紫
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こうして日記を書いていると、私って、毎晩どこかで飲んでいるように思われるのでしょうが、そのとおり。
否定はしません。
ということで、今日も旅人の家で鍋パーティーでした。
前日にお誘いが入り、少し迷ったのですが、「鍋」という文字につられて、ついつい参加。
その代わり、昼間は飲まず食わずで必死になって仕事を終えました。
集中しすぎて、ぼーっとした状態の頭で鍋パーティー開始。
空きっ腹に飲んだビールのおいしいこと。五臓六腑にしみわたるってまさにこの感覚?
たくさん食べて(私なりに)、たくさん飲んで(いつもくらいに)、たくさん笑って(………)、今日もまた楽しい楽しい夜でした。
明日から12月。
こうして、心穏やかに来年を迎えられればいいな。
穏やかに穏やかに。
人知れずささやかな「ワインの会」でした。
貰い物の白ワインを2本、おいしいチーズと楽しい会話を肴に、5人でわいわいと飲みました。
ワインをおいしく飲めるようになったのは、いつのころからでしょう。
「ワインなんて『ブルジョア』なお酒だわ〜」
と思っていたのに、今は好んで飲むようになりました。
私も「ブルジョア」になったのかしら。うそうそ、いつまでも「プロレタリア」な私です。
ワインについては、元・上司からいろいろと教えてもらいました。
やけにワインに詳しいその彼女は、ワインのことをまったく知らない私に、飲み方はもちろん、ワインリストの見方や注文の仕方、種類や産地など、「おごる」ことなく「うんちく」をたれることなく、丁寧にそしてうれしそうに教えてくれました。
ただ、銀座のワイン屋に連れていってもらったときに、一晩で一人2万円(!)も使ったときはちょっと閉口でしたが、確かにワインはおいしかったです。
大阪に来てからは、「ワイン」を飲みに行く人がいなくて、すっかり「ワイン」自体からは遠ざかりました。
もう地名や名称を聞いても、ピンとこなくなりましたが、肥えすぎた舌がムショウにワインを求めるときがあります。
そういうときは、おいしい日本酒を呑んで満足させています。
いえ、酒だったらなんでもいいというわけでは、けっしてありません(汗)。
今日のワインの会は、「ワインを味わ」ったのは、最初の一口二口で、あとは「会話を味わ」ってワインを飲みました。
とてもとても楽しいワインの会、次に人知れずささやかに開かれるのはいつでしょう。
今度は、奮発しておいしいワインをどこかで見つくろってきます。
みんなが口を揃えて「ありえ〜ん」と言うくらいに。
よく行く場所でよくいっしょにいる人たちと、今シーズン初の鍋パーティーでした。
予定の時間よりも少し遅れて、いえ遅れすぎて到着。
遅れてすみません。
前にも書いたけど、鍋は大好きです。
今日の鍋もとてもおいしく懐かしく、何度も去年や今年の鍋をしたときのことを思い出しました。
私の好みを把握している彼らは、もう何年も前から知り合いのような気がしてなりません。
本来なら、もっともっと飲んだくれて、もっともっといろんな話しをして、もっともっと大笑いをして帰ってくるのですが、明日、仕事なのでみんな控えていました。
なんとなく今日は、去年の今ごろを思い出して、酔えそうで酔えない日でした。
いろんなことが、ありすぎたからでしょうか。
おやすみ。
香川にうどんツアーに行きました。
朝6時半に集合し、瀬戸大橋を渡って1軒目のうどん屋についたのが9時ころ。
それからなんと6軒のうどん屋を「はしご」しました。
うどん玉だけもらい、出汁や薬味、具は自分の好みで入れていく、いわゆる「セルフ」のうどん屋で、一玉100〜170円ほどで食べられます。
ネギやショウガを自分できざむ店もありました。
私は、6軒のうち、4軒のうどん屋で食べました。
さすがに6杯は、私の大きくなりつつある胃袋でも入りません。
途中で温泉に入り、腹ごなし(?)
