昨日、期日前投票に行ってきた。 先日お話しした市長選である。 最初から誰に入れるか決めていたので、投票をすませてさっさと帰ろうと思っていた。
期日前投票の手続きを済ますと、係員が変なことを聞いてきた。 「本日は、市長選挙と市議会議員の補欠選挙でお出でですか?」 (え?)市長の選挙は知っていたが、市議会議員の補欠選挙なんて、ぼくの頭の中にはない。 そういえば新聞に載っていたような気もするが、告示の看板には市長選に出る3人しかポスターが貼ってなかったので、他の地方自治体のことだろうと思っていた。 ところが、それは勘違いだったようで、市議会議員のほうは市長選よりも一週間遅れて告示されたのだ。 しかも、その補欠選挙はうちの区だけだったのだ。
しかし、ここで「補欠選挙のことは知りませんでした」なんて言うわけはいかない。 いちおう曖昧に「はい」と返事しておいたものの、そういうわけだから市議会議員に誰が立候補しているのかも知らない。 市長の選挙をすませたあと、市議選の候補者の名前を見てみたのだが、そこには経歴も何も載ってなかった。 ぼくは別に支持政党があるわけではないのだが、こうなったら市長と同じ党の人を入れるしかない。 投票用紙をもらって書き込むまで、おそらく5分近くはかかっただろう。 ようやく投票をすませたぼくを、係員は怪訝な顔で見ていた。
そういえば、期日前投票の手続きの時に、何でその日に投票所に行けないのかという理由を選択させられた。 いちおう『仕事のため』というところに○をしておいたが、無職の男に仕事なんてあるわけはない。 本当は当日投票所で並ぶのが嫌だったからである。
27日の日記に書いた健康枕を使ってみたのだが、やはり寝返りが打てないので、朝起きると体中が痛い。 そのせいでまた頭が痛くなってきた。 もうこの枕は使えない。
ということで、今日イオンに行って新たな健康枕を買いに行った。 何種類か健康枕があったが、どれも似たり寄ったりで、これまで使っていた健康枕と同じく後頭部にくぼみがある。 本当にそういう枕はいいのだろうか。 仮にいいとしても寝返りが打てないと何にもならないと思うのだが。
そこで選んだのが、寝返りが打てると明記している枕だった。 布団で有名な西川の製品で、値段は若干値が高かったものの毎日頭痛や体の痛みに悩まされるよりはいいだろう。
家に帰ってからさっそく試してみたのだが、首の座りが実にいい。 また、後頭部のくぼみも少なく寝返りが打ちやすい。 これなら肩も凝らないだろうし、背中や腰にも負担はかからない。 ということで、頭痛からも解放されることだろう。
中学の頃、日曜日の午後にテレビでよくやっていた映画がある。 勝新太郎主演の『兵隊やくざ』シリーズである。 ぼくはこの映画が好きで、いつも見ていた。 規律の厳しい軍隊という枠に縛られずに、好き勝手やっていた大宮上等兵(勝新太郎)の行動が実に痛快だったのだ。 これは学校内でもけっこう評判になり、この映画を見てないと月曜日の話題について行けなかったものだ。
さてこの映画、モノクロだったせいで、その後はテレビでやらなくなった。 そういうことがあり、だんだんその映画の存在を忘れていった。 十数年前だったか、一度ビデオで発売されたことがある。 が、その時はさほど見たいとは思わなかった。
ところが最近、なぜか『兵隊やくざ』の夢を見るようになった。 別に自分が『兵隊やくざ』の中に登場しているわけではない。 その映画を見ている夢だ。 「何で今頃、『兵隊やくざ』の夢なんか見るのだろう?」 と不思議に思っていたら、その答がスカパー!の中にあった。 何気なく番組表を見ていると、そこに『兵隊やくざ』の文字を見つけた。 いつ放送するのだろうと調べてみると、27日と28日になっていた。 つまり一昨日と昨日で、シリーズ全作品を一挙放送するのだ。
「あの夢は、『この映画を見れ』という神様のお告げだったのかも知れん」 と、ぼくは全作品を録画することにした。 全部で9作だが、これを全部見たら何かいいことでもあるのだろうか? とりあえず昨日と今日で1作ずつ計2作見たが、中学の頃を思い出しただけだった。
昨日から若干寒くなった。 ウォーキングしている最中、顔や手が痛く感じる。 歩いているうちに温もってはくるものの、温もるまでの時間はこれまでよりもずっとかかっている。 汗の出方もちょっと減っているようで、2,3日前ほどは汗をかかない。
寒くなったとはいえ、別に厚着をして歩き回っているわけではない。 11月頃と同じくかなり軽装をしている。 歩き回るから軽装なのかというとそうではなく、例えば普通に出歩く時もさほど変わらない。 それでもあまり苦にならないのだ。 地元のテレビやラジオでも、厚着をしている人をあまり見かけないと言っていたし、やはりこの冬は暖冬なのだろう。
前に寒さのせいで痛くなるようなことを書いたが、あれを書いてからいろいろ考えてみたら、頭が痛くなったのは、どうもその時からではないようなのだ。 年末だったが、風呂に入っている時、タオルを取るのに体をひねり、そのとたん頭が痛くなったことがある。 その痛さは尋常ではなく、これ以上無理したら頭の血管が切れるんじゃないかと思ったほどだった。 それ以来、無意識に頭の痛みを気にしていたような気がする。
