痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2011年12月31日(土)  煩悩〜

来年の抱負。

『やせる』

先月まで もう死ぬかも と言っていた病人が何言ってんだ と思われるでしょうが、
そんな病人なのに太っていく不思議。
つまり
必要以上に栄養をとっている、
ストレスと家族の甘やかしで間食が多い、
運動しない(できない)、
のであります。

来年は、少しずつ歩ける距離を長くする
間食とソフトドリンクを減らす
お腹が減っていないときには食べない

で体を軽くしたいです。
副作用はあっても胃腸は快調で十分なカロリーは取っているので、体力は落ちないはず!


バリ旅行で書いていなかったまとめ。

ウブド(田舎)の街中にウジャウジャある安いエステの客引きの女の子にふらっとお願いしてみたポリッシュ含めて500円のマニュキュアと、
最終日のフライトまでの時間かせぎのフットマッサージにオプションでつけた2000円のペディキュアを比べてみる。
結果、500円のは、終わってサンキューとお金を払ってサンダルを履こうとしたら紐で擦ってあっというまに片手の半分が剥げてしまった。
まあこれは自分も悪い。
トップコートをしない・ドライヤーで乾かす から予想できた事態でありました。
2000円のは、足の爪であり 帰国するとこちらは真冬でつねに靴下を履いていたことはありますが、未だにきれいに花の模様まで残っている。
値段の差には意味があるということね。
でも500円の店も、すごく丁寧にササクレや甘皮の処理をしてくれて、
爪楊枝でひとつひとつ描いた花の模様は2000円のお店よりずっと丁寧で上手でした。
全部で1時間半くらいかけてくれたから当然チップを渡したんだけど、
代金が500円なのに500円のチップはおかしいよなあ・・・
と まあ一割で50円あげました。
「50円〜?」という貨幣価値(いまどき貨幣ってのも変なかんじ)の違いと、特に観光地はガイジンへの観光値段と現地の流通値段が違いすぎて、
どのくらいが妥当なチップなのか分かんない。
もうチップ苦手〜。
アメジカ人さんやオストラリアンはあまり広めないで欲しい。
元々バリはチップの習慣がなくて、またホテルやレストランは税・サービス料が加算されるから考えなくていいんだけど、
こういう個人のサービスで料金が安いのに一生懸命にやってくれるとあげたくなるし向こうも期待しているのを感じる。
ううん 志で一割 って割り切って考えればいいかなあ。
あ、2000円のお店の子にあげなかった。
丁寧にやってくれたけど、それも当然の店構えと料金だったし、
どうも前日の500円の子と比べてしまって、単純に1割で200円もどうよ、とか考えていたら財布を出しそびれてしまいました。

ケチャを見ていたら猿に帽子を奪われる。
ウルワツ神殿の猿たちは非常に手癖が悪く、サングラス・帽子・バンダナ・ピアスなど主に顔のあたりにあるものをひったくるので用心 とどのガイドブックにも書いてあるし、
現地の人もやられるらしく、ガイドさん達も木の枝などを振り回して猿を近づけないようにしている。
わたくしのガイドさんも帽子をしっかり深くかぶって、ストールをヒラヒラさせないようにタイトに巻いて、とすごく気をくばってくれた。
そして入り口に戻ってくる別なガイドさんからもらった木の枝を振り回してしっかり猿を追い払ってくれました。
それなのに、神殿のテラスの一番前の夕日も見える絶好のポイントでケチャを見ていたら後ろからサルに帽子をひったくられました。
本物の猿ではなくて、ケチャの芝居にでてくる白い猿ハヌマーン(の着ぐるみ野郎)に。
ハヌマーンはいたずらものキャラ。
最初に出てきた時もさんざん客席に入り込んでお客さんを弄っていたんだけど、一回ひっこんだので油断していました。
が、ウルワツについてすぐ念のためにトイレに入った時に、暑くてかゆくてずれかかっていたカツラをしっかりとかぶり直したおかげか、
ものすごい勢いでひったくられたのに、カツラはしっかりと頭部に残っていたのです。
今みたいにすっかりツルツルならまだいいけれど、当時は平家の落人の亡霊的に自毛が残っていたので、
もしカツラごとひったくられていたら、ハヌマーンも客席も笑うどころかなんともいえぬ空気に凍り付いていたでしょう。
帽子もすぐ返してくれました。
結局セーフ。
まるでわたくしの人生。

あと何があったかなあ。
また思い出したら来年にでも。
それではみなさん よいお年を。



2011年12月29日(木)  東京VS京都

はわー天皇杯ー
今日の準決勝も面白かったねー。
元日は都決戦ですよー。
J2同士の。
強豪でもひょんなことで負けたらおしまいのトーナメント戦ってやっぱり燃えるね。
一日はサッカー 二日と三日は箱根駅伝。
お正月だ。

ちなみにわたくしは東東京にクラブができるまでは
心の中だけの、水戸サポーターになる と決めました。
両親から受け継いだ水戸魂が、あの不憫なクラブを無視できなかった。
少しでもサポートするためにグッズでも買おうかな。
あと少しずつ選手を覚えようっと。
 
