東京の片隅から
目次きのうあした


2001年02月28日(水) BBSとML

メーリングリスト(ML)に幾つか入っている。家族で同じアドレスを共有しているので、妹のも含めると6件、そのほかにもライヴハウスのメースマガジンやらジオシティースやらアップルやらイベンターやらで、メールが来ない日がない。
で、思うんだけど、そういう商業的なMLはおいておいて、ファンの集まりである方のMLとHPのBBSでの発言数って反比例しているように思うのだ。
大体、MLでよく発言する人は、BBSではあまり発言しないし、BBSの常連さんはMLにはあまり書かない。(もちろん例外もある)そもそもBBSの常連さんがMLに入っていると言う保証はないのだが。

BBSは、敷居が高いときがままある。とくに、デビューしてある程度たって、固定ファンがついてきているアーティストの場合、BBSが内輪化してしまって、新しいファンの人が入りにくい雰囲気を作っていることも多い。これは、あちこちで常連化している自分への反省点でもある。
勇気を出して書き込んでしまえば意外とたいしたことはないのだが、受け入れられるかは重要なファクターだ。なんだか公園デビューみたい(笑)。
かといって、MLが敷居が低いかというとそうでもない。人気が上がるにつれてMLがサビれるというのはよくある話で(山崎MLとかそうだよ・笑)ファンも露出も少ない頃は、見つけた情報を逐一みんなで書き込むのだが、露出が増えるとみんな知っているだろうとつい錯覚して書き込みが減る。サビれたMLは敷居が高くなる。
仲間で盛り上がるのは確かに楽で楽しい。でも仲間だけで盛り上がっているのは、そのアーティストにとっていいことなんだろうか。そんなことも考える。

ところで、自分が入手した情報をどこまでBBSやMLに流すかはいつも難しい。
ライヴ情報を流して自分がチケットを取れなくなっても困るが、かといってだんまりを決め込むのも気が引ける。
ライヴやラジオ・TVのレポートもそうだ。知らせたい、でもどこまで求められているのだろうか。ひょっとしたら重いメールなんかは邪魔なんじゃないだろうか、いつもそう思いながらメールを打つ。


2001年02月27日(火)

姉が水族館に行ったらしい。
どうもミクロネシアから帰ってきて以来、興味の幅が広がっている。魚のことも、ミクロネシアでは暇な時に釣りをしていたので興味が行くようになったようだ。
出かけた葛西水族園はマグロの回遊水槽で有名なところ。観ていると目が回る。
でも、帰ってきての感想が「丸々した魚が沢山いてねー、美味しそうだった」って。彼女らしいと言えば非常に彼女らしい。

水族館に行くのは好きなのだが、目が疲れるので、休憩しながらになる。大抵途中で睡魔が襲ってきて、ベンチで眠りながら観て回る。
(私は、あまり神経を使うと眠くなるらしい。どこでも寝てしまう。)
小さい頃は熱帯魚に目を奪われていたのだが、最近は淡水魚等の地味な水槽が面白い。年をとったということか。

私にとって(水族館は別にして)魚は食料だ。だから、ルアーフィッシングにはどうしても違和感が拭えない。「キャッチ&リリース」と言えば美しい。でも、そのために外来の魚を放してもともとの生態系を崩すのは納得が行かないのだ。だったらもともといる魚でやればいいじゃないか、と思う。
魚にしても野菜にしても釣ったら食う、とったら食う、のが一番だと思っている。しかも残さずに。自分が命を奪った生き物は、余さず血肉にするのが一番の供養だと思っているんだけど、この考えは年寄り臭いかも(笑)。
農家出身の年寄りがいて、家業が小商いだと、そういう発想になるのかもしれない。


