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2002年10月31日(木) 「間違えた」

1日のオワリにかかってきた「間違い電話」が悲しい。

おやすみ。


2002年10月30日(水) 映画鑑賞

人生を春から始まる四季に例えるのなら、私ごときはまだ初夏にさしかかったところかもしれない。
そう思えた映画を観ました。
「阿弥陀堂だより」
知人に勧められて、久々に映画館に足を運びました。
とくに今日はレディースデイ(1000円)ですので。

「質素なものばかり食べていたのが長寿につながったのなら、貧乏なことはありがたいことです」

生と死の入り交じったストーリーのなかに、圧倒的に「生」への執着を感じました。そしてそれは自然なことでした。
田んぼの稲の姿を通して表現される四季が、とてもきれいでまぶしくて。

私は、いままでに人生を捨てたり投げやりになったり自暴自棄になったりしたことは一度もないけれど、「死」への恐怖を感じたことは一度だけあります。
それは、しばらくしたらすぐに解消されたけど。


ますます冬が待ち遠しくなる映画でした。
役者の北林谷栄さんはもちろん、樋口加奈子さんが、いい演技をしています。
NHKのデビュー作から観ているので、ちょっと親しみを感じる樋口さん。
宇野重吉さんと比較するとまだまだだけど、それでもとてもいい味を出していた寺尾あきらさん。

日本映画、やるなあ、と思いました。

おやすみ。


2002年10月29日(火) 峠の我が家

仕事の合間に、昔の日記をちらほらと読み返しました。
酔っぱらいの支離滅裂な文章であるということは置いておいて、けっこういつも同じことを考えているなあ、と思いました。

たとえば、お酒を飲んだこと、温泉のこと、旅のこと、友だちや同僚に感謝していること、少し変わった家族のこと。
そして、私はいつも「ただいま」を言える「居心地のいい」場所を求めているということ。

黒人霊歌に「峠の我が家」という歌があります。

 あの山をいつか越えて
 帰ろうよ
 我が家へ

もう二度と帰ることのないふるさとを偲んで作られた歌だと聞きました。

この歌を歌いながらこっそり泣いた15歳のときからきっと、私の「居心地のいい場所」を求めていたのだと思います。
それでも、せっかく見つけた居心地のいい場所なのに、図らずとはいえみずから二度と行けない場所にしてしまうのは、私の悪い癖なのでしょうか。


今日、読み返した日記は、こうした自分への問いかけがやけに多いと思いました。
答えは、わかっているはずなのに。

おやすみ。


2002年10月28日(月) 爪を切る

「カチ、カチ、カチ…」

夜中に家に帰って、爪を切っていました。
私は、爪を長く伸ばすのが嫌いで、つねに爪切りを携帯しています。
こだわり、とかではなくて、単に伸ばした爪の手入れが面倒くさいからです。

「カチ、カチ、…」
「まあ、帰ってたん?なんの音かと思ったわ」
母が私の部屋をのぞいて言いました。
爪を切っていた、と言うと、
「まあ、こんな夜中に…」

!!
母の一言にふと気がつきました。
そう、夜中に爪を切ることは、昔から「不吉」なこととされていたのです。
いつの間にか、私はそんなことはすっかり忘れて、いつどんなときでも切りたいときに爪を切っていました。

夜に爪を切ることが、なぜ不吉なのか。
まだ、爪切りもなくはさみで爪を切っていたころ、ランプやろうそくの小さな明かりのなかで切った爪は、深爪しやすく、翌日の農作業に支障が出るから「不吉」なこととされた、と学生のころに聞きました。

たとえば、新しい靴は午後におろすとキツネになるとか、夜に口笛を吹くと蛇が出てくるとか、きっともっとほかにもたくさん言われて育ったのでしょう。
でも、すっかり忘れていました。
忘れていたけれど、私は必ず新しい靴は午前中に履くようにしているし、口笛は夜中に吹くことなんてけっしてないし、何か心のどこかで気になっているのでしょう。

