東京の片隅から
目次|きのう|あした
休んだつけが回ってきて、会社を出たのが9時近く。 宮城のお葬式以来冷蔵庫にストックのない日々が続いていて、とうとう野菜室にもジャガイモとタマネギとレモンしかない。途中で飲んで帰るのも面倒臭いのでスーパーでお総菜を買おうと思ったら、棚卸しで休みだった。そうだった、うちの親も2月8月の月末は棚卸しだったんだ、と小さい頃の記憶を思い出すもすでに遅し。 結局冷凍庫の底から小籠包と餃子を探し出して食べた。 出来合いの調理済み冷凍食品は便利だが、食べているときの気持ちが貧しくなっていけない。
会社へのお土産にアイスクリームを持っていったのだが(安比アイスという、電子レンジでチンしなければ食べられない)ちょうど会社の中でアイスクリーマー(アイスクリーム製造機)の実験をやっていたらしく、派遣さんがアイスを配りに来た。間が悪いなぁ。でも貰う。甘さ控えめで美味しゅうございました(笑) しかし今回は出来たものがアイスクリームだったが、これが炊飯器だとご飯1升もらい手募集、とか、パン焼き機だと食パン1斤ジャム買ってこい、とかになるのだ。しかしその方が持って帰れていいかもしれない。
「どうする?アイフル」のCM、新しいヴァージョンが放送されているが、一家の大黒柱がそんなに意志が弱くていいんだろうか。大丈夫かあの家族。
平日だとうってかわって人がいない安比高原スキー場。大丈夫かおい。去年は結構見かけた他県ナンバーの車もほとんど見ない。やっぱり不景気なのか。 ゲレンデはがらがらで転び放題と思いきや、昨日ぼこぼこだったバーンはすっかり圧雪機が入ってご機嫌だった。自分の板、自分の靴は楽でいい。
今日もいい天気である。しかし、山の上の方まで登るとどこからか粉雪が降ってくる。 「粉雪」というのだが、本当に粉のようで、積もった雪も片栗粉のようだ。普段滑りに行く群馬とは大違い。気温が低いせいか、降ってくる雪がちゃんと六角形の結晶のカタチをしている。ウェアのあちこちに雪の結晶が柄のようにつく。 誰かが「みんな雪印だねぇ」と言う。言い得て妙であると思う。
土曜の夜から安比に行った。パウダースノーがいくら転んでも大丈夫なように思われるが、実際そうは問屋がおろさない。スノーボードの大会があったのと土日なのとでバーンはぼこぼこ、ボーダーはあちこちで座り込み、天然モーグルコースと化していた。おかげて食堂ではいつにも増してビールのピッチャーがどんどん空くのであった。みんなおっさん化している。
猫が湧いた。 正確には、冬の間どこかに隠れていた猫が暖かくなってきてどこからかぞろぞろと現れているだけなのだが、実際冬の間どこにいたのだかよくわからないだけに「湧く」という表現が近いような気がする。 この日も駐車場で夜の集会。ほぼ等間隔に点々と座り込んでいた。
2003年02月21日(金) |
「君以上の事件なんてどこにもない」 |
そうきたか(笑)。普段こんなことを素で言われたら「こいつバカ?」と思ってしまう私でも、歌にされると素直に「そうだよなぁ」と思う。なにしろこれを日本語で歌ってしまうことが凄い。 「この世界は美しい」と歌ってデビューしたバンドの新曲はこれだ。 一貫して底に流れているのは世界への信頼。お金があるとか勉強が出来るとかそういうことでなく「育ちがいい」と思う。 「君」は恋人でも友人でもペットでも音楽でも酒でもなんでもいいと思う。それはその人それぞれだ。
春が近い。花粉症ではないにせよ、どうも目がむずがゆかったり、肌が荒れたりするので、そのことがわかる。 夜の空気も春が近いことを告げている。冬のような、蛇口から出る水の冷たさではなく、湯船の水が一晩たってすっかり冷えた、そんな冷たさである。
さっき電車で向かいに座っていた女性は、どうも合格発表の帰りだったらしい。マルイの袋から「新入生のみなさんへ」と書かれた冊子が透けて見える。その中の1冊を読んでいるようなのだが、緊張した顔で真剣に読んでいるのが微笑ましい。
品川駅東海道線ホームの発車ベルは「鉄道唱歌」なのだが、あれって、1番は新橋駅ではないのか?新橋からクレームは付かなかったのか?それでいいのか品川。 ちなみに歌詞はこれらしい。 1. 汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として 2. 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載(せんざい)の後までの 3. 窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総(かずさ)か房州(ぼうしゅう)か (以下略) 品川、3番じゃん。
