痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2006年10月31日(火)  中枢神経

たまに行く、安くて安くて冗談のようなイタリア料理チェーン店。
そう、あそこです。
でもあの雑なかんじがわりと好きだす。
哀しくも、従業員控え室の脇においやられた喫煙席で、
本を読みながら気楽に片肘ついて、
390円のミートソーススパゲティなんかを食べていたら、
隣にその男はいた。
ジャージを着たデブ。

わたしが席についた時には、すでに彼の席には空になったビールジョッキと、
目玉焼きだけ残したハンバーグの皿があり、
そして彼は、ペンネアラビアータらしきものを食べていた。

さすがデブだ、と思いながらも彼の顔色の悪さが心配だった。
どす黒い。そして息が荒い。確実に内臓が悪い。
けれど彼自身でなんとかしなければならないことだから、どうしようもない。

半分くらいミートソースを食べ、ドリンクバーを頼むかどうしようか迷っていると、
彼はベルを鳴らしてウェイトレスを呼んだ。
そしてメニューもみずに、
「ラザニア」
と追加注文した。
『まだ食べるのか。しかもここでラザニアか。さすがデブ。成人病 はすでになっているとして、早死に一直線だなー。』
なんて考えていたらウェイトレスさんは、
「すみません。ラザニアは置いてありません。」
とわたしの主観からすると冷たく言った。
が、彼はとくに慌てもせず、またメニューもひろげず、
「じゃ、ドリア。」
と言った。
ウェイトレスさんはまた冷たい感じで、
「ミートドリアでいいですか?」
と言い、彼はなにかボソボソと返答をした。
聞き取れなかったが、ウェイトレスさんの応答にびっくりした。
「2つですね。」

!!!
なにが二つなの?ミートドリアが二つなの?
これは見たい。
自分のミートソースは三分の一になっていたが、隣の肥満ジャージさんがドリアを2つ食べるところを最後まで見届けたい。
グッと食べるペースを落とし、成人病怖さからドリンクバーを頼むのはやめ、
おいしいお水を取りにいって、2つのドリアが到着するのを今か今かと待った。

が、ドリアは1つしか現れなかったのです。
わたしの聞き違いか?
でもその瞬間、彼はあきらかにあれっ?という顔をしました。
『同時に2つもってきても片方は冷めちゃうから、時間差で持ってくるのかな。なにかカラクリがあるとしか思えない安さの店だが、結構お客のことを考えているのか。』
そこで、ナプキンで口を拭い、わたしはお水を飲み煙草を吸いながら、
2つめのドリアが現れるのを楽しみに待ちました。

彼はあっというまに1つ目のドリアを食べ終わりました。
そして、じっと目を厨房の方にむけ明らかに次にくる何かを待っていました。
わたしも一緒に待ちました。
けれど、2つめのドリアはとうとう来なかったのです。
何分かたち、彼はもう一度ベルを押そうというようなそぶりを見せました。
けれどなにかがそこで彼を押しとどめたのか、
結局、ハンカチで顔の汗をぬぐい、ショルダーバッグを肩から斜めにかけ、
フーフーと荒い息をつきながら、レシートを持って会計にさっていきました。

今日は月末です。
彼はお給料日で、思う存分食べようとこの店にきたのでしょうか。
たぶんビールを入れても2千円くらいなはずです。
ドリアが2つ計上されていても、2400円くらいか。
でももしかしたら、毎日これくらい食べているのかもしれない。

半分以上面白がって彼を見ていたけれど、
なにを食べても、美味しそうにも嬉しそうにもみえないことや、
間違いなく帰りにコンビニで食べ物を買うであろう食べたりない様子や、
食べ方がきれいでないこと ガツガツしているのではなくて、口をもぐもぐさせている間スプーンやフォークで食べ物をネチャネチャいじくるのです。
健康をそこなうほどの食欲のストッパーになるものがない状態の人をみて、
また一人でものを食べる事の多い自分を振り返って、
少し怖い思いもしているのです。



