東京の片隅から
目次|きのう|あした
そういえばEテレで月〜木曜日の夕方にやっている「天才てれびくん」という子ども向け番組のエンディングテーマが4月からサエキけんぞうになった。その前は上野耕路。その前は石野卓球。 電気グルーヴとゲルニカとパール兄弟ってどんだけサブカル、と思ったんだけど、考えるとNHKのサブカル好きはいつものことなので、通常運転なのであった。
会社帰りに「Flowers」を引き取りに寄る。 40年ぶりの続編だそう。叔母の本棚にあった「11人いる!」を読んでから30年になる私にとっては30年ぶり。 絵柄は変わってシャープになったが、それでも許容範囲内かと思う。特にエドガーは「ランプトン」のカラーイラスト(ポスターを部屋に飾っていた時代もありましたよ)を考えると歳月の割りに変わっていない、ともいえる。 タイトルはシューベルトの「冬の旅」からの一曲、クリスタルナハトなどにも言及されていることを考えるとこの先絶対ハッピーエンドにはならないのだけど、冬に出る続編が待ち遠しい。
近所のGAP Outletでクロップドパンツを2本購入。 夏に着るには生地が厚いのだけど(そして今年の夏は猛暑になるらしい)、ユニクロだと生地が薄すぎて皺が目立つ。試着したらとりあえずおかしくない範囲に納まったので、色違いで2本。 こういう買い方は良くないのかもしれないけど、そもそも買う時間が取れない状況ではしかたない。割り切る。丈が長いので幅広で折り返すかいっそ切るかは考え中。
数年前に購入した半袖シャツ、袖がパフスリーブで、買ったときから若作り感があったのだがさすがに限界を感じ、ほどいて普通の半袖に直す。ややフリル気味になったのは元パフスリーブのパターン上いたしかたない。
出来心で買った「リンネル」。こういう森ガール風な格好を実際に着ることはないのだが、愛され○○女子全開なノリやストリート全開な他の雑誌よりはまだ近いかな、と思う。 購入理由は、パーソナルカラー&骨格診断についての記事があったから。 骨格診断のタイプの違うシャツを着て写真を撮って比べてみる、というのは面白い方法だと思ったのだが、いざクローゼットを開けると「ストレートタイプ」のシャツしかないのであった。 もともと自分が好きなテイスト・着ていてしっくりくるものはほとんどストレートタイプに分類されるので、実際の自分もそうだとは思うのだけど、誰かに背中を押してもらいたい気持ちはまだある。また予定を見つけて見てもらおうかな。
2016年05月28日(土) |
エドガーを待ちながら |
「ポーの一族」まさかの続編が掲載された「Flowers」が発売になった。でも会社近くの書店で予約しているので、週明けまでお預け。じりじりしながら週明けを待つ。月曜日が待ち遠しいなんて変な状況(笑) 週末は何となく不調で、萩尾望都原画展に再挑戦できなかった。もう一度見たかったな、と思う。
いま、保育園で先生が撮影して下さった写真は、「スナップスナップ」というサイトに掲載され、保育園から配布されるパスワードで写真を閲覧・購入するというシステムをとっている。 で、このサイトの推奨環境が、ウインドウズ(とIE)。 マックでも見られるのだが、写真をダウンロード購入する際、一括購入(zipファイル形式)ができず、1枚1枚ダウンロードするしかない。 タブレットやスマートフォンでも同様の仕様。
顧客の大多数がウインドウズユーザーだろうし開発コストの削減もあるのだろうけど、こういうウインドウズ天動説みたいなのを見ちゃうとなぁ。何だかなぁ。 パソコンの不調もあって、選択したデータをダウンロードするのに数時間。さすがに疲れた。
庭のミカンの木に何匹も付いていたアゲハの幼虫が全ていなくなった。 病気で死んだか鳥などに食われたか、と思っていたら、庭でアシナガバチに遭遇。ミカンのみならず、茂みの葉裏まで丹念に何かを探している。アゲハの幼虫もこれにやられたのだろう。 残念だが、これも食物連鎖だ。
2016年05月25日(水) |
MR予防接種(二期) |
仕事帰りにMR予防接種を受けさせてきた。 子どもの予防接種、小学校入学前までに必要なものはこれで終了。 もっとも冬にはインフルエンザを打つのだが。