それを思い出してから、高血圧が原因かと思い、血圧を測ってみた。 しかし、血圧は若干高いものの、一昨年の健康診断の時とあまり変わらない数値である。 とりあえず黒酢などを飲んで、血圧を押さえることに努めた。 おかげで、血圧は正常数値に近づいている。
だが、頭のほうは相変わらず痛いままなのだ。 これだけ頭痛が続くということは、他に原因があるのだろう。 そう思って、いろいろと過去のことを思い出してみた。 49年生きてきた中で印象に残っている痛みは、小学4年生の時の虫歯の痛みと、21歳の時に突然襲った胃けいれんぐらいだが…。
あ、もう一つあった。 6年ほど前に頭痛に悩まされたことがある。 結構長く続いたので、その時はさすがの医者嫌いのぼくも怖ろしくなって、医者に行ったのだった。 そこでいろいろ検査を受けたのだが、その時の医者の診断は『肩こり』だった。
そのことを思い出し、さっそく肩をまさぐってみると、すごく硬くなっているではないか。 腰や背中のコリがひどいので気がつかなかったが、肩も充分に凝っていたのだ。 そこで肩こりをほぐす運動とかをやってみた。 それで何とかコリがほぐれ、頭痛のほうも治まった。
ところが、翌日になるとまた頭が痛くなるのだ。 特に朝がひどい。 朝がひどいということは、頭痛の原因は就寝中にあるということだろう。 そういえば、前に何かの本に「枕が合わないと、肩こりや頭痛になる」というようなことが書いてあったのを読んだことがある。
ということは、枕が影響しているのか。 ぼくが使用している枕は、どこにでも売っているようなソバ殻のタイプである。 以前は健康枕を使っていた。 後頭部の所がくぼんでいるタイプで、そこに頭がハマってしまうとなかなか寝返りが打てない。 それが嫌で今のタイプに換えたわけだが、もう一度それを使ってみるか。 寝返りが打てなくても、頭痛になるよりはいいだろう。
うちは西日本新聞をとっている。 ここに引っ越してきた当初、新聞に関していろいろ迷ったのだが、結局ホークスネタ満載の西日本新聞にしたわけだ。 そこには、ホークス戦のチケットをもらえるかもしれないだとか、関連の西日本スポーツを無料で配ってくれるかもしれないだとかという胸算用もあった。
だが、それは甘かった。 昔の西鉄ライオンズの頃なら簡単に手に入っただろうが、ホークス戦のチケットはけっこう手に入りにくい。 そういう貴重なチケットを、株主でもない新聞社が配るはずはなかったのだ。 また、コンビニでいつも真っ先に売り切れる西スポを、タダでくれるはずもなかった。
ただ、年末にホークスのカレンダーやグッズなどをもらえるなどの特典はあった。 しかし、それは取り始めの1〜2年だけで、それ以降は他の新聞と同じように、自社カレンダーに変わった。 さらに昨年末はそのカレンダーももらえなくなった。 購読継続の特典も、他社と同じく洗剤やゴミ袋、よくてビールである。 そういうわけで、西日本新聞もそろそろ潮時かと思っていた。
ところが今日、その販売店が意外な特典を持ってきた。 それは灯油(一缶)だった。 ちょうど切れかかった時だったので、これは嬉しかった。 価格はともかく、買いに行くのが面倒なのが灯油である。 その灯油を無料で、しかも配達までしてくれたのだ。 そういうことをしてもらうと、継続しないわけはいかない。 もし冬時期には毎月くれるというのなら、西スポもとっていいのだが。
ちなみに、実家は50年近く朝日新聞を取っているが、灯油なんてもらったことはない。 嫁ブーの実家も朝日だが、オーブントースターなどの安価な電化製品はもらったことがあるが、灯油はないということだった。 どちらも年寄り住まいで、灯油を買う時には苦労しているみたいだから、西日本新聞を勧めてみようかなあ。
車を運転している時、抜かされたり割り込まれたりすると、つい「この野郎!」と思ってしまう。 笑顔の効用を知って以来、そういう時もなるべく笑顔でいることに努めている。 だが、長年の習性なのか、どうも「この野郎!」のほうが勝ってしまい、心をそちらに奪われてしまう。 そうなると、思考は変な方向に走ってしまう。 抜かし返そうと思ったり、割り込み返そうと思ったりして、実に危険なのである。
せっかく笑顔で福を呼ぼうとしているのに、事故に遭いでもしたら台無しだ。 そこで「この野郎!」を押さえる何かいい方法はないものかと考えてみた。 そういえば、ちょっと前に『魔法の言葉』の本のことを書いたが、そこに「嫌なことがあっても『ありがとう』と言え」と書いていたのを思い出した。 そこで、笑顔にその言葉を加えたらどうなるのかと、実験してみることにした。
まず、いつも心の中で「ありがとう」と繰り返し言い続け、それを癖にしておく。 癖にさえしておけば、仮に「この野郎!」と思っても、「ありがとう」が打ち消してくれるはずだ。 その実験を始めてから三日しか経ってないので何とも言えないが、とりあえず「ありがとう」のおかげで怒りの時間が短くなっているようである。 これを続けていけば、何があっても「ありがとう」でいることができるようになることだろう。 そうなれば、笑顔の効果も確実に増すと思う。
