東京の片隅から
目次きのうあした


2016年07月31日(日) 梅雨明けしたものの

朝起床したらやはり湿気がすごかった。防水し直すか。ってできるのか?

午前中は、また海で遊ぶ。梅雨明けしたものの天気がいまいちで、水温も低く、遊んでいるうちに雨が降ってきてそこで終了。早めに現地を発つ。高速道路でもときどきスコールのように雨が降る。塩分が洗われて丁度良い。
途中ジムニーの何とか言うチューブが抜けて焦げ臭い匂いが漂いパーキングエリアに待避したりし、冷や汗をかいたりしながらも、なんとか帰宅。
夕方、私は卒園アルバムの打ち合わせ。手の空いている人5人ほどで、1時間くらいで現在の進捗状況とやること確認。お土産買ってくれば良かったかな。

打ち合わせ終了後、都知事選投票と図書館に本の返却。

来週の週末はゆっくりしたいです。


2016年07月30日(土) また海

なぜか突然今週も海に行くことになり、荷物一式をまとめる。乗っていくつもりのミニバンのタイヤがやはりおかしく、ジムニーのほうに荷物を積む。こういうときはルーフキャリア役に立つなぁ・・・。ジムニーのほうもカーナビ&カーステレオが故障しており、しかもETCが使えないというトラブル。先行き不安な出だし。というか帰宅してから出費がかさむのが確実。

先週は外房に行ったが、今週は内房へ。去年も行った館山の海。館山に着いてから近くのキャンプ場に電話をし、今夜のサイトを予約する。先にキャンプ場でテントとタープを張り、自陣構築。テントは20年ものなので、防水がイカレており、雨が降らないことを祈る。

子どもは先週で海に慣れたのか、背が届かない場所でも浮き輪でどんどん沖に行ってしまい、親の方が必死で追いかけるハメに。大人用の浮き輪を買うべきだろうか。
泳ぐ(浮く)のに飽きた後は磯で生き物探し。ハゼ、ヤドカリ、蟹などつかまえる。

夜、満天の星。天の川を見るのはいつぶりか。

キャンプ場で初めてツノトンボ(トンボと名がついているが、ウスバカゲロウに近い)を見る。


2016年07月29日(金) 悩み

セクハラじじいとウヨクと土建屋とその他大勢。私は一体誰に投票すべきなのか。


2016年07月28日(木) 梅雨明け

昨日「梅雨が明けない」と書いたら、今日、関東地方梅雨明けの発表があった。
出も今年の梅雨はぐずぐずしていたけど雨が少なかったな、という印象。


2016年07月27日(水) まだ明けない

前夜から洗濯2回転。タオル類とトップスを干す。曇りだが何とか乾くだろうか。天気予報とにらめっこし、外干しする。
梅雨明けはいつになるのか。週間予報を見る限り週末あたりか。暑いのは苦手だが洗濯物が乾かないのも地味にストレス。


2016年07月26日(火) 旅の後始末

旅行鞄から中身を全部出す。一日干したいのだが、天気が悪いので今日は見送り。
洗濯も小物だけ。除湿機を掛けて出勤中に室内干し。
旅行は楽しいのだが、後片付けは苦手だ。

庭にあれだけ沢山いたツマグロヒョウモンの幼虫がいない。一つだけ蛹がぶら下がっている。
スミレの葉は食い尽くされていないから、食草を探して大移動したわけでもなさそう。
考えられるのは二つ。
・義父が駆除した。
・蜂に食われた。
さあどちらだ。
ちょっと残念。


2016年07月25日(月) 鴨川シーワールド

鴨川シーワールドへ行く。平日だがそれなりに混んでいる。
シャチのショーは去年よりもさらにパワーアップしている。子どものシャチが一回り大きくなっていたので当然か。一番上の段で見ていても水しぶきが飛んでくる。
去年までは熱帯魚水槽はウミガメとクマノミが人気だったが、今年はナンヨウハギが大人気。小さいこどもたちがみんな「ドリー!ドリー!」と水槽に張り付いている。映画の影響はすごいな
ぁ。