しかし教会学校に行っていた身としては「汽笛一声新橋を」よりも「創出レビ民申命記」という聖書の覚え順の方が先に出てくるのであった。私が覚えていたのは「新訳」であるので、現在の「新共同訳」では異なるであろう。
面妖な夢を見た。起きてからもしばらく考え込んでしまうような夢だ。 だが、確かにそれも私の一部である。
2003年02月17日(月) |
FLOW「贈る言葉」 |
最近のバンド、特にインディーズに多いような気がするのが、「カヴァー」である。なせ「 」つきかというと、「カヴァー」といいつつも実際にはテンポを変えただけの「コピー」であることが多いからだ。これがライヴならばやっているほうは勢いで、見ている方はヨッパライで、お互い笑い話だ。 ただ、これが音源としてリリースされることになると事情は異なる。それでも、B面やライヴ盤などはわりとありがちな例だ。が、デビュー曲、それもA面でやってしまうのはいかがなものか。いきなり自分たちはオリジナルを作る能力がないと公言しているようなもので、これでデビューさせてしまうスタッフサイドのモラルも問いたい。 しかしどうせ教科書レベルでやるなら徹底的に「こきりこ節」や「めだかの学校」でもやってもらいたいものである。この際「夜空ノムコウ」でも許そう。清志郎のように「君が代」でやる度胸がないあたりがまたケツの穴が小さいというか何というか。
明日から仕事だ。 一週間会社に行っていないのでまともに復帰できるかが不安なのだが、今週一週間行ったらまた会社を休んでスキーなのだった・・・いいのかおい。 そして帰ってきたらもう2月は終わり!何もしないうちに2月も過ぎてしまうのか。そのまま一生終わってしまいそうで怖い。
夢を見る。宮城にいた間の夢だ。あれもしなきゃこれもしなきゃと思いつつ、今自分がどこにいるのかわからない。夢と現実の区別も付かなくなっていて、起きて襖を開けたり閉めたり。 日が昇ってからやっと眠る。 洗濯をして、後かたづけをして、来週行く予定のスキーの準備をして、そんなこんなであっという間に一日が終わってしまう。
朝、墓地の上の方まで登る。 林の切れ目を白鳥が鳴きながら渡っていく。もう北帰行も近いのだろう。
空が晴れているのに地吹雪という奇妙な状況の中、東京へ帰ってきた。
葬儀があった。
良い天気である。故人を送るのにせめてもの手向けになるだろう。 不思議な葬儀である。東京の簡易式の葬儀しか知らない私には、本式(というべきかどうか)の葬儀はなんだか別の世界のようだ。
葬儀が終わると雪が降ってきた。山形側から雪雲が溢れているのだろう。
夜、犬の散歩で表に出る。室内でこたつに入っていても息が白い状況、当然屋外は氷点下である。空はすっかり晴れていて、風が強い。星が瞬いている。夕方降った雪が月光に照らされて雲母を巻いたようにあちこちできらきらと光っている。しんとして、美しい。ただ、水の流れる音がする。宮沢賢治の世界を思い出す。
今日は逮夜(=通夜)。夕方からなので昼間はまったりと過ごす。自然と話はこの家の思い出話になり、まーさんがいとこと三輪車で池に落ちた話を3人から聞く(笑)。そうやっていつまでもネタにされるのだ。 しかし故人を巡る話はまだ出ない。涙することこそ昨日よりは減ったが、重いではまだ各人の中で反芻されているようだ。皆で話し合えるようになるのはまだ先のことだろう。
夜、再び人がぞろぞろ集まってくる。 お通夜のあと、会食。酒癖の悪い人はどこにでもいるようだ。
明け方、到着する。家の中はしんとして、ただすでにしつらえられている祭壇だけが光っている。 どうにもいる場所がない感じなので、こたつで仮眠する。 セブンイレブンの「仙台味噌むすび」は美味しい。
起きてから故人に線香を上げる。ほっとした顔をしている。やっと楽になれたのかもしれない。
午後、焼き場へ行く。1時間半くらいですっかり骨になる。 人間ってあっけない。
先々週の土曜日に会社に出た分、今日は代休である。洗濯して、掃除して、TVを見て、セールスを断って(笑)なんだか主婦っぽい。 だが今晩から今週いっぱい宮城のお葬式に出るので、その準備であわただしい感じ。たまたま休みで良かったというか何というか。
マクドナルドが値上げするという。 私が子供の頃、マクドナルドのハンバーガーの値段は200円で、セットが390円だった。(当時ロッテリアは「サンパチトリオ」なるものを出していたということで、時代は推し量れる)外食を滅多にしない、しかもファストフードなど年に1回食べるかどうかという我が家ではそれはものすごいごちそうだった。値段が下がってそのありがたさは激減したが、値段が下がってからどうもハンバーガーは小さくなったような気がしてならないのである。おなじことはフィレオフィッシュにも言え、ケースが箱から紙に変わったとたん一回り小さくなった気がする。 たぶんそれは思い違いではない。なぜなら小学校を出たときと今現在の私の身長はほとんど変わらないからである。もちろん体重は大幅に変わっている。
