昨日、本屋に行った。 気になる本が二冊あったので、とりあえず立ち読みして、内容が良ければ買おうと思っていた。 ところが、その本の置いている場所がわからない。 行った本屋は郊外店なので、そんなに広くはない。 そこで、店内をくまなく探し回った。 10分ほど店内を回って、ようやく一冊見つけた。
ざっと読んでみて、内容がよかったので、それは買うことにしたのだが、もう一冊がなかなか見つからない。 とりあえず、見つけた本を買って、残りは他の店で買おうと思ったものの、歩いて行っていたので、他の店にこの本を手に提げたまま入らなければならない。 別に裸の本を持ち込むわけではないので問題はないのだが、たまたまその時に小心癖が出たため、よその店で買った商品を持ったまま、同業の店に入るのは気が引ける。
いろいろ考えたあげく、結局その店で買うことはやめ、大手の書店で二冊まとめて買うことにした。 もちろんその店に一冊しかなかったら、同じことになるので、その時は車で行った。 車だと、買った物は車の中に入れておくことが出来るからだ。
しかし何であの時小心癖が出たのだろう? 出ない時は、人に何と思われようが、自分の思ったとおりに行動できるのに…。 もしかしたら、30代の時に克服したはずの情緒不安定が、まだ若干残っているのかもしれない。 この年になると克服するのは難しいかもしれないが、それでも治しておかないと、これからが思いやられる。
夜になってテレビでホークス戦を見ていたのだが、どうも今日は分が悪い。 おそらく勝てないだろうと思い、途中でチャンネルを替えた。 ところが、どのチャンネルも面白い番組をやってない。 そこでBSでやっていたアニメ『あしたのジョー』を見ることにした。
今日はウルフ金串戦から力石の減量までを放送していたのだが、その場面その場面で、セリフがぼくの口をついて出た。 例えばウルフ金串が左ストレートを打つシーンでジョーが「ありがてえ」というセリフだとか、金串戦の後に力石が立ち上がって「本物だった」と言った後にジョーの所に駆け寄り「おれの姿が見えるか。おれの声が聞こえるか、ジョー。…次はおれの番だ」と言うセリフだとか、力石が白木邸で食事をするシーンで白木会長が「また一段と痩せたのう。力石君」というセリフなどである。 それをテレビよりもぼくのほうが先に言うので、嫁ブーが「オタクか?」というような目をしてぼくを見ていた。
実はぼくはアニメの『あしたのジョー』は、あまり見たことはない。 リアルタイムで見たくらいで、再放送ではほとんど見たことがない。 なのになぜセリフが言えるのかというと、原作を何度も読んだからだ。 それだけアニメが、原作に忠実に作られているということである。
とはいえ、部分的には違っているところもある。 例えば、今日は省かれていたが、ドヤ街の連中と温泉に行くシーンなどは原作にはなかった。 そういえば、今日はなかったが、パート1の終盤にカーロス・リベラといっしょになってチンピラと闘うシーンがあったが、それも原作にはなかった。
それを見終わった後に原作を読みたくなって、1巻と2巻を読んだのだが、この本がけっこう古い。 1巻は高校の時に買い直したものだが、2巻は初版本である。
発行日は昭和45年3月10日になっているから、ぼくが小学校を卒業する前だ。 こういうのは価値があるのだろうか? しかし、定価230円というのは安い。 この間買った『バガボンド』の25巻が税込み550円だったから、今は倍近くになっている。
先日亡くなった植木等で思い出したのだが、ぼくが初めて買ったレコードは、その植木等が歌った『スーダラ節』だった。 前にも書いたことがあるが、このレコードは赤盤だった。 うちにあるレコードはすべて黒かったので、特に印象に残っている。 赤盤と言えば、ビートルズのベスト盤に俗称『赤盤』というのがあるが、あれはパッケージが赤かったのでそう呼ばれたわけで、ぼくが言っている『スーダラ節』の赤盤とは意味が違う。 『スーダラ節』のほうは、レコード盤自体が赤かったのだ。 こういう盤は他に見たことがない。 いや、もう一枚だけ見たことがある。 それはビートルズのシングル盤だったと思う。 そういえばクレイジー・キャッツもビートルズと同じく東芝のレコードだ。 ということは、あれは東芝の特許だったのだろうか?
今日撮ったものである。 晴れていたのと、画質をちょっといじくったのとで、何とかこの写りまで持っていくことが出来た。 が、これが限界だろう。 前のタイプはここまで苦労しなくても、立派な画像が撮れていたのだ。 次に携帯を買う時には、今の基本的な機能が充実しており、かつ画素数が大きいのを選ぶことにしよう。
携帯のカメラで桜を撮って、ここにアップしようとしたのだが、どうも写りが悪い。 前々から思っていたが、今使っている携帯はピントが甘いのだ。 まあ、カメラをメインに考えて買ったわけではないので文句は言いたくないが、はっきり言って2世代前(同じメーカー)よりも写りが悪い。 画素数は倍以上になっているのに、どうしてこんなことになるのだろうか? 今日は曇っていたから、こうなったわけではなかろう。 やはり、携帯自体がおかしいのだ。 明日は晴れるらしいから、もう一度挑戦してみることにする。
(1) 今日、銀行に行くついでに何ヶ所かの桜を見てまわったのだが、まだ充分に咲いてないようだ。 いつも行っている神社の桜が一番開いていたように思うが、それでもまだ6分咲き程度だった。 この調子だと、このへんの桜が満開になるのは、おそらく週末ぐらいだろう。 まあ、桜祭りなんかは、いつも週末にやっているから、ちょうどいいか。
(2) そういえば、銀行に行く途中、鹿児島本線の線路脇で意外な音を聞いた。 ウグイスの声である。 このへんのウグイスは里に下りてこなくなっているのに、何でよりによって線路脇なんかで鳴いているのだろう? それも汚い川沿いでだ。 解せない。 これも異常気象のたまものなのか?
