頑張る40代!plus

2007年02月28日(水) 減量

昨日ちょっと酒のことを書いたが、実は二月に入ってから、ぼくは酒を口にしてない。
体調が悪いとかいうのではなく、今月に入って朝早く嫁ブーを会社に送っていく機会が多くなった。
そのため、酒が残っていたらまずいと思ったからだ。
おかげで体調はいいのだが、困ったことに体重が増えてしまった。
昨年同時期と比べると5キロも太ってしまっている。
肩こりや背中痛の緩和のために、腹筋だの背筋だのを鍛えていると日記に書いたが、実は体重減らしの意味もあるのだ。

しかし、体重というものはなかなか減るものではない。
特に運動で減らそうとすると、かなり時間を要する。
ぼくの場合、それまで気力がついていかないのが常だ。
それよりも晩飯を抜いたほうが効果がある。
1週間も抜けば、かなり体重は落ちている。
だが、今はそれはできない。
なぜなら、朝昼まともに食事をとってないからだ。
この上、夜を抜くとなると、確実に栄養失調になってしまう。
今は気力に鞭打ちながら、運動に取り組むしかない。

ところで、これまでの経験からすると、減量に必死に取り組んでいる時は体重が落ちないことが多い。
逆に他のことに夢中になっている時のほうが、体重が落ちる。
よく「気がついたら、体重が3キロ減っていた!」ということがあるが、それは他のことに夢中になっている時が圧倒的に多い。
必死に減量している時は、1キロ減らすのに四苦八苦しているものだ。
ということで、運動と何か夢中になれるものを探すことで、この5キロを落としていくことにしよう。



2007年02月27日(火)

(1)
ウォーキング中、国道沿いで鴬の鳴き声を聞いた。
今年初めてである。
ここ何十年か、鴬の声を聞こうと思ったら山や森に行くしかなかった。
ところが、今日鳴いていたのは住宅地だった。
まさか人が飼っているとは思えないし、わざわざ山から春を知らせにきてくれたのだろうか。

いつもは沈丁花の香りを嗅いだり、鴬の鳴き声聞いたりすると、肩にのしかかった重たい荷物がとれたような気がするのだが、今年に関してはそれはなかった。
それだけ、この冬が暖かかったということなのだろう。

(2)
鴬といえば、県産筑後の酒に『庭の鶯』というのがある。
『夏子の酒』でも紹介されたことがある酒だ。
ぼくはこれまでずっと『西の関』を飲んでいた。
昨年その『西の関』を近くの酒の専門店買いに行った時、その横にその『庭の鶯』が置いてあった。

もちろん『夏子の酒』でその存在は知っていたが、実際にお目にかかるのはその時が初めてだった。
そこで、急きょ『西の関』を買うのをやめ、『庭の鶯』を買って帰ったのだった。
飲んでみると、これが旨い。
ということで、それ以来酒は『庭の鶯』にしている。

(3)
古来から、日本人は法華経を深く信仰してきた。
そのため、鴬の鳴き声は「ホーホケキョウ(法、法華経)」となっている。
これを仏教の影響のない国の人が聞いたら、何と聞こえるのだろうか?
犬の鳴き声のような簡単な鳴き声も、その国その国で違っているようだから、鴬のような複雑な鳴き声は、かなり違ったものに聞こえるに違いない。



2007年02月26日(月) 肺活量

会社勤めしていた頃、通勤途中にぼくはよく歌をうたっていたものだ。
なぜそんなことをやっていたのかというと、朝はまだ声帯が眠っているのか、声がひっくり返ったり、かすれたりして充分に声が出ないからだ。
客商売だったので、こういうことでは困る。
ということで、通勤中に声を出す体操代わりに歌をうたっていたわけだ。
ラジオ体操やストレッチをすると体がほぐれるが、歌をうたうというのはそれと同じようなもので、声をほぐしてくれる。

さて、最近は朝の通勤もないので、朝に歌をうたうということはなくなったが、昼間はよくうたっている。
もちろん昼間なので声は出るのだが、昔に比べると声が続かなくなっているのだ。
つまり肺活量が落ちているということである。
まあ、本職ではないので、続かなければ続かなくてもかまわない。
とはいえ昔はちゃんと続いていたものだから、けっこう悔しい思いをしている。

そういえば、小学生の頃は、よく2分近く風呂に顔をつけておくことができたのだが、今は2分はおろか、1分も顔をつけておくことができない。
つまり、昔に比べると肺活量は半分以下に低下していることになる。
ということは、潜水なんかは当然出来ないわけで、もし車の事故で海や川に飛び込んだとしたら、一発で死んでしまうだろう。

昨日も書いたが、今腹筋や背筋を鍛えている。
その効果で、もしかしたら肺活量が上がるかもしれない。
しかし、その程度の運動で、肺活量が倍になるとは思えない。
前に、腹式呼吸を修得すれば、肺活量が上がると聞いたことがあるが、わざわざそういうことを習いに行く気もない。
とはいえ、我流だとあまり効果はないだろう。
やはり、これも歌をうたって鍛えることにするか。



2007年02月25日(日) 真夜中の運動

最近、夜寝る前に必ずやっていることがある。
それは、肩から背中にかけての筋肉を動かす運動である。
前は朝起きると、決まって背中や肩が痛かった。
そのため、枕を替えたり、寝相の工夫をしたりしていたのだが、おかげで少しは楽になった。
とはいえ、それで治ったわけではない。
やはり朝起きたときは背中に痛みがあったのだ。