ただ、爪だけは「不吉の根拠」を知ってからはすっかり忘れていました。
でも、母にとってみれば、そんな現代的な根拠はどうでもいいのです。

「……(蛇が出るよ)」

きっと、母は続けてこう言いたかったのでしょう。
蛇をいちばんの天敵とする母は、きっとこう言われて育ったのでしょう。

古くさい、と言ってしまえばおしまいですが、おばあちゃんの時代よりももっともっと前から残ってきたこの「言い伝え」、いつまでも大事にしていきたい、と思いました。

おやすみ。


2002年10月27日(日) 明日のために

疲労困ぱいのため、今日は日記はおやすみです。

あぁ、疲れた疲れた。
みなさん、明日のために早寝しましょう。
「お酒呑んでも夜更かしするな」
です。

ぐぅ。


2002年10月26日(土)

夏よりも長く感じる今年の秋。
早く、冬がくればいいのに。

おやすみ。


2002年10月25日(金) 日本酒を呑みました

わいわい、わい、と、日本酒を呑みました。
丹波の枝豆と宇和島のじゃこてんと、どこかのかまぼこを肴にして、楽しい時間を過ごしました。

お酒を飲める人に出会うと、つい顔がほころんでしまいます。
飲み会の「場」が好きな人はたくさんいるけれど、「お酒」自体が好きな人はそう多くはいないような気がします。
かくいう私も、昔は「場」が好きなクチでしたが、あるとき、ころりと変わりました。

日本酒を頼むと、必ず「塩」を探す人といっしょに呑んでからだと思います。
肴を楽しみながらお酒を味わう、また、お酒を楽しみながら肴を味わう。
それまで嫌いだった「ウニ」や「カニ味噌」、食べたことのなかった「たたみいわし」や「きぬかつぎ」も、味わいながら呑む日本酒には、絶好の肴になりました。
日本酒の甘辛がわかるようになったのも、そのときくらいからです。
今はもう、その知人と呑むことはめっきりなくなったけれど、「酒の飲み方」を教えてくれたその人に感謝、です。


今日のお酒も味わって呑みました。
そして、いつものように寝てしまいました。
呑んでも眠くならない呑み方、誰か知りませんか?

おやすみ。


2002年10月24日(木) 待つという時間

たとえば、待ち合わせの時間に、相手が現れなかったとき。どのくらいまで待てますか?

私は、かなりの時間を待つことができます。もう来ないとはっきりとわかるまで。

来るか来ないかもわからないけど、待つことをやめるとき。やめなければいけないとき。
私のなかのたくさんの勇気を集めてこなければいけません。
それはときどき苦しくて切なくて。

そんな気持ちになりたくないから、いつまでも待ち続けるのかも。

といいつつ、いつも言うセリフは「遅刻する前に連絡しろ」。
「待つ」という時間は、たとえ一分でも長く感じるのです。


2002年10月23日(水) 待ってるよ

中学校からの親友と食事をしてきました。
沖縄のおみやげを渡すため…というよりも、その友に会いたいのでおみやげを買いました。
去年の夏、生後一カ月の息子を亡くした彼女は、今年の八月に会ったときもまだ涙を流していました。
いえ、涙が出るのは当然です。

でも、やはり心配だったので、また食事に誘いました。
1年経って、ようやく外で誰かと会話ができるようになった友は、今日もやはり泣いていました。
「早く一年が過ぎればいいとずっと思っていた」と言う彼女。
時間が彼女の悲しみを解決してくれたとのこと。

何年経っても、この悲しみは忘れることはないけれど、それでも、前を向いて、周囲を見渡して生きていく気持ちになった彼女に、今日は久々に「強さ」を見つけました。

悲しみは、いつかは乗り越えなくてはいけないけれど。
今は、無理することなく。
それでも、みんなが、あなたの笑顔を待っているのだけは、知っておいてください。
いつまでもいつまでも、友として。


