新しいブログには書いたが、今日新しいホームページを作った。 ブログを替えたのに、ホームページがそのままというのもおかしいので、取り急ぎ作ってみたわけだ。
→http://mengly.michikusa.jp/
とりあえず作ったのはパソコンだけだが、追って携帯用も作っていこうと思っている。
しかし、ブログがこれだけ普及しているので、もうホームページを作ることもないだろうと思っていたが、ないと困ることもある。 やはり何かと便利ということか。
一昨日書いた「ありがとう」とか「感謝します」とか言っていたらいいことが起きるようになるという件だが、何となく理屈がわかってきた。
「楽しい、楽しい」と言っていると本当に楽しくなったり、どんな質素な食事でも「おいしい、おいしい」と言って食べると、本当においしくなったりするが、それと同じことだ。 つまり、「ありがとう」と言っていると、本当に「ありがとう」と言いたくなるようなことが起きるということだ。 きっと潜在脳なるものが、そういうものを誘導してくるのだろう。
その本の中には、「(願い事が)叶いました。ありがとう」とすでに叶ったように言うと、本当に願い事が叶うとも書いてあったが、それも同じ理屈である。
その本を初めて読んだのが、昨年の6月だったから、1年5ヶ月して、ようやく理解できたことになる。 本というのは、こういうふうに納得できて、初めて読んだということになるのだと、何かの本に書いてあったが、50歳を前にして、ようやくそういう読み方が出来たということか。 今までの膨大な読書は、いったい何だったのだろう。
2007年10月29日(月) |
50過ぎの寂しがり屋 |
飲み友だちに、寂しがり屋の先輩がいる。 一人でいるのが辛いのか、しょっちゅう誰彼に電話しているし、意味もなく飲み会の招集をかけたりもする。 年上だし、無碍には出来ないから、スケジュールに多少の無理があっても、なるべくぼくはその飲み会には参加するようにしている。
しかし、50歳を過ぎた寂しがり屋というのも困りものだ。 夜遅くに、泥酔した声で「しんちゃーん、何してんの〜♪」なんて電話をかけてきてグダグダ言われるのも、何の前触れもなく突然「何月何日飲み会するぞ。場所決めとってねー。(ガチャ)」とやられるのも、あんまり気分のいいものではない。
先輩、いい年なんだから、もう寂しがり屋なんて卒業して下さいよ。 出来たら、楽しがり屋になって下さい。 そうすれば、一人でも充分に楽しめるはずですから。
一年前、「ありがとう」とか「感謝します」とか言っていたらいいことが起きるようになる、と書かれた本を読んたのだが、それ以来ぼくは素直にそれを実行している。
最初は別にこれといった変化はなかった。 特に思い入れもなかったので、それについて疑問など感じなかった。 ただ、それを言っている間は、余計なことを考えなくてすむので、何となく心地よかった。 それで充分だったわけだ。
ところが、どういう変化があったのかは知らないが、例えば嫌なことがあっても、「幸運の前触れはこういうもんだ」などと自然に前向きな受けとめ方が出来るようになった。 さらに最近は、ポイントサイトとかで、予想が的中したり、ゲームで当たりが出るようにもなってきた。 これまでクジ運が悪いと思っていただけに、この変化は嬉しい。
これからドンドンこういう事が起きるのかなと思っていたら、今日、以前応募していた懸賞が当たった。 賞品は魚沼産のコシヒカリ(新米)である。 何の前触れもなく送ってきたので、うれしさ倍増だった。
そういえば、昨日も新米をもらったのだが、これもまた予期しないもらいものだったので、うち中で喜んでいた。 やはり「ありがとう」効果なのだろうか。 もしそうであれば、近々夢も叶うことだろう。 いや、叶うに違いない。 ありがとうございます。
「大丈夫」と書いたカードを、部屋のあちらこちらに貼っている。 気落ちした時に見るためだ。 そういうつもりで貼ったのだが、気落ちする前に、不思議とこのカードが目に入る。 おかげで気落ちする暇がない。
