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引出しの多い人は、ゆたかな人だ。 たくさんの引出しのそれぞれに、 さまざまな発見と可能性をしまっている。 いつでも、必要さえあれば、 その気にさえなれば、 すーっと、その引出しを開ければいいのだ。 今日までに培ってきたものが、 有形無形のエネルギーとなって、 やがて一つの意志のもと、しっかりとした形を作りはじめる。
さて、その引出しだが。 引出しの数は、その人の生き方だ。 どんな風に生きてきたのか、 どんな風に生きていきたいのか。 私は、できれば、ゆっくりと時間を刻みたい。 回り道をしたり、迷子になったり、 時には、大きな失敗だってするだろう。 そんな一見、無駄で避けられることなら、 避けていきたいと思うことが、 やがては、多くの引出しを作り、 自分をゆたかにしていくのだということを、 今では知っている。 年を取ることは、手放しには喜べず、 やはり哀しいことではあるけれど、 年齢を重ねることで、 増えていく、引出しもある。
「若い時の苦労は買ってでもせよ。」
そういう言葉もあるようだが。
労苦によって得られる引出しもあるが、
できれば、苦労に沈む日常より、楽しい毎日の方がありがたい。
どんなに忙しくても、ほんのちょっと、立ち止まるだけで、
心の荷を軽くすることはできる。
日々の苦労をゼロにしてしまうほどの威力はないが、
しばし、忘れることはできるだろう。
「とっておきのリラックス」は、
色んな気分転換やリラックス方法をぎっしりと収めた
「小さな幸せ」の小引出し。
楽しいことをたくさん知っているというのも、
人生において、大切な大切な宝物である。
たとえ、それがささやかなことでも。
私の引出しは、一体いくつあるのだろう? 楽しいことも、苦しいことも、 悲しかったことも、これからの夢も。 ゆたかな引出しの持ち主でありたい。
注; 紹介文は少し、シリアス調ですが、 「とっておきのリラックス」は、 ライトでキュートなイラストBookです。(シィアル)
『とっておきのリラックス』 著者:藤本なおこ / 出版社: KKベストセラーズ
久々に、ほわっとした、ほほえましいもどかしさを感じる。 『アマリリス』−岩舘真理子の最新コミックスである。 最近、追い込まれて殺伐としているので、 よけいにゆったりとした、 あたたかな「おとぎ」に惹かれてしまう。 小説にしても、マンガにしても、 そこにある幸せ、Happy Endは、所詮「おとぎ」である。 でも、絵空事の、昔話よりも、 さらに遠くにある「おとぎ」であっても、 時には大切な心の水源にだってなるのだ。
特に、岩館真理子の紡ぐ物語には、 穏やかであるが、 そこにはほのかな寂しさが見え隠れし、 その寂しさを誰かと共有できたらいいのにと、 そう思わせる、優しさが満ちている。
物語の中の二人(花屋の桃田さんと編集者の赤井くん)は、 おたがいが、おたがいに片思いをしている。 (当人が知らないだけで、二人は両思いなのだが。) 時に不安になったり、時に幸せに満ちあふれたり、 小さなすれ違いが、笑いを呼ぶ、ラブコメディ。(シィアル)
『アマリリス』 著者:岩舘真理子 / 出版社: 集英社(Young You Comics)
思えば高校時代から、この本の背表紙を 学校帰りの書店で立ち読みしていた。 何かの拍子に手に入れたのは数年前で、しかも、 50ページほど読んでそのまま放り出し、 思い立って最初から読み直し、このほどやっと読了。 学生の頃読んでいたら、どんなことを感じたていたか とも思うが、今のほうが良い意味で 距離をおいて読めたのは確かだろう。
つまづいたのは、単純にこの世界に気が滅入ったからだと思う。 前半の樹上生活自体はSFとしてはありふれた設定だし (そういう舞台を最初に描いた作家が、もしかするとオールディス なのかもしれないが)、話の展開はまったく見えなかった。
人類が退化し、植物が王者となる未来の地球。 もはや太陽の寿命もそれほど遠い未来ではない。 最終的には宇宙における生命の進化論にまで言及する、 まさに想像を絶する、壮大な壮大なSFである。 こんな世界を机の上で描きながら、作家というのは 普通の生活もしている(こんな世界を描く人は一見普通に 見えるはずだと思っている)のだから敬服する。
