昼間、川の近くを歩いていると、何羽かの鴨が向こう岸近くで泳いでいた。 今シーズン初めて見る鴨なので、カメラに収めておこうと携帯を取り出し、彼らに向けた。 その瞬間だった。 すべての鴨が飛び去ってしまったのだ。
ぼくから鴨までの距離は10メートルくらい。 川面と道の段差は2メールくらいあるし、さらに鴨は向こう岸を泳いでいるのだ。 そのため、10メートルでもぼくにはけっこう遠くに感じた。 だが、鴨の感覚ではそうではなかったようだ。
そういえば、前に鷺を写真に収めようとした時も、鴨と同じように逃げて行ったが、鳥というのはそこまで臆病なのだろうか。 ハトやカラスを見る限りでは、そうは思えないのだが。
(1) 最近気になる言葉があって、それがことあるごとにぼくの頭の中をよぎっていく。 どんな言葉なのかというと、「ゆっくり、ゆっくり」だ。 どういう意図があって、こういう言葉がよぎるのだろう? 焦っている自分を戒めているのだろうか。 そういえば、その言葉が頭の中をよぎる時は、決まって緊張感が漂っているような気がする。
しかし気になる。 ということで、今日それが何を意味しているのかを確かめる実験をやってみた。 「ゆっくり、ゆっくり」を行動に移してみたのだ。 つまり、すべてのことをゆっくりやってみたわけだ。 歩くのもゆっくり、動作もゆっくり、考え事もゆっくりである。 すると、面白い結果が出た。
歩いている時のことだが、ゆっくりを実践していると、不思議と信号などに引っかからないことがわかった。 信号にさしかかった時にタイミングよく青になって、待たなくてすんだり、信号のないところでも、道路を渡ろうとすると、車がまったく走ってなかったりした。 つまり、すべてが順調に流れたわけだ。
そういうふうにやっていくと、仮に信号で引っかかったとしても、「この流れに意図があるので引っかかったんだ」とか、「ちょっと焦っていたんだ」などと思って、そのことに腹を立てたり、落胆したりということがなくなるだろう。
運というのはタイミングだと聞くが、もしかしたら、この「ゆっくり、ゆっくり」の呼吸が、ぼくの幸運のタイミングなのかもしれない。 きっと神とか宇宙意識とかいうものが、それを教えてくれたのだろう。
(2) 昔、本で読んだのだが、ある武士が殿様から「霊験あらたかな金言を探してこい」と命じられ、諸国を巡る話があった。 長い時間をかけて探したあげくに、ようやくその金言を見つけた。 その金言とは「待ったり、待ったり」だった。
さて、その言葉を見つけ、久しぶりに我が家に戻った彼は、家の窓に不審な影を見た。 妻一人しかいないはずの家の中に、もうひとつの影があるのだ。 それはどう見ても男の影で、二人は仲むつまじく寄り添っているではないか。
カッと来た武士は、刀を抜いて家の中に飛び込もうとした。 その時だった。 彼は例の金言を思い出したのだ。 「待ったり、待ったり」 さっそく、それを実践してみることにした。
ひと呼吸置き、心を落ち着けてから家の中に入ってみると、そこにいたのは妻の父親だった。 自分が長いこと家を空けて帰ってこないので、心配して様子を見に来ていたらしい。 「待ったり、待ったり」のおかげで、大事に至らずにすんだというわけだ。
ぼくは人との出会いというものがあまり好きではない。 会えば別れが辛いから…、というわけではない。 直感的に「こいつは合う」と思える人は問題ないのだが、もともとが人見知りなほうなので「どうもこの人は苦手だな」と思う人に出会ってしまうと、とたんに構えてしまうのだ。 構えるというのは、心がこわばっている証拠で、そういう心の状態をぼくは好まないわけだ。
構えもその時その場で終わればいいのだが、ずっと引きずるのだ。 仮にその人との付き合いが長く続いた場合、何かの折に構えが出てしまう。 それゆえに人からの評価が、その人その人で違うわけだ。 「しんたは底抜けに明るい」と思っている人は、ぼくが出会いの時に「こいつは合う」と思った人で、逆に「しんたはちょっと暗いから」という評価を下す人は、実はぼくが出会いの時から構えている人なのである。
そういう人見知りな性格のくせに、なぜか人と接する販売業を選んでいる。 ま、仕事は別というふうに割り切っていたわけだが、それでも苦手なお客さんというのはいた。 そういう人を相手にする時は、自分をさらけ出すのをやめて、「はいはい、おっしゃる通りです」と流れに任せていた。 だから、そういう人に接する時は、「何が何でも売ってやる」という気持ちは抱かなかった。 流れに任せていたので、買わなければ買わないでいいという気持ちだったのだ。