(3) しかし今日は暑かった。 神社に参ってから、その足で銀行に行く予定にしていたのだが、この暑さに耐えられず、神社に参った後、いったん家に帰った。 服を着替えるためである。 とにかく日差しが強く、いつもの服装では、ちょっと歩いただけで汗ビッショリになってしまうのだ。
とりあえず、いつも着ているジャンバーを脱ぎ、半袖のTシャツの上に薄手のダンガリーを羽織って家を出た。 もちろんダンガリーのボタンは、通気をよくするために全開にしておいた。 まるで初夏のいでたちである。 それでも汗をかいたのだから、今日はいよいよ暑かったのだろう。
いよいよ昨日からパリーグの公式戦が始まった。 地元ホークスは、昨日はオリックスに5−8で負けた。 最初から試合の流れが悪く、「こりゃまずいな」と思っていたら、結局負けてしまった。
しかし、まさか斉藤和巳を立てた試合で、それもオリックス相手に負けるとは思ってなかった。 先日のオープン戦でも、斉藤はあまり良くなかったが、それがそのまま公式戦に出たのだろうか?
いや、そうではないような気がする。 きっとオリックスを、というよりローズをなめていたせいだろう。 一年のブランクはあるし、体型もデブになっているので、きっと体のキレとかはなくなっていて、全盛期ほども活躍をしないと思っていた。 それが3回表の特大アーチである。 これに度肝を抜かれ、首脳陣や選手の判断が狂ってしまったのではないか? 「ローズにやられるかもしれない」という思いが、守備を萎縮させ、攻撃を雑にしてしまう。 そしてそれが最終回のオリックスの勝ち越し点につながったのだと、ぼくは思っている。
今日は2−0で何とか勝ったものの、昨日の印象が強すぎて、ずっとヒヤヒヤしながらテレビを見ていた。 今年のホークスは、各評論家から総合力12球団一という高い評価をもらっているが、それで安心した試合が見られるだろうと期待していた。 ところが、オリックスを相手にしてさえ安心して見られないではないか。 ということは、どこのチームも安心して見られないということになる。 またしても、心臓に良くないシーズンになるわけか…。
最近、スカパー!東映チャンネルで『素浪人月影兵庫』を見ている。 小学生の頃にテレビでやっていた時代劇で、主役の近衛十四郎が友だちのお父さんによく似ていたので、親近感がわき、その頃毎週欠かさず見ていたものだ。 その頃の時代劇というのは、けっこうシリアスなものが多かったが、『素浪人月影兵庫』やその後の『素浪人花山大吉』はコミカルな時代劇だった。 その面白さを覚えていたので、つい見てしまったわけだ。
普通の時代劇では、侍は「拙者、御主」と言うが、ここでは「わし、あんた」、この言い方に妙に親しみと新鮮みを感じる。 また、焼津の半次(品川隆二)との絶妙なやり取りに、改めて面白さを発見する。 主題歌や劇中の音楽なども見始めはすっかり忘れていたが、何度か聞いているうちに、記憶が蘇ってくる。 …など、そういった理由から、今は完全にハマってしまっている。
ところで、ぼくが小さい頃は、テレビで時代劇をよくやっていたものだ。 そのせいで、ぼくはけっこう時代劇ファンだった。 『隠密剣士』の大瀬康一に憧れ、『琴姫七変化』で松山容子を好きになり、『旅がらすくれないお仙』の大信田礼子に鼻の下を伸ばしていた記憶がある。
そういえば、その頃『水戸黄門』なんかもやっていたのだが、今の「人生楽ありゃ、苦もあるさ〜♪」のシリーズではなく、三波春夫が主題歌を歌った月形龍之介主演のやつだった。 そのため、初めて東野英治郎の水戸黄門を見たときは、違和感を感じたものだった。
ぼくの時代劇好きはその後、中村敦夫の『木枯し紋次郎』、中村梅之助主演の『遠山の金さん』『伝七捕物帳』、藤田まことの『必殺シリーズ』まで続く。 必殺シリーズは20代までやっていたので、時代劇を見ていたのもその頃までだ。 その後は、あまりテレビで時代劇をやらなくなったし、ぼく自身がテレビを見なくなったせいもあって、時代劇は見なくなった。 もし『月影兵庫』のようなコミカルな時代劇をやってくれたら、必ず見るのになあ…。
さて話は戻るが、『素浪人月影兵庫』は毎週2話ずつやっているのだが、それを見終わった後に必ず見ている映画がある。 『新・日本の首領』で、これは近衛十四郎の息子松方弘樹が主演している。 演技のほうはよくわからないが、ちょっとしたしぐさなどは近衛とそっくりである。
先日の吉野家牛丼解禁に続き、今日は不二家も解禁になった。 ということで、うちの近くの不二家も今日から再開である。 そこで、夕方買い物に出た時に不二家を覗いてみることにした。 行ってみると、ケーキ類はデコレーション以外は全部売り切れになっていた。 やはり、皆この日を待っていたのだろう。
ところで、不二家は今回の不祥事のせいでヤマザキ傘下になったわけだが、それに伴い、味もヤマザキ的になっているのだろうか? もし、これまでの不二家のようなお子様向けの甘ったるいケーキが改善されているのなら、一度食べてみたい。