『笑う門には福来たる』という言葉があるが、昔それを実践していたことがある。 しかし、いつも声を出して馬鹿笑いしていたので、周りから迷惑がられていた。 それでしかたなく笑うことをやめていたのだが、それ以降はあまりいいことがなかったような気がする。
先日のことだった。 ある本で読んでいると、ある人の成功談が載っていた。 常に笑顔でいるといいことがあると聞き、それを実践していると、本当にいいことがあったというのだ。 その人は、いつもニコニコしていただけだと言う。 それを読んで、かつて馬鹿笑いしていた自分を思い出した。 そうなのだ、あの頃は声を出して笑っていたから迷惑がられたのだ。 別に声を出すことだけが笑いではない。 ニコニコしていることだって立派な笑いである。 それなら周りに迷惑はかからないだろう
ということで、ぼくはさっそくニコニコと笑顔でいることを始めた。 もちろんウォーキング中にもやっているが、どうも道行く人とすれ違う時に、変な目で見られているような気がする。 それが気になって、小学校の横を歩く時などは、「『おかしな人がニヤニヤしながら小学校のそばをウロついています』と通報されるかもしれない」などとつい思ってしまう。 でも、そんな時にもぼくは笑顔でいることにしている。 笑顔でいるといいことがあると信じたからだ。 いろんなことがあるだろうが、きっとそれが福を呼ぶだろう。 そう願っている。
夕方のニュースで、北九州市内で「三ヶ月ほど前から付近でガスの臭いがする」と通報があり、調べてみると地中に埋めてあるガス管が破れていたと言っていた。 これまで大事に至らなかったのは、天然ガスだったためで、これだと一酸化酸素中毒になるようなことはなく、また天然ガスは空気中で分解するので火災になることはないらしい。
おそらくは北海道のニュースを見た住民が不安に思い通報したのだろうが、三ヶ月も前から臭いがしていたのなら、なぜすぐに通報しなかったのだろう。 まあ、同じ市民だからわからないことはない。 都市部に住んでいる人間は、異臭に鈍感なのだ。 これは工場が近いからで、もし建物の中の異臭ならすぐに大騒ぎになるのだろうが、外での異臭は「いつものこと」と流してしまうのだ。
しかし、それを考えると、ちょっと恐い。 例えば毒ガスなどを撒かれても、「いつものこと」と流してしまい、鼻を覆うようなことをしないだろうからだ。 ゴミ袋代や給食代も大切だろうが、新市長には、この市が抱えている潜在的な異臭問題を何とかしてもらいたいものだ。
今はパンが中心になっているが、学生の頃までは朝食といえばご飯が中心だった。 だが、納豆を食べた記憶はない。 別に納豆が嫌いなわけではないが、食卓には並ばなかったのだ。 このへんは、母が関西出身ということと関係があると思う。 もし関東出身だったら、間違いなく納豆が並んでいたことだろう。
その納豆、ぼくが初めて納豆を食べたのは、小学4年頃だったと思う。 臭いには閉口したが、食べてみると案外おいしかったのを覚えている。 しかし、病みつきになると言うほどでもなかった。 混ぜるのが面倒だったし、ネバネバが指などに付くのが嫌だったので、敬遠していたのだと思う。 その敬遠は今でも続いていて、納豆は年に1,2度しか口にしない。
ところで、その当時朝食に何が並んでいたのかというと、明太子である。 今でこそ明太子は価格が高いが、かつては魚並みの値段で売っていた。 あの頃は食卓に明太子が並んでいると、「また明太子か」とぼやいていたものだ。 今となっては贅沢な話である。
北九州市長選の告示があり、3名の候補者が立った。 数日前から選挙カーがうるさい。 その中で気になることを言っている選挙カーがあった。 「ゴミ袋を無料にし、中学生の給食費は取らない」らしい。 こういう公約をするのは、だいたいK党が多いが、案の定そうだった。 相変わらず、その折々の時事問題に「NO!」と言っているだけの、付け焼き刃的な公約である。 仮にその人が当選して公約が実行された場合、いったいそのゴミ袋や給食費の財源をどこから捻出するのだろうか? そのせいで市民税を上げられたら、たまったものではない。
それはそうと今回の立候補者だが、北九州生まれは一人もいない。 まあ、一人だけ北九州市郊外の人がいるが、あとの二人は他県出身者である。 そういう人たちが、この市にある歴史的な問題を解決してくれるとはとうてい思えない。
朝起きて気がついたことだが、寝室の窓が半分ほど開いていた。 今日から大寒だから、もし暦通りの気候だったら確実に風邪を引いてしまっていたことだろう。 だが、昨夜は寒くなかったし、明け方の冷えなどもまったくなかった。 やはり今年は異常気象なのだろう。
しかし、こういう時は、忘れた頃、例えば2月や3月あたりに突然寒くなることが多いものだ。 2月の末は四十九日だし、そういう時にドカッと雪が降られたら困る。 親戚宅は車で30分くらいの場所にあるのだが、もし車が使えないと、バス→電車→歩きで1時間半ほどかかってしまう。 しかも雪が降るとなると、雪に弱いこちらの交通はほとんど機能しないから、ほとんどが歩きということになるだろう。 ただでさえ遠いのに、それに寒さまで加わるのだ。 いったい何時間かかることやら。 寒いのは嫌だけど、寒い時はやはり寒いが一番。 でないと、あとにしわ寄せが来てしまう。