滅び行く世界での人類は、すでに論理的な思考もできず、 女性を頭にした小さなグループでやっと生存している。 無力といってもいい存在である。 文明という武器を失った人類に対して、 いわゆる滅びの美といったような意図的な美化はなく、 途中までは誰が主人公なのかもわからない。 動物的な進化を遂げた植物の姿はただただ暴力的で、 人間と共存しようなどとは考えていない ──ごく一部の寄生生物を除いては。 美しいのは、だんだん描かれてくるマクロの世界 ──最後の輝きを放つ太陽と滅びゆく惑星、 そしてすべての生命の根源。
主人公の少年にしても、知性を持つキノコに寄生され、 奴隷的に精神を共有する状態が続く。 だから、このキノコも主人公であり、植物たちも主人公であり、 作家はこの世界の全体像を描こうとしてはいても、 特定の誰か(=現象)に肩入れしているわけではない。
最後の最後に主人公らしい決断を実行するところが 救いであり、作家の最も伝えたかっただろうメッセージなのだが、 この人も確かにイギリス人である、と思わされる。
細かいところではあるが、この本でおもしろいのは、
翻訳家の苦労が見える植物名。怪物名といってもいい。
オールディスが英語で創作した植物名も多く、
それにふさわしい日本語を選ぶのには苦労があったという。
本書は、1961年に発表され、1962年にヒューゴー賞を受賞。(マーズ)
『地球の長い午後』 著者:ブライアン・W・オールディス / 出版社:ハヤカワ文庫
近くの本屋さんで、「新本バーゲン」をやっていた。 ワゴン一つの量で、本の種類も偏ってはいたが、 本によっては、随分と安くなっているのと、 その偏りが、ちょうど自分の趣味にあっていて、 ついつい、買いたい本のリストが長くなってしまう。
『時の本』、『夢の本』、『宙の本』など、 カラーの美麗本が投売りされている。 どれも3000円を越える本なのに、 値札は1/3の1000円弱。
日本画の絵葉書文庫も、 全種類ではないが、それでも、美しい美人画や、 動植物を集めたものが、30%オフで売られていた。
私の愛する辞書、新解さんも、 2冊も持っていなければ、買ってもいいかなと、 ついつい思ってしまうような、 良心価格が設定されていた。
「新本」といえども、 ちょっとまえに出版されている本なので、 気にはならない程度だが、少々痛んでいる。 少し角がそりつつある本、 うっすらと変色しつつある表紙カバー。 私には、どうってないことだ。 要は中味、内容、活字だし。
本は、高い。 内容そのものに敬意を払っても、 やはり、本は高すぎる。 今日日は、たとえ文庫本だって、 本によっては、楽々、1000円を越してしまう。 仕事に必要な本を数冊買えば、 あっという間に、1万円を越してしまい、 結局、カード払いにせざるを得なかったりする。
出版社の書店でのスペース獲得競争は、 非常に激しく、厳しいという。 特に文庫本は、回転が速く、 うっかりしていると、 あっという間に書棚を追われてしまっている。
出版物がこれほどにまであふれている今、 売れ残っていく本も少なくないことは間違いないのに。 なぜ、どうして、どういう理由で、 売れ残った本が、もっと自由に再販されないのだろう。 こんな風な新本バーゲンでは、充分な需要もあると思うのに。
新本バーゲンは嬉しいけれど、 反面、なぜもっと日常的な流通ルートが確立しないんだろうと、 どうしても、不満な気持ちも募ってしまう。 (シィアル)
『時の本』著者:村上龍 他 / 出版社:光琳社出版(絶版)
『夢の本』著者:島田雅彦 他 / 出版社:光琳社出版(絶版)
「私は時代を見る目がある」と自信満々に言いきって 長らく停滞していた「和製SF」の古典作品を次々と復活させた 角川のハルキ氏、「本格ミステリ」の古典中の古典まで 往時を知らぬ若者向けにラインナップに引き入れました。 そう、日本三大名探偵中(笑)最大の美形、 ギリシャ彫刻のごとき白晰長身、 東大法医学部助教授にしてピアノの名手、 天才神津恭介ここにあり(昭和30年当時35歳)。
日本の「本格」第一人者といえば名探偵中の名探偵、 人懐こい金田一耕助を産んだ巨匠横溝正史。 本格ミステリ一方の雄、高木彬光もけれん味に溢れた 猟奇的な舞台設定では負けてはいないものの、 文章が平易なので横溝のあの濃密な「雰囲気」には及びません。 かえって修飾的な情景描写を読み慣れた目にはこの古典は あっさりとそれこそドラマの脚本のような淡泊さですが、 そこは論理の一高東大出、ゲームとしては申し分ありません。 悪魔の所業のごとき不可能犯罪、容疑者リストに読者への挑戦、 社会的有力者による「あの有名な探偵さん?」という認知、 「ああっそうだったのか!」という謎ときの驚愕と 合理的解釈に拠る世界秩序の回復、でも演出過剰な名探偵。
