痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2010年05月31日(月)  5月のしめ

また休んでました〜

画像掲示板にも5月のしめをUPしたのでよかったら見てね。
画像はポチっとすると大きくなるです。

2週間ぶりのご無沙汰です。
この間なにをしていたか、といいますと
人生に飽きていました。
厭きてじゃないよ。
なんかお腹いっぱいな気持ちで、
この先食べて寝ておきてしたいことして欲しいものを手に入れて、年をとっていく。
いま死んでも同じだなあ、とか思っていました。
これが中年の危機なのかしら。
その間も仕事したり、ひとと話したり笑ったりしていたわけですが
あいかわらずの駅売り新聞の見出しにとうとう
日本大崩壊 とか出ていて、
あとはなんだ 蒸発か滅亡か消滅か と笑っていたんだけど
これって何かに似ているなあ と考えて思い当たりました。
終戦前に 敵機がばらまいたビラに似ているよね。
もうダメなんだから降伏しなさい的なやつ。
敵ならわかるけどなんでイエローペーパーとはいえ自国内の新聞がアジビラをばらまくのか。
わけわからん。
で、ちょっと勉強したりしてました。
まあ政治はやらないけどね。
どうどうめぐりのパワーゲームが面白く
いったいこの先 人間は世界をどうするのかよく見ておこうと思い
人生と世界への興味を持ち直したよ。
ありがとう 日刊ゲ○ダイ。

紫陽花や薔薇も咲きはじめたし 梅雨前のいまが一番瑞々しい美しい下町の路地であります。
7月のジャズフェスの仕込みもはじめていますが・・・
ズージャは聞くだけでいいなあ わたし。



2010年05月15日(土)  初夏のご飯

花冷えから昨日まで、毎日何を食っていたかというと、雑炊 です。
ふとした心の隙間から再発の恐怖に襲われ とにかく野菜と味噌を食おうと思ったからです。
もともと犬飯が大好きなので全然苦痛ではないのですが、
はじめは、大根・玉ねぎ・人参・豆苗・麦飯から始まった雑炊が、
そのうち水と米を足して 豆腐が入りトマトが入り ジャガイモとしめじを入れて葱とチーズを入れて、としていたら最後には糊というか嘔吐物そのものになってしまい、
さすがに鍋をキレイに洗って流しの下にしまいました。

今回しみじみ思ったのですが、麦は煮るのには向いてないね。
どれだけ日数をかけて煮込んでも、いつまでもキョロキョロとしていて馴染まない。
あれはやはり粉にしてパンや麺にするべきものだよ。
煮るなら米。

さて今日になって、とりあえずうちに食べるものがない。
それで先ほど買ってきたものは、

ソラマメ(初物!)
朝採りキュウリ
アスパラガス

みごとに青いものばかりですが、スーパーの棚で一番おいしそうに輝いていた奴らを連れてきました。
これが旬の力ですね。

キュウリにマヨ味噌をつけてボリボリ齧り、
おにぎりと梅干でお昼ご飯終了。
夜はソラマメとアスパラを茹でてビールを一杯。
おいしいオリーブオイルをもらったから後でトマトも買ってこよう。
毎日 一人楽しいお食事です。
誰かと一緒だともっと楽しいのかしら。
でも十日雑炊につきあってくれる人はいるのかしら。



2010年05月14日(金)  はやっ!

日曜日に退院きまったって!

これにてハンチャン日記はおしまーい。



2010年05月12日(水)  超たのしみ!

玉々をプリプリさせた大きな黒猫が近所を巡回しています。
よい気候 さわやか〜。
昼風呂にはいって更にご機嫌。

普段の会話ではめったに使うことがないけれど、わたくし実は 超 が大好き。
あ、しってましたか。

ちょー っていうか、
cha chu cho
が好きなんだよね。

なにが楽しみかっていうと、明日から銭湯が改装工事なのだ。
ということは、ペンキ絵も変わるよね。
いまはそれぞれ精進湖から見た 男湯が朝富士 女湯が夕富士なんだけど、
どうなるんだろう。

