エンターテイメント日誌

2003年10月29日(水) ニコラス・ケイジ、二題

「アダプテーション」…奇想天外な物語りで世間の度肝を抜いた「マルコビッチの穴」の脚本家チャーリー・カウフマンのホンだけに、さすがに一筋縄では行かない曲者である。カウフマンがスーザン・オーリアンの著書「蘭に魅せられた男 驚くべき蘭コレクターの世界」を脚色(アダプテーション)しようとしてもがき苦しむその焦燥と、彼の妄想する虚構世界とが虚実入り交じるという複雑な構成をしており、さすがにそのシナリオがアカデミー賞に連続でノミネートされただけのことはある。しかし、「マルコビッチの穴」と比較すると本作は結末が常識的な範疇に落ち着いてしまっているというか、あの伝説的な橋本忍脚本「幻の湖」みたいに宇宙に飛び出すくらいの派手なスケールでもっとぶっ飛んで、現実空間を突き破って欲しかったな。物足りない。

「マッチスティック・メン」…このニコラス・ケイジは良かった。考えてみれば彼の出演作は沢山観ているが、その演技に感心したのはこれが初めてだ。彼の濃いマスクとオーバーアクトが神経質な詐欺師役に不思議とピタリとはまった。面白すぎる。脚本がまた練りに練られた素晴らしい出来で、大どんでん返しがあるという情報を知った上で「絶対に騙されないぞ。」と意気込んで映画館に足を運んだのだが見事にやられた(笑)。悔しいけれどこれだけ鮮やかに騙されたらかえって清々しい。コン・ゲーム(詐欺ごっこ)の映画といえば最初に想い出すのが「スティング」だが、「マッチスティック・メン」は「スティング」に「ペーパー・ムーン」の要素を加味しているところが味噌である。「ペーパー・ムーン」で子役のテイタム・オニールがライアン・オニールに対して「あなたはあごが似ているから私のパパでしょう。」という台詞があるのだが、これがを「マッチスティック・メン」では「ひじが似ている。」という形で引用している。このオマージュの仕方が実に巧みなので唸ってしまった。正にパーフェクトな脚本。リドリー・スコットの肩ひじを張らない演出も冴えている。ただし、ハンス・ジマーの音楽はニーノ・ロータの「甘い生活」に余りにもそっくりで呆れてしまった。ジマーよ、アンタそんなんでいいのか!?



2003年10月25日(土) Down with Love

お洒落でキュートなラブコメディを期待して映画「恋は邪魔者」を観に行った。・・・が、期待は見事に裏切られた。

確かに色彩豊かな衣装や非現実的でロマンチックな舞台装置は素晴らしい。マーク・シェイマンのごきげんな音楽は全編ゴージャスに鳴り響いて爽快ですらある。しかし物語の展開が気に入らない。下手に凝って無理な仕掛けなどせず、もっと素直なコメディで良かったのではなかろうか?あれじゃ、ヒロインのレニー・ゼルウィガーはただの未練がましくて嫌みな女じゃないか。非常に不愉快だった。レニーの唐突な長台詞も不自然で間延びする。脚本が駄目。

マーク・シェイマンは「サウスパーク 無修正映画版」で見事なアニメーション・ミュージカルを創作し、アカデミー主題歌賞にもノミネートされた。今年のトニー賞では舞台ミュージカル「ヘアスプレー」で見事に最優秀楽曲賞を受賞、乗りに乗った作曲家である(余談だがゲイである彼はトニー賞授章式で恋人の作詞家スコット・ウィットマンと壇上で熱烈なキスを交わし、話題となった。男同士のキスに仰天したNHKはこの場面をカットして放送し、これが激しい非難を浴びた。結局後にNHKはノーカットで再放送する羽目になる)。

シェイマンが作曲し、レニーとユアン・マクレガーがデュエットするエンディングの主題歌が最高の出来。しかし、「シカゴ」のレニーと「ムーラン・ルージュ」のマクレガーという、唄えるふたりが揃っているのだし、どうせなら全編ミュージカルにした方が格段に良かったのではなかろうか?所詮、他愛もないお話なのだから。

劇中エド・サリバン・ショーでジュディ・ガーランドが"Down with Love"を唄う場面が登場するが、実際は1963年から64年にかけてアメリカCBSで放送された「ジュディ・ガーランド・ショー」の映像が使用されている。さらに具体的に言えばSHOW #24の一場面で、DVDのVolume4に収録されている。

