紫
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アサイチでAコープに寄って、お昼ごはん調達。
今日は、「白谷雲水峡」に行く日です。
曇り空だったけど、宿の人に「行ける」と言われて、入り口まで行きました。
そこでもう一度、聞いてみると、なんと積雪40センチ!
苔を見られるかどうかどころか、軽装備の私たちに途中で前に進めるかどうかわからない、とのこと。
それでも、雪の少なめのコースを教えてもらい、いざ出発。
雪のなかの屋久杉。
あまり見られないそうです。
例年にない寒さのなか、例年にない景色を愉しみながら、どんどん山の奥のほうへ。
ときおり、険しすぎる道に畏れをなしたり、道を間違えてもっともっと険しい登山コースに行ったりと、いろんなハプニングがありましたが、とても楽しいハイキング?でした。
なぜ、屋久島はこんなに寒いのか、という疑問を胸に秘めながら下山。
そのあと、天然すぎる「がじゅまる」を見に行き、あやしいおみやげ物屋さんをめぐり、見学お断りという「三岳酒造」を横目に、今日は、楠川温泉300円に入りました。
硫黄の匂いがかすかにする温泉。でもつるつるして気持ちよかった。
途中、酒屋で三岳ワンカップを買いました。
宿でお湯割りにして飲んだら、お酒の苦手な同僚が「おいしい」と言ってくれたのに感激!
芋焼酎をおいしいというあなた。
これからが愉しみです。
明日は3日目。
雪の鹿児島空港から南へ約40分。
プロペラ機の懐かしい騒音のなか、屋久島へ到着しました。
あわただしい新年を過ごしてきたため、なんの予備知識を仕入れる暇もなく、なんにも知らない屋久島の旅が始まりました。
旅の友は、元・同僚。
在職中は、「いろんなこと」を発散しあった仲です。
どんな旅になるのか、楽しみ。
到着後、すぐに予定外にもレンタカーを借り、レンタカー屋さんの勧めるラーメン屋「かぼちゃ屋」で腹ごしらえ。さば節を出汁にしているとのこと。おいしい・まずいはコメントを控えるとして、なんとなく「ビミョー」な味でした。
宮の浦のホテルにチェックインして、それから北のほうに向かいました。
目的はあまりありません。
灯台やがじゅまる公園やなんでもないキレイな景色を楽しんだあと、大浦温泉300円へ。
冷泉でしたが気持ちよかったです。
宿へ戻り、夕飯を食べて、もう一度、大浴場へ。
温泉でもなんでもないお風呂だけど、手足が冷えたので入りました。
例年にない寒さの屋久島。
私たちの「南国」のイメージを一掃してくれました。
それでも、今日は雨が降らなかっただけ、よし、としましょうか。
今日の屋久島第一印象。
屋久島は、寒かった。
そして。
屋久島の人は、いろんなことを教えたい人が多い。
以上。
昨日、徹夜したため、今日は20時半には熟睡していましたとさ。
ぐぅ。
「整理・整頓」をするのは、思い出だけではありません。
気づかぬうちに、部屋のなかがなんだか荷物でいっぱいになっていました。
郵便物や原稿や校正刷りやあまたの本・雑誌!
普段から自室にずっといればいいのだけど、なんだかんだとこの部屋にいることはありません。
そうこうしているうちに、部屋の中が収集着かない状態になってしまいました。
さて、そろそろ片づけよう、と思っても、片づける場所もなし。
私の「再・一人暮らし計画」は、まだ少し先だったけど、もすこし早めてもいいかな、と思う今日でした。
まずは、先立つものと将来展望ですね。
がんばります。
そんなことはさておき。
今日を誕生日とする友が2人います。
一人は、幼稚園のときからの親友。
もう一人は、入院していたときに知り合った人。
二人とも、困ったときに相談にのったり助けてくれたりして、私にとって大切な存在です。
その二人に。
お誕生日、おめでとう。
幸多すぎる1年になりますように。
そして、「楽しい」をたくさん感じられる1年が訪れますように。
また、お話、しましょ。
2003年01月28日(火) |
お願いごとを叶えてくれた友 |
北海道の余市(よいち)に住む友に、お願いごとをしました。
「私の好きな曲に、ギターのコードをふってください」
しかも、
「私が弾けるように、限りなく簡単なコードにしてください」
もちろん、近所にギター弾きはたくさんいるし、譜面におこしてくれる友もいます。
それでも、遠くに住む友に頼んだ理由は、その曲を知っているから、その曲を送ってくれた人を知っているから、そして私がギターに初めて触れた場所を知っているからでしょうか。
それはさておき。
なんとなく私の「お願い」をはぐらかされたような返事のあと、すぐに着信。
「G D A7 D………」
コードだ!
