痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2007年09月19日(水)  荷造り完了

おそい!
三時間半後にはおきなければ。

しかし、頼りになる 姐 がけっこうプランを考えてくださっていたおかげで、
私は安心して、道教の本を読むことができます。
すごく面白いよ。

陰陽と仙人 のイメージだったのですが、
だいたいそれであっているのですが、もっと根本の老子や荘子のことなどすっかり忘れていたことに気づきました。

胡蝶の夢だよ。
塞翁が馬だよ。
千里の道も一歩からだよ。

しかし世俗道教の 神仙の世界のほうが面白いのだ。
道教の神々 という本をもって行くので、いっぱいお寺を巡りたいです。



2007年09月17日(月)  混乱

前回の日記をふまえて。
ガイドブックや台湾エッセイを4冊読んでみたら、
何が食べたいのか、どこに行きたいか、どんなことがしたいか、
わからなくなってしまいました。
いっそ面倒になって、一瞬いきたくない ような気持ちまで生まれてしまった。
書を捨てよ 街にでよう

O型うんぬんはともかく、
データを選択して頭でシュミレーションしたことに沿って動くことができないのだな。
妄想は超リアルに描けるのですが、
それと実行に移すのは全然繋がっていない。
目の前にやってきた現実にしか対処できない。

もう 現地おすすめ! 絶対ここ!
とかいう記事は全部忘れて、
目に付いた 入りやすい もう疲れた ここでいい
という店で 飲んで 食べて、バス乗って、
迷子になっても文句いわず歩くことにします。
あ、迷子はそう心配しておりません。
帰巣本能だけは強いはずです。
セビリアで一人フラメンコを見に行って迷子になり、
地図もなく深夜二時に宿に帰り着いたことがこの無駄な自信の根拠です。
でもセビリアのひとも絡んだり、襲ったりせずよい人たちでした。
目を血走しらせた 小さいアジア人がいやだったのかもしれません。

夕べは、台湾の豪商と知り合い、国際セレブ結婚 など妄想してみましたが、
豪商 から
 →呂宋助左衛門 るそんすけざえもん
 →黄金の日々
 →もうずいぶん大河ドラマを見ていない
 →そういえば紀伊国屋文左衛門はドラマにならないな〜
 →あまりにも人生の波のスパンが短いからかな〜
 →みかん・・・
 →・・・・・・ねむい
と思考が乱れてしまい、
リアルに頭に描き続けたビジョンは現実になる
というようなポジティブシンキング理論をまたも実証する機会をそこねてしまいました。
得意だと思うんだけど。
実は馬鹿にしているから駄目なのか。

出発まであと三晩。
寝る前に30分 豪商との出会いをシュミレートしてみます。
たいてい、英語の言い回しをあれこれ思い出すのに20分は費やしてしまうのがツライところです。



2007年09月14日(金)  流される

よくも悪くも、われら倭のくにの人間のメンタリティは、
情 。
理 や 義 じゃなくて 情 なのだなあ、とシンゾー君の会見を見ていて思いました。
母はもう完全に かわいそう〜 だし。
実は私も 呆気にとられ、なんだそれは! と怒りつつも 
五十男の涙目をみたら
やっぱりなんだか かわいそう・・・ な気持ちになってしまいました。
弱い。

だいたいいつも、ものごとがグズグズと尾をひくのは、
”きちんと謝らなかった”
逆に 謝って反省の意をのべれば大抵のことは、仕方あるまい ってかんじに許されるし、
決して許さず、攻撃の手を緩めないひとは、ちょっと普通ではないひと扱いされちゃうし。

優しさではないんだけど、
そとの人たちが言うように、有耶無耶であいまいで甘い んだけど。
瑞穂のくにの混沌の汚泥のように、そこから足が抜けない。
海外で生きるひと達には、可能性への挑戦だけでなく、
この泥沼を心から嫌悪して逃げ出すひともいるんだろうなあ。