2006年10月28日(土)  秋日記

実家のおしごとのため、帰省しました。
原付で15分です。
最近はタイヤが磨り減っているのか、横滑りする時があるので安全運転で20分です。

東京ではいま柿の実まっさかり。
たいてい庭木用のあまりおいしくない柿なので、誰もとらず、
あっちもこっちもオレンジ色でたわわです。
とくに道の角の家はなぜか、果樹を植える家が多いです。
もう十月も終わりだというのに、根性のある朝顔はまだ咲いています。
気温が低いせいか夕方になってもぱりっと咲いている。
根性のある朝顔は、やはり原種に近いのか、白い斑などはいっていない、昔ながらの紫の朝顔です。
夕暮れの低い日の光に映える 柿の実の色と朝顔の紫。
日本の色です。
ちょっとラグビーのシャツ的組合せでもあります。

ハロウィンは、テーマカラーがあのオレンジなところが受けたのだと思います。
同じかぼちゃでも、黄色や緑では駄目だったと思うのです。



2006年10月24日(火)  絶賛毎晩呑み中

しかし、本日は休肝日としました。
と皆に言って帰ってきたのに、うちで焼酎飲んでます。
昨日は、呑み足りなくて缶ビールを買って帰ったようです。
が、一口しか飲まずに、眠ってしまったみたいです。
枕元にタプンタプンに中身の入った、そして完全に気の抜けた
秋限定 とれたてホップ の缶がありました。
もったいない。
冷たい一口が欲しかっただけならば、第三のビール?でよかったのに。

ウコン様のおかげで、確実に酒量が増えています。
危険です。

カトレア読書会第1回『演劇』発表会 のお稽古が、平日毎日になりました。
全力で遊びたい。
稽古の後は、皆でお酒も飲みたい。
忌憚なく意見を交し合いたい。

とにかく、たぶんきっと大事なのは、睡眠だ。
よし寝よう。



2006年10月20日(金)  腰痛日記みたび

痛いようー 痛いようー
先代のは、生ゴムの寿命でちぎれてしまったので、
この秋、二代目生ゴム腰痛バンドを買いました。
通販で。
正直言うと、オークションで。
市価の5分の1のお値段だぜ、と喜んだのもつかのま、届いてみるとサイズが SS でした。
きつい、きついぜ〜。
でもゴムなので、無理やり伸ばす。
きつくてがっちり腰骨も安定。
11/30〜のお芝居のためにも、毎日グルグル生ゴム体操もしている。
お芝居の詳細は、[HOMEPAGE] のtopからどうぞ。

腰痛といえば、最近一番笑った、他人さまの日記より、ちょっと抜粋。

『あ〜、アシモ。この世で一番、腰痛を堪えて歩いてる人の歩き方よ! …ものごっつい親近感 (笑)。』

夢の人型ロボット。世界のHONDAよ。
人類の直立歩行がいかに生理学的に無理があるかまで証明してしまったね。



2006年10月16日(月)  ギャラン☆ドゥ

久しぶりにすごいものを見た。
新宿区の住宅街であった。
若い男の子が、長いショールのようなものを風になびかせて歩いてきた。
遠目でも、彼の重心がすごく低いのでジーパンを
いわゆる ズリパン で履いているのはわかった。
珍しくもない、もう十年以上も一部の一定の年齢の男子の定番の着こなしだ。
それにしても腰の位置が低い。
だんだん彼が近づいてくるにしたがい、わたくしの目は彼のウェストから下腹部に釘づけになった。
ズリすぎだ。
下着のパンツが10cmは見えている。
見せパンどころではない。
だってブリーフの前立ての、なんていうの? 出し入れ口まで見えている。
それにそれに、あのパンツからはみだした黒々とした地帯は、いわゆる秀樹のセクシー腹毛ではなくて、
まんま陰毛ではないか。
見せ毛!?
とうとうそこまで?