お願いしてからたったの20分。
しかも、期待どおりのコードをふってくれています。
どうもありがとう。
まさに「感謝」です。
さて、練習…、は、明日から。
今日のところは、おやすみ。
2003年01月27日(月) |
思い出になりきらないたくさんの感情 |
「ある事象が思い出に変わるまでに、どのくらいの時間が必要なのか」
以前、日記でこんなことを書きました。
たぶん、去年の7月ころ。祇園祭の季節でした。
あれから半年経ちましたが、まだわかりません。
少し前まで、短歌を詠んでいました。
私のなかの「楽しい」や「うれしい」、ときには「悲しい」や「切ない」という気持ちを、歌に詠むことで「気持ちのアルバム」という目に見える「形」になります。
「形」になることで、それは思い出に変わり、そして「宝箱」にトントンと、整理・整頓されていきます。
ときどき、アルバムを開いてみると、一首のなかにいっぱいに詰め込まれた気持ちが、フリーズドライを溶かしたように、わっと私のなかにあふれ出ます。
最近は、短歌は詠みません。もしくは、詠めません。
詠めなくなったから、気持ちの整理・整頓に私は困っているのか、気持ちを整理・整頓したくないから、短歌を詠まなくなったのか。
そんなことはもう、どちらでもいいことです。
今は、この私のなかに滞っている「思い出になりきらないたくさんの感情」を、一つ一つ確認しながら言葉にすることでせいいっぱいです。
その言葉が誰かに拾われることで、「虚」のようにさえ思えていた感情が「実」という「形」になり、そうしてゆっくりゆっくり「思い出」に変わっていくのを、ただただ、待ち遠しく思うだけです。
「思い出の宝箱」に新しい思い出たちが加わるまで、さて、どのくらいの時間がかかるでしょうか。
くやしいことに、それはちょっとした「楽しみ」になってきています。
おやすみ。
かなしきは
小樽の街よ歌うこと
なき人々の声の荒さよ
という、石川啄木の短歌があります。
啄木が小樽に住んでいたときに詠んだ歌です。
その歌碑が小樽のちょっと小高い丘の上にある「水天宮」に立っています。
私は、小樽の街が海に向かって見渡せるこの水天宮が大好きです。
二十歳のころ、一人旅では初めて小樽を訪れました。
石川啄木の好きだった私は、この歌碑を見ようと水天宮を訪れました。
この歌の「かなし」は、「悲」ではなくて「愛」なんじゃないかな。啄木は、小樽の街と人を愛していたんじゃないのかな。
この水天宮に立ったとたんにそう思いました。
マイナスのツンと澄んだ空気の向こうに広がる街と港、そして海。
あの時に小樽の街に感じた気持ちは、今も変わらず私のなかに残っています。
街の様子もお気に入りだった宿もすっかり変わってしまったけれど。
この水天宮だけは、当時のまま。
そのまんま、です。
久々に、そして珍しく「焼き鳥屋」に行きました。
おいしいと評判の焼き鳥屋さんですが、肉の苦手な私は、あまり味はわかりません。でも、つくねはおいしく、一人でぱくぱく食べていました。
今日の話題は、人間の「旬(しゅん)」について。
話の内容は………、言えません。
というよりも、話が飛びすぎて結局「旬」については、あまり語らなかったような気がします。
内容はどうであれ、おいしい肴と楽しい会話が心地よく、そして秘蔵の日本酒「龍力」がうますぎ、なぜか私には時間のゆっくり流れた夜でした。
おやすみ。
電車に乗って、とあるところに向かっていると、とある友からメールが届きました。
パソコンに届いたメールが転送されてきたため、分割され、しかも最後まで読めなかったメールに、私は涙をこらえることができませんでした。
電車のなかでしくしくと泣いている私を、隣りのおじさんや前に立つおばあさんが、「怪訝」な目で見ていたことには、気づかないふりをして。