このところ立て続けに自分の同じ服を着ている人に遭遇した。モノは無印良品である。やはりお互い気まずい(苦笑) 問題はどのシチュエーションでも相手がおばあさんという年齢の人であったことで、もうちょっと洒落っ気のある服を買った方がいいのかもしれない、と、さすがに思うのであった。
午後、保育園関係のあれこれのために有休を取る。 もともとは夕方の個人面談だけだったのでその前に萩尾望都展の後期展示を見に行こうと思っていたのだけど、急遽卒園アルバムの業者に話を聞きに行くことに。 大々的にやっている業者さんではないのでテンプレートなどは持っていないし、最安値というわけでもないが、近所にあってすぐ連絡が取れること、直接打合せができることは大きなアドバンテージかと思う。 その場で契約はしなかったものの、もうここでもいいかな感は一緒に話を聞いたグループリーダーさんにも感じた。 とりあえず聞いた話やページ割案をまとめてリーダーとサブリーダーにあとで送信。
夕方、個人面談。保育園最後の一年についてあれこれ。入学までに直したほうがいい課題を指摘される。「人の話に割り込まないこと」自分が話したいことが出てくると、他の人たちの会話中に割り込んで話を中断させ、自分がしゃべり続ける。「空気を読まない」状態。しかも声が大きい。 帰宅してから自分の幼稚園時代の卒園アルバムを見ていたら、親からのコメントで「おともだちのはなしもよくききましょう」とあった。遺伝か。そうなのか。
午後、舎人公園の池周辺で、網を持ってヨシの茂みや腐葉土混じりのドロの周りでガサガサ。 アメリカザリガニ、ヤゴ、小魚が捕れる。魚の種類はよく分からないが、頭が大きく斑模様。 先週よりもカモのヒナの数が減っている。弱肉強食。
AKB襲撃事件の時も、耳かき店従業員殺害事件の時も、こういうことはまた起こるんじゃないかと思っていた。 そして今回。
笑いかけたり話しかけたりしてくれるのは、それが仕事だからだ。 ステージからこちらを見ているような気がしたとしても、それは自分を見ている訳じゃない。目があったような気がするのも錯覚だ。 そもそも、好きになったのは本当の姿なのか。ステージ用の虚像に惚れているのではないか。そんなことを自問自答しながらライヴハウスに通い、勘違いだ、気のせいだ、それは自分の妄想だ、そう言い聞かせていた時期が確かに自分にもあったわけだけど(苦笑)
こちらとあちらとの関係は、個対個ではない。忘れがちになってしまうが、間にビジネスが入るのだ。
子どもの保育参観&保護者会。 スマートフォンの充電ができてなくて慌てたり大人の本気の玉入れがあったり(正直えげつなかった・笑)、いろいろツッコミどころがあれど、とりあえず無事終了。 ところで、保育園でアルバム委員、それもサブリーダーというものになっているのだが(うちの保育園は卒業対策委員は全員何らかのグループに属する、役目の軽重はあれどある意味平等なシステムだと思う)、いろいろ相談に手間取る。アルバム係は人数がたくさんいるので逆にまとまらないという罠が。保育園児の母は基本的に有職なので、0歳児から一緒のクラスといってもそれほど親しいわけではない。「戦友感」はあるのだけど、メールアドレスも今年になってから初めて交換したくらいの関係性。 いろいろ決めることがあって、卒園アルバムの業者さんもやっと決定する状況。 帰宅後、業者さんに問い合わせをして、返事を待つ。営業さんからの連絡は今日は時間切れかなと思っていたら、メールが入っていた。てっきり電話が来ると思っていたので、対応が遅れる。とりあえず、リーダーともう一人のサブリーダーに連絡。先方には明日連絡することにする。
自分も仕事ではお客様を待たせる側なので「待つ側」の立場は新鮮。勉強になる。普段自分たちもお客様にこれだけじりじりさせているんだなぁと反省。私は窓口なのでどうこうできないことが多いのだが、せめて誠意を持って対応せねば、と思う。
ずっとこれ何だっけと考えていた人間関係が、あぁあれだったと腑に落ちたときの爽快感と言ったら。 まぁ腑に落ちた人間関係が、ブロマンスというかホモソーシャルというか、そういうアレなんですが。