先日親戚から母に四十九日の件で連絡があったらしい。 「来てくれ」と言っていたそうだ。 これでまた何時間か黙り続けるという、修行をさせられることになった。 また、通夜や葬儀の時は、斎場でやったのでいすに座っていればよかったが、四十九日は親戚宅でとり行われるため、魔の正座を強いられることになる。
ぼくは昔から正座がダメである。 過去何度か正座で長時間座っていられるようになろうと努力したが、結局ダメで、今ではせいぜい10分ほどしか座れない。 通夜、葬儀、初七日を通して参加したが、読経は結構長かった。 特に初七日は、読経がすんだあとに「○○和讃」なる小冊子を手渡され、和尚といっしょに読まねばならなかった。 さらに説法が続いたから、葬儀の時よりも時間がかかったのだ。 四十九日も、初七日と同じく法事なのだから、同じ展開になうような気がする。 どうしよう。
ところで、初七日でもそうだったが、遺族以外の親戚はうちの家族しかいなかった。 元々遺族は「参加してくれ」などとは言ってなかった。 法要を終えたあと、後ろの席にぼくたちがいたので意外な顔をしていたくらいである。 そういう遺族が、わざわざ「四十九日に参加してください」と言ってくるのはおかしいと思う。 もしかしたら、親戚付き合い好きの母が、 「四十九日、どうしましょうか?」と尋ねたので、しかたなく遺族が、 「お出でてください」と言ったのではないかと思う。 この調子だと、初盆はおろか、一周忌や三回忌にも付き合わされそうな気がする。
今日も職安まで歩いて行った。 最近は、たっぷり汗をかく歩き方、汗ばむ程度の歩き方、まったく汗をかかない歩き方を使い分けられるようになっている。 おかげで無性に暑い職安の中でも、汗が出て困ることがない。 つまり、職安に行くまでは汗をかかない歩き方をしているわけだ。 しかし、汗をかかないと歩いた気になれない。 そこで、帰りはたっぷり汗をかく歩き方を選択するのだ。 そうすることによって、帰ってから気持ちよくシャワーが浴びられる。
ウォーキングを始めて4ヶ月目になるが、経験はいろいろなことを教えてくれるものだ。
ああそうだった。 このブログ、昨日で7年目に突入したんだった。 3年目、そう一番脂ののっていた時期に、何年か後にはダラダラした文章を書いているんだろうな、などと思ったものだったが、その予想通り今こういうダラダラした文章を書いている。
最初はストレス発散のために文章を書いていた。 ところが、だんだん文章を書くことにストレスを感じるようになってきた。 また、その日の出来事を事細かく書いてきたわけではないので、日記的な価値はほとんどない。 そのへんが、20歳前後に書いていた日記と大いに異なる点である。
そうそう、もう一つその時代の日記と異なる点がある。 それは詩を書かなくなったことだ。 あの頃は、その折々の感情を下手な詩で表現していたものだった。 今回のこの日記には、そういう感情の表現は極力避けてきたのだ。 詩は載せているものの、それはあくまでも昔の日記からの引用で、この日記のために書いたものではない。
昔のような日記を書いてみようと思ってはいるが、それはこのブログが終わる今年の11月以降のことにしたい。 このブログは、あくまでもストレス発散のために始めたものだからである。
毎年この時期になると、ニュースなどで「どんど焼き」の模様を伝えているが、ぼくはこれまで一度も行ったことはない。 たまたま嫁ブーが休みだったので、「行ってみようか」ということになり、昨日ぼくにとっては生まれて初めてのどんど焼きに行ってきた。 神社はいつも行っている神社だ。
年中行事だから人が多いかもと思い、車で行くのを止め、歩いて行った。 だが、ほとんど人はいず、駐車場に駐まっているのは消防車と他一台だけだった。 神社の鳥居をくぐると、さっそく物を燃やしているにおいが漂ってきた。 だがそのにおいは、期待していた木や藁の燃えるのにおいではなく、ビニールの燃えるにおいである。 本殿に上り、目に入ってきた風景は、とても「どんど焼き」と呼べるような神聖なものではなかった。 何人かの消防団員が、談笑しながらたき火を楽しんでいただけである。 祭り的なものかと思い少しは期待していたのに、これにはがっかりした。
さて、その坊さんだが、読経の声がやたら大きかった。 まあ、マイクを使っているせいもあったのだろうが、マイクを感じさせないほど地声がでかかったのだ。 また、普通読経というのは流れるように唱えるものだが、この坊さんは一句一句区切りながら唱える。 しかも区切ったあとには必ずビブラートがかかる。 「ナンマンダブ〜〜〜…」という感じである。
そういうことが気になって、というかおかしくて、居眠りが出来なかった。 せっかくあらかじめトイレに行くなどして準備していたのに、その計画が読経のためにぶちこわしになってしまったわけだ。
しかし前立腺を悪くしている坊さんの、どこにあんな力があるのだろう。 やはり念仏の力だろうか?
