2004年02月28日(土) |
アカデミー賞直前大予想! |
作品賞 本命 ロード・オブ・ザ・リング(LOTR)王の帰還 対抗 シ−ビスケット 監督賞 本命 ピーター・ジャクソン(LOTR 王の帰還) 対抗 ソフィア・コッポラ (ロスト・イン・トランスレーション) 主演女優賞 本命 シャーリーズ・セロン(モンスター) 対抗 ダイアン・キートン(恋愛適齢期) 助演女優賞 本命 レニー・ゼルウィガー(コールド・マウンテン) 対抗 ショーレー・アグダシュルー (ハウス・オブ・サンド・アンド・フォグ) 主演男優賞 本命 ビル・マーレイ (ロスト・イン・トランスレーション) 対抗 ジョニー・デップ (パイレーツ・オブ・カリビアン) 助演男優賞 本命 ティム・ロビンス(ミスティック・リバー) 対抗 渡辺謙(ラスト・サムライ) 外国語映画賞 本命 みなさん、さようなら 対抗 たそがれ清兵衛 脚本賞 本命 ロスト・イン・トランスレーション 対抗 イン・アメリカ 脚色賞 本命 ミスティック・リバー 対抗 LOTR 王の帰還 作曲賞 本命 コールド・マウンテン 対抗 LOTR 王の帰還 歌曲賞 本命 LOTR 王の帰還 対抗 The Triplets Of Belleville 撮影賞 本命 シービスケット 対抗 LOTR 王の帰還 美術賞 本命 LOTR 王の帰還 対抗 マスター・アンド・コマンダー 編集賞 本命 LOTR 王の帰還 対抗 シティ・オブ・ゴッド 視覚効果賞 LOTR 王の帰還 音響賞 本命 マスター・アンド・コマンダー 対抗 LOTR 王の帰還 音響編集賞 マスター・アンド・コマンダー メイクアップ賞 LOTR 王の帰還 衣装デザイン賞 本命 LOTR 王の帰還 対抗 ラスト・サムライ 長編アニメーション賞 ファインディング・ニモ 短編アニメーション賞 本命 Destino 対抗 Gone Nutty 長編ドキュメンタリー賞 本命 Capturing the Friedmans 対抗 The Fog of War 短編ドキュメンタリー賞 Chernobyl Heart 短編実写賞 Most (The Bridge)
以上が第76回アカデミー賞の受賞予想である。ノミネートが3作品しかない部門は本命だけ記載することに止めた。今年は「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」の一人勝ちで受賞数は7±1部門と読んだ。それに続くのが「マスター・アンド・コマンダー」「ミスティック・リバー」「コールドマウンテン」「ロスト・イン・トランスレーション」などで、それぞれ2〜1部門の受賞になるだろう。
何故今年は「王の帰還」の年になるのか、どうして助演女優賞はレニーが獲らなければならないのかについては、12月8日の日誌(←クリックで跳ぶ!)で既に語っている。
今年の予想での最大の博打は主演男優賞である。巷では最有力候補と太鼓判を押されているショーン・ペンを敢えて外した。「ミスティック・リバー」という映画は僕は嫌いだが、確かにあの作品における彼の演技は素晴らしかった。オスカーに十分値するだろう。それに異議は全くない。しかし、実力だけでは決まらないところがオスカーの面白いところ。実はショーン・ペンは数々の政治的発言で俳優仲間から嫌われているようなのである。彼は昨年10月、ワシントン・ポスト紙にブッシュ大統領宛公開書簡の形でイラク攻撃反対の全面広告を掲載した。またイラク攻撃直前に首都バグダッドを訪れ、アメリカの軍事介入を回避するように声明を発表している。さて、そんな彼が仮に今度受賞したとしよう。当然スピーチにブッシュ批判が飛び出して昨年のマイケル・ムーア(ボーリング・フォー・コロンバイン)騒動の二の舞になるのは必至である。オスカー・ナイトに政治の話を持ち込まれることをアカデミー会員たちは極端に嫌う。だからショーン・ペンへの投票は回避されるだろうというのが僕の読みである。しかしまあ、未成年相手の性犯罪で国外追放状態のロマン・ポランスキー監督(戦場のピアニスト)が受賞したりするのだから、ひょっとしたらひょっとするという可能性もない訳ではないのだが…。
