ端をもらってきて、フライパンで作っていました。
ソースがないときは、しょうゆ味にしたり塩味にしたり。
焼きそば自体は、バイト先で毎日、汗だくになりながら作っていたから、あまり「食べたい」とは思わなかったのですが、生きていくために仕方ありません。
ビンボー人は、食べ物でぜいたくはできません。
せめて具に凝ろうと思い、いろんなことをためしました。
野菜がなんにもないときに、納豆を入れたことがあります。
納豆と焼きそばは、別々に食べたほうがおいしいということがわかりました。
もやしを入れると、どれが麺だかわからなくなったり、賞味期限の切れた豆腐を入れて食べると、水分が出て薄味すぎたり、長ネギだけを入れて食べると、おいしかったけれど、なんとなく歯ごたえが物足りなかったり。
目玉焼きを上にのっけて食べるのは、かなりのぜいたく。
わが家に経済では、それだけで2食分の食費がかかります。
今日は、焼そばを作りました。
キャベツとピーマンとウインナーを入れました。
私もぜいたくになったなあ…。ふむ。
そんなことをつぶやきながら、焼きそばを食べました。
それでも、やはり目玉焼きをのっけられなかったのは、ビンボー神の耳打ちのせいでしょうか。
ぜいたくな世の中でも、節約のココロを。
いつもの「暦ノート」なるものを開いてみました。
ふだん、聞きなれた言葉から今ではまったく廃(すた)れてしまった言葉まで、たくさん載っている、いわば私の「日記ネタ帳」です。
そう、今日も書くことがないので、はらり、とノートを開きました。
をを!
今日、8月27日は「寅さんの日」!
1969年に『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたそうです。
この寅さん、最初はなんと「フーテンの寅」というテレビドラマだったとのこと。
この時は最終回で寅さんが亡くなったらしいのですが、反響の大きさに映画で復活したそうです。
寅さんの日か〜。
そうか〜。
妙に納得しながらも、そのあと、そそくさとベッドに入った今日。
バナナの叩き売りをしている夢を見た、なんてことはなく、大蛇にかまれそうになったら、虎がやってきて、大蛇がするするっと逃げていった夢をみましたとさ。
トラちがい。
岡山は、思ったより都会でした。
昔、友がよく言っていた「田舎の都会」を思い出しました。
住むのだったら、都会の田舎より田舎の都会。
それを聞いてからは、私もそう思うようになりました。
そのときに、私の住みたい「田舎の都会」は小樽でした。
でも、今はそれほど「住みたい」とは思いません。
理由はなぜかはわかっていますが、言いません。
岡山に対しては、それほど「住みたい」とは思いませんでした。
思い出が少ないからでしょう。
なんだかよくわからない日記ですが、今日のところはおしまい。
岡山では、車の運転には気をつけましょう。
(どこに行っても気をつけましょう)
沈黙…。
忙しすぎるよぅっっ!