これこれこれ! 高度経済成長時代長らく弾圧された後の 爆発的な新本格の覚醒と名探偵時代の復活は、 要するに皆これがもう一度やりたかったんですよねえ。 現在は本格タイプのミステリはエンターテイメントの基礎になって ファンタジーやホラーや伝奇や他の要素を取り込んだり アンチだったりメタだったりもうなにがなんだか判りませんが、 少なくとももう「ただの遊び」をしている暇はない、と切り捨てられる 余裕のない時代に逆行する心配はなくなったようです。
しかし古典の難点は、その後様々なヴァリエーションに使われて すごいトリックでもなんとなく皆が知っているという点でしょうか。 もう、神津先生、なんで犯人の企みに気付かないんだ〜、 などと別の意味で手に汗握っちゃいます。 子供の時父の本をこっそり読んでいたときは 普段冷静なのに熱中するとだんだん狂気じみてくる 神津先生が妙に怖かったんですよ。 今読むと汽車の中でオレンジジュースの瓶にストローさしてる 体力のない助教授、可愛いんですが。(ナルシア)
『人形はなぜ殺される』 著者:高木彬光 / 出版社:ハルキ文庫(角川)
このタイトルですから、「多重人格ホラー」か?
と、例によって勝手にずっと思っておりまして。
(ダニエル・キイスの『五番目のサリー』ですね)
ちがったちがった。
この「六番目」は「六代目」といった意味でした。
とある地方都市の進学校に代々受け継がれる「サヨコ」、
今年は六番目のサヨコの出る年。
──ねえねえ、「サヨコ」って知ってる?
近年目覚ましい活躍を見せるミステリ・ファンタジー系 エンターテイメントの実力派、恩田陸さんの「伝説の」デヴュー作品です。 少女マンガばりの造形と設定の登場人物、 シャープな洞察と気の効いた会話、 外界から孤立した場の生み出す特別な力、 後の恩田作品でお馴染みのエッセンスが みんなこの作品の中に見られますが、 やはり白眉は学園祭の「演劇」の場面の臨場感、 これはなるほど「伝説」ですね、 「伝説」の生まれる瞬間に居合わせる畏怖と昂揚。 小説の顛末よりなにより(笑)、恩田作品の真骨頂 「秘められた物語への期待感」が一作目から全開です。
埃っぽい日々の生活に疲れた方々、気分転換に ちょっと怖そうで実は清々しい学園生活を 再び楽しんでみてはいかがでしょう?(ナルシア)
『六番目の小夜子』 著者:恩田陸 / 出版社:新潮文庫
佐々木倫子の漫画は、ほとんどデビュー作から カヴァーして読んでいるつもりだ。 『動物のお医者さん』で一挙にスターダムにのしあがる (などと書くと派手に聞こえるが)までに、 『ペパミント・スパイ』のシリーズがけっこう好きだった。 『動物のお医者さん』以前のミケらしき関西猫が出てくる 「山田の猫」も傑作である。 デビュー作の名前は忘れたが、学園物(恋愛要素ナシ) だったというのが、今思えばおかしい。 平凡といえば平凡なのだが、なぜかおぼえている。 (白泉社から出ているコミックスに収録)
ずっと『花とゆめ』誌に描いていて、『動物のお医者さん』後、 『おたんこナース』あたりから本格的に青年誌に移ってしまったのは 少女漫画で育った、少女漫画の佐々木倫子を見てきた 読者には少しさみしい。
最近単行本が出ている新作は『HEAVEN?』。 売れないレストランを支える(?)、女主人とスタッフの 話である。 花とゆめに書いている頃から、この人は 専門の職業をモチーフにしたものが書きたいんだなぁ、 というか恋愛ものだけは金輪際書かない人なんだな思っていたけれど、 今ではほんとうに、そういう世界に特化した。
でも今でも、『ペパミント・スパイ』のなつかしい世界だって
私は好きだ。
(マーズ)
『HEAVEN?』 著者:佐々木倫子 / 出版社:小学館
ブライアン・W・オールディスの古典的SF、『地球の長い午後』。 ここでは植物たちが、弱体化した人類の後を継いで 地球と月を支配している。 植物は肉食になり、戦闘的で悪意に満ち、 進化を続け、巨大な森を構築して 春を謳歌しているのだった。
