エンターテイメント日誌

2003年11月29日(土) クドカンとミタニの世界

現在、舞台・テレビ・映画の世界において場所を選ばず八面六臂の大活躍をしている劇作家といえばクドカンこと宮藤官九郎と三谷幸喜をおいて他にいないだろう。今の日本におけるショービジネスの隆盛はこの二人の天才のおかげであると断定しても過言ではない。ビリー・ワイルダーが亡くなり、ニール・サイモンが衰えた現在、クドカンと三谷幸喜を凌ぐ才能を持つコメディ・ライターは世界中を見渡してもいない。アニメーションとコメディというジャンルにおいて日本は今、最先進国である。

三谷の舞台における代表作は「彦馬がゆく」「十二人の優しい日本人」「君となら」「笑の大学」(読売演劇大賞最優秀作品賞受賞)など、映画では「ラヂオの時間」「みんなのいえ」、テレビなら「警部補 古畑任三郎」や「王様のレストラン」など。また最近は「オケピ!」(岸田國士戯曲賞受賞)でミュージカルに進出し、絶賛を浴びている。そしていよいよ来年は満を持してNHK大河ドラマ「新撰組!」に挑む。

オリジナル脚本にこだわる三谷とは対照的に、クドカンは他人の書いた小説の脚色でもその才能をフルに発揮できるという柔軟性が武器である。映画「GO」や「ピンポン」の脚色も素晴らしく、唸らずにはいられなかった。そして今年は年末に映画「アイデン&ティティ」(原作はみうらじゅん)が、来年は村上龍原作の映画「69 sixty nine」が控えている。「69」はこれまで何度も映画化の話があったが、村上がすべて断ってきた。しかし今回はクドカンが脚色を担当すると聞き、映画化を快諾したという。飛ぶ鳥を落とす勢いとは正にこれを言うのだろう。

実は三谷幸喜はクドカンをライバル視している節がある。2001年度、第25回日本アカデミー賞では三谷の「みんなのいえ」とクドカンの「GO」が脚本賞にノミネートされ、結局最優秀賞はクドカンに栄冠が輝いた。その授賞式で三谷は"宮藤官九郎"の名前が読み上げられたときに、「チクショー!」と大いに悔しがるパフォーマンスを披露して会場の笑いを誘った。まあこれは三谷独特のウィットなのだが、少なからぬ本心でもあるだろうと僕は邪推する。三谷はエッセイの中でも、自分(劇団「東京サンシャインボーイズ」)と同じく小劇場出身のクドカン(劇団「大人計画」)が初めてテレビの連ドラ(池袋ウエストゲートパーク)を担当したとき、非常に視聴率が悪かったと聞いて胸を撫で下ろしたと告白さえしているのだ。クドカンの才能に嫉妬する三谷幸喜。面白い図式である。

さて、そのクドカンのオリジナル脚本による映画「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」を観た。凄い。面白すぎる。クドカンにまたもやしてやられた!降参だ。視聴率が振るわなかったという、そのTVシリーズを観ていなくても十分愉しめる。なんだかヘンテコな連中が多数登場し、訳わかんない無茶苦茶な展開をするのだけれど、観客を大爆笑の渦に巻き込んだあげく、最後は力業でねじ伏せる。しばしば物語が逆回転し、過去のある時点から別の方向へ枝分かれしてさらに突き進んでいくというその独特な構成が実に見事である。監督をはじめスタッフはTVシリーズからそのまま引き継がれており、これを果たして映画と呼べるのか?テレビ・スペシャルで放送すれば十分の内容ではないか?という疑問もなきにしもあらずなのだが、疾風怒濤の展開=才気煥発、驚異のシナリオに免じて不問とする。必見。

映画も大ヒットしたし、今度はきっと「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」だな。期待しているゼ!