ところが、不思議なもので、そういう気持ちを抱いて接していると、なぜか売れるのだ。 それも高いものが。 お客さんはなぜか満足しているようで、その後もちょくちょく声がかかったものだ。 しかし、ぼくの心の片隅にある苦手意識がなくなったわけではなく、相変わらず「はいはい、おっしゃる通りです」で接していたのだった。
こういう出会いの時の直感を後生大事に持つ性格は、直感を重視するさそり座の人が普通に持つものなのだろうか。 今度、同じさそり座のオナカ君に聞いてみることにしよう。
忘れていたが、禁煙してからもう7ヶ月を超えている。 ふり返ってみれば、こんなに楽な禁煙はなかった。 とにかく、タバコのことを考えることが、ほとんどなかったのだ。
ずっと前にも禁煙したことがある。 その時は周期的にタバコのことが頭の中を巡ってきた。 最初は頭の中のタバコを打ち消していたが、そのうち打ち消すのが困難なほど頭の中に巡ってくる頻度が高くなった。 で、結局また吸い始めたのだった。
ところが、今回はそれがない。 タバコを見ても、そばで吸っている人がいても、どうってことないのだ。 前回一番きつい思いをした飲み会でのタバコも、まったく体が要求してこない。 ここを乗り越えたんだから、もう禁煙は卒業でいいだろう。 いや、また吸い始めるわけではない。 タバコを吸わないことが、禁煙という意識的な行為でなくなったことだ。 つまりタバコを吸わない生活が普通になったということだ。
こういう生活を何と呼んだらいいのだろう? 無煙生活か?不要煙生活か?不吸生活か? ま、どうでもいいや。 体がタバコから解放されたんだから。
2007年11月21日(水) |
何が幸いするかわからない |
嫁ブーの友だちの家で不幸事があったとかで、昨夜8時前に嫁ブーを通夜会場まで送って行った。 その途中に、5年ほど前に出来た広い直線の道がある。 以前はその道で7,80キロくらい出していた。 だが、買い替えた車の馬力が弱く、スピードを出そうと思ったらけっこうエンジンを吹かさなければならない。 最初はそれでもスピードを出していたのだが、最近ガソリンが高くなったので、無駄にガソリンを消費する吹かしはやめることにして、その道を通る時は、だいたい60キロくらいで走っている。
昨日はさらに速度を落とし、その道を制限速度の50キロで走っていた。 その道は途中で幹線と交差するのだが、その交差点の信号の手前に街灯が途切れて暗闇になっているところがある。 ぼくがその闇にさしかかった時だった。 突然そこから5,6人の人が飛び出してきたのだ。 見るとその人たちは全員電飾棒を持っている。 警官だ。
「ヤバイ」と思ってブレーキを踏もうとした。 ところが、警官の視線はぼくではなく、ぼくの後ろに向いていた。 そしてぼくがその場を通り過ぎると、道路に飛び出し、後ろから来た車を停止させた。
普段はスピードが出ないので、後続車から煽られたりして嫌な思いをしている。 そのせいで車に文句ばかり言っているのだが、今日はそのスピードの出ない車に助けられたのだ。 今後も助けてもらわなければならないので、車に文句を言うのは、もうやめることにしよう。
しかし塞翁が馬というのか、何が幸いするかわからないものである。
あまり興味はないのだが、今夜はテレビでバレーボールを見ていた。 対ブラジル戦だったが、ぼくのような素人が見ても、日本よりも相手のほうが格上だということがよくわかった。 何せ最初のうちは、相手がミスしないと点が取れなかったのだ。 その後何とか攻撃で点を取れるようになったが、それ以上に相手から点を簡単に取られてしまう。
「力のソビエト、技のチェコ、速攻ニッポン」だとか、「悪くても銀メダル」と言われていたのは、30年前くらいまでだったろうか。 今日のような試合を見ていると、あの頃がとても懐かしく感じられる。 そういえば、その頃バレーの新興国だった中国から「日本は先生である」とおだてられていたが、あれから弱くなったような気がする。