もう一つ気になっていることがある。 それは、将来的に不二家でもパンも扱うようになるのか、ということである。 もしそうなら、ぼくの好きなネオソフト入りのレーズンバターパンを置いてもらいたいものである。 もしそうなれば、ウォーキングの際、これまで不二家の裏側を歩いていたコースを、表を歩くコースに変えるだろう。 ぼくとしては、ケーキよりもあのパンのほうが魅力である。
今日、ウォーキングコースを全部歩いた。 全部歩くのは、風邪を引いてから5日ぶりのことである。 一度だけ腹が痛くなったが、その後は快調だったので、ほとんど風邪は去ったのだと思っていた。
ところが、夕方あたりから、腹がゴロゴロ鳴りだした。 別に腹は痛くないのだが、気になってしかたない。 そこでトイレに行った。 だが、下痢している様子でもなく、大して便も出ない。 ということは、風邪の終わりの好転反応なのかもしれない。 そう思ったぼくは、なるべく腹を冷やさないようにだけして、そのことは気にしないようにした。
夜のこと。 相変わらず腹のゴロゴロは続いていた。 そのせいでガスが発生するのか、しきりにオナラが出る。 嫁ブーを迎えに行くときなどは大変だった。 運転中に「プップ、プップ」言っているのだ。 かといってニオイはない。 しかし、車の中にガスが充満しているのかと思うと、気分が悪くなった。
帰ってきてから、そのゴロゴロが急に痛みに変わった。 ぼくは慌ててトイレに駆け込んだ。 するとドデカい便が、ズドンという音とともにトイレの中に落ちた。 その瞬間、何かから解放された気分になった。
トイレから出てみると、もうお腹のゴロゴロはなくなっていた。 気分もすっきりしている。 すでに頭痛も腹痛もなくなっていたし、これでようやく風邪が治ったのだと思う。
しかし今回の風邪は長く続いた気がする。 のどの痛みや咳き込みなどがなかったのに、5日も治らなかったからだ。 ということで、今は体に何の異変もないのかというと、そうではない。 一つだけところがある。 ドデカい便が出たせいか、今とてもお尻が痛い。
いちおう今日からウォーキングを再開した。 まだ腹は痛いが、我慢できない痛さではないし、ぼくのことだから仮に一週間もウォーキングをしなければ、そのままやめてしまうかもしれないからだ。 とりあえず、今日は普段の半分の距離を歩くことにした。
ところで、今日は彼岸の中日、ウォーキングを始めたのが秋の彼岸頃だったから、もう半年が経つ。 一昨日と昨日の二日間、それと足を痛めた11月の何日間かを除くと、毎日歩いている。 しかし、それで何か効果があったのかというと、そうでもないような気がする。 体重もさほど変わってないし、体脂肪もそこまで落ちてはいない。 だが、これも考えようで、もし何もやってなかったとしたら、体重は増えていたかもしれないし、体脂肪も増えていたかもしれない。 まあ、前者で考えてしまうと、ウォーキングをやめる口実に使うだろうから、後者で考えることにしよう。 そちらの方が、精神にもよさそうだし。
頭痛はなくなったものの、まだ腹痛が続いている。 おかげで食事が満足にとれない。 そのせいで腹が減る。 腹が減ると痛くなる。 悪循環である。
さて、今日は痛い腹を押して墓参りに行った。 車で20分程度で着く場所だが、運転中何度も腹痛が襲ってきた。 その際に気づいたのだが、この腹痛どうも冷やすとダメなようだ。 信号待ちの時に腹に手を当てると、即座に痛みがなくなるではないか。 そこで帰りは、腹にタオルをあてて帰り、帰ってからは電子カーペットを入れ、そこに腹ばいになって寝ていた。 おかげで今は何とか調子がいいようだ。
しかし、風邪を引いてからもう3日も経つ。 今までこの程度の風邪で3日も治らなかったことはなかったので、もう飽きてきた。 いいかげん治ってほしい。
今日もダメですわ。 頭痛に加えて、今日は腹まで痛い。 午前中は治ったかと思うほど調子が良かった。 そこで灯油を買いに行ったりしたのだが、帰ってきてからダウン。 夜までずっと寝ていた。 夢見は悪いし、もう最悪である。
頭が痛い。 体が痛い。 寒気がする。 どうやら嫁ブーの風邪がうつったようだ。 こんな日は何もせずに、サッサと寝るにかぎる。 今日はウォーキングも途中でやめたことだし、寝る前の腹筋や背筋運動はやめておくことにしよう。 では…。
そうそう、先週、深夜0時まで牛丼が食べられるようになった吉野家に行ってきた。 夜だったこともあり、学生時代を思い出して半纏を着て行った。 店は盛況で、次から次にお客が来る。 やはり誰もが牛丼の復活を願っていたのだろう。
牛丼復活というのは喜ばしいことだが、ぼくはちょっとガッカリした。 何をガッカリしたのかというと、味である。 出汁は以前と同じ香りがしているものの、若干味が違うのだ。 どこが違うのだろうと考えながら食べていたが、食べ終わる頃にようやくそれがわかった。 以前あった甘さが欠けているのだ。 おかげで塩味ばかりが際立ち、口の中が乾いてしまう。
