東京の片隅から
目次|きのう|あした
「今年もあと60日」と言ったらみんなに怒られた。いいじゃん事実なんだから。
出勤前に何カ所か業務関連で立ち寄り。普段乗らない電車に乗ったら逆方向だったりして、ダメ人間炸裂。会社に着いたのが11時近かったせいか、会社についてからがなんだかやたらと忙しかった。この忙しさは今週いっぱいは確実に続きそうだ。
スガシカオのライヴ。 筋肉痛になるまで踊った。久しぶりだ。
内田百ケン「御馳走帖」読了。読んでいる分には偏屈振りは笑えていいのだが、実際こんな人が周囲にいたら堪らないだろうなぁ、と思う。
帰宅したら昨日シチューを作ったときに出した牛乳が出しっぱなしだった。もちろん中身入り。 そういえば朝何でパックを洗ってないんだろうとか考えていて・・・・丸一日出しっぱなし!!! ・・・とりあえず飲んでみた(え?)味は大丈夫なようです。が、パックの内側に何となくカビコロニーのようなモノを見た気がするので、早めに飲み終えたいと思います。(捨てろよ!) 結構腹は丈夫なんだよね。三朝温泉ではひどい目にあったが(苦笑)
台風の次の日はお約束のようにピーカン。そして暑い。 朝から洗濯と掃除。 午後から駿河台の石井スポーツへ。まーさんのスキーウェアを買う。板をどうするかなぁ・・・。 古本まつりは食指が動かず、そのまま秋葉原へ移動して、ちょっとした買い物。 駿河台下にせよ、神保町にせよ、人はそれなりに出ているが、買い物袋を下げた人は少ない。見てるだけ、が多いようだ。昨日はとてもじゃないけど買い物に来る状況ではなかったから、2日分でこれか、と考えると、景気の回復はまだまだ先という印象。
11月から仕事が忙しくなりそう。うちの部署、2本柱の1本が異動になりそうです。人に仕事を振るのが不得意な人だったので、彼しか知らない仕事が山のようにある。どこまで仕事が止まるやら、と考えると今から恐ろしい。
朝起きたら雨。今週ずっと干していた赤ジソも梅酢もなんだか水分を吸って戻ってしまった様子OTZ
午後、東京国際映画祭エドワード・ヤン追悼上映「ヤンヤン 夏の思い出」。 なぜか上映中鼻水がとまらず、ティッシュ片手に見ていたので、端から見ると感動しているんだかなんだか、かなり怪しかったと思う。 原題「一 一(a one and two)」の意味がずっと謎だったのだが、ジャズやロックなどのカウント「ア、ワン、トゥー、ア、ワン、トゥー、スリー、フォー」から来たらしい。ここからすべてが始まる、という意味か。 生と死、恋愛、人間関係、仕事、そういったいろいろなファクターが複雑に絡み合って話は進むが、流れているテーマはこれまでと同じながら、これまでの作品よりもわかりやすい。結果として遺作になってしまったが、彼の集大成とも言える。 今日も上映後にティーチイン。ヤン監督が音楽好き、特にオペラやクラシックが好きで、曲の構成に興味があったこと、侯孝賢の「風櫃の少年」にヴィヴァルディ「四季」を使うことはヤン監督のアイデアだったということなども話される。音楽とコンピュータ、どちらも数学的な才能を要するもので、きちんとしたストーリー構成などは、そういうところに影響したのだと実感する。
今回5作品を見て、発表ペースが長いこともあってリアルタイムでは見逃したりもしたのだが、もっと彼の作品を見たかったなぁ、と思う。本当に惜しい。もっと見たかった。
2007年10月26日(金) |
笛吹いて踊ってみたら |
亀田問題というのは、結局、子どもをネタに周りを見返したい男と、金になりそうだからおだてて踊らせたプロモーターと、視聴率がとれそうだから甘やかしたテレビ局の思惑が、去年巻き起こった「ハンカチ王子=育ちのいい運動も勉強も言葉遣いもちゃんとしたいいとこの出来る子」ブームという対立軸に蹴散らされた。 そういう解釈でいいだろうか。
どうでもいいことだが、最近気づいたこと。
真っ白とか真っ黒とか全身斑とか縞とかそういうのを除いて、背中が黒っぽくて腹側が白い猫は山ほどいるが、その逆、背中が白くて腹側が黒っぽい猫は見たことがない。そういえば犬もだ。
