東京の片隅から
目次|きのう|あした
12月初旬からずっと引っ張っていた案件が無事終了。気が抜けた。 いや、レスポンスが遅いのは私のせいじゃないよ!と英文メールを見るたびに胃がキリキリ。憂鬱な年末年始を越え、最終期限ぎりぎりに何とか滑り込みセーフ。 しかしこれから年度末に向けて同じような事態が続発するんだろうなぁ・・・。
今年の折田先生像をインターネットで見た。 ここ数年造形がちょっと残念なのだが、今年も図工が得意ではなかった人が作ったんだろうなあと言うのが第一印象。 あのキャラクターを作るなら「つるりとした丸さ」をもっと追求して欲しかったわけで、そういう意味ではもうちょっと頑張って欲しいと部外者は思うのであった。 自分の遠い記憶を辿ると、ああいうものは風船やバランスボール(なければ新聞紙を固めた球でも)等を芯にして紙を張り込み、紙粘土を水でゆるめてパテ代わりに塗り、乾いたらストッキングで磨けばつるつるになるはずだ。たぶん。 コメントのエッジは去年よりはいいような気がする。「コピー&ペーストに尽力」って、ひょっとしたらアレですかね、何とか細胞。
今日も起きていられず、午後1時間だけ眠らせてもらう。春は疲れる。
昼間どうしても起きていられなくて、30分だけ眠る。疲れている。
春の単発ドラマ?で香取慎吾主演で「ポーの一族」原案ものをやるらしい。 いろいろ調べると、もっと似た作品は他に存在していて、そちらの作者に映像化を蹴られたので同じバンパイヤもので設定が被る「ポー」から引いてきたのではないかという推測をしている人も。まぁバンパイヤものは古今東西沢山あるし、真相は闇の中だけど、作品紹介を見る限り、原案どころか不老不死設定しかあってない予感で、監督の自己満足になるのではないかと危惧。もちろん慎吾ちゃんには非はない。 わざわざそこで本来の読者層である40代以上の元少女たちを敵に回すような「ポー」の名前を出さなくても良かったのではないかと私は思うのだが、わざわざ名前を出して最近ドラマから離れていたその層の呼び戻しを狙ったのか、それとも少女漫画ファンなんて少数派だから無視して良いと考えたのか、もっと悪意にも似た単純さで萩尾望都布教活動をしようとしたのか、はたまたあとから「ポーのパクリ」と炎上する前に公開しておこうという制作者側の方針なのか、もっと単純に話題商法なのか。 まぁここは黙ってお手並み拝見するのが大人としての流儀なのだろうと思う。元々ドラマ見ないけど。
最も驚いたのは、私よりも若い世代なのだろうけど、萩尾望都も「ポーの一族」も知らなかったという人たちが結構いることで、これをきっかけにもっと萩尾望都作品を知ってもらえればいいなぁと、そこは素直に思うのであった。 でもヘッセもワイルドも読んでいなさそうな今の若いお嬢さんたちに、あの作品を理解してもらえるかなぁ。
NHK木曜時代劇の「ちかえもん」がひどいw(褒めてる)。 時代劇なのに唐突に歌謡曲(替え歌のときもあり)を歌い出したりするんだけど、有無を言わせぬ説得力がww。 関西弁の話のテンポもいいし、文楽そのものの会話のテンポの良さと下世話さがちゃんとありつつ、ちゃんと話としても成立している。 こういうのはNHKの底力だなぁ。 登場人物がお初徳兵衛なんでこれからシリアスに行くのかもしれないけど、たぶん久しぶりに(最後にちゃんと連続で見た実写ドラマは「濱マイク」というくらいドラマを見ない)最終回まで見そうな感じ。
この前「もう咲きそう」と書いたコブシだかモクレンだかは、枝先の1輪がほころびつつも、今週のこの寒さで踏みとどまった模様。 さすがに2月開花は早すぎる。
2016年02月23日(火) |
目の付け所がアレな感じ |
この前の発表会の絵を子どもたちが保育園で描いたらしく、壁に貼ってあった。
うちの子ども、大太鼓(バスドラ)に「Pearl」のロゴらしきものを書いている(爆)・・・ なぜそこに目をつけた。血は争えないのか。
子どもがブロックで家を作って遊んでいる。 一色で作るには数が足りず、いろいろな色を組み合わせて家はどんどん大きくなる。 まるでフンデルトヴァッサー・ハウスのようだな、と思う。 ブロックではあの曲線は出せないので厳密には違うのだが、複数の色を組み合わせていくのが、あの家を思い出させたらしい。
ところで、なぜブロックは原色なのだろうか。認識しやすい色、というのもあるのだろうけど、もっと中間色のブロックがあってもいいと思う。それとももう存在していて、私が知らないだけかな。