この痛みはコリなどではなくて、おそらく背骨のずれからくる痛みだと思っている。
寝起きなどに、ちょっと無理な姿勢をすると痛みがとが走ることがあるが、それと同じ痛みなのだ。
運動不足のせいで、骨がずれやすくなっているのだろう。

ということで、背骨をずれにくくするために、周りの筋肉を鍛えているわけだ。
これがけっこう時間を食う。
まず柔軟体操をやってから、肩胛骨周辺の筋肉を鍛え、そのあとで背筋を鍛えている。
それに加え、腹筋や胸筋なども鍛えているのだ。
終わった後は、いつも「フゥフゥ」言っている。
呼吸を整えたあとで布団に潜り込むのだが、体が興奮しているのだろうか、しばらくは寝付けない。

おかげで最近は少し寝不足気味であるが、背中の痛みで泣かされることはなくなっている。
それにその運動の効果は、違う部分にも現れている。
例えば背筋だが、フトした時にその存在を感じることがある。
それが何となく快感になっている。
また、腹周りの贅肉も少しは取れたような気がする。
これで寝不足さえ解消されたら、万全だろう。



2007年02月24日(土) 日記病

夜中に日記を書くと翌日に、気持ちや時間のゆとりが持てる。
それはそれでいいのだが、書くことがまとまらなかったり、書くことがなかったりすると、どうしても夜更かししてしまう。
そうなると寝不足になり、体にいろいろな異変が起きてくる。
例えば、小便するときに痛かったり、血圧が上がったり、頭痛がしたりするのは、ほとんどが寝不足からきている。
いくら気持ちや時間の余裕が出来ても、これでは何にもならない。
書けないときは書かなければいいわけだが、これではフラストレーションがたまってしまう。

というわけで、ぼくにとって日記というのは病気の種なのである。
いちおう今年の11月にこの日記を終わらせるつもりだが、それまでは寝不足による諸症状で、そのあとはフラストレーションとの戦いになることだろう。



2007年02月23日(金) デパート

今日、半年ぶりにデパートに行った。
以前は毎月一度、銀行回りのついでに寄っていたけれど、最近は銀行に行く必要がなくなったので、ついでであるデパートにも行ってなかった。
まあ、デパートに行くといっても、小学生の頃のようにワクワク感があるわけではない。
店内の雰囲気を楽しむこともないし、特にほしい物もない。
特に最近のデパートはおばさんの洋服や小物類がやたら目に付く。
女性客をターゲットにしているのはわかるが、もう少し男性客も楽しめる品揃えをしてもらいたいものだ。

しかし、何で小学生の頃はデパートに行くのが楽しかったのだろう。
確かにオモチャ売場が目当てというのはあったが、それだけが楽しかったわけではない。
例えば、いろいろな乗り物やゲームのある屋上だとか、大食堂のミルクセーキ、お菓子がグルグル回っている地下の食品売場など、楽しいものが目白押しだった。

そういえばあの当時、デパートにしか売ってないジュースがあった。
ジュースといっても自販機のジュースだが、今のように缶や紙パックものではない。
紙コップのヤツだが、現在企業などに置いてある紙コップ式の自販機とはちょっと違っていた。
自販機の上の部分が透明の容器になっていて、真ん中からジュースが噴水のように吹き出していたのだ。
こういう自販機はデパートにしかなかった。
もちろん飲むのが目的だったが、それを見るのも楽しみの一つだった。
ぼくは飽きずに、そのジュースの噴水を見ていたものだ。
で、味はと言うと、決しておいしいものではなかった。
が、当時のバヤリースやプラッシーよりはずっとおいしかった。

とにかく当時のデパートというのは、夢のある世界だったのだ。
特に当時は、イオンのような大型店や、敷地面積の広いホームセンターは存在しなかった。
デパートの他には、ダイエーや丸栄(後のユニード)といった高級感のない量販店や、吹きざらしの商店街があったに過ぎない。
デパートは、そういう庶民的な世界とは次元の違う世界だった。
それゆえに夢のある世界に思え、行くのが楽しかったのだろう。



2007年02月22日(木) えっ?

ぼくは歩くコースを何通りか作っているのだが、どのコースにも必ずタバコ屋を入れている。
そこでタバコを仕入れるためだ。

一昨日のことだった。
その日は一番短いコースを選んだ。
そのコース内のタバコ屋の横には小さな畑がある。
今は菜の花が咲いているのだが、そこに何か黄色い物がフワフワ浮かんでいるのが見えた。
最近物がダブって見えるので、その時も菜の花がダブって見えているのだろうと思っていた。

ところが、それは浮かんでいるのではなかった。
飛んでいるのだ。
「えっ?」と思い、目を凝らしてよく見てみると、何とその黄色い物体は、モンキチョウであった。
いつもなら桜の花が散った頃にお目にかかるのに、もう飛んでいるのだ。

50年近く生きているが、2月にモンキチョウが飛んでいるなんて初めて見た。
そういえば、何年か前に、普段なら7月中旬から鳴き始めるクマゼミが、6月中旬に鳴きだしたことがあった。
異常気象と言われているが、昆虫界にも異変が起きているのだろうか。



2007年02月21日(水) サクラサク

姪が第一志望のW大に合格した。
一生懸命勉強をやってきた努力が実ったわけである。
よく頑張ったと思う。
その間いろいろ悩みもあっただろうが、大学受験に関しては、途中で挫折したぼくには何のアドバイスもできなかった。
せめて叔父らしきことをということで、1月に太宰府天満宮に合格祈願に行ってきたのだった。

午前中に電話で第一報が入ってきたのだが、「合格」という言葉を聞いた時は、思わず「よくやった!」と叫んでいた。
電話中に何度その言葉を繰り返したことだろう。
自分が失敗しているので、我がことのように嬉しかった。

ということで、4月から、姪の東京での生活が始まる。
親元を離れての生活は、これが初めてだ。
最初はちょっときついだろうが、そこを乗り越えたら、あとは自分のペースでやっていける。
とはいえ、東京はいろいろと誘惑が多い場所である。
周りに流されずに、自分をしっかり持ってやっていってほしいものだ。



2007年02月20日(火) 平家の怨霊?

