紫
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めぐりあひて見しやそれともわかぬ間(ま)に
雲隠れにし夜半(よは)の月かな
紫式部
百人一首にも出てくるおなじみの和歌です。
式部を突然に訪ねてきた幼なじみが、再会を喜ぶ間もなくすぐに帰って行ってしまったときの寂しい気持ちをこめて詠んだそうです。
この歌の意味を初めてじっくり考えたときは、きっと恋の歌なんだろうな、と理解していました。
(私的訳)
せっかく訪ねてきてくれたのに、もう帰っちゃうんですか?
あんまりにも束(つか)の間すぎて、私はまだあなたがホントに「あなた」だったかも確かめられていないのに…。
今夜の月と同じように「雲隠れ」しちゃうんですか?
今度はいつ、逢いに来てくれるんですか?
こんなふうに受け止めていた私。
訳に間違いはありませんが、詠まれた背景によって歌のイメージがずいぶんと変わってきます。
それが短歌のおもしろいところなのかも。
さて、なぜ今、この歌なのでしょう。
この歌の「雲隠れ」という言葉がふとココロに浮かび、そこはかとなくかきつくってみただけ、の話です。
おやすみ。
2003年06月29日(日) |
もっとほかにある理由 |
「ここの薬、ちょうだい」
母に左手の肘の裏(?)を見せました。
湿疹と、強烈な蚊に刺されたあとで、見るも無残です。
昔から私は肌に湿疹が出やすい体質でした。
とくに埃(ほこり)と肉類には、異常に反応していたようです。
どこに引っ越しても、かかりつけの皮膚科に通っていたけれど、去年の春、会社を辞めてからは、行かなくなりました。
それでも埃(ほこり)だけには気をつけていたけれど、ここ数カ月の多忙さに掃除を怠っていたら…、あぁ、出てきました。例の湿疹。
出てきたというか、この梅雨の湿気にさらにひどくなったこの湿疹。
痒(かゆ)くて痒くてたまりません。
「はい、これ」
母が出してきた塗り薬を、局部に塗って、しばらくすると、あらら?
キレイに湿疹がおさまっていました。
もちろん、市販の薬です。
それでも多分、私の子どものころからの湿疹のためにいつも常備している薬だったのでしょう。
「『親』ってすごいな」
つくづくそう思いました。
親といっしょにすごした時間はたったの15年間だけど、親にとっては物理的な年月以上の時間を子どもと過ごしているのでしょう。
そんなことを考えていると、なんとなくほろり、と泣きたくなった今日。
いえ、泣きたい理由は、もっとほかにあるのです。
おやすみ。
安い民宿でスタッフをしていたとき、夜のミーティングがいちばんの楽しみでした。
ひとつのフロアに旅人が集まり、それぞれにさまざまな旅を語ります。
行ったことのない場所でも、旅人の話を聞いているだけで、なんとなく道内をまわった気分になれました。
ひとつのところにいながら、旅気分。
耳年増(みみどしま)になりながらも、でも実際にその場に行ったときにはそのときの情報がおおいに役立ちました。
先日、いつもいる場所の古いアルバムのなかに白地図を指差しながら旅の報告をしている写真を見つけました。
とても楽しそうでした。
「あ、これ、したい…」
そんなこんなで、今日はいつもいる場所で久々に「6月の旅の報告会」がありました。
いい旅であればあるほど、写真であれトークであれ、いろんな形で表現したいと思います。
その話を聞いて、これから旅立つ人の情報になったり、まだ旅に出たことがない人が「旅に出たい」と思うようになったりすればいいな、と思いました。
それから、なんといっても旅に出たくて出たくてうずうずしている人に、少しでも旅気分を味わってほしい。
そんな思いから提案し再開した報告会。
とても楽しい時間を過ごせました。
以前は、誰かが旅から帰ったその日にみんなが集(つど)っていたとのこと。
これからも不定期に続いていけばいいですね。
約束なんてしなきゃよかった。
3つの会社の転々としました。
最初の会社で学んだものは「社会人たるもの」だと思います。