ところで、これは偶然なのだろうか、それとも何者かの計らいなのだろうか。 ものの本によれば、こういう場合は自分の信じる方が正解だということだ。 ということで、ぼくは何者かの計らいだと信じるようにしている。 そう思ったほうが夢があるし、より人生を楽しめる。
今日の亀田興毅選手の謝罪会見を聞いて思ったことだが、敬語をうまく使えなかったし、何かはっきりしない部分は残った。 だが、純粋にボクシングがやりたいというものは、充分に伝わってきた。 会見に臨む決心をした背景には、好きなボクシングをやれなくなるという危惧もあったのだろう。 これから先もバッシングは続くだろうが、今日の気持を持ち続けていれば、おそらく今回のことが帳消しになるような活躍をしてくれることと思う。
しかし、テレビ朝日の井口さんの質問はしつこかったなあ。 まるで会社の営業会議で、売上げの上がらない人間を詰めている、いやな上司のように思えた。 亀田選手をキレさせ、ボロを出させようとしているようにも受け取れた。
2007年10月25日(木) |
ポスト頑張る40代! |
ポスト『頑張る40代!』のタイトルがようやく決まった。 『もう目は閉じない』である。 それに伴って、新しいブログを借りた。
http://mengly.blog.shinobi.jp/ ↑こちらです。
いくつかのブログをあたってみたのだが、携帯で見られなかったり、テンプレートをいじくれなかったり、―で、こちらのブログを借りることにしたわけだ。
さて、新しいブログは、今までのように時間に追われずに、のんびりとやっていくつもりにしている。 とりあえず、今日はタイトルの由来を書いておいた。
これまでの記事、特に「ヒロミちゃん」シリーズなど繋がりのあるものについては、いちいち『頑張る40代!』にリンクを張るのも面倒なので、新しいブログにぼちぼち転載していくつもりでいる。 さあ、いよいよ2週間を切った。
およそ30分してJAFの人が来た。 電話で状況を説明しておいたが、来た人は知らなかったようで、もう一度状況を説明した。 するとその人は、いとも簡単に「ガス欠じゃないんですか?」と言う。 「ガス欠じゃないと思いますけどねえ。まだEを少し下がったくらいですから」 「そうですか。ま、いずれにしてもここでは見れませんね。まったく動かないんですか?」 「ええ」 「ちょっとエンジンかけてみましょうか」 「かかりませんよ」
ところがである。 JAF氏がエンジンをかけると、かかったのだ。 「かかりますねぇ」 「はあ…」 「じゃあ、ホームセンターの駐車場で見ますから、そこまで移動して下さい」
ぼくはまた車が止まるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら車を動かした。 しかし、ちゃんと50メートル先のホームセンターまで停まらずに進んだ。 入口が少し登り坂になっているのだが、そこが一番広いので、他のお客さんに迷惑がかからないと判断し、そこに車を止めた。
で、JAF氏の点検が始まった。 JAF氏はまず車を動かした。 ぼくは坂を登るような向きで置いたのだが、逆に坂を下る向きで置き直したのだ。 バッテリーでも充電するのだろうかと思っていたら、 「このままエンジンをかけたままにしておきます」と言う。 「はあ」 「もうすぐ止まると思うんですけど…」 「えっ?」
そうこうしていると、エンジン音がそれまでの「ブルブルブル」から、先ほどの「ト、ト、ト、トントン」に変わり、「トン、トン、トン、ト、…」と鳴って、止まった。
「ああ、やっぱり」 「なんですか?」 「ガス欠です」 「え?」 「止まったのは、坂道の下りだったでしょ?」 「ええ」 「この車はガソリンが少ない場合、下りの坂道とかでガソリンがエンジンに行かなくなるんですよ。だから止まったんです」 「…そうなんですか」 「ええ。いちおうガソリン10リットル用意してますんで、入れてみましょうか?」 「ガス欠なら、ガソリン入れんと動かんでしょ?」 「ええ、じゃあ入れてみますね」
JAF氏がガソリンを入れると、エンジンが動き出した。 5分ほど様子を見ていたが、止まる気配はない。 やはりガス欠だったのだ。 ということで、JAF氏はガソリン代を受け取り帰っていった。