今日、長い長い半年が、経ったところです。
おやすみなさい。
父の車には、盗難保険がかかっていました。
微々たる額ですが、それでも不幸中の幸いというところでしょうか。
「車を盗まれたなんて格好悪い」
と、父は毎日言い、母はそれを毎日なだめています。
怒りを口に出せるようになっただけ、元気になってきたのでしょう。
昨日、いつもより帰りの遅かった父。
ずっと車の停めてあった駐車場に座っていたそうです。
そういえば子どものころに、自転車を盗まれたことがあります。
しょんぼりしながらも私は、何度も盗まれた公園を見に行っていました。
「もしかしたら、自転車が戻されているかも」
公園のブランコに座りながら、道行く人が乗っている自転車を見つめても、よく遊んでいた鉄棒やすべり台に自転車の行方を尋ねても、自転車が出てくるはずがありません。
やっぱり盗まれたんだ、という事実を再確認して、とぼとぼと帰路につきました。
きっと父もそんな気分なのでしょう。
さすがに今日は、風が強くて、ちらりと駐車場をのぞいてくるだけだったようです。
少しは口数が多くなったとはいえ、今日も「シュン太郎」の父。
いったい父の車はどこに行ったのでしょう。
父の代わりに窓の外を吹く風に聞いてみても、ぴゅうぴゅうと音を立てているだけで、なーんにも答えてくれません。
世の中には、悪い人がいるもんだ。
ぷん。
昼ころ、帰宅しました。
寝ていたわけではありません。
午前中にたくさん仕事をしてきました。
昼ごはんのスガキヤの天ぷらうどんを食べていると、
「今日は、ショックで話しができないの」
と母がぽつり。
え? もしかして私のことで何かショックなことが…?(汗)
少し、ドキドキしながら、何のことか聞いてみると、なんと、父の車が盗まれたとのこと!
うわーっ!
それはショックだ!
父の車は、買ったときから悪いことが続出する車で、故障はしょっちゅうだし、ハッチバックは盗難にあうし、慎重な運転なのになんでもないところでバンパーをこするし、修理代だけでバカほどお金をかけています。
その車が今度はいよいよ盗難。
あ〜ぁ、カワイソウに。
その日のうちに、警察を呼んで盗難届を出したとのこと。
父の様子を聞いてみると、
「シュン太郎やったわ」
と母。
その母の表現に、不謹慎にも懐かし笑いをしてしまいました。
母はよく叱られてしょんぼりしている私たち兄妹を「シュン太郎」と呼んでいました。
今はもう思い出せませんが、このほかにもいろんな名前で私たちを呼んでいた母。
今回は、父がシュン太郎です。
さっき、帰ってきた父は、いつもなら誰かに話しかけているような独り言をたくさん言いながら寝るのに、今日は静かです。
そんなシュン太郎な父と、同じテーブルでお酒でも飲もうかな、と思い台所に行ったら、もう父は布団にもぐっていました。
う〜ん、かわいそう。
毎週、日曜日は母と畑に行くのが楽しみな父。
ということで、私の車は、日曜日は父の車になることになりました。
これも、一つの「親孝行」ということかな。
おやすみ。
2003年01月21日(火) |
カニと豆腐よう、イクラと泡盛 |
毎年の恒例行事にしたい「カニパーティー」でした。
よく遊びに行く友の家に押し掛けて、5人で大きな大きなカニをつつきました。
身がびっしり詰まったカニを食べるのは1年振り。
おいしい、という言葉じゃ足りないくらいおいしかったです。
イクラも食べました。
「おいしい〜」と叫びながら食べたイクラごはん。
そして、なぜか泡盛と豆腐ようも。
北と南の幸を日本のまんなかで食べた、なんとも不思議な不思議な夜でした。
いちばん不思議なのは、翌朝、起きたら見慣れぬパジャマに着替えて羽毛布団にくるまっていたこと。
私の家は羽毛布団じゃないのに。
深くは追究せず。
おいしく楽しい夜をありがとう。
2003年01月20日(月) |