前と肉が変わったと聞いていたが、味が変わったのはそのせいではなく、調理方法に原因があるのだと思う。 店員は若い人ばかりだったから、おそらくは吉野家が牛丼をやめてから入った人ばかりなのだろう。 そのためマニュアル通りには作れるものの、以前の味の記憶がないから、調味料の加減がわからないのだと思う。
まあ、追々改善されてはいくだろうが、調理人に以前の味の記憶がないということは、以前の味に戻る可能性はかなり低いということになる。 これからはまったく新しい牛丼屋と捉えていくしかないだろう。 ぼくが初めて吉野家の牛丼を食べたのは19歳の時だから、今年でちょうど30年目になるが、長い間慣れ親しんだ味をもう味わえないのかと思うと、ちょっと寂しい気がする。
昼間、いつものように歩いていると、小学校の周りにやけに車が駐まっている。 何かやっているのだろうかと校門のほうを見てみると、そこには日の丸が掲げてあった。 なるほど、今日は卒業式だ。 そういえば、正装をした父兄らしき人を、何人か見かけた。
卒業式か…。 ぼくが小学校を卒業したのは1970年3月18日だった。 ということは、あれから37年経つわけだ。 その式の最中、ぼくたち男子はふざけたり、『仰げば尊し』を替え歌で歌ったりしていた。 こんな具合だったので、泣いたりはしなかった。 だが、担任の先生に全員で最後の「先生さようなら」を言った時は、けっこうこみ上げてくるものがあった。
そういえば、今日の卒業式、校門の前に揃いのジャンバー着た人が何人か立っていた。 手にはビニールの手提げ袋を持っている。 そのジャンバーの背中に何か文字が書いていた。 遠くからだったのでよくわからなかったが、目を凝らして見てみると、どうやら「DOCOMO」と書いているようだ。 ということは、近くのドコモショップの人たちだろう。 おそらく中学に上がる記念(?)として、携帯電話を買わせようとしているのだろう。
ぼくたちの時代にはなかった光景である。 まあ、その時代だから、携帯電話自体がなかったわけだが、他のものを売りつけようと待ち伏せしている人もいなかった。 そういうものに初めてお目にかかったのは、中学や高校の卒業式の時だ。 その時には、予備校のパンフレットや英会話のパンフレットを持った人が多数立っていた。
その後のことだが、ぼくが社会に出た次の年に、職場近くの高校で待ち伏せしたことがある。 それは入学発表の日で、オーディオやパソコンといった合格祝い品の載ったカタログを配ったのだった。 あの時は、他の店の人も同じようにカタログを配っていたが、なぜか先に配り終えたほうが勝ちみたいな競争になってしまい、負けまいと必死に配ったのを覚えている。
ところで、今日卒業した小学生の何パーセントかの生徒は、一年も経たないうちに髪の色が変わり、昼間学校も行かずに徘徊したり、夜中コンビニあたりでバカ騒ぎするようになるだろう。 そういう子は卒業せずに、ずっと純な小学生のままでいてほしいと思う。
2007年03月15日(木) |
生まれて初めて歩く道 |
今日のウォーキングは、あるスーパーマーケットに用があったので、普段とは別のルートを通った。 そのルートには生まれて初めて歩く道も含まれている。 今日は朝から本格的に雨が降っていて、歩き始めはけっこう憂鬱な気持ちになっていた。 だが、その道に近づくにつれて憂鬱な気持ちは消え、ワクワクしてきた。
普段はスタスタ歩いているが、その道を通る時は周りの風景を見るためにゆっくりと歩いた。 距離にして500メートルほど。 ありふれた住宅街だったが、所々にちょっとした発見があった。 一つは貯水池である。 いちおう水門を設けあるが、周りには工場もないし、田んぼもないので、どこに供給しているのかがわからない。 近くに川が流れているが、貯水池は川よりも高台にあるので、氾濫を防ぐためのものではなさそうだ。 造りからすると以前からあったように思えるが、その存在をぼくは知らなかった。
もう一つは空き地である。 この空き地、周りの土地より一段低くなっているし、貯水池もあることだし、もしかしたら以前は田んぼだったのかもしれない。 だが、こういうところに田んぼがあったなど聞いたことがない。 では畑かというと、そういう造りでもない。 しかし遊ばせておくのはもったいない。 小さな山を切り開いて宅地を造るよりも、こういうところを利用すればコストも安くつくと思うのだが。
その空き地の上に、妙な建物があった。 横を通る時はアパートだと思っていたのだが、振り返って見てみると、ちょっと造りが違う。 よく見てみると、その建物の中央部分に何か文字が書いてある。 どこかの企業かと思って近づいて見てみると、そこには「○○教本部」と書かれていた。 聞いたことのない名前である。 おそらく宗教団体だろうが、ここでどんなことをやっているのだろうか?