「教えたとおりにやってこい。失敗したら尻拭いしてやるから」
上司や先輩の口癖のような指導でした。
この言葉にどれほど勇気づけられたことでしょう。
ただし、教えたとおりに、にしてこなかったら、こっぴどく叱られました。
社会人としての言葉遣いから仕事への姿勢も、徹底的に教え込まれ、叱りっぱなしにしない。
今も彼らの指導が私のなかに生きています。
2つ目の会社で学んだものは「仕事の厳しさ」。
時間との闘いのなか、仕事をしていくことの怖さと楽しさを知りました。
1冊の本を通じて見える著者と読者のあいだに立つ「編集者」ってなんだろう、と真剣に考えたのもこのころです。
3つ目の会社で学んだものは「周囲への『思いやり』」でしょうか。
指導者の立場になってはじめて見えてきたもの、でした。
それについてはもすこし年月を経てから、書くとしますか。
今はまた、自分のことで精一杯の時期が訪れています。
おやすみ。
舞鶴港に着くと、もうフェリーが着岸するところでした。
フェリー乗り場に行くと、必ずといっていいほど思い出す光景があります。
それは少し胸が「きゅん」となるけれど。
でも、今は、船は確実にこちらに向かってきています。
甲板に出ている友が、いち早く私たちを見つけて大きく手を振っていました。
遠目からでもわかる日焼けした様子が「旅帰り」を演出しています。
船から降りる「旅人」を、港で迎えたことは初めてです。
思わず駆け出し、「おかえりー」と何度も叫んでしまいました。
旅の思い出をたくさん背負って帰ってきた彼女の笑顔は、もうすっかり「旅人」です。
きっと旅先で何かたいせつなモノを見つけてきたのでしょう。
「旅」についていっしょに語ることのできる友が、また一人増えました。
旅の報告、楽しみにしています。
おやすみ。
今年初の蚊取り線香をつけました。
懐かしいぐるぐる巻きのものです。
ぐるぐる巻きの先っぽにマッチで火をつけると、細くて白い煙が上へ上へと立ち上ります。
「夏が来るんだな」
天井に白くとどまる煙を見て、あらためて思いました。
そして大きく深呼吸。
季節を感じる瞬間は、人によってさまざまです。
季節は歳を重ねるぶんだけ、何度も何度も経験するけれど、いつもいつの年も「懐かしくも新しい季節」を感じていたいと思います。
新しい季節を探しながらゆっくりゆっくり、歩いていきましょうか。
おやすみ。
とおくの
おおきな
こおりのしまで
おおくの
おおかみ
とおずつ
とおった
「お」と「う」の使い分けを覚えるために、小学校1年生のときに、先生がイラスト付きで教えてくれました。
いまだにこの文で、使い分けを思い出すことがあります。
情けない(苦笑)
東西南北も私は「西東北南」と言わないと、東も西もわからなくなります。
これまた小学校1年生のときの教室が西向だったためです。
そのときは、「右手が『北』」と覚えました。
「友だちの気持ちになって考える」
これは、小学校1年生のころ、教室に貼られていた目標です。
この教えを守ろうと努力はしたけれど、なかなか難しいとも思いました。
いつかは忘れてしまいそうなことを、こうして日記に書いていくことで、なんとなく安心することを「歳をとった」と言うのでしょうか。
なんとなく今日はメモ書きのような日記で。
おやすみ。
祇園精舎の鐘の声
所行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理(ことわり)をあらわす
奢れるものは久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
言わずと知れた『平家物語』の冒頭です。
中学生のころに覚えさせられた人も少なくないはず。
かくいう私も、国語の授業で覚えました。
この冒頭の意味も『平家物語』の内容もなんとなく理解はしていたのですが、琵琶法師が語る怖い話、としてしか、私のなかには入ってこなかったように思います。