2002年10月22日(火) 鍋の季節

夕飯は、湯豆腐でした。
私は、鍋が大好きです。
とくに5〜6人でわいわいとつつきあう鍋が大好きです。
おいしいし、たのしいし、あたたまるし。

一人暮らしのとき、人を家に招くのが好きだった私は、よく家で友を呼んで宴会をしました。
鍋とサラダといなり寿司やおにぎりが定番でした。
鍋をつつきながらビールを飲んで、食べたい具を一生懸命に探して取り合いして。
なんでもない話題に大笑いして。

「家族っていいな」
ある鍋の日、よく遊んでいた友が冗談めかして言いました。
でも、その言葉がずっと心に残りました。

今日の鍋もとても楽しい鍋でした。
なんの話をしたかはあまり覚えていません。
でも、大笑いをした夕飯になりました。
そして、「家族っていいな」という言葉をまた思い出しました。

体だけじゃなくて、「心」も温めてくれる鍋。

今年もまた、鍋のおいしい季節になりましたね。


2002年10月21日(月) 銭湯

最近、よく銭湯に行きます。
近くにないので、車で2〜3分ほど走ったところまで行きます。
駐車場もあり、サウナや露天風呂、薬湯、エステバスにジェットバスもある銭湯に、最初はびっくりしたけれど、よく聞けばけっこうあるようです。
いろいろと工夫していないと、生き残っていけないのでしょう。

学生時代の4年間は、銭湯に通っていました。
当時は、サウナが銭湯にあるというだけで、「すごい銭湯だ」と感動していました。
でも別料金だったので、ほとんどサウナは使ったことがありません。
料金も東京都で270円だったのが、4年後には360円まで値上がりしていったため、バイト先のシャワーを借りるばかりで、銭湯には月に2度くらいしか行かなくなりました。
電車賃(往復300円)がなくて、学校に行けない日もあったのに、銭湯になんかお金を費やしていられません。

今日は、久々に一人で銭湯に行きました。
湯船につかっていると、ふと、そんな学生時代のことを思い出しました。
故郷から離れた土地での一人暮らしの寂しさに、湯船につかりながら泣いていた18歳の私。

「孤独」が人を強くする。
いいのか悪いのか、私は少し強くなりすぎたのかもしれません。

おやすみ。


2002年10月20日(日) ダジャレ

世の中に「ダジャレ」というものがあります。
「オヤジギャグ」と言われてからずいぶん経ちます。
それが日本だけのモノなのか、世界にちらばるモノなのかはわかりません。
でも、このダジャレの「ダ」が無駄の「駄」ということを知っている人は、何人いるのでしょう(私は、数年前にとある同僚から教えてもらいました)。

今日はなぜかその「ダジャレ」大会でした。
人がダジャレを発するのを聞いているのは、ときどき面白かったり、ときどき苦痛だったり。
今まではなんともなしに聞き流していたのですが、いざ、自分がダジャレを発しようと思うと、これがかなり難しい。

テーマを与えられても、何にも出てきません。
きっと、普段は使ったことのない脳を使うのでしょう。

今日、私が考えに考えてひねりだしたダジャレは、

「焼酎をしょっちゅう飲む」


………。
あぁ、情けない。


2002年10月19日(土) 蕎麦

東京にいたころは、蕎麦が大好きでした。
会社の1階が蕎麦屋だったので、週に2〜3回は食べに行っていました。
近所にも雑誌によく載る蕎麦屋があったり、おいしい立ち食い蕎麦屋があったりで、おのずと蕎麦を食べる機会が多かったです。

大阪に来てからは、残念ながらあまりおいしいお蕎麦屋に出会っていません。
大阪はなんといっても、うどんがおいしい。
最近は、蕎麦よりもうどんをよく食べるようになりました。
よく食べる、と言っても、やはり好きなのはやはり蕎麦ですが。

蕎麦屋で天ぷらをつつきながら蕎麦焼酎の蕎麦湯割を呑む。
これがまた幸せ〜なひとときです。

でも、大阪でもよく行くうどん屋で、焼酎を呑んでいるから結局同じなのかも。
店のオヤジの手作りのたこわさをつつきながら、呑んでます。

要は、呑めればいいんですね。
はい。


2002年10月18日(金) 変化のない生活

今日は、書くことなーし。

おやすみ。


2002年10月17日(木) 友の悲しみ

今日は、十年来の友と久々に飲む予定でした。

最近、隣りに住む幼なじみを亡くした友は、かなり落ち込んでいました。
メールでのやりとりだけなのですが、友は今、「悲しみ」のまっただなかなのだと思います。
悲しいことに、今の私には、友の気持ちを容易に想像することができます。