一方、たむらしげるの『ファンタスマゴリアデイズ』。 架空の惑星、ファンタスマゴリアのエピソードに 登場する植物の森は、人類の理想の姿。 人間を助け、癒してくれる。 私たちには、どちらかといえば、こちらのやさしい世界のほうが しっくりくる。 というより、四六時中植物に襲われる心配をするのは 耐えられない。たまに理解しあえると思っても、 寄生されて利用されるのだとしたら。 植物にとっては、地球の長い午後を過ごす人類の立場が まさに今置かれている状況なのだろう。
植物と人間の関係が、劇的に変ることはあるのだろうか。 そのとき植物たちが人間の敵になるのか 味方になるのか、重要な情報を共有するのか、 それともお互いに滅びてしまうのか。 あてもなくもの想う。
今のところ、とてもよくいっているとは いえない、この惑星の上での共生関係について。(マーズ)
『地球の長い午後』 著者:ブライアン・W・オールディス / 出版社:ハヤカワ文庫 『ファンタスマゴリアデイズ(1・2)』著者:たむらしげる/出版社:メディアファクトリー
季節は大きくはずれているけど、 ネットで探したクリスマスの絵本を取り寄せた。 (取り寄せは、近くの書店で) タイトルにひかれたから。
クリスマスだけの赤い電車が、 イルミネーションで飾られた雪の街を にぎやかに、そしてゆっくりと走る光景。 街じゅうの子どもたちが順番で電車に乗るのを 楽しみにしている。 なんと、運転しているのは、ぼくたちのお父さん。 だから、ぼくたちも、小さいサンタになって クリスマス電車に乗るんだ。 …というお話。
絵の具で描かれた世界は、 とてもとても美しくて肌の温度がある。 小さいサンタたちのかわいいこと。
まだしばらく来ないけれど、 このつぎのクリスマスには、クリスマスらしい 飾り付けをしよう、と思った。(マーズ)
『サンタをのせたクリスマス電車』 絵:ジタ・ユッカー 著者:ロルフ・クレンツァー 訳:ウィルヘルムきくえ / 出版社:太平社
今を読み解くキーワードのひとつは、 「私らしさ」とか、「自分スタイル」とか、 等身大の自分自身であることだろう。 迷いながら、自分探しをする必要はない。 今のままの自然な自分でいいのだ。 カルチャー・センターや習い事もブームだという。 「自分磨き」をはじめ、 今の女性は、自分への投資を惜しまない。
では、自分らしくあること、 自分のスタイルというのはどのようなものがいいのだろう。 もちろん、私らしい「個性」が大切だけれど、 自己主張がすぎるのもあまりカッコよくないし。 できれば、さりげなく、ちょっとしたディテールで。 「シンプル」「ナチュラル」「ピュア」 カタカナが続くが、この辺のキーワードは抑えておきたい。
で。「ワタシ」のお城。 私らしさは、ヒト前だけではなくて、 ひとりの時でも、忘れたくない。 だから、自分の部屋も、自分のコンセプト、 人生のキーワードで満たしておきたい。 そんな時にありがたいのが、 この本、「ピュア・スタイル」。 どのページを開いても、スタイリッシュなインテリア。 ひとつひとつは、何でもないものだけれど、 選びに選び抜かれた、使う人のセンスと、 そして、意志が感じられる。 意志がいるのだ。
結局、自分らしさとは何かと考えると、 それは、どう生きていくのか、 どう生きていきたいのか、 その「意志」が大切なのだと思う。 自分自身を考える時、 自分のスタイルが欲しいと思う時、 最初は「形」からでいいだろう。 でも、やがては自分の内面をよく見つめ、 スタイルに「意志」を持ちたい。 その意志こそが、他ならぬ私らしさなのだから。 (シィアル)
『ピュア・スタイル』(日本語版)− エーテースタイル シリーズ− 著者:Jane Cumberbatch / 出版社:河出書房新社
愛は「時」を越える。 ――究極のラブロマンス? 恋人が古代の王様や中世の騎士というのは、 強烈にロマンチックなシチュエーションだ。 いや、かなりの力技、反則技だろう。 しかし、その掟破りな妄想の世界を、 甘くせつなくも激しいラブロマンスとして、 気持ちよく耳元でささやいてくれるストーリーテラーがいる。 かわりばえのしない日常に泥のように疲れている時には、 ありがたい語り部たちだ。
ただ、どうしても「特異」な設定なので、 シチュエーションや展開に共通するところもあるだろうが、 どの小説にしても、しばし日常を離れて、 遠く隔てられた時代の向こうへの「トリップ」を 楽しむことが十分できる。
どんな風にタイムトリップをするのか? 時を越えた恋の結末は?(そりゃHappy Endじゃないと困るけど。) それは読んでのお楽しみ。
●恋人にするなら、誰がいい?
