彩紀の戯言
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2001年03月31日(土) はな*はな

うほほ。
誕生日も近いので服を買ってもらい夕食はもちろん外食。
当然?ビールが飲めるとこ!

『家族の者』のお腹の調子がいまいちくんなので焼き肉は断念して
今日は「アジアン食堂」とかいうサブタイトルの付くお店へ初来店。

食事はそこそこ。
素敵なのは料理に必ず生花が添えられていること。

山茶花に椿。菜の花に・・・・え〜、後は名前がわかりましぇん。
とにかく季節の花がもれなく付いてくる。
全部持って帰りたいくらいだったよ(笑)。


花と言えば。
先日、実家に行ったのだけれど・・・・。
すっごぉぉぉい!春まっさかり!

なにしろ小山を超えねばならんので自然がいっぱい。(あまり自慢にはならない(^^ゞ)
自然じゃなくても通り道には公園があったりして道沿いにもいろいろ植えられている。
この時期だけのお楽しみ(*^^*)。

実は「我が家ー実家」ルートは、結婚前の通勤ルートとほぼ同じ。
つまり結婚前はこの時期、望まなくても毎日「春爛漫」を味わっていたのだ。
今思えば贅沢な話。


一番すごいのが枝垂れ桜で、遠方から来る方もいらっしゃるらしい。
そんなことを知らなかった私は母に枝垂れ桜を見せたくなって
ある休日にそこへ出かけようとしてしまった。

もちろん、とんでもなく渋滞。推定2km。・・・うげっ。
泣く泣く引き返し(いや、私は泣かないけど)
母は未だにこの桜を見られないでいる。今年こそは平日に・・・。

あっ、枝垂れ桜は普通の桜?の少し後に咲くので。
今はちょっと気の早い木が花を咲かせているの状態。

その枝垂れ桜は公園の入り口付近の道路の両側に植えられ
公園内も枝垂れ桜だらけである。
春以外は何が見物(みもの)か判らないほどの量なのだ。

まぁ、フルーツパークだからいいのか・・・。



桜を見ると必ず思うこと。

「若いときは桜の開花なんて気にもしなかったなぁ。」

幼稚園の時は「大きくなったら花屋さん」とか書いたけど
みんなの真似をしてみただけ。というか、何も思い浮かばなかった・・。

話を戻して・・。
特別に花が好きだったわけでもないから
春は誕生日とクラス替えのことしか頭になかったのだ。

それがいつの間にか梅の花を見て「春だねぇ」。
桜が咲き始めると、なんだかわくわく。
桜が散り始めたら、気持ち的には狂喜乱舞。

桜散る散るが大好きなのだ。
コロコロと道路を転がる花びらもいとおかし、
桜吹雪なんて大歓迎。

ビール片手ならさらに良しとされるのは言うまでもない。

だから春の雨なんてモノはもってのほかである。
「濡れていこう」なんて気分には絶対にならず
雨で桜が散ってしまわないことを真剣に毎年願っている。


あっそうそう。(また話がそれてしまった。)
歳を重ねるということは、今まで見えていなかったモノが見えてきたり
見えていても気づかなかったモノを感じるようになたっりすることなのかなぁ。

と、思う次第。

決してビールを飲む口実(花見)を探しているのではない。たぶん。



さてさて、今日は食事の後カラオケをして
ライトアップされていない桜を見にドライブまでしてもらった(*^^*)。
ほくほく気分で帰ってきて私たちが見たものは・・・・。

「アジアン食堂」の割引券の付いた広告。
しかも、全メニュー15%OFF。がーん。

お店では1000円食事券のかかったじゃんけんにも負けた。
メニューには「誕生日の方に素敵なプレゼント!」と書かれていた。

そう。私の誕生日は4月1日。

歳をもう一つ重ねていれば、今日見えないモノも見えていたはずなのだ。
今日気づかないことにも気づいたはずなのだ。

おそらく、じゃんけんにも勝っていたに違いないっ!!