三島由紀夫賞を受賞した蓮實先生のコメントに思いっきり吹く(苦笑) 蓮實先生はいつもあの調子(歯に衣着せぬ毒舌)なのだが、知らない人は誤解して過剰反応するだろうなぁというのも思う。 受賞を辞退しないことを批判している人もいるけど、本来、賞の本来の対象が若手作家ということを考えると(最近はそうでもないんだけど)、小説の作品数では新人なのかもしれないけど、著作数・年齢を考えるとどう考えても新人とは言えないから候補に挙がるべきではないわけで、自分たちを選んだ選考委員会への批判であるとともに、候補に残る作品を書けない若手への檄(過激だけど)でもあるのかな、三島由紀夫賞の本質に対する問題提起なのかなと思ったりもするわけです。 今回、賞の候補には亀山先生もいらっしゃるわけで、誰かが「エイリアンvsプレデター」と評していたのを見てまた吹いた。どちらも大物過ぎて一般の人間では勝てる気がしない(苦笑)
ところで、先生の映画話はとても面白いです。世間的には東大総長だったとかフランス文学の偉い人とかなのでしょうけど、私にとって蓮實先生は映画を愛する先生です。褒めるときはべた褒めするのが普段の毒舌とのギャップがすごい。
2016年05月17日(火) |
伊藤若冲展・奥村土牛展 |
休みを取って伊藤若冲展と奥村土牛展をハシゴしてきた。
伊藤若冲は、会期が1カ月だけ、夜間開催は金曜の晩のみ、東京のみ開催、代表作勢揃い、絵がカラフル、画題がわかりやすい(花鳥画が多い)、テレビ局がこぞって特集番組作成、特にNHKでの嵐・大野くん起用、招待券が大量に出回った?という、混む理由しかない状況。 そのうえ、連日の混雑状況、特に連休後の平日でも日中での待ち時間200分超え(連休中の方が空いていた)という異常事態。画題がわかりやすいから子どもに見せたいなと思っていたのだけど、この混雑では無理。 子連れで出かけるのはあきらめる。
自分も10年前に一回見たし、といったんは諦めかけたのだが、もはや勢いだけで参入。
雨の中レインコート&レインブーツ装備で8時40分くらいに並び始め、前後のおばさまたちとおしゃべり&飴ちゃん交換しながら10時半くらいに美術館内に入る。そこから実際の入場までには+30分、もっともそのうち10分は長い傘を傘立てに入れる&ロッカーに荷物を入れるという自爆でのプラス時間。 確か11時前には入場。
10年前の展覧会でも見た作品は軽めに、1列目にこだわらず鑑賞。むしろ10年前よりも単眼鏡装備でガラスに張り付く人は少なかったかもしれない。 ただ、美術展に慣れておらず、作品に張り付いてしまい足が止まる人が多い印象。スタッフにも余裕がなく客をさばききれない。客も係員の説明を聞いていない。(イヤホンガイドがすべての作品に対応していると思い込んで苦情を言っている人も)ただ、人の流れが悪いのは、東京都美術館の展示スペース上の制約も大きいかなぁとは思う。国立博物館平成館の建物の作りのシンプルさに比べると動線が不利だな、と。
ただ、人の混乱はともあれ、作品の美しさは事実。 彩色花鳥画のカラフルさ、細密さは言うまでもなく、水墨画もすごいし(にじむ和紙にあの白筋どうやって残すんだ・・・)、版画のデザイン性もすごい。 カタログを買おうかとも迷ったけど、カタログではあのすごさは体感できないんだよね。絵の巧さはわかるんだけど。なので、見送り。 絵はがきだけ購入。
12時過ぎに出てきたら260分待ちになってた(驚愕) 館内に臨時救護所(休憩所)があるあたり、晴れていたら何が起こるかが察せられ・・・
鳥獣戯画展などでも体験したが、ここ数年の展覧会の混雑状況を鑑みるに、そろそろ時間指定入場制などの導入を検討すべきなのではないかなぁと。 美術館にもある程度の採算性が求められているこのご時世、確実に動員が見込める有名どころの単独展に開催が偏るのは容易に想像されるわけで、混むのは容易に想像できる。 借り物で展覧会をする時点、しかも剥離や褪色に気を遣わなければならない日本画で展示条件(期間など)に制約があるのは仕方ないから、追加料金で時間指定券を発売するとか、そもそも重文国宝が出る展覧会はチケット代を高くするとか、招待券の総発行枚数を制限するとか、何らかの対策は取るべきじゃないかな、と。 変な話、ここまで美術展に人が集中するのは、団塊世代の足腰が達者な今後10年くらいまでの期間限定現象なのではないかな、とは思っていますが。