2001年02月26日(月) じんましん

ひさしぶりにジンマシンができた。今回は首である。
原因は多分タートルネック。
痒いのでがりがりかいているうちにがさがさになった。
顔用の保湿クリームを塗ってタートルネックをやめたらちょっと調子がいいみたいだ。
子供の頃はよくジンマシンができたけど、最近はできなかったので油断していた。
もともと化繊やモヘアで肌が荒れるので、なるべく着たくないのだが、この時期はしょうがない。

ジンマシンができないような化繊ってないですかね。ストッキングが結構肌に厳しいのだ。と言っていたら、家族に「あとはシルクだね」と言われた。
シルクのストッキングとか下着とか・・・想像するとセクシーなんだが、洗濯の手間を考えると遠慮したい。
でも結構アレルギー体質の人でシルクを着ている人はいるそうだ。


2001年02月25日(日) いろいろ

午後、クリアファイルが足りなかったので無印良品に買い物に行く。
棚にないのでレジに尋ねてみたら、奥から出てきた。
今の時期、新入学・就職・引っ越しキャンペーン等で場所がないんだろう。

夜は親が出かけてしまったので、カレーを作った。
姉と二人で作ったのだが、作り方や作業のタイミングがちょっとずつ違っていて、3年離れて暮らすとこうなのかなぁと思う。
今日はちょっと甘め。(これは私の味付け)

菜の花があったので茹でて食べる。これも「ほろほろ」。


2001年02月24日(土) 霧雨

また天気も気温も元通りだ。
午後からライヴハウスにチケットを買いに行ったが、1時間半前についても人が並んでいるので、そのまま私も並ぶ。寒い。霧雨は降ったり止んだり、傘も開いたり閉じたり。
今日の予報が「くもりのちあめ」だったこともあって、街には傘を持っていない子も結構いる。買うほどでもないのでそのままなんだろうけど、観ているこっちも風邪を引きそうだ。

ところでこの日の昼間のeggsiteは劇をやっていたらしいのだが、終わって出てくる客がみんなヒゲ面、短髪、トレッキング系のスニーカー、ジーンズ、フィールドコート、首から折り畳み式の携帯電話。まるで決められていたかのようだ(笑)。あれはいったいなんだったんだろうなぁ・・・。

無事チケットを入手した後喫茶店に入ったら暖かくて顔が緩んだ。

でも湿度が高いので身体には楽。この時期超乾燥肌・ドライアイの私だが、今日は随分楽だった。


2001年02月23日(金) ほろほろ

キセルのニューマキシ「ホロホロ」。
アルバムタイトルが「ホロホロ」、曲名が「ほろほろ」。
「ほろほろ」というのは、私には、いいお菓子(特に和菓子)を食べた時に口の中で溶けてゆく感じ。ほろほろ。
わりと懐かしい言葉を使うが、私よりも若い。兄が「くるり」と大学の同級生だ。京都には古い言葉が埋まっているのか。単にどこにでも埋まっているのに私が気付かないだけなのか。

今日も妙に暖かい。と思っていたら夕方になって風が冷たくなってきた。明日は元通りらしい。ちょっと残念。でもまだ2月だからほっとする気も半分。


2001年02月22日(木) 書くことがない日

いきなり暖かい日。
今日はコートをしまって、ジャケットで街に出る。ほこりっぽい。

一日いろいろしていたはずなのに、夜になるとあまり覚えていない。
起きていても眠っているよう。
こういうときは自分がからっぽなんだなあと思う。かといって本を読んだり音楽を聴く気もしない。
今日会社の外で観たもので覚えているのは、会社の近くの駅を降りたところで会った社会科見学に行くらしい小学生の集団、前を歩く人の黒の化繊のハイソックス、1本だけ枯葉が残っているケヤキ。


2001年02月21日(水) 夜光る

だんだん暖かくなってきている。日が落ちるのが遅くなってきた。

暖かくなったからなのか、目が疲れているのか、頭が疲れているのはわからないが、夜になると照明が眩しい。
あまりにも眩しいので、街全体が光っているみたいだ。
「夜、光る」というタイトルを歌につけたのは七尾旅人だっけ?ああ、こういう感じなのかなあと思う。