それから久しぶりに見たけど、中村しゅん輔はやっぱり段違いに巧いね。
だからといってチームが勝てるわけではないところが面白いところです。


今年もあと二日。
一年前のお正月は、再発を自覚していたけどまだ確定ではなかった。
大晦日にお仕事して元朝参りをしてリンゴ飴の美味さに感動していた。
それからすぐ抗がん剤の治療がはじまって、高額な薬代にブチブチ言っていた。その後どんどん額が倍その倍 となることを知る由もなかった。
3月にその頃なぜそんな気になっていたのか分からないけれど、
テレビで国会中継を見ていたら地震があった。
おさまってすぐスーパーに念のため水を買いにいった。
20分後に津波がくると、
スーパーから帰るとテレビでその映像を見せられるとは思ってもみなかった。
止めて止めて と思わず声がでたけど水は止まらなかった。
普段どおりの行動をしようと、その2日後に都内の温泉に行ったけど停電にそなえて休みになっていた。
それから10日間くらいは毎晩、とうとう原発が爆発した という夢をみて
朝おきると確認のため一番にテレビをつけていた。
だんだん暖かくなって 薬がぜんぜん効いてないことにも気付いてきた。
隠れ家を引き払い実家に帰ってインコさんをかった。
寝たり起きたり、インコさんと遊んだりの初夏。
7月のお盆に新潟のジャズフェスに行った。
船で歌った。
この頃から喉がおかしくなる。
でもまだ自毛があったし、声もでた。なかなか体調もよく楽しかった。
夏 なにしてたんだろう。
寝たり起きたり、インコさんと遊んだりの夏。
秋のお芝居の話がだんだん具体的になる。
当初の予定から変わり、平将門公と震災というか原発の話しになるっぽい。
じじいの散歩と称して 関東以東の鎮守祈願に神田明神さんに参ったことを思いだす。
絶対に出演しよう、と決意する。
暑さもおさまりお芝居の顔合わせ、そして稽古がはじまる。
体調はどんどん悪くなる。
出る ということを第一に前半の稽古はほとんど休む。
後半は流れで役者としてより囃し方の太鼓の役目が重要になって休んでいられなくなり、
そのおかげか気力で持ち直し、自分としてはいいかんじで最後まで芝居を楽しむ。
でも打ち上げを楽しむところまでは持たなくて、その後どんどん体調が悪くなる。
痛みがでてきて、夜眠れなくなりとうとう先生に鎮痛剤を出してもらう。
腫れもどんどん大きくなり首が回らなくなり、いつもヒューヒュー気管から音がして一日中咳をしていた11月。
自分もまわりもやばいなあ と思いはじめる。
期待の新薬も効かず、ヤケクソでバリ島に最後の旅行にでかけることを宣言する。
その一週間後に替えた薬が奇跡のように効きはじめ、投薬して3日で目にみえて腫れが引き始める。
どんどん呼吸も楽になり、痛みがなくなって眠れるようになり鎮痛剤と手を切る。
そのかわりに髪が抜けまた副住職になる。
12月バリに行く。
とってもとっても気持ちのよいところ。
わたくしの足の爪にはまだ白い花を描いてもらったペディキュアがキレイに残っています。
帰国、一週間後のライブも歌えると確信する。
ライブ終わり、少しずつお仕事に行く日も増やす。
そして年末、今年も大晦日の夜にお仕事をいれ、そのまま元朝参りにいく予定。

いろいろあったけど、こうして拾い上げてみなければ、
昨年も一昨年も、10年前も同じ感想。
いや一年はあっという間です。



2011年12月26日(月)  借金

分割払いはありがたいけど病院への借金がかさむ。
会計では誓約書もなくサクサク手続きをしてくれるのですが、
次回の通院日と、次回はいくらくらい入金できるかを聞かれる。
プレッシャーだ。

実はせんせいも、薬が高額なことを気にしている。
医者はハッキリ言って患者が窓口でいくら払うのかは分かっていない。
金額のことで医師が治療方針をたてる時に最善と信じるものを提示することに躊躇してはいけない、
とあえて口にしないようにしている感じもある。
それから患者によって加入している保険の種類も違うし、
還付金も納税金額で違ってくるし、
大きな病院の医師は患者の経済状態などプライベートな領域に踏み込まないようにしていると思う。
そういうことはソーシャルワーカーのような専門家にまかせている。
でもまあ、3割負担だとだいたいいくら位というのは知っているから聞けば教えてくれる。
製薬会社の販売価格を知っているからね。
現在の薬に変えて3回目。
せんせいの方から聞いてきた。
「会計でいくら払ってる?」
「11万ちょっと。1回目は全額払ったけど2回目以降は分割にしてもらってまふ。さすがに現金がつきてきたので。」
「あたりまえだよ!そんなお金普通サイフに入ってないよー。そうなんだよ 高っかいんだよなあー。でも効いているから文句もいえないし・・・ブツブツ・・・。」
その通り、自分を人質にとられているようなもんです。
製薬会社の言い値のとおり払うしかない。
医者も高すぎると思ってるんだなあ。
健康保険のないアメリカの金持ちでない層では払えないよね。
だから何百万も借金することになるんだな。