・古代エジプト王 ラムセス2世:『ザ・マミー』
・14世紀のスコットランド戦士 ナイジェル:『夢のなかの騎士』
・16世紀のイングランド伯爵 ニコラス・スタフォード:『時のかなたの恋人』
Web上で、こういうタイムトリップ(or タイムスリップ)ものの恋愛小説を調べていると、面白い本が見つかりました。
『二千年めのプロポーズ』
電気鍋から現れる魔人ギルガメシュ(女神の誘惑を拒んだせいで、天上界から地上界に追放されている。2000人の願いを叶えれば、天上に帰ることができる)とヒロイン・メガンのラブ・ロマンスらしい。
…2000年10月に発売されたようですが、現在は在庫切れで、多分、入手困難。残念、結構、おもしろそうなのに。(シィアル)
『ザ・マミー』 著者:アン・ライス / 出版社:徳間文庫
『夢のなかの騎士』 著者:リンダ・ハワード / 出版社:二見文庫
『時のかなたの恋人』 著者:ジュード・デヴロー / 出版社:新潮文庫
『二千年めのプロポーズ』 著者:ダーリーン・スカレーラ / 出版社:ハーレクイン
シィアルにすすめられて読んだこの本は、 ここ数十年のファッションの歴史書といってもいい。 タイトルからすると、才能がものをいう華やかなファッション界を 赤裸々に描いた…という印象だが、ちょっとちがう。 原題は『The End of Fashion』、ファッションの終焉。 『ウォールストリートジャーナル』でファッション部門を担当する 記者が、20ヶ月の執筆休暇をもらって、 業界での豊富な取材や資料、 周囲の協力によって重層的に書き上げた名著。
私のようにハイファッションと縁のない人間でも、 ブランドとマーケティング戦略の関係という 切り口はとても参考になった。 そのおかげで、今までロゴや広告しか知らなかった ブランドのデザイナーが人間的に距離を縮めて見えるようになった。 そのブランドが、たとえばアメリカで どういう位置付けにあるのかといったこと (どういう客層が彼らを支えているのか)が、 ストーリーとして入ったといえばわかりやすいだろうか。
正直にいえば、今まで、ラルフ・ローレンやアルマーニが どんな人物かなんてまったく知らなかった。 ダナ・キャランはこの写真のなかの誰か、といわれても 間違った人物をさしてしまっただろう。 ゾランにいたっては、名前すら知らなかった。 (マーケ的にいえば私は客層ではないから知らなくても当然か)
ライターとしての非凡さは、大物のインタビューが さりげなく随所に盛り込まれていることからもうかがえる。 雑誌の記事からの引用はお手のものとはいえ、いたって用意周到。 とにかく、にくらしいくらい、かゆいところに手が届く 「なるほど。」な構成である。 人脈とひらめき、そして大胆さと繊細さとユーモアがあれば、 他の誰もが描こうとして描けなかった世界を、 新鮮なペンでリアルに料理することができるのだ。 それも、フルコースで。(マーズ)
→ (1)『ファッションデザイナー』 著者:テリー・エイギンス / 出版社:文春文庫
たとえば、広告のキャッチコピーなら、 いつまでも覚えているような印象の深いフレーズも そこここにあるし、むしろそうあるべきだろう。 10年以上も前の、雑誌の1ページ、 しかも広告でもない数行のコピーを そんな風におぼえていられるだろうか?