だが、彼はまったく人の目を気にしてはいない。
自意識のオーラを感じないのだ。
それによく見ると、ショールだと思ったものは、ただのシーツのようだ。
それもなびかせているというより、地べたに引きずっている。

ラリっている。
自らの心の平安のため、わたくしはそう結論づけた。
もしも見せ毛もファッションの時代がきたら、
わたくしは山奥に隠れ住みたい。



2006年10月15日(日)  いまさら報告

今日、香港からNY出張前に、ちょっとだけ帰国した旧友と上野の飲み屋で話していて、
(ほら、成田からスカイライナーだから)
「ほほう、日記での日常以外にそんなことを!」
と言われたので今更ながら書いておきます。

わたくしは、二十代前半からかれこれ十数年、
PC麻雀パズルゲーム 『上海』を一度も飽きずに続けています。
『テトリス』は、5年前に卒業しました。
以来いっさい、落ちゲーには手をだしておりません。
おかげで、夢の中で、だんだん早くなる凸や凹やほかの様々な正方形を組み合わせた落下物を
どこに嵌めたらいいのか や、
トロイカのメロディーが一日頭を離れない現象からは逃れられました。
しかし、『上海』は、もうすでに一人寝のお供です。
毎晩、もう寝ようかな〜 という頃に、ひと上海するか、とヤフーのオンラインゲームに接続です。
晩酌しながら、麻雀牌をひとつひとつめくっていく。
わたくしの一日でもっとも安らげる時間です。
たまに熱くなって、ひと上海が3時間ぐらいになると、やはり夢の中で牌をめくっています。
たいていほろ酔いでめくっているので、一向レベルアップしません。
4つの字牌をいっきにめくって高得点を得たい、という小金欲もあいかわらずなので、
そのせいでしょう。

もうひとつの報告は、
「地元にパン屋ができました!!!」
です。
先月できた駅前パン屋が、ダメーだったのでがっくりしていたら、
お風呂屋さんの隣になんだか世田谷とういうか杉並チックなパン屋ができていたではないですか。
花輪が新しかったから、もしかしたら日曜の今日開店かも!
明日いってみよう。
なんだかウッドデッキ的におしゃれで、フランス語でパン屋と書いてありましたから、
わたしの好きなドイツライ麦系パンはないかもしれないけれど、
美味しければ お仏蘭西のバゲットでも大歓迎ですよ。

次の実現はは本屋だね。
わが町開発計画を考える人達は、もしかしたらこの日記を読んでいるのか。
このカウンターからして、ありえない妄想ですが、気分のいいときに、
自分が世の中を動かしている!
と、ないない、と手を振りながらもうぬぼれるのは気持ちのいいことです。



2006年10月12日(木)  ぞうきん

どこの誰だったかは分からない。
けれど、自分では決してお金を出して買ったりしないものであるからには、
いつか、誰かにもらったものに違いない。
くれた人よ、すまない。
ものからして、なにかのお礼?

しかしですね、このピンクのクレージュのタオルハンカチほど、
床の埃や髪の毛をとりこぼしなくキャッチしてくれる布はないのですよ。
まさに雑巾になるために生まれたハンカチ。
もう3年も使っているよ。

はじめは、ハンカチだった。
でも、鮮やかなフーシャピンクの色も、でっかくクレージュマークが縫い取りしてあるのも嫌だった。
ハンカチのような、センスを問われるおしゃれ小物として持ち歩きたくなかった。
えへへ、センスというより単に好みだね。
そこで布に厚みがあるので、台拭きにした。
なんとなく、誰かにもらったものだし、ハンカチにしては高いだろうし、
あまり汚いものを拭くのはどうかと思った。
それで、キッチンのシンクを拭くためにハンカチから降格。
が、とても吸水性が悪かった。
これはハンカチの時もチラリと感じていたが、嫌いだったので使用頻度が少なく、
あまり気にならなかった。
が、水まわりは毎日なんどもビジョビジョになる。
拭っても拭っても水滴が残るのでは、台拭きとして失格だ。
降格。

とうとう床まで降りてきた。
ここに至り、わたくしはまだ躊躇していた。
クレージュのハンカチを雑巾にするのはどんなものだろうか、と。
ブランドの魔力だろうか。
ハマトラ・ニュートラの呪いだろうか。
しかし、生涯一度として女子大生ルックもOLルックもしたことがなく、
親友のかたみである、ヴィトンのバケツ型バッグも、
「似合わな〜い。」
と数人に笑われ、自分でもそう思うので、いまは押入れの中である。
生涯一度のブランドバッグでのお出かけであった。