今日は せんせいも新薬の価格設定は高すぎると思っている でも(畜生)文句いえないんだよなー(ブツブツ)
と思っていることが分かってよかった。
それからわたくしの胸というか胸骨上を指でソフトに突きながら、
いや普通に触診ですが、
「すげー すげー 効いてるー。」
と、3回くらい すげー と言っていたのが微笑ましかった。
せんせいは多分、わたくしよりちょっと年下だと思いまふ。



2011年12月25日(日)  くりすます

なので神さまのことを考えてみました。
わたくしは神さまを信じていますし、
まったくもってありがたいものだ と常に感謝の念を抱いております。
だってこの世界で ニンゲンはニンゲンを増やすことと、
今ある種の遺伝子とかを弄くってちょっと色や形や大きさを変えることはできるけれど、
まったく新しい動物も植物も作り出すことはできないし、
水も空気も土も星も、加工することはできても新たに一から作ることはできないもんね。
ニンゲンがわたしらニンゲンっていう生き物でどうも今この世界で一番賢いみたい、
と思ったときには世界はもうそこにあったわけだからして
こんなに完璧に用意して下さってほんとうにありがとうございます
とニンゲンである自分のためにも思うし、
ニンゲンのあまり居ない 森の奥や高い山の上やそれこそ深海の生き物や植物の映像をみたり、そういうところのふちの辺りから目でみたりすると、
世界は別にニンゲンに為にあるわけではないことを思い、
でも大きな顔して住んでられてよかったなあ と世界の懐の深さに感謝したりもするのです。

よく人間が世界を 人間が地球を 滅ぼす ダメにする という論調を目にしますが、わたくしはそれは
反省しているようでいて結構思い上がっているなあ といつも思うのです。
人間が滅ぼしてしまうとしたらそれは人間。
ダメにしてしまうのは今までニンゲンが甘受していた環境じゃないのかな。
もちろんその中にはニンゲン以外の生き物が含まれるけど、
ニンゲンの関与なしに世界から消えた生き物もいるよね。

ニンゲンが世界をどうしたいのか、今ある自然を大切にしたいのも
生活のためにあるだけの自然燃料を掘りつくすかもしれないのも
やっぱ原子力ってなるかもしれないのも
まずありえないけど江戸時代的生活にもどれなニンゲンが多数派になるかもしれないのも
どれもニンゲンの思惑 都合であって、
選択しだいでニンゲンの種の繁栄が長く続くかもしれないし勝手に滅びるかもしれないけど、
それでも世界も宇宙もニンゲンには分からない力で変化したり大きくなったり消滅したり新たに生まれたりするわけでしょう。

そんなニンゲンを生み出したことも含めてニンゲンの思惑の届かない
でもこの世界をあらしめている力を分かりやすくわたくしは神さまと呼んでいるのです。
そして神さまはあらゆるものを提示してくれるけれど決してニンゲンの思惑から生まれる疑問には答えてくれない。
作ってやったんだから自分で考えろってことかな。

で、わたくしが敬う神さまはニンゲンにあーだらこーだら言ったりしないので、ニンゲンの思惑から生まれたようにわたくしには思えるクリスマスの主役のお方は全く感謝の念をささげる対象外なのですが、
方向性は違えど、ニンゲンが神さま的なものを思うことは悪くはないと思うのです。
思うのはね。
だからクリスマスもオッケーよ。
ニンゲンとして謙虚になったりただ楽しんだり とにかく神さま的には関係ないからね、好きにすればいいと思うの。

おまけで、ニンゲンが死んでも灰になって土になってほかの生き物に食べられて、形をかえて世界の一部にもどることを考えると、
仏陀さんの言った輪廻も世の理のわかりやすい例えとして、
数千年前にさすがだ と尊敬せざるをえない。
悟りを得たのもニンゲンの思惑から解き放たれた境地に至ったのかな、
しかも自分だけでなく広く他のニンゲンも解放しようとはたらいているし、
長生きしてるし、
仏陀さんは尊敬できる人間だ。



2011年12月22日(木)  冬至

明日からまた太陽さんがんばりますよ。

お昼にカボチャを食べ、夜はゆず湯に入る。
お風呂に黄色い柚子がぽかぽか浮いているのはなんて可愛いんでしょう。
あのちょっと無骨に大きいところがいいのですよ。

が、ここ数日 眠っている間に無意識に掻き毟った全身にある例の跡が、
沁みる しみるわー。


さて今年ももうすぐ終わり。
わたくしも今年の漢字を選んでみました。

『立』

なぜかこれ。

『静』

も浮かんだのですが、これってお芝居のお静ちゃんからだよね。
お静ちゃん大好きだったな。
今でもよく眠れない時なんかは、平次親分と八とお静ちゃんのシーンを
頭の中で蘇らせたりしているのです。