今年の7月。
北海道を旅していたときに、あふれてきて仕方がなかった「気持ち」を言葉にしました。
言葉にしたら、今度はそれにメロディーをつけたくなりました。
もしかしたら、その逆だったかもしれません。
メロディーが浮かんで、言葉をつけたのか。
今となっては、そんなことはどうでもいいのです。
今日は、恒例になった「お誕生日会」。
今月、誕生日を迎えた人たちのために、笑顔が集まります。
お祝いの気持ちを何かで表現しようと、みんなが一生懸命に歌います。
ふだんとは違う姿がみられるこの会が、私は大好きです。
つい最近まとまった歌に、コードをつけてもらったのが今週の月曜日。
私の苦手な「F」というコードは、練習不足のためとうとう弾けずじまい。
それどころか、その「F」のために途中からギターがばらばらになり、とうとう弾くのをあきらめてしまいました。
それでもみんなの手拍子に助けられて歌い終わると、なんとなく達成感。
ん〜、いい気分♪
人前でなんてぜったい歌えない! と去年の9月まで思っていた私。
それがどうしたことか、今では「言葉」を歌にするまでになりました。
この「場所」の魔法なんだろうな、と思います。
いつかけられたかわからない魔法は、いつまでもとけることなく、いつまでもいつまでも、ここでこうして歌っていたい。
そんなことを思いながら、真夜中のよく見えない夜空を見上げながら、とぼとぼと歩いて帰りました。
夜独特のひんやりした空気が、気持ちよかったです。
ちょっと忙しいのです。
おやすみ。
2000年10月からこの日記を書いています。
最初は、「公開日記なんて…」と思っていたけれど、今はけっこう楽しんで書いています。
最初のほうの日記を読み返すと、かなり笑えます。
(最初のほうの日記は、「目次」のページに飛ぶと、下のほうに月ごとに一覧があります)。
書き出したころは、自分のための日記だったんだな、と思います。
今も自分のための日記ですが、前よりも読んでほしい読者のことを考えながら書いています。
その「読者」は、不特定多数というわけではなく、日記の内容によって日々変わります。
日記の文体も、京都の北のほうで国語教師をしている友からのメールで変わりました。
彼女のようなやさしい文体の日記を書きたいと思ったけれど、それはちょっと無理なようです。
日記仲間も増えました。
がんばって更新している人たちの日記を読むと励みになります。
最近は、下のボタンのような機能もあるようです。
いろいろ、多機能になりつつあるこの日記。
私は、いつまで続けていられるのでしょうか。
そろそろ、やめる?
なーーんて考えた今日の午後。
そろそろマンネリ化してきたかな。
もっと文章力をつけようと思いました。
おやすみ。
つい先日、大きなまな板の上に、シュウマイがひとつ、ありました。
たぶん、ハンバーグ用のミンチを小さく丸めて油で揚げたものに、グリンピースをひとつのせただけなのでしょう。
でも、見かけはホントにシュウマイ。
その遊び心がなんとも楽しい。
まだ16歳の友が、「シュウマイですよ〜」とうれしそうに教えてくれました。
「へぇー」
と言いながら、まないたの上のしゅうまいをパクっと口のなかに入れました。
うん、うまい!
「おいしい♪」と言おうとしたその瞬間、背後からこんな声が…。
「そのシュウマイ、それでおシュウマイ♪(おしまい)」
言いかけたセリフは、そのままシュウマイとともに飲み込んでしまいましたとさ。
おやすみ。
実は先日、遅ればせながら母の還暦のお祝いをしました。
お祝いをしたといっても、現金を数枚、使いさしの茶封筒に入れただけです。
しかも、直接手渡すのはなんとなく恥ずかしいので、台所の流し台の上にちょこん、と置いて、そのまますぐに出かけました。
ふぅ。
これで心に気にかかるものがひとつ、減りました。
ほかにもいろいろと、気にかかるものはたくさんありますが、ひとつひとつ、ゆっくり片付けていくとしますか。
あ、仕事以外ですが(汗)。
おやすみ。
見習い18センチ、7年目以降23センチ。
いったいなんの数字でしょう。
けっして靴のサイズではありません。
これは、帝国ホテルのコックさんの帽子の高さだそうです。
帝国ホテルだけでなく、日本の洋食屋さんでは、地位が高くなるにつれて、帽子もどんどん高くなるとのこと。
そういえば、若いコックさんが高い帽子を被っているのを見たことはありません。
しかもこの制度、日本だけのものとのこと。
なかなかおもしろい決まりです。
「コックさんは偉くなると、味見だけしてあまり動き回らなくていいから長い帽子で邪魔にならへんねん」
とある洋食屋さんの「シェフ」が教えてくれました。
ホントかな〜、と思い、調べてみたら、なんとホントでした。
高さの基準はレストランによって違うようです。
ちなみに帝国ホテルでは、料理長以上は35センチ。
料理長は、ひときわ高い帽子をかぶっているから、何かあったときに見つけやすいからとのこと。
無駄に長いわけではなかったんですね。
はい。
なぜだか突然に、歌わせてもらいました。
しかも今日は、いつもの場所ではありません。
ほぼ即興で、しかもぶっつけ本番で歌を贈りました。
今日は、友の誕生日。
23歳になるその彼女は、とてもがんばりやさんでいろんな可能性を秘めていて、まるで「原石」。それも少し硬めの石。
今、いろんなものに磨かれているところなのでしょう。
どんな「宝石」に磨きあがるかが、とてもとても楽しみです。
お誕生日、おめでとう。
もう23歳なのだから、なんにでもかみつく癖はなおしましょう。
おやすみ。
「ちょっと散髪に行ってくる」
父が玄関で靴をはいていました。
「ええーっ、カッコ悪いからやめて」
母が父を止めていました。
カッコ悪い?