楽しいうどんツアーになりました。
夜更かしの続いている私は、車のなかでほとんどの時間を寝て過ごしました。
「食っちゃ寝」とはまさに今日の私。
車のなかでのわいわい会話や、温泉のなかでのちゃぷちゃぷおしゃべりが、今日はいちばん楽しかったな。
明日は、アサイチで眼科に行こう。
今日もまとまりのない日記でした。
おやすみ。
「せこガニ、食べる?」
家に帰るやいなや、母が聞いてきました。
せこガニとは、メスのカニのことで、足にはあまり身は詰まっていませんが、ミソがおいしいようです。
足のほうが好きな私は、せこガニはあまり食べたことがありません。
カニみそは好きだけど、甲をあけて食べるのは面倒くさいし、ポタポタこぼれるし、手も汚れるし………。
あれこれ考えている間に、せこガニが食卓に置かれました。
あぁ、釈然としない私。
「足が面倒くさいねん」
とバキバキと足を折っていく母。
カニみその好きな母は、昔からカニを食べさせると右に出るモノはいないと思うほど、上手にカニを食べていきます。
母が子どものころ、城之崎出身の祖母に、よくカニを食べに連れていってもらったとのこと。そして、カニの食べ方は祖母に教えてもらったそうです。
「ここをこうしてね…、あ、それは全部取るの」
甲の食べ方は何度も教えてもらっているけれど、いつも途中で面倒くさくなってやめていました。
でも、今日はなぜか「最後まで食べよう」と思いました。
なんとなく、その「カニの食べ方」は、無形の資産、のような気がしたからです。
それでもやっぱりカニは足がいちばんおいしいんですけどね。
高校時代の恩師と数名の同級性と宴会でした。
卒業して約15年。
みんな、それぞれいい感じで歳を重ねているようでした。
人生をやりなおしたいと思ったことはないけれど、もし戻るとしたら、私はすかさず「高校時代」と答えるでしょう。
それだけ私には充実した三年間でした。
とても仲のいいクラスでした。
全員で取り組んだいろんなイベントを今もよく思い出します。
何年か前に一人欠けてしまったけれど、その彼女も含めて私の中では宝物の時代です。
ということで、当時の私はとっても純粋でかわいい高校生だったのだ。
これだけが言いたかったのでした。
ちゃんちゃん。
2002年11月24日(日) |
誰にもあげられない時間 |
カーオーディオが壊れました。
ラジオは聴けるけど、テープは聴けません。
新しいのを買おうと、ネットで検索。意外と高いんですね、これがまた。
テープだけのヤツでも1万円はしているし。
それでも、どうしても欲しいので、今度、オートバックスに行く予定です。
これで、「欲しいモノ」の一つが実現します。
物欲、はあるのですが、購買欲はありません。
迷いに迷ったあげく、買わない、というパターンが多いです。
とくに一人で買い物に行ったときは、ほとんど何も買いません。
洋服は別ですが。
カーオーディオも、「結局、や〜めよ」なんて結果にならないように、十分に下調べをしてから行くつもり。
店頭で見ただけだと、ワケがわからず「や〜めよ」になってしまいがちだからです。
車のなかで聴きたい曲はたくさんあります。
「ブルーハーツ」だったり「ハシケン」だったり「イル・ポスティーノ」のサントラだったり。
車のなかという、だーれもいない空間で、もう私のなかだけにしか残っていない思い出にひたるのも、それはそれでいいモノです。
だーーーれにもあげられない、時間、です。
いつもパソコンを置いている机の上が、ゲラ(校正刷り)に占領されているので、仕方なくゴミ箱の上にノートを置いて日記を書いています。
旅先ではいつもゴミ箱の上で書いているので、慣れっこです。
今日は久々にセミナー取材でした。
取材と言っても私は編集担当なので、記事を書くわけではありません。
セミナーには何度も出席しているけれど、「取材」として出るのは初めてです。
セミナー自体はとても勉強になりました。
やはり、私は「看護」が好きなようです。
ただ、企画の段階になって、やはり私の甘さが出てしまいます。
私の考えていたことよりも、さらに具体的な企画を出してくるライターさんとその雑誌の編集長の前で、私はほとんど話しができませんでした。
情けない。
情けない情けない情けない!