いつも行っている社務所兼神主宅が火事にあったことを、14日に書いた。
その後も、ぼくはその神社に毎日通っているのだが、一向に建て直すような気配はない。
おそらくは火災保険が下りるのを待っている段階なのだろう。

さて、今日は嫁ブーが休みで、昼から灯油を買いに近くのホームセンターに行き、それから嫁ブーの実家、その帰りにイオンに行った。
そこでハンバーガーなどを食べている時だった。
ぼくと嫁ブーの携帯電話が同時に鳴った。
同時に鳴るということは、消防署からの火災情報である。
さっそく開いてみると、そこには見たことのある住所が書いてあった。

「おい、この住所、見覚えあるぞ」
「○町やけ、うちの近くやねえ」
「おう、近くやの」
「どこ?」
「前に火事があったところ」
「前に火事が…。あ、また神社が火事!?」

そうである。
またしても火事を出したのだ。
もう社務所は燃えてしまっているから、今度は神社のほうだろうか?
もしそうであれば、明日からお参りは出来なくなる。
せっかく願掛けをしているのに、途絶えてしまうわけだ。

その後家に帰ってからニュースを見ていると、その火事のことを言っていた。
火事現場は、やはり神社だった。
が、燃えたのはまたしても社務所だったらしい。
前の火事で柱などが燃え残っていたのだが、そこから出火したということだった。
もちろん現在人は住んでいない状態なので、火の気があるはずがない。
とすると、この火事は放火なのだろうか?
ということは、前回の火事も放火の線が考えられる。
そういえばそこは、かの壇ノ浦の合戦の時に、源氏方の大将が必勝祈願のために建てた神社なのだ。
もしかしたら、一連の火事は平家の怨霊のしわざなのかもしれない。



2007年02月19日(月) 暖かな一日

今日はいい天気だった。
外に出ると、ポカポカ陽気だ。
至る所から沈丁花の香りがする。
時折蜂なんかも飛んできて、まさに春であった。
春一番を過ぎると三寒四温の季節になるわけだが、きっと今日は四温の一日だったのだろう。
昨日は寒かったので、あと三日は暖かいということになる。
もう三寒なんかいらないから、ずっと暖かくあってほしいものだ。

しかしこの冬は厚着をしなくていいから楽である。
12月からこちら、毎年愛用しているダウンジャケットを着たのは、伯母の葬儀の時ぐらいだ。
その日を除くと、毎日薄手のウィンドブレーカーですごしている。
ただ、このウィンドブレーカー、一張羅である。
いつも着るのは4月と11月の一時期だけなので、複数枚必要ないわけだ。

ところが今冬のように暖冬になり、これしか着ないとなると、いろいろ障害が出てくる。
とにかく替えがないから、洗う暇がない。
そのせいで臭くなってしまっているのだ。
どんなニオイかというと、納豆のニオイである。
車を運転している時も、歩いている時も、しょっちゅう納豆のニオイが鼻をつく。
このまま着続けると、車の中が納豆臭くなってしまう。
あと2ヶ月は着るだろうし、もう一枚買うことにするか。



2007年02月18日(日) 旧正月

今日は旧暦の1月1日である。
今も旧暦社会だったら、今日の書き出しは「明けましておめでとうございます」となっていたところだ。
また旧暦社会であれば、当然会社は休みだ。
テレビ番組も正月特番で、家族揃ってのんびりとお笑い番組でも見ていることだろう。

さて、年賀状などに、よく「新春」や「初春」という言葉が使われるが、新暦で使うのは何かピンと来ない。
新暦の正月は寒の入り前、つまり寒さに向かっている時期だから、春という言葉に違和感を感じるのだ。
これが旧暦だと、正月は立春前後になるから、寒も終わり春に向かっている時期である。
そういう時期こそ「春」という言葉がふさわしいと思う。

ところで、今日は旧正月ということで、神社の参拝客も少しは賑わっているのではないかと期待して行った。
だが、その期待は裏切られた。
境内には誰もいなかった。
お供え物も15日に置かれたものばかりで、増えてはなかった。
いくら新暦の世の中といえども、神社ぐらいは旧の風習を残しておいてもよさそうな気がする。

国もそうである。
中国のように派手にやらなくてもいいが、少しは旧正月行事でもやってもらいたいものだ。
年に二度、正月があったっていいじゃないですか。



2007年02月17日(土)

今日は一日中雨が降っていた。
こういう日のウォーキングは憂鬱である。
何よりも傘をさすのが嫌なのだ。
傘をさすために、片方の腕が振れない。
それが嫌な理由の一つである。

この数ヶ月のウォーキングで知ったことだが、仮に背中や肩に痛みを持っていたとしても、腕を振ることでその痛みは軽減される。
その腕が振れないのだから、当然背中や肩の痛みは取れない。
しかも、傘を持つ手に力が入っているものだから、歩き終わったあと、腕が凝ってしまう。
背中・肩・腕のコリ、それに加えてぼくは腰痛持ちだから、ウォーキング後の上半身は痛みだらけである。