ガス欠になったなんて、生まれて初めてのことである。 おそらくこの車には、予備タンクなんてついてないのだろう。 ま、走ればいいと思って買ったのだから、文句は言えない。 早く新車を買わんと。
こういう場合、まず何をすべきか。 ぼくは、まずそれを考えた。 で、ハザードランプをつけ、後続の車に異変を伝えた。 それから何をするか。 ハザードだけではダメだ。 で、十数年前に買った三角停止板を、ここで初めて登場させた。
ただ、置き位置がよくわからない。 そういえば何日か前、高速道路で故障していた車にトラックが突っ込んで、死者が出たというニュースを聞いた。 停止板を車に寄せて置いておくと、後続の車が気づかなかった場合、突っ込んでくる可能性もある。 そこで、ぼくは車長の何倍かのスペースを空けて、停止板を置いた。 おかげで、後続の車も早めに気づくことが出来たようで、さしたる混乱はなかった。
さて、交通上の応急処置は終わったものの、故障した車をそのままにしておくわけにはいかない。 そこで、次にJAFを呼んだ。 ところがすぐには来れないという。 どのくらいかかるのかと聞くと、30分位ですねと言う。 30分も交差点で立ち往生か。 交差点で故障して、1分でもそこにいるのが恥ずかしいのに、30分も待っていなければならないのか。
こういう時、以前なら車の中で顔を伏せていたと思うが、今は違う。 「楽しい、楽しい」とつぶやいてみたのだ。 すると、心がそれに釣られたのか、この状況を楽しもうという気になってきた。 こういう状況の時、行きすぎる人はどんな目でぼくを見るのだろうか? それを見てみようと思ったのだ。 30分近く車上の人を見ていたが、「またか」という感じで、あまり感心ないようだった。 おそらく事故じゃないから面白くなかったのだろう。
昨日の夜あたりから、車の調子がおかしかった。 坂道を下ったり、角を曲がったりすると、エンジン音がおかしくなるのだ。 それまで「ブルブルブル」と言っていたのが、「ト、ト、ト、トントン」という。 「やっぱり中古やの」 最初はそういうふうに考えた。 機械が悪いなどという考えには至らなかったのだ。
今朝もそうだった。 嫁ブーを送って行く時にも同じ症状が出たのだ。 昨日より頻繁にその症状が出た。 だが、何とか無事に送り届けて、家まで帰ってきた。
昼間、証明写真を撮るために、近くのホームセンターに行く予定にしていた。 歩くついでに撮るつもりだったが、その時の服装がいただけない。 ということで、今日は歩かずに、車で神社に行き、その帰りにホームセンターに行くことにした。
神社まではよかった。 いや、ホームセンターの手前まではよかった。 ホームセンター前の信号待ちの時に、その事件は起きた。
またしてもエンジンが、「ト、ト、ト、トントン」と言いだしたのだ。 朝方よりも酷い音になっている。 「こんなところで止まるなよ」と思いながら、アクセルをふかした。
すると「トン、トン、トン、ト、…」となって、止まった。 ぼくは慌ててエンジンをかけ直した。 いちおうは作動する。 だけど動かない。 その動作を、何度かやったが、結局車は動いてくれなかった。 そう、横断歩道上で立ち往生してしまったわけだ。
最近の口癖は「楽しい」だ。 嫁ブーから、「最近、いつも楽しそうにしとるねえ」と言われて、「そうかなあ?」と思いながら、「楽しい」と口に出して言っていたのだ。 すると本当に楽しくなってきたのだ。 最近「魔法の言葉」というのが流行っているが、気持ちのいい言葉を口にしていると、そのうち心の中も気持ちよくなってくるものだ。
魔法というよりも、心が言葉に誘導されているわけだ。 その心を、気持ちのいい状態にしておくと、運の巡りがよくなるらしい。 ツキはそういう状態の人を好むのだという。 ぼくのように「楽しい、楽しい」と言って楽しくなる人間は、もうそれだけでハッピーなのだ。 ハッピー、つまり幸運なのである。
ということがわかったので、今度は「金持ち、金持ち」と言っていることにしよう。 そうすれば金持ちになるはずだ。 ついでに、「日記書ける、日記書ける」も言っておこう。 そうすれば、二日も遅れることはなくなるだろう。