2016年07月24日(日) 山ゆき

海に来たのになぜか虫取りモードになった子ども。
近くの農業用ダムへ行くが、バス釣りの車でいっぱいで駐車できず。もう一つのダムへいって見るも、こちらは子ども目当てのオニヤンマがいない。
それでも、バッタ数種類、カマキリ、カナヘビを捕まえてご機嫌に。
カナヘビを連れて帰りたがったが、さすがに家では飼育しきれないので全部逃がす。
朝食が豪華すぎて全く腹が減らず、昼食はコーヒー牛乳のみ。
午後は海へ。昨日よりも慣れた様子でギリギリまで遊ぶ。
夕方、カブトムシ探しに行くが、良い木が見つからず、田んぼの脇でカエル捕りをする。買えるがいるということはヘビも出るということだ。真っ暗になる前に帰宿する。


2016年07月23日(土) 海ゆき

外房の海へ行く。曇り。
なかなか梅雨が明けず、先週は雨も多かった為か、裸足で砂浜の上を歩いても熱くないという、この時期としてはあり得ない状況。海水も冷たい。ラッシュガードがなければ寒くて入っていられないだろう。
子どもは最初こそ波打ち際にいたが、慣れてくると浮き輪で背が届くか届かないかくらいの場所で遊ぶ。恐怖感がなければそれでいいと思う。
一日海で遊んだので、夜頭痛がする。早々に寝る。


2016年07月22日(金) 健康診断

毎年恒例の健康診断。
今年のバリウムは飲みやすかった(えええ)。いやホントに。
今年から検診方法が変わったのだが、新しい先生もやはり血糖値が気になる様子。
20代、それこそ新卒で入社したときからずっとこういう値であること、去年再検査→クリアしたこと、ある程度のラインを切ったら精密検査しようという話は前の先生ともしていることを説明。
しかし今度の先生は今(去年)の数値でも相当厳しいと考えているよう。今年は精密検査の指示が出るかも知れない。
血糖値だけでなく中性脂肪値もコレステロール値も全部低いからなぁ。体質だけとは言い切れないか。


2016年07月21日(木) ニラ

保育園送迎時に前を通るお宅がある。
いつも花が絶えず、玄関先には犬。彼は穏やかな性質で、初対面の子どもがなでても怒らないので子どもたちの人気者である。そのせいか、夏休みの間はたいそう詰まらなさそうに玄関先に座っている。
そのお宅の奥さんと朝夕の挨拶をするようになって6年目。
時々子どもに家で作っているブルーベリーやプチトマトを頂くのだが、この日はニラを一束頂いた。
家でニンジンと合わせて卵とじにする。珍しく子どもがよく食べた。この前トイレも貸していただいたし、今度旅行の時に何かお土産を買ってこよう。


2016年07月20日(水) 違和感

NHKの朝の連続ドラマにせよ、大河ドラマにせよ、ちょっとした違和感を感じるときがある。
過去の話なのに、登場人物の精神構造は現代、というかちょっと上の世代の人間のそれであるときだ。
自分の性別が女性だからか、特に、女性、家族関係の話になるとそれを強く感じる。
最近だと前期と今期の朝ドラ。前期の「あさが来た」の場合、戦前の「いい家」なので当然女中がおり育児などは「ねえや」の役目であったりしたわけで、その場合親子関係は今とずいぶん違うものであると思うのだが、戦後の核家族のような描かれかたをしていたりする。
また、自営業の場合、奥さん(女主人)の役目は主婦じゃなく、使用人の采配もするわけで、どちらかというと経営者的な目線だと思うのだが、そういう観点は抜けていることが多い。
これは脚本家が今の人だからというのもあるのだけど、サラリーマン家庭出身なのだろうな、とも思う。
私の実家は両親とも商店で従業員も同じ屋根の下に寝起きしていたし、特に母の実家は祖母が商売の中心だったので母は「○○のおばあさん」という人に育てられたようなものだという。その「○○のおばあさん」は遠い親戚らしいがどういうつながりなのかは母も知らず、戦後すぐのことだからおそらく戦争で自分の家族を失って遠戚である母の実家に身を寄せていたのだろう、ひょっとしたら血縁ではなく血縁者の奥さんだったかもしれないとのことだった。そんな家だから親子関係は結構ドライで、それを見聞きしていると、ドラマの湿度の高い親子関係はニセモノだなぁと強く思う。