この道は、いつも通っている幹線の裏通りにあたるのだが、こういう興味深いものがあるということは、表通りからはまったくわからない。 今日歩いた道以外にも、これまで一度も歩いたことのない道は何ヶ所かある。 例えば、幽霊が出ると言われている旅館に続く道だとか、昔から気になっている小さな祠がある道だとか。 今まで歩いてきたウォーキングルートもだんだん飽きてきたから、今度からはこういう道を選んで歩くことにしよう。 夢があっていい。
昼間、会社に行っている嫁ブーから連絡があった。 早引きするというのだ。 前にギックリ腰や坐骨神経痛で早引きしたことがあるので、今回もてっきりそれだろうと思った。 「また腰をやったんか?」 「いや」 「坐骨か?」 「違う」 「じゃあ何か?」 「ゾクゾクして気分が悪いんよ」 そういえば何日か前に、嫁ブーの友だちから、ウィルス性の病気にかかって、ずっと吐きまくっているという電話が入ったことがある。 まさか嫁ブーはそれに感染したのではないだろうか。 しかし、電話感染なんかするはずはないし…。
とりあえず、電話を切ってから、ぼくはすぐに迎えに行き、その足で病院に連れて行った。 駐車場で待つこと1時間、病院から出てきた嫁ブーは、えらくさっぱりした顔をしていた。 「例のウィルスか?」 「いいや」 「じゃあインフルエンザか?」 「ただの風邪の引き始めらしいんよ」 「そうか」
もしウィルス性とかだったら長引くだろうし、我が身にも降りかかるところだった。 大したことなくてよかった。
ウォーキングに行く前に、いつもやっていることがある。 それは足を交互に後ろに蹴上げる運動である。 やり始めて1ヶ月ほど経つが、これをやってから歩くと、スピードが出るのだ。 無理に速歩きしているわけではなく、自然に歩く速度が速くなる。 しかも疲れない。 お尻の筋肉が付いてきた証拠だろう。 おかげで、これまで50分かかっていたコースが、この運動を始めてから45分に短縮された。 最近では疲れないのが面白くなく、途中にジョギングなんかも入れている。
先月からずっと気になっていた確定申告だが、今日ようやく税務署に提出してきた。
この時期、いつも税務署近辺は車が混雑する。 その混雑ぶりは、配達などでしょっちゅうそこを通っていたので、よく知っている。 そこで今日は、税務署からちょっと離れた駅前の駐車場に車を駐めることにした。 そこから歩いて税務署まで行ったのだが、それで正解だった。 案の定、税務署前は車が混雑していたのだ。 今日は朝からいろいろと用事があり、税務署に着いたのは午後4時を過ぎていた。 もし税務署の駐車場を利用していたとしたら、閉館時間の5時に間に合わなかったかもしれない。
さて、先月の日記にも書いているが、申告書は早い時期(2月10日)に出来ていた。 なのに、何で今まで提出しなかったのかというと、気が重かったからだ。 確定申告を直接税務署に提出するのは今回が初めてだったので、勝手がわからない。 その勝手のわからなさが、「手続きがややこしいのではないか?」とか「いろいろと質問されたらどうしよう?」などという思いにつながった。 そのことが気を重くしていたわけだ。
しかし、それは杞憂に過ぎなかった。 税務署に入ってから出るまで、何と5分もかからなかったのだ。 提出した際、係員がそれをチェックしながら一つだけ質問してきたが、それは「もう書き上げているんですね?」ということだった。 係員はチェックをし終えると、「還付まで2ヶ月ほどかかります。お疲れ様でした」と言った。 それで終わりである。 こんなに手続きが簡単なら、さっさと行っておけばよかった。 そうすれば一ヶ月も気に病まずにすんだのだ。
(1) 前に「7時間睡眠をとらないと、鬱状態になりやすい」ということを書いたことがあるが、最近そのことを実感している。 そのことを知って、しばらくは7時間睡眠を心がけていた。 すると、何ごとにも積極的に取り組めるようになった。 気力は充実し、集中力は増す。 すべては順調にいった。
ところが、その後また寝不足の生活を送るようになった。 そのとたんに鬱状態になってしまった。 まあ鬱と言ってもさほど酷い状態ではない。 しかし、何かヤル気が起きないのだ。 集中して何かをやろうと思っても、つい「こんなことして何になるんだ?」という思いに駆られてしまう。 そうなると楽な方に自分を持っていこうとしてしまい、何ごとも長続きしなくなる。 当然仕事は雑になる、という次第だ。
(2) ぼくの社会に出てからの平均睡眠時間は4〜5時間だが、考えてみるとその間ずっとそういう状態、つまり鬱状態だったようだ。 いつもヤル気が起きず、何をやっても中途半端で終わっていた気がする。 もしその間の平均睡眠時間をあと2時間延ばしていたら、もう少し違った展開になっていたのかもしれない。