おぼえていた。 あれからずいぶん時間がたったというのに。
先日、部屋の整理をしていて、 昔ファイルしてあったもののなかに、 雑誌のページがあったのだ。 なんだかとてもなつかしかった。 「これ、すごいお買い得の雑誌!」 興奮した友人の声が耳によみがえる。 abroadと書いてエイビーロードと読むのも新鮮だった。 たしか、消費税の導入前で、定価200円だったと思う。 今のように通販のカタログなど売られていなかったから、 その価格はとんでもないものだった(はずである)。 発刊当時のエイビーロードは、いろんな意味で とてもぜいたくな旅行雑誌だったのだ。
細かいツアーデータの合間に、 まる1ページを使って差し込まれたページがあり、 旅のイメージをいやおうもなくかきたてるような写真と キャッチコピーが絶妙にとけている。 私が保存していたのはそのページだった。
たとえば、ギリシアのアテネで。
「ヘーイ。俺たちは、 夢みる夕暮れを売っているんだぜ。」
というコピーがある。 写真はボブ・デイビスと名前が出ているが、 コピーライターの名はこのページには見えない。
スター・クリエイターがきら星のごとく登場し、 日本の広告が大きく成長した頃に出た雑誌。 編集方針が変わってからは 普通のカタログ雑誌になって、現在に続いている。
あの頃、海外へ旅に出る余裕はなかったけれど、 あのエイビーロードがかきたてた旅への憧れは、 私の旅の友となっているにちがいない。 もしかすると、それ以上の…作用も及ぼしているの かもしれないと思う。(マーズ)
『エイビーロード』 出版社:リクルート
小さな田舎町で人々の人望を集める男性が、 三十年以上抱え込んで来た少年時代の暗い体験を 日常生活の中で時に静かに、時に狂おしく回想する。 やがて過去の悲劇の秘められた姿が 私達の前に明らかになる── 日本では「記憶シリーズ」と呼ばれる、 海外ミステリランキングで毎回上位を占める 実力派トマス・H・クックの得意の手法です。
そしてこの作品のテーマは永遠不変の物語、 輝かしく苦いハイスクールの恋。 高校生が車で通学している点と ストーリー上重要な、ある社会問題を除けば 日本のどこの小さな町にでもありそうなお話です。 このほとんど典型的と言えるストーリーに 毎度お馴染みの手法を用いてるにもかかわらず、 というより──その普遍性こそがこの作品の評価を 一層高めているとも言えます。 学園生活の陰影から、現在も過去の事件の影を引きずる かっての同窓生達の人生までをしっかりと絡めて、 更に所々に罠を仕掛けてある、やはりそこが手練の技。
何冊かの本を同時進行で読む「ながら読み」型の私は 本当はじっくり腰を据えて読みすすめるタイプの本は 苦手なのですが、クックは私が住んでいた事のある アラバマ州出身なので、どこにでもありそうで でもやっぱりいかにもアラバマらしい描写も 個人的に楽しめる要素です。 この作品で主人公達が訪れる、 ガズデンの街に入る手前のショッピングモールって、 今アウトレットモールになってるところかな、 あそこでラルフローレンの服とロイヤルダルトンの ディナーセットを山の様に買ったっけ、 安かったからもっと買ってくればよかったなあ‥‥とか、 これは本編とは関係ない、私の、記憶。(ナルシア)
『夏草の記憶』著者:トマス・H・クック / 出版社:文春文庫
まず最初に。 姉妹本に、『Feng Shui for Dogs(犬のための風水)』もあります。 イラスト中心の本で、各ページに1センテンスくらいで、 風水のポイントが書かれています。
気 / 調和 / 関係 / 健康 / 繁栄 (5項目)
あなたの猫のために気をつけてあげてね。
・芝生で黄色や茶色に変色したところやはげてるところは、
不健康な気が出ているところです。
・小さなクリスタルボール(ビー玉)は、
(猫の)精神不安の解決に役立ちます。
・(犬と猫の間のような)難しい関係を改善するのに、
ベッドをちょっとだけどちらかに、動かしてみるといいかもしれません。
・ヒキガエルは富の象徴ですよ。(猫が捕まえてきても嫌がらないでね。)
というように、猫版風水ですが、 多分、基本精神は人間にとっても同じなのでしょう。 人より一歩先を行く風水術、猫や犬のためから始めませんか?(シィアル)
『Feng Shui for Cats』著者:Louise Howard & Chris Riddle / 出版社:Ebury Press London
夕方からまた少しパワーを出して、 部屋の整理を深夜まで延々とつづけていたら、 ずっと行方不明だった新美南吉の文庫本が 棚の奥から発掘された。 古いので、すっかり表紙はシミている。
南吉の全集が大日本図書から出ていて、 そのなかに日記も収録されているのだが、 これがなかなか面白い。 文学的な面白さももちろんあるのだろう。 でも、私にとっては、作品そのものしか知らなかった作家の 人間性に触れる思いで、それにしてもこれは…と 首をかしげたくなるくらい「人間的な」記述もまた愉しめた。
たとえば、
物語『巨男』脱稿。 弟に読んで聞かせたら、終に至って、涙を流しをった。 俺の作品にも値がついて来たと云ふもの。
とか、
ひそひそと泣く子があった。私はうれしくなった。 私の頭が作りあげた話が、子供の美しい涙に価するのが。
といった具合。 ここまで本音を書いていいものか。 しかし…ちょっと待て、と年を確認する。 1929年。 ということは、この日記を書いた南吉は、 16歳ということになるではないか。
自分の16歳を思えば、恥ずかしさに 消え入りそうになる。 あの頃しでかした、とても自分とは思えないような 恥ずかしい行為や思い込みが、脳裏をよぎる。 その頃の思い出につながる証拠を捨てても、 過去を清算したことにはならない。
作家や有名人たるものは、 いかに早逝しようとも(南吉は30歳で他界)、 自分の日記が人目にふれることを じゅうぶん意識しているべきだとつくづく思わされる。 あるいは、公開前には信頼できる人物に選別してもらうよう 遺言しておくべきだと。 あとから悔やんでも遅いのである。 すべてさらけ出します、という覚悟があれば 話は別だけれど。(マーズ)
『校定 新美南吉全集』 著者:新美南吉 / 出版社:大日本図書
みなさん、ミステリ作家の藤原瞳先生を御存知ですか?