葬儀場にはもちろん暖房設備はあったのだが、扉を開けたり閉めたりしていたせいで、さほど暖かくはなかった。 室内なので、身に羽織っているのは礼服のみである。 これでも動いていれば何ということはないのだろうが、葬儀中に動くわけにはいかない。 ということは、その間ずっと寒い思いをしなければならないわけだ。
寒くなると、困ることがある。 それはトイレが近くなることである。 前日は気を遣って疲れた上に、さらに寝不足まで加わっている。 そこで葬儀の最中は居眠りでもしていようと思っていたのだ。 もしトイレがしたくなりでもしたら、その貴重な時間を尿意に奪われてしまう。 しかも、ぎっしり人の詰まった斎場なので、葬儀中は移動が難しいときている。
そこで、葬儀の最中ゆっくり居眠りが出来るように、あらかじめトイレに行っておくことにした。 祭壇の横手にあるトイレに入っていくと、そこに坊さんがいた。 今日の導師である。 おそらくぼくより2,3分前に入ったと思うのだが、チビチビと小便をしていた。 ぼくは軽く会釈をし、その横で小便をした。 それからおよそ1分後、ぼくは小便をし終わってその場を離れたのだが、坊さんはまだ音を立てて小便を流していた。 坊さんがトイレから出てきたのは、ぼくが出てからおよそ3分後だった。 ということで、坊さんは6,7分トイレにいたことになる。 もちろん手を洗う時間はあったのだろうが、小便にいったい何分費やしたのだろうか? もし、そこに便器が一つしかなかったとしたら、けっこう長い時間待たされたはずだ。
その坊さん、おそらくは前立腺が悪いのだと思う。 年はぼくと同じぐらいだったが、きっとぼくより不摂生しているのだろう。
さて葬儀である。 さらに状況が悪化した。 生まれて初めて見る親類がいたのだ。 今度は相手もこちらも知らないときている。 共通の話題は、ぼくの父が独身時代に、その人の親から世話になったということだけである。 ご存知の通りぼくは父を3つの時に亡くしているため、父の話題を持ってないのだ。 それに、相手も父を詳しく知っているわけでもない。
そのことをぼくに知らせたのは従姉妹だった。 葬儀前に従姉妹が「しんちゃん」とぼくを手招きして呼ぶので、行ってみると、そういうことだった。 「親戚やけ挨拶しときなさい」というので挨拶を交わしたが、妙にぎこちない挨拶になってしまった。
とにかく、ぼくは早く葬儀から解放されたかった。 ドラマ『結婚できない男』で、主人公の信介が、たくさんの親戚が集まる法事のあとに「この八つ墓村から早く出たいんだ」というシーンがあるのだが、それを思い出していた。
そんなことを思っている時だった。 後ろのほうから「しんたさん」と、ぼくを呼ぶ声がする。 振りかえると、そこに若い女の子が立っていた。 見ると前の会社でバイトしていた子である。 そうだった。忘れていたが、会社にいた頃、ぼくの従姉妹半にあたる子がバイトをしていたのだ。
その店に赴任した当初は、お互いにそういうことは知らなかった。 いつだったか、その子が痴漢に遭うか何かの事件に巻き込まれたことがある。 その時にその子の母親が事情を聞きに、店長を訪ねて来た。 ぼくはその日ちょうど休みだったので知らなかったのだが、事務所に通され母親は、そこでぼくのネームプレートを見つけた。 そこでその母親は、家に帰ってから娘に「親戚と同じ名前を事務所で見つけたんよ。本人かも知れんけ、聞いてきて」と言ったらしい。
翌日、娘が、 「あのー、しんたさんって、○○町に住んでいるんですか?」と聞いてきた。 「何で知っとると?」 「うちの母、T子というんですけど」 「T子…?」 「ええ、旧姓はTです」 「えっ、もしかしてT子ねえちゃんのこと?」 「そうです」 ということで、親戚であることが判明したのだった。
さて、ようやくここで、ぼくはコミュニケーションのとれる人間を見つけた。 その頃の話や、その頃のバイト生の消息を聞いたりと、これでけっこう時間を消費することが出来たのだった。
その後、葬儀が終わり、初七日も終わらせ、昨日から続いた八つ墓村から解放されたのだった。 次は四十九日の法要になるわけだが、もう行きたくない。
今日もいつものに起きて、いつものように歩こうかと思っていた。 ところが、朝の電話でその計画が崩れてしまった。 父方の義伯母が亡くなったのだ。 そのため午前中に弔問、夕方からは通夜に行くことになってしまった。
父方の伯父とは、もう10年近く会ってない。 またその子どもたち、つまり従兄弟たちには、高校生の頃に長男の結婚式で会ったっきりである。 従兄弟には、あと長女と次男がいるのだが、長女の結婚式には呼ばれなかったし、次男は結婚してない。 一方、ぼくのほうは結婚式を挙げてないから、当然呼ぶことはない。 そういった事情があり会う機会がなかったわけだ。
