東京の片隅から
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自分の産後一ヶ月検診を受診してきた。 さくさくと診察は終わり、尿タンパク以外の異常はナシ。尿タンパク自体は腎臓内科の先生に任せるしかないか。 診察が終わったあと、そういえば風呂に入っていいかと自転車に乗っていいかを聞きそびれたなぁと思い出すが、前回は1カ月過ぎたら許可が出たのでたぶん大丈夫だろう。
このところいやに眠い。 朝まーさんを送り出してからちょっと眠って、病院から帰ってきてからも軽く昼寝をするのが日課になっている。疲れが出てきたか。
義母が自分の姉妹に妊娠と出産のことを話したらしい。 出産はともかく妊娠は何かあるかもしれないし、実際前回は「何かあった」わけであれこれ喋るのは無事退院してからにして欲しいのだが、そういうところは昔の人なので「ダメならまた次産めばいいじゃん」(って自分たちは一人しか産んでないのだが)くらいに思っているらしいのが頭の痛いところ。
で、同居しているまーさんの従姉妹から電話があった。向こうの身内なのでまーさんに出てもらう。 いや、嫌いじゃないんですよ。ただ、自分にとってはかなり「他人度」の高い相手なわけで、直接顔を合わせていればまだ何とか会話も成立するのだが、電話ではまだどうにもこうにも。 まぁ、電話の内容はいらないベビー用品があれこれあるからどうか、という有り難い話で、いろいろ聞いてもらうとチャイルドシートがあるそうで、それは有り難く借りることにする。 来週遊びに来がてら届けに寄ってくれるらしい。掃除しなければ。
家電量販店を覗いたら、アップルコーナーにiPadが置いてある。 ちょっと興味は惹かれたものの、いじりたい人が列を作っている。まるで公園でブランコの順番を待つ子どものようだった。
笑っていいともを見ながら、特定外来生物についての論調が厳しくなっている昨今、ブラックバス釣りについての話題は避けた方がいいんじゃないかと余計な心配をしてみる。 別に好きな俳優でも何でもないけど、リリースに対する目が厳しくなっているから、イメージダウンにつながりかねないよなぁ。
帝王切開手術後の検診。産後1カ月検診と一緒でもいいんじゃないかと思わないでもないのだが、自分の入院が長引いたせいで日程が詰まったのでしょうがないのか。 特に異常はないが、HELLP症候群のこともあるので、一応採血検査もする。良くなっているといいなぁ・・・。
検診とNICU面会時間の間がかなりあいていて時間をつぶせそうもなかったので、朝から一日乗車券を買って家と病院を2往復する。途中下車してスーパーで買い物も。3回乗れば元はとれるので、今日はばっちり元を取った、というか、取らないと気が済まない貧乏性。
化粧品のCMで大人ニキビに悩んでいるのに夜中のラーメンを食べているが、どう考えてもそりゃダメだろ。
2010年05月25日(火) |
クロスアドベンチャー |
まーさんの車はジムニーだ。もう14年目に入る。 最近そんなジムニーのCMが流れている。40周年記念モデル、らしい。 しかし発売40周年にしてフルモデルチェンジはわずか3回。まーさんの14年目「かなぶんくん」(ミラーの形がカナブンの触角に似ているから)が「先代」のモデルなのである(笑) そして通常のモデルチェンジサイクルからするとぼちぼちフルモデルチェンジの時期らしいが、たぶん出ないだろうなぁ、と、まーさんは言うのであった。
伊坂幸太郎「終末のフール」読了。 期間の長短はあれど「世界の終わりまであと○日」という設定で、新井素子の「あなたにここにいてほしい」を思い出した。あれはあと一週間、こちらはあと3年。 新井素子はほとんど処分してしまったのが今になるとちょっと惜しい。あれはもう20年以上前の小説なのだな、と気づくと自分の年齢を感じる(苦笑)。