東京創元社の戸川編集長に見い出され推理新人賞に輝き 骨太の大型新人として注目のあの藤原瞳先生。 知らない?じゃあ三年三組の山田のの子ちゃんの担任の先生と いったらわかるかな?アニメ映画の『隣の山田くん』では 今年の目標を「適当」と書いたあの美人の先生ですよ。
小学校を退職して作家デヴューした瞳先生の送る そのおっとりした外見と作品の評価からは想像もつかない 大胆不敵でずぼらで妙に呑気な生活は、 案外作者のいしいひさいち氏が日頃接している出版界の リアルな日常のような気がします。 というか、私がもし東京でフリーの仕事なんぞを していたらもうそのまんま彼女と同じような生活に なりそうで恐ろしい。 お母さんの言うことまでが一緒なんだもん。 (ただ幸い私はあんな大酒飲みではないぞ)
もともと通なミステリパロディで名高いいしい氏は 師匠筋にあたる鎌倉文士の広岡先生や市民講座の講師だった タブチ先生、OLをやめてアシスタントになった三宅さん等の おなじみいしいキャラ以外に、推理小説界の実在作家達を モデルにしてちょいちょい登場させています。 なんといっても藤原瞳最大のライバルは高村先生? 先日出た『わたしには向かない職業2』では 高校時代の瞳伝説が明らかに!(ナルシア)
『女(わたし)には向かない職業』 監修:いしいひさいち / 出版社:東京創元社
「自選少女ホラー」集となっていますが、 ここに収録された短編に共通するのは「少女」だけではなく、 基本テーマもほとんど同じです。 か細く幼い肢体の奥に傲慢を潜ませる少女と、 倦み疲れた外見の底に炎をひらめかせる大人の女。 この二人は歪んだ時間軸の中で一心同体、 互いのドッペルゲンゲルと言える存在です。 それでいてどの話もそれぞれの趣向が全く異なり、 独自に完成された世界を形作っています。
近年のホラーブームの中で大勢の実力有る若い女性作家達が 出版界を賑わしエキサイティングな作品群で私達を楽しませて くれていますが、やはり戦時中に少女時代を送り非生産的な 幻想文学など相手にされない時代を生き抜いて作品を磨いて来た 大先輩の技にはまだまだみんな、及びませんよ。
インパクトを与える冒頭、造形的でありつつリアリティに満ちた 描写、合理的で冷たいサイコストーリーになるか、 悪夢の淵に沈む事になるか、覗き込んだ途端にとーんと背中を 突き飛ばされるラスト。
まさに、短編はこうありたいものです。 やっと怪奇幻想譚の時代が巡ってきたのですから、 ミナガワ先生、末永く書き続けてくださいね。(ナルシア)
『巫子』 監修:皆川博子 / 出版社:学研M文庫
フランスで大絶賛され、日本でも96年にハードカバーで 出版され話題になったフランス製ミステリが、 文庫で出たので読んでみました。
主人公であり語り手となるのは英国人の出版社社長。 彼は長年の友人であるフランス人作家に対し秘かに復讐を企てます。 友人はその著作によって大きな栄誉を手にした直後、 やはりその著作によって破滅するのです。 ミステリと言っても謎解き興味ではなく(仕掛けはタイトルで判る)、 犯罪の完遂を主人公と共に見届ける小説です。 復讐の動機として語られる主人公の自意識と劣等感、 自らの光の半身とも言うべき友人と影の半身である自分の関係が、 懐かしいようなフランス文学の青春の香を思い起こさせます。
一方、この作品の完成度の高さに対して、 日本では一部にしか評価されなかった理由も分ります。 ミステリらしいどんでんがえし、ほんの小さな、 思いがけない糸口によって犯罪は露にされ (『太陽がいっぱい』のラストシーンのように)、 巧遅を究めた犯罪も正義の元に断罪されるであろうという ラストでないと心正しいミステリ読みにとって居心地は悪い。 この不満はたぶん、ストーリーのせいではなく 私が主人公に完全には感情移入できなかったせいだと思われます。 主人公の苦悩に同情して一体化できていたら、 彼の完全犯罪と、その後予感される明るい未来が 読者にとってもカタルシスになったはずですから。 主人公が自分で言う様に、彼は 「誰にとっても魅力のない人間」であり、 その理由は彼の言うように 「傲慢な友人」の存在のせいではなくて 彼自身の鬱屈した物の見方にある、と思えてしまうのです。 (‥‥もしかして。私は知らぬうちに復讐される側?) 主人公に心情的にシンクロ出来る方にとっては とても楽しめる作品ですのでおすすめしますよ。
