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2003年06月24日(火)
◆ コクーン歌舞伎『夏祭浪花鑑』勘九郎、橋之助、獅童、弥十郎、笹野高史、七之助、扇雀

団七九郎兵衛&徳兵衛女房お辰: 中村勘九郎、
一寸徳兵衛: 中村橋之助、
玉島磯之丞: 中村獅童、
傾城 琴浦: 中村七之助、
釣船三婦: 坂東弥十郎、
三河屋義平次: 笹野高史、
団七女房お梶: 中村扇雀、
〔演出:串田和美〕



Bunkamura「シアターコクーン」にて、恒例の『コクーン歌舞伎』が行われました。
今年10周年、5回目ということで年々人気も高まり、チケットも簡単には手に入りづらくて“お宝”公演になってるわけです。

私も、毎回観たいと思いつつ、機会に恵まれず今回が初めての観劇でした。
舞台と観客が一体になって独特の楽しい空間と時間を味わう…“体験”という言葉が一番ふさわしいようなひとときでした。
で、ストーリーについては、今回はそういったものを超えてしまっているように感じ。
正直、観ないと伝わらないと思いますが、とにかくたいへん興奮でき、楽しい舞台でした。

この日は生憎の雨。勘九郎ファンの母とは客席で待ち合わせ。
私は仕事終わりに急ぎ駆けつけました。
入り口は入りきれないほどの大混雑。会場外まで溢れかえっています。
とりあえず中に入ると、狭いロビーで役者さん達が出ていらして、扮装のまま何やら、“お祭り”の光景を演じています。その他皿回しや諸々をお客は見ていました。
すごいなぁと思いつつ、客席に急ぐことに…。

客席への扉を通ると、狭い通路で、なんと、ロビーに出ようとしている勘九郎さんと正面から遭遇。(もちろん役の衣装姿で)
こういう事もありえるなんて知らない私は、ただビックリして止まって見つめてましたら、軽く挨拶を交わし出て行かれました。
いきなりコレですよ!! なんていう舞台なんでしょう!
先に来ていた母の話によると、ずっと色々な役者さんが客席をうろうろしていて、今、最後に勘九郎さんが出てきたところだそう。
他の役者さんも、お客さんを席に案内をしたり、色々と楽しませてくれていたようです。

今回は客席での飲食もOKとのこと。ホントお祭り気分。
有名な俳優・女優さんを客席で多数見かけました。
客席は、1階前方は座席を潰して、平土間にしています(靴を脱いで座布団に座る)。後方は普通の座席。私の席は、1階脇のいわゆる桟敷みたいな席でした。
1階の席は隅々まで役者が行き来し、舞台として使うので、ホントに臨場感があります。

芝居が始まるのも、さぁ今から幕が開くという感じではなく、いつの間にか始まっていました。中央に獅童さんが遊び呆けている優男の若旦那という感じで芝居をしていましたが、何だか、会場全体がまだ、始まる前の興奮を引きずっているようで、舞台に集中できず、ワサワサしていました。私もまだ話の筋も理解できないまま、それでも面白く舞台を眺めておりました。

それから先は、様々な演出と、ノリの良い役者さん達の観客を楽しませようとしてくれるお芝居に引き込まれるばかりです。
『コクーン歌舞伎』は奇抜な演出でも、他では見られない特別なものを見せてくれるのですが、後で(危険なので)必要になるということで、1F平土間に座るお客には、ビニールシートやカッパが配られていました。これは怪しい…。

まず、驚くのは、やはり観客が座っている間をどんなに狭いところでも役者さんが出入りしたり、そこでお芝居をすることです。それだけでも観客は大喜び。
祭囃子の音が心地良かったり、“お祭り=江戸=喧嘩”というイメージでしたが、この舞台は大阪で柔らかい関西弁が、何ともいえない味わいになっていました。
序幕はとてもゆったりと和やかな雰囲気。獅童さんのナヨっとした話し口調、いい味出してますね。

ところで、いつあのビニールシートやカッパが登場するのかと思っていたら、序幕四場の前に一斉に準備するように指示があったようです。サッと皆さん模様替え。
始まると、ライトが全部消され、代わりにロウソクが並べられました。
つまり人工的な明かりは無くなるわけです。

この場面は、勘九郎さん演じる団七が、笹野高史さん演じる義理の父・義平次(とにかく金にきたなく小者で口達者なにくったらしい爺さん)に、騙されてつれていかれた義理ある磯之丞様の思い人、琴浦を何とかかえしてほしいと必死に嘆願して、やり取りするところ。
しかし、義平次は、団七に対し、あまりにも酷い悪態・罵声を浴びせかけ、雪駄で傷まで負わせてしまい、さすがにもう団七は我慢できず、最後に義理の父とはいえ、義平次を思わず殺してしまう。