また今回一番悩んだのが音楽関係である。ハワード・ショアが作曲した「LOTR 王の帰還」が当然のように最有力候補と言われているが、果たしてそうだろうか?僕はロード・オブ・ザ・リングはショアの最高傑作だと想うし、3部作ともサウンド・トラックCDを所有し、何度も傾聴している。しかし、ショアは既に第一作「旅の仲間」でオスカーを受賞しているのである。「王の帰還」で初めて登場するテーマ音楽は余りない。だから同じシリーズでの2度目の受賞は難しいだろうと考えるのだ。
「王の帰還」の主題歌、'INTO THE WEST'もどうも曲自体が弱いなぁ。インパクトに乏しい気がする。受賞が難しいことは百も承知の上で、歌曲賞はjazzyでお洒落なフランスのアニメーション'The Triplets Of Belleville'を個人的に強く押したい。あ、後「みんなのうた」から候補になった唄もなかなか良い。
2004年02月25日(水) |
ローレライよ、米国を撃て! |
福井晴敏の書いた冒険小説<終戦のローレライ>は掛け値なしの大傑作である。吉川英治文学新人賞を受賞し、雑誌「このミステリーがすごい!2004年版」では堂々第2位に輝いたのも当然の出来映えである。これだけ充実した読後感をもたらしてくれる小説には、一生の間でそう何度も巡り逢えるものではない。
福井晴敏は憂国の士である。戦後日本が歩んできた道に一貫して疑念を表明し、今の自衛隊のあり方を嘆く。日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞のトリプル受賞し、「このミステリーがすごい!」では3位に入選した小説<亡国のイージス>の映画化を著者は切望していた。しかし、自衛官のクーデターを描くこの一大冒険小説は政治的配慮から映画化を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。そりゃあそうだろう。こんなプロットで映画になったら左翼勢力の猛烈なネガティブ・キャンペーンが展開され、東條英機と東京裁判を描く映画<プライド・運命の瞬間(とき)>をめぐる1998年の騒動の比ではない深刻な事態に発展することは必至である。
そこで福井は今度は映画化を前提に新作を執筆した。それが太平洋戦争を舞台とする<終戦のローレライ>である。福井は最初に原稿用紙200枚ぐらいのプロットを書き、それを元に福井は小説を書き進め、一方の映画<ローレライ>班は同時にシナリオ作りに取りかかったという。
樋口真嗣は平成版ガメラ・シリーズの特技監督を担当し、そのハリウッド映画にも匹敵する完成度の高いVFXで世間の度肝を抜いた。映画監督としては2002年に公開された<ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険! >で腕慣らしを済ませている。出陣の準備は既に整った。
出演するのは役所広司、妻夫木聡ら。そしてローレライ・システムの鍵を握るミステリアスなヒロインを演じるのは香椎由宇(かしい・ゆう)16歳が大抜擢された。その日本人離れした美貌はここやここで拝むことが出来る。正に原作のイメージに相応しい逸材である。
東宝の公式ページにはもうそれを見ただけで興奮を禁じ得ないようなストーリーボードが多数掲載されており、いやがうえにも期待が高まる。
福井晴敏の小説を読んでいると、「嗚呼、この人はアニメ・漫画世代の人だなぁ。」といつも感じさせられる。<亡国のイージス>が漫画<沈黙の艦隊>を彷彿とさせたように、<終戦のローレライ>の設定は一部ガンダムや宇宙戦艦ヤマト、新世紀エヴァンゲリオンそっくりだったりする。また宮崎アニメ<天空の城ラピュタ>を明らかに下敷きにしたと想われる場面まで登場して微笑ましい。
そのアニメ・漫画世代の若者(1968年、東京都生まれ)が創作したローレライが、今まさに荒れ狂う大海原へと出航しようとしている。アメリカを撃つために、そして平和ボケしてアメリカの庇護のもと「戦争反対!」を念仏のように唱えるだけで戦争を回避できると考えている、アホで間抜けな日本人を撃つために。
2004年02月22日(日) |
No Day But Today~ミュージカル"RENT" |
トニー賞最優秀作品賞とピュリツァー賞に輝く名作ミュージカルRENTの来日公演を観に往った。