自分の寿命がカウントダウンにはいるのと、世界全体がカウントダウンにはいるのとでは、ずいぶん違うな。自分だったらそのときどうするかな、とちょっと考えてみたりした。
まーさんが突然「ミシンってあった方がいいんじゃない?」と言い出し、病院帰りに家電量販店に見に行く。 今は水平釜で自動糸通しが標準仕様なのねーってどれだけミシンに触っていないかがわかるというものだが、基本的に足踏みミシンでも没問題な人間なので、最近の多機能ミシンは何がなにやらわからず、カタログだけもらって帰宅。
それにしても自分はあれこれ工具で自作するくせに「家庭科系手作り」に拒否反応を示す人間からミシンの単語が出てくるとは思わなかったな。何か作らせようとたくらんでいるのか・・・。
今の病院のNICUは保護者の来室率が高い。 病院の方針なのか、毎日来ても差し障りがないレベルの子どもが多いのか、単に近隣に住んでいて毎日通えるからか、理由は幾つもあるのだろうけど、平日でも授乳室は親で一杯だったりする。 前に通っていた病院は他県からも患者が搬送されてくる規模の大きい病院だったから毎日通えない親も多かっただろうし(1時間半で通える自分も2日に1回だった)、重症患者ばかりだったのかもしれないし、そもそも自分に余裕がなくて周囲を見ていなかった可能性も大きいが、病院によってずいぶん雰囲気が違うものだなぁと思う。
しかし、やっぱり混んでいる。毎週患者はちょっとずつ入れ替わっていくのだが、結構満床に近いのではないかと思う。看護師さんに聞いてみたら、患者数は結構ムラがあるらしく、現在のように一杯の時もあれば、ガラガラのときもあるのだとのこと。自分の場合、上の子どもも同じ季節だったからこんなものかと思っていたが、そうでもないらしい。
2010年05月21日(金) |
しみじみとありがたい |
会社から給与明細が届く。 うちの会社は産前産後休暇の間は給料が出る。 ありがたいことである。 これで入院費用のカード引き落としが安心できる(苦笑)。
NICUでうちの子を今日担当する看護師さんとなぜか鉄道話で盛り上がる。 保育器の子どもそっちのけで500系新幹線とサンライズ出雲について熱く語る女子2名。いいのか。まぁいいか。
2010年05月19日(水) |
組織に所属することの利点 |
今お世話になっている病院は、NICUがある自宅から一番近い病院であり、通勤ルートの途中にある。 出産までは何も考えずに定期券で通っていたのだが、定期券が切れてしまった今になると、交通費がバカにならない。電車賃が高いのである(苦笑) で、電車よりも安いバスに切り替えて通っている。
何も考えずに気軽に途中下車をしていたが、会社で定期代を持ってくれるって有り難いことだったんだなぁと実感。
毎日こつこつと洗濯。衣替えの準備である。 マタニティウェアをどうしようか、と思い、とりあえず洗濯とアイロンがけ。周囲に譲る相手もいないので、オークションにでも出すかと、携帯で写真を撮ってみる。ついでにmixiで関連トピを検索。あまりアクティブでなさそう。
毎日、午前中は家のことをやって、昼過ぎから病院に行き夕方帰宅、夕食を作るという生活が始まった。 腎機能が低下したままなので、ムリをしないように、休息を取るように医師から指導されている。 家事の合間に仮眠を取ろうと思うのだが、なかなかそう時間も取れない。しかし子どもが入院している内に自分の体力を回復させなければならない。
自分がかかったHELLP(ヘルプ)症候群なるものを検索してみたのだが、1万人に1人か2人の結構レアな病気みたいだ。 そして次回妊娠した場合に2割くらいの率で再発するらしい。もう妊娠するなとは言われなかったが、まぁ年齢的にもリスク的にも避けた方が無難なのかな、という感じか。子どもが女の子なのでほとぼりが冷めた頃に「跡継ぎ」とか言われそうな感じだがそこはスルーする方向。 子どもは今のところ元気で、このまま上手く何事もなく成長できればいいなと思う。