夜の光は、昼間の光とは違う。人工光だからもちろん太陽光とは全く別物なのだが、夜の光は目を閉じても蔭に入っても追い掛けてくる。何だか居場所がないような気がする。

音や光がつぶつぶに見えたり聴こえたりする時は疲れている時だ。どうやら頭が疲れているらしい。春先に疲れるのはいつものこと。


2001年02月20日(火) 今日は肉

今日の晩御飯は肉だった。
きっかけは昨日の姉の一言「うちは魚が多いねぇ」。
もともと魚好きで先週魚が続いたうえに、2年間海外にいた姉はもっぱら肉料理だったらしい。魚の方が料理のバリエーションがなくて困るのだそう。
「魚って種類ごとに味が違うんだから焼けばいいじゃないの」という母の大胆な一言でその場はおさまったのだが、今日はやっぱり肉になった(笑)。

でも、姉の言うこともちょっとわかる。
姉が2年いたのはミクロネシアなので魚も一応いるのだが(ただし食用にする種類は少ない)、味が単調であまりおいしくないのだそう。
私も一昨年に遊びに行ったが、食文化は完全にアメリカナイズされているので、スーパーマーケットには肉がどぉーん!アイスクリームがバケツの中にどーん!とある。
それに肉の方が目先の味を変えやすいしね。

でも夕食のネタに困ったら、デパートの鮮魚売り場に行って「本日の魚」だなやっぱり。安いし、旬だし。


2001年02月19日(月) 揉み返し

土曜日にマッサージに行って、日曜日にスガライヴに行ったら、肩と腕に揉み返しが来た。筋肉痛かもしれない。
おかげで少々げんなり。

もともとすごい肩凝り体質で、寝ていても肩が凝る。
凝るのは肩だけではない。首、背中、二の腕、腰、休日にえんえんと歩くので、足もパンパンになっているらしい。本人はもう慣れっこになっていて、自覚がないのだが、マッサージに行くと相手が驚く。クイックマッサージなので毎回人が変わるのだが、「何のお仕事なんですか?」と毎回聞かれる。ただの会社員です。
親も肩凝りが凄いので、遺伝なんだろうか。良くないところから遺伝するなあ(苦笑)。
大学時代の部活で首と腰をいためた後、就職してからしばらく鍼&スポーツマッサージに通っていたのだが、最初は鍼が刺さらなかったらしい。「刺すと鍼が曲がるんだよぉ」と苦情を言われた覚えがある。

あぁ、肩凝りのない体質になりたい。
「一族にひとりずつ弁護士と警察と坊主」というジョークを聞いたことがあるんだけど、それよりも鍼灸師がいいなあ(笑)。


2001年02月18日(日) 線路から

横浜アリーナへスガシカオのコンサートを見に行った。

久しぶりに東急東横線に乗ったけど、東急線って高級なイメージがあって家賃も高いわりに、沿線の風景は細い道や小さい家が沢山あって、こちゃこちゃしている。古い路線だからか。
綱島も通る。COILの街だ。鶴見川を越える時に「河川敷ドリーム」を思い出したり、自動車教習所を見て「仮免マン」を思い出したりする。ビョーキ(笑)。
埼京線で赤羽を通るとエレカシを思い出す(もう宮本は住んでいないが)。
多分江戸川河川敷を通ると中村一義を思い出すんだろう。
でも北千住を通ってもスガシカオを思い出すかどうかは疑問。
スガさんが引っ越しをしたことがあると言っていたせいか、彼の音楽には前3者に比べると、「東京の匂い」はあるんだけど「土地の匂い」はしない。ずっと住んでいるかどうかで「匂い」がつくのか、それともその人のもともと持つ雰囲気なのかは良くわからない。
東京はひとくくりにされがちだけど、小さな町の集合体なので、地域ごとにすごく雰囲気が違う。

防府に行ったら山崎まさよしを思い出すのかな?