傘で思い出したのだが、ぼくは昔からあまり傘をささない人間である。
傘をさすのが下手で、さしてもささなくても、濡れ具合はさほど変わらないのだ。
そのせいだろうか、別に濡れて歩いてもあまり気にならない。

高校3年の頃だったか、通学中に雨が降り出したことがある。
いちおう傘は持っていたのだが、面倒なのでささずに歩いていると、後ろから「おまえはバカか?」という声が聞こえた。
振り返ってみるとオナカ君だった。
常識派のオナカ君のことだから、その時ぼくのことを『変わった奴やのう』と思ったに違いないが、別に変わっているから傘をささないのではなく、単にさすのが面倒だったからささなかっただけの話である。

予備校時代は自転車で通学していたので、もちろん傘はささなかった。
予備校に着くと、いつもビッショリ濡れていたものだ。
東京時代もそう。
駅まで歩いて5分もかからなかったので、さす必要もないと、傘も持ってなかった。
社会に出てからは、さすがに濡れ鼠で仕事をすることは出来ないので、いちおう傘を持って行っていたが、それでもさす機会は少なかった。
その後、車中心の生活に変わってからは、ほとんど傘を持って出かけることはなくなった。

そういう経緯の後に、今また傘を使うようになったわけである。
が、上記のような理由があるので、あまりさしたくない。
今日は傘を持って出たのだが、途中小雨になったので、さっさと傘をたたんだ。
行き交う人は、変な顔をしてぼくを見ていた。
おそらく高校時代のオナカ君のように、「おまえはバカか」と思っていたことだろう。



2007年02月16日(金) 老眼?

パソコンのやり過ぎで、目の奥に軽い痛みが走ることがある。
そういう時に新聞や本を読むと、決まってダブって見えるのだ。
元々乱視気味だったが、そういう時は特に酷い。
例えばマンガの場合、一つの画が上下にダブり、二つになってしまう。
まあ、目を休ませ痛みを取り去ってから読めば、その症状はなくなるので、ただの疲れだというふうに、ぼくは捉えている。
そのため、さほど心配してはいない。

先日、その件で、ある人からちょっと気になることを言われた。
「それって、老眼の初期症状じゃないと?」
「え?」
「もうすぐ50歳なんやけ、老眼になってもおかしくないよ」
「老眼の場合、近くが見えにくくて、遠くがよく見えるんやろ?」
「まあ、そうやけど」
「じゃあ、老眼じゃない。遠くよりも近くのほうがよく見えるもん」
「そう…。でも、いちおう疑ったほうがいいよ」

老眼…。
嫌な響きである。
先日テレビを見ていると、同い年の東国原知事が老眼鏡をかけていたのだが、あの姿はいただけなかった。
かつての大村崑ちゃんのように、メガネを鼻にだらしなく引っかけて、いかにも「老眼ですよ」と言っているように見えたものだ。

確かにそろそろその年なのかもしれないが、まだまだ老眼鏡にはお世話になりたくない。
そこで、ぼくはパソコンのモニターの明るさを押さえることにした。
おかげで以前よりは痛むことが少なくなったが、少し後遺症が残っているようで、たまに本が読みにくいことがある。
しかし老眼ではない。
…と思う。



2007年02月15日(木) ありました

ぼくは毎週木曜日を『職安の日』と決めて、月3回行っている。
で、今日も行ってきたのだが、求人は相変わらずお寒い状況である。
が、今日はそんなことはどうでもよかった。
他に目的があったからだ。
その目的とは、前に書いたが、デイリーストアに行くことである。
そう、例のパンを探すのだ。

職安で求人の閲覧を終えたぼくは、さっそくデイリーストアに向かった。
区の中心、それもデパートの真ん前にあるデイリーである。
近所のデイリーよりも売場は広いし、客数も多い。
当然品揃えもこちらの方がいい。
近郊のデイリーで、例のパンが置いてあるとすれば、もうここしかない。
ここでなければ、諦めるか、太宰府に行くしかないのだ。
ぼくは祈るような気持ちで、店の中に入った。

パンは一番目に付く場所に置いてあった。
しかも、よその店と比べるとパンの種類が多い。
これは期待できると、棚の上から順番に探していくと、ほどなくそのパンは見つかった。



これを探し回っていたのだ。
在庫は二つあったので、二つとも買った。
家に帰ってから、さっそく食べてみると、やはりおいしい。
フジパンのと比べると、こちらの方がレーズンの量もマーガリンの量も遥かにが多い。
昨日フジパンのやつを食べたのだが、中にレーズンが3つしか入ってないパンがあった。
やはり、この手のパンはヤマザキに限る。



2007年02月14日(水) 春一番

昨夜、これまでハードディスクに録画していた映画を、何本かDVDにダビングしていたために、寝るのがかなり遅くなった。
寝る少し前だろうか。
えらく風が強くなった。
こういう日に火事でも起こすと大変である。
そこで、台所と風呂のガスのチェック、ファンヒーターのチェック、灰皿の後始末などをした。
ダビングが終わったのはそれから1時間ほど経ってからで、それからすぐにぼくは布団に潜った。

