東京の片隅から
目次きのうあした


2000年12月31日(日) さようなら20世紀

といっても何が変わる訳でも無さそう。

13時間ぶっつづけに寝て、起きたら10時だった。
とりあえず、部屋の掃除。窓ガラスと机を拭いて、床に掃除機をかける。カーテンを洗っておけばよかったと少し後悔。
それにしても机の表面を見たのは半年ぶりくらいな気が・・・。学生じゃなくなってから机で何かするということがほとんどなくなったせい。

夕方、天ぷらを揚げて、そばを茹でる。そばは好きなので、けっこう御機嫌。

それからカウントダウンライヴへ。
渋谷と下北沢のハシゴ。
渋谷のほうは2バンドしか見ていない。つまり正味1時間。それに¥4,000-払うのは正しいのか。
見たかったのは「キセル」。今日は兄の声の調子がイマイチだった。くるりのサポートもこの日あるそうで、しょうがないのかもしれない。
そういえば、初めてきちんと自己紹介したのを聴いたような気がする。

下北沢へ移動してからは深夜までライヴ、そのあとファーストキッチンでおしゃべり。そこでまたキセルの辻村兄弟を見る。何でだ。

4:30帰宅。風の強い晩だった。でも暖かい。
ちょうど家の前で新聞配達に出くわし、「おはようございます」と挨拶。「おめでとうございます」のほうが良かったかな。


2000年12月30日(土) 寝不足

朝帰宅。クリーニング屋に行ったり、部屋の掃除をしたりで一日が終わる。
さすがに眠いのと睡眠不足のせいで寒いのとで、ちょっと辛い。

早く寝ることにしよう。


2000年12月29日(金) DJイヴェント

仕事納めで飲んだあと加賀町エキジビット・スペースへ往復。さすがに慌ただしくてちょっと疲れる。

そのあとDJイヴェント2本はしご。
DJイヴェントは初めて見たのだが、あれはカラオケに似ている。
曲と曲の合間に「間」を空けないこととか、自分のやりたい曲を歌う(回す)けど盛り上がりも考えるとか、他の人とかぶらないように気を使うところとか。

1本目、そうそうたるメンバーだったんだけど、(元ブランキーの中村達也とか、ミッシェルのウエノとか)かける曲が自分の趣味と違うので、何だか疲れてしまった。

2本目、オールナイト。小さいハコに結構人が入って、踊る時は踊るけど、下がってまったりすることも。途中仮眠を取りながら朝8時まで。最後のほうは結構もうろうとしている。
こちらのほうはどちらかというとライヴに近いノリだった。
選曲はこっちのほうが好み。

行ってみて思ったのは、私はやはり生音が好き、ということ。
次に行くかどうかは分からない。


2000年12月28日(木) 今日の困ったちゃん(=客)

うちの会社はいわゆる「お役所の天下り先確保用財団」なのだが、なぜか仕事納めは28日ではない。5/1を「創立記念日」にしたから、総労働日数をあわせるために1日延ばさなきゃいけないんだそうだ。くだらねえ。
とはいっても、あと1日で休み、仕事は片付けなければならないわ、そんなときにパソコンはとうとうクラッシュして(普段使わないやつなのが幸い)全部再インストールしなけりゃならないわ、仕事納めでアルコールが入って御機嫌になった関係先のおっちゃんから電話はかかってくるわで、結構忙しい。

そんなときに、困ったちゃんが出現した。

困ったちゃんは、一応お客さまである。とはいってもかなりの問題児。
うちの会社は電気系の試験を請け負ったりすることもあり、一応技術相談なども受け付けるのだが、作り方が良く分からないのに製品を作ってきたり質問を送ってきたりする。
しかもたいていの場合、「今日中に文書で結果を出せ」と言う無理難題。自分の会社でもできないことを相手に要求するのは無理です(笑)。
今回も秋口から何だかよく意図の分からない質問をたくさん送ってきたり、「これから行くので面談して下さい」と電話がかかったりした。って、その会社は九州。(結局次の日に本当に来た。飛行機代のムダ。)

今回の問題は携帯電話の変圧器。法律にグレーゾーンな製品を何十万個も作ってから納入先に指摘され、役所にねじ込むは、電話口でだだをこねるは。
結局、衆議院議員(九州の北原、という)にねじ込んで、手を回させて、無理矢理今日中に結果を出せとねじ込む。
下らなさ過ぎて唖然。もう怒る気もない。
今どきこんなことをする会社があるのかという感想と、それが未だにまかり通ってしまう現状は、時代劇の悪徳商人と悪代官みたいだ。「そちもワルよのう」って。絶対裏で金が回ってンだろうなあ。
「日本は製造業の国です」って昔どこかで聞いたけど、嘘だな。