何か理由はあるのか。
今日は有休を取って「海辺の一日」。六本木に行く前に久しぶりに銀座をうろうろするが、平日の昼間だと言うのに気合いの入ったおしゃれをしている人が大勢いて、疲れた。そんな中テキトーな格好の私にきちんと接してくれるデパートの販売員。プロだ。
ヤン監督の初監督作品。オムニバスでなく初めて1本まるまる監督した、その作品が2時間半って(笑)最初は4時間くらいあったらしい(爆) 人物相関図などをフローチャートにしてから脚本を書いたというのはさすがコンピュータ系。上映後のティーチインで脚本家の呉念真氏が「悪夢のようだった」と語ったが、ここまで作り込んだのはさすがというほかない。過去と現在とを複数の人物の視点から行きつ戻りつしながら進む複雑な展開だが、混乱しないのは脚本がきちんとしているからだろう。 ヤン作品に共通して流れるどこか所在のない感じ、足下の定まらない感じはこのころから通奏低音のように流れているんだなぁと実感。
久しぶりにスタバでダブルトールラテを注文したら、カフェインが濃すぎて(エスプレッソ倍だから)あとで胃がおかしくなった。好きなんだけどショートにしておけばよかった、とちょっと後悔。
一日中いい天気だった。 去年の紅梅酢とシソをベランダで干す。巨大な塩の結晶が出来る様子は理科実験のようで、なかなか面白い。 梅酢は梅塩に、シソはユカリふりかけにして、実家に持っていく予定。
十三夜だからというわけでもないが、いただきものの文明堂「三笠山」が夜食。
スピリチュアルブームの中で言われる「障碍のある子どもは親を選んで生まれてくる」という考え方が好きではない。 そういう考え方が救いになる場合があるのは自分のケースで実感としてわかっている。 でも、おいそれと他人に対して掛けられるそんな軽い言葉ではない。 「障碍のある子どもは親を選んで生まれてくる」という言葉を健常者が発するとき、そこには「あなたは精神的に強いから大丈夫」という励ましと、「私は弱いから選ばれなかった」という謙遜とが表裏一体になっている。 しかしその謙遜は自分は弱いから障碍児に選ばれなくて良かったという優越感と紙一重だ。 発言している本人は意識していないだろうが、その無意識が一番たちが悪い。
2007年10月21日(日) |
ハスミ先生大いに語る。 |
今日は六本木で「タイペイ・ストーリー」。候孝賢が若い(笑) 上映前のティーチインでは蓮実重彦先生が登場。相変わらずの毒吐きトークで会場を笑わせる。本当に映画が好きなんだなぁこの人は。愛するものについて語るときと嫌いなものについて語るときの口調が全然違うんだよね(笑)大学1年の時の入門ゼミの先生(故人)がやはりこんな感じだった。 起承転結の「起」と「結」が欠落したような感じで、時間の流れを上映時間の分だけ切り取った感じ。主人公たちの背景もこれからも見る側が読み解かなければならない。見る側に多くをゆだねる映画というのは、作る側にとって負担が大きいのではないか、と漠然とだが思う。
上映後、六本木ヒルズ内の小洒落たカフェで遅い昼食。「カフェ飯に美味いものなし」という自分のジンクスどおり、やはり微妙な味。
六本木ヒルズ内をうろうろする。消防法はクリアしているのだろうけど、構造が複雑で、疲れた。ビルは普通に四角いのが一番いい。
エドワード・ヤン特集を見に行く。チケットは全部妹にとってもらった。すまん(笑) ヤン監督は台湾の監督だが、外省人であること、アメリカに留学したこと、そういうこともあってか、台湾を舞台にしつつ、でも何となくアウトサイダーな視線が漂っている。 今日のプログラムは「光陰的故事」と「恐怖分子」。「恐怖分子」はロードショーの時に見た。北野映画にも通じるような、そういう静かな怖さがある。 両方とも10年も前の映画だが、内容は今見ても古さを感じさせない。さすがに髪型とか背景の映画のポスターとかは時代を感じさせるが(笑) 改めて彼の死を惜しむ。合掌。