2001年02月17日(土) きみたちのゆれるまなざし

今日も起きたら昼。映画を見ようかと思ったけど、耳の調子がイマイチ(やや中耳炎ぎみ)なので美術に切り替える。

銀座西村画廊に舟越桂を見に行った。
舟越桂は名前は知らなくても、「永遠の仔」の表紙に使われた彫刻家、といえば大抵の人は分かってもらえるだろう。今物凄い売れっ子。どこかで見て以来かなり好きだが、実物を見る機会は全然なかった。でも今回が5年ぶりの新作展らしい。ならばしょうがないか。
写実的だがデフォルメされた彫刻。どことも焦点のあわない、ちょっと淋しい面ざしの彫刻が私は好きだ。
今日の日記のタイトルは、作品の一つにつけられたものなんだが、舟越氏、詩人です。
ずっと見ていたかったが、画廊が狭く、人はどんどん来る。そうもいかないので1時間ほどで退散。

銀座も久しぶりに行く。旧並木座を見に行ったら更地になっていてショックだった。裏通りが結構変わってきている。ABC-Martなんかもできている。古いようで新しいモノ好きなのが銀座だと思う。


2001年02月16日(金) 音楽雑誌

音楽を聴き始めた当初は狂ったように音楽雑誌を買っていた私だが、だんだん買わなくなっている。取っておくに値するような濃いインタビューかいい写真がないとなかなか立ち読みだけで手がのびない。
とりあえず、今は「ROCKIN'ON JAPAN.」「音楽と人」「Gb」「Breath」「トーキンロック!」は毎月買う。
でも「JAPAN.」と「音楽と人」は最近結構惰性かも。なんかきっかけがあったら買わなくなるだろう。

ラジオやテレビ情報だけだったらネットのほうが早い。ライヴスケジュールも今は大体ネットで収集している。
雑誌でなければならないことって、なんだろう。

昨日発売の「Breath」の山崎まさよし×イッセー尾形の対談が面白かった。尾形氏の「聞き上手」ぶりが良い。「自分はこう思うんだけど」と語りつつ、上手く山崎の話を引き出していく。今までで一番いいかもしれない。自分の思うことを的確に易しい言葉で伝えられるのはそれだけで才能だと思う。
自分もそうで、AさんとBさんが話していてお互いに言いたいことが上手く伝わらない、それを脇で聴いている私は何ですれ違っているのかがわかるのに、自分の時は上手くいかないのだ。
自分の語彙が足りないのか、それとも自分の思考に無自覚すぎるのか。


2001年02月15日(木)

通勤途中に見る鳥。自宅も会社も公園に近いので、比較的見る方だろう。

スズメ、カラス、ドバト、ヒヨドリ、ルートによってはオナガガモ、カルガモ、カモメ、日によってハクセキレイ、オナガ。

カモは神田川に冬の間住んでいる。なぜか最近カモメが住み着き、カラスとにらみ合いの毎日。みている方は可笑しいが、当人(鳥?)同士は真剣である。カモメのほうが大きいので、普段は図々しいカラスもさすがにやや遠慮がち。カモは知らん顔だ。

ヒヨドリは毎朝エンジュ並木に鈴なりだ。エンジュの実は彼等の冬場の貴重な食料だが、並木は最近手入れをされてしまい、すっかり実がなくなってしまった。ヒヨドリたちはどこへ行ったんだろう。木は綺麗さっぱり、おかげで心無しか空が広い。