それはともかく台湾旅行ですが、案の定なにも決まっていません。
あ、チャイナエア からは逃れられました。
ホテルも決まりました。
それだけで、しかも全然 自分たちで選択していない。
同行の 姐 は実に男気と義侠心あふれる方ですが、
いかんせん私と同じ O型 です。
色々と、根拠なし! こんなん言っているのは日本人だけ! と批判はあれど、
もうこの血液型人間タイプ判別法は、日本ではある意味 常識になっているので、
このまま話をすすめます。
以前 姐と二人で温泉旅行に行ったことがあるのですが、
いきなり、まったくどこで降りるかも決めず(話し合わず)電車に乗りました。
乗るやいなや、飲み始めました。
移り変わる車窓の風景に、大喜びしながらも、どちらもどこで降りてどうしよう、という話をするでもなく、
終点についてしまいました。
そこには何もありませんでした。
でも別にお互い、イライラしたりしません。
ただこのままでは何処にも辿り着かないかもしれない、
遅ればせながらガイドブックを買おう と本屋に入りました。
行きたいなあ〜 という温泉地はたくさん載っていましたが、
この地(あるローカル線の終点)から夕方までに着けるところは限られていました。
そこから何処かに移動するには、同じ電車で少し戻って別な路線に乗り換えるか、
ローカルバスしかありませんでした。
我等は滅多なことでは物事を面倒がったりしませんが、
同じことを繰り返すことは大嫌いです。
もう一度戻ったりすることも嫌いです。
一筆書きの人生です。
当然バスを選びました。
ますます選択の幅が狭まりました。
締め切りをつくって自分たちを追い込もうと、
(このままではどうなるか、お互いようく分かっていました)
ガイドブックに載っていた
聞いたこともない町の 聞いたこともない旅館に電話を入れました。
というか、今日中に辿り着ける温泉地はそこしかありませんでした。
途中でもう一回バスを乗り換えました。
そこがどこだったのか思い出せません。
二度とあの乗り換えた町には行けないでしょう。
そこから温泉まで行くはずのバスは遅れていました。
待っても待っても来ません。
夕暮れがせまっていました。
夕飯に間に合わないかもしれない、と少しあせってもう一回旅館に、
少し遅れるかもしれないけれど、必ずいきます と電話を入れました。
バス停で、40分は待ったでしょうか。
ここで、初めて我等はこの町のひとに、××温泉にいくバスはまだありますよね、
と尋ねてみました。
(明らかに遅すぎる と今ならわかります)
すると、温泉行きのバスは、停留所が移動していました。
小さなバスターミナルでずっと待っていたのですが、温泉方面行きのバスは、
国道沿いに移動していたのです。
それを聞いて、やっと我等はあわてて国道(ターミナルからは結構離れていました)に走りました。
ちょうどそこにバスが来ました。
もう5時半くらいになっていました。
そして温泉に着きました。
その旅館には、平日であったせいかもしれませんが、
客は我等のほか、一組しかいませんでした。
そこでは、やたら旅館のひと達にかまわれ、生まれて初めて 水琴窟 というものを見て、
その不思議な音をききました。
ほかには特にどうってことない旅館でした。
しかし、未だになんという温泉地だったのかわかりません。

長くなりましたが、これが O型同士の旅です。

我等はともに ものすごく台湾行きを楽しみにしているのですが、
この温泉旅行の二の舞にならないようにするのは、どうしたらいいのか。
自らなにをすればいいのか、わかりません。



2007年09月12日(水)  せんべい布団

とうとう結論がでました。
自分の心の中だけですが。
身体の声を聞くには、あと3ヵ月は時間が必要です。

ここ半年 私は いまどきここまで薄っぺらな布団はないだろう という煎餅布団で寝ていました。
敷き布団というよりマットです。
ふかふか感ゼロ。
もちろんワザとです。
あえて実家の押入れの一番下から探し出してきたのです。
これもすべては腰痛のため。

私の悔いのない人生で、ただ二つだけ、
「やめておけばよかった。」
と何年たっても後悔していることがあります。

ひとつは 小学生の時、運動会の準備中に ふざけていた男子の足首を、
正義ぶって やめろっていってんでしょ! とか言って おもいきり踏んずけ、
彼が泣くまで踏み続けたことです。
ごめん ツトム。
このことは今でもあやまりたい。
唯一 一年から六年生までずっと一緒のクラスだったツトムよ。