2007年10月19日(金) |
最近読書日記と化していますが |
伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」読了。 最近ミステリづいている。伊坂はまーさんの趣味。今まで何となく食わず嫌いだったのだが、斉藤和義に歌詞提供したりしたので気になって読んでみた。 あぁこれが好きなら梨木香歩も川上弘美も受け入れられるだろうなぁ、と納得。 ストーリーが現実から微妙に浮遊していて、緊迫感のある心理描写にマグリットの絵のような奇妙な静けさを与えている。これはミステリなのかな。ファンタジーと解しても間違っていないような気がする。
今は内田百ケン「御馳走帖」。偏屈振りが笑える。
そういえば今週新橋に寄ったとき見かけた若い女性二人組。 プリントアウトした地図を片手に信号待ちで人に道を聞いている。それは普通だ。あまりにも地図が読めていないようだったが、20代と思しきエビちゃん風「愛されOL」を意識しているであろう彼女らだったら許されるであろう。 ところで、なぜその二人が気になったかというと、信号待ちをしているたくさんの人の中で、「一番この街に詳しそうな人」ではなく「一番見た目が良さそうな若い背の高い小綺麗なサラリーマン」に彼女らが道を聞いたからだ。 そういうときに目ざとくターゲットを発見し捕獲する能力を「女子力」というならば、彼女らはその能力をフルに発揮して合コンで彼氏を捕まえ、将来の夫を捕まえるんだろうなぁ、とうどんつゆを買いながらそういった能力が低い私は思った。
とりあえず仕事の山は何とか無事に一つ越えた。あと再来週にもう一つ大きな山がある。 今日の山はこれまでやってきた仕事の範疇だからいいんだけど、再来週の山は部全体にとっても初めての仕事で、いろいろ手探りのところもある。何とか大過なく乗り切れれば、軌道に乗るかも、そんな感じ。今週中に打ち合わせをするつもり。
スガのライヴCDを聴いている。懐かしい音源もある。今はもう会わなくなったいろいろな人を思い出す。元気ですか。
急に寒くなったので、晩ご飯は予定を変更してクリームシチュー。 そういえばルーも値上げするらしい。そろそろ在庫も払底するし、買っておかなくちゃ。
まーさんは朝イチの新幹線で出張。せっかく一緒に起きたので洗濯機を回したら結局いつもどおりの時間に。そういえば週末に事業所の電源点検があったからサーバーとUBSを立ち上げなければならないんだった。あわてて出社。なんとか始業時間には再起動終了。
「カラマーゾフの兄弟」は土曜日に読了。わかったようなわからぬような。第1巻が非常にまどろっこしいのだが、2巻以降は展開が早くなってきて、割とスムーズに読めた。この本は解説から先に読むのが正しいと思う。少し自分の中で沈殿させてから再読しようと思う。 今日は通勤電車内でカトリーヌ・アルレー「わらの女」読了。普段ほとんど読まない推理小説?なのかな。シニカルな描写が何ともいえずフランス的。映画とは全く別物である。松本清張の「砂の器」を思い出した。
讃岐うどんの掛けしょうゆが切れたので、会社帰りに新橋の四国物産館に寄る。牛乳パックのような紙パックに入ったものがほとんどになっていて、それも経済的だし今の瓶に詰め替えればいいのだが、まだ残っているので別の瓶を買ってみる。ついでに半生麺とじゃこ天・えび天を。また薩摩揚げか!ヒカリモノを使ったもそもそする薩摩揚げは最高だ。
ですよ。早いなぁとつくづく思う。スタート地点から一歩も進歩していないあたりが何というかそのふがいないのだが、後退していないだけまだいいか、と自分を無理矢理納得させる。 所用で有楽町まで出る。開業したばかりのイトシアを横目で見つつ、いくつかの買い物。在庫がなかったりして入手出来ないものもあり、これだったら最初から新宿に行った方が良かったかも。