北米で発売された「ジュディー・ガーランド・ショー」DVDボックスセット全2巻は人類に残された偉大なる遺産である。必見。僕は全編視聴したがいやはやもう凄い充実度。エンターティナーとしてのジュディの魅力に完全にノック・アウトだっ。ゲストで登場した若き日のバーブラ・ストライザンドが唄う"Down with Love"も収録されていてこちらも見応えがある。残念ながら国内版のDVDは出ていない。



2003年10月17日(金) 無間道=無間地獄

もう今更だが、「インファナル・アフェア」は香港映画界が総力を結集した大傑作フィルム・ノワールである。まあ、この映画をレビューしている人々が異口同音に褒めたたえているのだから読者の方も良くご存知のことだろう。真の傑作に幾ら賞賛の言葉を並べ立てても空しさが残るだけだ。だから今回は気乗りがしない、筆が重い。ただ「黙って観ろ。」…それだけで充分だ。

僕は公開初日に観たのだが観客が少ないのが気掛かりだ。日本における週末の興業成績ランキングでは初登場5位。既に公開3週目の「S.W.A.T.」(第3位)に負けているようじゃ駄目だろう。香港では「英雄」を凌ぐ大ヒットを飛ばしたのだから日本での実情はお寒い限りである。あれだけ面白いのに余りにも勿体ない。

やはり何といっても「インファナル・アフェア」、この馴染みのない英語タイトルがいけない。何故、亜細亜の映画なのに英語を使う?そんなに英語を使うことが恰好良いのか!?同じ漢字を用いる文化の国同士だろ。原題の「無間道」でよいではないか。それでも意味がわかりにくいというのなら同意の「無間地獄」、これでピッタリ映画の内容に寄り添うではないか。生き続けることこそ地獄。その主人公の心の叫びを聞け!「インファナル・アフェア」というタイトルに決めた配給会社のコムストックの社員はこの映画が日本では興行的に奮わなかった責任に於いてA級戦犯である。

香港のアカデミー賞と呼ばれる第22回香港電影金像奨では「無間道」は最優秀作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、主題歌賞、編集賞の7部門を受賞、一方の「英雄」は最優秀撮影賞、音楽賞、美術賞、音響賞、衣装デザイン賞、アクション振り付け賞、特殊効果賞の7部門を受賞した。余談だが「英雄」で卓越した仕事をした撮影監督のクリストファー・ドイルは「無間道」に於いても<視覚効果顧問>なる肩書きで参加している。オーストラリアで撮った「裸足の1500マイル」といい、最近のドイルの破竹の勢いには目を瞠るものがある。

「無間道」の映画としての完成度の高さは、なにより練りに練られた脚本の面白さに負うところが大きい。そして充実した俳優陣の魅力。僕としては主演男優賞はトニー・レオンじゃなく男の哀愁漂うアンディ・ラウにあげたかったなぁ。彼の孤独な背中を見ていると、まるで<香港映画界の高倉健>という印象を受ける。それから助演男優賞を受賞したウォン警視役のアンソニー・ウォンも勿論素晴らしいのだが、マフィアのボスを演じるエリック・ツァンの凄みのある演技も特筆に値する。必見。

「無間道」といえばワーナー・ブラザースが175万ドルという破格の契約金でハリウッドでのリメイク権を手に入れた話題が先行しているが、来年の米アカデミー賞の外国語映画部門に香港代表として出品が決まったことも忘れてはいけないだろう。「無間道」よ、香港の星から世界の星へ、より燦然と輝け!!



2003年10月11日(土) コリン・ファレルはいい人。<S.W.A.T.>

アイルランドのダブリン出身の俳優コリン・ファレルはジョエル・シューマッカー監督の「タイガーランド」で一躍トップ・スターに躍り出た。「タイガーランド」は余り世間に知られていないが、地味ながらも見応えのある戦争映画の傑作である。シューマッカーは北欧の「ドグマ95」の手法に影響を受けドキュメンタリータッチのざらついた映像で「タイガーランド」を撮ったが、これが作品世界に見事にはまった。また、青春映画の伝説的名作「セント・エルモス・ファイアー」でも分かる通り、彼は新人の発掘に長けている。「タイガーランド」でもコリン・ファレルの男臭い魅力を存分にひき出し、その後のファレルは「マイノリティ・レポート」「デアデビル」そして「S.W.A.T.」に出演するなど破竹の勢いである。ファレルも「今日の自分があるのは全てジョエルのおかげ」と公言しており、このふたりが再びタッグを組んだ「フォーン・ブース」も11月に日本公開を控えていて非常に愉しみである。