今日は、雨の降るなか、京都の花園にある「妙心寺」に行ってきました。
「沙羅双樹の寺」として知られるこのお寺。
樹齢300年の沙羅双樹が植わっています。
沙羅双樹という名は、「ナツツバキ」の異名というだけあり、形はツバキにそっくり。
朝に咲き、夜には散っていく1日だけの白い花。
花びらが一枚ずつ散るのではなく、花ごと「ぽとん」と地面に落ちていきます。
6月下旬の梅雨の時期が花の見ごろとあり、苔(こけ)むした地面には、もうすでに落ちた花でいっぱいでした。
和尚さんのお話のなかに、「今日しなければいけないことを明日に延ばさない」という釈迦の教えが出てきました。
沙羅の花は、1日だけの命を悲しんでいるのではなく、与えられた1日だけの命を精一杯咲きつくしているとのこと。
1日咲いて「ぽとん」と花ごと落ちる沙羅の潔(いさぎよ)さと人の良さそうな和尚さんのお話に、またしてもなんとなく『平家物語』の冒頭の意味が私のなかに入ってきたように感じました。
「諸行無常の響きあり」
そう、「今」は「今」しかないのです。
そんな「今」を、のらりくらりと暮らしている私。
私のよくいう「刹那主義」って、ホントはこういう意味なのかもしれないなあ、という考えがよぎっただけで、心のなかはお昼ごはんに食べるおいしい豆腐のことでいっぱいでしたとさ。
ごめん。
休みっ!
ひとつの恋を失ったとき、ふらりふらりと夜の散歩に出かけたことがあります。
深夜の中野通りは、昼間と違って人通りもなく静かで、夜風がどことなく優しくて。
ぽろぽろ、ぽろぽろこぼれる涙を隠すことなく、ふらりふらりと歩きました。
途中で寄った喫茶店のコーヒーはまったく味がせず、それでも泣きはらして真っ赤な目をしている私に、熱いおしぼりを2つ出してくれたマスターのさりげない優しさにまた泣いて。
小一時間ほど歩き回ってから部屋に戻り、熱めのシャワーを浴びたら、どこかしら心が元気を取り戻していました。
そのあと、時計の短針が3をさしているのを見届けて、深い眠りにつくことができました。
遠い遠い思い出の一コマ。
こうして穏やかに思い出せるようになるまでには数年を要したけれど、それでも宝箱の中から消し去りたくない思い出になりました。
おやすみ。
私の両親は、昔から私の質問に必ず私が満足するような答えを教えてくれました。
家族会議とか、両親に相談するとかあまりなかった家族でしたが、聞いたことには必ず答えてくれました。
私は、「なにやってんの?」とか「なんでこうなるの?」と人に聞く癖があります。
それは家族に限らず、友や会社の同僚たちにも思わず聞いてしまいます。
家族以外の人に「なにやってんの?」聞いたときは、「見てわからないんですか」と言われることがほとんど。
でもときおり、ちゃんとくれる人がいます。
以前、会社で歯磨きをしている同僚につい癖で、「なにやってんの?」と聞いてしまいました。
彼女は間髪入れず「枝毛抜きです」と答えました。
そのときのやりとりがいまだにおかしくて笑ってしまいます。
母もちゃんと答えてくれます。
「なにやってんの?」と言うと、
「夕飯のおかず、考えてんねん」「買い物行こうと思ってんねん」「スイカが大きくなったなあって思ってんねん」などなど。
先日は「なんで明日は雨が降るの?」と聞いてみました。
「沖縄のほうに来ている台風が、梅雨前線にちょっかい出してんねん」
ベランダの2センチほどのスイカを見て「まだ大きくなるの?」と聞くと、
「もうわしゃこれ以上大きくならんで〜、って言ってるやん」
お風呂嫌いな父の髪の毛を見て、
母「ほら、髪の毛が『洗ってくれ〜、洗ってくれ〜』って言ってるよ」
父「おお、そうか」(と言って急いで風呂に入る父)
阪神は今年はなんで強いのか聞いてみると、
「そろそろ優勝しなアカン時期やし」
理にかなっていない答えが多いのですが、それでも私の満足する答えをしてくれる母。
きっと私は明日もアサイチで聞くのでしょう。
「なにやってんの?」
聞かずもがな、明日はバルサンをたく日です。
早く出かけなければ!