もうひとつは、無職でひまでひまでしょうがなかった時に、
ふと、部屋中のカーテンを縫おう なんて思いついたことです。
二日かかったんだけど、その頃の私は 雑誌かなにかで見た
低く暮らす ということにカブレていて、
私の部屋には、テーブルやデスクといった家具がなく、
二日間 ちゃぶ台にミシンを置いて、立てひざで縫い続けたのです。
ほとんど休みなく。
そうして できたー! と立ち上がった時から、
今まで十何年にも及ぶ 腰痛 とのつきあいが始まったのです。

ほんとうに この二つだけは やめておけばよかった。


半年まえ 一念発起して ベッドマットを処分し、せんべい布団生活にはいりました。
すべては 腰痛とおさらば はできなくても、少しでも緩和することができたらとの思いから。
慣れれば気持ちいい のかとも思い、そんな意見も耳にし、
私にしては 珍しく 黙ってそして投げ出さず実行していたのです。

でも今日 結論がでてしまいました。
私は ふかふかの布団で寝たいです。
温泉旅館にあるような布団がいい。
もしくはスプリングのしっかりしたベッド。

この夏 理想とする夏用掛け布団を手に入れてしまったので その思いはひとしおです。


しかしこれは治療実験なのです。
例年 夏の腰は実にいい子でなんら問題なく、
しかし 空調なしで眠れるようになると、
そして秋雨が続くとてきめん 腰は痛みだします。
まさに 今 これから なのです。
このまませんべい布団生活をして それでも例年の冬とたいしてかわらない腰状況だったら、
ふかふか布団にもどりたい。
しかしそれは、これから先もずっと、
年の半分は時には唸らざるを得ないような腰痛とのおつきあいを意味しています。
だが実験に成功すれば このまませんべい生活。

気持ちは もういいからふかふか! に流れそうで危険です。
せめてあと3ヶ月 身体の声を聞いて上げなければ と日々こころを戒めています。



2007年09月09日(日)  タイワン

ワンタンではなくてタイワン。
来週 台湾に行ってきます。
北京はどうした!?
と言われそうですが、やはり今の私には北京は吸引力がなかった。
オリンピックの前と後で都市はぜんぜん違ってしまうので、
ぜひともオリンピック前に行ってキナヨ!
と言われ 少しこころ揺らいでいたのですが、
いかんせん、都市学でも社会人類学の学徒でもない私にはあえていく気持ちになれませんでした。
わたくしがオリンピックの前と後で行ったことがあるのは、バルセロナだけですが、
それも 数年のひらきではなく十数年の時間差があったので、
たしかに大きな違いはあったのですが、それがオリンピックのせいなのか、
時代の変わり目だったのかはわからなかったです。

台湾台湾。
台湾にはわたしたちの大好きなものがいっぱいです。
海と山と温泉と屋台とフルーツとお寺と。

まずは 道教についてすこし本を読んでみたいと思っています。
ずいぶん前に欧米経由の 道 タオイズム の本を読んだきりで、
私にとって一番近いようで遠い道です。
でもお寺がいっぱいあるってことは宗教なんだよね。
道子さまを奉っているのかしら。
そこさえもわからない。
ヒンドゥーよりわからない。
仙人への道なのか。



2007年09月07日(金)  夢判断

眠りすぎなのかもしれません。
気温が三十度を下回ると とたんに睡眠時間が長くなりました。

先日、数日前に父が死んでいて、なぜか私にだけそれが知らされておらず、
どうも怪しい・・・ と母を問いただしてみると、もう葬式も終わっていた。
という夢をみました。
目覚めた時は、かなしい というより体が折り曲がって眠っていたのでひたすら胸が苦しかったです。
その二日後、これとそっくりな夢で、友人 はっきりいうとうちのバンマスバージョンの夢をみました。
起きてみると、父のときとまったく同じような姿勢で眠っておりしばらくの間 胸苦しかったです。

