note
DiaryINDEX|past|will
いやあ、今週は全く更新できなかった。 ちょっと客足も落ち気味になってしまった。 待っていてくださった方々、ほんとごめんなさい。 掲示板のほうにちこっと書いたように、先週の土日は休みが2日とも 潰れてしまい、あわただしい週末だった。
体調の方はいまだ万全とはいえない状態。 まだまだはやっているみたい。 けれど、最近、精神的にいい状態が続いているせいか、 調子は大分いい。早起きも出来て、授業にも珍しく ほぼすべて出れた。「病は気から」を実感した。
今週は体調のこともあって、早めに大学を切り上げる日も あった。そんな中、自分の腐りきった精神を立ち直らさせてくれた ことがいくつかあった。その1つが水曜日の母方の祖父へお見舞い。
「夏休みに遊びにきてくれ」と言われて「行くよ」と返事を しながら結局いけずじまい。秋になってからも何度も誘ってくれた のだけれど、予定が合わなかったりしていけなかった。 そして、思わぬ形でじいちゃんと会うことになった。 じいちゃんは2年前くらいからいろんなところの手術を したりして、あまり調子はよくない。 久しぶりに会うじいちゃんはなんだかとってもちっちゃく見えた。
「調子はいいよ」と言うじいちゃんの目はやっぱり寂しそうだった。 そう言うじいちゃんをみて、なんとも言えない気持ちになった。 不覚にも涙が出そうになる。けれど、御見舞いした側がそれでは 本末転倒だし、一番悲しいのはじいちゃん本人なのだから 何とかこらえた。別に命に関わる病気ではない。けれど、 すぐに退院が出来るわけでもないようだ。
病院に入った途端にいつまで経っても慣れないあの独特の匂いが 鼻を突く。医者や看護婦さんは笑顔で明るい声を患者さんに掛ける。 けれど、やっぱり病院というのは特殊な場所だと思う。 そこは社会からは隔離され、人はベッドにしばられて 「健康」だとか「自由」の大切さを痛感する。
わずか15分ばかりの面会。 何を話したらいいのかわからず、当り障りのないことを冗長に話す うちに時間は過ぎ、面会時間の終わりが来た。 最後に「またあの店の焼肉食べに行こうな」とじいちゃんが言った。 怠惰に過ごした夏休みの事をこのときほど悔やんだ事はない。
励ます言葉を掛けなきゃいけないのはこっちなのに それすら言えずに、逆に励まされてしまった。
肝心な時に何も言えず、自分のふがいなさを痛感した。 とにかく頑張ろう、平凡だけれど、ただ、そう思った。
どれほど心に残る言葉を語るのにも、 それにふさわしい時間、場所、そして相手が 必要だと感じている。
今日の掲示板でも引用したサッカーの中村俊輔の言葉。 あまりに大きすぎる意味が沈黙に込められていた。
言葉は安売りするものでもない。
僕はこのHPできれいでうまい日本語の使い方を 練習しているつもりなのだが、そう簡単に上達できる ものでもない。はっきり言ってこの欄は日記じゃなくて ただの雑文だし・・。すみません。
自分の日記などを読み返すと、 自分の文章には「〜けれど、〜」と いった書き方が多い気がする。
自分の書いたものをあとから読み返すと 恥ずかしくなることが多い。 これはどうやら自分だけの事ではないようで、 学者なんかでも自分の若い頃の論文なんかを読むと 「穴があったら入りたい」なんていう人が多い。
この欄も2ヶ月近く続けているけれど、 最初の頃に書いた日記を読み返すのは 恥ずかしいものだ。
言葉は一人歩きをしてしまう。 話し手と受けてで取るニュアンスは大分違う。 特に相手の表情が窺い知れないネットを介した 文章には本当に気を使う。
沈黙で表現できる言葉を話せるようになりたい。
2000年10月13日(金) |
サヨナラダケガジンセイジャナイ? |
ここのところ調子がよくない。 今日も大学へは行けず、布団のなかで一日を過ごす。 予定や約束がいっぱいあった日なのに、 個人的な理由でたくさんの人に迷惑をかけてしまった。 薬でずっと眠っていて、起きたのは21時頃。 電話の留守電メッセージはフルになっていた。 本当にごめんなさい。
後期が始まってから満足の行く体調で過ごせた日が少ない。 原因を考えてみる。 夏からの疲労の蓄積、気候の変化、生活リズムの乱れ、 モチベーションの欠如・・。
いろいろ考えられるし、そのいづれの原因もある程度は 当たっているのだろうけれど、自分自身思い当たるのが 気合が入っていないんじゃないかということ。
精神論に話を持っていくことは好きではないし、 そこで議論は尽きてしまう。 ただ、今の自分に決定的に欠けているものは 精神力であると思う。 来週こそは!