「自宅療養」とはいっても帰宅すれば家の中を片づけなければならないし、毎日3〜4時間ごと(まぁ夜はうっかり寝ちゃって5時間くらい空いたりするけど)に搾乳して冷凍してそれを病院に届けなければならないし、それなりにやることはいろいろあって、なにかとばたばたしている。 衣替えとかタンスの整理とかホットカーペットを片づけるとか掃除とか弁当のストックづくりとか。 やらなければならないことはまだまだありそうだが、毎日ちょっとずつやろうかと。
とりあえず今日は部屋に掃除機をかけた。一月ぶりらしい。
毎日少しずつ片づけ。軌道に乗るのは一週間くらいかかるだろう。 とりあえず、冷蔵庫の中身を充実させるべく、スーパーマーケットへ出かける。 あまりにものがありすぎて何を買ったらいいかわからない状態。
ついに退院。 5人部屋にいたのだが、うち4人がこの日退院、残り1人も月曜日には退院らしい。ここまでそっくり入れ替わるのも珍しいと看護師さんも笑う。 しばらくは面会に毎日通うことになるが、長かったような短かったような。
退院していきなりラーメンを食べたら、腹を壊した。味覚も変わったようだ。
退院前の医師説明。 手術の状況、入院中に投与した薬の説明等。 今回発症したHELLP症候群についても説明を受ける。次回妊娠時の再発率は20%。これを多いと見るか少ないと見るか。 それ以前に自分に「次」はあるか。妊娠するなとは言われていないが、年齢とリスクを考えて、「次」はないだろうな、なくてもいいな、と今のところは思う。
腎機能の検査結果が出る。 入院時の値近くまで戻ってきたのだが、それでもまだ正常値よりも一桁多い、とのこと。一時は100倍近くまで上昇したのでまぁ良くはなってるけどね、とのコメントをもらう。 血圧も一時は最高値200を超えていたのだが、このところは100くらいで、むしろ普段よりも低いくらい。こちらは問題なし。
腎臓内科の診察を受ける。今すぐ服薬が必要な状況ではないが、継続して見ていく必要があり、将来的には薬が必要になる可能性もあるとのこと。来月の予約を取る。
毎日病室からNICUへ面会に通う。 子どもは空腹になると保育器の中で大騒ぎし、ミルクを飲み終わると爆睡する、というサイクル。 食欲があるのはいいことだが、このメリハリの利きすぎはどちらに似たのやら。 少なくとも、顔は、自分の遺伝子が入っていないのではないかと思うほど、私に全く似ていない(苦笑) まーさんの顔というよりも、義父そっくりの顔。女児なので相当微妙。 自分の子どもが美人になるとは思っていないので、せめて自立して一人でも生きていかれるように育てようと思う。
何週間も入院していると、出産というのは毎日同じペースで生まれてくるわけではないのだなぁと思う。 予定帝王切開の場合は手術日が決まっているからともかくとして、普通分娩の場合、面会室で何家族もが出産を待っている日もあれば、一日何も起きず分娩室の明かりが真っ暗な日もある。日々それぞれ。 助産師さんによると、満月の日は出産が多いような気がする、らしい。
子どもの体重が出生時をようやく超えた。 生まれたあと体重が一度減少するというのは知っていたが、なかなか超えずにはらはらしたので、ほっとした。 まだスタートラインにも立っていないのだが。
自分の子どもだけをNICUで見ている分には小さいと感じないのだが、面会が終わって病室に帰る途中に他の子どもを見ると、やはり2回りも3回りも小さいのだなぁと感じる。 体重がそもそも半分くらいしかないから、当たり前なのだが、頭の大きさとか、手足の太さとか、身長とかが明らかに違う。これが2カ月のハンデなのだろう。 まだ4月生まれだから成長が遅くてもまる1年の余裕があるよ、と励まされる。確かに3月生まれの自分は、小さい頃には明らかに体格や言葉のハンデがあった、と母は言っていた。
病院の食事メニューはなぜか20日を1サイクルとしている。 ついに一周してしまった。 見覚えのあるメニューが並ぶ。 追加料金を払えば別メニューに出来るのだが、そこまでする気もないので、出されたものを淡々と食べる。