今期の朝ドラでも、ヒロインが猪突猛進型でうっとうしいのは定型だから仕方ない(苦笑)にしても、女性が働くことに対して当時は特別に考えるものではなかったと思う。
戦前は女きょうだいしかいなければ父亡き後長女は「戸主」になるから婿を取るか家を潰して(廃家)嫁ぐかしなければ独身で一家の大黒柱になるのは当たり前であって精神的にも物理(金銭)的にも「ととねえちゃん」は特段珍しい話じゃなかったわけだ。樋口一葉とか。
戦後になって法律が変わっても人間の精神構造はさほど変わらないわけで、男手がいないからと言ってぼんやり座っていては食えないわけで、動ける者は働くのが当たり前な時代だ。
専業主婦メインの視聴者の感覚にあわせて(そして視聴者が精神的優位感を得られるように)脚本を書かねばならないとは言え、時代とのずれを強く感じる。


2016年07月19日(火) 羽化

帰宅途中に羽化しかけのツクツクホウシを発見してしまい、しばらく観察。
蚊に刺されまくる。

しかしサナギの殻の中にあの成虫のサイズが入っているとは何度見ても信じがたい。
羽はともかく、胴体や頭部はどうやって収納しているのか。よくできている、としか言いようがない。


2016年07月18日(月) 繊細にして強靱な

「本の雑誌」吉野朔実追悼特集号を読む。
もうあのユニークな書評も読めないのだな。残念というほかない。

一昨日昨日と雑誌「Flowers」の原画展を秋葉原で開催していたのだが、なんだかんだあって行かれなかった。吉野朔実はもとより萩尾望都も最新作「春の夢」が展示されていたとか。ああ行きたかった。夏の間にジュンク堂でやっている吉野さんの原画展には必ず行こうと思う。


2016年07月17日(日) やっちまった

毛布をうっかりお湯で洗濯してしまい、心なしか、いや、確実に毛足が縮んだ気が。アクリル毛布だから思ったよりも縮んでいない、と言うべきか。
結婚してすぐに買った毛布なので、そろそろ買い換え時かもしれない、と思うが、今捨てると肌寒くなったときに慌てると思うので、乾いた後はとりあえず衣類収納袋に入れてしまっておく。


2016年07月16日(土) 食物連鎖

庭のスミレに今年もツマグロヒョウモン?の幼虫が大量発生。
去年と違うのは、すでにスズメバチがマークしていること。一匹スミレの葉に留まっていたので観察していたら、やがて団子を抱えて飛び去っていった。
夕方再確認。痕跡からおそらく3匹ほど犠牲になったと推測される。これも食物連鎖だ。
子どもに話したが、普段からそういう話はしているので、けろっとしている。むしろ「蜂さんち今日はごちそうだね!」と喜びを分かち合っている模様。強い。


2016年07月15日(金) 暑気払い

東京はとても涼しいが、部内の暑気払いであった。間が悪い。

会場に行く前に、本屋に寄る。いつも行っている会社近くの本屋で「本の雑誌」はあるか訊いたら、いかにもサブカルな見た目の兄ちゃんの反応がいまいち。なんと「本の雑誌」そのものを知らないと言うことが判明。人は見かけによらないというか、そんなマイナーな雑誌をここで探したのが間違いというか。
会場近くの小さな本屋を覗くも、そこでは定期購読の分しか入れていないとのこと。まぁそりゃそうだよね。近くに本屋がないか訊いたら、「○○書店はご存じですか?」と。そうだった。そこがあった。あそこはアート系やサブカル系に強い(というか普通の本がない)最後にその本屋に行ったのは10年近く前だと思うが、まだ場所は変わっていないとのこと。そちらへ向かい、無事「本の雑誌」を購入。吉野朔実追悼特集。雑誌で連載していた書評エッセイは発売日に入手済み。
暑気払い開始まで少し時間があったので、ドトールでコーヒーを飲む。隣のテーブルの女子大生らしき二人組がつらつらとおしゃべり。サークルのコーチに怒られた理由がわからない、と愚痴にしてもあっけらかんと話している。ことの経緯をもう一人に説明していて、そりゃ怒るの当たり前だよ、と赤の他人の私でもわかるのに、他人事のような話しぶり。彼女は本当にコーチが怒った意味がわからないんだろうな。コーチも大変だ。


2016年07月14日(木) 四十肩?