散髪が??
たしかに父の髪質は硬くて、髪の毛一本一本が好きな方向に向いていて、白髪と黒い髪がまざっていて、カッコいいとはいえません。
でも、このまま伸ばしていくとますますカッコ悪くなることは間違いないでしょう。
散髪、いいじゃないですか。
「もう、カッコ悪いわ」
母が私の部屋をのぞいて言いました。
「はさみ持って行ったんよ」
「え? はさみ?!」
父は、愛用のはさみがあって、それで散髪屋さんに切ってもらおうというのか。さすが父……。
と思いきや。
「今日は散髪は外でするんだって。洗面所ですればいいのに」
なんと父は、自分で髪を切るために、マンションの下の芝生まで、行ったようです。
……。
たしかにカッコ悪いかも。
でも、もうおじいさんと言える年齢の父が、ハサミを片手にふらふらと歩いている姿に、誰かが警察に通報しないかどうかのほうが、かなり心配。
「ふぅー、さっぱりした」
15分後、玄関から聞こえてきた父の機嫌のいい声に、そっと胸をなでおろしたことは、父には言っていません。
仕事三昧の日。
あ〜、疲れた。
ふん。
もうすぐ明日になりかけているころに、降っていた雨が、とてもとても冷たくて。
それでもその雨の冷たさが、こみあげてくる「悲しさ」をごまかしてくれました。
おやすみ。
少し急な坂道を登りきったところに、市民プールがありました。
50メートルプールが1つと、子ども用のプールが3つほど。
けっこう大きめのプールだったように覚えています。
夏休みになると、小学生を対象にした水泳教室が開かれていました。
ほんの10日ほどの短期の教室です。
母は、4年生になるまでは毎年その水泳教室に私と兄を通わせました。
なぜ4年生だったのかはわかりません。
母のなかの「決まりごと」だったのでしょう。
私が1年生になったとき、兄は3年生。
兄のうしろをひょこひょことついて坂道をのぼり、帰り道は「今日は水のなかで目を開けられた」とか「今日は25メートルをクロールで泳いだ」などと、お互いに報告・自慢しながら、坂道をくだりました。
兄は4年生のときに、その水泳教室で50メートルを泳げるようになりました。
そのときの報告が、とてもうれしそうで楽しそうで。
私も4年生になったら、ぜったい50メートルを泳いでやる、そう決心したことを覚えています。
そして、4年生の夏に、50メートルを泳ぎきった私。
もう反抗期に入っていたおそろしいほど機嫌の悪い兄には、結局報告することはできませんでした。
実は今日、久々にプールに行きました。
え? 50メートルを泳いだかって?