2011年12月21日(水)  じわっと師走

すべての駅で酔っ払いが地に倒れ臥している。
おお忘年会よ。

いやひどい目に会いました。
体が温まるとまだ痒い。
バリには家族には内緒にしていましたがデング熱という感染症があるので、
ひたすら蚊にくわれないよう気をつけて、
キレイな体で帰国したのに、
こんなに寒い東京で全身ダニ(もしくはノミ)にくわれまくるとは。
考えると痒みがぶりかえすようなので、もう考えない。

今日は漢方のクリニックに行き、そのまま会社にいきました。
5時間勤務。
今のわたくしにはこれくらいの時間がちょうどいいみたい。

クリニックの診察でも薬が驚くほど効いている、と太鼓判を押してもらいました。
肝臓も先月よりかなり状態がよくなっているみたい。
そして先生や看護士さんたちが大層よろこんでくれました。
やっぱり先月の診察の時には、自分でもわかっていたけれど、
誰がみても これは・・・ という状態だったみたい。
どうきりだそうか迷った と言っていました。
そう、正直わたくしも10月のお芝居が人生最後のお芝居、
バリ旅行も最後の旅行、
12月のライブもたぶん最後だからなんとかして歌いたい、
そう思っていました。
でもこのままもっと腫瘍が小さくなって、体が抗がん剤に負けなければ、
来年ももうちょっと楽しいことができるかも。
また夏に新潟のジャズフェスにいったり、
またバリに行ったり、
第2部から10年たってしまった、明治三部作最終章のお芝居にも出られるかも。

ぬか喜びや、あとでガッカリが嫌で、
なんか効いてるみたい
と自分や家族は控えめに喜んでいましたが、
今日クリニックの先生や看護士さんが満面の笑顔で よかったよかった
と喜んでくれたのを見ていたら
じわっと泣きそうになりました。
もう少しこの世界でなにかできそうです。
そうだ、来年は東北にも行こう。



2011年12月19日(月)  かかか痒い

ライブ終わりました〜
おお 案の定、メレンゲで張り切りすぎてしまい危ないところでしたが、
最後まで笑って歌いきることができました。
ああん もう少し早く皆様にお知らせしてもうちょっとお客様を呼びたかったなあ。
でもいつもの顔 懐かしい顔 お世話になってる顔
お会いできて楽しかったです。
来年は新曲だ!

さて、昨夜ライブハウスを後にして
前夜の午前零時の170gハンバーグ野郎どもとはまた別の、
腹ペコ3人衆でファミレスながらも旨い飯を食っている間に虫にくわれました。
帰りの車の中で なんかダニに喰われたみたいだ と指をポリポリ掻いていたのですが、
疲れて眠かったのでそのまま帰宅してバタンキュー。
が 服に虫がついてきたのか、目が覚めてみると指以外にもアチコチ痒い。
夏の残りのムヒを出してきて塗り塗り。
そして暖かい部屋でお昼ねなんかしているうちに、ますますアッチもコッチも痒い。
たまらない。
噛み跡をみると、穴は二つあいてないし ダニじゃなくてノミ?
わー インコさんは大丈夫かしら。
あんなに小さいのに沢山たかられて血を吸われたら弱っちゃうんじゃないかしら。
でも特別痒がっていなかったし、鳥にはつかない虫なのかな。
それにしてもファミレスのソファは布張りじゃなかったし、いったいどこでもらってきたんだ。
とにかく布団と枕と毛布とパジャマと椅子と、部屋中の布にダニ退治スプレーをかけ
洗濯できるものは洗濯し、
明日はベッドの下も大掃除しなければ。
がんばったご褒美がダニ(またはノミ)だなんてひどいよ神さま。
午前0時すぎにハンバーグやパスタを食べた罰でしょうか。

ううう、お風呂で石鹸でようく洗ってもう一度ムヒを擦り込んだらようやく痒みが治まりました。
うう、もう寝る。



2011年12月16日(金)  休養日

きのう2週間ぶりにお仕事にいって7時間働いたらさすがに疲れてしまい、
本日はお昼寝もふくめて13時間も眠ってしまいました。
薬が回っているからなあ。
しかし熟睡できる幸せ。
顎の下にインコさんも挟まって一緒にお昼ね。
ウトウトしながらインコの頭や首筋を指でさくさくと掻いてやっていると、
ふわふわの羽の下の、細い細い骨格や首に触れ、
これはちょいと一発力を入れてひねったら即キューっといってしまうなあ。
ドアに挟まったりしたらもうダメだなあ。
なんて脆いんでしょう。
でも命があるかぎり、ご飯の好き嫌いをしたり、おもちゃをワザと机から落としてニンゲンに拾わせて遊んだり、
部屋から出せーと暴れたり、スピーカーの音楽に合わせて歌ったり、
機嫌よくニンゲンに頭かいて〜 と指にすりよってきたり
とっても複雑なことをあたりまえのようにしている。
生き物を動かしている生命の力は不思議でものすごく色んなパワーを持っているなあ。
自分がものを考えて、腹が減って 楽しいなあとか痛いなあとか、
そして眠って疲れを癒してまた目が覚めるのも命の力なのだなあ。
それは大きな生き物も小さな生き物も植物も、それぞれに合わせて別々に働いている。
不思議なことですな。