飲み会に出かけたまーさんが明るくなってから帰ってきて、一日中布団で爆睡。たいして飲んでいないらしいが、徹夜が堪える年になったらしい。 私は一日掃除と洗濯。 ベランダに残して置いたシソに雀がたかって悪さをするので(枝に捕まってゆらゆらして大騒ぎ、とか、葉っぱをちぎって投げて遊んだり、とか、実を食い散らかして床がゴミだらけ、とか)処分する。処分した後大勢でやってきて「さっきまであったはずなのになくなった」と大騒ぎしていた。 食事は冷蔵庫のアリもので適当に済ませる。薩摩揚げの切れっ端とキャベツが山盛り。
2007年10月12日(金) |
年末にカウントダウン? |
コンビニエンスストアにおせち料理とクリスマスケーキと年賀状印刷予約のポスターが貼ってあったけど、いくら何でも早すぎやしないか。
噂の並ぶドーナツ、まーさんのいる事業所の人が朝イチで並んで大量に買ってきたらしい。 で、まーさんはお相伴に預かったわけだが、もともと甘いものがそれほど好きなわけではない(カスタードのシュークリームは好き)彼にはそのサイズと甘さはかなりの義務感を伴わなければ食べ終わらないものであったらしく、結論は「ミスドで十分」とのこと。全体に広がる「ケミカルな色と香り」(笑)が「う〜んアメリカ〜ン」なものであったそうだ。何となく想像はつく(苦笑)
今まで食べたドーナツでどこのが美味しかったかと訊かれたらミクロネシア連邦ポナペ(ポンペイ)島で食べたドーナツだ。なんてことのない普通のドーナツなのだが、揚げたてを売っているのでもちもちで美味しい。遺跡ツアーの運転手氏は「ウー」という地域の何とか言う売店のが一番美味しいと言っていて、ツアーの途中お裾分けしてくれた。確かに美味しかった。凸凹の道をサスペンションが抜けかけたような座席のスプリングもへたってしまったようなマイクロバスで遺跡に向かって走りながら食べたから余計美味しかったのだと思う。遠足のおにぎりが美味しいのと同じ理屈だ。
窓を開けているとすっかり涼しくなった夜風。寒いくらいだ。ベランダから金木犀の香りが漂ってくる。もちろん我が家ではなく、近所のどこからかだ。自分が気づいている木よりももっと近くにもあるのだろう。近くのものほど見えない。そういうものだ。
スピッツの新譜を聴いている。「さざなみCD」というタイトルといい、歌詞カードの凝り具合といい、スピッツワールド全開。CDを再生した途端電撃が走る、というものではないけど、じわじわとしみこんでそのうちあふれ出す、という感じ。
2007年10月09日(火) |
このやる気のなさは何だ。 |
やらなければならない仕事はたくさんあるのに、仕事のモチベーションが低い。 今やらなければならない仕事の全容が見えていないのが一番の原因で、新しい出来事(といっても今までの仕事に一つ増えただけだが)に対する順応性が低い自分を久しぶりに確認したりする。要領が悪いというか保守的というか、納得がいくまではエンジンがかからなくてエンストばっかり。同じ仕事を10年続けていてこの進歩のなさは何だ。どんどんダメ人間になっているじゃないか。とりあえず自分で自分の尻を叩いて、今週中に締切のやつは上司に素案を出してみた。
あしたはCDを買いに行かなくちゃ。川崎のタワレコはろくな品揃えじゃないけど、通勤途中にあるタワレコはそこだけ。シカオちゃんのCDもそうだけど、スピッツの新譜を聴いてノックアウトされたい。
秋の夜長に陶淵明っすか。出来る人が余裕の早期退職したんだっけ?「帰去来辞」の冒頭は漢文の授業で暗記させられたような気がするが、今は最初の1行しか覚えていない。「帰りなんいざ、田園まさに荒れんとす」だったか、この初っ端の破調はかっこいいと思った。とりあえず岩波あたりで「唐詩選」あたりからとっかかるのが手頃なのではなかろうか。白帝城も後数年で水没してしまうんだよなぁ、とこの前見た映画(「長江哀歌」)とリンク。ところで中国は3000年どころじゃないよ。遺跡と史記で確実に辿れるのが夏王朝まで(向こうの歴史教科書には載っているから確定事項だろう)、実際は長江文明までさかのぼると6000年くらいは楽勝。いったいどこまでさかのぼるやら。