最近、右肩から指先にかけて痺れが出る。四十肩かな。


2016年07月13日(水) 詰めが甘い

ガラケーに久しぶりに不正請求メールが来たのだが、「ドコモからのお知らせ」というタイトルなのに発信者はソフトバンク。
お前もうちょっとよく考えろ、と。


2016年07月12日(火) 大和和紀原画展

妹から「大和和紀の原画展に行ってきた、すごかった」と珍しく興奮気味のメールが来た。
開催は今日までとのこと。全然ノーチェックだった。というか君好きだったったっけ・・・?

家に叔母(24年組リアルタイムフォロワー)の「はいからさんが通る」はあったので、一時期N.Y.小町〜ハイヒールコップあたりまでは自分も読んでいた。地味だけど「眠らない街から」のシリーズが結構好きである。あと、合宿でペンションなどに行くと必ず「KILLA」とか「モンシェリ・ココ」あたりはおいてあるんだよね。そんなこんなで気づいたら結構読んでいるのであった。

最終日の会場はそれなりに人が入っていて、でも萩尾望都の原画展と確実に違うのは、大和先生の場合は作品と言うよりもキャラクターが愛されているんだな、という雰囲気。原画を前に少尉や冬星さんや狼さんへの愛を語る元少女たちの多いこと(笑)。会場の空気が柔らかい。萩尾先生の場合は世界観が愛されているというか崇拝されている印象だった。会場の空気も張り詰めていた。
デスク回りも一部再現されていて、開明墨汁とICの原稿用紙とミスノンに親近感を覚え、ルマのカラーインクに羨望する。もうルマは生産していないので手に入らない。

初めて生原稿を見たが、「はいからさんが通る」の着物の絞りが格子と点で表現されていたり、初期作品の「モンシェリ・ココ」でも縞の切り替えがきちんと洋服のパターンに沿っていたり(あぁこういう型紙で縫うのか、というのがわかる)とにかく服に対する熱意がすごいな、と思った。それが「あさきゆめみし」につながるのか。
しかし「あさきゆめみし」だけ密度が違う。タイトル、キャラクターの顔、着物の柄と色目、背景の植物や風景。込められた情報量も桁違い。この柄でこの構図でこの植物の季節がアレだから源氏物語のあの場面か、とわかる。
普通カラーイラストは水彩用の紙に書くのだが、トレーシングペーパーに描いて重ねたり布地?に描いてみたり。特に絹地とおぼしき布に描いたイラストは、描くとたいてい滲むのだが、滲んでない。どうやってあの微細な柄を描いたのか。絹目の紙なのか。いくら見てもわからない。
キャラクター以外の部分、植物などの描写もすごい。写実でもあり文様でもある。これだけ描くには膨大な量の資料と現物を見て描き慣れないとあのこなれた線は出ない。日本画を学びに行ったのかもしれない。とにかく溜息しか出なかった。漫画の域を超えている。

これだけの下調べや描き込みはデジタル原稿では不可能だ。
萩尾望都の原画展でも思ったけど、ご本人たちはそういう意識はないのだろうけど、「大御所の逆襲」感がある。今の若手にこんなのできるか、とプレッシャーをかけている感(笑)


2016年07月11日(月) ランドセル戦線、まとめ

子どものランドセルを買ったので、思ったことなどまとめてみた。

購入は秋くらいにいよいよ実感が湧いてからと思っていたのだが、どうも最近は様相が違うらしく、何でもいいならのんびりしていてもいいが好みがはっきりしている場合は早めに動かないといけないらしい。天王山は夏、とのこと。
典型的な少量多品種製品だから売り切ったらそこでおしまいなんだろう。まぁ黙って在庫の中から選ばせるという手もあるのだけど、せっかくだから選びたいな、と。

いろいろ調べて分かったが、対立(比較?)軸が2つあるようだ。
量販店と工房(鞄専門店)、合成皮革と天然皮革。
私がカタログを入手したのはイオン、ヨーカドー、土屋、中村、あとから大峽製鞄。
土屋鞄と中村鞄は近所だから(笑)。