次に借りるブログを探しているうちに夜が明け、そうこうしているうちに日が暮れて、結局翌々日の更新となってしまった。 どこも一長一短あって、「これは!」というのがなかなか見つからない。 何かの本に「何ごとも80%でいい。100%を求めてもろくなことはない」と書いてあった。 つまり腹八分目ということだが、なるほどその通りだ。 別にぼくは完全主義者ではないが、こういう時に限って、ついよりよいものを探してしまう。 いいかげんに妥協しよう。
2007年10月19日(金) |
感覚2kmの寒い保育園 |
家から小学校に行く途中に、ぼくの通った保育園がある。 その保育園の入口まで、歩いて3分程度だろうか。 昔は実家から通っていたが、その実家から保育園までは、今のぼくの足で8分程度だ。 距離にすると、800mくらいだ。 大した距離ではない。
ただ、幼かった当時のぼくの感覚からすれば、けっこう遠くに感じていた。 それに加えて、集団登園でダラダラ歩くものだから、20分近くかかっていたような気がする。 20分を今の感覚に換算すると、2km位だろう。 保育園時代の思い出は、なぜか冬のものが多いが、それはきっと、平均温度が今よりもずっと低かった頃の、厳しい冬の寒い中を感覚2km、つまり20分歩かされていたせいだと思っている。
ところで、今ぼくが住んでいるところは、実家よりもずっと保育園寄りにある。 歩いて3分程度の距離だ。 ところが、その3分が遠くに感じるのだ。 しかも、保育園の入口付近を歩く時は、真夏でも、寒い雰囲気を感じる。 これも、幼い頃の「感覚2km」や「寒い冬」のイメージがついてしまっているせいなのだろう。
ある本で読んだのたが、占いはあまり見ない方がいいらしい。 その日が良ければ問題ないのだが、悪ければマイナス思考に陥りやすいのだそうだ。 それよりも神社でお参りして、「神様に頼んだから大丈夫」という気分でいたほうが、幸運が舞い込んできやすいらしい。
そういうわけでもないが、ぼくは『めざましテレビ』の星占いコーナーは見ないようにしている。 ぼくが見る時は、さそり座が良かったためしがないのだ。 さそり座はかに座や魚座と同じグループだから、特に悪い方にかに座とか魚座という名前が出ると、目を閉じ耳を塞いで、見聞きしないようにしている。 そういう時は決まって、さそり座が最下位なことが多い。
そういう努力をしていても、どうしても聞いてしまうことがある。 そういう時も最下位だ。 そうなったら、ぼくはすぐに新聞の誕生月占いを見る。 そこにいいことが書いてあったら、プラスマイナス0で問題なくなるからだ。
問題は、どちらも悪かった時だ。 この時の脳内は、すごくマイナスになっている。 気にするまいと思っても、すぐに意識がそちらに行ってしまうのだ。 そうならないために、念仏を唱えたり、「大丈夫」だとか「ありがとう」だとか、とにかくプラスの言葉を繰り返し口にしている。 気持ちと闘うというのは、けっこう重労働だ。 ようやくそのことを気にしなくなった時は、かなり疲れている。 そういう理由から、ぼくは朝の星占いを極力見ないことにしているのだ。
ネットショップを作ろうと、昨年からずっとやってきたが、元来の怠け病のせいで、ちょっと作っては飽き、ちょっと作って飽き、と、なかなか作業がはかどらなかった。 ここに来て、ようやく形になったので、とりあえずお知らせしておきます。 ショップ名は『花坂通り商店街』で、URLは、http://www011.upp.so-net.ne.jp/hanasaka/です。
商材は「もしも」から仕入れました。 以前いたホームセンターで扱っていた商品が多く、これならある程度の説明が出来ると思ったわけです。 『頑張る40代!』はもうすぐ終わるけど、『花坂通り商店街』はこれからのサイトです。 よろしくお願いします。
この日記を書き始めたのは2001年からだが、その年の10月16日を読んでいて面白いことに気づいた。 面白いとはいっても、あまり大したことではないが。 何かというと、その日も火曜日だったのだ。 ということは、6年前だから、その間に一度閏年があったことになるが、なぜかもっとあったような気がする。 だが、確かにその間の閏年は2004年だけだ。 何でだろう?