大きな生き物といえば、バリのホテルの自分のテラスでぼーっとしていたら階下の方から ギャーっという悲鳴のあと、
oh〜 oh〜 マイガー オー オー
と、生オーマイゴッドが聞こえてきました。
いっせいに敷地内から集まるホテルマンさん達。
わたくしもテラスから身を乗り出して下をみたら、
大きな、巨大な白人のお姉さん(たぶんオーストラリア人)が足をおさえて泣いていました。
ああ、おでぶちゃんがロングスカートなんか穿いてるから階段で転んじゃったんだな。
20歳くらいの若いお姉さん。
ファッションは高円寺スタイル。
レインボーのダイダイ染めのTシャツ、胸には大きなピースマーク。
バティック調のロング巻きスカートを穿いて、足はビーチサンダル、背中にリュック。
体重も80キロはありそうだ。もっとかも。
本気で足首をひねってしまったみたい。
今日ホテルに着いたみたいなのに、可哀そう。
でも泣き声とオーマイゴーの声がうるさい。
彼女はホテルマンさん達3人に肩をかつがれ(バリのひとはたいていみな細くてだいたい身長も170cmないくらい。誰もおんぶはできなかった。)
車に乗せられて病院へ。
一緒に旅行にきた彼女のお友達はひとりホテルで待機。
いつ戻るかわからないし、それもまたかわいそう。

夕方、またテラスでぼーっとしていたら、下の方からホテルマンさん達と昼間のお姉さん達がえっほえっほと荷物を担いで階段を昇ってきました。
ああ、病院から帰ってきたんだな、と思ったら行列はわたくしの部屋の隣の部屋へ。
激しい高低差がある渓谷沿いの敷地にコテージが建っていて、彼女たちは下の方の川に近い部屋だったのですね。
で、足が不自由になってしまったので、レセプションやレストランに近い上階のわたくしのコテージに引越してきたわけです。
二晩、満室ならば4組がつかえるコテージを一人で独占していたので、
あの大声のオーマイガーさん達が隣にきたら煩いかも・・・
とちょっと心配しちゃいましたが、
残りの二晩も、とっても静かでした。
その静かさを味わうホテルだもんね。
お姉さんたち、疑ってごめんね。
早く足が治るといいね。
あと少し体重を・・・
いや、別に誰も迷惑じゃないし、好きなもの食べて好きに生きたらいいよね。



2011年12月14日(水)  もとむ

トヨタカップ サントス戦おわったー。
疲れたー。
ううむ キャプテン翼の世界までまだまだ でもものすごくかけ離れた世界ではないってかんじですね。
あれから20年ですかー。
25年かな。
バルサvsサントス楽しみですねー。
いやまだバルサは決まってないけど。

リハーサル楽しいです。
今回は大編成、最近は弦とパーカッションのみが多かったので、
ホーンズとピアノがいると、とたんに音が空間にひろがるかんじです。
そこで歌うわたくし。
気持ちいいー。

一足お先に、日記のバックをバリのわたくしの部屋のテラスから広がる風景にしました。
この下に蓮の池があります。
ほかの写真はライブが終わったら徐々に掲示板にUpしていく予定です。
そして来年一緒にバリに行ってくれるお友達を募集中です。

そのうち読もうと思って積んでおいた本でも持って、
観光もせず、日がな一日テラスでぼーっとしていてもいい。
すんごくローカルな食べ物とか現地ならではの経験に執着しない。
でも毎晩踊りを見に、というかガムランを聞きにでかけていく。
虫・蛙・蛇・蜥蜴 が部屋に入ってきたり、お皿に飛び込んできても平気。

そんなお友達を大募集。

今回のバリ旅行。
10月のお芝居が終わって 
まああれも結構頑張ってしまいすぎたのか、
急激に病が進行し、11月の頭までは
いつでも痛いし、首はまわらないし、一日中咳がでるし、服を着ていてもわかるくらい異常に胸骨上が腫れていたし、
息をすると苦しくて気管でへんなピョーロロみたいな音はしていたし、
夜は2時間おきに目を覚ましていたし、つねに痛み止めを飲んでいたし、
正直、もうこれはダメだなー あと一年くらいはと思っていたけど
これは来年の誕生日までもたないかも
悪くすると今年中に入院とかかも
というかんじでした。
せんせいもいくら薬を換えても止められなくてこれはと思ったんでしょう。
今のうちに(自分の意思でやりたいことをやったり歩いたりできるうちに)
行きたいところとかやりたいことがあったらやっておいた方がいい
と言われてしまいました。
んで、やりたいことは、先日お芝居をやったし、とりあえず12月のライブまで時間はあったし これは旅行だ! 
婆さんになったらゆっくり行こうと思っていたバリがハワイか、
もうとっておいてもしかたないし、借金してでも行こうと思ったのでした。
さすがにハワイは一人で行くのもなあ、と思いバリに。
でもずっと具合が悪かったのでいまいち自信がなく、本をみたりネットでバリについて調べたりしながらもなかなか予約まで持ち込めなかった。
もう少しよくなるかも、と思っていたのもあります。
でも全然よくならないので、ある日別になんのきっかけもなく
あーもうやってられるか、ここで痛いよー と言ってようが、
外国のホテルで痛いよーと言ってようが同じだ、
昼間はなんとかなるんだし、実際に肝臓・腎臓・心臓・脳は正常に働いてるんだし、
胃腸も丈夫でご飯も食べられるし、
とりゃあー 一か八かだ 最悪キャンセルだ これは捨てた金だー
と旅行のお金を振り込んだ時にはもう半ばヤケクソといいますか、
実はぜんぜん体調はよくなってなかったんだよね。
それがその次の週からはじめた薬が劇的に効き始めて、出発前には見違えるように腫れがひいて痛みもひいて、咳もとまりました。
旅行中も何も問題なく、一人で街を歩きまわり夜も踊りを見て歩いてホテルまで帰ってきたり、
楽チンツアーを頼んだおかげで、ほぼバリの有名どころの観光もできちゃったし満喫しました。