2007年10月08日(月) |
連休最終日(リモコン) |
実家のテレビリモコンの字がすっかり消えていたので、新しいリモコンを買って持っていった。ついでに自分の家にもマルチリモコンを。まーさんはテレビとDVDとスカパーと照明を1台で出来るように設定してご機嫌だったが、結局手が伸びるのはいつも使っている方だったりして。
2007年10月07日(日) |
連休その2(掃除の日) |
今日はベランダの大掃除。アサガオを片づけ、プランターを整理する。秋から植えるのは水菜と野沢菜とグリーンピースの予定。 ベランダの棚に入れていた押入収納ボックスが崩壊した。持った途端底が抜けた。まるでマンガのようであった。 で、昨日合羽橋商店街の店頭で1個200円で売っていたスウェーデンだかデンマークだか製のプラスチック製の買い物カゴ?収穫カゴ?を思い出し、車でぱぱっと買いに出た。いくつも買ってベランダの棚に入れてみたらちょうどいいサイズだった。いまはベランダの他に、車に3個積んである。
衣替えをしようと思ったが、合服を持っていないので交換する服がいきなり冬ど真ん中のセーター類に。結局もっと寒くなってからにする。
2007年10月06日(土) |
連休その1(おでかけの日) |
かっぱ橋道具まつりへ出かける。といってもこれ以上食器は増やせないので、食材をちょっと買っただけ。 まーさんがインド式計算ドリルの本を探していたので本屋で捜索。どのコーナーを探せばいいかわからずうろうろしていたら結局特集コーナーが組まれていた。買って帰って読んだ感想は「今まで自分がやってきた計算方法と大差ない」そうで、要するに文化論としてのもの(数字)のとらえ方の違いを説いた解説部分が面白いらしい。数字に強い人は考え方が違うのう、と直感でしか考えない超文系の私は思うのであった。
どう考えてもそのシステムには無理があるだろう、と考えるものを簡単に信じちゃう心理って何なんだろうなぁ、と考える。 何もしなくてもポイントが溜まるのもおかしいなら(だって普通は何か買った対価として何パーセントかのポイントが溜まるものだろう)引き替えられるものの値段を想像したら割が合わないのもわかるだろうし、演歌歌手を呼ぶ代金も自分たちの出資金から出ている、そう考えるととても割の合うシステムじゃないと思うんだけどなぁ。 グリコのおまけとかチョコエッグとかビックリマンチョコとかそういう類のものなんだろうなぁ、とは思う。
2007年10月04日(木) |
人としての尊厳が・・・その2 |
今朝起きたときに一緒の布団にいたのはは蚊だった。
2007年10月03日(水) |
人としての尊厳が・・・ |
朝起きたらゴキブリと一緒に寝ていたoTL 暖かい毛布に張り付いていたらしい。
寝ている間に髪をネズミに踏まれたことがある(幸い囓られたりはしなかった)身にとっては、まぁこんんなのもありかと・・・。
この前酒屋で買い物をしたときに3才くらいの女の子が(おそらく孫と思われる)お手伝いをしていて、レジ袋を出したり缶を並べたりしている。 で、3才児にとってはかなり重いであろうレジ袋を渡してくれたので、受け取って普通に出た言葉が 「ありがとう、かしこいねぇ」 あとでまーさんに「今時『かしこい』なんてTOKIOのリーダーしか言わないよ」とダメ出しされた。確かにリーダーは普通に言いそう(笑) だめですかそうですか。自分の言語感覚(と年齢)に自信がなくなってきた今日この頃。
やっと気づいたのか。 小さいころからどうも自分の好みが一般的でないことに気づいていたものとしては、人生折り返し点を過ぎてから気づくのは遅いよ!と思うのだが、周囲を見て思うのは、
本当に変わっている人は自分のことを普通だと思っている。
なので、まぁこんなものか、歌う方も聴く方も類友でお互い様か、と思ったりするのであった。
マニアックな人のファンを続けるのも時々つらいものですよ。
|