昼休み、W杯の申込書を郵便局へ貰いに行った。最後の1枚だった。1年以上先の話だ。


2001年02月14日(水) バレンタイン・デイ

今朝は街をゆく女性の荷物も多い。普段よりこぎれいな格好をしている人、スカートの人の率も高いと思う。そんなところでもバレンタイン・デイだなあと思わせられる。

会社には生チョコ系のケーキを持っていった。
小分けにできて、食べたくない時は持って帰れることというのが最低条件なので、毎年結構難しい。ちょっと目先が変わっていれば、申し分ない。
今年もおもしろがってもらえたようで、ほっとした。
他の部の人に聞くと、どの部でも多かれ少なかれバレンタイン・デイはやっているようだ。「どうせ義理だよね」といいつつもみんなチョコレートがあるのはかなり期待しているとのこと。どこも同じらしい(笑)。

まーさんへのチョコレートは12日にあげた。あまりチョコレートは食べない人なので、ウケ狙いである。感想はまだ聞いていないが、蓋を開けてなんて思ったんだろうか。感想を聞くのが楽しみだ。


2001年02月13日(火) ライヴの時間

夜中に手足が異常に冷えて目が覚める。体も重い。そのままじっとしてまた眠ってしまったが、風邪をひいたんだろうか。熱がないうちは自然治癒に任せる。
あとで家族に話したら「なんか乗っていたんじゃないの」と笑われた。多分違う(苦笑)。

AJICOのライヴを見に行った。詳しくはライヴのページに。
で、AJICOのライヴはなぜか20:00始まり。
会社から赤坂までは結構近いものの、開演前にゆっくりお茶を飲めるのは楽でいい。
妹と赤坂のスターバックスで待ち合わせをした。
で、普段はそそくさとテイクアウトしてしまうので気付かなかったのだが、場所柄か、クロウトのお姉さんが多い多い。一応普通のニット&スカ−トなんて格好なのだが、髪型と雰囲気でバレバレ。中には同伴出勤っぽい2人連れも。

ところでライヴが20:00開始なのはゆったりしていていいのだが、終わる時間が遅いのはやはりちょっと大変だ。帰宅すると23時過ぎなので、それから夕食を食べるとかなり胃にくる。かといって外食するにはライヴ前も後も時間が落ち着かない。
だいいちライヴ後ではお店はファミレスしかやっていない(それも怪しい)。電車の時間も気になる。ライヴ後にミニオフ会をやろうかという話になっても、結局お流れになることはよくある。
そういうことを考えると、ライヴは19:00開始のほうが体には楽かもしれない。どっちがいいんだろう?


2001年02月12日(月) 緊張の一日

今つきあっている人はまーさんという。普段はこういう名前では読んでいないけど、とりあえずここではまーさんにしよう。

まーさんの御両親に会った。私のほうは全然焦っていないのだが、まーさんは30過ぎたのでそろそろちゃんとしたいらしい。私のほうもつきあう時にハンパな気持ちでつきあうたちではないので、とりあえずきちんと会っておくか、ということ。
喫茶店での話自体はスムーズに終わったのだが、緊張で笑い出しそうになるのを堪えるのが辛かった。よく小説でいう表現は本当なんだなあと思った。
と後で書くと冷静に思い出せるのだが、その時はそれどころではない。終わった後は掌に汗をじっとりとかいていた。
御両親が帰った後、「どこの親もあんななのかねえ」とまーさん(お正月に彼はうちの親に会っている)。自分の親じゃん。のんびりしたところは似ているよ。

とりあえずスタート地点には立ったんだろうか?


2001年02月11日(日) 20歳

専門学校の卒業製作のライヴイベントに行った。
初めて自分達で企画したイベントということもあるし、卒業製作ということもあるのだろうけど、みんな一生懸命で初々しかった。自分が20歳の頃とくらべると大違いである(苦笑)。
ちょっと幼いかなあと思うところはあるが、自分もそんなもんだったんだろう。働きはじめて初めて「大人」になるんだろう。