それでも伊藤若冲展が思ったよりも早く見られたので、やはり会期末の奥村土牛展を見に山種美術館へ。九段にあると思い込んでいたら、ずいぶん前に広尾に移転したのね。 山種は結構好きで、兜町の頃から何度も行っている。 兜町時代の、まるっきり証券会社ビルの入口で高校生がガードマンに挨拶され、ドキドキしながらエレベーターのボタンを押す、という体験も捨てがたかった(笑・ただ兜町は土日はお店がどこもやっていないのでお昼ご飯に苦労した記憶が。だいたいは東京駅まで出て八重洲の地下でマクドナルドというパターンだった)
所蔵品による展覧会とはいえ、代表作はほぼ網羅されているので、点数は少なめながら見たい作品は見られたかな。 結構切手になっている作品が多いので、(「醍醐」とか)あれもこれもどこかで見たことがあるわけだけど、やはり生で見るのは違う。 で、午前中に江戸時代の伊藤若冲を見たので、やはり明治維新の前と後でずいぶん絵が変わるのだなぁという印象を受けた。 要するに、西洋画(特に印象派)を見たか否か、なのだが。 面のとらえ方、輪郭線に対する意識、画面構成等、奥村土牛の作品にはやはり西洋画の影響があるのだなぁ。(実際、セザンヌの影響を受けたらしい)
そういう意味で一日で両方見たのは面白かった。疲れたけど。 足も疲れたけど、目から入る情報を脳が処理しきれなくて、頭が死んだ(苦笑)
ちょっと時間が余ったので、恵比寿のアトレで服を見る。どうしてもシャツに目が行ってしまうのだが、アイロンの手間とかを考えるとカットソーがいいのかな。何枚か手にとっては見たものの、購入には至らず。
自分の使っているMacBook Proに、Javaが入っていないことを今更発見。 ダウンロードする。 今までどうしていたんだろう。
子どもがまーさんの出張中「おとうさんいないのさびしいな・・・」と言う。 おお殊勝な、聞いたら喜ぶだろうな、と思っていたのだが。 「だってねこのげーむできないし」と続いたのであった。 君にとって、おとうさんの存在意義はゲームなのか?おとうさん<スマホなのか?いろいろ突っ込みたい。 とりあえずおとうさんの立場についてフォローしておいた。 まーさんに伝えるべきか悩んだ。言ったけど。
ちなみに、「ねこのげーむ」とは、「にゃんこ大戦争」という。 アスキーアートな猫のキャラクターがこれまたアスキーアートな敵と闘うしょうもないゲームなのだが、その単純さ、キャラクターのへんてこさが子どものツボに入ったらしい。
2016年05月14日(土) |
「踊るダメ人間」を歌い踊る6歳 |
子どもが筋肉少女帯の往年の名曲「踊るダメ人間」のサビを歌いながら踊るようになった。フルコーラスでは3回くらいしか聴かせてないのだが、私がサビだけ口ずさんでいることがあるので、そのせいだと思う。
なんとか一週間が終わった。メンタルもフィジカルもとても疲れた。 連休中に回復できなかったのが痛い。磨り減ったまま、というよりも、連休中さらに磨り減らして連休明けを迎え、そこから一週間。 仕事自体は閑散期に入っているのが不幸中の幸いか。むしろメンタル的には、繁忙期の方が余計なことを考えずにすむ分、有り難いのかもしれない。 とにかく休みたい。一人になりたい。
雲一つない青空。朝、この時期にしては珍しく車窓から富士山が見える。天気が良すぎて逆に憂鬱。
2016年05月11日(水) |
アインシュタインよりディアナ・アグロン |
友人のmixiでHKT48の「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という歌について触れられていたので自分もちょっと考えてみた。
女性側からの冷静なアンサーとしては恵泉女学園大学の学長さんのコラムが良いと思います。 http://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html 女の子はアインシュタインなんか知らなくていい?