日本チームが、身体面やメンタル面に勝る外国勢に勝とうとするなら、木の葉落としだとか、ダブルアタック、風船アタックといった奇抜な技を編み出すしかないな。 ついでに、監督は猪熊監督がいいだろう。 「猪熊監督は、東京オリンピックの大松監督以上の監督」と、小学生の頃に元全日本主将の中西千枝子選手といっしょにバレーボールをやっていた、うちの嫁ブーが言っておりました。
2007年11月15日(木) |
怒濤の50代!になったオナカ君 |
『頑張る40代!』の最終回から1週間が経った。 「毎日書きます」なんて公約してないので、強迫観念もなく、のんびりとこの日記を書いている。
さて、今日15日は、友人のオナカ君の誕生日である。 ぼくと同い年だから、誕生日が7日しか変わらないわけだ。 同じ七赤金星の酉年生まれだし、同じさそり座だし、おまけに生まれた曜日が金曜日でこれまた同じ、さらに動物占いもペガサスで同じときている。
ここまで同じだと、「同じような運命をたどっているのか?」という疑問がわく。 実は、細かい部分には違いがあるが、大まかな運の流れはだいたいいっしょなのである。 オナカ君もぼくも、今ほとんど似たような境遇にいるのだ。
で、今後どうなるのかというと、ぼくの場合は好転し始めている。 ということは、オナカ君も好転しているのだろう。 が、オナカ君はそれに気づいてない。 細かい部分の違いというのは、こういうところだ。 つまり、ぼくは運とか流れとかいうのに敏感で、オナカ君はそうでもないということである。
だから、たまにオナカ君は焦っているようにも見える。 最近グチが多いのも、好転に気づいてないことに原因があるのかもしれない。 おーいオナカ、目を醒ませ。 戦争終わったぞ。
2007年11月14日(水) |
さよなら西鉄ライオンズ−鉄腕逝く |
初めて球場でプロ野球を見たのは、小学4年生の時(昭和42年)だった。 小倉球場での西鉄・阪急戦、ダブルヘッダーだった。 そのどちらかの試合で稲尾が投げたのだ。 その頃はまだ、西鉄ライオンズのことを詳しく知らなかった。 だが、稲尾や中西の名前だけは知っていた。 なぜなら、パッチン(メンコ)でいつもお目にかかっていたからだ。 初めて生で見るパッチンの人、稲尾投手はまぶしかった。 当然その時から、本格的に西鉄ライオンズを好きになった。
小学5年の時(昭和43年)だったと思うが、遠足で福岡市内に行ったことがある。 ちょうど福岡市に入った時だった。 バスガイドが、「この中に西鉄ライオンズのファンの方いますか?」と聞いた。 ぼくを含めて、半数以上の男子が手を挙げた。
何かと思ったら、 「けっこういますね。はい、左手をご覧下さい。今建築している建物があるでしょ」 見てみると、なるほど鉄筋の家を建てている。 「あれは、西鉄の稲尾投手の家なんですよ」 ということだった。 その時は別に感動はしなかったが、いまだに憶えているということは、けっこう印象深かったのだろう。
さて、稲尾投手は、ぼくが6年生の時に現役を引退した。 その後、黒い霧で責任を取って辞めた中西監督の後を継ぎ、西鉄ライオンズの監督になった。 しかし、黒い霧事件容疑で主力選手が追放されたチームは弱かった。 弱いと客が入らない。 客が入らないと、収入も減る。 西鉄は球団を手放した。
中学3年の時(昭和47年)、ぼくは小倉球場で行われた「さよなら西鉄ライオンズ」を見に行った。 相手はV8を達成したばかりの巨人だった。 巨人の監督は川上、一方の西鉄の監督は、その川上を現役引退に追いやった稲尾ということで、ある種の因縁をぼくは感じていた。
で、試合はどうだったのかというと、よく憶えていない。 なぜか巨人側である3塁のベンチ上に座っていたので、友だちといっしょになって、敵である長嶋や王にヤジを飛ばしていた。 そのため、試合をろくに見てなかったのだ。
しかし、考えてみると、その後太平洋クラブライオンズの試合は見に行ったことがないし、評論家になってからの稲尾にもお目にかかったことはない。 ということは、稲尾が西鉄のユニホームを着た最後の試合が、結局はぼくが稲尾を見た最後になったわけだ。 一番いい時に見られたのかもしれないな。 ご冥福をお祈りします。
30代の前半に、小倉で適職とかを占ってもらったことがある。 その時に「あなたは多くの人を喜ばす仕事が向いていますね。そういう仕事に就いていると自分も向上できるでしょう」と言われた。 当時ぼくは、家電専門店に勤めていたのだが、「果たして今の仕事は、人を喜ばせるような仕事なのだろうか?」と疑問を抱き、その数年後、ぼくはその会社を辞めてしまう。