風邪っぽい。鼻づまりと喉の痛み、咳。起きたときが不調のピークで、活動しているうちに鼻が通り、喉の痛みも薄らぐ。この段階では風邪薬を飲む状態ではないので、水分を摂り、体を冷やさないようにする。何とかここで食い止めねば。
保育園幼児組の発表会。1年1年の成長度合いが顕著で、いろいろ考えることがあったり。
同学年の子のお母さんから、来年度(今度の4月)の0歳児は上に兄姉がいる子ばかりだったと聞く。話をしてくれた彼女も今上の子たちが2人通っていて、4月から3人目が入園するとのこと。 区の入園指数ボーダー表でもうちの園だけ周囲より高いのはなぜだろうと思っていたのだが、疑問が氷解した。 そういえばこの前葬儀帰りにそのまま保育園にお迎えに行ったとき、ちょうど短時間保育の終了時間で、ずいぶん赤ちゃん連れが多いなぁと思った。そういうことだったらしい。確かにそのお迎えの時見かけた赤ちゃんの数だけで0歳児の募集定員のほとんどが埋まる。何年も通園しているが、こんな年は初めてだ。
このところ精神的に不安定。気持ちが落ち込んだり、昔の嫌な思い出を思い出してもやもやしたり、涙が出たり、急にものすごい怒りモードに入ったり。毎年この時期はそう。桜が散るくらいまではこんな感じなので慣れてはいるのだが、家族には理解されづらいので、なんとか乗りきりたい。
叔父の告別式。 昨日も参列した両親によると、予想以上の弔問客があったとのこと。個人商店をやっていて、ここ数年は闘病で店に出られなかったのだが、交友関係が広い人だったのでそのせいだろうとのこと。 賑やかなことが大好きだった人なので、ありがたいこと。 今日も遠方からの弔問客があった。
喪主である叔母は、自分の実家の家族の介護をし、舅の介護をし、そして叔父の介護をして、ずっと人のために生きてきた。これからは自分のために生きて欲しいと思う。
山崎まさよしのコンサートに行く。 デビューから20年。ということは、自分が見始めてからももうすぐ20年。(自分のHPを見返したら初見は1997年だった。) 思えば遠くへ来たもんだ。しかし、20年コンスタントにCDをリリースし、コンサートツアーを行える、ファンもついている。それはなんて幸せなこと。最近そう思う。 セットリストは昔の曲中心で、そんなところも20周年を意識しているのだろうと思う。オールドファンには嬉しい選曲(笑)。 絶好調とはちょっと違う感じもしたけど、高音も伸びていたし、割りと激し目のアレンジが多かったので、そのせいだろうと思う。 最後にドラえもんとのび太くんが登場し、映画の主題歌を歌う。また新しい一歩。
まだパーマネント液の匂いが自分に残っている気がして、気になる。
自宅の近くの中古戸建てがしばらく売りに出ていて、そのうち取り壊され、あぁ新築を建てるんだなぁと思っていた。 作っているうちに外壁が見えて、何だか妙に安い材料。 しかも気がついたら郵便受けが10個近く取り付けられていた。 シェアハウスでも作ったんだろう。 ただ、この建物、10戸くらい一斉分譲したところの一角。近所に説明したのかなぁ。シェアハウスがダメだというのではなく、ハウス内で人間関係が完結してしまってご近所まで気が回らなそうなイメージ。きちんと挨拶できる人が入居するかどうかは、ずっと住むご近所にとっては結構バクチだ。
同じことが昨今話題の民泊でも言えると思う。 本来のB&Bは私はしたことはないが、小説やエッセイからすると「自宅の空いている一室を貸す」パターンがほとんどだった。身内に外国でひと夏留守宅を借りた人がいたけど、それは貸主とは研究者仲間で面識があったから信頼関係があったケース。 最近問題になっている空き家に旅行客を泊める行為は、やはり周囲の住人に対しデリカシーがない行為だと思う。
と、ここまで書いてきて思った。民泊とふるさと納税は似ている。 会社でふるさと納税に熱心な人がいるのだが、彼の観点は「いくらリターンがあるか」で、その地域がどうなって欲しいとかそういうビジョンはない。下手するとどこにある市町村なのかわかっていないかもしれない。 本来B&Bもふるさと納税も、対象(宿泊者や地域)に思いがあっての行為のはずなのだが、いつの間にか金銭的な問題にすり替わっている。
数日前にこんな夢を見た。