でも、今日は懐かしい雰囲気に触れられて、ウレシイ1日でした。
ぜいたくを言えば、もっと「懐かしい人たち」とゆっくり話しがしたかったな。
それはまた今度のお楽しみ、ということで。
おやすみ。
ここ数年、少食を通していた私。
一人前を食べるのが精一杯、というより、一人前を食べることはあきらめていました。
残して当たり前、という「もったいないお化け」に襲われても当然な毎日でした。
夜の「飲み」で、栄養をたくさん摂ってはいましたが。
ところが最近、あら不思議。
一人前を食べられるようになっていました。
一人前どころか、人より多く食べているときもあります。
その分、体重の増加も激しいモノがあります。
生活のリズムが、変わったからでしょうか。
とある社会のストレスがなくなったからでしょうか。
毎日、おいしい洋食を食べているせいでしょうか。
それとも、ヤケ食い?
なんでもいいけど、この間、食べた鮭茶漬けと明太子スパゲティサラダがバツグンにおいしかったこと、お寿司をたくさん食べたこと、ラーメンを一人前全部食べられたことは、なんとなく、心も体も元気になってきているようで、とてもとてもウレシイことなのであった。
今日はなんだか変なワタシ。
おやすみなさいませ。
カーステレオ、プレステ2、ファイナルファンタジー、新しい携帯電話、新しいウインドウズ、新しいマッキントッシュ、視力のいい目、マウンテンバイク、テント、デイバッグ、並びのいい歯、ベルギーで飲むビール、なんでも弾けるギターの腕前、一眼レフ、回転の速い頭脳、自宅の近所に本屋さん、人なつっこくない猫、藤野の豆腐、去年買ったのになくしたあたたかい手袋、友の持っていたポケットのついた白いマフラー、飲んでも眠くならないことが書いてある本、………etc.。
さて、このへんで。
おやすみ。
ハイキングに行きました。
兵庫県の新神戸からロープウエイに乗り、「布引の滝」を見て、再度山(ふたたびやま)を登りました。
滝はロープウエイからちらりとしか見なかったけれど、山の紅葉は見事でした。
でも、階段状になっている山道が多くて、私は舌をかまないように歯を食いしばって歩きました。
お昼ごはんのおにぎりや、あたたかいインスタントラーメンや、卵焼きにウインナーが、とてもとてもおいしかったのは言うまでもありません。
途中でまわってきたミカンがとてもとても甘かったのは、ごくごく一部の人たちには内緒です。
そのときどきの思考・言動をがんばって、デジカメにおさめていったけれど、最後の最後にデータを損失。
デジタルって怖い。
もう、考えない。
おやすみ。
兄弟姉妹って不思議だな、と最近よく思います。
法律的に言えば「二親等」という親よりも遠い存在だけど、それでも誰よりも自分の立場に近い人、のように思います。
年が近ければ近いほど、同じ「時代」を知っていて、生きて、そして、同じ「血」をもつ人間として同じ感性を磨く。
それでも、互いの「棲み分け」は違ってくるけれど。
私は兄が一人、います。
子どものころから、兄には影響を受けっぱなしでした。
「卒業」という映画が好きなのも、古文や歴史が好きなのも、SFを観たり読んだりするようになったのも、なんとか「ごっこ」が好きなのも、百人一首を覚えたのも、すべて兄の影響です。
初めての「料理」も兄から教えてもらいました。
中学生でした。
今は、あまり口をきくこともなくなったけれど、それでも兄の言動はいまだに気になります。
「仲の悪い兄妹」として育ってきたけれど、本当は互いの考えていることを互いによく知っている。
そんな気がします。
うまく言えないけれど。
うまく言えないまま。
おやすみ。