事実の羅列(られつ) |
今日も病院。
9時半の予約だったけど、受診できたのが10時半。病院から出たのが11時50分。
わかってはいるけれど、長い長い待ち時間です。
写真も毎回、撮っています。
きっとこの写真は、学会の一般講演か何かで使われるのでしょう。
私の「眼」が、スライドになっている姿が安易に想像できます。
なんとなく複雑ー。
と言っている間にお昼ごはんの時間になりました。
今日もまたまた病院の敷地内で働く友とランチです。
最近、いろいろと話を聞いてもらったり、いろんなことを教わったり相談したりしています。
彼女のおかげで楽しい楽しい新年を迎えられました。
もちろん、今日のランチも楽しい小一時間でした。
夜は夜で、ずっと行きたかった「うどん屋」さんに行きました。
手打ちうどんと、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りがとってもとってもおいしかったです。
以上、今日のお話。
おわり。
かなりとげとげしく、そしてその自分のとげに刺されて思わず泣いた翌日の夕方(つまり、今日)、旅の友にドライブに連れていってもらいました。
ちょっと気になっていたドライブウエイや、舞鶴に向かうときに通った道、なんとなく気になる温泉地、近所にありながら知らなかったキレイな橋。
突然に思いついた「ドライブ」は、短く楽しい「旅」になりました。
私の、気まぐれ&わがままドライブに付き合ってくれてありがとう。
なんとなくブルーな気分を回復して、ピアノとギターの弾き語りを聴きに行きました。
これがまた、最高に、いい!
私って、「普通」の人よりもとっても「ぜいたくな時間」を生きているんだな、と感じました。
今日のドライブもピアノもギターも、「これでよかったんだ」と思えた時間でした。
そう、これでよかった。過去を振り返っても振り返らなくとも。
「人生に後悔なし」、です。
たくさんの友の「わいわい」も、雑踏のなかの「ざわざわ」も、なんにも効力を現さないときに送られてきた、名前も知らない歌手の詩が、なんとも心にしみわたる。
そんな経験、貴重だと思いませんか。
聞きたい聞きたくないにかかわらず、耳に入ってくる「音」。
ときにはやさしく、ときには悲しい。
こんな風の音に、何度、「ドキッ」を繰り返せばいいのかわかりませんが、今はまだ、風の音ばかりを頼りにしているような気がします。
いつか、私を素通りする「音」になることはわかっているから。
それだけわかっていれば十分、です。
今日も通院。
車は自分で運転して行きました。
この間は道が大渋滞していたので、「ここかも」と思った裏道を行きました。
大正解!
この間の20分ほど時間短縮に成功。
短縮はできたけれど、受付をしてから40分後にようやく診察。
長い長い「待ち時間」です。
それでも今日は、検査がなかったので、1時間ほどで終了。
また来週、通院です。
いっそのこと、入院したほうが…とも思ったけれど、仕事を代わりにやってくれる人もなし。
体が資本のフリーランスのつらいところでしょうか。
と、小生意気なことを申したところで。
おやすみ。
こんな眼の癒しのために、温泉に行きました。
ホントは、午前中にひとつ打ち合わせがあるはずだったのですが、夕方に変更してもらって、急に決まった温泉ツアーに参加させてもらいました。
行き先は、どこだったかな。
兵庫県のどこかです。
高速に乗ってしばらくすると、ちらほら雪が降ってきました。
雪を眺めながら、なんとなく北のほうを思い出していると、あっという間に吹雪きに。ますますしんみり。
あぁ、旅に出たい。
ちょっと寒い店で熱い熱い鍋焼きうどんを食べて、そこから少し行ったところにある温泉(名前失念!)に入りました。
この、温泉がまた風情があってなんともいえず、いい!