私は死んでいる。 死ぬことに恐怖は感じない。 集中治療室にいたときに感じた、マットレスに全身が沈み、埋まっていく感覚。あの感覚がより深くなり、あぁ自分はほんとうに死ぬのか、そう思っている。 ふと気がつくと私は自分の体の側に立っている。 自分の体は既に棺に入っている。それを横から眺める私。 そうか自分は死んでしまったのか。では今それを見ている私は何なのか。 部屋の中を歩き回るうちに、自分の姿を鏡で見る。確かに私だが、ところどころジグゾーパズルのように欠落がある。これではいかんと意識すると、欠落部はまた埋まる。意識が薄れるとまた欠けたり薄くなったりしてしまうようで、全部消えると意識体としての自分も消滅するのではないか、と考える。 意識があるうちに身辺整理のあれこれを頼まねば、と、私は行動している。本は処分して構わないこと、欲しい人がいたらあげて欲しいこと、パソコンのホームページやこの日記は削除して欲しいこと、SNSの退会手続きもせねば、IDやパスワードを書いてある手帳はここ、そんなこんなについて、妙に冷静に作業している自分がいる。 家族には私の姿は見えたり見えなかったりするらしい。私が死んでいるにもかかわらず、普段と変わらない日常生活を送っているように見える。 人間には3回の死があるという話を思い出す。1度目は本人の(肉体的な)死、2度目は当人を知るものが全て死んだとき、3度目は何だったか。(あとで調べたら「(生きていたという)記録の消滅」らしい) いつも通りに見える家族を見ていて、自分の存在が忘れられているように思え、あぁ私は本当にこれで「死んで」しまうのだなぁと、そこで初めて、自分の足元が崩れ真っ暗な穴に吸い込まれていくような感覚を感じる。
髪を切りに行った。 自分にとって髪型は限りなく優先度が低い。もともとウェーブの入った癖毛なので(しかもコイル状のアホ毛まである)伸ばしてまとめるのが高校時代からの基本スタイルだから、多少傷んでいようと長さが変わっていようと結んじゃえば関係ない。最近はカラーリングもしていない。しかも出産してからは土日は子どものこと優先、美容院に予約の電話を掛けるのも面倒くさい、となったら、いつの間にか1年以上経っていた。 ここに来て髪型をナントカせねばと思ったのは、運転免許証の更新通知が来たからである。そういう外部要因がなければ、たぶんあと半年くらい行かなかったのではないかと思う。
肩胛骨の下まであった髪を鎖骨くらいまで切り、癖を取るためにストレートパーマを掛けてもらう。ボブにすることも考えていたのだが、この前伯父の葬儀で会ったきょうだいは二人ともボブになっており、これで私までボブにしたらおそ松くん状態。それだけは絶対に避けたい。 久しぶりに見る「髪の毛がまっすぐな状態」にものすごい違和感を感じる。次回(いつだよ)はウェーブに戻そう。
午後、長患いをしていたもう母方の叔父の訃報が入る。思っていたよりも早い。
マイナス金利やら重力波発見やら育休申請しているのになぜか不倫とか、このところのあれこれは凡人には理解できないですなぁ。
雛人形を出す。 ケースが経年劣化していて、段ボール箱から出してみたら分解寸前。とりあえず木工ボンドで接着。でも木が反っているので根本的な解決にはならないだろうな。家の近所に人形ケースを作っている作業所を見つけたので、今後壊れたら、そこに訊いてみようと思う。
ひなあられがなかったので、買いに行く。近所の公園はモクレンだかコブシだか(樹形からするとコブシか)の蕾も膨らみ、いつ咲いても可笑しくないほど。オオイヌノフグリなどはもう咲いている。今年はやはり暖冬なのだな。
駅から会社に向かう途中、アンパンマンの子ども用歯ブラシのパッケージ(未開封中身入り)がフェンスに引っかけてあった。 会社の近所には保育園や幼稚園があり、ママチャリに子どもを乗せて送迎する親御さんの姿を毎日見ているから、その中の誰かだろうと思う。 自分の経験から、子どもに持たせて後部座席に乗せて送迎中に落としたと思われる(笑) 子どもあるあるだよなぁ。持ち主に戻るといいな。
子どもがディズニーランドに行きたいとときどき言うようになり、保育園のうちに一度連れて行ってもいいかなぁと思うのだが、一番のハードルは親がふたりともテーマパークが好きじゃないこと。 ディズニーシーに行ったのはオープンしてすぐだからもう15年くらい前。会社の労働組合のレクリエーションがシーになり、その年偶々役員当番だったまーさん(と私)も参加せざるを得なかったのであった。ちなみに行き先の発案者であった某嬢はチケットを事前にもらって転売する気だったらしく、当然それを読んでいた組合役員によりチケットは当日ゲート前での手渡しとなったため、ドタキャンしやがったのであった。彼女の評判が地に落ちたのは言うまでもない。 ランドに至っては最後に行ったのは中学生の時だから、30年近く前だ。
