エンターテイメント日誌

2005年05月28日(土) ウディ・アレンのマンネリズム

ウディ・アレン脚本・監督・主演「さよなら、さよならハリウッド」の評判がすこぶる良いので観に往った。ウディの映画は「世界中がアイ・ラヴ・ユー」(1996)以来、実に久しぶりの再会である。

結論から言えば実に退屈な映画だった。コメディなのに全く笑えない。評価はD。ウディの映画はまた当分観なくていいや。

「さよなら、さよならハリウッド」でウディが演じるのは神経質で臆病なユダヤ人。つまり、「アニー・ホール」(1977)「マンハッタン」(1979) 「ハンナとその姉妹」(1986) 「世界中がアイ・ラヴ・ユー」などで彼が演じてきたキャラクターと全く変わり映えがしないのである。自己模倣というか単純再生産というべきか、もうこういう話は飽きちゃったよ。進歩がないんだよなぁ。

ウディの演じる映画監督はかつてオスカーを二度も受賞したけれど、今は落ちぶれ、人々から忘れ去られてCMディレクターという境遇に甘んじているという設定で、これはウディ自身が「アニー・ホール」でアカデミー脚本賞および監督賞を、「ハンナとその姉妹」でアカデミー脚本賞を受賞したことをふまえた上での自虐的ギャグである。そしてこの自虐ギャグというのもウディの昔からの得意技で、またかよとウンザリさせられた。

結局、映画作家としてのウディ・アレンの全盛期は既に遠く過去のものであるという意味においては本作は核心を突いているのだと想う。ちなみに筆者が選出する彼のベスト3は「マンハッタン」「ハンナとその姉妹」そして前妻ミア・ファーローが主演した「カイロの紫のバラ」(1985) である。いずれも20年も前の作品だ。

余談であるが、ウディ・アレン本人はスウェーデンのイングマール・ベルイマン監督作品に私淑しているようだが、コメディアンであり、脚本・監督・主演を兼任するというスタイルから言っても、その資質は一番チャールズ・チャップリンに近いと想う。

チャップリンは生涯に4回結婚しているが、そのうち3人は結婚当時10代だった(最初の2人は16歳)。ウディ・アレンはミア・ファーローとの養女スーン・イと不倫関係となり(ある日ミアが偶然、アレンの自宅でスーン・イのポラロイドのヌード写真を発見。ミアがスーン・イに「いつからの関係か?」と問い詰めると、「高校3年から」と答えたという)、泥沼の騒動の果てに離婚、その後スーン・イと再婚するという大スキャンダルを巻き起こしたのだが、<少女趣味>という性的嗜好においても両者が似通っているというのも実に興味深い。



2005年05月22日(日) 秀逸なファンタジー<レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語>

「指輪物語」「ハリー・ポッター」「ナルニア国ものがたり」などファンタジー小説が次々と映画化される中、また新たな逸品がそこに加わった。

「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」の評価はB+である。子供達に夢を与えるだけが児童文学の使命ではなく、例えば「グリム童話」のように、世の中には残酷な事が待ち受けており、多々の苦難を乗り越えていかなければならない時があるということを教え、その心構えをさせることも重要な役目なのだと想う。そういう意味でこの物語に共感したし、児童文学とはやがて死んでゆく大人達が、未来に生きてゆく子供達にその想い・願いを託すものであるということを切実に感じた。

アカデミー賞を受賞したメイクアップも実に素晴らしいのだが、特筆すべきは撮影・美術・衣装のセンスの良さだろう。まるでティム・バートンみたいな世界を構築しているなぁと感心していたら、なんとアルフォンソ・キュアロン監督(「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」「天国の口、終わりの楽園。」「リトル・プリンセス」)の朋友、撮影監督のエマニエル・ルベツキをはじめ、美術監督も衣装デザインも「スリーピー・ホロウ」のスタッフだそうだからそれで頷けた。