その日、「隣りのおっちゃんに、かける言葉がない。酒をいっしょに飲むことしかできない」と、メールが来ました。

「おじさんの話をたくさん聞いてあげてください」

そう伝えました。
それしか思い浮かびませんでした。


今日は、そんな友に少しでも元気になってもらうために買ってきた沖縄のおみやげを渡す日でした。
何を買ってきたかは、内緒です。
一カ所を除いてほかの友たちには、おみやげを買ってないのもトップシークレット、のつもりです。


最近、転勤した友は、今、超ハードスケジュールらしく、夕方ころにキャンセルメールが入りました。
ちょっと残念。

この賞味期限のないおみやげ。渡すのはいつになるのでしょう。
それまでに、友の悲しみが少しでも和らいでいればいいな、と思うのは勝手でしょうか。


2002年10月16日(水) 要点のみ

日記を書いていたら、途中でウインドウズが動かなくなり、泣く泣くシャットダウン。ぷんぷん。
もう書く気が起こりません。

要は、
「私は江坂の播磨屋の朝日揚げを愛していて、それを誰かにあげるのが大好きで、もらった人を幸せにする朝日揚げは、偉大だ」
ということを、もすこし丁寧にしんみりと書いていただけです。

おやすみ。
ぷんぷん。


2002年10月15日(火) 彼女たちへ

前の会社の同僚と4人で飲みに行きました。
よく飲みに行っていた人たちです。
久しぶりで楽しかったです。
私の好みや酒癖?を把握している彼女たちに、今でも安心感を覚えました。
ありがとう。

ありがとう。

おやすみ。


2002年10月14日(月) コスモスとワイン

兵庫県氷上町にあるコスモス畑へ行ってきました。
旅の友5人と現地集合の人1人の計6人です。

ピンクや白のコスモスが、風にそよそよなびいたときは、それはもうとてもとてもきれいでした。
来てよかったです。
連れていってくれてありがとう。

夜は、東京の旅の友が遊びにきたので、いっしょに飲みました。
赤ワイン1本とサービスで出してくれた白ワイン1本を二人で飲みほし、すっかり酔っぱらい。
お酒を飲むと涙もろくなるからいけませぬ。

おやすみ。


2002年10月13日(日) 肩こりとお好み焼き

朝からずっとずっとずっとずっと、仕事をしていました。
肩こりをあまり感じない私ですが、さすがに肩をこりました。
そして夜は、お好み焼きパーティーと、ビデオ上映会。

こうして楽しい夜は、更けていく。

おやすみ。


2002年10月12日(土) 旅人同士で

21時ころ、電話がかかってきました。
父宛です。
いつも20時にはぐっすりと眠っている父にとっては、大迷惑な電話です。

「もしもーし、おうおう。え? 旅行?」

どうやら、旅の相談を父にしているようです。
どこかに出かけるのが好きなのは母のほうで、私が小学校に入ってから中学校を卒業するまでは、毎夏・毎正月には、2泊3日の家族旅行を企画していました。
いつも父は、ついでについてきていたような感じ。
そんな父に、旅の相談?
ついつい、聞き耳を立ててしまいます。

「八幡平か〜。昔、戦争があってな。たくさん人が死んだんだよ。おうおう。ソ連軍への攻撃に備えて訓練しとったんだ。そしたら、寒くて攻撃に行く前にたくさん死んでしもたんだ」

父の話に、私も思わずうなりました。
戦争の話が父の口から出るなんて。

「え? トロッコ? あ〜、あれは…」
「(富山)」と、こっそり母。
「そうそう、富山だ」

母の絶妙のタイミングに、父と母の歴史を感じました。
両親といっしょに住んでから、ときどきこういう光景を目にします。
もうこのふたりは、「阿吽(あうん)」の域に入っているんだろうな、と思います。