量販店も工房もそれぞれいいところあって、どちらがいいかは一概には言えない印象。
値段については、本来は量販店<工房なのだろうけど、私が見た限り、イオン(かるすぽ)とニトリ以外は量販店も工房も(それこそ百貨店も)価格に差がなかった。
ただ、今年の春、ヨーカドーで見たときは、パールカラーデコパーツキラキラ刺繍入りのランドセルばかりで、いや私は普通のが見たいんだとなり、次に行ったイオンには普通のがあったけど、その矢先にリコールのニュースがあって、今年の生産分にしわ寄せが来るかなと思って候補から外した。(問題が起きたときはチェック体制が厳しくなるから逆に狙い目という話もあるのだけど、そこまで腹はくくれない小心者)

材料について。確かに天然皮革の肌触りは合成皮革とは比べものにならない。色出しも中間色が好きな私には魅力的。
本革と合成皮革を比べると概して合成皮革の方が軽いらしいが、小学校まで子どもの足でも徒歩10分だから(よそ見をしなければ5分で行かれる)、背負い心地はともかく重量は考慮しなくてもよさそう。どちらでも好きな方を選べばいいかな、と思う。
ただ、うちはわりと雑な性格の子なので合成皮革の方が向いているだろうと思ってはいた。

ランドセルは結構高い。皮革の全体的な値上がり+円安もあってここ数年でずいぶん値上がりしているらしい。確かに数年前のブログなどで値段を見ると数万円安い。1.5倍〜2倍になった印象。でもこれだと合成皮革のクラリーノの値上げは説明付かない。本革の値上がりに合わせて価格を上げているのか。祖父母の財布を当て込んでいるのか。

それにしても今年のランドセル商戦は妙に出足が早くて、販売初日に工房のサーバーが落ちたりフェイスブックが荒れたり、過熱し過ぎている感は否めない。
原因と思われるのは、
・子ども・孫一人あたりに掛ける金額が増えた(我が家はまーさんの方は孫は一人きり、私の方も甥っ子とうちの子の二人だけだ)
・イオンがひっそり(リコールの影響は少なくないと思う)
・ヨーカドーものんびり(7月に入ってから初めてCMを見たくらい)
・量販店が高くなり、工房系との価格差が縮まる
・量販店系がキラキラを打ち出しすぎてそれについていけない層が工房系に流入
・まぁ実際のところ、東京やその近郊の場合、ヨーカドーやイオンよりデパートや工房のショールームの方が近いんだよね
・とある工房にジャニーズ番組の取材でカメラが入り、一気に知名度アップしてキャパオーバーした。

あたりなのかなと。
来年は反動で落ち着くのではないかと思う。


2016年07月10日(日) たかがランドセル、されどランドセル

迷っていたランドセルの件、もう一カ所、大峽製鞄の展示会へ行ってきた。
さすがの本革のシルエットの美しさ。カタログで見ていたモデルは本革とクラリーノとでほぼ同じデザインで、細かな金具や刺繍の有無、被せ裏の柄、ポケットのファスナーのちょっとした違いがある。全体的に使い勝手が良さそうなのはクラリーノ(ポケットが大きく開くのは使えそう)、でも作りがいいのは本革。
子どもに見せたらやはり選んだのはクラリーノの水色。本革よりも色鮮やかなところ、軽いところがいいらしい。
完全室内だから確かに本革は色合いがおとなしく、チョコ色に至ってはほとんど黒に見える。(他の子も「黒?」と言っていた)外光の入る場所で見たらまた違ったかもしれない。まーさんはチョコ色に誘導しようとしていたが、最終的には本人の選んだ色にすることにした。
背中のクッションはこの前のところよりも薄いが子ども曰く気にならないらしい。
行く前に考えていた第一候補のカタログと比べながら「どちらがいい?」と訊いたら、今回のランドセルがいいとのこと。
本革メインのメーカーの展示会に来て結局選んだのはクラリーノというところに若干納得いかない気がするが、6年間買い換えないから大事に使うこと、汚れが目立つから濡れたら拭いたりして自分でお手入れすること、等々言い聞かせる。

これでドタバタのランドセル戦線も終了。気が抜けた。


2016年07月09日(土) セミ始めました

昨日あたりから蝉が鳴き始めた。今年も毎週末ひたすら蝉を捕る日々の始まりか。


2016年07月08日(金) 「クーリンチェ少年殺人事件」

カナザワ映画祭で「牛古(これで1文字)嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」が久しぶりに上映されるとのこと。ちなみに今年のラインナップ、他は「狂い咲きサンダーロード」と「AKIRA」というあまりに厨2なセンスに大爆笑。いいぞもっとやれ。
しかし権利関係の問題で上映不可能となっていたはずだが、と調べると、どうやらアメリカでDVDが出たらしい。問題が解消されたのかな。
これは蓮實先生が黙ってないんじゃないか、と、思わず考えてしまったのは、私だけではないと思いたい。