舞台中央には泥水が貯めてある穴があり、その横には井戸が用意されています。
そこに、勘九郎さんと笹野さんが絡み合いながら、激しく争います。始めは泥を避けながら、そしてとうとう笹野さんは泥水の穴に落ち、全身まっ茶色。暫らくたってもまだ決着はつかず、舞台全体を苦しそうに粘っこく動き回る笹野さんは強烈。
こびり付いた泥で、もう茶色の物体としか見えないくらいにどろどろ状態…。
まして、下からの暗いロウソクに煽られて浮かび上がる異様な姿はとても不気味です。
勘九郎さんも大分飛び散る泥を浴びての大熱演。凄まじい競演ですね。
(平土間の前の方の観客は、カッパを着ていてもきっと顔に泥がかかってしまいそう…)
団七は義平次の死を悟ると、井戸水で身体の泥を洗い流し、悔やみつつも逃げ去ります。

ここで、序幕が終わり、休憩。結構長かった。母はクライマックスを見たので、終わりだと思い、サッサと外に出て行ってしまいました。(苦笑)
ロビーはやっぱり人で溢れています。ギュウギュウ状態。

2幕は、義父殺しがバレ、泣く泣く妻子と別れ、追っ手の役人、捕り方から逃げるところが見せ場。
この場面これでもかという位、凝った演出がほどこされていました。

・捕り方(追っ手)は曲芸のように飛んだり跳ねたり追いかける。

・ミニチュアの家セットが並べられ、放り投げまくる。

・客席の中央で、2階席に届くほどの梯子が据えられ、勘九郎さんが頂上によじ登り見得をきる。

・途中でミニチュアの家の屋根の上で、人間(役者達)に変わり人形が暴れまわる。

・ヘリコプターの音や救急車、パトカーの音が聴こえてくる。

・舞台奥の背景・セットが消え、劇場搬入口が開き、外が丸見えになる。
(つまり、客席から正面に見えるのは、劇場建物の駐車場。ゴミ箱まで見えた!)

・勘九郎さんと追っ手は舞台から、駐車場に飛び出してまで走り回り、最後は本物のパトカーまで舞台に登場するという派手派手なスペクタクル演出。


これらを畳み掛けるようなすごい勢いで見せ付けられると、ただ唖然とするばかり…。

本当にまいりましたわ。度肝を抜かれました。
こんなに面白いものが観れて良かったわー。
最後は歌舞伎では珍しく、スタンディングオベーションと何度ものカーテンコール。
獅童さんも弥十郎さんも拍手のリズムに合わせて踊る。客席もノリノリ!
役者さん全員で客席を廻ってくれました。
とにかく大変な盛り上がりで、母も私も大満足。興奮気味に劇場を後にしました。

さて、今度はいつやってくれるのでしょう?



2003年06月18日(水)
◆『三つの愛の物語』 【三人姉妹】【マルグリットとアルマン】【カルメン】ギエム、ダウエル、コープ、ムッル、斎藤、首藤


【三人姉妹】

マーシャ:シルヴィ・ギエム、
イリーナ:エマニュエラ・モンタナーリ、
オリガ:ニコラ・トラナ、
ヴェルシーニン中佐:マッシモ・ムッル、
クルイギン:アンソニー・ダウエル、
トゥーゼンバッハ:ルーク・ヘイドン、
アンドレイ・プロゾロフ:マシュー・エンディコット、

〔ピアノ演奏:フィリップ・ギャモン〕


美しいピアノの生演奏が奏でるのは、ロマンティックなチャイコフスキーの調べ。
小品を繋げ、うまく演劇的なバレエに振付け仕上げたのは、様々な傑作を生み出したマクラミン氏です。
私は物語もよく知らず、この作品も初めて目にしましたので、バレエでこのような世界も作り上げられるのかと大変感心しました。本当に演劇的なバレエ。
全体的に黒っぽく暗い照明の中、浮かび上がる様々な登場人物達のそれぞれの心の動きを繊細に描いている作品。
ピアノの小品が終わるたび、違う人物にスポットが当てられます。登場する誰もが満ち足りておらず、何ともいえない切なさを静かに訴えかけてくるような印象を持ちました。