というわけで、もし、携帯電話の充電器でリコールがあってもうちの責任ではないです(苦笑)。ちなみに九州のカタカナ3文字の会社。事故があったら会社名バラしちゃおう。


2000年12月27日(水) マニアックな人生

ライヴに行った。久しぶりに友人達に会って、ライヴ後にお茶しながら喋る。
ライヴなどで会わないとなかなか突っ込んだところまで話のできる人はいないので、こういう機会は嬉しい。

私は基本的にマニアックな人間だ。
わざと、というよりも自分と波長の会うものを選んでいくと「マニア」とか「おたく」に近い、ということ。
中学・高校と「類は友を呼ぶ」状態で周りはマニアなヒトばかりだったが、大学以降はなかなかいない。そんなものだ。
「ふ〜ん」とそれなりにほっといてくれればいいんだが、「いいよね」とか言いつつ実際にはそう思っていない人とつきあうのは大変だ。

インターネットが結構普及して、ほっとしているひとはけっこういるんじゃなかろうか。
顔も本当の名前も知らないが、ある事柄については突っ込んだ話ができる。
有り難いことだが、そこだけになってしまわないようには、気をつけている。

でも、結局、趣味が合うだけでは話は弾まない。
文字の向こうに見えるその人とウマが合うかどうか、なんだろう。


2000年12月26日(火) 会社はあと3日

「できたら今年中」といわれていた仕事が完了。ほっとする。
あと会社仕事でやらなきゃいけないのは年賀状の宛名印刷と文書の登録と委嘱状の発行と掃除。
もう最終日は掃除をしに行くようなものだ。
ロッカーを拭いて、机を拭いて、冷蔵庫を拭いて、電子レンジを掃除して、本棚の整理をして、と細かくやっていたら切りがない。でも自分の部屋よりは丁寧に(笑)。
でもいくら今のフロアに会議室と休憩室があるからといって、そこまでなんとなく私の担当なのは納得がいかないんだが・・・。どうせ総務がやるわけないか。
現状、女子は職員よりも派遣社員とバイトのほうが多くて、その人たちは掃除はしないけど休憩室も冷蔵庫も使うし、今のフロアには女子職員は私だけだし、台所いっさいは私の担当らしい。いいけどさ。

ところで派遣業務の「庶務」と一般職員の「雑用」の境目ってなんだ?

それにしても寒い。冬らしい冬、といえばそれまでだが、駅まで歩くと耳が痛くなる。帽子でも買おうかな。


2000年12月25日(月) アンコール!

ライヴを見に行くといつも思うのだが、アンコールって一体なんだろう。

本来の意味だと多分リクエストされてから初めて曲を決めたりするものなんだと思う。
ま、100歩譲って事前の曲決めはありとしよう。
でも、最近はアンコールが余りにも当たり前になり過ぎている。アンコールがあることを前提に曲順決めをしている。
客電がつかなければ通常2回、アンコールはある。

実際、拍手なり止まぬ、というライヴもある。(一番凄かったのはスタンディングオベーションだった)
エレカシみたいに曲のバリエーションがあり過ぎて、アンコールとはいえ、実質2部構成の場合もいい。
でも、いかにも「さあ、拍手しなさい、アンコールやってあげますよ」っていうのには抵抗を感じるのだ。
しかもそれがワンマンなのに出来がいまいちだったりした時はなおさら。

客のほうも、アンコールがあるのが当たり前になっていて、拍手もしないで陶然のごとく座っている場合もある。
いっそ、拍手が少ない場合は予定していたアンコールは中止、というのはどうだろうか?もちろん、本体部分はきっちり長めにやってもらう。
緊張感があっていいライヴになりそうだ。
その場合、アンコール曲はカバーでもいいし、本人がその日やりたい曲をもう1回やってもいいんじゃないか?