20歳の頃、私は大学生だった。
大学生の20歳はハンパだ。現役で入れば入学は18歳、卒業は21歳。
一応20歳からが「大人」とされているが、今どき酒もタバコも大学に入った時点で解禁になっているようなものだ。選挙権はもらえるが、選挙がなければ特に実感はない。
20歳はまだ子供だった。暗黒時代は抜けたもののまだまだ不安定だったし(今も不安定ではあるが)、部活でトラブルも抱えていた。今思うとしょうもないことで悩んでいたんだけど、その時は目の前のことを一つ一つ片付けるのに必死で、トラブルの多い分、逆に妙に諦観していた気もする。

大学に入って逆にやりたいことがわからなくなってしまった私にとって、目的があって専門学校を敢えて選ぶというのは凄いことだ。出発地点に夢があるのはいいなあとつくづく思う。
思ったものになれる訳ではないが、夢はないよりあった方がいい。
私も老後の夢に向かって、コツコツ頑張りますか(笑)。


2001年02月10日(土) チョコレート・ジャンキー

バレンタインの季節である。
デパートの地下は甘い匂いで一杯で、私も会社用に覗いてみたりする。
ついでに(というか、それがメインという気もするが)あちこちで試食する(笑)。生チョコってやっぱり美味しいなあ、と思うんだが、3時に必ず席にいるとは限らないうちの職場、室温ですぐ柔らかくなってしまうものをあげるのは難しい。結局今日は何となく目星をつけただけ。
でも男の人にとって義理チョコはどうなんだろう?
私は義理でも嬉しいが。
でも「義理」と言い切るのもなんだか変だ。年賀状と同じで、お土産やお菓子は確実に潤滑油になる。私は帰省しないからお土産は貰いっぱなしだし、お菓子一つで場が和やかになるのならば持って行こうかな、と思うのも「義理」なのかな。

私はチョコレート・ジャンキーだ。基本的に甘党なのだが、特にチョコレートが良い。板チョコの1枚くらいすぐだ。
何だか食べていると幸せになる。会社の人に言わせると「甘いものを食べている時はとても幸せそうな顔をしている」のだそうだ。そうだろうなあ、実際幸せだもんなあ。
ところでチョコレートには中毒作用のある成分が含まれているそうで、だとしたらしょっちゅう食べたくなるのは中毒なんだろうか。
アルコール中毒、タバコ中毒、薬物中毒、チョコレート中毒。


2001年02月09日(金) 自販機とサル

私: 自動販売機を使えるかという実験でチンパンジーが成功したらしいよ
姉: 自動販売機?
私: 成功したのはメス6歳のチンパンジー、チコだって
姉: でもこういう実験ってメスのほうが上達早いんだよね
私: そういえば確か芋を洗う猿も最初はメスだったと・・・
姉: やはり新しいものはオンナから、なんだろうか(笑)
私: 流行をつくり出すのはオンナか(笑)すべては若いメスをターゲットにしてるんだな
姉: TVもそうだねえ(笑)


2001年02月08日(木) 「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」

家族が風邪で倒れて、ひょんなことから文楽を見に行くことになった。
演目は「心中宵庚申」。嫁姑ものでもあり、心中ものでもある。

和モノを見るのは久しぶりというか、高校で歌舞伎教室に行ったのが唯一だ。TVでは時々観ているけど、途中でいつも寝てしまう(苦笑)。果たして寝ずに見られるか。
それにしても6時開演は早い。会社を定時に出てぎりぎりだ。せめて6時半開演にならないのかなあ。客の年齢層が高いからそれに合わせているのか。
客は、予想通りお年寄り一人や中年女性何人かのグループが多いが、意外と若い人もいる。

休憩時間とあわせて2時間半、あっという間だった。
何しろ凄い。人形が人間に見える(笑)。微妙な動きに色気がある。3人がかりであやつっているのだが、表情なんて眉毛しか動かないのに(女役の首はそれも動かない)、ちゃんと表情があったり、心情が伝わるのだ。
義太夫の声もびりびり響く。わかるかなあというのは杞憂で、文楽は今の言葉と差が余りないので、パンフレット無しでも聞き取れる。
あと、歌舞伎と文楽と日本舞踊って所作が一緒なんだなあと実感した。昔の時代劇で女優さんの品があったのは日本舞踊をやっていたからなんだなあ。

また行こうかな(笑)。次に国立劇場で上演するのは5月、「一谷嫩軍記」「玉藻前曦袂」「曽根崎心中」。「曾根崎」以外は読めない。なんて読むんだろうなあ。


2001年02月07日(水) じゃんけんぴょん!