2001年03月25日(日) 甘い想い出。

恋愛は片思いの方がどきどきする。

こんなような書き込みを読んだ。
・・・そうかもしれないなぁ(遠い目)。


幼稚園。この時期、恋愛には目覚めなかった。
最近TVで「ちゅー」してる園児を見るけど・・・。
時代は変わったのねぇ。

男の子の顔なんて誰1人として覚えていないのよ。
同じ小学校に通った子がいなかったからなおさらかもね。


小学校。う〜む。4年生ぐらいになるのかなぁ。
いわいる初恋っちゅうヤツは。

この時期から席替えはどっきどきのイベントと化した。
同じグループなら言うことなし。

その想いが報われない場合は御仁よりも斜め後ろの位置を希望。
授業中に眺めていても問題なし!(ほんと?)
当然最悪なのは御仁より前の場合。なんも見えんではないか。

この頃はかわいかったねぇ。えへへ。
話す機会なんておとずれちゃったらさぁ大変。
心臓ぱっくんまっくん。(←主婦しかわからんじゃろ)
じゃなくて、ばっくんばっくん。

緊張しすぎて心にもない言葉が口から勝手に。
あうぅ。誰か止めてぇ!ビリーがぁぁぁ。


中学校。この頃もかわいかったぞよ。
クラスが違ってる場合は廊下でどきどき。
通学途中で巡り会える可能性の15分もどきどき。

ちなみにこれは私の通学時間の半分に相当。
往復1時間かぁ。スマートだったはずだわ。

夏休みは部活動の練習日が重なっていないか入念にチェック。
でもプールとバレーコートじゃ会えませんがね。
その虚しい努力がまた良いじゃないの。

たまたま同じ塾だったから別の努力も実行。
なにしろ成績順にクラス分けがされる塾。
同じ様な成績になれば勉強意欲も急上昇!

いつかは同じくラスにぃぃぃぃ。
という間違った目標も役に立ち、とりあえず両親が喜ぶ高校に入学。

したんだけど・・・・。塾で同じくラスになるのは不可能だった。
なにしろ御仁は学年トップ。そりゃ無理だ。

もひとつおまけに同じ高校に通う夢も桜散る散る。
っつーか。この頃にはその御仁を目で追っかけてはいなかったような・・・。


中学時代に一時(いっとき)憧れていたこの御仁。
中学生だというのに超美形だった。
にもかかわらずあまりモテテいなかったのはちょっと変わり者だったから?

う〜ん。確かにあの頭脳はその方面で活躍しなかったそうで
御仁は芸術系に進んだと風の便りに聞きました。

そしてその風が吹いた頃。
私は偶然にも御仁を見かけたのですが・・・。
あら、やだ。大学生なのに妙に老けていらっしゃる。

若い頃に美形ということはつまり老け顔?


甘い想い出は淡い記憶の中だけに。


2001年03月23日(金) 曖昧キライ。

桐野夏生さんの小説を読んだ。

ベッドの中で読んでいたのでおかしな体勢になってしまい辛い。
でも、「もうすぐ犯人が・・・どきどき、わくわく。」てなカンジで読み進んで5時。
チチチッ!外が明るいよ・・・。

がっ!私にとってはどうも納得がいかないラストだった。
つじつまが合わないとかそういうことではなく、
犯人が判らない・・・・。んが。

たぶん犯人(真実)の追及ではなく、
人間の心理描写や感情の変化を描きたかったんだろうけど。
犯人を言及して欲しかったなぁ。

私はストーリーだけを追っかけてどんどん読み進んでいくタイプ。
読書好きの方には怒られるかもしれないけれど。しょうがないやっ!
だって、早く結末が知りたいんだもん・・・。

自分で購入した本なら2度3度と読み返すこともあるけれど
借りた本は1回こっきりしか読まないので
消化不良のまま返却なんてこともあったりして。

作者の方が聞いたら怒るだろうなぁ。
でも、文庫になってから購入する作品もあるんですぅ。
晴れて購入した暁にはじっくり読んでます。


「ラストは想像して下さい」タイプはたぶん苦手。
もともと誰が犯人であってもいいように描かれているのかな。
それとも読者の洞察力が試されているのかな。

私自身に想像力が足りないからイヤなのかも。

あっ、ミステリー系を好んで読むんです私。
でもその他のジャンルでも「想像ラスト」はイヤだろうな・・・。


ドラマも然り。
先日「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」の最終回だったんだけど
賛否両論すごいのなんのって(笑)。特に哲也。