2003年11月26日(水) 何故駄目なのか?<ハッピーMAX>

他愛もないサクセス・ストーリーなのだが何とも心がウキウキする愛すべき小品。何時も前向きな考え方のヒロインを想わず応援したくなる映画である。若い女の子達に絶大な支持があるのも納得がいく。たまにはこういう映画も良い。兎に角リーズ・ウィザースプーンの魅力に尽きる。何ともその表情豊かな笑顔がとってもキュートなのである。彼女が身に着けるファッションも文句なくお洒落。

以上が前作「キューティ・ブロンド」について以前、筆者の書いた好意的レビューである。これは2002年度のベスト20にも選出した(邦画・洋画を併せたランキング)。お気に入りの作品なのでDVDも購入している。しかし、今回の続編「ハッピーMAX」はひどい出来だった。最悪!産業廃棄物以下の代物。

一応フランク・キャプラの名作、「スミス都に行く」Mr.Smith Goes To Washingtonを下敷きにしているのだが、もう一緒にしないでもらいたいという心境。あの映画には、今は既に失われて久しいアメリカン・デモクラシーの気高い理想と、信じる道を進む者の矜持(きょうじ)があった。しかし「ハッピーMAX」にはそんなものは一欠片もない。ヒロインがワシントンに行く理由が<愛犬ブルーザーのママを化粧品の動物実験から救うこと>なんだから噴飯ものである。脚本家チームはもうちょっとましな理由付けは思いつかなかったのか!?ブルーザーのママは別に動物実験で殺されるわけではない。これを<動物虐待>というのなら、ペットに無理矢理衣装を着せて、美容院に連れて行ったり首輪をつけてあちらこちら引きずり回すのは<虐待>ではないのか??この時点でヒロインは完全な自己矛盾を来しており全く共感できない。牛肉を貪り食いながら「捕鯨は残酷だから禁止しろ。」と声高に主張する毛唐 欧米人どもと同レベルの性根の卑しさである。動物実験を法律で規制するのは大いに結構。しかし、この映画のヒロインに対しては「お前が言うな!同じ穴の狢(むじな)じゃないか。」とひとこと釘を刺しておく。

これほど一作目と二作目の出来に激しい落差がある例も珍しいのではないか?その敗因は一作目と二作目では脚本家チームと監督が総入れ替えになってしまったことにあると推定する。一作目ではしっかりした原作付きだったのに、今回は映画のオリジナル・シナリオでキャラクターを引き継いだだけというのもあるだろう。「キューティ・ブロンド」が大好きで「ハッピーMAX」は未見の人に警告する。これはシリーズものではなく、全くの別物と理解した方が良い。

また、リーズ・ウィザースプーンも今回はこれっぽっちも魅力を感じなかった。一見可愛らしい衣装を身につけていても、今回はただ周囲から浮いしまっているだけ。単なる<勘違いちゃん><不思議ちゃん>に成り果ててしまっている。容色も衰えてピンクの衣装が似合わない。彼女の旬がこんなにも早く終焉を迎えるとは想像だにしていなかった。諸行無常の響きあり...さようなら、リーズ。君は素敵だったよ、昔は。

「ハッピーMAX」に存在意義があるとしたら、<この映画を褒める輩のレビューは、決して今後一切信用するな>という教訓を残してくれたことに尽きる気がする。

というわけで、今年のワースト・ワンは文句なしに「戦場のピアニスト」に決定!・・・・あれっ?



2003年11月23日(日) 何故駄目なのか? g@me.

映画g@me.はミステリ小説の名手、東野圭吾氏の「ゲームの名は誘拐」が原作である。まず東野さんの小説ならば「白夜行」や「手紙」「名探偵の掟」など、もっと映画化すべき優れた作品があるだろうにという忸怩たる想いが先行する。小説「ゲームの名は誘拐」の評価は東野ファンの間でも余り芳しいものではない。

筆者は敢えて原作を読まずに映画に臨んだのだが、前半の誘拐はさすが東野作品と思わせる緻密な犯罪計画で唸らされ、手に汗握る展開だったのに人質解放以降様相が一変する。成田空港の場面などあまりにも計画が杜撰すぎて同一人物の頭脳で考えられたものとは到底思えない。落差がありすぎるのだ。帰って調べてみたら案の定、人質解放以降の物語展開は映画のオリジナルであった。