ところで、もっと困るのがクラシックやバレエ。最後には客も出演者もお互い拍手や挨拶を強制されているような気がしてかなり気まずくなってしまう。あの微妙な間の断ち切り方のうまい劇場ってあるんだろうか。あれも照明係はもっと勉強してほしいなあ。


2000年12月24日(日) 「クリスマス・イヴ」

クリスマス・イヴ。といっても私はいつもの日曜日と特に変わらない。
街は昨日と同じくゲーム売り場で入場制限をしたりデパートの宝石売り場がカップルでいっぱいだったりサンタクロースの格好をしたキャンペーンが多かったり、それなりにクリスマスな気分。山下達郎の「クリスマス・イヴ」も忘れちゃいけない。でもなんで「クリスマス・イヴ」はなんで毎年チャートインするのか?毎年ジャケット違いを買うマニアとかがいるのか?私の周りで持っている人がいないだけに、よけい謎。しかもあの歌、フラれる歌だしなあ。
そういえば、別にクリスマスだから恋人と過ごそうとか○○記念日とかいう発想が私にはない。そういえば彼氏の誕生日を知らない時もあった。それはそれで問題?(でも向こうも私の誕生日を知らなかった。いい勝負である)

ドトールでコーヒー豆を買って挽いてもらったら、「サービスです」と、本日のコーヒー(この日はキリマンジャロ)を出してくれた。本日のコーヒーは時々はずれがあるのだけれど、これは美味しかった。

コーヒーは会社用。もともと残業が多い部所で、みんなかなりコーヒーを飲む。で、朝だけでもちゃんとしたコーヒーを飲もうということになって、他の部所からコーヒーメーカーを貰ったのをきっかけに、豆を買うことになった。忘年会の余りなどで買っているので、あまりいいコーヒーは買えないが、たまにいいコーヒーを買ってみてもあまり反応がないところを見ると、みんなさほど気にしていないらしい。でもあまり安いのは不評だった。そんなものかな。


2000年12月23日(土) 中村家は今日がクリスマスです。

昨日は2合飲んだ。その時はさすがにふわふわしていたが、次の日には残らない。まだ大丈夫、かな。

中村家は今日がクリスマスである。でもケーキはない。
なぜかというと、明日に飲みが入った人が何人もいるので、今日やってしまおうということらしい。
鶏を買ってきて焼く。といっても中身は出して売っているので、あんよを縛って塩胡椒を振ってオーブンに放り込むだけ。
今日も人間は全員揃わないので、ケーキは無しにした。揃ってからにするつもり。

午後、プレゼントを買いに行く。結局新宿のデパートをハシゴして、最初に見たところで買った。右往左往で人疲れする。
デパートや街はどこもさすがに凄い人。ヨドバシカメラやさくらやも入場制限をしている。

夜は鶏となんちゃってピラフ(要するにチャーハン)とボージョレー。どれもあっさりめ。だんだんくどいものが食べられなくなってきている。

天皇杯、横浜はPKで負け。俊輔がいないので、PKに入った時点で負けだろうと思っていたが、延長では結構いいかたちが作れていただけにがっかり。ちぇ。


2000年12月22日(金) 忘年会

忘年会だった。和食系の飲み屋で4時間。4時間って・・・結構いつものことだけど。
久しぶりに2合日本酒(吉乃川、旨い)を飲んで、結構ふわふわ。弱くなったとしみじみ思う。
牡蠣が旨い。

帰りにコンビニでアイスクリームを買って振り回しながら歩いていたら、底が破れてアイスが飛んでった。


2000年12月21日(木) ブルマー

今日は休みをとって銀行へ行ったりしてから、横浜へライヴを見に行った。

女子高生が結構いたのだけれど、バーにあるような背の高い椅子に座る時にスカートの中が見えて、(注:私は女です)ブルマーをはいているのが見えてしまった。
かねがねあの短すぎるスカートの中が見えたらどうするんだろうと思っていたので、物凄く納得。
でも、いくらブルマーをはいても自転車には乗れないだろうなあ。

ところで、小学生くらいの時にブルマーやら毛糸のパンツやらはかされていてトラウマになっている女子って結構多いと思うんだけど、彼女らにはそんな意識はないんだろうなあ。


2000年12月20日(水) いろいろあったりなかったり

年賀状を刷る。自分の分の2版目と、親の分。おかげで客間いっぱいに年賀状が散らかっている。それでも例年よりも少ないのだが・・・。でも20日までに印刷が終わったので、ちょっと御機嫌。

今日はスガシカオのライヴだった。チケットがとれなかったので、家で過ごしている。追い討ちをかけるようにシカオタイムスが届いてちょっとダウナー。

最近の日記を呼んだら何だか愚痴ばっかり。ダメダメだなあ。
カラ元気はあとでボディーブローがきいてしまうので、なるべくしたくない。

29日のオールナイトイベントのチケットを買いに新宿に寄る。そのライヴハウスでは今日は2チャンネルという人たちの集会をやっていた。いわゆる「荒らし」なんかもする人たち。
なんだかライヴハウスの雰囲気がどんよりしていて、変。言葉遣いが妙に丁寧で、でも身が入っていなくて、格好は異常にきちんとしていて、昔よく「まんがの森」とかに行った時にいたような、「おたく」な人たち。自分が中にいた時にはあまり何も思わなかったが、一度客観的に離れてみると、けっこう軸のずれている世界だと思う。