いつも自分の行動は正しいと信じているから、会社を辞めたことは間違ってなかった。 現に辞める時はちゃんと流れに乗っていたし、次の就職もその流れの延長上にあった。 おかげで難なく転職が出来たのだった。
転職先は、学生の頃から働いてみたいと思っていた、地場の大手企業だった。 つまり、夢が叶ったということになる。 しかし、そこの仕事が、多くの人を喜ばせるものなのかどうなのかは別問題である。 仕事の内容は、前の会社と何ら変わらなかった。
就職した当初は、希望の会社に入るという、自分を喜ばすことに気を奪われ、「多くの人を喜ばす」ことなんて考えなかった。 しかし、職場に慣れ、そこの人間関係にも慣れてくると、またあの疑問が蘇ってきた。 果たして、この会社で仕事をして、多くの人を喜ばすことが出来るのだろうか、と。
確かに、最初のうちは接客して物を売っていたので、人を喜ばせることは出来た。 ところが、途中でセルフの売場に変わってしまったのだ。 商品を揃えて、展示するだけの仕事だったから、接客することがほとんどなくなった。 つまり、会社が人を喜ばせるような形になり、ぼく個人が人を喜ばすことが出来なくなったわけだ。
昨年その会社を辞めたのだが、辞める数年前からその部分が引っかかっていた。 その頃、たまたまパソコンを手に入れ、ホームページというものがあるのを知った。 それで、ぼくは乗ったのだ。 「もしかしたら、これで多くの人を喜ばすことが出来るかもしれない」と、思ったわけだ。
あれから7年経つが、あれからどう変化したのかというと、今は自分を喜ばすのに精一杯である。 まだまだ先は長いということだ。
2007年11月07日(水) |
頑張る40代!(最終回) |
さて、最初は1年も続けばいいと思っていたこの日記も、気がつけば1年が過ぎ、2年が過ぎ…、とうとう7年経ってしまった。 あの頃は、まさか50歳になる前日、つまり今日まで日記を書いているなんて思わなかった。
いつの日記だったか、50歳の誕生日の前日まで、この日記を休まずに書き続けると宣言したことがある。 そう宣言することで、自分を追い込んだのだ。 なぜそんなことをしのかというと、それまでのちゃらんぽらんな人生に区切りを付けたかったからだ。
それまでぼくは、何一つものに出来たものがなかった。 仕事もそうだったし、ギターや歌にしてもそうだった。 いいところまでは行くのだけど、なぜかいつも中途半端だったのだ。 そこで、何でもいいから、簡単に始められて、継続していけるものはないかと探していた。
そういうときに見つけたのが、ウェブ日記だった。 日記なら、若い頃に続けて書いていた経験がある。 しかも、ウェブであるから人からも読まれる。 実は、ぼくは若い頃に自分の書いた文章を公表するという夢を持っていたのだ。 だから、これは好都合だった。
さっそく日記を書き始め、やっていくうちに「自分は文章を書くことが、わりと好きなんだ」ということがわかってきた。 そして、それが自信に繋がり、先の宣言になったわけだ。
しかし、そう宣言してしまうと、嫌でもやり遂げなければならない。 そうそうネタは転がっているわけではないし、こちらの体調の悪い時だってある。 そんな中で、無理してでも書いていけたのは、やはり読んでくれる方々の後押しがあったからだ。 もし誰も読んでくれなかったとしたら、早い段階でやめていたことだろう。 それゆえに、この日記に付き合ってくれた方々には、本当に感謝しております。 この場を借りて、御礼申し上げます。
ところでこの日記のタイトルだが、過去に何度か替えている。 しかし、結局は『頑張る40代!』というタイトルに戻してしまった。 なぜそうしたかというと、この日記を、ぼくの40代の遺産にしたいと思うようになったからだ。 40代の遺産に『吹く風』だとか、『ショートホープブルース』だとか、『空を翔べ!』だとかは似合わない。 やはり『頑張る40代!』しかない、と思って元に戻したのだ。
とはいえ、遺産と呼ぶためには、タイトルだけではなく、中身も伴っていなければならない。 その中身というのが、実はこの日記の元々のテーマなのである。 この日記のテーマとは何かというと、40代の最終日まで頑張って日記を書き続けることである。 それでもって、初めて遺産として完成するわけだ。
ということで、『頑張る40代!』は、今完成いたしました。