余談だがジョエル・シューマッカーは現在ロイド=ウェバーの大ヒットミュージカル「オペラ座の怪人」映画版をロンドンで撮影中で、やはり若手の俳優にこだわってキャスティングしている。タイトルロールを演じるのは「トゥーム・レーダー2」でアンジェリーナ・ジョリーのお相手をしたジェラルド・バトラー、33歳。怪人が恋する歌姫・クリスティーヌ役のエミィ・ロッサムは現在17歳(彼女が出演した映画「歌追い人」は今秋、日本で公開される)。舞台「キャバレー」(なんと「ロード・トゥー・パーディション」のサム・メンデスと「シカゴ」のロブ・マーシャルの共同演出!)でトニー賞主演男優賞を受賞したアラン・カミングも出る。彼らをシューマッカーがどのように料理するのか、目が離せない。閑話休題。

さて、話しをファレルに戻そう。先日、アメリカの雑誌「オートグラフ・コレクター」がサインをねだるファンへのハリウッド・スターの応対に関する好感度調査を発表、最もファンに優しいとお墨付きを貰ったのはなんとコリン・ファレルだった。あんな男臭い顔していても、案外いい人なんだ(逆に最悪の烙印を押されたのがキャメロン・ディアス)。また彼は日本の雑誌「キネマ旬報」のインタビューに答えて、「日本映画に出るのもO.K.だよ。日本では車は左側通行で右ハンドルだろ?アイルランドと同じだからカー・チェイスだって簡単さ。」なんてリップ・サービスをしている。ほんと好青年だなぁと惚れちまったゼ(笑)。

そんなファレルが主演した<S.W.A.T.>はアクション映画としてそこそこの出来だった。まあ観て損はない。それ以上でも以下でもない作品。ただ、クライマックスが主人公と敵との素手の殴り合いというのは如何なものか。だってS.W.A.T.でしょ?派手な銃撃戦をやってこそなんぼ、でしょ?それに鉄道線路脇の殴り合いだから結果はミエミエだし。尻すぼみで肩透かしを喰らった印象。がっかり。



2003年10月08日(水) 女流監督が描く女流画家

ジュリー・テイモアはディズニーが製作した舞台ミュージカル「ライオンキング」で女性として初めてトニー賞の演出賞を受賞した。これは画期的な事件だった(その後スーザン・ストローマンが「プロデューサーズ」で受賞)。アニメーションの「ライオンキング」は所詮、手塚治虫の「ジャングル大帝」のパクリで、それにハムレットの要素を加えただけの愚作である。しかし、舞台版の「ライオンキング」はテイモアの独創的アイディアが詰まった大傑作である。ペルソナ(仮面)劇を主体としながら,それに例えばインドネシアの影絵芝居ワヤン・クリットの要素も加味したりしてテイモアの前衛的演出とディズニーの分かり易いエンターテイメント性が奇跡的に幸福な融合(フュージョン)をした見応えのある作品に仕上がっている。

その後テイモアは劇場映画に進出し1999年にシェイクスピア原作の「タイタス」を撮る。これは確かに意欲作で、とても女性監督とは想えないくらい残酷で退廃的なエロ・グロ要素たっぷりの映画であった。しかし、確かにその才能は発揮されてはいるが、「ライオンキング」のようなエンターテイメントは影を潜め、バランスを欠き一般の観客には受け容れ難いものであった。

そして最新作「フリーダ」の登場である。メキシコの誇る情熱の女性画家フリーダ・カーロ(1907〜1954)の生涯を描くこの映画は女優サルマ・ハエックが長年温め続けた企画であった。彼女がプロデューサーとして資金集めに奔走している間に、なんとあのジェニファー・ロペスまでフリーダの生涯を演じたいと言い出した。それに対抗してサルマはフリーダの遺族を説得、彼女の絵を独占的に使用する許可を得た。そしてジェニロペの企画は頓挫した。