帰ってきて、いや旅行中すでに、
よし、来年の誕生日を無事に越せたらご褒美にまたバリに来よう、
今度は観光なしでもっと、森と川と山と木と花と生き物とのんびり過ごそう。
そして夜は毎晩、食事をしながらなんてのは論外 踊りとガムランを見にあちこちに行こう。
でもその時には一人じゃなく誰かと来よう と思ったのでした。

決して治ったわけでなく、薬の効果と自分の抵抗力が弱まったら負けるんだけど、
とにかくもう少しいけそうな感触を持ったので、
来年の4月のお誕生日以降、バリに誰か一緒にいきましょう。

場所によっては単に超観光地だし、交通渋滞がものすごいかったし、食べ物だって うむむ なことが多いし、
全部が全部な楽園ではないですが、
今までで一番気持ちのいいところ
全然心細くない 子供の頃の田舎の夏の縁側みたいなところ
が、偶然こんかいのわたくしの滞在場所だったのです。

あとものすごく旨いチキンココナツカレーを食べられるお店も教えます。
カンカン照りの街を彷徨っていた時に、嗅覚が働きフラッっと入ったお店です。
あとで調べたらまだガイドブックや口コミサイトにも載ってなかった。
山ほどあるレストランや食堂の中、店構えや黒板のメニューの字なんかが、
少しまわりと感じが違ったのですが、大正解。
オーナーがフランスのひとだったのです。
食べ物、料理に関してはやはりこだわりが違う。
冷めたら少し塩辛かったけど暑い国だからかな。
それでも今回の旅で一番おいしかったものです。
なのにざっと換算して280円。
観光ツアー中に連れていかれた浜辺のシーフードバーベキュー
食べきれない量&醤油とはいわないから、塩とレモンをくれ! と叫びたい
これ4千円。

ね、2回目からはこの部分いらない って思うでしょ。



2011年12月13日(火)  闘莉王

昨日のわたくしはとても闘莉王に似ていました。
今日のわたくしは、養毛剤と間違えて脱毛剤をふり掛けてしまった闘莉王に似ています。
額と薄い眉がポイントです。

今回の旅は抜け毛との戦いでした。
暑いのと面倒で結局カツラは一回しか使わず、ずっと帽子やスカーフをしていたので、
もう素直に剃っていけばよかった。
なまじ長さがあったので非常に目に付く。
ホテルの床・枕・バスルーム・洗面台・テラス・・・
とにかく、どうみても異常な量なので
翌日のお掃除のひとに、不振 心配をかけてはいけない、と
とにかく気がつくと抜け毛拾いをしていました。
集めるともうこれがまた尋常でない量。ティッシュでよく包んでゴミ箱へ。
女一人でリゾートホテルに四泊もしていたので、ホテルのおじさん、おにいさん達がずいぶん気遣っていろいろ話しかけてくれたりしていたのです。
胸の傷のガーゼもちょびっと血がついてたりするので、
ヒンドゥー教のひとは血を穢れと気にすると本に書いてあったし、
これまた心配をかけてはいけないと、厳重にティッシュに包んでゴミ箱へ。
箱ティッシュの半分くらいをビニール袋にいれて持っていったけど、
ポケットティッシュより使いやすいしこれは大正解でした。

胸の傷っていうか腫瘍ですが、ここが一番目に見えて薬が効いているところ。
ケロイド状にボコボコ盛り上がっていたものが、崩れて溶けて
山だったところが逆にクレーター状に凹んでしまいました。
まだ効果が進行中なので表皮ができなくてずっとガーゼで覆っていますが、
(あんまり痛くない)
びっくりだよー。
ポカロン作戦も効いたのかな。

では今日も帽子をかぶってリハーサルに行ってきます。
日曜日に荻窪で闘莉王と握手!