ここ数年のあいだでは珍しく、梅雨らしい天気が続いています。
雨女の私。雨には慣れっこです。
とくにこの季節に降る「しとしとざーざー」と降る雨や、真夏の乾ききった道路を「じゅっ」と湿らす雨は、けっこう好きです。
いつから雨が好きになったのかは、わかりません。
でも、子どものころから、雨の日も外で元気に遊んでいたことは覚えています。
いえ、元気に遊んでいたのは、私と兄とそのほか数人だけ。
とくに女の子は、母親が連れて帰りに来ていました。
私は兄に連れられて、公園の土管のなかやこんもり茂った木の下、すべり台の下や砂場にあった大きなトンネルのなかに隠れて、秘密基地を作って遊んでいました。
やがて辺りが暗くなり、どろんこの濡れねずみで家に帰り着いたときの母の困ったような顔を、今もはっきり覚えています。
ただ不思議だったのが、母は雨に濡れたことをけっして叱ることはしませんでした。
いまだに傘を持っていても、雨が体に落ちてくる感覚が好きで、わざとささずに歩いたり、さすのを忘れたりして歩くことがあります。
先日、母が買い物から帰ってきました。
よく見ると、髪や衣服がしっとりと濡れていました。
手にしっかりととじた傘を持っている母。
不思議に思い、聞いてみると、
「傘をさすと、傘が濡れるでしょ」
………。
なんとなくその一言で、私と兄が雨に濡れても平気なわけがわかったような気がしました。
三つ子の魂百までとはいえ、こんな理由で雨好きになったとは、兄はいまだに知りません。
今日は楽しいことが3つ、ありました。
ひとつは、大阪の万博公園にある国立民族学博物館で、特別展「マンダラ展〜チベット・ネパールの仏たち」を見に行ってきたこと。
神社仏閣好きの私としては、かなりわくわくしながら見てまわることができました。
チケットをくれた友に感謝です。
ひとつは、チケットについていた入場券で、太陽の塔のある自然分化園に入ったこと。
いっしょにいった友と、芝生でゴロゴロごっこやかくれんぼ、よろよろごっこ(?)をしながら、楽しい話しをたくさんしました。
年甲斐もなくいっしょにはしゃいでくれた友に、感謝です。
そしてもうひとつは、チケットをくれた友と、年甲斐もなくはしゃいだ友と3人で、北海道の味覚をつつきながら、3人で機関銃のように話をしたこと。
北海道の味覚のあとに入ったコーヒー屋もいれて、3時間以上ぺちゃくちゃと話し続けました。
女同士で語るこの久々な雰囲気がとてもとても楽しくて。
こんな楽しい時間をくれた二人に、大感謝です。
そんなこんなで、楽しい気持ちを抱えたまんま、おやすみなさい。
大阪に来てから「ありがとう」という言葉を聞く機会が多くなりました。
いろんな発見があったのですが、この「ありがとう」は、かなり驚きがありました。
友に言わせると「朝の『おはよう』と同じ感覚」とのこと。
それでも自然すぎる「お礼の言葉」が、なんとなくくすぐったいような感じでしたが、すぐに慣れました。
だって、当たり前のことなんだもん。
とくに、今、住んでいる山に引っ越してきてからは、バスを降りるときに、小中高生たちが運転手さんに向かって必ず「ありがとう」と言う言葉を聞きます。
必ずといっていいほど、「ありがとう」と言っています。
習慣のような言葉になっているのでしょうが、たいせつな習慣だと思います。
「ごめんなさい」の国と日本は言われています。
「すみません」の一言が、いろんな場面で使われています。
でも、関西は「ありがとう」の土地なんだな、と最近、思い始めました。
そして、なんとなくうれしく思いましたとさ。
2003年06月15日(日) |
「浅き川も深 く渡れ」 |
大阪のなんば高島屋に、星野道夫氏の写真展を見に行ってきました。
実は私はこの人を今まで知りませんでした。
知らなかったけれど、とあるところで、
「アラスカの大自然で撮られた写真と彼からのメッセージはきっと見に行かれた人の心を優しくしてくれると思います」