****************************************************** 先日、久しぶりにある人と話をした。 その人は僕が以前、「サヨナラダケガジンセイダ」 とここに書いた日記を読んでいてくれた。 曰く「おじゅんにはもう少し強くいて欲しいなと思った」
人は別に精神的に強くなくてもいい。 僕は自分の弱いところを話すことができる方が精神的に強い と思っていたが、それを踏まえた上で、弱いところを語らない というスタイルがあるのかもしれない。
その人は「確かに出会いと別れの数は同じだけど、重みが違う」 言った。それはその通りだと思う。出会いはふとした きっかけから始まることが多いから。
ただ、あの文章で僕が言いたかったのは人間は本質的には 孤独で、出会いを求める生き物だって言うこと。 なんか陳腐な言葉になっちゃった。 ただ、物事が陳腐になるのにはそれなりの合理性があるから とはある先輩の弁。僕はこういう風に「本質的に」って 断言することはあまりしないんだけど、 このことに関してはそう思う。なんとなく。
僕はそのことに悲観しているわけでもなく、 かといってそれを無理に隠そうとは思わない。 けれど、そのことを知っておくことが大切なような気がしている。
それから、前も言ったけれど、このことは別に恋愛云々 とかいった話に限ったこことではない。 先生や友人、先輩、後輩全部含めてのこと。 最近そういった人たちの出会いに感謝することが 多かったから書いてみた。
浮いた話題が提供できずすみません・・・。
せっかくの連休なのに風邪をひいて思うように過ごせなかった。 急に寒くなってきたからか、周りにもチラホラ風邪ひきさんがいる。 皆さん気をつけましょう。
そんなわけで、この連休はアルバイト以外はグダグダと過ごしていた。 そとにでる気力もなかったので、HPを更新してみる。 うまく写っているかな?
部屋にいるときに音楽をかける。 久しぶりに昔のテープなんかもかけてみる。 今はテープなんて使わなくなった。 MD、CDやMP3が当たり前の時代。
小学6年の頃から、エアチェックして録音していたテープを 一通り聴いた。そういえばあの頃はチャゲアススが流行っていた。 すごく懐かしい。
歌に流行り廃りはあるけれど、その曲を聞けばその頃の事が 思い出されるような曲がある。 その当時擦り切れるほど聴いていた曲とともに、 切なくなってしまうような思い出がほのかに蘇ってきた。
前の日記に「久しぶり」なんていうタイトルをつけたら、 日記を書くのまで「久しぶり」になってしまった。 待っていてくれた人がいるのかはわかりませんが、ごめんちゃい。
土曜日は家でフテ寝。zzz
日曜日はアルバイト、この日は運動会の学校が多くて、 生徒が少なく静かに出来た。しかし、この僕に受験の理科を 教えさせようなんて、無茶してる塾だ。生徒を受からせたく ないとしか思えない。肺循環と体循環がごっちゃになって、 生徒から指摘される始末。生徒も不安そう。こっちはもっと不安。 質問があるとどぎまぎする。「質問は?」なんて絶対に言わない。
しか〜し、社会の時間になると一変。鬼教師。 「王政復古の大号令の後に置かれた三職のうち、 総裁の職についた皇族の名は?」 な〜んて無茶なテストを小学生にやったり
・・・はさすがにしていない。 ちなみに正解わかる人、メールでお知らせ下され。
月曜日、4限のゼミに出ると、相棒の女の子が来ない。 しかも彼女の発表なのに・・。 しびれを切らした先生が 「じゃあ、おじゅん君が解説してよ」。
僕「はあ・・・」。(何もやってないよ・・・)
17世紀の政治思想をむりやり現代の若者のライフスタイルの話に 持っていき、切り抜ける。いやあ、やればできるもんだなあ。 でも、苦しかったなあ。
火曜、省略。 2,3,4限がある日なのに起きたら15時。 いつもの特技だけど。話す気になれない。自己嫌悪。 アルバイトには行きました。それだけ。
水曜日、あ、今日か。 今日はですねえ、いろいろありました。
2限はゼミ。う〜ん、もうちょっと濃い発表が聞けると 思ったんだけどなあ・・・。興味深い論文だった。
4限は恐怖の一対一のマンツーマンゼミ。 たっぷり絞られた。ふううう。 筆記体の英語のメモなんて読めるほうがどうかしてるよ。 しかも平気で1時間延長。
ゼミの後、友達の本探しに付き合って神田神保町へ。 久しぶりだ。小学生の頃、親父に紹介されて来て以来、 たびたび足を運ぶようになった街。
神保町の駅から駿河台下の交差点までの通りはもう目眩が するような、古本屋の並び。距離にしてわずか数百メートル。 でも、この難関を突破するのに1時間以上は軽くかかる。
ところで、靖国通り沿いに並ぶ古本屋はなぜか全ての店が 通りの同じ側にある。(神保町から歩くと向かって右側) これは一体なぜでしょう?これが2問目の問題。
*****************************************************
僕は中学の頃から、日記をつけている。 このHP上で日記を書き始めてから、ノートに書く日記の量が減った。 もうやめてしまおうとも思った。
けれど、ノートに書く日記をやめることは出来ない。 日記を書く時点でそれは「読まれること」を意識しているのだろうが、 それにしても見られることを前提にして事実を羅列する日記と、 自分の内面を記した日記は本質的に異なるものだから。
このHPに記せるのは自分の生活のほんの1割にも満たない。 それですら、言葉を介して伝えると事の難しさを感じる。 どうしてもここには書くことの出来ない出来事も 日々の生活にあふれている。
|