あまり、大きな声では言えませんが、私はかなりの「偏食」です。
恥ずかしいので、あまり言わないようにしていますが、「肉」だけは「嫌い」と言うようにしています。
気を遣われて、5000円のヘレステーキをごちそうされたりなんかしたら、たまりません。そんな人、滅多にいないのでしょうけど。
子どものころは、もっともっと偏食でした。
食べられるモノがなくて、母親がいつも困っていました。
それでも、一人暮らしを始めてからは、「生きていかなくては!」と思い、いろんなモノにチャレンジしました。
たとえば、イカ。
あのツルツル感が嫌いだったのに、今ではすっかり好物になっています。
そして、海老。
あのくるりと曲がった「形」が嫌いだったのに、エビチリ大好きになりました。
さらに、アスパラやブロッコリー。
「洋野菜なんて食べられなーい」と思っていたのに、この2つはついついサラダ用に買ってしまいます。
そうそう、セロリ。
もう、生で食べるとシアワセです。
大人になってから、食べられるモノを少しずつ増やしていきました。
増やしていって気づいたこと。
これって全部、居酒屋で始めて食べたモノが多い…。
私の酒飲みは、私の健康の一助にもなっているのです。
はい。
おやすみ。
ずいぶんとゆっくり寝ました。
といっても一度、6時に目が覚めたのですが、あまりにも寒くて布団のなかにいました。
7時半ころにのそのそと外に出ると、もう朝ごはんを作ってくれている人がいました。
どうも、ありがとう。
みんなで少しうだうだとしたあと、後かたづけをして解散。
帰る途中、枚方大橋を渡りました。
去年も、この橋を渡りました。
去年と同じくらい、空が気持ちよく晴れ渡っています。
それでも、去年の私と今の私では、いろんなことが違っています。
違うことにまったく後悔はしていないし、よかったと思えることもたくさんあります。
こんなに心が落ち着いていられるのも、すべて「私の秋」が始まったからでしょう。
私の「いつもいる場所」に戻って、「いつもいっしょにいる人たち」と会って、ぼーっとした時間を過ごして、おいしいスープを飲んで。
「あ、この時間って、宝物?」
そう思えた瞬間、とてもとても強くなった気がしました。
秋、ばんざい!
京都の男山で、1泊2日の大宴会でした。
コテージのあるレクレーションセンターに年に一度、旅人が集まります。
参加したのは今回で2回目。
みんなで鍋や焼き肉を作って、わいわいと楽しい夜でした。
私は、やはり途中で寝てしまいましたが。
幹事さん、いろいろお世話になりました。
初めて会う人や1年振りに会う人、ほぼ毎日・毎週会っている人たちと、お酒を飲んでなんでもない話に大笑いして。
旅人っていいな。
今日はあらためて思いました。
きっとみんな、いろんな経験を乗り越えて、今、ここで笑っているんだろうな。
外のトイレに行く途中、そんなことを考えながらふと空を見上げると、お月さまがとてもとてもキレイでした。
去年の今ごろ、私は、何をしていたっけ?
月に聞いて見たけれど、今日の月はなぜかなーんにも答えてくれません。
それでも、月の光があたたかい夜でした。
あたたかい月と、あたたかい旅人たちに、
おやすみ。
今朝、久しぶりに自分でおとしたコーヒーを飲みました。
自分でおとすのは、約半年ぶりです。
あんなに毎日、中毒のように飲んでいたのに。
会社にいたころは、1日に最低3杯は飲んでいました。
コーヒーの落とし方は、何年か前に教わりました。
今もそのときの落とし方を忠実に守っているつもりです。
ただ、ポットがやかんなので、湯の注ぎ方には万全の注意が必要です。