あんなに物議を醸しだした最終回は滅多にない(笑)。
どうせなら哲也のその後は曖昧にしてみなさんの想像にお任せ。がよかった・・。
という意見があったのだけれど。私的には「ノー」。

脚本家の好みであれ価値観であれ、なんでも良いからラスト(その後)を
見せてくれてよかった。納得行く行かないは別の問題。
もしラストをきちんと描いて貰えなかったら私の場合3ヶ月が徒労に終わる。


ドラマも小説もラストまでの流れを楽しんでいるのね。私って。

だから原作を読んでしまうと映画やドラマの面白さが半減するんだぁ。私って。

いま、わかったよ。なるほど、なるほど。


2001年03月18日(日) はるぅぅぅぅ!

春を感じるとき。


寒がりの私が車の暖房をOFFにしたとき。

私ではなく『家族の者』の鼻がグズグズし始めたとき。

勝手に生えてくる庭の「ふきのとう」が開き始めたとき。

「ぷるるんゼリー」の粘度が低くなり、にゅるる〜とたくさん出たとき。

ぽかぽか便座の温度を少しだけ下げたとき。

『家族の者』の会社で人事異動が発表されたとき。

買ったことはないけどスーパーで「菜の花」が売られているのを見たとき。

「鍋料理」の回数が減ってきたとき。

草むしりをやってみようかなぁと思ったとき。

おいしそうなヨモギ餅を見たとき。

冷凍庫の奥の方にお正月の割れたおもちを発見したとき。

お風呂を沸かす時間が短くなってガス代が安くなるなぁと思ったとき。

指がむくんで指輪がきつく感じたとき。


誰からもお花見に誘われていないのに桜の開花予報を見ているとき。


2001年03月16日(金) つぶやき。

<手数料>

ヤフーで本の注文ができるんだねぇ・・・。
知らなかったよ。便利だなぁ。

「コンビニでの受け取りなら手数料無料」なぁんて書いてあるから
「こりゃ、便利じゃぁぁぁん」と思ったら・・・。

セブンイレブンのみ・・・。

あのぉ・・・。近所にないんですけど。
セブンイレブンって関東周辺なのかな?

近所で売ってないCDや本を名古屋駅まで買いに行くとき、
ガソリン代と送料とどっちが安いかいつも悩むよ。

あっ、本屋とCDショップで注文すればいいのか(^^ゞ。



<toto>

totoで1億円が出た売場に長蛇の列ができてるんだって!!

???totoって自分で予想するんでしょ?
どこの売り場で買っても一緒よねぇ(笑)?

あん?縁起をかつぎたいのかな?

ふ〜ん。どうせ、あたしゃ、夢のない女ですよ。



<ミール>

え”?宇宙ステーション「ミール」が日本上空を通過するかもしれない40分間は
屋内にいた方がいい!ってか?

万が一、上から落ちてきても屋内にいれば助かるの???
けっこう大きいモノだと思うんだけどなぁ・・・。

ん?そういう意味じゃないの?


2001年03月15日(木) 八方美人。

自分が管理しているファンサイトでちょっとしたトラブルが起きた。


プライベートについては書き込まないで欲しいと掲示板の入り口に書いてあるのだけれど
そんな但し書きは読まないのか、親切心?からなのか、
わざわざ書き込んでくれる方がときどきいらっしゃる。

明らかに悪意が感じられる場合や、どなたかに迷惑がかかってしまうことが確実な場合は
サクッと削除してしまうのだけれど
「微妙」なニュアンスを含んでいる場合は悩んでしまう。

今回のトラブルは私の削除の判断が遅かったために起きてしまった。


私の中で削除の判断基準が確立されていなかったことを思い知らされたと言ってもいい。
「キレイごとばかりを言っている」と言われるのがイヤだったのか、
プライベートに関する書き込みの判断が曖昧になってきてしまっていたのだ。

ただの噂だと思われるような書き込みや、
勝手な思いこみのような書き込みをされた場合。
実名本人に迷惑がかかるかどうかが判断基準だったので
その危険性は無いという考えが私の削除の決定を遅らせてしまったとも思う。