(1) 昼間、この日記を綴っていた間、一番印象に残ったのは誰だろうと考えていた。 日記を書く以前は、モリタ君という凄い方がおられた。 だが、この日記を書く頃には、彼はぼくの中でも過去の人になっていた。
最近では、ヒロミちゃんか? とにかく、この日記最高の登場回数39回を誇る。 ただ、この人とは30年近くの付き合いがあるから、当然日記以前の知り合いだ。 ということで、却下。
次に多いのが嫁ブーだが、これも却下。 これは生活上の登場に過ぎないからだ。
(2) 次に多いのが誰かというと、酔っ払いのおいちゃんだ。 店に来ては、お客さんにクダを巻く。 冬場は店に居座ってなかなか帰ろうとしない。 挙げ句の果ては寝小便だ。 まあ、そういうのがこの人の地なら目も瞑ったのだが、実はこのおいちゃん、えらく計算高い人だったのだ。
雨の降る夜には、警察署の前でさんざん悪態をつき、相手にされないとわかると死んだふりをしたりして、留置場に泊めてもらおうとする。 また、従業員何人かで抱えて外に放り出したことがある。 その時酔っ払っているはずのおいちゃんは、放り投げようとするぼくたちに向かって、静かな声で「そおっと置け」と指示したのだ。
あとで気づいたことだが、おいちゃんの行動は、ほとんどがパフォーマンスだった。 つまり、酔っ払ったふりをしていただけなのだ。 なぜそんなことをやっていたのかというと、要は一人で寂しいから、誰かに構ってもらいたかったということなのだろう。 それならそういう態度でいればいいものを、変に我を張るもんだから誰にも相手にされなくなり、結局ああいうパフォーマンスでしか自分の存在を示すことが出来なくなったのだ。
おいちゃんは、すでに故人である。 おそらく死んでから、自分の過ちに気づかされたのではないのか。 で、今はあの世で反省しているところだろう。
(3) さて、その次に多いのがタマコだ。 アホなくせに口だけは達者な奴だった。 昨年結婚したが、今はどうしているのだろう。 別に会いたくはないが、たまにからかってみたくなることがある。
そういえば、この日記を書き始めた頃に、甘栗ちゃんという変な子がいた。 顔はかわいかったのだが、微妙にピントがずれていた。 天然なのかと本人に聞くと「いいえ、地です」と言ったり、「小泉首相」のことを「小泉しゅそう」と言ったり、三波春夫を加山雄三だと思っていたり…、おかげでずいぶん楽しい思いをさせてもらったものだ。 タマコと違って、この子は見ているだけで面白かった。 そういう意味で、一番印象に残っているのは、甘栗ちゃんなのかもしれない。
この日記を始めた頃は、エンピツという日記のサイトを利用していた。 そこのエディタに直接日記を書き込んで、そのままアップしていたのだ。 最初の頃は文章も短かったし、これといった支障もなかった。 ところが、日記を書くことに慣れ、長い文章を書くようになってから、いろいろと支障が出てきた。
時々書いている途中にパソコンが固まったり、誤ってブラウザを消してしまったりするようになったのだ。 いや、それまでも何度かそういうことはあった。 だが、文章が短かったから、書き直すのも簡単だった。 そのため、それほど気にしなかったのだ。
だが、長い文章の場合は、そうはいかない。 「あと少しで終わり。これで寝れる」と思っていたところでフリーズなんかすると、真剣にパソコンをぶち壊したくなったりもした。 まあ、そうすることも出来ないので、一から書き直しをすることになるのだが、内容は覚えているものの、言葉の言い回しなんかがなかなか思い出せないのだ。 そこでまた言葉と悪戦苦闘するようになる。 そのせいで寝るのがかなり遅くなった。
これは何とかしないとと思い、エディタ探しを始めたのが、日記を書き始めて1年が過ぎた頃だった。 無料有料問わず、その当時あったエディタはほとんど試してみた。 だが、なかなか満足のいくソフトが見つからない。
そういう時だった。 雑誌を読んでいると、『紙』というソフトのことが載っていた。 文章を書き込むと同時に自動保存してくれる、という優れものだということだった。 さっそくぼくは、そのソフトを仕入れてみた。 なるほど優れものである。 途中でフリーズしようが、誤って電源を切ろうが、書いたところまではちゃんと保存してくれているのだ。