RENTは日本人キャストによる98年の日本初演を観ている。これは酷かった。いまは「新選組!」で大活躍中の山本耕二くんが演じたマーク役は良かったんだけれど、その他のキャストは演技の出来ないミュージシャンの寄せ集めで芝居未満の出来だし、おまけにスピーカーの音量は大きすぎるは歌詞は全く聴き取れないはで悲惨な体験をした。それからこの作品はニューヨークのイースト・ヴィレッジが舞台なのだが、日本人だけの単一民族キャストではその雰囲気・作者の意図が全く伝わってこないなぁと痛感した。
今回の来日公演はアメリカからのツアー・カンパニーで、白人と黒人の混成キャストにより初めてそのスピリット、作者であるジョナサン・ラーソンの言いたかったことが心に直接響いてきた。キャストも素晴らしかった。僕はあらかじめブロードウェイ・オリジナルキャストCDを何回も繰り返し聴いて公演に臨んだのだが、CDでロジャー役のアダム・パスカルはこの後ディズニー版ミュージカル「アイーダ」でラダメスに起用されるなど(彼が演じるラダメスを筆者はブロードウェイで幸運にも観ることが出来た!)凄い実力派なので今回のロジャー役はさすがに聴き劣りしたが、その他今回のキャストはオリジナル・キャストと互角の勝負であった。
舞台の初日前夜にジョナサン・ラーソンは35歳の若さで急逝しているのだが、このRENTの主題を一言で表現するとしたら歌詞に登場する言葉、'No Day But Today'に尽きるだろう。過去もない、そして未来もない。今日という日しか存在しない。その今日を精一杯生きるしかないのだという若者たち(エイズ感染者、ドラッグ中毒、バイセクシャル、ホモセクシャルなど様々)の切実な想いこそがこのミュージカルの神髄である。ラーソンの書いた音楽も印象深い名曲揃いである。
実は現在、RENTの映画化権はミラマックスが所有している。「シカゴ」を撮ったロブ・マーシャルは当初、ミラマックスのプロデューサーからRENTの監督をして欲しいと依頼されたそうだ。しかしそれをマーシャルは断り、代替案として「シカゴ」映画化を提案した。マーシャルは元々振付師だが、RENTにはめぼしいダンス場面が皆無なので気が進まなかっただろう。替わって「ドゥ・ザ・ライト・シング」「マルコムX」のスパイク・リー(実は彼の名前がRENTの歌詞の中にも登場する)が映画化に興味を持っているようだが、現在この企画は宙に浮いたままである。ミラマックスは結局劇場公開を断念して、テレビ用に制作しようとしているなどといった情けないニュースまで聞こえてくる始末である。是非RENTは映画館のスクリーンで観たいものである。ミラマックスよ、夢を諦めるないで!今はもう、心からそう祈るのみである。
2004年02月17日(火) |
京極の夏、伊右衛門の夏 |
今年直木賞を受賞した京極夏彦の小説はいわゆる<京極堂シリーズ>を三作品読んだ。「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」そして「鉄鼠の檻」である。とにかくどれも長大なミステリーである。そして作中で語られる京極堂の饒舌な蘊蓄で、読者は煙に巻かれる。まあ、それが時にはウンザリしたりもするのだが、その論旨の核心は「この世には不思議なことなど何もないのだよ。」という一言に集約されるだろう。
その京極堂の台詞は「嗤う伊右衛門」の主題にも当てはまる。この作品は鶴屋南北の書いた歌舞伎「東海道四谷怪談」を京極流に新解釈したというか、いわば四谷怪談の解体である。極悪人の伊右衛門、そしておどろおどろした怪談のお岩像を覆し、寡黙で実直な浪人・伊右衛門と、単なる異形の人としてのお岩の純愛物語として再構築しているのである。この解釈がなかなか現代的で斬新である。
その原作を得て今回映画化したのが舞台演出家として世界的に名高い蜷川幸雄である。実は蜷川が四谷怪談を映画化するのはこれが初めてではない。1981年に「魔性の夏 四谷怪談より」という作品を世に出している。まだ映画を3本しか撮っていないのに、そのうち2作品が四谷怪談ものというのも凄い占有率である。それだけ思い入れがあるのだろう。しかし今回はその情熱が空回りしたとしか言いようのない残念な出来映えであった。