コーヒーを落としていると、初めて自分で落としたコーヒーを、人に出したときのことを、必ず思い出します。
思い出すために、コーヒーを飲んでいたのかもしれません。
今朝のコーヒーは、もうずいぶん前の豆なので風味は多少落ちています。
それでもおいしく懐かしく飲むことができました。
そして、思いました。
昨日、書いて投函しそこねた手紙は、出すのはやめよう。
「うん、それがいいそれがいい」
ちょっと濃いめのコーヒーの香りが、そう賛同してくれたような気がしました。
封筒に貼った「昭和新山」の切手が、誰の目にも触れないのはちょっともったいないような気もするけれど、また、いつか、その封筒からはがして使えばいい。
そして、明日から、また濃いめのおいしいコーヒーを飲もう。
豆は古いままけど。
玄関を出て、ふと外を眺めると、そこは見事なまでの紅葉でした。
なぜ今まで気付かなかったのか。
「わあ、きれい」
思わず口に出してしまいました。
「きれいでしょ」
母が、まるで自分のものを自慢するかのようにうしろで言いました。
あ、秋なんだ。
母の一言に、私の秋が始まりました。
この季節をキライにならなくてよかった。
だって、こんなにキレイな季節なんだもん。
今年の秋を楽しめそうです。
どうも、ありがとう。
2002年11月13日19時55分
今までずっと大切にしていたものが、どうでもいいものになってしまいました。
だから、宝箱にも入れずにゴミ箱にぽいっと捨てられます。
ぽいっ。
もう二度と見つけない、拾わない、振り返らない。
おやすみ。
友と3人で浅草に行きました。
屋台でビールと焼きそばとおでんを食べて、わいわいと話し、そのあと、バーでビールとジャーマンポテトを食べて、がやがやと話しました。
とても楽しい楽しい時間でした。
もちろん、昼間の話です。
夕方になってから、友の車で帰路につきました。
東京・大阪間をずっと運転してくれた友と、助手席でずっと起きていた友に感謝です。
私は大渋滞の間、ずっとずっと後部座席ですやすや寝ていました。
家に到着したのが午前1時半ころ。
もうろうとした意識のなか、日記を書いています。
ここ数日のまとまりのない日記は、旅の疲れのため、ということにしておいて。
おやすみ。
久々に西荻窪を歩きました。
学生のとき以来です。
友に案内されて歩く西荻は、また新しい発見がたくさんありました。
自分の知っている街を友といっしょに歩くと、
「え、こんなのあったかな」
と思うときが、多々あります。
一人だと、ぜったいに気にかけない店や建物にも、視線が向きます。
今日は、うまい蕎麦屋と、変てこなものをたくさん売っている店と、品揃えの豊富な酒屋と、どこにでもよくある公園、をぶらぶら歩いて、帰ってきました。
のんびりとした時間が流れて、とても落ち着いた午後を過ごしました。
夜は、毎度ながらの大宴会。
今日も私に「笑顔」をくれてありがとう。
ホントにホントにありがとう。
おやすみ。
二つの懐かしい友たちに会いました。
一つは、旅仲間。
最近はなぜかよく遊ぶ友たちで、「懐かしい」というわけじゃないけど、でも会ってわいわいできることが、今の私には幸せです。
もう一つは、学生時代の友たち'。
だれも変わることなく、当時のまま話せるのが、うれしい。
そう、変わったものはホントは何もないのです。
何も。
ガラガラガラ、カラカラ、カラン。
何かが崩れる音です。
さて、なんでしょう。
崩れたものは、二度と同じ形にはなりません。
もう一度、積み上げるまでに、少し時間がかかりそうです。
だから、今は、崩れたものにつまづかないように、そっとそっと歩いています。
そっとそっと。
今日も1日、弱々しい私。
しっかりしろっ!!!