2000年12月19日(火) 鍋会

同期と鍋会。結局会社の話。
会社は財団法人だ。潰すと直接苦情が行くから役所はうちの会社を縮小はさせても潰す気はないらしいが、結局方針が場当たり的なので、わけの分からないことになっている。
おまけに、天下りの理事長以下役員が超・無能。会社を私物化して退職金をせしめることばかり考えている。おかげで大混乱に拍車がかかる。なんであんな仕事もしないで1,000万円単位の金が貰えるんだ?

いまのところ他に特にやりたいこともないので、もうしばらくこの会社で様子を見ることにするが、見切り時はいつなんだろうか。むずかしい。
就職活動の時に面接で落とされまくったのが未だにトラウマになっているらしい。
さて、どうする?


2000年12月18日(月) 右利き・左利き

私は半端に左利きだ。左利きで生まれて右利きに矯正されたかららしい。
字を書いたり箸を持ったりする日常動作は完全に右利きなのだが、軸となる手・足・目は全部左なので、時々不便。
物は大抵右側で持つ。
それに鞄はたいてい左肩に背負うため作られているので、ファスナーを閉めた時、右肩に背負うと閉めた口が体から見えないところに来てしまう。どきどきする。
肩掛けの荷物は右、ということは定期券は左で出すということで、駅の改札口でとんでもない目に合うのだ。

高速道路のインターチェンジでも外車用に左に発券機があるんだから、改札口も「左利き用」を作ってもらえないかなぁ。


*利き目の見分け方*
指を1本立てる。
片目をつぶって指を何か目標にあわせる。
両目を開けた時にずれない方が「利き目」。
なんだそうです。


2000年12月17日(日) コンタクトレンズと歯ブラシ

コンタクトレンズを買いに行った。
毎回目医者に行ったりして面倒臭いんだが、直接眼に入れるものだからしょうがないか。くるりの岸田が入れっぱなしで失明しかけたなんて話を聴くと、真面目に診察を受けようって気にもなるというもの。
ところで目医者の待合室にはテレビが置いてあってドラマをやっているんだが、みんな目が釘付け。後ろから見ると結構シュール。普段あまりテレビドラマを見ないので見ていても面白くない私にとっては、なにか不思議な感じがする。

帰りに「さくらや」によって、コンタクトケア用品を買う。なぜかここが一番安い。買ったらレジで歯ブラシをくれた。なぜコンタクト用品に歯ブラシなんだろう。くれるものは貰うけど。

画材屋によってプリントゴッコの補充。パソコン派が増えてきているけど、私はやっぱり自分で作りたい。そこまでパソコンを使いこなしていない、というのもあるが。
学生の時は輪郭だけ印刷して全部手作業で彩色していたけど、就職してからはさすがにそこまでできない。でも外の印刷を使う気はない。だったら出さない。
中学生くらいの時からの統一テーマがあって、今年もそれにする。
結局、何か手作業でちまちま作るのが好きなんだろうな。
今年(来年?)の出来は60点といったところか。いまいち。


2000年12月16日(土) TV収録見物

午後、BS朝日の収録で原宿へ行く。小林建樹。
BSだからなのか、FC招待にしては、ステージ柵前に2列しか並べない。後ろ頭のギリギリをクレーンが通る。かなり怖い。頭に当たったらどうするんだ一体。

収録開始が遅れて、何の予告もなくタテキはふらりと入って来た。一瞬分からない。気配があまりない人。
グレッチを持って「ジョニー・クローム」を歌いはじめるが、失敗してギブソンに持ち替える。こっちのほうが相性がいいらしい。確かに、1人で歌う時はギブソンのほうが音が柔らかくてタテキには合っている。
歌い直し始めて途中までは良かったんだが、途中で弦が切れる。さすがにあちゃーという顔をしてちょっと凹んでいるふう。気持ちも切れてしまったらしく、話をしながらギターをつま弾き、切り替えてから再開。
そのあとキーボードに移って「コスモス」「イノセント」と全3曲。

今日は声が柔らかい。ギブソンによりそうような声。アレンジも柔らかく、これが今日の本人の気分なんだろう。疲れているのかもしれない。
昨日のミュージック・ステーションの出演をビデオで見直して、「この人随分(曲に)入ってるなあ、大丈夫かなあ、見守りたくなるなあ」と思ったらしい。「ひょっとして皆さんも僕のこと、そう思ってるんでしょうか」って、今頃気付いたンか君は(笑)。