(3) そういえば、最初に就職した会社では、睡眠不足を「美」としていたようなところがある。 売上げが伸びないので、トップは早朝会議を繰り返す。 そして夜遅くまで仕事をさせる。 おかげでいつも寝不足だったが、売上げが悪いという負い目があるので文句も言えない。 「きつい」などと言おうものなら、 「きついだと?おまえたちのヤル気が足りんのだろうが。我々が若い頃には、血の小便が出るまで仕事をやったもんだ」と一蹴されたものだ。
今考えると、トップは社員を鬱状態にしていたことになる。 鬱社員ばかりの会社の売上げが伸びるわけはない。 こうやって悪循環が続き、この会社は十数年で潰れたのだった。
毎年2月頃から4月にかけて悩まされていたことがある。 それは乾燥肌だ。 特に腰から下をやられていた。 とにかく痒い。 いくら掻いても掻き足りないくらいに痒いのだ。 おかげで、肌は真っ赤に充血していた。
そのため春先は、「乾燥肌にやられてねえ」がいつもの口癖だった。 ところが昨年、ある人から「それは乾燥肌じゃないと思う」と言われた。 「皮膚病とかアレルギーとかは持ってないけ、乾燥肌しか考えられんやろ」 「どの部分が特に痒い?」 「足首と腰の部分やけど」 「ああ、靴下とパンツのゴムの部分やね」 「そうそう」 「洗剤、何使いよる?」 「普通の洗剤やけど」 「粉?それとも液体?」 「うちは粉やけど」 「やっぱりね。原因はそれと思う」 「え?」
粉洗剤は、念入りにすすがないと靴下やパンツのゴムの部分に残るそうだ。 それが汗で溶けて皮膚に付着し、炎症を起こすらしい。 言われてみると、なるほどそうである。
それを聞いてから、うちは粉洗剤から液体洗剤に変えた。 で、今年はどうなのかというと、まったく痒くない。 というより、今日まで乾燥肌という言葉も、洗剤の炎症という言葉も忘れていた。 それを教えてくれた人と、まだたくさん残っている粉洗剤(新聞やからもらったもの)を使わずに液体洗剤を使ってくれている嫁ブーに感謝である。
昨日書いたとおり、今日は床屋に行ってきた。 長さ的にはちょうどよかったのだが、問題は髪の量である。 髪が多すぎて頭の横と後ろが膨らんでいるのだ。 影を見るとヘルメットをかぶっているようだった。 そこで、髪の量だけ減らしてもらおうことにした。
イスに座ると同時に、ぼくは「あまり短くせんでください」とだけ言った。 長年通っているところだから、ぼくの髪型はわかっているわけで、短くするなと言えば、今日は量を減らすだけだというふうに理解してくれる。 あとは眠っていればいい。 洗髪時と終了時にちゃんと起こしてくれる。
以前嫁ブーの通っている美容院の先生から、「ご主人、すごくいい髪してますね」と褒められたことがある。 褒められると悪い気はしない。 そこで「じゃあ一度カットしてもらいましょうかね」と言ったのだが、いまだに行ってはいない。 なぜなら、初めてのところだと「あまり短くせんでください」だけでは通らないからだ。 髪型や髪の長さを一から十まで説明しなければならない。 それが面倒なのだ。 しかも、カット中は説明通りにやってくれているかどうかが気になる。 そうなると、おちおち眠ってもいられない。 やはり慣れた床屋が一番いいということになるのだ。
その美容院は、ぼくのウォーキングコース内にあるのだが、その前を通る時は先生に顔を見られまいとして、下を向いたり横を向いたりしている。 「じゃあ一度カットしてもらいましょうかね」なんて言わなければよかった。
2007年03月08日(木) |
行かなければならないところ |
【床屋】 この間床屋に行ったのが12月だったから、もう3ヶ月髪を切ってないことになる。 かなり髪が鬱陶しくなってきているので、そろそろ床屋に行かないと。 髪を洗って3時間も乾かないというのは、ちょっときつい。 寒い時に髪を切ると、風邪を引きかねないが、寒の戻りも昨日までだったようで、今日はそんなに寒くはなかった。 明日は今日より暖かいということなので、明日行くことにしよう。
【太宰府天満宮】 そうそう、先日姪が受験に合格したが、そのせいでホッとしたのか、肝心なことを忘れていた。 それはお礼参りである。 お願いするだけして、あとは知らん顔では、菅公もお怒りになるだろう。 早いうちに太宰府天満宮に行っておないと、ぼく自身の頼み事を聞いてくれなくなってしまう。 実は今、ぼくはW大よりも狭き門に挑戦しているのだ。 そこは実力がないと入れないところなのだが、運で乗り切れないこともない。 その運にぼくは賭けているのだが、神様をないがしろにしていれば、その運はもらえないだろう。
【税務署】 確定申告にも行かなければならない。 マンネリの生活をしているので日付ボケしまっていた。 締め切りの15日まであと1週間しかないではないか。 ま、別に行かなくてもいいのだが、行けば5万円もらえるのだ。 これは行かない手はない。 せっかく書類も出来上がっているのだから、週明けにでも行くことにしよう。
寒の戻りというのだろうか、今日は雪もちらついていたようだし、2月以降で一番寒かった気がする。 昨日同様、ウォーキングで汗をかかなかった。 いや、汗は出そうになるのだが、冷たい風がそれを阻止してしまうのだ。 シャワーを頭から浴びる必要がないので楽ではあるが、便秘と同じで、出そうになっているものが引っ込むと、何か気持ち悪い。 やはり出るなら、さっと出て欲しいものである。