の一文を読んで、なんとなく気にかかっていたのと、数人の友が行くと言うので、いっしょに連れていってもらいました。
日曜日だったため、かなりの混雑。
最初はゆっくり観ていたけれど、途中から人に酔いだして、さささっと出てきてしまいました。
人混みが苦手なのは、いつまでたっても直らないようです。
それでも、どこか心打たれる、そして、確かに優しい気持ちになれる写真展でした。
写真とともに、言葉も展示されていました。
「浅き川も深く渡れ」
展示されていた言葉の一つです。
諺(ことわざ)のようなものでは聞いたことはあるけれど、彼の写真とともに見るこの言葉は、もっともっと深い意味をもっているような気がします。
それが何かは感覚的にしか表現できないけれど、諺どおりの意味ではない、ように私は受け止めました。
でも、うまく表現できないままに、でも、自分なりの受け止め方ができて、今日は、「行ってよかったな」と思える写真展でした。
関西は次は、夏あたりに京都に来るとのこと。
ぜひどうぞ。
いちおう「大学生」を4年間ほどしましたが、サークルというものには入りませんでした。
最初のうちは、いくつかのサークルをのぞいてみましたが、すぐに行かなくなりました。
理由は単純明快に、ビンボーだったためです。
サークルでおそろいのジャンパーとかTシャツとかを作ったり、練習とかが終わったあとにお茶をしたりするお金がなかったのです。
それでもしばらく通ったサークルがいくつかあります。
そのひとつが、劇団、です。
私の行っていた大学のなかでも、ある意味有名な劇団で、そこに入っていると言うと、よく驚かれました。
ビンボー学生ばかりの集まりだったため、練習が終わっても学食で190円のカレーライスばかり食べていました。
たぶん、私はそこでビンボーでも楽しく生活できる自信をつけたのだと思います。
それでもやはり、劇団を続けていくだけの生活の余力がなく、すぐに行かなくなりました。
でも、いまだによく思い出します。
おそらくその劇団にいた時間が、私の純粋な学生生活のいちばんの思い出、と言えるでしょう。
あのまま続けていれば、私は間違いなく4年では卒業していませんでした。
みずほさん、じゅんさん、のりさん、ウガさん、そのほかの団員のみなさん、お元気ですか?
今は、どこでどうしているのでしょうか?
6月の公演の立て看板を作っていたことを、このあいだ、ふと思い出しました。
楽しい思い出のひとつ、です。
おやすみ。
梅雨入り宣言が出されて数日経ちますが、あまり雨には出くわしていませんでした。
でも、今日は朝から雨。
夕方になってからようやく青い空が見え始めました。
梅の実が熟するころに降るこの長雨。
その言葉のとおり、庭の梅の実もちらほら熟してきています。
梅雨の時期の雨を「五月雨(さみだれ)」と呼ぶことを、つい最近知りました。
なるほど、陰暦では今は5月。
五月(さつき)に水が垂れる、ということで「さみだれ」になったそうです。
季節を表す昔からの言葉に、思わずため息。
五感で受け止めた季節を、どうしてこんなにキレイな言葉に変換できるのでしょう。
梅雨になると、じめじめとうっとうしい毎日が続きます。
こんな時期だからこそ、言葉で感じる季節を愉しみたい、と思います。
十年来の友がやってきました。
ちょっと前まではよく飲み行ったり、遊びに行ったりしていたのですが、最近は休みが合わなくなり、あまり出かけていません。
でも最近は、私のよくいる場所に遊びにきます。
大阪の下町生まれ、下町育ちのその友は、いわゆる「コテコテの大阪人」です。
ボケとつっこみが大好きで、話をしていてもあまり先に進みません。
しかも、なんでもないところでボケて、話の腰を折るので、みんなからよく「もういいから」と言われています。
彼に慣れていない人は、彼のよくわからないボケを一生懸命に聞いてしまいます。
