エンターテイメント日誌

2005年04月30日(土) 成熟する韓流映画<大統領の理髪師>

「大統領の理髪師」は東京国際映画祭で最優秀監督賞と観客賞を受賞した韓国映画だ。

韓流の勢いは凄まじく、昨年公開された映画の筆者の選ぶベスト選でも「殺人の追憶」「オールド・ボーイ」がワン・ツー・フィニッシュを果たした。未曾有の充実ぶりである。テレビ・ドラマでも例えば現在BS-2で放送中の「チャングムの誓い」なんか、面白すぎて毎週眼がブラウン管に釘付けである。嗚呼、ハンサングンさま死んじまった!…それはまた、別の話。

さて、「大統領の理髪師」だが、筆者の評価はB+。市井の庶民生活を描きながら、そこに激動の韓国近代史を絡めた作劇の巧みさ。そういう意味では「フォレスト・ガンプ」に近い雰囲気を醸し出していた。軍事政権下の暗い時代を描きながら、ユーモアを絶やさない作者の姿勢に好感を覚えたし、そこに韓国映画の深化を見た。

名優ソン・ガンホが、飄々とした床屋の主人を演じ、いい味を出していた。

「殺人の追憶」「オールド・ボーイ」が持つような凄み、圧倒的劇的興奮はこの映画にないが、淡々として心に染み入る味わい深い作品である。必見。



2005年04月23日(土) 心地よい予定調和<コーラス>

映画「コーラス」は端的に言うなら、<熱血教師もの>である。ある日学校に新任教師が現れる。初めは反発していた子供たちも、次第に先生の熱心な指導に共鳴し、見違えるように態度を改め、健やかに成長してゆく。「チップス先生さようなら」(1939)の時代から変わらぬ、いわばワン・パターンである。

実は先生は密かに作曲を続けており、それを子供たちに指導し演奏させるというパターンも、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」(1995)で既にあった。(余談だが、故マイケル・ケイメンが「陽のあたる教室」のために書いた音楽は良かったなぁ。彼の最高傑作だろう。)

しかし、先生の熱血指導ぶりが保守的な学校側の体制と激突し、最終的には学校を去らねばならない立場に追いやられ、生徒との涙の別れで映画が大いに盛り上がるというのもロビン・ウィリアムズ主演の「今を生きる」(1989)やドイツ映画「飛ぶ教室」(2003)などでお馴染みの手法である。

こうやって列挙してみると、このジャンルでは<寄宿舎>で<男子校>が多いという特徴も浮かび上がってくる。そしてその全てに「コーラス」は当てはまるのである。

だから「コーラス」に目新しい要素は皆無であり、観客の予想を裏切ることなく、物語は進行してゆく。しかしだからといってこの映画が退屈だと言うことは一切なく、その予定調和が実に心地よく幸福な気分に浸れるのだから実に不思議だ。筆者の評価はA-を進呈する。


まずなんと言ってもセザール賞の作曲賞・歌曲賞に輝き、米アカデミー賞でも歌曲賞にノミネートされた音楽が実に素晴らしい。子供たちの美しい歌声が耳に残る。

教師役のジェラール・ジュニョや子供たちの演技も印象的だった。悪役の校長先生など脇役も光る。これは必見。



2005年04月16日(土) スコセッシがオスカーを手にするのはいつ?<アビエイター>

マーティン・スコセッシ監督は実に気の毒な人である。彼のキャリアからすれば既にオスカーを受賞していても当然なのに、一度も監督賞を手にしたことがない。カンヌでグランプリを受賞した「タクシー・ドライバー」(1976)をはじめとして80年代の最高傑作と讃えられるボクシング映画「レイジング・ブル」(1980)、マフィアもの「グッド・フェローズ」(1990)などハリウッド映画史に燦然と輝く作品を撮ってきた人である。個人的にはニューヨークの貴族社会を描いた「エイジ・オブ・イノセンス」(1993)もヴィスコンティ映画みたいに絢爛豪華で結構好きだったなぁ。そう言えば、マイケル・ジャクソンの"Bad"プロモーション・ビデオを撮ったのもスコセッシだった。

スコセッシの代表作としてはアメリカの評論家は「レイジング・ブル」を挙げ、日本では「グッドフェローズ」を支持する人が多いが、筆者は彼の最高傑作は「タクシー・ドライバー」だと今でも想っている。あの映画でのロバート・デ・ニーロとジュディ・フォスター(当時14歳)の演技には凄みを感じたし、あれが遺作となったバーナード・ハーマンの音楽も実に心に滲みた。映像や編集は研ぎ澄まされた刃のような切れ味があった。