久しぶりに観たギエムは、前よりもまろやかに見えました。以前は、あの完璧で強靭な脚ばかり印象に残っていましたが、背中やこんなに手や腕の表情が美しいとは!  改めて感心しました。
ギエム演じる次女マーシャは、ダウエル演じる田舎教師で実直な夫、クルイギンに満足できず、駐留中のヴェルシーニン中佐と恋に落ちてしまう。
ギエム=マーシャは、夫に対して悪いとは思いつつも、完全に心は冷めていて、若いヴェルシーニンとの恋に突き進み、でもいざという時には躊躇しながらも、心には逆らえず深みにはまっていく姿を熱演していました。
ギエム=マーシャは、夫との生活から逃れたい一心で、クルイギンに対してはかなり冷たく軽んじてさえ見えました。

その分、ダウエル演じるクルイギンの風貌、不器用なまでの人の良さが浮き彫りにされ、観客はより哀れに感じてしまいます。このダウエルが何といっても素晴らしい。
愛している妻が、自分に心が完全に離れていってる事をわかっていながら、怒ったり、憤るよりも、苦しみながら愛し続け、別れることなどとうてい出来ない…。
それ程愛しく思って苦しんでいる姿が、ギクシャクした彼のソロを観ていると何とも心が痛くなってしまいます。
多分観客が最も哀れに感じたのは、ダウエル演じるクルイギンでしょうけれど、ある意味“うざったさ”も見事に演じておられて、あんな風に思われすぎるとマーシャにも同情心が沸いてしまいますね。

しかし、ヴェルシーニンと別れ、辛く絶望的な気持ちでいる妻を元気付ける、“あの演技”(おどけたピエロのまね?)は涙モノ…。
マーシャは救われたのでしょうか? “あれ”は何の救いにもなりませんね。
もう女性は居たたまれず逃れたくなるでしょう。
今回、ダウエルの演技を観れたことは、本当に宝物になりました。

この日のヴェルシーニン中佐を踊ったのはマッシモ・ムッルです。
このような表現力を要する舞台に最近しばしば登場してくださるのですが、私が見たこの日は、けして悪いと言うわけではないのですが、なんだか踊りが重ためで、キレていなかったような…。(ソロでは着地音が大きかったし)
演技は、特に感情が湧き上がってくるような、心に迫るものがそれほど伝わってこず、淡々とした舞台から、はみ出してくる何かが、今回あまり感じられませんでした。
ギエムとのパートナーシップも、2人が本気でぶつかり合って作り上げた演技というより、少し相手にまだ遠慮がみられるような…。

でもムッル氏の切なげな表情は好きなのよねぇ…。(長髪時代はもっとイケメンだった)
後の演目、アルマン役の時はどうなのか、評判が高いだけに観てみたいですね。
余談ですが、今回は、衣装もカッチリした軍服で、以前「プティガラ」の時、書いたように、『戦場のピアニスト』のエイドリアン・ブロディにそっくりと、あらためて舞台を観ながらまた想像してしまったわ…。
(音楽もピアノのだったし)あっ、勿論マッシモの方がいい男ですよ。余談でした。

他に、物語の中で、三女イリーナ(エマニュエラ・モンタナーリ)を廻ってトゥーゼンバッハ(ルーク・ヘイドン)アンドレイ・プロゾロフ(マシュー・エンディコット)の恋の争いが見ごたえありました。
全く性格の異なるタイプの男2人、一人はさえないが真面目で優しそうなタイプ、もう一人はすぐに熱くなるような感情的になるタイプ、最後は決闘までして破滅的に終わります。
イリーナ役は可憐なイメージそのもので陰鬱な舞台の雰囲気の中、娘の輝きが見られました。
男2人はこの物語の中のもうひとつの核となるべき、素晴らしい演技で、わざわざギエムが連れてきた方だと納得できる演技を見せてくれました。
俳優さながらの説得力で、登場場面はどれも面白く見ごたえ有るものになっています。

長女オリガ役のニコラ・トラナも落着いた演技で役をとらえて、久しぶりに観たのですが、とても良かったですね。
彼女はロイヤルバレエ『うたかたの恋』の美貌の皇后エリザベート役を、印象的に演じていたのを覚えています。
抑えた演技の中にも感情の流れが手に取るように解りましたし、彼女の置かれた現実の空しさや色々気使う細やかな優しさが要所に伝わってきました。

最初と最後の彼女たち三姉妹でじっと抱き合うポーズは絆の強さ、共に境遇を支えあう象徴のように余韻となって目に焼きつく程印象深かったです。

ただ、この舞台、最終場面へのストーリー展開が急激過ぎて、気持ちよく見ていたら、突然終わってしまった印象。どうも全編でなかったみたいですが…。
盛り上がりがあるというより淡々とした舞台ですね。
物語に浸りきれなかったのは、ストーリー展開と終盤のせいかもしれません。もう少し描いてほしかったですね。不満はその部分だけ。
そして何だか、この作品の演劇版も観たくなってきました。