私は「つっこみ」が苦手で、彼のボケがわかってもつっこむこともできず、あきれたように笑ってしまいます。
昨日は、キウイのキャンデーをくれました。
喜んで食べる私たちに、
「もろみをつけるとうまいで」
と一言。
また、「工賃って何?」と聞く友に、
「名古屋で食ったけど、高かったで〜」
とまた一言。
こんな感じで話が進みません。
さて、上の二つの正しいつっこみはなんでしょう(笑)。
でも、気に入っているものもあります。
トイレに行くときに必ず言うのが、
「トイレに行ってくる〜」
「行っトイレ〜」
「ちょっとトオイレ」
もしくは、
「ちょっと待っトイレ」
………。
「誰か一人でも笑わせることができれば満足や」という彼は、典型的な「大阪人」なのでしょうか。
いまだにわかりません。
わからないけれど、ときどき彼のよくわからないボケに絶妙のタイミングでつっこむ人は、必ず大阪人だということに、最近気づきました。
そんなこんなで、友の研究はまだまだ続く。
おやすみ。
突然に訪れた「静寂」といっしょに、とてつもない「孤独感」が襲ってきました。
昨日の悪夢のせいか、窓の外の闇夜のせいか。
誰かと話がしたくなり、思わず元同僚を飲みに誘いました。
私が会社を辞めてからも、よく遊びに行っている同僚ですが、飲みに行くのは久しぶりです。
私のお酒の飲み方も、食べ物の好き嫌いも知っているその同僚。
そして、以前と同じように最初にカクテルを頼む彼女に、なんとなく気持ちが和みました。
生ビールを1杯と、地酒を1杯。
仕事の話を聞いて、旅の話を少し。
ただそれだけのことなのに、帰り道の闇夜はどこか親しげ。
急な誘いに付き合ってくれて、どうもありがとう。
ホントにホントに、ありがとう。
おやすみ。
ときどき、夢のなかで迷子になります。
そんなときは、ゆっくりゆっくり、今、いる場所を確認しながら起きるようにしています。
迷子になったまま目を覚ますと、その場所がそのまま現実になってしまいそうな気がするからです。
ときどき、迷子になったまま目を覚ましたかった、と思うけれど、夢はやはり夢。
私の生きている世界は、夢のなかではありません。
今夜は、少し早く寝ました。
そして、少し(かなり)怖い夢を見て、迷子になって、それから現実に戻る準備を始めました。
最初は、子どものころ、家族で住んでいた家で目が覚めそうになりました。
これではいけない、と思い、一生懸命、今いる場所を探しました。
でも、探せば探すほどに、どんどん迷子になった今日の夢。
ようやく、今いる場所に帰り着き、こうして日記を書いているけれど、ここが本当に今、いるべき場所なのかわかりません。
だって、まだ外は闇夜のまんまだし、現実に戻るのに手間取ったせいか、まださっきの夢が私のなかにいる様子。
不安にかられて携帯を見ると、寝ているあいだに届いていたメールが数通。
かろうじて、ここが私のいる場所なんだと、認識できました。
私を思い出してくれた人がいる現実に戻ってこられてよかった。
どうもありがとう。
友が、初めての一人旅をしようとしています。
もちろん行き先は北の大地。
近日中に旅立つでしょう。
彼女の周りには、旅のエキスパートがたくさんいます。
いろんな人がいろんなアドバイスを彼女に与えたがっています。
自分の初めての一人旅を思い出しつつ、それでも自分の旅のスタイルを押し付けないように、旅について語っているような気がします。
そして、その情報を取捨選択するのも彼女自身。
北の大地に思いを馳せた時点から、もう旅は始まっているのかもしれません。
そんな彼女を見ていると、私もまた旅立ちたくなりました。
最近は、車での旅が多いけれど、久々に単行本を片手に汽車の旅でもしてみようかな。
そんな気持ちにさせてくれた彼女の旅が、どんな旅になるのか今から楽しみです。
新しい旅人が、もうすぐ生まれます。
旅の友と久々にゆっくり食事をしました。
以前はよく遊んでいたのですが、最近はあまり遊びに行っていません。