エンドロールの切り絵アニメーションも秀逸。

役者について言えばジム・キャリーは「トルーマン・ショー」でまさかのアカデミー賞ノミネート漏れのショックから立ち直り、もう開き直ったと言っても良いくらいのはじけっぷりで清々しい。相変わらず見事なのはメリル・ストリープの怪演っぷり。実に愉しそうに演じている姿が微笑ましい。ストリープといえばエミー賞やゴールデングローブ賞を受賞したテレビ・ミニ・シリーズ「エンジェルズ イン アメリカ」(2003)での一人四役も圧巻だった。これは監督が「卒業」「クローサー」のマイク・ニコルズで、内容的にも充実しており必見。

そうそう、ヴァイオレット役を演じた撮影当時15歳の少女、エミリー・ブラウニングがとても可愛かったことを最後に付け加えておく。



2005年05月18日(水) この日本未公開映画を見逃すな!

ベン・スティラー主演の映画「ドッジボール」をシネコンで観た。まあ、そこそこ笑えたが、1800円払う価値はないな。スティラーに悪役は似合わない。評価はD。この映画に見合った代金に換算すると800円程度が妥当かな。因みに筆者はレイトショー料金1200円で観た。

そんなことよりも、今年4月にビデオとDVDが出た同じくベン・スティラーが主演した「スタスキー&ハッチ」のことを語りたい。こちらの評価はB+である。

ベン・スティラーは結構アメリカで人気があって「スタスキー&ハッチ」は初登場で北米興行成績ランキング第2位だった(1位は「パッション」)。しかし、どうも彼の面白さは日本人には分かってもらえないらしく、本作は日本では未公開のまま終わった。抱腹絶倒、スティラーの目下のところ最高傑作である「ズーランダー」もひっそりと人知れず公開され、全く話題にもならなかった。アメリカでの人気と日本のそれに齟齬があるという意味では筆者が大好きなスティーブ・マーティン(今度リメイクされる「オール・オブ・ミー」なんか最高!)に似たところがあるかも知れない。

「スタスキー&ハッチ」は70年代にヒットしたTVシリーズのリメークで、「ズーランダー」でもスティラーと相性の良さをみせたオーウェン・ウィルソンが本作でも共演している。

兎に角、くだらないギャグの連続で飽きさせない。お馬鹿映画の秀作である。「イージーライダー」「ダーティーハリー」「サタデー・ナイト・フィーバー」など70年代映画のパロディも実に愉しい。最後に<本物の>スタスキー&ハッチが登場するあたり、実ににくい構成である。



2005年05月15日(日) こいつぁシュールだ。 <真夜中の弥次さん喜多さん>

クドカンこと宮藤官九朗がとてつもない才能のシナリオライターだと知ったのは映画「GO」。そしてそのことを再度確認したのが「ピンポン」である。クドカンはもともと舞台の人で、同じく演劇界出身の三谷幸喜がその才能に激しく嫉妬心を燃やしていることも後に知った。ふたつの映画はどちらも原作付きの脚色だが、クドカンのオリジナル脚本も面白いと知ったのが「木更津キャッツアイ」である。

しかし、「ゼブラーマン」や村上龍原作の「69〜シックスティ・ナイン」あたりからクドカン・ワールドに限界を感じてきたのも確かである。クドカンが面白いと感じるギャグやキャラクターの設定、プロットの立て方などのパターンが見えてきて、正直飽きてきたんだよね。

だからしりあがり寿の漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」をクドカンが脚色し、監督デビューを果たすと聞いても、あまり食指が動かなかった。ところが、である。

この破天荒なパワーにただただ圧倒された。わけわかんないけれどすこぶる面白い。実にシュールである。その前衛的な描写はルイス・ブニュエルと サルヴァドール・ダリが組んだ「アンダルシアの犬」に匹敵すると言っても過言ではない。いや、コメディだし何に一番近いかと言えば「エターナル・サンシャイン」や「アダプテーション」のチャーリー・カウフマン脚本作品かも知れない。特に荒川良々が増殖して画面を埋め尽くす場面なんてまるで「マルコビッチの穴」みたいだった。巨大な荒川良々が涙を流しそれが滝になっている場面も超クール。唖然とした。荒川良々が夢に出てきそう。ミュージカル仕立てなのも愉しい。これは必見。評価はB+。