【マルグリットとアルマン】


マルグリット:シルヴィ・ギエム、
アルマン:ジョナサン・コープ、
アルマンの父:アンソニー・ダウエル、

〔指揮:ディヴィッド・ガーフォース〕


英国が誇るバレリーナ、マーゴット・フォンティーンとパートナーの、ルドルフ・ヌレエフの為に、F・アシュトンが有名な題材『椿姫』もとに振付けた作品。
オペラとは違い、作曲がヴェルディではなく、フランツ・リストの曲を使用していました。
東京公演は、ピアノソロ演奏ではなく、ピアノ&オーケストラということになりましたが、けして、ピアノの音の邪魔になるような、大音量ではなく、どちらかというと、ピアノの比重が高いアレンジになっていました。
ですので、危惧していたオケ版ですが、繊細な趣は残されていて、詩的に思えるピアノソロ版と大差は無いのではないでしょうか。(ピアノ版を聴いていませんが…)

この演目、とてもスピーディな話の展開とはいえ、マルグリット役ギエムの、場面に応じた素晴らしい演技を、堪能する事が出来ました。また、アルマン役のジョナサン・コープがとにかく素晴らしかった。ほんとに感心しました。

プロローグではまず、病床のマルグリットの回想場面から入ります。
舞台装置は全体に木の素材を組み立てたようなあっさりした枠に、白い大きな薄い布を天井から垂らした簡素なもの。 
どの場面も、基本的に白い色彩をベースにしていました。

そして、出会いの場面の赤いふわりとしたドレスを着たギエムと颯爽と登場したコープ。
ここで、ギエム以上にコープに魅せられてしまいました。
見るからに貴族的で育ちの良い雰囲気その上、若さがみなぎったアポロンのように登場するんだもの!
なかなか、このような正統派な美しい方って珍しいですよね。現われたとたん感動してしまいました。しかし、あっという間に次の田舎暮らしの場面へとどんどん展開していきます。

田舎での場面。ギエム衣装は白くてリボン飾りの付いた可憐な雰囲気。
アルマンの父から息子の将来の為に別れてくれと告げられ、辛いながら受け入れてしまう。
その後、アルマンが戻ってきてのギエム&コープ息のあった踊りは、切ない気持ちになる程、母性を秘めたような優しげなギエムの表情、柔らかな動きに、彼女の新たな魅力を感じました。
アルマンと別れなければいけない事を確信して、最後に愛を込めて踊る、演技、表情、全てにグッときました。
そしてマルグリットの愛に包まれたアルマン=コープはまだ大人とはいえない少年のようで、何も知らず幸福の中に包まれています。
そしてマルグリットは何も言わず去るわけです。悲しい…。

侮辱の場面。とあるパーティー会場に公爵に伴われたマルグリットは黒のドレス、豪華な宝石を身に付けて登場。
そこでパッタリ、別れたアルマンに出会いますが、裏切ってマルグリットが出て行ったと思い込んだアルマンはマルグリットを強烈に罵り辱めてしまいます。
いやぁー圧巻でした、この場面。コープの怒りに任せた激しい演技のさることながら、あの乱暴なまでの2人のパ・ド・ドゥは、そうとうに息があったパートナーでないと、かなり難しいと思いますし、それにしても凄かった。振り回しまくり…。
アルマンの根深い怒りにただ耐えるマルグリット。とても見ごたえありましたね。

椿姫の死の場面。衣装は膝下まで届く薄手の白っぽいジュリエットドレス。
再びプロローグ場面に戻り、病に苦しんでいるマルグリットは苦しい息の中、幻が現われては消える末期的な症状です。
本当に苦しそうに喘いだ姿は、先程の華やかな姿をしていた人とは考えられないほど弱って見えました。
死を待つだけの彼女の前に、全て事情を聞いたアルマンが現れ、こと切れるまでの哀切に満ちた踊りは、本当に弱った姿に見えましたし、2人の役に対して思いを込めた演技は、会場全体に感動として伝わったと思います。最後まで場面ごとに見事に演じきってくれて、満足できました。

普段の趣とは違うバレエでしたが、ギエム、ダウエル、コープ、ムッル、他、演技派がこの様に揃うのは、極めて稀だと思いますし、楽しめました。
出来れば、今回のような短縮版でなく、きちんとした形で見たかったですね。3演目じゃなくてもいいので…。