ミステリ小説はしばしばパズルに喩えられる。それだけプロットが綿密に構成されており、当てはめるべきピースの一欠片が異なっても全体像が崩壊するのである。だからミステリを映画化する大原則はプロットを下手にいじくらないことに尽きる(その禁を犯して大失態を演じたのが高村薫原作「マークスの山」であり、宮部みゆき原作「模倣犯」である)。g@me.の脚色を担当した尾崎将也は今回の失敗でこのことを肝に銘じるべきである。あんたの悪い頭では東野さんの明晰な頭脳には到底敵いっこないの!判った!?

g@me.でもうひとつ文句を言いたいのがその画質である。井坂聡監督は前作「ミスター・ルーキー」でソニーのHD24pハイビジョンカメラを使用しているので今回も同様と考えられるのだが、ビデオ撮りをキネコ(←意味を知りたければクリック!)にした映画って、画面が非常に汚いんだよね。特にその欠点が露呈するのが空の描出力である。フィルムで鮮やかに表現できるあの抜けるような青空が、キネコでは色が飛んでくすんだ曇り空になってしまうのである(森田芳光の「模倣犯」がその典型例)。g@me.でも日の光は差しているのに全編曇り空。もう勘弁してよ。デジタル技術がさらに進化するまで東宝は自社作品をHD24pで撮るのを中止して、フィルム撮影に戻すべきである。



2003年11月19日(水) テレビドラマの黄金期と阿修羅のごとく<後編>

四人姉妹を描いた物語はいくつかあった。今まで三度映画化された「若草物語」とか、大林宣彦監督が映画化した「姉妹坂」(原作は少女漫画)とか。ポッキー四姉妹物語などという代物まで存在した(笑)。

しかし、中でも最も強力な面々が揃いも揃ったのが「阿修羅のごとく」である。テレビで四姉妹を演じたのが上から加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュン。いやはや壮観である。よくもこれだけ芸達者で個性的な女優が集まったものだ。これも向田邦子の人徳だろう。

またテレビ版で視聴者に痛烈な印象を焼き付けたのがそのテーマ曲である。300-400年前のトルコの軍楽「ジェッディン・デデン(祖先も祖父も)」、これはテレビ版の演出を手掛けた和田勉が1973年にトルコ・イスタンブールを取材中、街中たまたま録音したものだそうだ。えっ!聞いたことないって!?それはお気の毒に。では貴方にだけ、試聴できるサイトをこっそり教えてあげよう。まずここをクリック。そして画面左側の'Ceddin Deden'と書かれたところをクリックしてDownloadすれば良い。ただしMP3プレーヤーが必要。

だから筆者が「阿修羅のごとく」が今回映画化されるにあたり、最も心配だったのは次の二点である。まず第一にテレビ版に匹敵するだけの華のある女優が揃えられるのか?そして、「ジェッディン・デデン」に匹敵するインパクトの強い音楽を見つけられるのか?ということ。

蓋を開けてみると・・・まず映画版で長女と次女を演じた大竹しのぶ、黒木瞳はテレビ版と互角の勝負だった。三女、四女は明らかにテレビ版の勝ち。映画で三女・滝子を演じた深津絵里も好演しているのだが、相手が悪すぎた。なってったってあの、いしだあゆみだぜ。敵うわけないよな。

テレビでは次女を演じていた八千草薫は今回母親役で、これは正に<昭和の女>そのものを体現していて心に残る名演技だった。また加藤治子は映画でナレーションを担当。これも心憎い配慮といえるだろう。あと、長女が不倫する相手、料亭の主人とその妻は映画版の坂東三津五郎と桃井かおりの勝ち。意外だったのは木村佳乃。清純派で売っている彼女が、まさかこのような愛人役がはまり役だとは想像だにしなかった。これは今回の大きな収穫だった。逆に映画版で駄目だったのが探偵役の中村獅童。彼の神経質そうな演技はあからさまにテレビ版の宇崎竜童のそれを模倣している。もっと別な役作りの仕方があったのではなかろうか?映画「ピンポン」でのドラゴン役が素晴らしかっただけに残念だった。

また、トルコの軍楽に対抗すべく、森田芳光監督が選んだのが1970年に録音されブリジット・フォンテーヌが唄った「ラジオのように」というフレンチ・ジャズ。これが不思議なことに作品世界に見事にはまった。森田マジックと言えるだろう。