ハンカチなんかどうせ日本でライセンス生産しているのであろうし、
だいたい今時クレージュがなんぼのものであろうか。
この心のわだかまりを捨て去るために、どうだ、とばかりにまずトイレの床を拭いてみた。
とことん、これ以上汚いところはない、というところに落としてみた。
すると、高級ゆえに、みっちりと目のつまった、
それゆえに吸水がよくなかったベルベットのようなタオル地が、
濡らさなくてもまるで化学雑巾のように、
一度拭っただけで、ばっちり埃や髪の毛をつかんではなさない。

すごい。こんな雑巾はじめて。
あれから3年。
狭いトイレだけではもったいない。
と、よく洗って干したクレージュ雑巾は板の間の台所になくてはならないものです。
お前むかしは、ブランドのハンカチだったんだよね、と話し掛けながらも、
わたくしの愛は、むしろ雑巾である今のほうが深く真摯だ。



2006年10月09日(月)  騙されてみた

昼間、ちょっとイベント会場のようなところに行ってみた。
そこにファストフードの屋台がいくつかあって、その中のホットドックの屋台の看板に心ひかれた。
「いままでソーセージは美味しくないと思っていた方に、騙されたと思ってぜひ食べてもらいたい!」
なんでもフランスの食品コンテスト (モンドセレクションのようなものか?)
で、3年連続で賞をとったらしい。
わたくしはソーセージは美味しいと思って生きてきたが、そこまでいうなら、と食べてみた。
しかし、そこはホットドックの屋台なのであった。
ソーセージは、まあ確かにスーパーのパックのよりも味わい深かったかもしれない。
しかし、パンに大きな問題があった。
まあまあ旨いと思えるソーセージを挟んであったパンは、その昔の給食のコッペパンのようであった。
変に、ほの甘くもあった。
しかも鉄板に少しのせただけで、生ぬるであった。
ケチャップもマスタードもコンビニでアメリカンドックを買うとついてくるメーカーのと一緒だった。
つまりホットドックとしては旨くなかった。
そこで、看板に怒りを覚えた。
ここはホットドック屋なのに、看板には
「いままでホットドックは美味しくないと思っていた方に、騙されたと思ってぜひ食べてもらいたい!」
とは書いていないのだ。
なぜだ!?
ソーセージとパンと調味料と焼き具合 があわさってホットドッグではないのか。
看板でソーセージだけを限定してお奨めしてなんの意味がある。
完成品に対する責任を放棄しているのではないか。
騙された。


しばらくムカムカと腹を立てていたが、特にパンの不味さをつらつらと思い返しているうちに、
小・中学校あわせて9年間も給食で不味いパンを食わせ続けた地元の製パン工場が
廃業したことを思い出し、すこしスッとした。
今思い返しても、ものすごく不味いパンであった。
わたくしは牛乳が飲めないので、ボソボソのパンが飲みこめず、
いつも半分以上、机に隠し家に持ち帰り捨てていた。
小売りもしていたが、あの時代でも地元では不味いと有名で誰も家庭用に買いに行かなかった。
近在のかなりの数の小・中学校にパンをおろしていて、社長一家は羽振りがよく威張っていた。
あれから、子供の数も減り、各学校で独自に給食をつくることもなくなり、
一括で給食センターからの配給になって、パンの入札ももっと大きなパン会社に取られたのだろう。
地元の政治家も代替わりして勢力図も変わり、癒着にも時効があったのだろう。
あんなに威張っていた社長の息子も跡を継がなかったようだ。
長い時間がかかったが、わたくしの9年もの長い間の昼ご飯の楽しみを奪った
いいかげんなものを作っていた企業は、
時代とともに消えた。

わたくしを騙したホットドッグ屋よ。
今はわたくしの小・中学校の頃とは、違う。
あの頃はお金のない消費者は黙ってでてきたものを受け取った。
あまねく皆と同じものなら、文句は言わなかった。
しかしホットドッグ屋よ。
本当に、自らのソーセージに自信と誇りがあるのならば、焼いたソーセージを売ればいいではないか。
それでは食事にならない、単価が低い、というならば、このソーセージで旨いホットドッグを作ろう、
と思えないのか。

食べものではないが、同じくものを作る家に生まれたものとして、
高度成長期→バブル→崩壊後→現在 と、なんとか綱渡りのように生き残ってきた中、
よそよりもいいものを作る、しかもう道はないのだと思うぞ。


イベントのメインだったクラフト展について書けなかったので、また次回。
ざまあみろ ○野製パン!