超超たのしみです。



2010年05月11日(火)  おもゆ記念日

雨だったが日記閲覧者数という義務感に背を押され行ってきたぜ。
でも行ってよかった。
すごく喜んでくれた。

♪ きょうはハンチャンの〜 おもゆ記念日です〜

昨日やっとお水を飲めるようになり、
とうとう今日の昼からお食事できるようになったそうです。
十日もなにも口にできないんだから、消化器系の病気はつらいね。
わたくしは手術の翌日から普通のご飯食べてたよ。

ハンチャンが入院日記を見せてくれた。
今日は絵日記で お昼にでたお盆の上のものが描いてありました。
お茶(たぶん焙じ茶)・重湯(50g)・お味噌汁(具なし)・やくるとじょあ・リンゴジュース・ココアババロア

固形物はひとつもないけど結構な量と種類で本人もビックリ。
ちなみに絵日記には ココアバロア って書いてあった。

だいぶ元気になったぶん退屈でしょう。
マメに点滴竿を引きずって病院内を歩くようにしているようです。
しかし退屈よりも一番つらいのは、ヤニ モク ニコチン つまり煙草が吸えないこと。
わかる わかるよ。
わたくしも手術の翌日から点滴竿をひきずって・・・

ハンチャンのところはわたくしの入院した病院より敷地がひろく複雑で、外に出てもどこで隠れて吸えるかまだ分からないそうで、
一人で病棟の外に出てもいいと言われた日からタクシー乗り場の陰とかでコソコソ火をつけ一口二口ですぐ消してそれで満足しているらしい。
たぶんあそこは国の病院だし敷地内全面禁煙だと思う。
しかし 蛇の道は蛇。
ぜったいにどこか重度のニコ中患者たちが見つけ出した非公認喫煙所があるはず。
そして彼は必ず見つけるでしょう。
今日は帰り際わたくしを出口まで送ってくれて、自転車おきばの陰で立ち話をするふりで素早く火をつけ、一服。
しばしの満足と酩酊感を味わっておられました。
わたくしも傘をかしげてそっと同士の姿を隠してさしあげました。



2010年05月10日(月)  母の日の翌日

みなハンチャンが気にかかっているようだが新しい情報はない。
あした仕事の帰りにまた寄るつもりだからそれまで待たれよ。


ところで、そこそこに混んだ電車の中 そこだけポッカリ空席と空間があるというのは、
まあ中心に泥がつく酔っ払いかホームレスさんがいるわけですが、
よくよく分かっているのになぜか吸い込まれるようにいつもそこに入り込んでしまうわたくしです。
昨日も一箇所だけやけに空いたところがあって
怪しいおばさんが座っていたんだけど、
おんなのひとだから油断したんだな。
シルバーシートだったから余計に空いていてもおかしくないと思ってしまった。
そのおばさんは身なりはそう変でもなかったんだけど、顔色が悪かった。
灰色だった。
具合悪そうに自分の体をずっと撫ぜていてちょっと心配だった。
わたくしも疲れていたので、空いていたことだし シルバーシートに座らせてもらった。
で、すぐ分かった。
顔色が粘土みたいに灰色なのは、ずっとお風呂どころか洗顔もしていなくて垢とか風雪とか日焼けが皮膚の上に積もっているということ。
体を撫でているのではなくて、掻いていること。
しばらくしてなんだか自分も痒くなってきた。
しかしここで掻くわけにはいかない。
幸いあまり匂わない。
たった4駅だからとそのままそこに座っていたけれど、
家に帰ってもなんだかアチコチ痒い。

予感はあったのになぜあそこに座ってしまったのか。
一億以上の人口で、なんとかしようという善意もなにもなく
わたくしほどホームレスさんの隣に座ったことのある人もそうはいないと思う。
粘土! と分かった瞬間にたつべきだったのか。
痒い。
分からない。