あ、オリンピックか。 その間、夏季オリンピックは一度しかなかったが、冬季が二度あったのだ。 つまりその間に三度オリンピックがあったわけだ。 それで、「オリンピックのある年は閏年」と刻印しているぼくの頭が、錯覚させたわけだ。 一度、刻印したデータの修正をしないと、何年後かに、また同じ錯覚をしてしまうだろう。
この日記も、あと23日で終わりになるわけだが、その23日がえらく長いものに感じる。 今までもこうだったのだろうか? いや、そういうことはない。 これまではあっさりと時が過ぎたように思う。 「気がつけば、もう10月が終わろうとしている」というふうにだ。 その間は書くこともけっこうあった。 時期を区切ると、こうも書きにくくなるものなのだろうか。
さて、この日記を終えた後だが、とりあえず短い日記を付けていこうと思っている。 だが、毎日だと今までと変わらないので、気が向いた時にだけ書くものにしようと思っている。 借りるところも決まったし、そこだと歌なんかも上げられそうだ。 これまでのグチはやめて、ポジティブな日記にしていきたいと思っている。 テーマが決まり、やっていく自信が付いたら、ここでお知らせすることにします。
33年前の今日、長嶋の引退試合があった。 例の「我が巨人軍は永久に不滅です」と言った日だ。 その日、ぼくは高校の修学旅行中で、富士急ハイランドに泊まっていた。 友だち(男)とジェットコースターに乗りまくり、ホテルに帰ってきたらロビーに人がたかっている。 何だろうと覗いてみると、ちょうどそのセリフのシーンだった。 巨人や長嶋なんてどうでもよかったので、別に何ということもなかった。
それよりも、野球部のレギュラーだった友人のオナカ君が、園内のバッティングセンターで三振したことのほうがショックが大きかった。 誰かが「おまえ、そんなことで甲子園に行けると思っとるんか?」と言うと、オナカ君は「いや、ここの球はすごく速い」と言い訳していた。 それを聞いて、「うちの学校は永久に甲子園行きはない」と思ったものだった。 今のところ、その予想は当たっている。
昨日イオンに行くと、ホークスの応援歌がかかっていた。 いつものことではある。 だが、昨日は全館のBGMだけではなく、どの売場もラジカセでかけていた。 例の「火曜日はなんかちょと嬉しい…♪」のBGMと同じノリである。 POPはみなホークスのキャラクター付きのものだった。
このところ毎年この時期になるとやっている『感動ありがとうセール』だ。 『優勝』できないから『感動』にしたわけだろうが、たかだか3位で『感動ありがとうセール』とは。 しかも、今シーズンはさほど感動した試合はなかった。 それなのにそんなことをやってしまうのだから、この調子だとBクラスになってもやるだろう。 高校時代に、体育祭が終わると、勝っても負けても打ち上げをやったものだが、何らこれとかわりがないですな。 感動は優勝した時だけでいいんだ。
昨日の記事に、「下敷きで(ゴミを)削り取った」と書いた。 その「削り取った」といういう言葉だが、最初ぼくは「こさいだ」という言葉を選んだ。 しかし何か引っかかる。 「もしかしてこの『こさぐ』は方言か?」 そう思い、ネットで調べてみると、やはりこれは方言だった。 「じゃあ、『こさぐ』の標準語は何?」と、これも調べてみた。 それで「削り取る」という言葉に行き当たったわけだ。 それが標準語であっても、滅多に使わない言葉はすぐに出てこないものだ。
ブログを始めて、こういう方言によくぶち当たる。 人から指摘されたり、自分で調べたりして、「えっ、そうやったんか」と何度も自分の無知を恥じたものだ。 このブログで言えば、『ギリギリ(頭のつむじ)』『ビビンコ(肩車)』という言葉も方言だった。
一番ビックリしたのは、「なおす」だった。 他の地方では、『片付ける』ことを『なおす』と言わないらしい。 『片付ける』『しまう』が標準語だそうだ。
逆にぼくの東京の友だちなんかは、『かったるい』だとか『とっぽい』だとかいう言葉をよく遣う。 彼はそれを標準語だと思っているらしいが、それは方言である。