友人のコラムもこれを元に書かれた物なので、リンクを張っておきます。
そもそもディアナ・アグロンって誰よ、というところからおばちゃんはわからない(笑) 調べたら「glee」というUSAのドラマの出演者らしい。 で、ドラマについてもwikiさんで調べたのだけど、その結果、結構困惑している次第。 あらすじと登場人物説明を見る限り、結構重い内容というか、重いことしか書いてない。性的マイノリティ、10代の妊娠出産、宗教問題、人種問題、いじめ等々、高校のスクールカースト最底辺の子たちの闘いの話。しかも対立相手がアメフト部とチアリーダー部という、USA的に男らしさ/女らしさの頂点にある学内ヒエラルキー最上位グループへの異議申し立て。日本の高校ではまずあり得ないヘビィさ。これをドラマにしたUSAの底力を思う。 しかもディアナ・アグロンの演じる役は高校生でシングルマザーでしかも賢い設定。 HKTのお嬢さんたちの歌の内容みたいな「ふわり軽く風船みたいに生きたい」とは真逆なんだよね。 全然違う。 秋元氏がグリー見てないとは思えないんで炎上狙いなのかな、とは思う。
アインシュタインは頭はいいけど私生活はアレな人なんで(DVとか)そこに対する皮肉なのか、ディアナ・アグロンが演じたように才色兼備でのし上がれという女性に対するエールなのか、グリーを見たことのない人に見るように仕向けてカルチャーショックを与えるのが目的なのか、とも思ったが、歌詞を全部通して読んだときもとてもそうは読めなかった。
実際たいていの女の子はこの歌詞を真に受けるほどバカではないと思うので、これは男性向けの歌なんだろうと思うわけだ。そもそもAKBのターゲットが男性だし。私はAKB=キャバクラだと考えているが、普段抑圧されているおじさんたちがキャバクラのショーで無知な女の子(顔が可愛く自己主張がなく自立していない)を演じているのを見て鬱憤晴らししているのと同じなのかな(笑)
しかしもっと問題なのは「この歌詞のどこが問題なのかわからない」という男性諸氏がいることで、その場合、「これは炎上狙いのやらせだから」とわかっている人と、本当にわかっていない人がいるわけだ。 後者の場合、想像力がないんだろうなぁと。男性向けに「(男なんだから)地に足着けて一家の大黒柱にならなきゃ/男子は勉強ができなきゃ顔が良くても意味ない/アイドルなんて知らなくいい/いい大学に行かなきゃ」みたいな歌があったら鬱陶しくない?と聞きたい。
以前どこかで読んだのだが、男らしさ/女らしさ幻想って現在の結婚難にもつながっているらしい。(「大黒柱であらねばならない」という強迫観念から、自信がないと結婚に踏み切れない) 男らしさ/女らしさとか男子=理系・女子=文系という思考は、共学校で植え付けられるという記事も昔どこかで読んだなぁ。別学の方が女子の理系進学率が上がるらしい。 そもそも男だから、女だから、みたいな区別って窮屈じゃない?家事が女性の仕事というなら、なぜ名だたるシェフやパティシェは男性ばかりなのかと。
結局のところ、私は自分の子どもにはディアナ・アグロンではなくアインシュタインになってほしいと思っているのである。一人っ子がほぼ確定しているので、子どもはきょうだいを持たぬまま大人になるだろう。まーさんは一人っ子だ。私にはきょうだいがいるが、甥姪は年に数度会うかどうか。子どもは最終的には一人で生きていかねばならないことになる。だからこそ、外見で左右されるような、人から愛されるのをただ待つだけのような、そういう人間になってほしくないのだ。
2016年05月10日(火) |
サイコロキャラメルのこと |