2011年12月12日(月)  げげげつようび

点滴デー。
効いてるねー とせんせいも嬉しそう。
今度のはゆっくり液を落としているので、結局午後5時半までかかり
ネットカフェにいく時間もありませんでした。
そのままご飯を食べて休憩してスタジオへ。
胸骨の上の腫れが収まってきたので、心配していた咳もでず
まあちょっとパワーはないかもだけど、1時間半 歌うことはできそうです。
掲示板にライブの詳細がありますので、ぜひ顔を見にきてやってくださいませ。

さて、一人旅のよさ。
それは、トイレの気兼ねのないこと。
下痢してようが便秘してようが、好きなだけこもれる。
ドア開けっ放しもOK。
お風呂・シャワーも同じく。
長湯・ボイラーのお湯の量を気にしなくてもいい。
湯上り裸ん坊でもOK。

一人旅のよくなさ。
素晴らしい 楽しい 美しい ことを見聞きしても 分かち合うひとがいない。
ので脳内自分会話が増え、時間ばっかりあるので、そのうち考えなくてもいいようなことまで脳内自分会議をしてしまう。
その結果、哲学チック・人生チック・文化論チックな あくまでチックなことを山と考え、旅日記やブログに書き散らしたくなる。
今回どこにいっても無料のWi-Fiがあって、旅人がみんなモバイルPCを持ち歩いていて、どこでも何か書き込んでいるのが不思議な光景でした。
たいはんはメールチェックとフェイスブックチェックなんだろうね。
でも帰国して一日もたてば あくまでチックなので霧と散りまする。
ホテルにFirefoxの入ったPCがあったので、日本語サイトも見ることができたけど、日本語入力はできなかった。
おかけでチックな日記を書かずに済みました。
いかったいかった。



2011年12月11日(日)  おいおい

ただまー
今日からバリ日記を書こうと思っていましたが、
昼間はすっかりわたくしに冷たくなってしまったインコさんのご機嫌をとり、
(朔ちゃんが あんた誰?みたいな目でわたくしを見るなんて!)
インコちゃんが寝てからはトヨタカップに一喜一憂してグッタリと疲れてしまったので、
延期です。
明日は昼は病院で点滴。
夜はライブのリハーサル、とこれまた忙しい。
夕方はネットカフェで休憩の予定なので、そこで更新できるかも。

ちょっとだけ書くと、
もう帰ってきたくなかった。
バリに、というか着いたその瞬間からホテルの部屋に
ココに住みたい と恋してしまった。
チェックアウトしたら、次にわたくしの部屋に泊まるひとへの嫉妬で苦しいほどでした。
そしてもう次に来るときのことを考えていました。
胸の傷がなければプールに入りたかったなあ。

体力も気をつけて慎重にほとんど車を使ったので、大丈夫でした。
でも次は航空券とホテルの予約だけして、
ご飯たべてテラスでボーっとしてプール入って、街をぶらぶらしてお昼を食べて、昼ねして、
夜は踊りを見に行って、それだけして過ごしたい。


ライブは次の日曜、12月18日です。
これも明日からメールと掲示板できちんとお知らせいたします。
おいおいに。



2011年12月04日(日)  準備完了

悩みに悩んだ 
いや そうでもない
カツラ問題ですが、一応持っていくことにしました。
実に微妙に、落ち武者未満 ヘアターバンでいけるか?
くらい毛が残っているので ちょっと剃るのもアザトイかなあと思いまして。
あ、頭頂部はどうなんだろう。
ママにチェックしてもらおう。
ニット帽も入れたしね。

昨日はじたばたして、図書館で借りた 旅の英会話本 を眺めていましたが、
古い。
会話がジャルパック時代だ。
7時にレストランの窓際の席を2名で予約したりしない。

まあなんとかなるでしょう。
誰にも言ってなかったけど、スペインで一人
23時から始まるフラメンコをタブラオに見にいって
ホテルの名前も場所も忘れてしまい、
深夜2時すぎまでセビリヤ(セゴビアだったかな)の街を半泣きでさまよい、
それでも本能でホテルにたどり着き、
当然、門の閉まったホテルのベルを鳴らし
ものすごい顔でおきてきたオーナーに鍵をあけてもらい
翌朝なにくわぬ顔をして、フラメンコよかったよ と同行者に報告
つまりなんとかなってきた俺だ。
もうあんなことしないもんね。
ホテルカードは絶対に携帯。
迷ったらタクシー。
ぼったくられても気にしない。
っていうか、車での観光以外はシャトルバスと歩ける範囲でちょろちょろしとこう。
若者のようにローカルなコミュニケーションは求めない。
よその国におじゃまして、ええもん見せてもらいましょう。

バリは行ったことのある人、誰もが こちらが聞かなくても
いいとこだよー いいとこ選んだねー
というので、行く前からよい気分です。
よく見て よく聞いて ゆっくり歩いてきます。