夢の中ではこの方々の死を知って、

ああ、とうとうか・・・ 
やっぱりね・・・
男の人はポッキリ折れるね・・・

のような感想を持っていたような気がします。

しかし そっくり似たような内容で、日付をおかずに見たものですから、
これは私の深層心理からの呼びかけ?
と、すこしだけ夢判断を調べてみました。

父 や バンマス はその人本人のことを示しているというより、
父性や男性を象徴していると考えたほうが良いようです。
死の知らせ は連絡を待っているひとがいる 連絡しなければ と思っているひとがいる と考えられるとのこと。
(それがなぜ 死 なのかはどこにも書いてありませんでした)

思い当たる。ものすごく思い当たる人がいる。


むかし 携帯電話がなかったころ、留守番電話もなかったころ、
というとすごく昔になってしまいますが、
るす電は用事がなければメッセージを入れないひとが多かったので、携帯電話がなかったころにしておきます、
誰かに電話をかけても繋がらなければ、相手にはそのことがわからない。
逆にこちらも自分がでられなかった電話のことを気にしたりする必要ななかったわけです。
でも今は、眠っていても仕事中でも、携帯をオフにしておく人は少ないでしょう。
だから、タイミングによってはかなりあとになって着信に気づき、
着暦を見れば 誰から何時にかかってきたのかわかってしまう。
となると、どうしても架けなおさなければ悪いような気になります。
でも自分から架けたくない時・ヒト・タイミングもあります。
それでなにか用事があるならば又かかってくるだろう、と放っておくときも。
でもタイミングの悪いひとは、またわたしの出られない時間にかけてきたりして、
それでも留守電にはなにもメッセージがない。
これは、用はないんだな、
でも久しぶりにどうしてるか気にしてくれているのかな、
でもわたしも特に用事も、楽しい話題もないしな、
でも「どうしたの?」って架けなおしたほうがいいのかな、
ぐずぐずぐずぐず・・・

と五日くらい心のすみにひっかかっている件があるのです。
それかな。
すごいじゃん 夢判断。
ただの眠る姿勢と布団の厚さのせいかもしれませんが。
どうしたのって・・・
ぐずぐずぐずぐず・・・



2007年09月04日(火)  黒真珠

一昨日、葡萄が残ったので、冷凍にしました。
小さい粒のデラウェアです。
一房半残っていました。
翌日は酒を飲む予定だから食べないな 古くなっちゃうな、
との見解からです。

昨日酔って帰宅しました。
もうちょっと飲みたかったです。
寝る前に、焼酎のロックを一杯飲もうと思いました。
冷凍庫をあけて氷の箱を取り出そうと、一番上にあった葡萄の皿を取り出しましたら、
思いのほか酔っていたのか、手に力がなく皿を取り落としました。
すると床に落ちた瞬間に葡萄の粒が、パラパラパラと、一瞬で房からはずれて四方にはじけ飛びました。
凍っていて、それでいて粒が小さくて軽いのでそれは、
真珠のネックレスの紐が切れ、真珠があちこちに飛び散る様子とそっくりでした。
見たことのない瞬間を見た オーパ! と驚くと同時に、きれいで それでいてものが葡萄なので
そこはかとなく可笑しいのでした。

ただ心配なのは、あちこちに飛び散ったので、先ほども靴の中からひとつ見つけましたが、
このままどこかの隅で、解凍されやがて腐敗する運命にある葡萄粒めあてに小バエがわかないか、ということです。