あまり多くは語らずに、おやすみ。
10日。
母の誕生日でした。
今年で還暦を迎えます。
誕生日をあまり祝う習慣のない我が家。
いつものように何も考えず、遊びの予定をいれていました。
それでもやっぱり還暦は特別と思い、帰りがけに何か買って帰ろうとしたけれど、遅くなったため、店も開いていません。
せめてお金でも、と思ったけれど、それもすっかり忘れて家に到着。
朝の早い両親は、もう熟睡中でした。
なんとなく、ほっ。
その日はそのまま、ビールも飲まずに眠りました。
翌日、朝ごはんを食べようと電子ジャーを開けると…。
「あ…、お赤飯…」
何も言わなかったけれど、母は母なりに自分の還暦を祝っていたのです。
少しの後悔。
きっと、母は寂しかったはず。
でもいまだにまだ何もしていません。
気持ちだけで十分にうれしいものとは知っているけれど、その気持ちも表に出していません。
さて、私はいつ、母の還暦を祝ってあげられるのでしょう。
はぁ…。大きなためいきをつきながら。
おやすみなさい。
「20年ぶりに来ました」
私のよくいる場所に、そんな母子(おやこ)がやってきました。
20年前までは、親子3人でよく来ていたそうです。
「懐かしい」
そういいながら、娘さんが20年前に父親とよく食べていたという「ハンバーグ」を注文しました。
「父はもう亡くなったんですけどね」
笑顔のなかのその言葉に、私のなかの「家族」の思い出が突然に重なりました。
私にも、子どものころに毎週、通っていたラーメン屋があります。
月に一度、通っていたレストランがあります。
学生を卒業したころ、久々にその地を訪れました。
追われるように、隠れるように、そしてその地から訣別(けつべつ)するように離れた私には、かなり勇気のあることだったけれど、レンタカーのなかから遠巻きに眺めた故郷。
いまだに私には、緊張せずしてなかなか足を踏み入れることのできない「聖地」です。
私の知っている店は、ほとんどが「閉店」していました。
そのときの悲しかった気持ちは、どうにも表現できません。
舌と感覚と、それからそのほかの何かで覚えているあの味、あの雰囲気は、もう二度と再現できません。
今日、来た母子は、本当に喜んで喜んで帰りました。
思い出の場所がここにまだあって、思い出の味がまだそのまま生きていて、それから当時の「思い出」が母子の口からこぼれでていて。
「ぜんぜん、昔と変わりない味でした。ホントにおいしかった。あのシェフなら変わりない味を出してくれると思っていました」
何度も何度も、ホントに何度もそういいながら帰っていく母子に、私の知るはずもない当時の様子が思い浮かばれました。
変化の多い世の中、変わらない何かがそこに存在することに、幾ばくかの安堵が得られるのでしょうか。
それでも、それは、私にとってはとてもとてもたいせつな「安堵」のように思えます。
私はいつ、「安堵」できるものに出会えるのでしょうか。
台風一過の空の下、久々に遠出しました。
遠出といっても、兵庫県朝来郡の生野銀山まで。それでも往復280キロの旅になりました。
本来ならバイクだけのツーリングなのですが、なぜだか車で参加。
「温泉にも入る」という言葉につられて、ついつい参加表明させてもらいました。
元ライダー(大昔)ということで許してください。
途中、事故渋滞にはあったものの、それを抜けると比較的すいすいと車を進めることができ、無事に黒川ダムに到着。
ここで入った黒川温泉(600円)、美人の湯で気持ちよかったです。
お昼ごはんを食べて、少しの食休みをしたあと、生野銀山に行きました。
その名のとおり、室町時代からつい昭和の半ばまで、銀が掘られていたそうです。
アリの巣のようになった細くて小さな坑道に、人が入ってコツコツと作業していた様子が、けっこうリアルに再現されていました。
坑道のなかは13度。夏も冬も温度差は少ないそうですが、ひんやりして長くいるとけっこう寒かったです。
ところで、この生野(いくの)。
大昔は、鉱毒もあり盗賊もいて、作物が育たない地から「死野」と呼ばれていたとのこと。
いつかわかりませんが、大昔の時の天皇が「生野」に名称を変更させたとか。
鉱山の町として発展するまでは、ホントに人は住めなかったのでしょう。
いい名前に変更してくれて、よかったよかった。
ということで、夕飯に食べたエビライスもおいしかったし、今日は楽しい楽しい1日でした。
久々に休肝日にもなりましたとさ。
おやすみ。
ホームページのリニューアルを始めました。
たぶん、1年ぶりです。
実は、あまりホームページの知識はありません。
だから、いつもそんなに凝ったつくりにはなりません。
ただ、見やすければいいな、と思っています。
コンテンツだけ多くて、あまり更新していないページは、消してしまおうかと思っています。
そうなると、ほとんど消えてしまいます。
残るは、日記とアルバムのページだけ?