「山はいい、山はいいよ」

大工一本で、東北からどんどん南下してきた父は、京都で母と出会い、京都に落ち着いたと、幼いころに聞きました。
もし、京都で母と出会わなかったら?
「沖縄まで行っていたかもなあ」と笑いながら答えていたのを今でも覚えています。

そう、父は日本を縦断してきたのです。
私よりたぶんいろんなところを訪れているはず。

今度、久々に父とお酒を飲もうかな、と思えた電話でした。
旅人同士、みずいらず。


2002年10月11日(金) 苦手な冬だけど

コンのみアルバム用の「沖縄のコップ」の写真を撮っていると、母が、
「白菜の芽が出てきたよ」
と背中越しにいいました。
「虫眼鏡でないと見えないくらい」

なんとなく、写真に撮っておいてほしそうだったので、撮っておきました。
この小さな芽が、あの白菜になるなんて信じられないけれど、それでもこの冬は、ベランダから取り入れた白菜で、鍋ができるのかも。
写真は、コンのみアルバムに掲載しました。
ご覧になりたい方はトップページからどうぞ。
っているのでしょうか。

寒い冬は苦手だけど、今年は早くこの秋が過ぎればいいな、と思います。
早く、早く。


2002年10月10日(木) 覚えていた味

「今日は、じゃがいものサラダを作る」
母が突然、言いました。
この夏に私が旭川の道の駅から送ったじゃがいもと、父が無人野菜売場で買ってきたきゅうりを見て、ふと思ったそうです。

「………」
ちょっと考えました。
私は、祖母の作ったじゃがいものサラダに勝るものはないと思っています。
その作り方も私に伝授してもらいました。
だから、同じ味を私は作ることができます。
秘伝なので教えません。

でも、母のじゃがいものサラダは、あまり覚えていません。


夕飯に並ぶ前に少し、つまみぐいをしました。
「………、!!」

それは、紛れもなく子どものころに食べた「母の味」でした。
もちろん、祖母の味とは違います。
違うけれど、でも、懐かしい味です。
たぶん、20年ぶりくらいに食べます。

一人で暮らした15年の間に、忘れてしまったものや変わってしまったものがたくさんあります。
でも今日は、この味を覚えていてよかった、と思いました。

おやすみ。





2002年10月09日(水) いつもいる場所

もう、私のいつもいる場所、になりつつある場所に行ってきました。
1週間ぶりです。
元気な彼らの姿を見るのがうれしくてうれしくて楽しくて。

北の写真を見せてもらいました。
それはとても懐かしく温かく、そして悲しく。
それでも、写真のなかで遺影を抱いている彼女は、笑っていました。
せいいっぱい。

私は、泣きたくなるのをこらえるので必死だったのは、内緒です。

おやすみ。


2002年10月08日(火) 届いたよ

旅先で送ったハガキが、今日あたりにちらほら届き始めたようです。
絵はがきを送るのは、私の旅の楽しみの一つです。
今回は短い旅だったので、あまり多くの人には出せませんでしたが、「絵はがき、届いたよ」メールが今朝、届きました。

書いたハガキや手紙をポストに投函するときに、必ず一呼吸おいています。
「ちゃんと届きますように」
心のなかでそう唱える時間です。
子どものころからの癖がいまだに残っています。
唱えながら、宛先の人がハガキを読むのを想像します。
それはとても楽しい一瞬です。

また、絵はがきを書きたくなったら、短い旅に出よう。
それまで少し、休憩、です。

おやすみ。


2002年10月07日(月) 目覚める場所

最近、いろんなところで寝ています。
だから、朝目覚めたときにまずすることは、場所の確認です。
「ここはいったいどこだったっけ」
だいたいは雰囲気ですぐにわかるのですが、ときどき目の前がぐるぐると回るときがあります。
そういうときは、たいていどこか別の場所にいるような感覚。
たとえば、子どものころに住んでいた家だったり、祖母と暮らした家だったり、小樽の宿のベッドだったり、病院のベッドだったり。