さて、昼間は職業訓練をやっているので寒さは感じなかったが、それを終えた夕方くらいからだんだん寒くなってきた。 そこでファンヒーターを入れた。 だが、部屋はなかなか暖まらない。 しかたなく設定温度を上げたのだが、明日も寒そうだし、この温度設定でないと部屋が暖まらないということになれば、買い置きしている灯油が今月いっぱいは持たないだろう。
しかし、この寒の戻りで一番迷惑しているのは、冬の異常気象に浮かれて出てきた昆虫だろう。 例えば2月末に見たモンキチョウは、この寒さをいったいどこでしのいでいるのだろう? 蟻や蜂と違って、蝶は巣があるわけでもないだろうから、どこかで凍死しているのではないだろうか。
ということであれば、彼らの生きる最大のテーマである種の保存をせずに死んだことになる。 これも自然淘汰のひとつなのだろう。 いや、この異常気象は人間が引き起こしたものだから、自然淘汰ではなく、人工淘汰ということになるのか。 迷惑な話である。
昨日は風が強かった。 台風並みに吹いたらしい。 それに黄砂が混じっていたのか、車のフロントガラスがけっこう汚れていた。 そういえば、最近外を歩いていると、口の中がザラザラすることがあるが、きっとそれは黄砂のせいだろう。 しかし、今年は昨年ほど酷くはないようだ。 昨年は、晴れていても太陽がぼんやりしていることが多かったが、今年はそれがない。
ところで、昨日の夕方、不意に野生の勘というのが働いた。 風が止むのがわかったのだ。 まだ風はビュービューと音を立てて吹きまくっていたのだが、空を見た時に「あ、これで風が止む」という予感がした。 その予感通りに、風はほどなく収まった。 その後も風は吹いたものの、残り風に過ぎず、もう突風は吹かなかった。
野生の勘というのは、昔からよく感じていた。 例えば学生時代、よく「この先に行くと危ない」という殺気のようなものを感じていたものだ。 そこで行くのをやめていれば何と言うことはないのだが、けっこうそういう時というのは、そこに行かなければならないことが多い。 しかたなく「いや、きっと考えすぎだ」と自分に言い聞かせながら行ってみると、そこにガラの悪い他校の生徒がたむろしていて、因縁をつけられた、という経験が何度かある。
これも学生時代の話だが、ぼくはよく時計を忘れて学校に行ったものだ。 通学時バスに乗っている時や、学校に着いてからいつも気づいていた。 帰りのバスの時間を見る時に、時計がないとすごく不便なのだ。 ところが、そういう時に限って体内時計が働いた。 例えば授業中、突然頭の中に「○時○分」というのが見えてくる。 そこで隣の席の人に、「今、○時○分やろ?」と訊いてみると、ピタリと合っていた。 おかげで帰りのバスにも、乗り遅れたことはない。
こういう勘は年とともに薄れていくものであるが、ぼくの場合、今でも時々働く。 「ここが人生の節目だ」という時に、そういうことが多い。 最初の会社を辞めた時がそうだった。 突然「ここでの仕事は終わった」というような勘が働いたのだ。 そしてその後、自ずと辞める方向に流れて行った。
この間辞めた時もそうだった。 あの時は、ラジオで『はっぴーえんど』の歌を聴いていた時に、突然、会社を辞めて次のステージに移るような気がしたのだ。 その勘が働いてから後、だんだん居場所がなくなっていき、結局半年後に辞めたわけだ。
もしかしたら昨日の勘は、節目が来ているというお知らせかもしれない。 「人生の風が止む」という暗示だったら嬉しいけどね。
けっこう寒い一日だった。 昼間いつものようにウォーキングに出かけたが、風は冷たく、しかも強かった。 おかげで、今日は汗をあまりかかなくてすんだ。 普段は汗ビッショリになるので、家に帰ってからすぐにシャワーを浴びるのだが、今日はその必要はなかった。
シャワーを浴びるのは嫌いではない。 ただこの時期は、シャワーを浴びた後が嫌だ。 夏でも海やプールで泳いだ後、しばらく寒さで震えることがあるが、この時期はそれ以上に寒く、痛みを感じるのだ。 さらに髪が多いせいで、ドライヤーをかけても濡れた頭はなかなか乾かない。 それがまた寒さを誘う。 しかも風呂に入ると毎日頭を洗うので、一日に二度頭が濡れているわけだ。 よくこれで風邪を引かなかったものである。
今日もヤフードームで行われた“ホークスvs巨人”をテレビ観戦した。 いったい最近の巨人というのはどういうチームなのだろう? 9回2アウトまで、ホークスのピッチャー陣からパーフェクトに押さえ込まれていた。 最後の最後で脇谷から初ヒットが生まれたが、これはホークス藤岡のサービスだろう。
で、今日の原監督のコメントはというと、「脇谷はいいものを持っている」である。 確かに脇谷はいいものを持っているかも知らないが、今日の試合をどう感じたのだろうか。 こういう状況で、監督が脇谷のおまけのようなヒットのことしかコメントできないのなら、残念だが今年もBクラス確定だろう。 もちろんクライマックスシリーズには出られない。