遊びには行ってないけれど、よく会っているような気がします。
よく会っているけれど、3人いっしょに会うのはやはり久しぶり。
のんびり会話をして、たらふく食べて、いい音楽をたくさん聴いて帰ってきました。
ただこれだけのことですが、とっても「癒」された夜でした。
おやすみ。
懐かしい人に会いました。
仕事でよく原稿を書いてもらっていた先生です。
もう忘れられているかもしれない、と少しどきどきしながら、声をかけると、
「ずいぶん久しぶりですね」
と言ってくれました。
私が愛していた雑誌は、もう今はほかの人たちが引き継いでいます。
私の残した企画もほぼ出揃ったようです。
その雑誌のなかで、やりたいことはまだまだたくさんありました。
辞めたきっかけも理由も、もうどうでもいいことです。
辞めたこともまったく後悔していません。
ただ、今日は一抹の寂しさを感じざるをえませんでした。
居心地のいい場所から、いつも逃げ出してしまう癖は、そろそろなおさないと。
いつまでたっても、放浪者、のままですね。
はい。
先日、朝顔とひまわりの種をまきました。
百円均一ショップで目についた種です。
2袋100円でした。
芽が出るかどうかは、わかりませんが、毎日の楽しみがひとつ増えました。
ちゃんと芽が出ますように。
ぱんぱんっ。
「ほら、咲いてるよ。早くしないと」
母が父に何かを急(せ)かしました。
「そうか」
父がいそいそとベランダに出て行きました。
いったいベランダに何があるのでしょう。
「スイカの花が咲いているの」
花だけでなく家庭菜園も得意な母は、ベランダでなんでも育てています。
きぬさややキュウリ、トマト、わらび、ネギ、サニーレタス、ほうれん草、白菜……。
今はスイカの花がベランダで天下を取っている様子。
それにしてもいったい父は何をしに行ったのでしょう。
「スイカの実がきちんとなるように、お祈りしにいったんよ」
「えっ?!」
いつからこんな習慣ができたのか、母はどうしてこうも平然というのか。
そして、父が私と同じことをしていることに、驚きを隠せませんでした。
そっとベランダを覗き込むと、父がこちらに背中を向けて、なにやら花を覗き込んでいる様子。
私と「お祈り」の仕方は違うけれど、きっとこんなことを話しかけているのでしょう。
「ちゃんと大きくなるんだよ。ちゃんと実を結ぶんだよ」
忘れかけていた「親子」を感じて、なんとなくうれしくなった今日の朝のできごとでした。
すべてを、ぽいっと投げ出して、車でびゅーんっと、どこかに行きたい。
ですね。はい。
おやすみ。
気になることはたくさんあるけれど。
今日はもうおやすみ。
おやすみーおやすみー。
少し寝不足だからか、井草の香りの魔法なのか
今日は、またしてもふわふわ、ふわり、と、眠りにつきました。
ベッドにもぐりこんで、あっという間にぐっすり。
おやすみなさい。
今日は「衣替え」です。
衣服を夏服に替える日、とのこと。
でも、もうとっくに世間は夏服を着ているように思います。
平安時代から始まったこの習慣。
当時は、4月1日と10月1日だったのが、江戸時代に6月1日と10月1日になったそうです。
たしかに4月から、夏服を着るのは季節感がなさすぎるかも。
カレンダーの暦好きな私は、よく「衣替え」をしていました。
収納ボックスの夏服を出して、冬服を片付けます。
そのときにイッキに押し入れの大掃除もします。
6月の第一日曜日は、私の暦では「衣替え」の日。
自分のなかでの「けじめ」にもなり、気持ちもパリっとします。
でも、去年から「衣替え」をしていません。
たぶん、今年もしないのでしょう。
会社を辞めて、スーツを着ることがめっきり減ったことが大きな理由です。
でも、また「スーツ生活」に戻ろうかな、とときどき思っていることは、まだ内緒です。
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