ということで、伯父一家と久しぶりに会ったわけだが、特に従兄弟たちとの30年数間のブランクは大きい。 彼らは高校生までのぼくしか知らないから、いいおっさんになったぼくにどういう対応をしていいか戸惑っているようだったし、ぼくも団塊前後の世代で、すでに孫のいる彼らとどう接していいのかわからなかった。 しかたなく、ちょっと挨拶を交わしただけで、あとはずっと黙り通して通夜を切り抜けたのだった。
歩くことに関して何ら厭わなくなった。 ウォーキング的な歩き方をすれば、昨日書いたように汗をかき、それが元で風邪を引くようなことになってしまうわけだが、普通に楽に歩けば汗もかかない。 そのため1時間程度の場所なら、進んで歩いていくようになっている。 今日は職安に行ったのだが、行きも帰りも歩いた。 家から職安までは4キロ程度だから、歩いて40分である。
以前はこの40分が辛かった。 歩いている途中に、「まだこんなところを歩いているのか」と息をついたものだった。 ところが今は、「もうここまで来たのか」と思うようになっている。 この差は大きい。 ノンストップで歩いても、まったく疲れないのだ。 いっそウォーキングはやめて、2時間程度散歩することにするか。 そうすれば、汗もかかずに運動することが出来るのだから。
秋頃はウォーキング中に汗をダラダラかいていたのが、最近はなかなか汗が出ない。 もちろん気温が低いからである。 それでも30分ほど歩くと汗が出だす。 体も温まったし、さあこれからというところで冷たい風が吹くのだ。 これで汗は一度に引いてしまう。
まあ、汗が引くのはかまわないのだが、いったんかいた汗がなかなか乾かないので困っている。 もちろんそのまま家まで歩いていけば、冷えることはない。 だが、ぼくのウォーキングは、途中で必ずスーパーに寄って買い物をするというプログラムになっている。
このスーパーがくせ者なのだ。 生鮮食品を置いているために暖房が入ってない。 そのために、しばらくスーパーにいると、汗で湿ったシャツがだんだん冷えてくる。 買い物を終え、その状態で外にでるものだから、体が冷えてしまう。 つまり、雨で濡れたまま冬空の下を歩くようなものである。
おかげで、このところ体調が悪い。 最初は血圧が高いせいだと思っていたが、測ってみるとさほど高くもない。 あれこれ考えていくうちに、スーパーでの冷えに思い当たった。 おそらく風邪の初期症状だろうが、扁桃腺が腫れているようなのだ。 唾を飲み込んだ時のどに違和感があるし、首筋がすぐに凝ってしまう。 また微熱が出て、頭も時々痛くなる。 ぼくの性格からして、毎日ただ歩くだけだとすぐに飽きてやめてしまうだろうと思い、スーパー経由をプログラムしたわけだが、これが仇になっているわけだ。
やはり、ただ歩くだけにしておいたほうがいいのか? しかし、そうすると、ウォーキングを確実にやめてしまうだろう。 困った。
上の写真は、有名な『飛び梅』である。 そう、今日太宰府天満宮に行ってきたのだ。 あいにく飛び梅のほうは、まだつぼみ段階で、一輪も咲いてなかった。 が、今日はいい天気だった。 風は少し冷たかったが、日差しは春を思わせた。 この調子でいけば、飛び梅は、一週間もすれば咲くのではないだろうか。
天満宮はかなりの人出だった。 日本人はもちろんだが、台湾や韓国の人たちも大勢来ていた。 おそらく彼らは、ぼくたちのような受験祈願という目的ではなく、観光目的で来たのだろう。
さて、お参りをすませたあと、ぼくたちは『お石茶屋』で食事をした。 『お石茶屋』での食事は、ぼくが太宰府に来る楽しみのひとつである。 昔ながらの茶店で、飾り気のない素朴な店造りが痛く気に入っている。 かつて観梅のシーズンになると、ぼくはここでおでんをつまみながら一杯やっていたものだ。 今日は車で行ったために、残念ながら酒は飲めなかったが、それでも風情を味わいながら昔を満喫できた。
お石茶屋の店の中である。 暖房は各席に配置されたストーブのみで、電気暖房の類は一切ない。 これがまたお酒をおいしくしている。 が、何度も言うようだが、今日はお酒は飲めなかった。
2007年01月08日(月) |
ウォーキング中の頭痛 |
正月以降、何日か寒い日があったが、そういう日にウォーキングするとなぜか頭が痛くなる。 最初は、風邪の引き始めじゃないかと思っていた。 ところが、家に帰ると、すぐに良くなってしまったのだ。 寒くない日にはそういう症状は出ないし、これはどうも風邪ではないようだ。