スコセッシは俗にウディ・アレンらと同様に<ニューヨーク派>と呼ばれているが、確かに彼の傑作は現代のニューヨークを舞台としたものが多い。「ギャング・オブ・ニューヨーク」も勿論NYが舞台だが、あれが駄目だったのは時代設定が19世紀だからだ。やっぱりギャングはアルマーニのスーツとかをビシッと着てないとさまにならない。

で前置きが長くなったが「アビエイター」の評価はC+である。文芸大作としての風格は備えているが、はっきり言ってお話が詰まらない。本作でスコセッシがまたまたオスカーを逃したのは実に残念ではあるが、まあ正直なところこの程度の作品で受賞しなくて良かったという気持ちもある。スコセッシの持ち味が発揮されていない。だって舞台がニューヨークでもなければ現代の物語でもないしね。「ギャング・オブ・ニューヨーク」同様、上映時間が長すぎるのもいただけない。間延びするんだよね。

だからまもなく撮影が開始される新作"The Departed "の方をむしろ期待したい。香港産フィルム・ノワールの大傑作「インファナル・アフェア」のリメイクであり、久々の現代マフィアものである。まあ舞台はボストンの裏社会になるそうだが、スコセッシお得意の分野だからね。オリジナルでトニー・レオンとアンディ・ラウが演じた役をリメイク版ではレオナルド・デカプリオとマット・デイモンがそれぞれ演じ、なんとマフィアのボス役にジャック・ニコルソンが配役されているそうである。題材的にオスカーは難しそうだが、実に今から愉しみである。




2005年04月09日(土) ハードボイルドに生きる子供たち<カナリア>

<害虫>、あるいは塩田明彦の軌跡というタイトルで筆者が日誌を書いたのは2002年8月10日のことである。

オウム真理教の施設で生活していた信者の子供たちをヒントに塩田が製作した新作「カナリア」を観た印象は「害虫」の頃と大きく変わらない。相変わらず塩田は子供の扱いが巧いし、兎に角彼の映画に登場する子供たちの生き方は実にハードボイルドである。子供たちは彼ら自身の世界を既に確立しており、大人の思惑とは無関係に、決して妥協することなく逞しく生きていく。その姿勢が実に清々しい。それは劇場映画デビュー作「どこまでもいこう」(1999)の頃から一貫している。

「カナリア」の評価はB+。実に見応えのある傑作である。少々プロットに無理も感じるが、そんなことは作品の圧倒的力強さの前では些事にすぎない。有無を言わさぬ説得力。癒し系に走ったあの「黄泉がえり」での<変節>はいったいなんだったのか??

「カナリア」の作品のスタイル、子供たちの生きざまはかなり「害虫」に近いが、「害虫」の主人公は中学生だったのに対し本作は小学生。そういう意味では「どこまでもいこう」との親和性も感じる。いずれにせよ塩田明彦らしい映画を久しぶりに観ることが出来て、実に満ち足りた感触の残る作品であった。

やっぱり東野圭吾の傑作ハードボイルド小説「白夜行」を映画化出来るのは塩田しかいないなぁ。ただしヒロインを「黄泉がえり」の竹内結子にするのだけは勘弁してね(本人はやる気満々で東野との対談でも必死にアピールしていた)。



2005年04月02日(土) 豊穣なミステリー<ロング・エンゲージメント>

「ロング・エンゲージメント」は監督も出演者もフランス人で、舞台もフランスであり、れっきとしたフランス映画である。しかし製作はワーナー・ブラザースであり、アメリカ資本だ。予算のかかる大作であり、だからこういう形を選んだのだろう。

フランスではこれがフランス映画と言えるのかという論争が巻き起こった。しかし最終的にそれは認められ、セザール賞で有望新人男優(ギャスパー・ウリエル)、助演女優(マリオン・コティヤール)、撮影、衣装、美術の各賞を受賞することとなる。

この映画で特筆すべきはアメリカ撮影監督組合(ASC)賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされたブリュノ・デルボネルによる映像の美しさである。戦場の場面では青を基調とした寒色系で撮られ、一転ヒロインが登場する場面ではオレンジを基調とした夕刻の色彩が支配的となる。それは日が沈んでからの20分、世界が最も美しく見えると言われる時間帯=<マジック・アワー>にほとんど撮影された名作「天国の日々」(撮影監督:ネストル・アルメンドロス)を彷彿とさせる。これだけ完璧な映像美にはそう滅多にお目にかかれるものではない。筆者の本作に対する評価はAを謹んで進呈する。

この映画の肝はミステリーであり、戦場で死刑を宣告される兵士が5人、さらにその家族とか愛人とか人物がたくさん登場するので顔と名前をしっかり覚えておかないと途中で混乱するのは必定である。筆者もその例に漏れず、結局二回目の鑑賞で漸く全体を把握することができた。これからご覧になられる方は、映画紹介ページの人物関係図などで事前に予習されておかれることをお勧めする。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]