ところで、12/1から始まったBS放送について、今日の観客(60人ほど?)の中で持っている人は男性1人。はたして普及するのか?
スタッフもかなり試行錯誤な感じで、この人たちも自宅にはBSはないんだろうなあと思う。
真新しいビルなんだが、このビルの分も元がとれるんだろうか、いらぬ心配もしてしまう。


2000年12月15日(金) 風邪

風邪の後遺症か、声が枯れている。
喉が荒れているからだが、電話を取らなければならない仕事上、黙っている訳にもいかない。お茶を飲みながらになるので、腹が水腹。

喉が痛いだけならいいが、傷んでいるところ、黴菌が入っているところが化膿して痒くなるので、喉の内側がむずがゆい。すぐ中耳炎になるので、耳の皮膚の内側がこそばゆい。うぅ気持ち悪い。


2000年12月14日(木) 蜜柑

母が夏蜜柑を貰ってきた。夏蜜柑など食べるのは久しぶりで、こんな味だったかと再確認する。酸っぱく、苦く、甘くない。水のような味。私は結構こういう味覚が好きなので、黙々と食べていたが(でもちょっと砂糖はかける)、好き嫌いが別れるだろう。萩に夏蜜柑を丸ごと砂糖につけた菓子があったが、あれも甘いよりも酸っぱさと苦さが先に立っている。
そういえば、マーマレードも結構好きで買ってくる。

柑橘類の味覚は甘い・酸っぱいというよりも、苦いといった方が私にはしっくりくる。
敢えていうなら、温州蜜柑系よりも、グレープフルーツ系のほうが好き。レモンとか。でもレモンってしょっぱくない?

小さい頃、温州蜜柑が苦手だった。蜜柑が、というよりも、房の周囲の白い筋が苦手なのだ。子供の頃は、その白い筋を全部取って肉肉しい房を並べてからでないと食べられなかった。他にも葡萄を全部房からもいで並べてみたりとか、かなりキテレツ(笑)。
今でこそ筋は大雑把に取れば食べられるが、それでも人から見るとまだ結構神経質らしい。


2000年12月13日(水) 「夜会」

「夜会」を見に行った。すごかった。詳しくは「ライヴのページ」で。でもこれはライヴ(コンサート)なんだろうか?突き詰めていくと境界は曖昧なものなのかもしれない。

しかしもっと凄いのは私の2つ後ろの席で爆睡していたサラリーマン!どうやら彼女の付き合いで来たらしいんだが・・・。寝るのは勝手だが、いびきをかくなら鼻に絆創膏でも貼ってくれ。
周囲にかなりひんしゅくを買っていたが、当然、彼女のメンツも丸つぶれな訳で、あのあとあの二人は続くんだろうかと思うとちょっと興味深い(含笑)。ふふふ・・・。君ならどうする?(私ならそもそも誘わないが・・・)
15,000円の席で寝られるというのは図太いね。

帰宅したら、山崎まさよしFCイベントの当落通知が来ていた。あまりの薄さにてっきり落ちていると思っていたけど、受かっていた。でも会場が広いから、落ちてもいまさらふ〜んという感じ。
もう無理なんだろうけど、ここまで人数が増える前にもっとFCイベントをやってほしかったなあというのが正直なところ。もう1回ライヴハウスでゆったりと見たいのだ。


2000年12月12日(火) 大江戸線開通

すっかり復活。フルパワーではないが、逆にそのくらいのほうが調子がいい。

大江戸線(都営環状12号線)が開通した。
「大江戸線」と三流時代劇みたいな路線名をつけておきながら都合のいい所だけ「12」をとって12/12に開通させる。ちょっと図々しくないか?
そのうち便利な部分も分かってくるのだろうけど、実際のところ乗ってみないと分からない。地下だし。
あ、でも国立競技場へ行くのは便利です。

帰りに久しぶりにCDショップに寄る。斉藤和義「HALF」とcool drive makers「DYNY」を購入。
サニーデイ解散でコーナーが出来ていた。解散のニュースはネットでその日のうちに知っていたけど、こう、かたちになってしまうとやりきれない。明日明後日のリキッドルームは物凄いことになってそう。多分本人達としては、ツアーが終わってから発表するつもりだったんだろうけど。

それにしても今年はバンドの解散・休止が多いような気がする。たまたまどれも自分の知っているバンドだからなのか。
ソロアーティストが好きなのだが、ソロは解散もないかわり、モチベーションが切れるとそこまでになってしまうのが辛い。私の好きな人の中で今のところまだその地点に立つ人はいないが・・・。

ひさびさにゆったりした夜。「HALF」を聴きながらこれを書いている。


2000年12月11日(月) 復活!!