2011年12月02日(金)  効いてる(カ)な〜

きんきんきんようび。
師走、
長い抗がん剤ジプシーのはて、今日はじめてせんせいがこう言いました。
小さな(カ)は、わたくしの心に聞こえた声。
専門医だって確信はもてないよね。
でも、先週にくらべ目に見えて腫れがひいています。
せんせいも嬉しそうに、デジカメで写しておこう いい? と言ってきました。
本当は薬をかえた最初の日に撮っとかないとあとから比べる資料にならないんだけど、
先週は写真を撮ろうと思えないぐらい凹んでいたんだよね、
と正直なせんせいです。
たしかに経験上、効果のあった薬を順にためしても効かず、
あまり検体のない高価な新薬にせんせいも期待をかけていたと思うのですが、
その月は更に悪化し、
患者に「駄目かも」 とは言えず うーんうーん唸っていました。
で、今度の薬に切り替えたわけなんだけど、せんせいが唸っていたのは、
出血がとまりにくくなる という副作用があったからです。
今まで日記には書いてなかったけど、
わたくしの腫瘍ちゃんは、目にみえない体の中だけでなく、
皮膚の外にも出てきちゃっているのです。
見た目はひどい火傷のケロイドみたいなかんじ。
服を着ていればわかりませんし、痛くはありません。
お風呂は本人は平気だけど、銭湯や温泉だとまわりの人はひくかなあ。
で、1ヶ月前くらいからカサブタが破れたように、血がにじんだり湿潤液がにじんだりしている。
これが普通の傷みたいにG細胞が戦いにやぶれたその死体なのか、
どうにも判断がつかなかったのです。
漢方のクリニックの先生が、ひいてきていると思う と言ったのはこの部分。
少しとはいえ、毎日血がでている傷がある状態なので今度の薬で大出血したりしたら・・・
とせんせいは唸っていたのですが、
もうなんつうか選択肢があんまないんだよね、ぶっちゃけ。
わたくしも、そんなことはこのわたくしに起こりえない と妙に確信があったので
せんせい GOですよ GO! と尻を叩いてあとおし。
もちろん大出血などありませんでした。
っていうか明らかにすんごくデコボコしていたケロイドが平になってきている。
これを見てせんせいも あ 効いているな〜 と言ったのです。

G細胞が39度以上の熱に弱い と何かで読み、服の上からいつも貼るポカロンで更に温熱戦を繰り広げているのはせんせいには内緒。
いいじゃん 自分でもなにかしたかったんだよ。
あったかくて気持ちいいし。

そんなきんきんきんようび。
帰りに生まれてはじめてソーシャルワーカーさんとお話し。
もうどうにも薬代が払えなくなったら高額医療費の還付があって、
なんとかお金をまわしていけるまで待ってくれるって。
やっぱりニポンの国民健康保険はがんばってますよ。


では、出発まであと2日なのでそろそろ荷物をつくらなくてはなりません。
真夏の服装・・・
胸の腫れが小さくなって咳が少なくなったような気がします。
湿度の高いバリで山と森の空気をすって、
帰ったらライブのリハーサルがあります。
バンマスやメンバーには申し訳ないけど、今はどれだけできるか考えないようにしているます。
だって できないかも って言っちゃいそうだから。
ギリギリだけど帰ってきてからやってみます。



2011年12月01日(木)  鎮痛剤なし

一週間って待機中だと結構長いのですよ。
何をしていたかというと、
カツラの手入れとか、(4つも持っていたことに我ながら驚き)
きゅうれいこん(漢方のハップ薬)を練るとか、
あ、会社も2回行きました。(仕事中はいいんだけど、子泣きじじい連れの通勤は疲れます)

なんちゃって。
ほとんどの時間はインコと遊びながらネットでバリ島の記事を見ていました。
こんなに見たり読んだりしたら、せっかく行っても指さし確認体験になってしまう!
と思いながらも自重できず。
見て見て見まくってしまいました。
そんなこんなで突然ですが来週行ってきます。
今のところ大丈夫なのでこのまま味覚が損なわれないといいな。
あちらは雨季だそうなので、高原散策の時にはなるべくスコールがないといいな。
質の高い舞踏が見られるといいな。
あまり虫に刺されませんように。
今週は一回しか鎮痛剤を使わずにすんでいるので、念のためごっちゃり持って行きますが、
たぶん来週もしっかり眠れるでしょう。
保険も忘れずに空港で入っていきましょう。
この旅もカメラは持っていかないので、無事に帰ってきても画像のUpはないでしょう。
ものすごく手癖が悪いというウルワツ寺院の猿はカツラも盗むのだろうか。
帽子は絶対に盗まれるらしい。
奴らはかぶりものを見抜くのだろうか。
一応予備も持っていこう。

気のせいかもしれませんが、胸の腫れは以前より小さくなったように思います。だからといって何かが大きく好転したわけではないのですが。
少なくとも2週間前よりはずっと一日が楽です。
なにより眠る時間が楽しみになりました。
寝るは極楽 寝るは極楽。

では、観光客らしく高原のテラスでバリコーヒーを飲み、断崖の寺院で夕日を眺め、バリ舞踏やケチャを鑑賞し、
海のそばのレストランでシーフードバーベキューを食べ、
路地や眺めのいいカフェを探してうろうろし、
フットマッサージとペディキュアでもしてもらって、
湿度と森とたんぼの匂いをかいできます。

物欲がなくなっちゃったのと、ビールが飲めなくなっちゃったのが残念。
でも帽子はいっぱい買おうっと。

一週間も置いていかれるインコさんの機嫌を直すようなお土産は・・・
ないよね。


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