その原因が二つあるように思える。 一つは耳の冷えである。 耳が冷えると、耳はもちろん、こめかみのあたりも痛くなるのだ。 それがそのまま頭痛につながっているのではないか。 もう一つの原因は首の冷えだ。 寒い風を受けると、首筋にどうしても力が入ってしまう。 そのせいで、首筋がこる。 そのコリが、そのまま頭の神経につながっているのではないだろうか。
今月は10日から15日まで寒く、それ以降は比較的温暖だということだ。 あと1週間は、この痛みと付き合っていかなければならない。
そういえば、このブログもあと10ヶ月で終わるのだった。 なぜあと10ヶ月なのかというと、このブログを始めた頃に「50歳になるまで毎日書く」と公言したのだが、今年の11月で、その50歳になるからだ。 このところかなり遅れ気味に書いているものの、いちおう日にちは埋めている。
ということで、あと300回少々これを続ければ終わりになるわけだが、これがなかなかうまくいかない。 とにかく無職中のために、日々の変化がほとんどないのだ。 人と会わないから人ネタが書けないし、仕事をしてないから仕事ネタも書けない。 結局内容がマンネリ化しまい、来訪者も極端に減ってしまった。
「来訪者が少なくなったということは、もう止め時だということだろう。これを機にブログをやめてしまおう」と一度は思った。 公言についても、「あれは数えの50歳という意味だった」とごまかしておけばいいし…。 しかし、根が真面目なのか、どうしてもそれが出来ない。
こうなったら、写真や歌などでしのいでいくか。
今年の初夢は、印象的なものではなかったので覚えていない。 ありきたりな、どうでもいいような夢だったと思う。 今年に入ってからは、ずっとそういう夢ばかり見ている。 そういうわけで、今年は大したことのない年なんだろう、と勝手に占っていた。
ところが、今朝見た夢はかなり印象的なものだった。 それも、これまでに見たことのない、SF的なものだったのだ。 タイトルをつけとしたら、『30年前ツアー』ということになるだろうか。
何かこの世の終わりがきているような場面から、夢は始まった。 案内の者がしきりに、 「宇宙に行かれる方はこちら、30年前に戻られる方はこちらにご乗車下さい」と言っている。 どうしようかと迷ったあげく、ぼくは30年前行きの乗り物に乗ったのだった。 そこで元いた会社の先輩に会う。 「あっ、しんちゃん」 「Tさんもこれに乗るんですか?」 「うん。これに乗って、もう一度やり直してみようと思う。あんたもそういう意図で乗ったんやろ?」 「それもあるんやけど、あの時代をもう一度見てみたいんですよ」 「なるほど。しかし、これが着いた頃には、お互いまた知らん同士になるんやね」 「ああ、そうなるんでしょうね」
その乗り物は1日10年のペースで、時間を遡っていった。 窓の外の風景がだんだん昔に戻っていき、空は公害のせいで霞んでいく。 3日目、ようやくタイムマシンは30年前に着いた。 その時には、もう先輩の姿は見えなかった。
懐かしい街並みの中に、亡くなった伯父の姿を見つけた。 「しんた、釣りでも行くか?」 30年前ならすぐに「行く」と返事したのだが、その時は違った。 ちょっと躊躇したのだ。 ぼくはあることに気づいた。 ちょっと躊躇するのは、今の自分なのだ。 伯父がぼくに気がついたのだから、確かにぼくの容姿は30年前に戻っていたのだろうが、心はそのまま今だというわけだ。
釣りに行くかどうか迷っているうちに、夢は覚めてしまった。 もしこれが初夢だったとしたら、この一年をどう判断したらいいのだろうか? 懐古的になるということか。 しかし、それなら今までと何ら変わらない。
今年初めて宗像大社に行ってきた。 ぼくが毎年三が日に宗像大社を参拝しない理由は、周辺がいつも渋滞して、駐車場になかなか入れないからだ。 そのため今日の参拝となったわけだが、ちょっと読みが甘かった。 さすがに渋滞はしてなかったが、約1000台収容出来る駐車場はほとんど満車状態だった。 警備員の指示に従って車を進めて行っても、なかなか空いた場所が見つからず、何度も駐車場内を回っていた。
しかし、さすがメジャーな神社は違う。 元日だけ賑わう地域の神社と違い、こちらはまだかなりの人出があった。 出店が多く立ち並ぶ参道には、多くの人が往き来して、なかなか前に進めなかった。
当初は太宰府天満宮行きも考えていたが、宗像でこれだけ人出があるのなら、太宰府はさらにすごい人出だろう。 ということで、今日の太宰府行きは諦めて、家に帰った。 だが、姪の大学入試祈願をしなければならないので、今月中に行かなければならない。 今は初詣客が多いから行けそうにない。 その先は受験客で賑わうだろうし、2月だともう遅い。 さて、いつ行くことにしようか?