薬を飲みまくって20時間寝たら復活した。私は充電池か(笑)。
でも2日間ろくなものをとっていなかった胃はさすがにまだ復活していない。
昼食はコンビニのインスタント雑炊とヨーグルト。

ここで発見。
子供の頃あんなに好きだった永谷園とかの「お茶漬け」系が全然食べられなくなっている。まだ「卵スープ」とか「コーンポタージュ」とかは飲めるんだけど、どうも御飯とまざるとダメみたいだ。うえぇと思いながらも一応全部食べる。ヨーグルトは相変わらず好き。

薬の副作用か、眼圧がなんかおかしくて眼がチカチカする。途中でコンタクトから眼鏡にチェンジ。

会社帰りにライヴに行ったら通常比80%くらいまで復活した。


2000年12月10日(日) 眠りっぱなし

起きたら2時だった。
とりあえず、無理矢理起きてマッサージにいく。
「肩がこっている」以前の問題、だそうだ。京都行きやら風邪ひきやら、なんだかんだで一気に出たんだろうと思う。
帰ってきてまた寝る。


2000年12月09日(土) 二日酔いよりも始末が悪い日

朝から調子がイマイチ。
食事を軽くとったが、かえって気持ち悪くなってしまった。
きのう夕食後に食べたポテトチップスがやばかったかもしれない。(油負けするのだ)
人と会う用事があったので出かけたが、トイレへ行ったり、胃薬を買うのにつきあってもらったり、貧血を起こしたり。かえって迷惑をかけてしまった。ごめん。
結局、早めに帰ってきてこたつで寝る。6時半から寝て、10時まで寝ていた。本格的に夜寝に移行。

二日酔いだったら対処法が分かるんだけど、こればっかりは分からない。絶食と薬に頼るしかないんだろう。自家中毒ってこんなんだっけ?


2000年12月08日(金) ボーナス

ボーナスが出たらしい。「らしい」というのは一応給与明細を貰ったからなのだが、紙一枚では実感がない。だからといって現ナマで貰っても困るが。
他の会社や公務員もボーナス日だったらしく、街は忘年会&飲み会の酔っ払いで溢れている。まだ宵の口だったので、みんなほろ酔い。
そういえば、夏のボーナス支給日ってバラバラなのに、冬はほぼ同じだ。ちょっと面白い。

もともと家は自営業なので(一時期サラリーマンもやったけど)親に言わせると「ボーナスが出る仕事っていいよねぇ」とのこと。仰せのとおりです。


2000年12月07日(木) ココロ/カラダもしくは卵/鶏

京都から帰ってきたら、脚の皮膚がパリパリに裂けていた。粉ふきイモ状態。基本的に乾燥肌なので、年に何回かこういうことが起きる。大体患部は脚が多いが、たまに顔とかも出る。ただのお湯や水も痛い。お風呂が修行みたいだ。
最近さぼっていたビタミン剤を復活、ボディ用クリームもしみるのでもっぱらワセリンかオロナイン。
マニキュアは最近一時中断しているが、乾燥のせいか、今までの除光液のせいか、ササクレも復活。子供の頃よりはだいぶましだけど。なんだかなーな日々。

だれかいい保湿知らない?でもあまり高いのは買わないよ。

体もカサカサ、心もカサカサ。
・・・書いていて自分で笑ってしまった。何だか3流ドラマのヒロインのモノローグみたい。

体が調子悪いと気分がめいってくる。その逆も然り。「卵が先か鶏が先か」状態なんだが、私の場合、基本的には体の状態に左右されるらしい。もうちょっと心を制御できるようになりたい。


2000年12月06日(水) これはガセネタです

今海外にいるきょうだいからこんなネタが届いた。

***********************************
タイトル:世界最大の銀行が米国を救う
(原題:MIZUHO SAVE MISERABLE FLORIDA)

出典:11月26日付 ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル他

世界最大の銀行「みずほファイナンシャルグループ」が、今世紀最悪の混とんと言われた米国大統領選挙に終止符を打った。11月23日、フロリダ州のパームビーチ、ブロワーズ、マイアミ・デイドの3郡で手作業による大統領選挙の投票結果を再集計していた開票作業員たちが、突然、作業の続行をボイコット。州最高裁が定めた期限(日曜日の夕方)までに全ての作業を終えることは不
可能、とお手上げ状態になった。3郡計の618,000票はもちろん、投票集計機による読み取りで白紙とされた10,750票分の再集計も出来ないという事態に、州選挙管理委員会は天を仰いだ。