このようにサルマ・ハエックの並々ならぬ熱意に動かされテイモアが乗っかった形であり、つまりテイモアは今回雇われ監督なのである。このことが作品に有効に機能した。「ライオンキング」の奇跡は再び起こったのである。映画を観て驚いたのはその分かり易さである。程よい娯楽性をもった物語がテイモア独自の個性、斬新な演出法で料理され絶妙な味わいの映画に仕上がった。「ライオンキング」でも登場した人形劇へのこだわりなども垣間見られてすこぶる面白かった。

フリーダ・カーロそのひとが乗り移ったかとさえ想えるサルマ・ハエック熱演も勿論だが、特質すべきはアカデミー賞を受賞したその充実した音楽だろう。テイモアの夫であるエリオット・ゴールデンサルはギターを基調としてリズミカルで火傷しそうなほど熱い、ラテン要素たっぷりの曲を書いた。やはりアカデミー主題歌賞にノミネートされた唄も素晴らしい。筆者は「エデンより彼方へ」のレビューで、その音楽を書いたエルマー・バーンスタインにオスカーをあげたかったと書いたが、前言を撤回する(笑)。「フリーダ」の受賞は必然であった。



2003年10月04日(土) 運命の女(ひと)

あのブライアン・デ・パルマが帰ってきた。

デ・パルマ監督はその処女作「悪魔のシスター」の頃からず〜っとアルフレッド・ヒッチコックのバッタもん(もどき=類似品のこと。例えば一見ルイ・ヴィトンかと思いきや、よく見ると、LVではなくRVと書いてあるカバン)を撮ってきた。「悪魔のシスター」や「愛のメモリー」ではヒッチコックと長年コンビを組んできたバーナード・ハーマン(「「北北西に進路をとれ」「めまい」「サイコ」)に音楽を依頼するという念の入れようである。「キャリー」に続く超能力ものの「フューリー」では映画音楽の巨匠ジョン・ウイリアムズを起用するが、明らかにハーマンのような音楽を書いてくれと頼み込んだことが透けて見えるような仕上がりだった(この時点でハーマンは既に故人だった)。その後ウイリアムズはデ・パルマと仕事をしていない。

しかし、デ・パルマはメジャー系の大作「アンタッチャブル」を撮った頃から変わり始めた。ベトナム戦争映画(カジュアリティーズ )やスパイ・アクション(ミッション:インポッシブル )あるいは出来損ないのSF映画(ミッション・トゥー・マーズ)などバラエティーに富んだ、しかし中身の薄い作品群を矢継ぎ早に世に送り出した。劇伴音楽も、たとえばエンニオ・モリコーネと組むなどしてハーマン風とは無縁なものとなった。

もう嘗てのような濃厚な味わいのデ・パルマ節にはお目にかかれないのかと淋しく感じていたら、ここにきて最新作「ファム・ファタール」の登場である。

デ・パルマ作品を特長づける華麗な映像で連想するのは俯瞰ショット(ヒッチの「北北西に進路をとれ」など)、スプリット・スクリーン(分割画面)、被写体の周りを華麗に回るカメラ、望遠レンズでの覗き趣味(ヒッチの「裏窓」)、そして瓜二つの女の出現(ヒッチの「めまい」)などであるが、「ファム・ファタール」ではその要素が全ててんこ盛りになっているんだからもう堪らない。デ・パルマ節炸裂である。観客はもうそのめくるめくワンダーランドに彷徨いこんで、ただただ眩暈のような陶酔感に浸るだけだ。(以下弱冠のネタバレあり。ご注意を)

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しかも今回はプロットが凝りに凝っている。まさかパラレル・ワールド、「if もしも」のお話だとは想っても見なかった。やられた!この作品が一番どの映画に近いかと問われたら僕は躊躇なく答える。ずばり岩井俊二の「打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?」である。ラストの落ちも面白いし、けれん味たっぷりでこりゃ「ファム・ファタール」はデ・パルマ映画の集大成にして最高傑作だね。

ところで「ファム・ファタール」の音楽を担当したのは坂本龍一である。坂本がやけくそになって付けたタイトル「ボレリッシュ」なる曲は冒頭のカンヌ映画祭の場面に登場するのだが、これがもうラベルの「ボレロ」瓜二つなのである。デ・パルマの指示だそうだが、ここまであからさまに似ているのならば、既に著作権だって失効しているのだし最初からラベルの曲を使えばいいのにと想った。そして物語の中盤以降の坂本の曲は、これがまたバーナード・ハーマン風なので笑ってしまった。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]