最後に筒井ともみの鮮やかな脚色に触れねばなるまい。テレビでは1話約70分、全6話からなる物語からエッセンスを抽出し2時間15分に要領良くまとめた手際の良さは無論のこと、新聞に投書したのは誰かという謎がテレビ版では第2話で明らかになるところを、映画ではそれを最後の方まで引っ張って、第3話での墓参りのエピソードを映画のエンディングに持ってきた大胆な改変は大正解といえるだろう。映画オリジナルの台詞にも女性らしい繊細さが光る。さすが第14回向田邦子賞を受賞しただけのことはある。

蛇足だが、第5回東宝シンデレラである長澤まさみチャンのは今回、余りにも端役すぎるよなぁ。あれじゃちょっと可哀相。それにしても彼女が弟と正月に遊んでいる「ラジコン」「ロボコン」という掛け合い、ありゃ一体どういうルールのゲームなんだ!?まぁ、笑えたけれど。



2003年11月15日(土) テレビドラマの黄金期と阿修羅のごとく<前編>

山田太一 「男たちの旅路」1976-1982 NHK
     「岸辺のアルバム」1977 TBS
向田邦子 「阿修羅のごとく」1979-1980 NHK
     「あ・うん」1980-1981 NHK
倉本聰  「北の国から」1981 フジテレビ
     「昨日、悲別で」1984 日本テレビ
市川森一 「黄金の日日」1978 HNK
     「淋しいのはお前だけじゃない」1981 TBS

これらの傑作ドラマたちがブラウン管を彩った、1970年代後半から80年代前半までの約十年間が、まぎれもないテレビドラマの黄金期であった。

そして1981年(昭和56年)8月22日、向田邦子が台湾への取材旅行中の飛行機事故によって不慮の死を遂げた頃から次第に暗雲が垂れこめ始め、お洒落な外面だけで中身は空疎なトレンディ・ドラマの台頭、「高校教師」などあざといスキャンダリズム、ハッタリでしかドラマが書けない野島伸司の出現などでテレビドラマは破壊し尽くされ、跡には荒廃した原野のみが残った。その再生には「王様のレストラン」などの三谷幸喜、「木更津キャッツアイ」などのクドカンこと、宮藤官九郎ら小劇場出身の脚本家によるニューウェーブ・コメディの台頭するまで、実に二十年近くも要すことになる。そして2004年、少年の日に「黄金の日日」を観て、将来大河ドラマを執筆することを憧れた三谷幸喜が満を持して大河ドラマ「新撰組!」に挑戦する。まさにテレビドラマ・ルネッサンス(=再生)時代の到来である。

話を元に戻そう。黄金期のなかでもとりわけ燦然と輝いているのが「阿修羅のごとく」である。ある意味テレビドラマが描き得た究極の到達点、マイルストーン(里程標)。向田邦子の前に向田邦子なく、向田邦子の後に向田邦子なし。昭和の家族のあり方を描き、女の業を抉り出す。その台詞の一言一言が、一見何気ないようでいて、刃のごとく心にグサリと突き刺さる。ドラマに出演した風吹ジュンは以前「阿修羅のごとく」についてこう語った。「向田さんはこの作品を通して男たちに復讐したんだと想う。」…けだし至言である。これを観た男たちはドラマの登場人物である鷹男の台詞のように一様にこう呟くしかないだろう。「女はホント…阿修羅だよなぁ。」

以下次回の日誌に続く...



2003年11月07日(金) ビルを殺れ!

クエンティン・タランティーノの新作「ビルを殺れ!」のポスターといえばこれ(←クリック!)でしょう。70年代テイストがあって、なんとも愉しい。凄く凝ってるし、これを製作した映画秘宝のスタッフは洒落の分かる人達だなぁ。

実は今までタランティーノの映画は好きではなかった。暴力描写のえげつない「レザボアドッグス」にはカタルシスを一切感じなかったし、車内でピストルが暴発して脳みそをぶっ飛ばし、それを掃除するという行為で笑いをとろうとする「パルプ・フィクション」は品がなくて悪趣味と想っただけ。両者は僕にとっては全く詰まらない代物であった。