もう、ありえる場所のないところで目覚めた朝は、ちょっと思い出を整理します。

今朝は、久々に我が家で目覚めました。
そして、「あぁ、帰ってきたんだな」と思いました。

おやすみ。


2002年10月06日(日) ホント

国際通りに行きました。
公設市場に行き、海ぶどうを試食。それから、壷屋通りに行って壷屋博物館に行きました。
私は資料館や博物館を巡るのは大好きです。
この博物館もけっこう楽しく、琉球の歴史をかいま見ることができました。
いろんな博物館に行っていると、ふと断片的な歴史がつながることがあります。
今日も、沖縄での歴史が少しつながりました。

壷屋通りで、後輩がおみやげを買っていました。
小さな壷を一生懸命に選んでいる姿が、とても楽しくてほほえましくて、ちらちらと横目で眺めながら、私もおみやげを買いました。

那覇空港まで行って、15時の飛行機に乗って伊丹に到着。
短い旅だけど、終わってみれば長く充実した旅でした。

取材以外では写真をあまり撮らないのと、一人旅に慣れてしまっているのとで、どんどん先に歩いて行ってしまうのですが、彼女は、気になったところをどんどんカメラにおさめて行きます。
こういうこまめさも私には必要なのかもしれないなあ、と思いつつ、一人で歩きたがる身勝手な私は、やはり「人」といっしょに旅をしないほうがいいのかも。
でも、彼女といっしょだからこそ見つけられたものもたくさんあります。
今回の旅は、思いがけず「自分」を見つめ直した旅にもなりました。

家に帰るまでに考えたこと。
「ホントの自分」は、私はあることをきっかけにどこかに葬り去りましたが、「ホントの自分」はいつまでも大切にしていたほうがいいな、思いました。

おやすみ。


2002年10月05日(土) 那覇での夜

10時のフェリーで島を出ました。
旅の友と、宿主さんが見送ってくれました。
港と甲板が近くて、小樽や礼文での見送りを思い出しました。
歌もなく、呼びかけもないけれど、とてもとても温かい出航でした。

行きと同じく、甲板で海を眺めて30分。本部港に着きました。
置いていたレンタカーで、辺戸岬まで行き、そのあと、東海岸のほうを南下。ここもまた海の色が違います。
小さな村をたくさん通り越して、大渋滞にはまりながらもホテルに到着。
今日は、泊埠頭の近所のビジネスホテルに宿泊です。

近所の居酒屋で、この旅で初めて沖縄料理をたらふく食べました。
ソーメンチャンプルー、おいしいもずく酢。もずくの天ぷら、やんばる地鶏の唐揚げ、ゴーヤサラダ、ポーク卵、などなど。
オリオンビールと、泡盛の楽しい夜でした。

いろんなことを考えて。

おやすみ。


2002年10月04日(金) レンタサイクルで島一周

レンタサイクルを借りて、島を回りました。
島のシンボルのタッチュー以外は、ほぼ平坦な道が続いています。
海岸沿いに続く道を自転車で走ります。
港の近所の堤防で、買ってきたお弁当を食べて、オリオンビールを飲んで、のらりくらりと、海を眺めて写真を撮って。
ぜいたくな時間です。

千人洞という大戦中に防空壕になった洞窟や、真っ黒な伊江牛。そして、島の反対側にあるワジー展望台から見た景色。
「キレイ」が口癖になったかのように、ついつい口から出てきます。

当たり前なのかもしれないけれど、礼文で見た海とも小樽の海ともまったく違う海が広がります。南の国の海はどこか親しげで「いっしょに遊ぼうよ」と言っているようでした。
海岸で、靴を脱いで海に入りました。
満ちていた潮がざばーんと足にまとわりついたとき、ふと、熱川(あたがわ)の海を思い出しました。
自転車に乗っていると、どんなに遠くても暑くても寒くてもできる限り自転車でいろんなところに行っていたことを思い出しました。
初めて訪れた場所なのに、なんとなく懐かしい気分がするのは、こうして自分のなかの思い出を知らず知らずに呼び起こしてしまうからなのでしょうか。