直後、日本の銀行から大胆な提案が舞い込んだ。提案の差出人が3人の共同CEOの連名であることに、ハリス州務長官は大きな違和感を覚えたというが、「手作業要員333人が既に成田空港からフロリダに向けて飛び立った。」という日本の金融機関としては異例のスピード決断に驚き、藁をもすがる思いで提案を受け入れた。

333人の手作業要員の内訳は、DKBの預金部、富士銀行の預金部およびIBJの証券事務部の精鋭部隊 各111人。アメリカ東部時間24日午後にオーランド国際空港に到着した彼らは、長旅の疲れも見せず各集計所に直行。直ちに集計作業を開始した。

同州の手作業による再集計は、16日以降、4人一組で行われてきたが、集計作業は殆ど進んでいなかった。ところが、日本からやってきた銀行員たちは驚くべきスピードで集計を進めた。彼らは「札鑑(さつかん)」という特殊技能を備えており、投票用紙を機械のようなスピードで数えていく。特に、悪名高いパームビーチ郡の「バタフライ投票用紙」については、IBJ行員が目覚しい活躍をおさめた。同行は「ワリコー」という一風変わった愛称の金融債を発行しており、「現物(げんぶつ)」を扱う証券事務部のメンバーは、厚紙を数えるツボを心得ている。

大統領選挙の再集計を巡っては、開票作業員の恣意性により、不公正な結果がもたらされるのではないか、との懸念から、双方の弁護士立会いのもと行われてきたが、米国の選挙権をもたない日本人による集計は、中立性という点からも大いに評価できる。ブッシュ、ゴア両陣営は、元国務長官級の大物を次々とフロリダ入りさせて、様々な発言を通して関係者にプレッシャーをかけたが、英語が良くわからない日本の銀行員たちは、こうした雑音に邪魔されることなく、黙々と作業を続けた。

日本の銀行員たちは疲れ知らず。深夜労働を何とも思っていないようだ。時差のせいか、それとも生活習慣の違いからか、報道陣が寝静まった深夜になると、がぜん集計のスピードが上がり、アメリカ東部時間25日朝には第一回目の集計を完了。同日午後5時には、海外からの不在者投票も含めて第二回目の集計も完了した。

頼みもしない二回目の再集計が行われたことについて、ハリス州務長官はとまどいを隠しきれない様子であったが、日本の銀行では、上司からの指示がなくても、現金等は必ず2回以上数える「再鑑(さいかん)」が行われるのが常である。驚くべきことに、一回目と二回目の誤差はゼロであり、日本の銀行員たちの集計精度は、フロリダ州が採用した投票集計機の精度をはるかに上回るものであった。

集計結果は、大方の予想通り、パームビーチ郡で票を伸ばしたゴア候補が大逆転。納得がいかないブッシュ候補は、再集計結果を無効として、連邦裁判所に持ち込む構えを見せている。しかし 、同氏は、記者会見の席上で、IBJを「International Bank of Japan」、富士銀行を「Geisha Bank」、またDKBをドレスナー銀行(DrKB)と混同するなど、日本の某首相と同レベルの「問題発言」を行い、共和党内部からも大統領候補としての「資質に問題あり」と糾弾されている。結局、これ以上の政局の混乱は避けたいとの慎重論に押され、最終的に提訴は見送られる模様。クリントン大統領は「アメリカにとって最も重要なパートナーである日本の協力によって大統領選挙が完了したことをうれしく思う 。」とのコメントを発表。ホワイトハウスからニューヨーク州チャパカへの引越し準備を開始した。

お手柄の333人の手作業要員は、本日以降、オーランドのディズニー・ワールドやユニバーサル・スタジオ、パームビーチのゴルフ場やショッピングモールなどで、1週間の特別休暇が与えられる。これだけの大偉業を成し遂げたにもかかわらず、彼らは「1週間の長期休暇は極めて珍しい」と素直に喜んでいる。全米のケーブルTVで報道された彼らの特殊技能「satukann」とポケモンキャラクターをプリントした「みずほTシャツ」(13ドル)が、フロリダの新名物として爆発的な人気を呼びそうである。