サイコロキャラメルが販売終了というニュースを聞いて、最初に思ったのが「水曜どうでしょう」のサイコロの旅コーナーはもうできないのかということだったのだが、同じことを考えていた人が沢山いたらしい。 というか、ニュースのコメント欄のほとんどがその件(笑)出演者たちもツイッターで言及している状況。 売れなかったんだろうけど、愛されてるなぁ。
連休明け。 昨日のごたごたの件で、あれこれ動く。 とりあえず最悪の状況にはならなくて、力が抜けた。
ちょっといろいろあって、精神的にとても疲れた。 疲れすぎて、眠れない。 横になっても、悪夢ばかり見て朝まで寝た気がしなかった。
子どもと上野の国立科学博物館でやっている「恐竜博2016」に行く。 起源、植物食、飛翔、水中進出、赤ちゃん、恒温、鳴き声というキーワード別に展示がなされている。 逆に言うとそれ以外についてはほぼスルーで、絶滅などについては触れられていない。まぁこれは定説がないからだろうと思うが。
深い展示を求めると失望するかもしれないが、映像展示もあり、化石の複製(歯など)を触れたり、ジュニア向けの音声ガイドがあったりと、子ども向けに配慮された展示で、キーワード別にコーナーがあるので、整理されていて見やすい。 ティラノサウルスとスピノサウルスを同じスペースに展示してあるのはさすがの迫力。 常設展示室が詰め込みすぎの気があるので、このくらいすっきりしていると見やすくていいなぁと思う。
子どもに「さよなら人類」を聴かせたら気に入ったらしくエンドレスで聴いている。
親子で足立区生物園へ。 ここは昆虫の生体展示が充実している。温室があって、その中に一年中熱帯の蝶が飛んでいる状況。オオゴマダラやリュウキュウアサギマダラがごく間近で見られる。飼育室もガラス張りで見ることができ、常に誰かいるので、質問も受け付けてもらえる。これからの季節、ホタルも展示される。自分にとっては贅沢な空間。 温室でオオゴマダラにまとわりつかれる。バタフライエフェクトでも起こしそうなゆったりとした羽の動き、自分の周囲をホバリングし、やがて腕に止まる。ただ止まるだけでなく、なぜか口吻で吸われる。いや、そこまで汗かいてないし。 子どもは自分に止まってくれなかったのでたいそう不機嫌。 あとで飼育員の人に伺ってみたところ、何か匂いのついているものを身につけていないか、とのこと。洗濯洗剤や柔軟剤は家族で同じものを使っているし、化粧品も基本的には無香料のものなので、ひょっとしたら日焼け止め(私は大人用、子どもは子ども用を使った)のかすかな匂いか、シャンプーやボディソープの匂い(子どもは昨日寝落ちしてしまい入浴していない)が原因か。
テントウムシやアリなどが腕を歩いても、触れられている感覚はあるがそれ以上でもそれ以下でもない。蝶の場合、今回のオオゴマダラが大型なのもあるけれど、脚先の爪が皮膚に掛かっていて「確かに留まられている」感覚がある。留まるときは前脚は畳み、中脚と後脚の4本脚で止まっているのも改めて確認。カマキリみたいな感じをイメージすると近いか。 口吻が伸びて皮膚を探る感触もはっきりわかる。 昆虫は筋肉の塊なんだなぁと改めて感じる。 この皮膚感覚をはっきり意識したのは初めてかもしれない。
夜中から風雨。朝のうちに雨は止んだが、一日中強い風が吹く。アオスジアゲハが強風に煽られてよろよろと飛ぶ。上空は雲一つない快晴。 セーターとTシャツを入れ替える。Tシャツも1軍と2軍に分けなければならない。肩の辺りが色あせているものは2軍(自宅用)へ落とす。ライヴに行かなくなってからTシャツの数は増えないが、それでもビニルから出していないものは何枚もある。いまはもう活動していないバンドのものも。踏ん切りをつけねばならぬ、そう考えるが、なかなか気持ちの整理がつかない。
若冲展、開館1週間あまりで既に動員10万人とか。GW明けどこかで休みを取って見に行きたい。