それでもいっか。
もともと、メーリングリストと自分自身の整理整頓のために立ち上げたホームページ。
余裕があれば、じょじょにコンテンツを増やしていけばいい。
新たにホームページを立ち上げる気持ちで、リニューアルしていくつもりです。
とりあえずは、日記、アルバム、ハーボット(線)、掲示板、だけ残して、ほかは削除。で、リニューアル完了、としますかね。
ん?メインのページが全部、なくなるわけですが。
みなさん、どう思います?
明日の夕方には台風一過。
私の「心のもやもや」もいっしょに吹き飛ばしてくれればいいのに。
おやすみ。
台風が近づいてきています。
9日朝までの24時間の降水量は、四国の太平洋側で600ミリとのこと。太平洋側を中心に、1時間に80ミリを超える「猛烈な雨」が降るそうです。
この台風に被害が出ないことを祈ります。
ところで、いったい1時間に80ミリって、どのくらいの雨なのでしょう。
気象庁では、1時間に10〜20ミリの雨を「やや強い雨」と呼んでいます。
ザーザーと降り、地面からの跳ね返りで、足元がぬれるそうです。
ふむふむ。なんとなくイメージがわきます。
20〜30ミリは「強い雨」。
いわゆるどしゃぶり。車の運転でワイパーを動かしても見づらいそうです。
経験有り。かなり怖いです。
災害が起こるのは、30〜50ミリの「激しい雨」。
高速道路でブレーキがきかなくなる「ハイドロプレーニング現象」が起こるそうです。
これも経験有り。もうダメだと思った瞬間です。冷汗。
となると、80ミリ以上の雨は?
「猛烈な雨」。
息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖も感じるそうです。大規模な災害が発生するおそれが強く、警戒が必要。
もちろん、私はテレビで見るのみです。
ちなみに、大阪での年間平均降水量は、約1000ミリ。
1日の最高雨量でも、250.7ミリ(昭和32年6月26日)。
………。
ということは、明日は恐ろしいほどの雨が降るようです。
みなさん、明日は早めに帰り、あさっての「台風一過」の空を待ちましょう。
2003年08月06日(水) |
ソーメンチャンプルの日 |
ホントはとってもかなしかった。
こんな日は、ソーメンチャンプル。
しょうゆを入れすぎて、涙が出るほどしょっぱかった。
いい夢、見よう。
おやすみ。
夕方になってから、空がゴロゴロといいだしました。
ゴロゴロと音は聞こえるけれど、雨はいっこうに降りません。
一雨、どさっと降ってくれれば、少しは涼しくなるだろうに。
といいつつ、雷は苦手です。
雷というよりも、雷が落ちて、停電するのが苦手です。
はっきりいえば、暗闇が大の苦手です。
子どものころ、兄と二人で留守番しているときに、落雷のため、停電になりました。
午後8時。家のなかはまっくらです。
泣き叫ぶ私をなだめようと、兄が懐中電灯をいっしょうけんめいに探してきて、こう言いました。
「ピカって光ってから、ゴロゴロなるまでの時間で、雷が遠くにいるか近くにいるかわかるんや」
それから二人で、ピカっと光ると大声で、「いーっち、にーーっ、さーーんっ…」と窓の外にむかって数え始めました。
でも、数える数がだんだんと減ってきて、雷がどんどん近くにやってきているのがわかり、ますます恐怖。
「だいじょうぶ。中学校に避雷針があるから、ここには落ちない」
「ヒライシン…?」
避雷針の意味はまったくわからなかったけれど、雷が落ちないとわかると、なんとなく怖さも半減。
このとき、兄は物知りだなあ、と思ったのを覚えています。
思えば、空が光るから真っ暗闇でもないし、外にむかって大声を出していることがなんとなく楽しく思えてきて、ますます大声で数を数え出したそのとき、ごく近所の空に大きな大きな稲妻が走りました。
「!!」
「!!!!!!!」
兄も私も、口をぽっかりと開けて、しばらく稲妻が走った空を見つめました。
あまりにも近すぎて、空が半分に割れたかのように見えたその稲妻は、私が想像していた以上に長くて白くて、空が落ちてきたかと思えるような大きな大きな音を出していました。