さて、布団に潜ったのはいいが、風の音がかなり強く、それが気になってなかなか寝付けない。
どのくらい時間が経っただろうか、ようやく眠りの脳波が出てきた。
その時だった。
遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。
一台ではない。
音はいろんな方面から聞こてきた。
その音がだんだん大きくなり、一点に集まっていく。
「いったいどこが火事なんだろう?」
そんなことを思っているうちに眠ってしまった。

さすがに夜更かしが応えて、今日は9時に目が覚めた。
風は相変わらず強く吹いている。
ニュースで言っていたが、どうやらこの風は春一番らしい。
確か昨年こちらでは吹いてない。
ということは、二年ぶりの春一番である。
しかしバレンタインデーに春一番というのも早い。
やはり異常気象のせいか?
…などと、春一番のことばかり考えていたせいで、火事のことはすっかり忘れていた。

昼前。
風はまだ吹いている。
春一番とはいうものの、少し冷たそうな風が吹いている。
こういう日にウォーキングすると、耳の下が冷えて痛くなるものだ。
「嫌やなあ」と思いながらも、いつものように神社ウォーキングに出かけた。
その神社に着くと、普通の日なのになぜか車が何台か駐まっている。
その車、よく見ると消防署の車である。
「また『どんど焼き』でもやっているのだろうか?」
と思いながら鳥居をくぐると、そこには消防車も駐まっていた。
「そういえば、朝方火事があったな」
と、ここでようやく火事のことを思い出した。

「で、どこが火事だったのだろう」と周りを見渡すと、見事に焼けている建物があった。
神社の階段の登り口に社務所兼神主宅があるのだが、焼けていたのはそこだった。
サイレンの音が近くに聞こえるはずである。
直線距離にすれば、うちから1キロも離れてないのだから。

その社務所、もちろん建て直すのだろうが、全焼ではないので火災保険も全額は下りないだろう。
足りない分は、いったいどうするのだろうか?
お賽銭か?
だが、お賽銭が多い神社とは思えない。
そういう神社なら、もっと立派な本殿が建っているはずだからだ。

ということは、氏子に寄付を言ってくるのだろうか?
寺なら間違いなくそうするところだが、神社は寺のように莫大な寄付は言ってこないと思う。
いいとこ一口千円ではないだろうか。
確かにこの神社の抱える地区は人口が多い。
しかし、それでも数万人程度だから、一口千円では到底まかなえないだろう。
残る手は神頼みしかないか。



2007年02月13日(火) バレンタインデー前夜

明日はバレンタインデーだが、今年は無職のおかげでチョコレートをもらう宛がないので気が楽である。
昨年まで働いていた店は女性の従業員が多く、毎年義理チョコをもらっていた。
それがけっこう重荷になっていたのだ。
翌月にお返しをしなければならないからだ。

一番面倒だったのは、もらった人を確実にメモしておかなければならないことだ。
もし、漏れていたりすると、「あの人にはお返しがあったのに、私にはなかった」となり、悪くすれば「しんたさん、あの人に気があるんよ」とか言われかねない。
そうならないためにも記憶に頼らずに、メモする必要があったわけだ。

それさえやっておけば、あとはもらっただけのお返しを買うだけですむ。
ところが、何でもいいというわけではない。
コンビニなどで適当なのを選ぼうとすると、嫁ブーが「そういうのは失礼よ」とか、「もう少し名の通ったブランドの方がいい」などと突っ込んでくるのだ。
結局デパートまで行って買うことになってしまうのだ。
しかも、嫁ブーの好みで選ぶものだから、予算の倍ぐらい払うことになってしまう。

今年はそういうことからすべて解放されるのだ。
ホント気が楽である。



2007年02月12日(月) 閉店

近くのスーパーが、明日で閉店になる。
この店は団地内にあり、調味料などが切れた時などよく利用していた。
歩いて5分もかからないし、夜遅くまで開いているので、けっこう重宝していたのだ。
そういう店がなぜ閉店になるのかというと、さして大きな会社でもないのに、九州だけでなく広島にも手を広げていたらしく、それが致命傷になったそうなのだ。

このスーパー、区内には4店舗あった。
そのうち2店舗が閉鎖になるという。
残った2店舗も、他のスーパーが引き継ぐということだ。
うちの地区の店舗が閉鎖になるのは、その引き継ぎ手がすぐ近くで営業しているためだ。

さて、うちの地区の店舗だが、前は他のスーパーが入っていた。
小規模な地場のスーパーだったが、今回と同じく会社自体が潰れた。
その前は、大手のスーパーが入っていたが、採算が取れずに撤退。
ということで、今回が三度目の閉鎖なのである。

大団地内にあるのにどうしてこうなるのかというと、まず店舗が小さい。
個人商店ならともかくも、今時店舗面積の狭いスーパーというのは流行らない。
しかも裏通りにあるので、まったく目立たない。
近郊には大型店が次々と出店する。
こういう悪条件が重なっているので、いつも潰れるのだろう。

しかし、今後この店舗をどこが買い取るのだろうか。
三度も閉鎖した縁起の悪い店舗だから、どこも買い取り手はないと思う。
いっそ、コンビニにでもすればいいのだ。
スーパーでは狭いが、コンビニなら充分広い。
近くにセブンとファミマはあるものの、それらはバス通りにあり団地内にあるわけではない。
団地向けのコンビニという展開をしていけば、生き残れるのではないだろうか。
もしそこにデイリーストアが入ってくれれば、ぼくは毎日でも行くだろう。