掲示板の意図を理解して書き込んで貰っても、少々行き過ぎた書き込みがあった場合
削除という行為を実行してしまえばその人の意見を全て否定することになってしまう。

削除した後に「なぜ、削除するのですか?」などと、
書き込まれることがイヤだったのかもしれない。

正当な理由があれば反論するのは簡単だけれど、
管理人の反論というのは「絶対的」になってしまう可能性が高い。

「微妙」なニュアンスの書き込みに対しては削除の理由を伝えにくいのだ。
多数決を取るわけではないので私以外の人がどう思うのかが判らないからである。

管理人の意見を優先すればいいではないか、と思うかもしれない・・・。
そう。そうなのだ。そう思えればことは簡単なのだ。

しかし・・・。性格的な問題だと思うのだけれど、私は打たれ弱い。

第三者的な立場で存在しスムーズにことが運ぶ方を選んでしまう。

たかだかファンサイトである。
いらぬ心配かも知れないが、アクセス数が増えるごとに
危険レベルが上がっていくような錯覚に陥ってしまう。


今回はアクセスしてくれるファンの方を傷つけてしまった。

私は応援している俳優さん、プライベートな情報に挙げられてしまったタレントさん、
また、プライベートな情報でなくても話題に取り上げられたタレントさんなど、
名前が上がった方々の迷惑しか考えていなかった。

その書き込みを読んでしまったファンの方々の気持ちを思いやることができていなかったのだ。

タレントに対する想いというのは人それぞれ度合いが違う。
私のように母親的な感覚のファンから彼女の存在すら許せないという方までいろいろ。

当然、掲示板の書き込みやインタビューなどの受け取り方にも違いが出る。
つまりは管理人の基準で物事を測ることが正しいとは言いきれないのである。



サイトの方向性を再確認するときがやってきたのかなぁ・・・
今までだって線引きはしてきたつもりなんだけど。

誰も傷つけることなくファンサイトを管理していく道具ってないかなぁ・・・。
「八方美人ものさし」とか・・・。


2001年03月08日(木) 女性と土俵。

今日は辛口かも。不快に思った方がいたらごめんなさい。

最近のニュース。
「太田知事、今年も大相撲の土俵に上がれず」
春場所の優勝力士に送られる大阪知事杯を直接渡すことを協会側に拒否されたというもの。

つまり女性だから。土俵の上は女人禁制。
「相撲の伝統を守りたい」のだそうだ。


この話題は去年も取り上げれらていた。
「宝塚だって女だけの世界なんだから、男だけの世界があっても良いではないか」
という意見を去年見たのだけれど。

論点がずれてる気がするのは私だけだろうか?
女性が相撲部屋の門を叩きたいと言っているのではない。
知事として女性が土俵に上がれないことは宝塚に男性がいないことは違うと思うのだ。


そもそも「女人禁制の伝統」は何から来ているのだろう?
詳しいことをご存じの方がいたら教えて下さい。

土俵は神聖な場所だから?
つまりは女性は汚れているということだろうか?
たしかに昔言われていた。生理があるから・・・汚れている・・・。

が、21世紀にそんな理由を持ち出されても納得できない。
ただの女性差別である。


なぜ女人禁制という伝統が生まれたのかを
説明しなければ納得できない人は多いと思う。

「伝統だから」の一言で済んでしまうとはさすが協会。
黒い噂が絶えない世界・・・・。理事の力は大きいか・・・。


それとも説明できない理由があるのだろうか?
もし上記のような理由で女人禁制になったのなら説明できないだろう。
説明したら「女性差別だ!」とヒステリックな声が飛ぶのは明らかである。


どんな思惑があるにしろ今回もサクッと身を引いた太田知事に拍手を送りたい。
金切り声を上げて「土俵に上がらせて欲しい」と叫んでも有権者には何の特もない。

いっそのこと知事杯なんていう名称を変えてしまえばいいではないか。
太田知事の任期中は「副知事盃」にします、みたいな。
協会は損した気分になるだろう。

私は「土俵の上の男女平等」を願っているわけではない。

今後10年20年と経てば同じことが繰り返される、むしろ増えるに違いない。
女性が男性社会と言われていた政界にどんどん進出するだろうから。

その時どうなるのかに興味があるのだ。

女性の総理が誕生したらどうするのだろう?
女性の天皇が誕生したらどうするのだろう?