それが、兄と私が生まれて初めて見た稲妻です。
いまだに空がピカっと光ると、心のなかで数を数えだしている私。
雷は怖いし停電もいやだけど、数を数えることで気持ちがだんだんと落ち着いてきます。
これも、兄が教えてくれた「おまじない」なのでしょうか。
今日は結局、雨は降らずじまい。
この「おまじない」は使わずにすみました。
ほっ。
暑いよぅ…。
採れたて野菜をたんまりと食べてきました。
「農園料理」です。
竹林や田畑の囲まれたまさに自然のなかに立ったほったて小屋「川波農園」で、朝一番に採れた旬の野菜をふんだんに使った料理を出してくれます。
毎週日曜日の10〜17時までしか開いていません。
今日は、2日ほど前から予約を入れてもらって、4人で行ってきました。
もう、驚くくらい「野菜」の味が濃くて、おいしい、の一言に尽きます。
いちばんのヒットは、おぼろ豆腐。
それからとうもろこしのてんぷら。
ほかの料理も、自然の味がたっぷり出ていて、かなり満足。
野菜だけでなく、地鶏も出てきて3500円。
自然のなかで、ばくばくむしゃむしゃと食べました。
そのあと、なぜか池でざりがにを8匹、鯉を1匹釣り、それから吹き矢で、ポン酢とかドレッシングを狙い、サザエのつぼ焼きの誘惑に打ち勝ってその店を出ました。
今日、食べた旬のもの。
キウイの葉っぱに載ったおぼろ豆腐
はすの葉っぱに載ったらっきょ、もろきゅう、いんげんのごま和え、枝豆
トマトとコーンの天ぷら、もろへいや、おくら、ジャガイモの揚げたものサラダ(自家製ドレッシング)
じゃがいもとかぼちゃと三つ葉の煮物
ナス田楽
地鶏とたまねぎ、とうもろこし、とうがらしの鉄板焼き
地鶏とじゃがいもの炊き込みごはん
おなかがいっぱいだったので、コースに入っていた麺類は遠慮しましたが、あまった炊き込みごはんをおにぎりにしてくれました。
自称「土の料理人」の大将のおかげで、午後の時間を子どものときでもしたことがないような遊びをして過ごすことができました。
次回は秋の食材を食べに行きたい。
いえ、行きます。
日曜日以外の平日は、奈良の新大宮駅近辺で日本料理屋を営んでいるそうです。
午前は畑で野良仕事、午後から店で仕込みをして、日曜は農園で農園料理。
休む日はありません。
休む日はないけれど、この日曜限定オープンの畑のなかのこのお店が、大将のとっておきの休日、なのでしょう。
働きながら楽しい休日を過ごす。
今の私に似ているかも。
なーーんて、大将には足元にも及びません。
ゆうべのこと。
夜中に急に悲しくなって、あふれる涙をこらえることなくぽろぽろ流し、誰かに電話したかったけれどそんな時間でもなく。
ホントだったら熱いシャワーを浴びたいところだったけれど、それもままならず。
1〜2本のメールだけ送り、なんとなく悲しい気持ちのまんま、いつのまにか寝てしまい。
朝、起きたら。
すっきりしてた。
こんな朝を、私は今までに何度経験し、こんな朝をこれからどのくらい迎えるのでしょうか。
どんな朝を迎えても、私は「にこにこ笑顔」でいなければ。
そう思った今日の始まりでした。
形容詞は、たとえどんなものでも、独り占め、が、いいのでしょう。
おやすみ。
2〜3日前、髪の毛を切りました。
いつもいく美容室に行って、いつもの美容師さんに切ってもらいました。
いつもいつも、ほぼおまかせです。
髪型にもずぼらな私をよく知っていて、あまり手入れのいらない髪型にしてくれます。
今回もドライヤーいらずの髪型にしてくれました。
どうもありがとう。
髪型を変えると、いつも数人の人から「髪の毛、切ったの?」と声をかけられます。
それはちょっとおもはゆいけれど、「見ていてくれたんだなあ」と思うと、なんとなくうれしいような気もします。
それでも、社交辞令のように言われると腹が立つし、なかなか難しい。
ところで、あなた。
私の髪型の変化に気づいていましたか。
おやすみ。
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