2007年02月11日(日) 今日は建国記念日でした

今日もいつものように神社に行った。
建国記念日ということで、「何かやっているのでは?」と期待していたのだが、国旗すら揚げてなかったし、それ目当ての参拝客もいなかった。
まあ、神社の行事に、この日は載ってないから、元々建国記念日には何もやらない神社なのだろう。

しかし戦前はどうだったのだろうか。
その当時の紀元節は大切な行事だったし、うちの近くの神社は戦の神を祀っているので、きっと何かやっていたに違いない。
だが、それを調べるすべがないので、実際どうだったのかはわからない。

それはそうと、昨日今日とそこそこいい天気だった。
宮崎では、昨日4万2千人、今日4万5千人のホークスファンが、キャンプ地に詰めかけたそうだ。
これが10年ほど前だったら、ぼくも行っていたことだろう。
宮崎なら高速で片道4時間だから、日帰りが可能だからだ。
しかし、今は行きたいとは思わない。
別にホークスファンをやめたわけではないのだが、きつい思いをして行って、さらに人混みの中に飛び込みたいとは思わないのだ。
ここ数年、球場に足を運んでいないのと同じ理由である。

なぜ10年前なら行っていたのかというと、あの頃はホークスの選手が毎日の夢に出てくるほど、ホークスに思い入れがあったからだ。
その頃はよく球場に足を運んでいたし、2軍戦もよく見に行ったものだ。
もちろんキャンプにも行きたかった。
だが、当時ホークスのキャンプ地は高知だったので、日帰りは出来ない。
それで断念したのだった。

ちなみにその当時どんな夢を見ていたのかというと、調子の悪い選手の相談に乗ってやるとか、チームの沈んだ雰囲気をバカやって盛り上げてやるとかいった夢である。
あの頃は弱かった。
選手はいつも「優勝」を口にしていたが、実際Aクラス入りが目標だったのだ。

今のように強いホークスは魅力である。
だが、1勝の喜びは昔のほうが大きかった。
今は「勝って当たり前」と思っているからそう思うのかもしれないが、昔ほうが熱のこもった応援をしていたということかもしれない。
とはいえ、弱かった時代にはもう戻って欲しくない。



2007年02月10日(土) 確定申告

忘れていたが、今年はこれまでは会社がやってくれていた確定申告を、自分でしなければならない。
とはいえ、税務署に行くのは気が進まないし、申告書を作るのも面倒だ。
まあ、別に申告しなくても、昨年は収入も少なかったので、大して影響はないだろうと思っていた。
ところが、どうもそうではなさそうなのだ。

今日友人のオナカ君と会ったのだが、その時にその話が出た。
「別に申告せんでもいいやろ。大して収入なかったし」
「いや、そうでもないぞ。おまえは7月まで働きよったけ、けっこう戻りはあると思うぞ」
「でも、申告用紙がないやないか」
「あれは税務署にとりに行かな」
「面倒やのう」
「そういえばネットで申告書作れるようなことを聞いたことあるぞ」

パソコンを開き『確定申告』を検索してみると、そこに国税庁の『確定申告書作成コーナー』というサイトがあった。
そこを開いてみると、数字を入れるだけで簡単に作成できるようなことが書いてある。
さっそく数字を入れてみると、5万円ちょっとの戻りがあることがわかった。
これは申告しなければ損である。

ということで、もう一度そのサイトに書いてある説明をよく読み直し、慎重に数字を打ち込んだ。
最後に住所と名前を入れ、銀行口座を書き込んだ。
ネットショッピングの契約と何ら変わらない作業である。

結局10分ほどで書き込みは終わった。
印刷して、それに必要書類を添付すれば、確定申告書は出来上がる。
あとは税務署に提出すれば終わりである。
全然面倒ではなかった。
これで5万円が戻ってくるわけだ。
教えてくれたオナカ君に感謝である。



2007年02月09日(金) 例のパン

今日イオンに行って例のパンを探してみたが、フジパンの分しか置いてなかった。
次週職安に行くのだが、その時デイリーに置いてなかったら、いよいよ太宰府に行かなければならなくなる。
ドライブするのは好きなのだが、ヤマザキのパンが目的というのも情けない気がする。

仮に太宰府まで行ってヤマザキ製を手に入れたとする。
その際、恐れていることがある。
それは、そのパンが癖になってしまったら、それを手に入れるためにまた太宰府に行かなければならないということだ。
高速ならともかく、そのデイリーは一般道にある。
一般道だと太宰府まで2時間近くかかるから、往復で4時間。
昼間の4時間だから、半日潰れる感覚である。

しかし、そこまでして手に入れる価値のあるものだろうか?
マーガリンは太ると言われているし、それに含まれる何とか酸は体に良くないと聞いている。
4時間も運転すれば、肩は凝るし、腰は痛くなる。
さらに目は疲れるし、その間は運動すら出来ないときている。

やはりヤマザキにこだわらずに、フジパンで手を打つか。
それなら近くのスーパーに置いているから、わざわざ太宰府に行くようなた無駄なことをしなくてすむ。
しかも近くだから歩いていける。
ということは、運動できるから体にもいいということだ。
今日行ったイオンだって歩いて行ける範囲だし、往復40分コースだから、近くのスーパーよりもこちらのほうが運動できる。
そうしとくかな。



2007年02月08日(木) パンを探している

先月、太宰府に行った時のことだが、行きがけに急に腹が減ってきた。
そこでパンでも買って食べようということになり、道路沿いにあったデイリーストアーに入った。
さすがにヤマザキ直営である。
パンは豊富にあった。
その豊富なパンの中から、ぼくはレーズンパンを選んだのだが、それがやけにおいしかった。
名前は忘れたが、バターロールの中にレーズンとマーガリンが入ったヤツだ。
フジパンにも同じようなのがあるが、ヤマザキ製はマーガリンの他に白いクリームのようなものが入っていて、そこがおいしかったのだ。