ミートソース問題と、せんべい布団問題 に未だ結論づかず。
先送り。



2007年09月01日(土)  10000メートルとミートソース

九月になっちゃった。

世界陸上は、活躍する選手の出身国がオリンピックとかなり違ってて面白いですね。
今回はいろんな国のひとの顔をじっくりと見ました。
わたくしは陸上で一番面白いと思うのは、10000メートルなのです。
10000メートルって10キロだよ。
20分近くは大勢でトラックをぐるぐる回っているだけなのですが、
その間 位置取りをしたり、
タイムを上げたり下げたりして後続をゆさぶっているらしいけれども、
テレビではアップの画像がおおくて、またスピード感がわからないので、よくわかりません。
解説のひとがそう言っている。
このぐるぐる回りのあいだは、選手の顔や足の筋肉をながめて楽しみます。
そして9000メートル って9キロだよ、を超えたあたりから突然違う競技になったかのように、
スパートが始まるんだよね。
メダル圏内か、ギリギリ入賞圏内か、という選手の イチかバチかのロングスパートも大好きだ。
まだあと1キロ以上あるのに、自分の残りの足で勝負をかけるところに、
競馬の逃げ馬をみるようなドキドキを感じます。
でも、必ず一枚上手どころか、ぜんぜんレベルの違う選手がいるんだよね。
ラスト一周 ってすでに9600メートル走っているのに、
これは400メートル走か、ってくらいの速さを残しているひとが。
実況のひとはよく、
『ここでもう一段ギアが変わった! (とか) ギアが入った!』
という言い方をしますが、まさにそうなんですよ。
9000メートルすぎて、みんなギアを2速にあげ 最後TOPギアってかんじなんだけど、
段違いの選手は、その上にもう1速あったというか、むしろいきなりターボなかんじで、
最初から性能も排気量も違っていたように感じるのです。
でも機械じゃなくて人間だから、その他に比べて圧倒的な強さ速さにびっくりするのです。
すげー と単純に嬉しくなるのね。
たいていエチオピアのひとなんだけど。
なぜエチオピアのひとは5000〜10000メートルであんなに強いのでしょうか。
高地だから?
ケニアのひともかなり強いけれど、こちらも山岳で練習しているから?
とにかくエチオピアなんですよ。

このゾクゾクするラストのギアチェンジまではとにかくぐるぐる回っているのを見ているわけですが、
今回はアフリカのひとの顔をじっくり見ました。
エチオピアのひととケニアのひとは、骨格からして顔が全然違う。
エチオピアのひとの顔立ちは 男女ともに長めの頭をしていて、眉上の骨が張り出していて、
瞳が哀しげにみえる、みなアベベのような顔をしています。
ケニアのひとは、だいたい男女ともに小さな丸顔で顎がはっていなくて、目も丸くて小さめです。
ケニアといえば、背が高く手足の長いマサイのひとをイメージしがちだけれど、スポーツ選手にはそういう人はいません。
ケニアとナイジェリアのひともまた全然顔立ちが違う。
ナイジェリアのひとはもっと顎がしっかりしています。
モロッコのひとだともっと違って、アラブに近いかんじのいひとと、ベルベルな眉毛の濃いひとたちがいます。
ジンバブエ はもうないんだった。
南アフリカのひとは、アメリカのひとの顔立ちに似ているような気がします。
いろいろな出身の血が混じった顔です。

陸上は競技の間のまっている時間が長いので、ほかにもいろんな国の顔をみて、
違うな〜 みると分かるなあ〜 と思っていました。
中長距離が好きなので、今回はアフリカのひとの顔をいっぱい見たけど、
ヨーロッパでも、
ドイツとフランスは隣同士でもぜんぜん顔が違う。
ゲルマンとラテンというけど、先祖がちがうことがはっきりわかるくらい違う。
ドイツとイギリスも違う。アングロサクソンとはこういう顔か、と思うくらいイギリス人の顔って特徴がある。
スペインとポルトガルのひとも顔が違う。
ポルトガルのひとたちがみな持っている、寂しげな風情がスペインのひとには全然ない。
ロシアのひとも、ロシア顔ってある。

中南米は、たくさん血がまじっているので違いがわかりにくかった。
バハマとジャマイカとか、トリニダードトバゴ とかゼッケンつけてないと難しいね。
でももっとたくさん顔をみたらわかるようになるかもしれません。
あ、たくさん血が混じっていても ブラジルのひとは分かります。
日本と中国も顔だけだと難しいな。
髪型やしぐさ、なにより表情の作りかたが全然違うので違うことはすぐわかるけれど、
単に顔だけでは。


ああミートソースについて書く時間が・・・
次回。
でもどうでもいい話。


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