それ以来ずっと、ぼくは『紙』を使っている。 まず『紙』に下書きしておいて、それを日記エディタに貼り付けるのだ。 そうすることで、書き直さなくてすむようになった。 で、寝不足は解消されたのかというと、されなかった。 書き直しをしなくてよくなったために、気持ちがだれてしまったのだろう。 集中力に事欠くようになり、書くのが極端に遅くなってしまったのだ。
うちの近くに陸上競技場がある。 福岡国体の時に出来たから、比較的新しい競技場である。 かつてはJリーグの試合もやっていたが、最近はそういう話を聞かないから、廃れた競技場になったのかと思っていた。 ところが、どうもそうではないようだ。 日曜日にはいつも何か試合をやっているらしく、先々週は市内の中学の陸上大会、先週はサッカー九州リーグの決勝をやっていた。
ということで、その近くを歩いていたら、今日も競技場から声援が聞こえてきた。 応援の仕方からするとサッカーだ。 競技場の周辺には、たくさんの高校のバスや貸し切りバスが停まっていた。 そのほとんどが県南部の高校のもので、中には東福岡や筑陽といった全国大会に出場した高校のバスもあった。 ちょうどぼくが行った頃は、東福岡が試合をしていたようだ。 競技場の隙間から、有名な赤いユニホームが見えていた。
ずいぶん前から、自分の心の中に、もう一つ殻をかぶった自分があるような気がしてならない。 それが時々、アスファルトを突き破って出てくる雑草のように、その殻を突き破って表に出てこようとしているのだ。 うまく突き破ったら、どれだけ気持ちがいいだろう。 ということで、いつも突き破ろうと努力している。
ところが、なぜか邪魔が入る。 邪魔をするのはいつも決まっていて、常識であったり、大人というしがらみだったり、未知とか未体験への恐れだったりする。
まあ、常識とか、大人とかに依存していれば、普通の人としてやっていけるのだから、別にそれを突き破る必要はないのだが、それでは面白くない。 すでに波瀾万丈の洗礼を受けているのだから、普通の人にこだわる必要もないのだ。 殻の中の人は、そこから飛び出したくて、どうしようもないところまできているようだ。 ドカーンと突き破って、もう少し面白味のある人生を送ってみるか。
寒くなってきた。 昼間の風が少し冷たく感じた。 そろそろ灯油を買わないと…。 でも、ガソリン代が上がったから、灯油も当然上がっていることだろう。 この間、米屋の前を通ったら、米を10キロ買ったら18リットル1050円にすると書いてあった。 灯油は昨年も高かったが、その米屋で米を買うと800円台だなったような記憶がある。 ま、その米屋はちょっと遠くだし、米を買うこともないので、そこで灯油を買うようなことはしないが。
さて、この冬はどこで灯油を買おうか。 やはりホームセンターにしておくか。 多少高くても近くだし、そこまでの道のりも平坦だから、一番都合がいい。
ということで、今日そのホームセンターを覗いてみたが、まだ灯油コーナーは開店してなかった。 先週の新聞チラシにアルバイトを募集していたから、まだ販売担当者が決まってないのだろう。 いつから開店するんだろうか? 早くしてもらわないとね。 ぼくは昨日からドテラを着ているんだから。
とうとう11月か。 あと一週間だ。 前にも言ったが、このブログを終えたあとは、気の向いた時にしかブログを更新しないつもりにしている。 それは、今の『もう目は閉じない』の更新状況を見てもらったらわかると思うが、そのペースでやるつもりだ。
とりあえず休みたいのだ。 免許証の更新をしなければならないのですが、寝不足が蓄積してしまい、ちょっと視力が落ちているような気がする。 そこで睡眠を充分にとって、視力を回復させようと思っている。 最近の免許証更新は誕生日を超えてもいいから、それができるのだ。
で、視力は何とかなるものの、問題は講習だ。 昨年一度スピードオーバーで捕まっているから、1時間講習を受けなければならない。 これがきつくてならない。 事故現場の悲惨な写真を見せられたり、事故死亡者の遺族の声を聞かされたりして、マイナスのイメージを植え付けられる。 それを見るたびに、「ここの人たちは、本当はみんなを運転させたくないんじゃないのか?」と思ってしまう。
とにかく、こういうのは早く終わらせたい。 そのためにも、早く視力を回復させなければ。
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