2016年07月07日(木) 初めてのイクラ

子ども、6歳にして生まれて初めてイクラを食べる。

これまでは食わず嫌いで魚卵系はすべてダメだったのだが、今回一つだけ食べてみよう、と水を向けて厚焼き卵と一緒に食べさせる。
結果、大丈夫だったらしい。
まぁ給食では魚卵はあまり出ないけどね。大人になってからも回避できる食べ物だと思うけど、それでも嫌いな食べ物は少ない方がいい。


2016年07月06日(水) ちょっとした心配事

いつも自転車を止めさせてもらっている私設駐輪場の地主のおっちゃん(というかもうおじいちゃんである)に7月に入ってから会っていない。
渡せない駐輪場代が鞄に入りっぱなし。
ずいぶん前に奥さんを亡くされて一人暮らし、というのは、以前ちょっと立ち話で訊いたが、このところずっと雨戸も閉まっているし、入院でもしているのだろうか。ちょっと心配。


2016年07月05日(火) ジグザグ道を上って

アッバス・キアロスタミ監督の訃報を聞く。
私にとってはジグサグ道三部作の監督なのだが、どのマスコミでもカンヌを取った「桜桃の味」の監督として紹介されており、「友だちのうちはどこ?」に触れた記事は皆無。正直「桜桃の味」よりも「友達〜」のほうが聞き覚えのある人は多いんじゃないかなぁ。だって「桜桃の味」難しいもん。
数年前に日本で作品を撮影したという話は伝わってきていたが、見る機会がなかった。
今年のフィルメックスで追悼上映やるかな。


2016年07月04日(月) 毎回恒例ですが

都知事選、百鬼夜行の様相を呈して参りました。


2016年07月03日(日) 野望

子どもが七夕の短冊に「まいにちがたんじょうびになりますように」と書いた後、消して「ちゃんといちねんせいになれますように」と書き直していた。
野望と現実のギャップが激しい。


2016年07月02日(土) 日常

朝イチでアジサイを剪定。
去年の剪定具合が甘かったらしく、伸びすぎてしまった。気がついたら私の背丈よりも高くなり、メダカ池の上を鬱蒼と覆う状態。ちょっと君たち広がりすぎというわけで、花が咲き終わった枝をばしばしと切り、枝そのものも半分程度に減らす。アジサイは2年目の枝に花が咲くので、1年目の枝を少し残す。来年花がゼロではない、という程度の状況。

途中で、隣家の黒猫が我が家の塀の向こうを通る。ちらりと目が合う。うちの子どもがあまりにも見に行っていたので、子どもと私とをセットで認識しているらしいが、最近は逃げない。呼びかけるとときどき挨拶もしてくれる。嫌われてはいないらしい。

子どもの髪を切る。長めの髪が暑いらしくしきりと切りたがっていた。今切っても来年の七五三までには伸びるだろうと思うので、胸くらいまであった髪を耳のすぐ下くらいまでばっさり。我ながら綺麗なマッシュルームカットになったが、まーさん的には段は内側にしてボリューム少なめのおかっぱみたいにしたかったらしい。もうちょっと伸びてきたらそうしますかね。首が丸出しになったので、本人は涼しくて喜んでいるが、日焼け止めが必須。ずいぶんイメージが変わる。私も切りたくなったが、ストレートパーマを掛けねば起床時はベートーヴェンになってしまう癖毛の私にはハードルが高いのであった。


2016年07月01日(金) ひとり

今年も都立霊園の申し込みをした。
当たらなければいいなと思いながら申し込みを続ける矛盾。

私はある意味もう死んでしまったような者だ。生者と死者の境界はとても曖昧なのではないかと、最近特に思う。
電車の中、街中、家の中、どこでも、ふと自分がガラスケースか何かで外界から隔絶されているような気がする。
孤独は集団の中にいるからこそ感じるものだと誰かが言っていたような気がするが、そういう意味で私は世界でひとりぼっちだ。


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