「ビルを殺れ!」の予告篇を観た時は、何だかとてつもないバカ映画が出現したという印象で、もしかしたら来年のラジー賞を総嘗めと大評判のベンアフ&ジェニロペの「ジッリGigli」と競い合うようなトンデモな仕上がりではないかと変な期待をしてしまったりもした。それから上映時間が3時間半にも及び、結局ミラマックスがVol.1と2に分けて公開すると決定したニュースを聞いて「ミラマックスも焼きが回ったねぇ。Vol.1がコケたらVol.2の公開自体も危ういんじゃないの?」という危惧を抱いたのだが、それは単なる杞憂に過ぎなかったようだ。

蓋を開けてみると評論家にも観客にもバカ受け。全米及び日本でオープニングの興業成績もNO.1に輝いた。実際観た今となってはタラちゃんに脱帽だ。復讐に燃えるヒロインという設定以外何もない、このくだらないB級映画を徹頭徹尾愉しんで観させてもらった。70年代の香港や日本映画たちへの愛が全編に満ちあふれ、タラちゃんお得意の残酷描写もあっけらかんとしていてカットも短いのでかえって笑えてくる。頭も腕もビュンビュン飛ぶぞ。

“GOGO夕張”を演じた栗山千明が最高にキュート!世界的に大ブレイクしそうな予感。ルーシー・リュー演じる姐さんも和服がびしっと決まって格好良い。Vol.2が待ち遠しい。嗚呼、でもこのふたりはもう出番がないんだよね...ちょっぴり淋しい。

ルーシー姐さんの少女時代を描くアニメは日本のプロダクションが製作、アニメーション監督は中澤一登さんが担当した。まるで「巨人の星」か「ゴルゴ13」といった劇画タッチの仕上がりで、これも可笑しかった。本作といい「アニマトリックス」といい、ジャパニメーションの世界進出には目を瞠るものがある。それにしてもこんな無茶苦茶でしょーもない脚本に、ミラマックスはよくゴーサインを出したもんだ。タラちゃんに最終編集権を与える契約をしたというのも、清水の舞台から飛び降りるような心境だったろう。製作者の無謀な英断に拍手。

百聞は一見に如かず。未見の方は是非、映画館へGO!



2003年11月01日(土) 沖縄映画。

沖縄の粟国島を舞台にした映画「ナビィの恋」(中江裕司脚本・監督)は風土色に満ちて、味のある良い映画だった。嗚呼、沖縄という土地に拘って映画を撮っている作家もいるんだなぁ、と深い感銘を受けた。中江監督は京都生まれ。たまたま1980年に琉球大学農学部に入学して沖縄が気に入り、以降23年間棲み続けているという。詳細はこちらをクリック。

「ナビィの恋」を特徴づけるのはその音楽である。出演もしている登川誠仁(琉球民謡協会名誉会長)の唄う島唄を筆頭に、なんとあの「ピアノ・レッスン」のマイケル・ナイマンまで曲を提供しているのだから豊饒なことこの上ない。ナイマンが参加することになった経緯はここに詳しい。

中江監督の最新作「ホテル・ハイビスカス」は燦々と陽光が降り注ぐような、心がぽかぽか暖まる傑作である。NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で全国的な人気者になった平良とみ(沖縄県指定無形文化財琉球歌劇保持者)や登川誠仁ら「ナビィの恋」出演組も沢山参加していて愉しい。主人公の美恵子を演じる蔵下穂波は太陽のように明るく、元気印の女の子で素晴らしい。決して演技が巧いわけではないけれど、そのひたむきさ、猪突猛進ぶりが微笑ましい。

原作は漫画だそうだが、生きている人々と死者、それに精霊(スピリット)が自然に同居しているような摩訶不思議な空間を醸し出していてとても印象深かった。必見。

なお、この映画を製作した佐々木史朗氏はTBS勤務を経て、ATG(日本アートシアターギルド)社長となり、「ヒポクラテスたち」「ガキ帝国」「遠雷」「転校生」「家族ゲーム」「廃市」などの数々の名作を製作、ATG倒産後はオフィス・シロウズを設立し「ナビィの恋」「笑う蛙」「ごめん」など精力的に映画を作り続けている独立映画系の大プロデューサーである。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]