年末年始の番組をたくさん録画してしまったため、録画容量が残り少なくなっている。 早く見てしまわないと、来週からのレギュラー番組が録れなくなる。 とりあえず映画やドラマ以外は『はねるのトびら』と『お笑いウルトラクイズ』を見れば充分なので、いよいよ容量がなくなったら、それ以外は消してしまうことにしよう。
一番多くかさばっているのが映画である。 特に竹内力絡みのものが多い。 しかし、これらは消したくない。 かと言ってDVDに保存するほどでもないから、これらを早く見てしまい、スペースを確保するしかない。
しかし、DVDレコーダー(HDD内蔵)は、かなりの時間録画出来るようになっているが、すぐに容量がなくなってしまう。 先の映画のようにDVDに焼くほどではないが、何度か見たいものは、ずっと消さないで残していることが多い。 こういうことの積み重ねが、容量を少なくしているのだろう。
そういえば、うちのレコーダーの中には、2年前にスカパー!から録った映画やドラマが、まだ残っている。 例えば『寺内貫太郎一家』などは全話(30話)入ったままだ。 これは保存する目的でとりあえずハードディスクに録画しておいたのだが、そのうちの何話かが天候の関係での映像が途切れているため、全話正常に録画出来るまでDVDに焼く気が起きないのだ。 で、次にいつ放送するのかというと、それが未定なのである。 こういうのが何十時間も容量を食っているわけだ。
まあ、新しく機械を買えば、こういう問題も起きないのだろうが、容量の多い機械は、まだまだ価格が高い。 それに機械を増やしても、今のようなやり方をやっていけば、結局また容量が足りなくなる。 何かいい方法はないだろうか?
今無性にカレーライスが食べたい。 昔はおせちを食べ飽きたので、そろそろ普通の食事を、というのでカレーを欲したことがある。 が、今年はそうではない。 毎日おせちばかり食べていたわけではないし、昔ほどカレーが好きなわけではない。 かといって体が欲しているわけでもなさそうだ。 おそれくこれは、習慣なのだろうと思う。 つまり、この時期にいつもカレーを食べていたために、癖になってしまっているようなのだ。
そういえば、昨年もカレー屋で食べたのだった。 しかし、カレー屋のカレーはどこか辛さ勝負みたいなところがあって、ぼくは好きではない。 辛いのがダメなぼくには、やはり自宅で作ったカレー(こくまろの甘口か中辛)が一番舌に合っている。
それにしても、最近のカレーはおいしくなった。 ぼくが幼い頃は、カレーといえば、グリコワンタッチカレーだった。 他にもハウス印度カレーやオリエンタルカレーなどがあったが、どこの店にも置いてあったたのはグリコワンタッチカレーだったので、そればかり食べていた。 味のほうはよく覚えてないが、たぶん余計な味のない、ただのカレールーだったように思う。 しかし、その頃はそれで充分だった。
その後、リンゴと蜂蜜が入ったりして、だんだん味にふくらみが出てきて、今に至っているわけだ。 スーパーに行けば、いろいろなルーが売っている。 レトルト物も含めて、いろいろと食べ比べてみたいとは思っているが、残念なことに、今はさほどカレーが好きではないのだ。 月に一度も食べたら、それで満足している。 その理由は、肉が好きでなくなったからだろうと思っている。
昨日に引き続き神社に行ってきた。 さすがに元日よりはかなり人出が減っていて、今日は待たされずにお参りすることができた。 参拝している人もけっこう年配の方が多く、昨日の深夜にまるで集会のように集まっていた若者の集団はほとんど姿を見せてなかった。
そういえば、ぼくも若い頃には、夜中に初詣に行っていたものだ。 しかし、その頃は地元の神社などには行かずに、太宰府天満宮などのメジャーな神社に行っていた。 それはすごい人出で、広い境内にも人は入りきれず、参道まで行列が伸びていた。 昨日くらいの人出でうんざりするくらいだから、もうああいう所にはとても行けない。
おめでとうございます。
年が明けてから、すぐに初詣に行った。 毎日通っている神社に行ったわけだが、家を出てから帰り着くまで1時間半ほど要してしまった。 家と神社を往復すると30分程度だから、1時間程度神社に並んでいたことになる。 「普段閑散としているローカルな神社にこんなに人がいていいのか?」と思ったほど、人が多かったのだ。 神社前は国道のバイパスが走っていて、もちろん駐車禁止なわけだが、そんなことお構いなしに、たくさんの車が駐まって、1車線塞いでいた。
さて、お参りをすませたあとにおみくじを引いた。 おみくじといえば、ちょうど30年前に三社参りした時、三社とも「大凶」だったことがある。 その年はおみくじ通り、人生最凶の年だった。 そういうことがあったので、ぼくはそれ以来おみくじを信じるようになった。 しかし、信じるゆえにおみくじを引くのが恐く、それ以来あまりおみくじを引くことはなくなった。
その大凶三連発を除くと、この30年でおみくじを引いたのは、5回しかない。 大凶明けの年の正月と、厄年のお祓いをしてもらった時と、マンションを買った時、昨年の正月、それと昨年退職した時である。 どれも当たっていたように思う。
今年は「中吉」だった。 大凶三連発の時と同じく、西暦の下一桁が7の年なので嫌な気がしていたのだが、「中吉」ならそれほど悪くない。 しかも、各項目を見るとこれが実にいいのだ。 大吉並みのことが書かれていた。 これまでおみくじ通りに人生が進んできたので、今回もきっとそうだろう。 つまり、今年はいい年になるということだ。 今年もよろしく。
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