その味が忘れられずに、セブンイレブンやファミリーマート、またスーパーなどヤマザキのパンの置いている店を軒並み探してみた。
しかしレーズン入りのバターロールは置いてあるのだが、マーガリン入りはどこも置いてない。

やはり、これはデイリーに行くしかないと思い、家の近くにあるデイリーストアに行ってみた。
ところが、そこも置いてあったのはバターロールだけだった。

そういえば、太宰府行きの時に入った店は、近くのデイリーよりも大きかった。
「これは店の規模に関係があるのかもしれん」と思ったぼくは、近くの店よりも大きなデイリーに行ってみることにした。
大きなデイリーは駅前とバス通りにある。
今日その2店に行ったわけだが、どちらにも置いてなかった。

その他にデイリーがあるところと言えば、一駅向こうになる。
電車で行けば2分程度で着くのだが、たかが180円程度のパンのために往復の電車賃320円を使うのももったいない。
とはいえ、歩けば家からだと片道40分かかってしまう。
しかも、もし置いてなかったとしたら、それこそ無駄足になってしまうのだ。
こうなったら、次の職安行きまで我慢するしかない。

しかし、もしそこに置いてなかったとしたら、また太宰府まで行かなければならないのか。
こういうのは通販やってないのかなぁ?



2007年02月07日(水) 給食室

ウォーキングはいくつかのコースを設定しているが、必ず通るのが小学校横である。
そこはぼくの通った小学校だが、当時木造だった校舎が今は鉄筋に変わっている。
場所も若干移動していて、位置的にまったく変わってないのはプールだけだ。
かつては田んぼだらけだった周りの景色も、今は住宅地に変貌している。
というわけで、母校ではあるが、母校とは言い難い雰囲気を、今の小学校はかもし出している。

ただ一つだけ、昔とわらないものがある。
それは建物だとか位置などではない。
においである。
何のにおいかというと、給食室のにおいだ。
今の給食はかなりいい食事を出しているらしいが、それでもにおいは変わってない。
ぼくが歩いている道がちょうど給食室に面しているため、ぼくが通る時にプンプンにおってくる。

初めてこのにおいに気づいた時、それに関連して何十年ぶりかに思い出したことがある。
それは、三角巾、かっぽう着、マスクである。
学期中に何度か給食係が回ってきたのだが、その時にそれらを着用しなければならなかったのだ。

三角巾やマスクはともかく、かっぽう着はパリパリに糊が利いて袖部分が貼り付いてしまいとても着にくかったのを思い出す。
またマスクはいつも中のガーゼをなめたり噛んだりしていたので、何日かすると臭くなっていた。
その臭いの印象が強かったのか、今でもマスクを見ると嫌な気持ちになる。

しかし、小学校を卒業してから、マスクはともかく三角巾やかっぽう着は着用したことがない。
おそらくこの先もすることはないだろう。
仮に給食センターなどに就職したとしても、今は帽子にエプロンのはずだ。



2007年02月06日(火) 観梅



上の写真は、宗像にある筑前鎮国寺で撮ったものだ。
立春が過ぎて正しく亥年になったので、今日は宗像大社に新しい年の祈願に行ったのだが、その帰りに鎮国寺に寄ったわけだ。

今日の気温は17度だったそうで、陽気に誘われてか、鎮国寺にはかなりの参拝客、というより観梅客がいた。
いつもそうだが、梅の花を見ると何かホッとする。
これは、冬という重しから解放されたような気分になるからだと思う。

その梅の花を見ている時、その裏側の模様が目に飛び込んできた。


これまで何度か目にしているとは思うのだが、まったく記憶に残ってない。
そのため、「梅の花の裏側はこうなっていたのか」と妙に感心して、カメラに収めたのだ。
昔、
<この先は 宇宙に到る 梅一輪>
という句を作ったことがある。
その時は宇宙を感じたのだが、その裏側にこういう宇宙が隠されていることは気づかなかった。
まだまだ見る目が浅い。



2007年02月05日(月) 新しい靴

毎日長時間歩いているために、靴が傷むのが早くなっている。
今まで履いていた靴は、昨年の秋に下ろしたのだが、もう底が擦れてしまい、歩くたびに腰や膝に響いてくるようになった。
そこで、前に買い置きしていたニューバランスの靴を下ろすことにした。
ところが、なぜかその靴は小さくなっていた。
指前の隙間が全くなくなっていたのだ。
最初のうちはいいが、歩いているうちに足は大きくなっていくものだから、これでは長時間歩くことが出来ない。

しかたなく、この間近くのホームセンターで新しいのを買い求めた。
名の通ったいくつかのメーカー品の中から、一番足に合うのを選んだ。
先日職安に行った時に、この靴を下ろしたわけだが、底の部分に工夫が施してあり、腰や膝にまったく負担がかからない。
それはよかったのだが、どうもしっくり来ない。
しかし、何がしっくり来ないのかがわからない。
とはいえ、それで別に不都合はなかったし、「まあ、こんなもんだろうと」いうことで、翌日もその靴を履いてウォーキングに出かけた。
ところが、途中から右足の親指が痛みだしたのだ。