役者は良い。お岩を演じる小雪は背筋が伸びで凛とした佇まいで魅力的だ。伊右衛門を演じる唐沢寿明も普段の明るい彼のイメージとは正反対の寡黙な役を見事に演じきっている。しかし、だ。まず京極の小説を脚色した筒井ともみのシナリオがいけない。お岩とか伊右衛門など登場人物の心の動きが全く分からない。何故そういう行動に走るのかの心理描写が全く出来ていないのである。だからその強引な物語展開についていけない。演劇的なはったりに富んだ蜷川演出もこの作品世界に相応しくないし、特に血糊がベチョッ!内臓がドバッ!と飛び出すえぐい描写は悪趣味としか想えなかった。映画館で僕の周囲に座っている女性客が明らかに引いているのが肌で感じられた。昨年蜷川が監督した映画「青の炎」が大傑作で、今回も期待していただけに落胆も大きい。宇崎竜童の音楽も確かに立派ではあったがどうも徹頭徹尾、違和感が付きまとった。という訳で評価はC-。
2004年02月09日(月) |
そして旅は終わる〜<王の帰還>とサルマン |
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」スペシャル・エクステンディッド・エディションDVD(劇場版でカットされたボロミアとファラミアのエピソードは必見!)に収録されているドキュメンタリーを観ると、当初「二つの塔」はクリストファー・リー演じるサルマンと旅の仲間たちの対決で幕を閉じる予定だったそうだ。しかし編集段階でピーター・ジャクソン監督は上映時間が3時間以上経過した段階でサルマンの演説シーンを持ってくると、観客を退屈させてしまい集中力が切れると判断し、その場面をカットし「王の帰還」の冒頭に持ってくることを決めたと語っている。
しかし蓋を開けてみると、「王の帰還」ではサルマンは一切登場しないという非常に不自然なことになってしまった。「王の帰還」の冒頭にサルマンの場面を持ってきてもどうしても収まりが悪く、結局サルマンとの対決シーン挿入は最終的に見送られたのだ。そしてクリストファー・リーはこれを聞いて激怒したという。それも当然だろう。リーは毎年一回は原作の「指輪物語」を読み返すという熱心なファンで、原作者のトールキンとパブで言葉を交わしたこともある間柄という。さぞやその胸中、無念であったろう。
「王の帰還」の冒頭部はかつてホビットだったスメアゴルがいかにして指輪の誘惑に負け、ゴラムとして餓鬼道に墜ちたかということが詳しく描かれる。これはアンディ・サーキスという素晴らしいゴラム役者の出現で膨らんだエピソードなのだが、ロード・オブ・ザ・リングという作品世界を理解する上で必要不可欠なシーンであった。そして確かにスメアゴルのエピソードの前後でサルマンが登場すると映画の流れを妨げるというジャクソン監督の判断は正しかったと認めざるを得ない。サルマンの雄姿を今回観ることが出来なかったのは返す返すも残念だが、結果的には仕方なかったのだろう。
それにしても「王の帰還」、怒濤の展開で息つく暇もない。上映時間3時間23分があっという間に過ぎていく。ただし、贅沢を承知の上で苦言を呈すなら指輪を葬った後のエピソードが冗長で、これは多少カットしても良かったのではなかろうか?灰色港の場面で潔くエンド・クレジットに移行するという選択肢もあったのではという気がする。
まあしかし、視覚効果や音響効果は相変わらずの超一級品で他の追随を許さない。特に巨大蜘蛛の造形は秀逸で圧倒的存在感があり、同様のキャラクターが登場した「ハリー・ポッターと秘密の部屋」と比較するとその出来は雲泥の差だった。さらに、狼煙(のろし)の炎が山の頂から山の頂へと次々と点火されていく映像が雄大で圧巻、嗚呼これぞ映画を観ることの醍醐味だなぁと魂が震える覚えがした。
サムは逞しく成長し頼りになるし、アラゴルンは相変わらず凛々しい。そしてレゴラスの「二つの塔」に続くあっと驚く曲芸技には大爆笑。特に最後に澄ました顔で決めるのが憎いね〜。レゴラスとギムリの和気藹々とした愉しい掛け合いももうこれで見納めかと想うと名残惜しい。しかしまだ、私たちには「王の帰還」のスペシャル・エクステンディッド・エディションで、もう一度未知なる世界へと旅をする機会が残されているという事実を今は神に感謝するべきだろう。噂によると今度は遂に4時間を超えるものになりそうである。ありがとう、ロード・オブ・ザ・リングとその壮大なる旅の仲間たち。また逢う日まで!