2010年05月07日(金)  カワイソウナハンチャン

お見舞いいってきた。

カワイソウナハンチャンは まだお腹がいたい。
カワイソウナハンチャンは まだご飯が食べられない。

カワイソウナハンチャン のお部屋にはすごい鼾をかくひとがいて夜ねむれない。
カワイソウナハンチャンは まだお風呂に入れない。
うら若きオナゴが体を拭いてくれたり足を洗ってくれたりするので 
カワイソウナハンチャンは いったいいくら治療費をとられるのだろう と怯えている。
間が悪いことに倒れた日にお魚を食べたので一人暮らしのカワイソウナハンチャンは 
部屋が腐った魚の匂いで充満しているのでは と気が気ではない。


でもカワイソウナハンチャンはかわいそうじゃない。
一番頼りになる人たちが傍にいるときに倒れたのですぐ病院に運んでもらえた。
老若男女がお見舞いにきたり電話をしたりしてくれている。
入院する前も夜勤の仕事をしていて十数時間眠れない日もあったけど今は眠くなればいくらでもお昼ねできる。
看護士さんに 足どころか優しく頭を洗ってもらっても、それは入院の基本料金の中にふくまれるので、特別なサービス料を請求されるわけではない というわたくしの説明に納得してくれた。

結局最後まで一番心配していたのは、生ゴミの中の腐った魚でした。
それも もうなるようになれ とふっきったようです。
そう、病気になったらもう自力は役にたたないのです。
なるようにしかならないのだ。
とりあえず退院が決まったらファブリーズ買ってあげるね。

最後にひとこと
お花よりお見舞い。
誠意は現金。
これニポンの常識。



2010年05月03日(月)  ことの顛末

我らが 飯巨匠にいったい何がおこったのか?

先日の精進おとしの会、ようするに居酒屋で巨匠は酒を飲まず
「胃薬を持っていませんか」
と弱々しく横になってしまった。
通夜会場では酒を飲み寿司を食いしていたし
仕事明けで寝ていないと言っていたし、
胃薬もあげたし暫くそっとしておこう、
と 残りの我らは2時間ほどいつものように故人を忍びかつ楽しく飲み食いした。
さて、と帰る段になっても巨匠の腹痛はよくならない。
吐き気も下痢もないという。
歩けないほどか? と聞くと 歩ける
電車に乗れるか? と聞くと 乗れる、と答える。
救急で病院にかかろう と言っても家に帰って寝れば治る、と言う。
それぞれ電車の乗り換えもあり、別れる際には巨匠と同じ駅まで行くものに、本人が渋っても家から近い救急病院に連れ行くよう 任せて別れる。
案の定その後歩けなくなり、救急車で搬送、未だ検査中であると深夜にメールがきた。

翌日 一日やきもきしていたところ、連絡がきました。

巨匠に何がおこったか。

”十二指腸に穴があき、穴に寿司が詰まっていた”


そんなの聞いたことある!?

ただし放っておけば腹膜炎をおこし危なかったと。
しばらく穴のまわりの寿司の滓を徹底洗浄して潰瘍の治療して…

病院に行こう、と言った時
「食べ慣れない寿司を10個も食べたから腹がびっくりしただけです」
と本人は言っていましたが、

だいたいあってた。



2010年05月02日(日)  長いお別れ

今日はお別れの会に行ってきました。
年代がどんなにあがっても逆縁ははたから見てもつらいものです。
今日も年老いたお父様が、棺の中の息子の顔をずっと見ていた情景が忘れられません。
でもそれは誰にもどうしようもないことです。

突然のお別れだったので、直前のいろいろな話を今日やっと詳しく聞くことができました。
今回 その方はこの数日で 長く顔をあわせなかった、友人 同級生 師 と会いたいと それぞれ杯をかわし 体の調子を尋ねあい そうして倒れたそうです。
よく聞く話しです。
偶然でありましょうか。
でも 『むしのしらせ』 という言葉があるということは、大昔から人々はそういうことは度々あると経験から知っていたのでしょう。