露天の粉雪の降りしきるなか、湯けむりのなか庭に積もった雪を眺める。う〜ん、ニホンザルみたい。
サルの気持ちをかみしめながら、「きゃあきゃあ」と雪にお湯をかけ、雪だるまを作り、写真を撮り、湯あたり寸前で湯船をあとにしました。
雪はいろんなことを思い出すけれど、今日の雪はとてもあたたかでやさしいやさしい気持ちになれました。
楽しい1日を、ありがとう。
ご心配をおかけしています。
今日は、大きい病院で眼科受診の日。
昨日よりも増した眼の痛みをガマンして、いざ「大きい病院」へ。
旅の友の好意に甘えて、病院まで送ってもらいました。
渋滞のなか、どうもありがとう。
検査、診察、写真撮影、処置と、約3時間。
この行程を、私は知りすぎるほど知っているはずなのに、やはり長く感じてしまうのは、「患者」としての立場だからでしょうか。
初めての「点眼麻酔」も初めての「開瞼器(かいけんき)」もやはりどうしていいのかわからなくなります。
ドクターの専門用語も、スタッフの人たちの「雑」な態度も、これは「大きい病院」ならではなのか、愛想のよさは取材のときだけの「顔」なのか。
なんとなく複雑な気持ちになりながら、「大きい病院」をあとにしました。
ちょうどお昼だったので、近所で働く旅の友といっしょに「おしゃれランチ」♪。
独眼龍な私に、デザートをごちそうしてくれました。
どうもありがとう。
そして、またまた旅の友に迎えに来てもらって、帰りました。
ホントにホントにありがとう。
今日は、このあともまだいろんな楽しいことがたくさんあり、長い長い1日だったのですが、眼をいたわるために。
おやすみ。
昼近くまで寝て、祝日も開いている眼科に行きました。
ここ数日、充血が激しく、しかも今日は痛みまで出てきました。
職業上、眼の病気にはちとうるさいワタシ。
さっそく眼科に行ってきました。
………(受診中)
なんと、明日、大きい病院で精密検査。
ということで、今日の日記もこれで終わり。
目はたいせつに。
おやすみ。
日記お休み。
目は大切に。
低血圧です。
そうひどくはありません。測る時間によって違いますが、だいたい60−90くらい。
それでも、寝起きはいいほうです。
子どものころは、朝、起きられなくて、何度も起こしにくる母にぐずってぐずって仕方ありませんでした。
二度寝、三度寝なんて当たり前。
何度か学校にも遅刻していました。
ところがそれが、ある日、突然治りました。
祖母と暮らし始めたからです。
早起きの祖母につられて、朝の5時に起床の毎日。
祖母がいないときは、自分ひとりで起きなければいけません。
「自覚」というより、「危機感」でしょうか。
起こされなければ、いつまでもいつまでも寝ていられることが、なんとなく「一人で生きていく」ことから離れていっているようで、意地でも起きていました。
そうすると、だんだんと、だんだんと早く起きることが苦痛ではなくなってきました。
今では、朝はかなり早く起きることができます。
とう私ですが、今日は予定時間の30分ほど寝坊。
2時間の睡眠時間では、やはりダメだということが立証されたということで。
今日は早く寝よう。
この日記に、書いたかどうか忘れたけれど、今年の目標のひとつに、
「再・一人暮らし!」
があります。
放任すぎる親といっしょに暮らしているのは、苦ではないのですが、なんせ山奥に住んでいるため、出不精になりがち。
しかも、冬場は道路が凍結するため、タクシーまでが乗車拒否することもしばしばあったとか。
こんな不便なところでは、思い切り仕事もできん! と思い、久々に家族と暮らす楽しみから離れようとしています。
それはそれで、いいことだとは思うのですが。
私の一人暮らし。
いつごろになるかわかりませんが、いい部屋をみつけよう。
う〜ん。
最近の日記は、なんだか「普通」すぎる。
原因はわかっているからいいのだけれど。
たまには、こんなのも、あり?