世間ではゴールデンウィークが終わったらしい。 予想以上に入院が早まり凹み気味だったのだが、家族に病院から連絡が行ったり、洗濯物を持ってきてもらったりしていたので、休みの時だったので、まーさんの仕事に支障が出ずに対応できて良かった、と思うことにした。 ものは考えようだ。
結婚指輪をはめてみる。 なんとか入った。入るというより押し込むという表現が正しい。 ヤバさを感じて3秒で外す。外せなくなったりしたらシャレにならない。
ふと、腕や手の甲の血管が見えるようになったことに気づく。 これまではむくんでいたため、外からは見えなかった。 当然採血や点滴もしづらいわけで、腕は点滴の針を刺した跡だらけ。内出血の青痣もあちこちに。そのうち消えるとは思うが。
でもまだ結婚指輪は微妙に入らない。
体重計に乗る。 妊娠中に体重は11kg増加し、入院時よりも体重は-8kg。入院直前の2カ月で一気に体重が増えたのは妊娠高血圧によるむくみのせいだったらしい。 差し引きの3kgのうち子ども(約1.4kg)+胎盤(約0.5kg)+羊水(約0.5kg)を別として、残りはほとんどむくみか?自分の体にはいったい何が入っていたんだろうか。 そしてまだまだむくみは完治していない・・・。
手術跡の抜糸。抜糸と言ってもイマドキはホッチキスで留めてあるので針を抜くというのが正しい。 前回もそうだったのだが、傷跡を見るのが怖くてまだ見られない。もっとも唯一見ることの出来る機会、シャワーは眼鏡を外して入るから、私の視力では見たくても見られないのだが。
首の点滴管が外れる。久しぶりの「自由」だ。 たかだかプラスチックのパーツとはいえ、体の片側に何かがついているというのは落ち着かないもので、しかもそれが首だから、なんだかいつも片方に頭が傾いでいるような気がしたのだが、いざ外してみてもまだついている感覚が残っていて、頭は傾いたままだ。
久しぶりに自分の顔を鏡で見る。まだ貧血で真っ白だ。入院以来ずっと眼鏡だったし、ここ何日かはそれも外していたので、眼球が真っ白。充血していない目を見るのは何年ぶりだろうか、と思う。
夢の内容が少し明るくなる。これまではずっと曇り空だったり夜だったり地下だったりしたのだが、少なくとも昼間日が差している時間帯になった。
ひたすら水分を摂り、排出する。ICUにいたときは顎のラインがなくなるくらい全身がむくんでいたのだが、だんだんむくみがとれてきている。それでも世間的にはまだまだ。二重まぶたも一重のままだ。 子どものほうが順調らしい。
2010年05月02日(日) |
海にたどり着いてしまった |
ICUにいる間脳内に浮かんでいた映像は、クールベの「波」のような海辺。しかし空はもっと暗い印象。厚い雲の中、一点切れた雲間に青空が見え、あぁ自分は助かるのかな、と思ったのを覚えている。
通奏低音でベースが鳴り、それはまるで「海とゼリー」か「追放と楽園」なシューゲイザー風味。しかし聞こえる歌は「チコタン」それも最終楽曲。なんなんだいったい。
前日より水の摂取が可能になる。麦茶は可というので、面会時に麦茶を買ってきてもらい、飲んでいる。それが原因なのか、尿が出るようになったり、体温が下がってきたりし始めている。 この日から食事再開。最初は流動食である。そんな中、より重症の患者を入室させるため、急遽ICUから一般病棟へ移動することとなり、ICU全体がバタバタする中、ゆっくり流動食をすする。豆腐のすり流しが妙に旨い。
眠っている最中に全身の力が抜け、舌が落ち、気道をふさぎ、アラームが鳴る、自分で「やばい死んじゃう」と思って眠り掛けた体を起こす、その繰り返しで、SpO2はまだまだ安定していないが、これは半分メンタルなものかもしれない。
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