この日記にも書いたが、11月に一度足を痛めたことがある。
あの時と同じ場所が痛い。
そのため、最初はあの時の痛みが再発したのかと思った。
だが、そうではなかった。
あの時は靴を脱いで歩いても痛かったのだが、今回は靴を履かないと大丈夫なのである。
それだけではない。
試しに他の靴を履いて歩いてみたのだが、まったく痛みはないのだ。
ということは、新しい靴が合わないということになる。

そこで、新しい靴のどこが悪いのかを調べてみた。
すると、靴の縫い目が親指のつけ根の所にあるのだが、右と左を比べてみると、右のほうがふくらみが少し大きくなっているのを見つけた。
それが指を押さえつけていたのだ。

先にも書いたが、今回はメーカー品の中から一番足に合うのを買ったつもりだ。
とはいえ、所詮ホームセンターで売っている靴である。
靴の卸屋は、まず専門店にいい靴を持っていき、残りをホームセンターに卸すというのを聞いたことがある。
なるほど、その程度の靴だったというわけだ。
仕事履きならともかく、運動用の靴はちゃんとした店で買わないと、こういうことになってしまうということだ。



2007年02月04日(日) 立春選挙

二、三日前の寒さが嘘のような、実に暖かい立春だった。
今日も昼間にウォーキングしたのだが、歩き始めから汗ばんできて、帰る頃にはビッショリになっていた。

さて、今日は北九州市長選挙の日だった。
夜9時からの選挙速報を見たのだが、放送が始まったとたんに当確が出てしまった。
自民・公明推薦の候補者は、麻生外相や安倍首相の奥さん、その他なぜか「つんく」が応援に来ていたのだが、だめだった。

結局当選したのは民主・社民推薦の候補者だった。
これまでの市長とは路線が変わるのだが、あまり期待はしていない。
この人が衆議院議員だった時も何も変わってはないのだから、期待するだけ馬鹿らしい。
「男は子どもを仕込む機械だ」くらい言ってくれれば面白いのだが。



2007年02月03日(土) 雪の筑豊線



上の写真は昨日撮ったものである。
これにSLを走らせて、「北海道の風景です」と言っても通用するかもしれない。
が、どう見ても周りの風景が違う。

実はこれ、JR筑豊線である。
今はローカル線化してしまっているが、かつて石炭産業が盛んな頃は、この線路をたくさんの貨物車が走っていた。
その貨物車が積んでいたのはもちろん石炭で、SLがそれを引っぱっていた。

通学時いつも踏切で待たされたものだ。
その間暇なので、よく友だちと何両連結しているか数えていた。
だいたい50両前後で、たまには60両近く繋いでいるのもあった。
より多い車両を数えた日は鼻が高かく、その日一日自慢していたものだった。

その頃の運転士は粋で、ぼくたちが手を振ると、手を振ってくれたり、汽笛を鳴らして返してくれたりしていた。
これが嬉しくて、毎日小学校の行き帰りに手を振っていたものだ。

当時、まだ西鉄のチンチン電車が走っていたのだが、チンチン電車の運転士はそういうことはしてくれなかった。
まあ、路面電車だったので、そんなことをすると危なかったのだろう。
だが、ぼくたちとしては不愉快だった。
これで西鉄ライオンズが負けようものなら、「あんな運転士がおるけ負けるんたい」となっていた。
ちなみに今のJRは、そんなことはしてくれない。
第一、速さが違う。



2007年02月02日(金) 大雪(?)

昨日の天気予報で、今日は積雪の恐れがあると言っていた。
だが、夜中は月が出ていてその気配すら感じなかった。
ところが朝起きてみると、窓の外は銀世界だ。
しかも、まだ雪は降り続いている。
テレビでは交通機関が運転を見合わせていたり、都市高速が不通になっている旨を伝えていた。
今日もウォーキングを予定していたのだが、それを聞いてちょっと躊躇した。

昼前、気が進まなかったもののとにかく出発することにした。
まだ雪はちらほらしているし、風は冷たい。
神社に着いた時には、激しくあられが降ってきた。
傘も持ってきてなかったし、今日はこれで戻ろうと思った。

ところが神社を出たとたん、突然日がさしてきたのだ。
それと同時に、道に積もっていた雪が溶けだした。



その後1時間近く歩いたのだが、歩き終わる頃には、道ばたの雪はほとんど溶けてしまった。
九州の雪なんて所詮こんなものである。
すぐに溶けてしまう、根性なしの雪なのだ。



2007年02月01日(木) 寒い一日

今日は職安の日。
いつものように歩いて行った。
行きは日が照っていてそれほどでもなかったが、帰りは日が雲に隠れたせいでかなり寒かった。
いや、寒さを通り越して痛く感じた。

おまけに風が強い。
普段なら歩いているうちに体が温まってくるものだが、今日は温まりかけた時に冷たい風が吹き、熱を打ち消すのだ。
いちおう温まりかけたものだから汗もにじんでいたが、風が吹くと汗は即座に冷水に変わる。
きっとこれが痛みを呼んだのだろう。

今日の最高温度は6度だった。
だが、実際はそこまでなかったのではないだろうか。
しかも寒いというイメージが、体感温度をさらに低くしてしまっているから、おそらく今日のぼくの体感温度は0度くらいではなかったか。

それにしても、氷点下でもないのに痛く感じるくらいだから、おそらくぼくは、北国では生活が出来ない人間なのだろう。
いや、氷点下なら痛みを通り越して神経が麻痺してしまうだろうから、案外耐えられるかもしれない。
ただ、凍傷や凍死は必至だろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加