お二人が土俵の上に上がる方なのかは知らないが
そのときも「伝統」を盾にするのだろうか?

結果的にではあるが
スカートの中に手を入れたセクハラおやじを土俵に上げてしまった協会。
そんなにも大切な伝統が汚れなかったかが心配だ。

たかだか(失礼!)盃を授ける人間の性別である。
机の半分に線を引き「おれの陣地!」と言っている子供と同じに見える・・・。


2001年03月05日(月) 彩紀虫。

「人生やり直すとしたら何歳ぐらいから? その理由は?」

『おねえさんへの100の質問』の中の一つ。
↑私のHPのプロフィールの中に置いてあるヤツです。

「特にないから、たぶん今で満足。」なぁんて答えている私。

やり直すと言うことは今の価値観を持っていけるわけではないだろうから
きっと同じ人生を歩んでしまうだろうという理由が一つ。

もう一つは・・・。
もう一度味わいたいほどの素敵な人生が過去にあったわけじゃないし
やり直したいほどの人生があったわけではないから。

過去がとっても悲惨な人生だったわけではないです。
今がとっても充実しているというのでもありません。

人様に自慢できるような人生ではないけど自分ではある程度満足しています。
自分の中にある階段は一段ずつ上っているつもりの私。

だからたぶん今の人生で満足。


後悔はいっぱいします。でもいいんです。
後悔するから一段上れるんです。

でも、「あの頃は楽しかったなぁ」とは言わないと思います。
それを言うときは階段を『下っている』ということだから。

きっと下っていることを認めたくないんだと思う。
「あの頃は楽しかったなぁ」と口にしないことで『上っている』と思い込んでいるのかも。


性格なんでしょう。
物忘れが激しいからイヤなこともすぐに忘れちゃうし。
面倒くさがり屋だから悩む期間が短い。できるなら即解決。


今は暇ですよ。
でも、人生の夏休みだと思っています。
こんな贅沢な時間の使い方ができるのは今だけだと思うとニコニコ気分。

数年前の私だったらきっとこうは思えない。成長。

数年後の私は今よりも忙しいかもしれないけど一段ぐらいは上にいるはず。成長。



最近の彩紀虫はちょっと動き始めました。もうすぐ春だから?
啓蟄だっけ??でも、雪が降っててメチャクチャ寒かったので
今日だけはコタツ虫に戻りました。さむっ。


2001年03月03日(土) 十人十色。

ぶっちゃけた話。三十路の私。
日記友達さんが30代って自分が確立されているという日記を書いていた。
うんうん。実感。

自分もそうだし他人もそう。

30代になったから確立されているのではなくて、
生活が落ち着いている人が多いので変化をあまり望んでいない様な気もする。

20代だって自分を持っているけど、
人生の変化に伴いなにかしらが変わっていくことが多い。

う〜む。友達さんと同じこと書いてる・・・。

三十路で結婚3年目、子供無しの専業主婦。
恐ろしいくらい臆病になっている自分がいた。

未経験から発生する臆病は
お尻を叩かれれば乗り越えられることもある。

乗り越えられたら嬉しくてお尻を叩いてくれた人に感謝。
でも、やっぱり少ないけど。

違う臆病も私の中に巣くっている。

年相応の人生経験をし危険回避の方法も自分なりに身に付けていて
知っているからこそ、臆病になる。自己防御。

でも臆病は臆病。ダメダメくんに映ることもあるらしい。
無理もない・・・。

私の臆病はどんどん肥大し、延長線上の危険でも何でもないところでも臆病になる。
しかしこの場合はいくらお尻を叩かれてもダメ。


人の体験は皆同じじゃない。
いろんな人生があっていろんな臆病があっていろんな価値観がある。

人の数だけ価値観がある。
自分とすべて同じ価値観の人はきっといない。

だから人間はいろんな意味で面白い。

こんな簡単なことを理解するのに30年もかかってしまった・・・。


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