また方言ではないが、その地方特有の言い回しというものもある。 東京にいた頃、新宿小田急デパートの屋上で、友人たちと食事をとったことがある。 その時にウエイトレスが「ご注文は?」と言うので、「腹の太るもの下さい」と言った。 ウエイトレスは「えっ?」と言った。 周りにいた友人たちも「えっ?」という顔をしていた。 『腹の太るもの』というのは『お腹いっぱいになるもの』という意味で、ぼくの住む地区でよく使われる言い回しである。
博多では、『すごくビックリした』ということを『ちかっぱビックリ』と言うらしい。 『ちかっぱ』とは『力いっぱい』の略で、正式には『力いっぱいビックリ』となるのだが、これも言い回しである。 ちなみに、北九州では『ものすごビックリした』と言う。 『ものすご』は『ものすごく』の略。 さらに、ぼくの住む八幡西区では『でたんビックリした』と言うが、『でたん』は『でたらめ』の略である。 同じ県でも、これだけ言い方が違うのだから、こういう言葉が東京などで通じるわけはない。
昨日から躍起になって部屋の掃除をしている。 一昨日買った本に、部屋を掃除すると運が良くなると書いてあったのだ。 そういうことを書かれると、単純なぼくは、すぐにそれを実行してしまう。 だが、掃除のほうは、そう単純にいかなかった。
何せ、5年以上も放っておいたのだから、その汚れたるや半端なものではない。 とにかく綿ぼこりがすごい。 それだけでクリーナーの紙パックが一杯になってしまったくらいだ。
特に酷かったのが開けっぱなしにしている扉の裏だった。 そこの綿ぼこりはこびりついて、クリーナーでいくら吸っても取れなかった。 しかたなく下敷きで削り取った。 その時のヨリヨリという感触が小気味よかった。
本を片付け、CDを片付け、機械をクローゼットや物置に押し込んだ。 残ったものはすべてゴミとして処理した。 市が販売しているゴミ袋(大)三つ分のゴミとなった。 一般ゴミは月曜日だが、生ゴミではないので、それまでバルコニーに置いておけばいい。
ということで、何とか掃除は終わった。 この部屋はこんなに広かったのかと思ったことだった。 今までは何か痒かったが、それも解消されたので、これからはこの部屋で寝ることも出来る。 あとは運が良くなることを待つだけである。
2007年10月10日(水) |
クライマックスシリーズ1st第3戦 |
好投手成瀬相手に、一点も取れず敗退…。 試合内容についてはいろいろと言いたいこともあるが、これが今のホークスの実力だろう。 どうあがいても、今年のロッテには勝てなかったということだ。
シーズン前、大半の評論家やマスコミは、「パリーグはホークスがダントツで優勝する」と予想していた。 だが、結果は3位。 3位というのは、ちょっと前までは4位と並んでBクラスと呼んでいた。 つまり、昨年も3位だったホークスは、2年連続Bクラスということになる。
すでに黄金期は終わっているのだ。 それをいつまでも黄金期が続いているかのように錯覚し、発言していた解説者やマスコミの怠慢さ。 いかにイメージだけで仕事をやっているかが、この現実を見てよくわかった。 とにかく今日は悔しいです、はい。
2007年10月09日(火) |
クライマックスシリーズ1st第2戦 |
今日は試合開始からずっと第2戦を見ていたが、最初から今日は勝つと思っていた。 予言とか予知ではなく、ベンチの雰囲気を見てそう感じたのだ。 そのきっかけを作ったのが、ホークス2番バッターの本多の犠牲バントだった。 あのバントが決まった時、ベンチはホームランでも打ったかのような笑顔で、本多を迎えた。 それを見てぼくは、昨日から、いや9月から続いていたベンチの重苦しい雰囲気が消え去ったように思えたわけだ。
笑顔でいるといいことがあると言われているが、ちょっとしたプレーでもまわりが笑顔で評価してやると、その選手は活躍するだろうし、ベンチ内の雰囲気もよくなるのだ。 ファンもそうだ。 プロだから出来て当たり前という態度をとるのではなく、さすがプロだと精一杯褒めてやれば、選手はもっといいプレーをやってくれるだろう。 そしてそのプレーの積み重ねが勝利を呼び込むのだ。
王さん、明日はずっと笑っていてくれ。
2007年10月08日(月) |
クライマックスシリーズ1st第1戦 |