弥次さんと喜多さんはお伊勢参りを目指して旅に出るのだが、結局伊勢にたどり着く前に映画が終わってしまうのも凄い。つまり物語は結末を迎えないのである。さて、この続きは撮られるのだろうか・・・



2005年05月11日(水) 才能は花開く <海を飛ぶ夢>

「海を飛ぶ夢」は今年のアカデミー賞外国語映画部門で受賞したスペイン映画である。尊厳死を扱っているという点では前年の外国語映画賞受賞作、カナダの「みなさん、さようなら」と共通するものがあるが、あの主張ばかりで詩的要素に欠く、実に退屈な映画とは比較にならないくらい、イマジネーションの飛躍に溢れる芸術的傑作である。流麗なカメラワークが実に美しい。「海を飛ぶ夢」の評価はAである。

筆者は今までアレハンドロ・アメナバール監督作品のことをあまり好きではなかった。才気は感じるけれど内容が伴っていないという印象。トム・クルーズが気に入って「バニラ・スカイ」という題名でハリウッド・リメイクした「オープン・ユア・アイズ」はプロットや映像は凝っているけれど、ミステリーとしての出来は良くない。はっきり言って詰まらない。その後アメナバールがハリウッドに招かれて撮った「アザーズ」も単なる「シックス・センス」や「たたり」の焼き直し。画面は綺麗で雰囲気はあるが中身なし。

だけれど「海を飛ぶ夢」に至って漸く監督の持つスキルにシナリオの完成度が追い付いてきた。これは自らの死を望む主人公と、彼を支える周りの人々を見つめることを通じて、人間の生を問い直す映画である。

アメナバールは自分で映画音楽も作曲してしまうという世界でも珍しい監督だが(他の例としては大林宣彦、岩井俊二、そしてクリント・イーストウッドくらいしか思い浮かばない)、今回は音楽も生気に溢れ実に良かった。



2005年05月06日(金) 生きるも地獄、死ぬも地獄。<終極無限>

フィルム・ノワール「無間道(インファナル・アフェア)」は香港映画の金字塔である。いわばハリウッド映画における「風と共に去りぬ」や日本映画における「七人の侍」の位置に、凛としてある。

「無間道」の続編「無間序曲」も見応えのある傑作だった。過去に遡り、まるで「ゴッドファーザー PART II」を彷彿とさせるような展開で圧倒的存在感を示し、確固たる位置を占めた。

さてそこで期待の「インファナル・アフェアIII 終極無限」であるが、これは残念ながら不完全燃焼に終わってしまった。筆者の評価はC-である。

「無間道」で生き残ったアンディ・ラウのその後が描かれるわけだが、彼の前途には生き地獄しか残されていないことは「無間道」を観たものには端から自明のことである。それをそのまま絵で見せられることの虚しさ。新キャラクターが何人か登場するが、結論が<みんな、トニー・レオンみたいな優秀な警察官になりたかった>じゃ、結局「無間道」とテーマが全く同じじゃないか。ケリー・チャンとトニー・レオンが親しくなる課程を事細かにギャグを交えて描かれても、蛇足感が漂う。そんな内容は誰も求めてはない筈だ。ラストもくどいんだよね。

つまるところ、三作目を製作する意義が全くなかったという点で「ゴッドファーザー」シリーズと同じ運命を辿ったわけだ。「ゴッドファーザー」同様に三作目の存在は記憶から抹消することとしよう。

さあ、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオとマット・デイモン主演による「無間道」のハリウッド・リメイク版"The Departed"(現在ボストンで撮影中)はどんな形で仕上がるのだろうか?スコセッシだから続編はないと想うけど・・・


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]