そんなこんなで先送りしていたら、入園料が値上げになるらしい。昔から比べるとずいぶん高くなったなぁ。飲食物は持ち込めないから飲食代と絶対欲しがるお土産代もそれにプラスする。うちは夫婦と子ども一人だけど、子どもが複数いる家とか遠距離だったりするともっとお金がかかる。完全に贅沢品だ。 それでも我が家は電車で行かれるからいいのかな。
最近ツイッターのアカウントを作った。 情報を取るためだけに登録したものなので、両手で足りる数のフォロー先があるだけだ。検索はするが、自分からはツイートもリツイートもしていない。アイコンも設定していない。 しかし先日気づいた。自分をフォローする人がいる。 知り合いではなさそう。ただのbotなのか。謎である。 今のところ放置しているが、ブロック?した方が良いのか。
作家アリスシリーズのドラマ化で一部界隈(笑)が盛り上がっているようだが、自分が最初に「この二人組が(同人誌的な意味で)やばい」と聞いたのが大学生の頃だったので、もうあれから20年かと思うと隔世の感がある。ちなみに薦めてくれたおねえさんは、刑事物とSF、特にバディ(当時はコンビという言葉しかなかったような)がお好きであった上下ではない関係性と対立軸がポイントと思われる。 っていうか今更盛り上がるってあの二人そんなにマイナーだったのかと思って調べたら、映像化はこれが初めてなのね。 あの空気感と会話(笑)を放送しても大丈夫なくらい、あの世界が市民権を得て世間が寛容になったと言うことだろうなぁ。
土曜日なのでさすがに混んでいる。スキー教室やら同好会らしき集団やらがあちこちの斜面でレッスン中。子どもの練習にちょうどいい斜面も人が多く、平日の人がいないスキー場に慣れてしまうと滑りにくい。子どもはなおさら。昼で切り上げて、日帰り温泉に寄って、帰宅。 あまり滑っていないのだけど、とても疲れている。
子どもは何となくターンらしきものをマスターしている。行きたい方向に体を向けると曲がるのがわかったらしい。プルークボーゲンだっけ?ターンもどきができることで、人を避けることができるようになった。あとは斜度に慣れて「このコースなら大丈夫」というコースを作ること、自信を付けさせることか。
今シーズン初スキー。1月の予定はまーさんの出張で中止になったが、今冬の雪の降らなさぶりから考えると、予定が空いていても雪が無くて中止になった可能性が高かったので結果オーライなのか。 しかし雪がない。高速道路の脇にもほとんど雪がなく、山へ近づいても道の脇に雪溜まりがない。スキー場の駐車場にもほとんどない。まるで3月のよう。 子どもは案外滑りを覚えていて、緩斜面ならボーゲンで滑っていく。今日は滑りを思い出すことと、止まること、リフトの乗り方を覚えることが目標。どれもなんとなくかたちになっているので、今回のスキーでターンを覚えられればいいと思う。 ところでゲレンデに迷彩服の集団がいると思ったら、自衛隊の訓練だった。板はもちろんテレマーク。皆が皆上手なわけではなく、緊張がちがちボーゲンの隊員もいるのがなんとなく微笑ましい。
会員価格・セルフスタンドとは言え、ガソリンスタンドで2桁の数字を見るのは何年ぶりだろう。
週末のスキーの荷造りを始める。 荷物の半分はスキーウェアとアンダーウェアで、いつも持っていく荷物なので迷わないはずなのだが、なぜか忘れものがあったりするので、とりあえず鞄に詰め、前日に中身を再確認する予定。
保育園で今年初のインフルエンザが発生。今月後半には発表会があるし、我が家は今週後半はスキーに行くし、保育園で流行に至らないことを祈る。 それでも、子どもの通う保育園では感染症は流行しにくい。胃腸炎は流行したが、水疱瘡やおたふく風邪、インフルエンザのような、予防接種のある感染症はあまり流行しない。 上に兄弟児のいる家庭も多いのだが、みんな予防接種を打っているのか、それとも早め早めに休ませているのか。何にせよ有り難いことで、うちも発生源にならないように注意せねば。
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