まるで太平洋戦争を見るがごとく、でした。 何の話かというと、野球の話。 今日の、というか9月以降の対ロッテ戦は、みなこんなイライラする試合ばかりだった。 日本人らしく精神論で野球をやっているホークスは、前半戦のデータを駆使して野球をやっているバレンタイン・ロッテにいいように弄ばれ、手も足も出ない。 王監督は、そのうち竹槍戦法でもやるなどと言い出すのではないか。
明日負けるか引き分けるかすると、クライマックスシリーズ第1ステージは終わってしまう。 アメリカ野球に勝とうと思ったら、相手ピッチャーが安定してない初回に奇襲して、相手の戦意を喪失させるような大量得点を奪い、そのまま逃げ切るしか方法がない。 それか要所要所にデータのない選手を使う、ゲリラ作戦のような戦法をとるしかないな。
さて、この日記もあと1ヶ月と1日で終わりになる。 いろいろと書き忘れたことを書いていきたいのだが、最近は夜が弱くていかん。 そこで朝書こうと思うのだが、それもままならない。 朝になると、何を書いていいのかわからなくなるのだ。 そのせいで、結局何も書かないままで終わってしまうかもしれない。
そうなったらフラストレーションがたまるだろう。 ということは、またどこかで日記を始めなければならなくなる。 詩の方に噛ます手もあるが、それだとあちらのブログの主旨に反するし、この日記と関連を持たせたくない。 ダイジェスト版でも作って、そこで細々とやってみるかな。
「HPのタイトルが“頑張る40代!”というのはわかるけど、どうして日記までがそうなんだ?」と聴かれたことがある。 答は簡単で、いつも「寝る時間を削って、ああじゃない、こうじゃないと必死に言葉と格闘しているからそう付けた」ということにしている。
…とにかく今夜もその「ネタ」と格闘している。 今日はいったい何時に寝られるんだろう? 日記のタイトル“頑張る40代!”はそういうところからつけました。 上の文章は、6年前に書いたものだ。 当時、まだブログなどはなく、ホームページのコンテンツの一つとして日記を書いていた。 実はそのホームページの名前が、『頑張る40代!』だったわけだ。 で、日記名を『頑張る40代!』にする前は何だったのかというと、『しんたの日記』だった。 そのまま『しんたの日記』を続けていれば、50歳で終わるようなこともなかったのだが…。 これもまた成り行きである。
だけどあの頃は文章を書くことに対して絶好調だと思っていたのだが、今と何ら変わらないじゃないか。 ただ、その頃の文章には、ある種のリズムがある。 ノリにノッている時期に書いたものだから、現在のように言葉を並べただけの日記ではなく、言葉が弾けていて、「作品」というものに近いように思える。
この日記もあと1ヶ月だが、あの頃のような文章を書けるのだろうか? 現在ここと詩の、二つのブログをやっているが、来客数は完全に詩のほうが上回っている。 日記の何倍ものお客さんが来ているのだ。 ここはというと、減りに減ってしまい、ホームページを始めた当初に戻ったような来客数になっている。 やはり潮時なのだろう。
2007年10月05日(金) |
パリーグのレギュラーシーズンは終わった |
とりあえず、今日でホークスのレギュラーシーズン全日程が終わった。 これからクライマックスシリーズに突入するわけだが、9月以降の戦い方を見た限りでいえば、第1ステージで今シーズンは終わるだろう。 「いったい何が起こったんだ?」というような、無様な戦い方をやってくれた。
テレビで観戦することが多かったのだが、何かホークス側のベンチに暗雲が漂っているように見えた。 いつも王監督が言っている、「強い気持ち」とか言う以前の問題のように感じた。
まだホークスが弱かった頃だったと思うが、あまり負けが込んでいるので、筥崎八幡宮の神主を呼んで、お祓いをやったことがある。 試合中もベンチ前に盛り塩なんかしていた。 あの時は、何を縁起担いでるんだとか思ったが、9月後半の10連戦の前にそれをやったほうがよかったのではないか。
さて、今日の試合は2−6で負け。 クライマックスシリーズに向けての調整の意味合いもあったらしいが、新垣、ニコースキー、竹岡が使えないということはよくわかった。 加えて言えば、ベンチの采配も使えないというのがよくわかった。 王監督以下コーチ陣の頭から塩をかけて清めないと、クライマックスシリーズは勝てないだろう。