駅から会社へ行く途中の自動車修理工場には犬が4匹いる。 いかにもグレート・デーン系の強そうなのと、秋田犬系のが3匹。敷地内に人が入ると吠えるのだが、真ん前に信号があり、かつ、歩道が狭いため、朝晩は大騒動である。 変な防犯システムよりもよほど効果がありそうだ。ただし、コストのほうはどうかは知らない。
2003年02月07日(金) |
大切なのは 読書のポーズ |
東海道線にはベンチ型シートとボックス型シートの2パターンがある。ボックス型シートに乗ると妙に旅行気分になってしまうのだが、どうも座席が狭いのだ。 幅の狭さは列車の幅があるから仕方ないとして、問題なのは向かい合った座席同士が妙に近い。男女向かい合って座ってもかなり近いというのに、男性同士では膝突き合わせて直談判状態である。ましてや体格のよい人が増えた昨今、とうぜ ん4人掛けの座席は3人掛けとなる。 そんな具合であるから、もう人のいるところへ後から座らせて貰うのはなかなか微妙な空気が流れるもので、そんなときに鞄に入れておいた文庫本が役に立つのである。 雑誌では記事の中身が気になるし、新聞では向かいの人の邪魔になる。かといってウォークマンやラジオの類は漏れる音を気にする人もあろうし、携帯電話は論外である。本は実際には読んでいなくてもよい。「読んでいるようにみえる状態(=目線はあわせないが寝てもいない状態)」こそが必要なのであり、そのためには文庫本が一番有用な小道具であるような気がする。
スペースシャトルが落ちた。 それはチャレンジャー号以来のことで、そういった出来事は忘れかけた頃に再来するように思う。 それでもなお宇宙へ行こうとする。なぜかは私にはよくわからないが、人を惹きつけるものがあるのだろう。 どんな仕事でもリスクと隣り合わせだが、人々の夢を背負っているだけに悲しい。
私が普段通勤に使っている鞄は大きい。自分では極力ものを減らしているつもりなのだが、どうもまだまだ多いようだ。 化粧直しをほとんどしないのになぜか化粧ポーチ、手帳、眼鏡、コンタクトケース、目薬、自分の財布、家の財布、定期券、制服のブラウス。これに最近CDウォークマン、文庫本が加わった。 なんでみんなあんなに鞄が小さいのかが不思議だ。
仕事で「手伝わないでいいから、邪魔しないでくれ」と思うことはありませんか?私はあります。つーか、引っ越しの件以来そんなことばっかりだ。 切れかけていたところにちょっとした事件があり、Fさんが先にキレた。おかげで(?)キレるタイミングを失ってしまった(笑)。
2003年02月03日(月) |
何となく納得がいかない |
コーヒーと紅茶が切れたので会社帰りにカルディコーヒーファーム(輸入食材屋)に寄る。時節柄店頭はチョコレートで一杯だ。ちょうどコーヒーポイントカードが満点になって、次回割引か、オリジナルマグカップと交換してくれるというのだが、今日は交換できないのだという。「明日以降ならいいんですけど」という店員。割引が次回からなのはわかるんだけど、マグカップの交換も次回、というのが何となく解せず、割り切れない気持ちで帰ってきた。
徹底的に掃除をしたら一日が終わってしまった。 室内の煙臭さはかなり薄らいだものの、燃えた部屋の片づけが終わらない限り廊下の臭さは消えそうにない。長丁場になりそうだ。
普段通りに起きて洗濯をして布団を干す。そのまま窓を開けっ放しにして外出。出がけに管理人さんと立ち話をした感じ、どうもおばあちゃんの一人暮らしでたばこの不始末らしい。下のフロアは賃貸なので出てしまうようだ、とのこと。そりゃそうだろうなぁ。家財一式全て水浸しではたまったもんじゃない。 美容院に行って実家に寄り、母と叔父の見舞いに行った。検査入院なのだが原因を突き止めるためにいろいろ検査しているらしい。もともと丈夫な家系ではないので、この際徹底的にやるつもりとのこと。いいことだ。しかし子供がいないこともあってか、55歳にしては異常に若い。顔なんてつるつるだし、白髪もあまりない。うちは両親とも童顔の家系らしい。
帰宅したら郵便受けに便利屋の「粗大ゴミ片づけます」と引っ越し屋のチラシが入っていた。まぁこれから引っ越しシーズンだからありがちな話ではあるのだが、商魂たくましいなぁとも思ったりする。
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