もともと聞いたメロディがすぐ頭の中をループしてしまう私だが、ミニモニ。の「じゃんけんぴょん!(正式名称不明)」という曲が頭をぐるぐる回って困っている。

きっかけはTVの歌番組。見るともなしに観ていたら終わった後からぐるぐる回り出した。やばい。
カラオケで「歌え」って言われたら多分歌える(笑)。

今回のも「ウゴウゴルーガっぽいなあ」と思ったりしつつも、簡単なメロディと意味のない歌詞がうっかり入ってしまった。でもそこが売れる理由なんだと思う。
モーニング娘。の歌は大体すぐ覚えられるぶん、中毒性が高い。そこまで見込んで作っているとしたら凄い。

ところでモーニング娘。は「平成のおニャン子」と「平成の森高」の2説があるが、どっちが近いんだろうか。


2001年02月06日(火) 貧乏性

自分はつくづくと貧乏性だと思う。
1月というのはもともと年末と年度末の狭間で結構暇なのだが、とにかく暇だと落ち着かない。
2月に入ってやっと忙しくなってきた。
おまけにこのところとにかく眠い。仕事が暇だとうっかり寝てしまいそうになるので、忙しいのは有難い。

普通、忙しいと嫌なものなんだろうが、仕事が沢山あるのが何だかわくわくするのだ(苦笑)。入社してすぐに忙しい部署に配属されたので、忙しさに慣れてしまい、仕事の一段落ついた現在は普通の状態でも暇に思えてしまう。定時に帰れるからライヴに行かれる訳なので、暇なのは非常にいいことなのだが、何だか落ち着かないのだ。

大雪や台風といった自然災害はもとより、文化祭前や年末などのお祭りの前が結構楽しいクチなので、根っからの火事場好きなんだろう。お祭りが始まってしまうとあまり面白くない、というかそれまでには飽きてしまうらしい。

家族の中ではわりとものぐさな私だが、どうも外に出ると働き者と思われるらしい。働き者なんではなくて、ただの貧乏性なんだけど・・・。


2001年02月05日(月) 鬱病のペンギン

新聞で面白い記事を読んだ。

オーストラリアで早朝パトロール中の警官が、マクドナルド近くでうろうろしているペンギンを発見。不法捕獲されてその後捨てられたものと判明。ペンギンは環境の違いから鬱病にかかっており、現在治療中。

・・・鬱病のペンギン。
どうやって鬱病と判断したんだという話は置いといて、やっぱりちょっとうつむき加減でぼんやりしているんだろうか。(それでは普段と同じ気もするが)
犬猫用のヒーリングビデオがあるという話も聞くので、あり得る話だと思うが、不思議な話でもある。
そのうち本当にドリトル先生とか出てくるんじゃなかろうか。


2001年02月04日(日) ロシア料理

知り合いが北海道にスキーに行って、お土産に蟹をくれた。大きい。生きているのでなくて良かった。いや、生きていても何とかできるんだろうけど・・・。わくわく。

午後は、山崎まさよしのFCイベントに行く。
見事に女性ばっかり。いいのか悪いのか。でも一時にくらべるとファンも落ち着いてきたかなあと思う。このまま浮いた話があってファンがちょっと減ってくれると有難いんだけど(笑)。

夜、高校時代の同級生とロシア料理を食べに行く。
ロシア料理と聞いて思い出すのはピロシキ、ボルシチ、ウォッカ。
どれも今日は食べなかったんだけど、美味しかったです。
にしても、結構乳製品が使われていて、これ食べてウォッカを飲んだら、そりゃああんな体型になるよなあ、という食事。
でもしっかりカロリーのあるものを食べないと寒いところではもたないんだろうなあ。
しっかり暖まって帰ってきました。