私事ですが、十数年前 無二の親友が治らない病気になりました。
どんどん自らままならなくなる病状が進む中、ある時ご家族から 
もう少しよくなるまで面会は遠慮して欲しい と言われました。
私は彼女はもう よくならない と分かっていました。
そしてそれはご家族もわかっていたと思います。
それでも本人の尊厳を守ろうとし そして家族だけでも奇跡を信じなくては、
とそういうことを言われたのだと思います。
私も まだ若く その奇跡を信じる言葉にすがりたかった。
そして、どんなに絆が深くても 友人と家族では踏み込める境界は違います。
ご家族の気持ちを踏みにじってそれでも、と言い張る勇気はなかったし、
当時から年齢を重ねてみて それでよかったのだと今は思います。
会えない間 奇跡を信じられない私は、逆にオカルティックなことを散々試してみたり
同じこの国にいて悪い知らせが来るのが怖くて外国に逃げたりしていました。
それがある時、あることをきっかけに
このままでは間に合わない と確信する日がきたのです。
きっかけはここでは書きません。
ただ大きな怒りとともに なにを踏みにじってでも という気持ちになったのです。
そうして私は数ヶ月ぶりに病院へ行きました。
もう自力では瞬きもできない親友がそこに横たわっていました。
まだ聴力は生きているからと、なにごとか面会の時間ぎりぎりまで耳元で語りかけました。
最後に 明日またくるから と病院をあとにしました。
翌日 私が病室について少したって急変があり、彼女は脳死を宣告されました。
私は 間に合ったのでしょうか。
ひとはそう言ってくれました。
私を待っていてくれたのだと。
言葉が発せられなくなってから使っていた彼女の五十音のメッセージボードには、
最後にあった彼女の息子の名前の一つ前に 私の名前とおぼしき文字がありました。
待っていてくれたんだろうか。
確信はありません。
でも、その後も私は毎日病室に通いました。
半分ニートだった当事の私は、面会時間の始まりから泊り込む彼女のパートナーにバトンタッチする午後八時まで 数十日毎日彼女のそばにいました。
少し異常と思われたかもしれません。
それでも 間に合わない と感じた日に抱いた怒りと確信が たとえご家族に迷惑と思われたとしてもかまわない、と毎日病院に足を運ばせました。
その数十日間の最後の数日 今でも私をして 脳死は人の死ではない と断言させるできごとがあり、
私は彼女と二人きりで親友同士 最後の会話を交わすことができたのです。

それがあったから私は短い時間で 絶望 後悔 恨み 孤独 から立ち上がることができました。
あれから月日がたち日々 彼女のことを思い出す回数は減っても、
それでも心から寂しいとき 病と死への恐怖に震えが止まらなかったとき 世界の美しさと生きることの喜びに改めて感動したとき
親友が私のそばに寄り添っていてくれることを感じます。
閉じた瞼の裏にその姿が蘇ります。
それが私の願望でもかまわない。
目に見えず触ることもできない けれども大丈夫だと思える。
それは誰にでもない 私にとって 救いであり祝福です。

『むしのしらせ』をどう解釈しようとかまいません。
今日お別れしたきた人には、よかったね と私は思い伝えました。
またね またお会いしましょう。



2010年05月01日(土)  ひゃっほー

なんという五月晴れ
なんとスガスガしい空気

すばらしい黄金週間ですね。

青葉茂り 鳥囀り ハナミズキの花も終わる頃、
あめりかびともポーチに湧いてきます。
ポーチっていっても日本家屋なので、はっきりいえば玄関先です。
近所のでぶのボブんち(本名たしかスチーブン)の玄関先にもボブの友達のジョンやらナンシーが寄ってきて楽しく大声で囀っています。
もちろん皆 半袖Tシャツさ。
他の異国人の生態はどうなのかは分かりません。
ボブの玄関先の集いでは、どうも全員わかりやすい米英語で話しているようです。

何年もこの隠れ家で静かに暮らしてきました。
私達はこの太陽の光とさわやかな風の後、長い梅雨 長い長い酷暑がやってくることをよく知っているので 
笑顔で よい気候ですね と挨拶するくらいではしゃいだりはしません。
ボブもずいぶん長くここに住んでいますので、ここの気候はよく分かっているはずです。
それでも毎年5月がくるたびに本能のようにポーチに湧き出てくる彼らをみるのが実は結構楽しみなのです。

そうだぜボブ
皮膚ガンなにするものぞ。


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