作者のフィシュテルはローザンヌ大学の歴史学教授だそうです。 この『私家版』が処女作だそうですから、楽しみです。(ナルシア)
『私家版』 監修:ジャン=ジャック・フィシュテル / 出版社:創元推理文庫
新美南吉、1913-1943。 三十歳を目前に生涯を終えた児童作家のファンだ。 昔、小学校の教科書に載っていた 『ごんぎつね』を おぼえている人も多いだろう。 今も載っているのだろうか?
早熟で多作だった南吉には多くの 童話作品があるが、なかでも 『さいごの胡弓ひき』と 『おじいさんのランプ』は、 一本の運命の両端を描いたように思える。
『さいごの胡弓ひき』で南吉は、 胡弓ひきという職業の、最後のひとりになった若者の 最後の最後までを描き、その終焉に 残酷なまでの胡弓との決別を与えた。
『おじいさんのランプ』では、 ろうそくの時代を経て流行のランプ売りになった若者が、 電灯の登場で廃れてゆくランプに前向きに決別し、 新しい時代に果敢にとけこんでゆく姿を描いた。
どちらがいいとか、悪いとかでなく。 それでも、 両作品を読み終えたときに、 さいごの胡弓ひきへのやるせない同情が おさえられないのが人の常であり、 おじいさんの勇気に敬意を表しながらも、 滅びに向かう、凛とした勇気にこがれる。
だれにでもできることではないから。 だれにでも許されることではないから。
南吉は子供たちのための作品を 人生のほとんどを費やして書いた。(マーズ)
『おじいさんのランプ』 著者:新美南吉 / 出版社:てのり文庫(大日本図書)
『ウォレスとグルミット』など、 ユーモアたっぷりのクレイアニメで 一躍世界的な名声をものにした 手技大逆転とでも言いたいアードマン社。
名作とうわさになっていた『ウォレスとグルミット』を 初めて観て、制作にこつこつと5年もかかったと知り、 情熱と根気にただただ脱帽してから、 はやいものでもう数年。 そういえば、私の携帯ストラップはショーンで、 車のキーにはチーズを持ったウォレスが笑っている。
本誌は「ウォレスとグルミットのアードマンスタジオ展」と 銘打った、日本での展覧会用公式ガイドブックというだけあって、 制作現場やスタッフの声、 会社のフロア見取り図まで載っている。 ファンならずとも、キャラクターを知っている者には つい読まされる内容だ。
ニック・パーク監督はじめ、 スタッフの誰もが、とても笑顔じょうず。 独特のふんいきが共通している。 ありていにいえば、瞳のかがやきが。
アードマン社はロンドンにあるのではなくて、 ロンドンから車で西へ約2時間の ブリストルにあるのだった。 そこに移ったのは1976年で、設立者のひとり、 ピーター・ロードの出身地で、当時BBCの番組を ここで制作していたからだという。 当時はアニメーションも映画も関係のない地方都市だった。 それがいまや、である。 設立者のピーター・ロードとディビッド・スプロクストンが 出会ったのは13歳で、16歳のときに 「アードマン・アニメーションズ」は 設立されたのだ(!)
それにつけても、 『チキン・ラン』 の公開が待たれる。 英語 で観たので、細かいところは実はわかってない。 それでもわかったような気になっているのがアニメの力か。 できれば『チキン・チキン・ラン・ラン』じゃなくて 原題どおりにしてほしい。 だって、チキチキバンバンみたいだし(笑)(マーズ)
『The Aardman』(アードマン・エキシビション・オフィシャル・ブック) 編集・出版社:ソニー・マガジンズ
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管理者:お天気猫や
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