2001年02月03日(土) バーゲン

ぶらぶらと街に出たらコムサデイズムでバーゲン中。どんどん人が吸い込まれていく。ついつられて入ってしまった(笑)。
それにしても安い!
一番高い価格帯(○円均一がいくつかのランクに分けてある)でも8000円。
あまりに安いので会場内が殺気立っている。こんなに殺気立っているバーゲン会場は久しぶりに見る。
みんな凄い顔だ。人のことは言えないが(笑)。
合服に使えそうなスカート3000円、キャミソール・Tシャツ300円×3、シャツ1000円。

ところで、マクドナルドのハンバーガーでも思うんだけど、この値段で売っても元がとれるということは、本当の値段ってなんだ?


2001年02月02日(金) ゆっくりと落ちる

受験の話をした翌日に「落ちる」というのもなんなんだが・・・。

この時期ちょっと不安定なので、気持ちが重い。
ものがゆっくり水に沈んでいく感じ、あれに似ている。音楽も聴いていない。
毎年のことなので、それなりに折り合いはつけているが、今年はちょっと重いような気がする。
原因で心当たりは幾つかある。どれも個人的なもの。これで仕事が目が回るくらい忙しかったら、そんなことは忘れてしまうのだが、あいにくとこのところ思いっきり暇で、つい余計なことを考えてしまうのだ。

これは4月初めまで続く。
浮上方法はない。無理矢理引き上げようとしても反動が大きいので、そのままにしておく。
ところで、自分で気分が落ち込んでいる時に引き上げようとする人とよけい落とす人と2通りいるが、私は後者の方だ。落ちる時はとことん落とす。そのほうが浮上しやすいような気がする。
音楽でも、あまりポジティブな元気一杯の歌は好きでない。
だから「暗い」といわれるんだが(笑)。

「EUREKA」でも見に行こうか。暗い時には暗い映画を。(「ダンサー・・・」は見に行きたいという人がいたので、その人と一緒に行くことになった。)


2001年02月01日(木) 12の春

2月である。2月といえば受験。ふつう受験というと「15の春」や「18の春」なんだろうけど、私にとっては「12の春」だ。大学受験も普通にしたのだが、身になっているのは中学受験のほう。

中学受験をした。
振り返るとそれほど嫌な思い出はなかったのだが、親に言わせると途中までは文句ばっかり言っていたらしい(苦笑)。それも「友達と遊べなくなるから」ではなくて「本を読む時間が減るから」だったそうだ。なんだかなあ。
でも国語と社会は楽しかった。理科はほどほど(生物と地学は好き)、算数は天敵。

中学受験は、私の頃はそれほどメジャーなものではなくて、小学6年生60人弱(しかいなかったのだ。それでも一番多かった)で10人受けるかどうか。
学校の勉強で飽き足らない子が塾に行き、そのまま受験するというパターンが多かったように思う。
当時はわりと勉強ができる方だったので(過去形)私もそのレールに乗ったのだが、中学に入ってからが大変だったので、人には勧めない。
ギリギリの学力で入るととんでもないことになる。

だいたい中学受験で入ってきた子というのは委員長やら学級委員やらやりまくっている訳で、プラス学力となるとクラスの女王様である。そんなのが250人集まったのでセキセイインコの籠みたいな大混乱になってしまっている。最初の2年くらいは収拾がつかない。
成績よりも性格の向き不向きがあると思う。
私は早々に脱落して生物室&美術室に籠っていた。

でも高校受験がなくて12〜18才の6年間ゆっくりできたのは良かったと思う。中学高校とぐるぐるになってしまったので、高校受験があったら社会復帰できなかったかもしれない。英語もできなかったし。


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