そんなことを考えながら、宿に戻ろうとすると、後輩が、
「ここに入っていいですか」
と言いました。「反戦資料館」です。
その後輩の意外な一面に驚きながらも、入館。
そこには、また違う驚きが待っていました。

伊江島には、米軍基地があります。
戦前から戦時中、戦後の歴史と現在の様子が、写真と文章と、そしてたくさんの手榴弾や爆弾、米軍の着ていた服や靴などといっしょに展示されていました。
この明るく温厚な人たちの歴史と、今も続く闘争がそこにありました。

初めて沖縄に行ったとき、その基地の多さに驚きました。
それから少しずつ少しずつ沖縄の基地や戦争について、調べるようになったけれど、この島の小さな小さな資料館には、今まででいちばん大きな衝撃を与えられました。
そしてまた初めて沖縄を訪れたときのように「もっと知りたい」という気持ちが芽生えました。

そんな気持ちを胸に宿に戻って、またまた「ゆんたく」。
でも今日は静かでした。
宿主さんの「ギターを弾いてよ」の一言に、「感謝」でいっぱいの気持ちでまたギターを弾いて歌いました。
こんな私のギターを聴いてくれてありがとう。

明日は、伊江島を出ます。


2002年10月03日(木) 伊江島へ

少し早起きをして、伊丹空港に向かいました。
今日からいよいよ沖縄です。
三泊四日の短い旅です。
ホントは、2週間ほど放浪しようと思ったけれど、お金がないのと、辞めた会社の後輩も行きたいとのことだったので、格安パック旅行にしました。
沖縄は4回目です。

何も決めていなかったけれど、旅の友が先に沖縄に行っているので、彼女を訪ねて「伊江島」に行くことにしました。那覇から車で2〜3時間ほどの本部(もとぶ)港からフェリーで30分です。
那覇からもフェリーがあるのですが、レンタカーを借りていたのと、後輩が沖縄初めてだったので、とりあえず本島を一周しようと思い本部まで移動することに。

昼過ぎに那覇に着いたのですが、旅の友を訪ねたりお昼ごはんを食べたり、道に迷ったりしている間に、だんだんと時間がなくなり、少し飛ばして本部に到着。30分前に着きました。よかった。

車は港に置いてフェリーに搭乗。
海がとても澄んでいます。
「キレイですねー。キレイですねー」
とそのまま感動を口にする後輩に、初めて沖縄に来たときのことを思い出し、久々に新鮮な感動が呼び起こされました。

人といっしょに旅をするのは、かなり久々です。
きっと一人だったら、「この海がキレイだった」ということはすぐに忘れていたでしょう。
たまには、人の感動を聞くのもいいなあ、と思いました。

フェリーには、旅の友が待っていてくれました。
彼女の泊まっている宿に行って、わいわいと楽しい夕食。そして夜からは恒例らしい「ゆんたく」が始まりました。
半年前に彼女といっしょにギターでデビューしようと約束していました。
今日は、ようやく念願が達成できました。
いっしょに歌って、宿主さんの三線を聴いて、とてもあたたかい気分。
私は、泡盛をたらふく呑んでへべれけになって、いつものように記憶を落としてきました。
落としたのは、伊江島の海岸あたりだと思います。
誰か拾ってくれるかな。


2002年10月02日(水) またね

今日も同じ「ツボ」の同僚と、昼食に行きました。
古巣を訪れるのは、今度は来週。

今日は、ちょっと忙しいので、また明日。

まだ寝ないけど、とりあえず。
おやすみ。


2002年10月01日(火) 大掃除

大掃除をすると、ときどき思い出がこぼれ出てくることがあります。
それは、くすぐったいモノであったり、くすっと笑えるモノであったり、びくっとするモノであったり、ぼんやりするモノであったり。

今日、こぼれ出てきたモノは、私の知らない「思い出」で、それについてみんなが、思い出を語り合っていました。
そうして私は、彼らと思い出を共有していきます。

それは、あらたな悲しみを呼び起こす、ということに、今日、ようやく気づきました。

おやすみ。


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