実は昨日、髪を切りました。
……………。
……。
だ〜〜〜〜〜〜〜〜れも、気づいてくれませんでしたとさ。
ぷん。
いいんだいいんだ。
ぷん。
おやすみ。
トイレカレンダーを替えました。
なぜかというと、年が明けたからです。当たり前。
毎年、トイレカレンダーだけは、時間をかけて選びます。
予定が書き込みやすいのと、なんとなく豆知識になることが書いてあるものを選びます。
2003年のトイレカレンダーは、さてなんでしょう。
1月は、箸使いのタブーが書かれていました。
箸使いのタブーを読んでいると、大阪に出張に来ていたときのことを思い出します。
あのときは、自分が大阪に住むことになるとは思ってもいませんでした。
話がどんどん飛びますが、こういう日はあんまり書く気が起こらない日。
でも、これだけ書いただけでも、エライエライ。エライ私。
おやすみ。
注)けっして酔っぱらっているわけではありません。
今日もこのへんで。
2003年になってまだ6日。
ゆっくりゆっくり。
ゆっくり冷ましてこそ、味わい深い人になれるはず。
今日はこのへんで。
このお正月の間に、私の住む山には雪がたくさん降りました。
ほとんどが粉雪です。それでも雪を見ると、北の街を思い出します。
先日、音もなく降り注ぐ雪を窓から眺めていると、外出していた父が帰ってきました。
「外は雪が、ばやばや降ってるぞ」
……。
え? ばやばや?
子どものころから、私は擬音語・擬態語をよく使います。
おそらく、母の影響です。
寒いときには「ぶるぶる」、びっくりしたときには「どきどき」、悲しいときには「しくしく」、雨の音は「ざーざー」、拍手するときは「ぱちぱち」、そして聞こえないはずの雪の音は「しんしん」。
ごく一般的な擬態語・擬音語だと思っていますが、今日の父の発した「ばやばや」は使いません。
「………。……。雪って、ばやばや降るの?」
父の使った擬音語にショックを隠せず、聞いてみました。
答えは返ってきませんでしたが、母が隣りで笑いをこらえていました。
その光景に、「家族」を感じました。
ピアノが私のもとからなくなったあの日と同時に、喪失してしまったと思っていた「家族」が、今、ここにあります。
突然に、しかも長く離れていたせいか、生活感や価値観がお互いにずいぶんと変わりました。
過ぎていった時間は、もう取り戻せないし、取り戻す必要もないけれど、長い間、ずれていた歯車が、少しずつ少しずつ、元に戻りかけているような気がします。
まだ、完全ではないけれど。
「(『ばやばや』でもいいや)」
笑いをこらえている母を見て、そう思いました。
それが、私の家族の言葉なら、それを受け継いでいきたい。
このお正月の間の粉雪に、今日はちょっとセンチメンタル。
2003年01月04日(土) |
サプライズパーティー! |
いきなり部屋が真っ暗になり、バースデーケーキならぬ「バースデーおはぎ」が登場。
なんとなく笑えるようであたたかい。
あたたかいあたたかい、あたたかい誕生パーティーが始まりました。
「お父さんの誕生日に歌いたい」
愛娘(まなむすめ)の一言に、年末から打ち合わせの始まった今日のこの日のこと。
何度、日記に書きかけたことか。
それでもサプライズパーティーということで、その「時間」まで本人には内緒・内緒です。
今日を誕生日とする人に向けて、みんなが歌います。
愛娘が声をかけて組んだ新バンドは、「お父さん」の好きなビートルズを歌いました。
気持ちの、たくさん、詰まった、歌、に思わず胸が詰まりました。
私も今のこの気持ちを贈りたくて、昨日の夜、とっさに「歌いたい」と思いました。
あふれ出るままに歌った言葉たちは、練りが足りなくて荒削りで、しかも声がうわずってやはりうまく歌えなかったけれど、それでも伝えたい「気持ち」をせいいっぱい歌いました。
「僕は、幸せな人間です」
今日の主役が最後に挨拶。
その言葉の奥にある深い深い悲しみを、どうすることもできないけれど。
それでも、悲しいときも楽しいときも、私たちは「ここにいる」から。