2006年10月07日(土)  頼りになる将門さま

嵐の次の日は晴天!
お江戸はそうきまっているの。
将門さまに守られているから。
と、おなじみの母の談ですが、関東大震災や、東京大空襲は、母の中ではどうなっているのでしょう。
わたくしも年上の女性にそこまで突っ込むほど、尖がったところはなくなりました。
「そうかもね。」と言ってあげられるようになった!
それから、母は家康は嫌い、と発言しておりました。

天気がいいので、今日は上野のお山散策。
テーマソングは、母校の校歌です。

♪ 過ぎし時代にとなえつつ  新しき世にささげたる
   若き時代の香に匂う    いにしえ江戸の鎮めの地
   東叡山の丘の上      そそりて建つは我が母校〜

我が母校には野球部がなかったので、残念。
この曲はものすごく勇ましいマーチなので、甲子園の空にはえたでしょう。
イントロで、盛大にシンバルをジャンジャン鳴らし、ラッパも吹きまくり、
小太鼓が、タン タン タン タン とリズムを刻み、
血沸き肉踊る 元旧制男子校らしい校歌です。
でも曲調は、唱歌 「花咲かじいさん」 に酷似しています。
同じ譜割りで歌えたはずです。
元素記号を覚えるのにも役立ちました。

♪ 水兵リーベ僕の船〜

というアレです。
でもこの先思い出せない。
が、元素記号なんか今まで何に使ったこともないので、いい。
一生懸命考えたら、♪なんとかシップスクラークか、のフレーズも思い出しました。
しかし、対比する記号がぜんぜん出てきません。

不忍池では、トンボが乱交パーティーでした。
楽しそうだ。
わたくしはいつも一人で遊んでいる。
日記ではそうとしか思えないでしょうが、たまには友達とも遊んでいるよ。
誰かと共有した時間は、お互い語り合って楽しさを思い出せるから書かないだけだよ。
強がりじゃ・・・



2006年10月06日(金)  グラタン

一日激しく降りましたね。
階段を上がって地下鉄の出口、まだ雨は強い。

そうだ、こんな日こそグラタンだ!

思いついた自分えらいぞ。
そこで寄り道して、例のお気に入りの洋食屋さんへ行きました。
この天気で店はガラガラ。
でもおかげで、いつもの混み具合ならば、きっと注文から30分はかかるであろうグラタンが20分で出てきたよ。
その間、グラスで生ビールを飲みながら、ラックにあった今朝の新聞など読んで待つ。
来た。来ましたよ。

コレだー!!!
幼いわたくしが両親に連れられて訪れた街の洋食屋さんで初めて食べたグラタンに激似!
こんな美味しいものが世の中にあったのか!?
と四歳児に激しい衝撃を与えた食べ物。
それがグラタン。
生まれて初めて、ホワイトソースというものを食べたんだよね。
バターを使った料理も。
今の自分には、こんな濃い食べ物は半年に一回でいいと思いますが、
イメージはあの頃のまま。ほっぺたが落ちるくらい美味しいもの。
だから、深夜のファミレスなんかでたまに無償に食べたくなって、
そのあまりの不味さ、いいかげんさ、にうんざりするどころか腹が立って、
でも半年後の深夜にまた無償に、を繰り返してきた哀しい食べ物。

この洋食屋さんのおかげで、そのトラウマがすべて解消しました。
やっぱり、本当にあったんだな。ちゃんとしたマカロニグラタンが。
失われたものの思いでを日々より美しく再構築していただけではなかったのだ。
よかった。
また2月頃、うんと寒い時期に食べにいきましょう。