【カルメン】―特別ハイライト版―

カルメン:斎藤友佳理、
ホセ:首藤康之、
エスカミリオ:高岸直樹、
ツニガ:後藤晴雄、
運命(牛):遠藤千春

〔指揮:ディヴィッド・ガーフォース〕


この『カルメン』という作品は、有名な現役バレエダンサーのマイヤ・プリセツカヤが企画・初演した記念碑的作品で、彼女の為に旦那様である作曲家シチェドリンが、ビゼーのオペラ『カルメン』用い、さまざまな打楽器等組み合わせてバレエ用に作曲(編曲)したもの。
当時のソビエト社会体制と“自由”との戦いも連想される内容になっています。
(振り付けは、アルベルト・アロンソ)

そういった意味でもプリセツカヤの強烈な個性が引き立つように仕上がっている為、カルメンを踊るプリマは、他を圧倒するような存在感が必要とされると思います。
私がこの演目を観るのは、インペリアルロシアバレエ団に草刈民代さんが客演した2001年以来2度目でした。

で、今回の東京バレエ団の『カルメン』ですが、正直、心にぐっとくるものが無かったですね。
『カルメン』の書物を読んだ人は少ないと思いますが、この話を知らない人はあまりいないのではないでしょうか。ですので、観客が皆それぞれ一定の“カルメン像”をイメージして観ていたと思われます。

斎藤友佳理さんの「カルメン役」ですが、あまりにもウエットで甘いというか、女王ぜんとした強さとが無く、ホセを誘惑するのも、残念ながらただ媚び諂っているように見えてしまいました。一生懸命に彼の様子や表情をうかがって、気を引こうとしている感じ。
そんなに色々表情を作って演技をしなくても、有無を言わさず、ホセがたまらなくなって引きつけられるような、圧倒的な個性、女王のような威厳がほしかったです。

でも私は、斎藤さんの柔らかな雰囲気、繊細さが大好きですし、『ジゼル』では涙し、可憐な『シルフィード』に心から感嘆したのを覚えています。
今回のカルメン役はちょっと違和感を持ってしまいましたが、斎藤さんは表現力のある素晴らしいダンサーだと思っていますし、新しい役に挑戦することは良いことだと思います。ただ役を選んでほしかったですね。勿論もっと踊りこめば、今より素晴らしくなるとは思いますが…。

ホセ役の首藤康之さんは、少し前に客演したAMPの『白鳥の湖』のスワン役で急激に前よりさらに人気が沸騰したダンサーで、期待を持って拝見しました。
脚先、手の表情は相変わらず美しいと思いましたが、破滅的人物のホセという役を演じるには、表現に押しが無いというか、薄味というか、今回はあまり印象に残らない感じでしたね。

本当に裏切られて殺さなければどうにもならないほど、盲目的にカルメンを愛したのか?という疑問が湧き上がってきました。
もう少し追い詰められていった苦悩と葛藤の姿を濃くみせてほしかったですね。
これからさらに深く役柄を掘り下げ、観客の心に強く訴えかけて欲しい。
私は個人的に、首藤さんの個性にホセ役はきっと合うのではと思っています。
彼はAMPの時など独自の役作りをうちだしてが素晴らしかったですし、色々な役を演じるのを観るのは、大変楽しみです。

舞台全般を観た印象は、やはり皆さん薄味気味で個性的ではありませんでした。
通常と違うハイライト版のせいかもしれませんが…。
衣装の質感、素材感もちょっと軽すぎる感じ。
オケは生で迫力がありました。この音楽の特徴であるユニークな打楽器の音は突飛な感じもありますが色々楽しめて良かったです。


【おまけ】
オペラ『カルメン』の歌詞の訳を書いておきます。役の個性がよく理解できると思いますので…。

《恋は掟なんか知ったことじゃない。好いてくれなくても、あたしが好いてやる。あたしに好かれたら危ないよ》「ハバネラ」より、

《カルメンはいうことなんか聞かない。自由に生まれて自由に死ぬのよ!》
「終幕、ホセに迫られて殺される前の歌詞」、

《(エスカミーリョの事を)好きよ!好きよ!死ぬ時であっても好きと繰り返して言うわ!》
〔カルメン役〕、
≪強くて激しい、でも潔さも感じますよね≫

《カルメン、お前が好きだ、好きなんだ!お前が喜ぶなら山賊でもなんでもするよ。どんなことでも、ね、何でもするよ! だから別れないでくれ…おぉ 俺のカルメン。昔を思い出してくれ…愛し合っていたじゃないか!別れないでくれ カルメン…あぁ…》
「最後にカルメンに愛を迫る」〔ホセ役〕、
≪これは最後のホセの歌のセリフですが、もう凄い必死になって愛を請うていますね≫

今後、どうかさらに熱い舞台を期待してます!