みずほファイナンシャルグループは、今回の集計事務代行により手数料4百万ドルを受け取った。3で割り切れない特別収入に、3人の共同CEOは頭を抱えている。ムーディーズは同グループの格付け引き上げ見通しを発表。「みずほファイナンシャルグループは、今回の代行事務成功により、選挙集計という新ビジネスを確立した。正確な手作業を要するこの業務は米銀には到底参入不可能。より重要なポイントは、労働集約的な新ビジネスの今後の展開次第では、邦銀の最大の問題点であった過剰人員の解消に役立つことだ。」と述べた。チェースマンハッタンのエマ上級副社長も「我々にはないエクスパティーズであり、大いに脅威を感じる。」と語った。

みずほファイナンシャルグループの3人の共同CEOは「次は東ティモールでの集計作業を」と目論んでいるが、これに対しては、労働環境の悪化を理由に、従業員の間から早くも反対の声が出ているようだ。

***********************************

あんまりオバカなネタなんだけど、たまにはこういうのもいいでしょう。でも考えたのは日本人だなきっと。しかも海外駐在の。


2000年12月05日(火) 西へ東へ

京都から帰ってきました。
よく歩いたんで、結構疲れた。

しかし1泊2日で観光もコミというのはちょっとやりすぎた。
慌ただしかったので、もうちょっとゆっくりできるといいんだけど、つい自分の性分でバタバタと動いてしまう。これは治らないんだろうなぁ。

明日からまた仕事。年末まで頑張らなくちゃ。


2000年12月04日(月) そうだ、京都行こう。

CMを見て京都に行きたくなったのではないのだが(笑)、ライヴを観に京都へ行ってきた。
やっぱきつねうどんは関西に限る。
京都に行くのは久しぶりだったので、結構変わっているのに驚いた。
そのうち旅行記を書きます。


2000年12月03日(日) 佐賀町エキジビット・スペース

佐賀町エキジビット・スペースが年内いっぱいで閉鎖されると聞いて見に行ってきた。
今日までは合同展、そのあとスペースの回顧展のようなものをやって、最後はなにもないスペースそのものを見てもらうという企画。最後まで洒落ている。
いい企画をやっていた。
現代美術が面白いんだな、と思わせてくれたのはこことセゾン美術館のおかげ。それももうない。
最初に見に行ったのはアンゼルム・キーファーだったなあと思い出す。

建物自体も古い。通っていた高校がこんな感じだった。天井が高くて、窓枠が鉄でなかなか開かない。トイレはタイル敷き。暖房はスチームだった。中庭もある。こういう味のある建物がなくなってしまうのは淋しい。建物自体の耐久性はしょうがないのだが、私は今の建築には魅力を感じない。

ぴんと来ない人のために、グレイプバインの「君を待つ間」PV撮影場所といえば分かりやすいだろうか。ほかにもPVやらテレビやら映画やら、あちこちで使われている。


夜、ライヴを観に新宿へ行ったら、ラグビー早明戦だったらしく、歌舞伎町は酔っ払いでいっぱいだった。
それにしてもラグビー関係の飲み会は、学生が多いせいからか、いつも飲み方が汚い。自分の汚物にまみれて転がっているのが何人もいる。クズだ。
いいライヴだったのに、ちょっとヤな気分。


2000年12月02日(土) インターネットの時代

シカオちゃんのネットでのインタビューでナカム氏のHPの閉鎖のいきさつを知る。まあ、想像していたとおりだったんだけど。

ネットというのは、匿名性のメディアだ。
私も半匿名的な名前でこの日記を書いているので、匿名について非難する気はない。
でも、ネットをしていて思うことは、いくら匿名でやっていても、その文章の向こう側に透けて見えるのは、その人のひととなりだということ。
その人の育ってきた環境、思想がどんなに隠しても活字の隙間から滲み出してくるのだ。
顔が見えない分、ひととなりはよりダイレクトに出ているかもしれない、とも思う。
どんなに丁寧な言葉でも、文学的な完成度が高くても、向こう側に見えてしまうもの。結局それがその人の本質なんだろう。

インターネットは確かに便利だけど、あくまで「手段」であって、それがすべてではない。
忘れがちなこと。


2000年12月01日(金) 師走

もう12月だ。年賀状も買ったものの全然手をつけていないし、ひさしぶりに掃除した自宅の机の上はもうゴミの山だし、家を探さなくちゃなんないかもだし、もうわけがわからない。どうして何でもかんでも年末にゾロゾロやってくるんだろうか。物事が同時進行できない自分の性格がこういう時恨めしい。
11月は仕事で凹んでいたのだが、それも通り越してなんだか良く分からない怒りに転化してしまった。もともと躁鬱が激しいが、今の状態は躁なんだろうか。
ちきしょおおお。


はる |MAIL