早く、冬になればいいのに。
最近、よく思います。
寒さは苦手だけど、冬の匂いは大好きです。
体にびゅうびゅうと吹き付ける風は苦手だけど、鼻先をツンとかすめる風はお気に入りです。
荒れた吹雪は大嫌いだけど、さくさくさく、と積もった雪の上を歩くのは大好きです。
とにかく、この秋が早く、早く過ぎ去ってほしい。
ここ一週間ほど、ちょっと弱り気味な私。
すべてこの秋のせい。
2002年11月05日(火) |
作り手のことを考える |
久々にケーキを食べました。
甘いモノの苦手な私は、滅多にケーキは食べません。
ケーキだけでなく、パンや菓子類もほとんど食べません。
でも、今日は「食べてみたい」と思いました。
「作り手のことを考えながら味わう」
以前、言われた言葉です。
味わって飲んだり食べたりはしていたけれど、「作り手」のことはあまり考えたことがありません。
食に対してあまり欲求のない私は、極端に言えば「おいしい」か「まずい」かの判断だけしていました。
「作り手」のことを考えながら食べた料理は、味わいがまったく違います。
おいしいものはよりおいしく感じます。
「作り手」の見えない料理もあります。
まずい、というわけではないけれど、味わっても何も感じない。
きっとそれは、作った人が食べる人のことを考えずに作られた料理なのでしょう。
今日、近所のケーキ屋さんが持ってきてくれたケーキは、箱を開けただけで作った人が見えたような気がしました。
いえ、作った人は隣りに座っていたので、顔はすぐに見えるのですが。
私が選んだのは、小さくて丸くて白くてフルーツののったかわいいケーキ。
作った人の思いやりを感じながら、おいしく楽しくいただきました。
もちろん、ビールも飲みました。
おやすみ。
今日の日記はおやすみ。
餃子パーティーでした。
東京から来た旅の友が作ってくれました。
総勢25人で約600個の餃子をわいわい・がやがやとつつきました。
ビールと日本酒と焼酎と、そして楽しい人たちと楽しい会話。
楽しく酔っぱらえました。
いい時間にしてくれたみなさん、どうもありがとう。
おかげで元気、になりました。
今朝、マンションの階段をのぼっていたときのこと。
トン、トントントン、ばたんっ!
転んでしまいました。
たまたま工事で来ていたお兄さんたちの「大丈夫っすか〜」といういたわりの言葉に笑顔でこたえて、家に入りました。
ふぅ。
実は階段でよく転びます。
小学校三年のときに3段しかない階段で転んだときの傷が、まだ肘(ひじ)にのこっています。
五年生のときは、家の階段(13段・急)の上から下まで、つまり、二階から一階まで転げ落ちました。無傷でしたが、その日は学校を休みました。落ちている間は、空を飛んでいる気分でした。
会社の非常階段でもつまづきました。タイトスカートをはいていた私は正座の形のまま、どんどんどん、ムコウズネに打ち身をたくさん作りながら、落ちていったこともあります。
新大阪の駅で、残り3段に転んだり、店の入り口の段差に気づかず転び、軽く左足を捻挫をしたのは記憶に新しいです。
そんなこんなで、階段落ちの結果、私が得た教訓は、
「階段を降りてるときはくいしばれ」。
階段から落ちて、舌を噛んで死んだ…、なんて、ニュースになりたくありません。
今日は、めずらしく上り階段で転びました。
左手の小指に少し擦り傷ができただけ…と思いきや、お風呂に入ると左足がぴりり。ん?
ムコウズネに左手より大きい擦り傷発見。
それでも、舌はかまずにすみました。
教訓が活かされているということで。
おやすみ。
今日は、ついたちです。
「月立(つきたち)」が転じて「ついたち」になったそうです。
今でも、月のはじめの日のことをついたちと言いますが、月の終わりのことを「晦(つごもり)」とはあまり言いません。
これも「月隠(つきごもり)」が転じて「つごもり」になったそうです。
中学校のときに授業で教えてもらいました。
古人は、月といっしょに一年を過ごしてきたんだなあ、と思いました。
私は「言葉」が大好きです。
言葉や地名、諺(ことわざ)の語源や由来を調べて、「昔」の生活を想像したり「現在」に残っているものを知ったりするのは、その言葉たちのなかに含まれる歴史がかいま見られて楽しい。
教科書や物語のなかの歴史が現在の自分にもつながっているんだと実感できて、ちょっとした感動が生まれます。
日本語が変わってきた、とか、くずれてきた、とかよく耳にするけれど、言葉は変わっていっても仕方がないものだと思っています。
私自身、言葉を発するのは不器用です。
でも、「月立」が「ついたち」になったような変化はあっても、その語源や意味は変わることがありません。
ただでさえいろんなことで変化の激しいなか、「変わらないもの」を大切にしていきたい、と思います。
それは、言葉だけではなくて。
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