マカロニグラタンといえば、amiの葬式の夜に食べたよな。
全部おわって、静かになった家で、amiの家族と私とeちゃんとで、
大好きだったという洋食屋さんの、本当は出前をしないところをお願いして、
グラタンとハンバーグとあとなにを食べたっけ。
ビーフシチューだったかな、チキンライスだったかな。
とにかく、好きだったものを全部頼んだので、ボリュームもあり5人では食べきれないくらいすごい量だった。
みんながんばって、たくさん食べた。
もう話すこともあんまりなくて、静かな晩餐だったよね。
その時のマカロニグラタンも、まさに
コレだー!!!
なグラタンだった。少し冷めていたけどそれでも美味しかった。
でも悪いけど、すぐに吐いちゃった。
だって朝から、というか前の日もその前の日も、ろくにものも食べず、
献杯、献杯また献杯 で、お酒をガソリンにして動いていたから、
いきなりのホワイトソースとデミグラスソースに胃がひっくり返ってしまったのだ。
許せ。



2006年10月04日(水)  不精

今日のご飯は、チーズとトマトとバジルのオムレツ。
生クリームのかわりに牛乳を入れたら、ゆるゆるで固まらず。
そのまま皿にスライドして柳川鍋のようにしていただきました。

とうとう使っっちゃった。 いただく!

それからタイミングを逃して、食べ損ねていた、天然酵母パン。
それはそれは堅い。
これも顎のためだ、と観念して2枚ほどモグモグモグモグ噛んではみたのですが、
挫折。
ミルクコーヒーにひたして食べました。
これがまあなんとも、食べやすいのです。
さっきまでのゴム的な歯ごたえはどこにいったんだ、というくらい水分をすった粉モノに変身。
パクパクっと食べてしまいました。

フランスのひとが、毎朝 パンをカフェオレにひたして食べていたのはこれか。
朝から堅いものモグモグ噛みたくないよね。
昨日の残りのフランスパンもこれならパクパクっとフレンチトーストのように食べられますよ。
でもアメジカ人が初めから柔らかいドーナツを必ずコーヒーに浸して食べるのはなぜなのか。
やつら歯がないのか。 
とお約束的に、差別的偏見もいれておきました。
ほんとはフランスの人も柔らかい菓子パンも浸しています。
昔の日本のばあさんは煎餅をお茶に浸して食べていた。
これは歯がないから。

昨夜、ゴミをだそうとしてゴミ箱からセットしたゴミ袋が抜けず、
むかっ腹を立てて袋のふちを持って振り回したところ、
ゴミ箱が持ち上がって、そのまま足の親指の上に、斜めに落ちました。
ピンポイントで親指だけに当たりました。
プラスチックのゴミ箱の重さなどたいしたことはないと思ったのに、
振り回して勢いのついた速度と、当たったのが点であり面でなかったことから、
その衝撃はそうとうなものでした。
爪が内出血で、真っ黒になりました。
数分は痛さに無言で飛び跳ねていましたが、それでも右手はゴミ袋を離しませんでした。
ゴミが飛び散らなくてよかったです。
飛び跳ねながら、
「今度からは、左手でゴミ箱をしっかりと押さえて袋をひっぱるぞ。絶対に。」
と心に誓いました。



2006年10月01日(日)  発掘品

今日は、『 コーヒーの日 』 なんだってさ。
ふーん。

最近、隠れ家キッチンから、いつ購入したのかかいもく見当のつかない
シナモンパウダー が発見されました。
古い胡椒のビンだと思いこんでいて、手にとってみることもしなかったので、発見が遅れました。
なんのために買ったんだろう。
リンゴでも煮てふりかけようと思ったのかしら。
それとも、みの が身体のどこかにいい と喧伝したのかしら。

少なくとも香りは残っているので、最近コーヒーにふりかけています。
身体が熱くなっていいよ。
健康のために体温をあげようと思っているので、身体が熱くなるものは皆 大歓迎だ。
身体が熱い 汗をかく が、体温をあげる に繋がっているのかは不明。
ま、雰囲気。
そんな気になる。


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