今日嫁ブーは、会社の飲み会だった。 送別会だったらしいが、会費がえらく高い。 遅く帰ってきた嫁ブーに聞くと、会費は万に近かったと言っていた。 1次会だけで、これなのである。
ぼくがこの間行った飲み会は3500円だったし、2次会は2000円だった。 行き帰りにタクシーを使ったが、それが2200円。 すべて合計して7700円だから、ぼくの飲み会のほうが断然安かったわけだ。
いろいろ事情もあるだろうが、これは1次会だけでここまで出させる幹事が悪い。 これでは2次会にもいけないし、タクシーで帰るのも躊躇してしまう。 第一、それでは宴会が楽しくない。 基本的には、誰も会社の飲み会なんか行きたくないのだから、宴会をやるとしたら、5000円が限度だろう。
なぜだか知らないが、ここ最近11時を過ぎると眠たくなる。 ご多分に洩れず、今日もそうである。 日記もそれまでに考えておけばよさそうなものだが、長年の癖なのか、ギリギリまで考えようとしない。
かつて小説家になりたい時期があって、大学ノートに小説を書いていた。 ところが一気に小説を書くのは難しい。 ということで、もし作家になったら新聞や週刊誌で連載させてもらおうと思っていた。 しかし、日記程度でこの有様なんだから、もしそういう仕事に就いていたとしたら、編集者泣かせになっていたと思う。
とはいえ、作家というのは、そういう人が多いと聞く。 ということは、ぼくは作家向きなのかもしれない。 だが、物語を考えることはあまり得意ではないし、締め切りに追われるのも嫌である。 やはりブログに、こういう日記やエッセイを書いていたほうが気楽でいい。
床屋に着いたのは8時50分だった。 店の前には車が停まってなかったので、一番乗りかと思って中に入ったら、すでに先客が座っていた。 座っていたのは婆さんで、何と坊主頭なのだ。 それを見て、ぼくは「どこを刈るんだ?」と突っ込みたくなった。 しかし、その坊主頭が幸いして、予想より早く頭を刈ってもらうことが出来たのだった。
さて、今日は昼から、嫁ブーと二人で宗像大社に行った。 朝起きた時に、なぜか宗像大社の幻影が見えたのだ。 『ああ、これは宗像さんから呼ばれているんだな』と思ったぼくは、床屋から帰ってから、嫁ブーにそのことを言った。 すると、嫁ブーも「私も、朝から呼ばれとるような気がしよったんよ」と言う。 というわけで、宗像行きが決定した。
宗像大社に行ってみると、祭りをやっていた。 祭りは昨日から行われていたようだ。 それでようやく合点がいった。 つまり、宗像の神様が「祭りをやっているから、おまえたちも来い」と言って、ぼくたち夫婦を招待してくれたのだ。 そう考えると、何か嬉しくなってきた。
明日は床屋に行くので、早く寝ないと。 前にも書いたが、その床屋は先生と姉ちゃんの二人でやっているのだが、最近は先生があまり出てこない。 そういうことなので、ほとんど姉ちゃんが一人でやっている状態なのだ。 それゆえに一番に駆け込まないと、終わるのが昼になってしまうのだ。
その床屋は、歩いておよそ10分の場所にある。 そこまで歩かなくても、もっと近い場所に床屋はある。 だが、どうしても10分歩いてしまう。 その理由は、中学の頃からの行きつけだからだ。 だから「ああしてくれ、こうしてくれ」と注文しなくても、座っていればちゃんと希望通りの髪型になっているのだ。
他の床屋ではこうはいかない。 何ヶ所か癖のある髪を、いちいち説明して、さらにちゃんと言った通りになっているかどうかを確認しなければならない。 これでは、のんびり眠ることが出来ない。 眠ることの出来ない床屋なんて、ぼくは行きたくない。 だから床屋を変えない。
明日は6時に起きて神社に行き、しばらく歩いたあと家に戻り、シャワーを浴びてから朝食をとる。 その後、8時半に家を出て床屋に行くことになるだろう。 8時40分着か。 床屋はまだ開いてないが、1番乗りをしたがるお客はぼくだけではないから、もしかしたら他のお客と合致会うかもしれないなぁ…。 もう少し早く出るか。
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