身体障害者を描く方法は三通りある。
1.体が不自由な人は気の毒だから思いやって援助してあげましょう、優しくしてあげましょうというボランティア精神旺盛な描き方。本人は無自覚なのだが別の角度から眺めると高みから身障者を見下していて偽善に満ちた態度。 2.体が不自由で逆境に立たされているからこそ、彼らの魂は純真で善意に満ちており、まるで天使のような存在である!と身障者を神聖視する野島伸司(脚本家)的あざとさ丸出しの手法。まあ、そんな訳あるはずないんであって失笑を禁じ得ない馬鹿げたパターン。 3.身障者も健常者と変わりないふつうの人間であると等身大で描く手法。
昨年度のキネマ旬報ベストテンで4位にランクされた「ジョゼと虎と魚たち」は第3のパターンで、そういう意味では非常に好感を覚えた。ひねくれもので我が侭、それでいて結構傷つきやすいというヒロイン、ジョゼを池脇千鶴が文字通り体当たりの熱演をしている。いやはやお見事。しかしながら千鶴ちゃんが初めてヌードになるというのもこの映画の一つの売りなのだが、どうもその場面が痛々しくて余り必然性が感じられなかった。
(以下映画の内容に触れており、ネタバレがあります)
また、主人公の大学生の元彼女として第1のパターンの女の子を登場させ、「大学を卒業したらボランティア関係の仕事がしたい!」とかノーテンキなことを言いながら(勿論そんな職種には就かないのだが)、ジョゼに対しては無神経な言動を繰り返す場面とか、結局主人公とジョゼが付き合ってみたものの上手くいかなくなって別れてしまうまでは非常にリアルな恋愛映画として面白く観ていたのだが、僕がどうしても許せなかったのは最後に主人公がその偽善者を絵に描いたような元彼女とくっついてしまうことである!おいおい、そんなのありかよ!?妻夫木聡、お前って最低の野郎だなと怒り心頭で映画館を後にしたのでした。おしまい。評価:C-
2004年02月01日(日) |
アメリカの夢とシービスケット |
映画「シービスケット」はアカデミー賞で作品賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、編集賞、音響編集賞の計7部門にノミネートされた。「LOTR 王の帰還」という強敵があるだけに各部門での受賞は困難だが、僕としては撮影賞を応援したい!特に競馬レース中の疾走感、高揚感は素晴らしい出来映えであった。また、あたかも音楽のような切れ味の良い編集も特筆に価する。
僕の評価は文句なしにAを進呈しよう。この作品を観て一番強く感じたのは「嗚呼、ハリウッドらしい映画だなぁ。」ということ。小さな競走馬に夢を託す男たちの物語。たとえどんなに挫折感を味わおうとも、諦めないで信じていればいつか夢は叶う。これはそんなアメリカの夢、実話に基づく現代の寓話である。どんなに貧乏でも、才能があってチャンスさえ掴めば誰もが大金持ちになれたり、あるいはヒーローになれる。アメリカ合衆国とはそういう可能性の王国なのだというオプティミスティックな説得力、力強さがこの作品にはある。それが現実との齟齬がないかどうかは別にして、少なくとも僕は暗澹たる宿命を観客に提示して、虚無的な気分に落ち込ませる「ミスティック・リバー」のような映画よりは遙かに「シービスケット」の方が好きだし、断固支持する。<映画とは命に限りのあるものが、永遠の生命を有するものに、そのひとの想いを託す行為である。>…大林宣彦監督の言葉である。
上映時間は141分。その長さを一切感じさせなかった。脚本・監督のゲイリー・ロスの作品は以前「カラー・オブ・ハート」を観ているが、あちらは「シービスケット」よりも短いにもかかわらず、間延びして退屈な印象を受けた。「カラー・オブ・ハート」にもトビー・マグワイアは出ていたが「シービスケット」の方が断然魅力的。それからトビーのライバルを演じるゲイリー・スティーヴンスは現役の名ジョッキーだそうだがこれには驚かされた。正にはまり役。いい味出してるんだなぁ、彼が。それから調教師役のクリス・クーパー、彼がオスカーの助演男優賞を受賞した「アダプテーション」の演技よりも僕はこっちの方が好きだなぁ。渋い!
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