そういえば、昨年も巨人は、ホークスとの交流戦で斉藤和巳から1安打完封負けを喫している。 この時は、その1安打したランナーが牽制死してしまい、結局27人で攻撃を終えたのだった。 かつて巨人槇原が広島相手に完全試合をした時に、解説の人が、「完全試合というのは後々引きずりますからね」と言っていた記憶があるが、今の巨人は、その準完全試合を引きずっているのだろうか? そうであれば、今年の交流戦はいただきである。
昼からテレビで、ヤフードームの“巨人vsホークス”の中継を見ていた。 斉藤和巳のオープン戦初登板、小久保の復帰第一戦ということで、期待して見ていたのだが、この二人がパッとしなかった。 和巳は3回を投げて被安打6の失点1、小久保は1併殺含む2タコだった。 まあ、オープン戦ということもあり、二人ともいろいろ課題を取り入れて試合に臨んだ結果がこうだっただけで、本番では頑張ってくれると思っている。 試合のほうは2年目松田の逆転3ランなどもあり、6:4でホークスが逆転勝ちを収めた。
さて、今日のヤフードーム、入場者数は18607人ということだった。 いかにオープン戦とはいえ、巨人戦でこの数字は少ない。 過去ヤフードーム(福岡ドーム時代を含む)対巨人のオープン戦では、最低の数字ではないだろうか。 昨年までは、ほぼ満員だったような気がする。
それでも3塁側の客席はけっこう埋まっていた。 少なかったのは一塁側の客席で、かなり空席が目立っていた。 実は、今日は巨人主催のゲームだった関係で、一塁側のベンチには巨人勢が座っていたのだ。 なるほど昨今の人気のなさがうかがえた。 しかも先発オーダーは、2番谷、3番小笠原、4番李、5番ゴンザレス、7番ホリンズ、ピッチャー姜と、10人中6人が外様なのだ。 さらに、途中代打で昨年までホークスにいた大道が出たり、最後のピッチャーはこれまたホークス出身の吉武だったりした。 まあ、あとの二人は、福岡のファンに向けたサービスだったのだろうが、先発オーダーに生え抜きが4人しかいないというのははいただけない。 せっかく中畑や江川という豪華(?)解説陣を揃え、全国中継していたのに、これでは白けてしまうだろう。
とはいえ、今年も球春がやってきたわけだ。 また半年間、一喜一憂する楽しみが出来たということだ。
外に出るとポカポカ陽気。 しかし家の中でジッとしていると寒い。 そのために暖房を入れる。 こういうのを無駄というのだろう。
とはいうものの、やはり今年は灯油の消費量が少ない。 この冬買った灯油は、全部で8缶である。 例年なら倍は買っているはずだ。 まあ、今年は灯油が高かったし、消費額で言えばトントンなのだろうが。
さて、予報では、明日は22度くらいになると言っていた。 今日もウォーキングをしたのだが、いつもなら汗ばむまでに30分かかるのに、今日は15分ほどで汗ばみ始めた。 この調子なら、明日はきっと5分で汗ばむだろう。
しかし、明日も家の中でジッとしていると寒いのだろうか? もしそうなら暖房を入れることになるだろう。 だが、それをやれば、今日以上の大きな無駄になる。 無駄を避けるために、明日は海にでも行ってみるか。
昼から、先日亡くなった伯母の四十九日の法要に行ってきた。 自宅での法要だったため、斎場のようにイスは使わない。 一般的な「仏間で正座」の風景だ。
正座、ぼくが何よりも苦手としているものである。 笑点の大喜利で落語家が正座をしているが、あれを見るたびに「落語家にならなくてよかった」と思っている。 しかも座布団を全部取り上げられる場面では、足が痛くなってくる。
何で正座が苦手なのかと言うと、体が硬いからである。 とにかく脛の筋が突っ張ってしまい、座った瞬間から痛みが走るのだ。 そして5分を過ぎた頃に痺れ始め、10分後には座っていることが出来なくなる。 最近は体重が増しているから、この時間はもっと縮まっているだろう。
案の定だった。 坊さんのお経が始まるとともに正座をしたのだが、最初から足が痛く、3分で痺れ、5分でダウンしてしまった。 法要のあとの食事会で、親戚一同から「5分でやめるくらいなら、最初から無理して正座せんでもよかったのに」と笑われた。
しかし、ぼくはその5分間の苦痛の中で、ひとつの発見をしたのだ。 それは、正座は腰に負担がかからないということだ。 ぼくは普段あぐらをかいているのだが、どうも腰に負担がかかっているようで、時々酷く痛むことがある。 ところが正座をすると、坐骨のくぼみ部分にかかとがちょうどあたる。 ずっと以前、整体院に行った時に、坐骨に重心を持ってくれば、腰に負担がかからないと言われたことがあるが、正座はその理に適っているということになる。
腰のためにも正座の練習をしてみようかなぁ…。 足の筋も柔らかくなりそうだし。
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