そういえば「トットてれび」を見たのだが、さすがNHK。 当時の映像を入れ、でも曲のアレンジは今風。歌は上手いし(まぁEGO-WRAPPIN'だから当たり前なのだが)役者も達者、ドタバタしていても五月蠅くない。 本来なら「窓ぎわのトットちゃん」からつなげて朝の連続ドラマで1年やってもいいくらいのネタを夜のドラマで1クールでやっつけてしまう贅沢。 さすがだなぁ。
吉野朔実氏の訃報を聞いて愕然としている。 確かにここ数年は作品発表ペースも遅く、体力がない方なのかな、とは思っていたが、これはあまりにも突然。 結果的に遺作となってしまった作品が載っているというので、仕事帰りにフラワーズを買う。いつも会社帰りによる書店では既に在庫がなく、大手町で降りてOAZOの丸善へ。丸善で漫画雑誌を買うといういささかシュールな状況。 帰宅してからざっと読んだが、いつもの吉野節だった。闘病していたとかそういう雰囲気はない。 雑誌にはインタビューも掲載されていて、それによるとストックは何本もあって編集部のリクエストに応じて蔵出しする状況だったらしい。 同業者が何人か既にツイッターで呟いていた。吉田戦車氏のツイートからは、直前まで普通に生活していたようなので、突然のことだったらしい。
漫画漬けの10代で、萩尾望都と吉野朔実はその中でも自分の核を作り上げた人といっても過言ではないくらいどっぷりはまっていた。 硬質で純度の高い文学的な絵と世界。台詞の一つ一つが自分に問いかけられるようで、未だに読み返す。エッセイも彼女ならではの題材選択が面白かった。 髪を長く伸ばしていたきっかけでもある(笑)
とにかく、まだ早すぎる、という感想しか出てこない。もっと彼女から生み出される作品を読みたかった。
2016年05月01日(日) |
「サイエンス・フィクション」または「すこし・ふしぎ」のこと |
今回の萩尾望都原画展はSFに焦点を当てたものだった。 発表当時、SFを少女漫画誌に載せるというのはかなり挑戦的なことであった、らしい。 40代前半の自分にとっては、物心ついたときには鉄腕アトムもロボットアニメもタイムトラベルものも気がついたらごく普通に存在していて、朝日小学生新聞には手塚治虫や松本零治の旧作が掲載されていたし(ワンダー3とか四次元世界とか)、教科書には星新一やブラッドベリが載っていて、SFとはごく当たり前のジャンルだったのだが、かつてはそうではなかったとのこと。 先達の闘いがあっての現在なのだが、それでもいまだにファンタジーはともかく、SFは多くの少女にとっては一般的ではないように思う。そもそも少女マンガは人物描写の比率が高くなるからどうしてもSF色は薄くなりがちで、タイムトラベルもの・異世界ワープものを一種のファンタジー・夢小説として除外するとかなり少なくなる感じ。 ガンダムシリーズなどのアニメで自己完結してしまっているのか。 自分が読んできた中だと、「ダークグリーン」やジャック&エレナシリーズや「輝夜姫」とか「獣王星」とか「OZ」がSFのくくりに入るのか。「僕の地球を守って」もそうなのか。いろいろ思い出してきた。っていうかこれ「ダークグリーン」以外全部白泉社。 コバルト文庫で新井素子の「星へ行く舟」シリーズとかあったし(まぁあれもSFというより日常系ではあるが)、好きな同人作家さんたちがみんなSF好きでフリートークコーナーでがんがんSFを勧められてたんでごく普通にハヤカワ文庫を手にしていたけど、それは少数派なんだろうなというのは当時から思っていた。そういう自分もスペースオペラ系は苦手で、もっぱらファンタジー寄りのところを歩いてきているのだが。ブラッドベリから入ったから、ロボット3部作とか本気で読んだのは最近だし。
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