そして「ここにいる」ことが、私たちの心をあたたかくしてくれているのだから。
当たり前の言葉しか言えませんが。
お誕生日、おめでとうございます。
小さな幸せに大きく感動できる一年になることを心より…。
たまった仕事の合間をぬって、何年かぶりに「初詣」に行きました。
神さまに手を合わせるのがなんとなく憚(はばか)られ、しばらく遠ざかっていましたが、今年は「いっしょに行こう」と誘ってくれた人がいたのをきっかけに、今年は「普通」に初詣に行こうと思いました。
そう、普通に、ごく平凡に1年を始めよう。
と思いきや、これが普通の初詣ではありませんでした。
足にはトレッキングシューズ、背中にはリュック、そしてリュックのなかにはお弁当とお茶。
なんと、旧参道を歩いて登るのです。
途中で降ってきた粉雪が雨にかわり、びしょぬれになりながらも「わいわい、きゃあきゃあ」と静かな山ににぎやかな足跡を残しながら、登りました。
たまにはこんな初詣もいいかも。
詣でたお寺は、勝尾寺(かつおうじ)。大阪府箕面市にあります。
勝ちだるまで有名なこのお寺。境内はありとあらゆるところに小さいだるまが置いてあります。
三が日は参拝無料ということで、境内は参拝客でごったがえしていました。
それでも本殿へお参りしたあと、友の知る「秘密の場所」の軒下でお弁当を食べ、熱いお茶を飲み、いにしへの旅人を偲(しの)び、おやつまで食べて、またまた雨のなかを歩いて下山。
もちろん、だるまおみくじは欠かせません。
そのあとの温泉が気持ちよかったこと、そのまたあとの鍋パーティーが楽しかったこと、ときどきその似すぎた「姿」にドキン、としたこと、みんなでワイワイと騒いだことは、書ききれないのでこのへんで。
今年の運勢は「吉」、そしてときどき「大吉」、であればいいな。
おやすみ。
元旦の朝、個性豊かな年賀状たちが届きました。
どうもありがとう。
Eメールが当たり前の世の中の、このアナログすぎる年賀状が私にはとてもうれしいイベントのひとつです。
面倒くさい、とか、年賀状友だちなんて無駄、なんて言う人もいるけれど、でも、年に一度だからこそ、面倒くさがらずにこの慣習を続けたい。
という私も、年賀状なんて…と思っていた時期が何年か続いたことがあります。
それが、がらりと変わる出来事がありました。
交通事故です。
あのときの心情は、いずれ「交通事故体験記」に書いていくとして(いずれいずれ(汗))、やはり、人と人とのつながりは大切にしていかなければ、と思いました。
「人とのつながりは、自分から切ってはいけない」
昔、ずいぶんとお世話になった人の言葉です。もうこの世にはいません。
年賀状は、面倒くさいかもしれないけど、けっこう便利なツールです。
なぜ便利なのかは、自分で見つけだしてください。
私は、この年賀状で、人と人とのつながりの大切さを実感できました。
今日もまた、支離滅裂な日記ですが、お正月ですので。
おやすみ。
そして、2003年。
久々に家で元旦を過ごしました。
過ごしたといってものんびりしたわけではなく、年賀状書き。
そう、まだ誰にも年賀状を書いていません。
それでも、今日はほとんどの年賀状を書き終えることができました。
ふぅ。
今年の抱負というほどのものでもないけれど。
去年は、読書は一時休憩でしたが、今年はまたたくさん本を読もうと思います。
そして、「やりたいコト」を一つでも実現しようと思います。
この「やりたいコト」は今のところ、秘密の秘密。
あきらめかけていた「やりたいコト」だったけれど、年末に届いた「口べたであまのじゃく」な友からのメールに、なんとなく、がんばってみるかーっという気分になりました。
がんばっている彼女たちに負けないように、私もがんばります。
だからみなさんもがんばろう(笑)
がんばることは、けっして恥ずかしいことではないのです。
ということで、
今年もよろしく。悔いのない一年を築き上げましょう。
2003年元旦
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