2006年09月30日(土) |
どちらにおかけですか? |
家にいると、よく電話がかかってくる。 そのほとんどが、「奥様いらっしゃいますか?」という電話である。 ぼくが「いません」と応えると、相手は素性も用件も言わずに「それでは、また改めて電話いたします」と切ってしまう。 おそらく勧誘の電話なのだろう。
こういう勧誘電話の特徴は、例えば「しろげさんのお宅ですか?」などと言って相手を確認することもなく、突然「奥様いらっしゃいますか?」としゃべり出すことだ。 もし電話帳を見てかけているのなら、当然「しろげさんのお宅ですか?」と、相手の名前を確認するはずだ。 番号しか書かれていないリストを見て電話をかけているから、前置きなく「奥様いらっしゃいますか?」となってしまうのだ。
しかし、こういう電話をただ受けるだけというのも面白くない。 そこで最近はちょっとその応対を変えている。
今日の昼間、「ポロロロー、ポロロロー…」という呼出し音がなったので出てみると…。 「奥様いらっしゃいますか?」 「すいませんが、どちらの奥様に用があるんですか?」 「えっ…」 「もしもーし」 「○○さんの奥様です」 「○○さんねぇ…」 「は、はい…」 「ああ、残念ですねぇー」 「えっ?」 「うちには○○という名前の奥様はいないんですよねぇ。ちょっと惜しいですけどねぇ…」 「あ、すいません。ガチャッ」
こういう勧誘電話は、マニュアルどおりにしゃべり、マニュアルどおりに応対しているものだ。 今日勧誘電話をかけてきた企業のマニュアルには、おそらく「どちらにおかけですか?」などと聞かれた場合の対応の仕方がなかったのだろう。
「奥様いらっしゃいますか?」ではなかったが、以前かかってきた電話で、やはりこちらの名前を確認せずに、突然用件をしゃべりだしたところがあった。 その時は、今日のように最初から「どちらにおかけですか?」と聞かずに、歯切れよくしゃべる、そのマニュアルどおりの用件を最後まで聞くことにしたのだ。 そして、相手がその用件を言い終わったところで、ぼくは間をおかずに「ところで、どちらにおかけですか?」と尋ねてみた。 どうせ答えられないだろうと思ったわけである。 ところが、相手は「はい、しろげさんのお宅です」と明るく答えるではないか。
しかし、歯切れがよかったのはここまでで、ぼくが「名前と番号をどこで調べたんですか?」と突っ込むと、急に歯切れが悪くなった。 「いや、その…」 「答えられないんですか?」 「‥‥」 「困りましたねぇ。そういう企業とは取引したくないんですがねえ…」 「そ、そうですか…」 「二度と電話しないでもらえますか?」 「は、はい。わかりました。申し訳ありませんでした」 そう言って、相手は電話を切ったのだった。
最初にこちらの素性を名乗り、相手の名前を確認するのは、電話をかける際の最低のマナーである。 勧誘電話は、そういう最低のマナーも守れないような企業がやっているのだ。 そういう企業と、まともに話をするのも馬鹿らしいではないか。 ということで、これからもこういう電話をかけてくるところは、どんどんイジメていくつもりである。
(1) 久々に床屋に行った。 会社を辞めてから二回目である。 前に行ったのが6月だったから、3ヶ月伸び続けていたわけだ。 別に伸ばしていたわけではない。 前々から床屋に行こうとは思っていた。 だが、つい行くのが面倒になって、今日まで放っておいたのだった。
髪が伸びてくると、いろいろと支障が出てくる。 まず髪を洗う時である。 髪が多くなりすぎて、シャワーの水がなかなか地肌まで到達しないのだ。 おかげで、水道代がかかってしまう。
またいったん地肌まで到達してしまうと、今度は乾くのに時間がかかる。 通気が悪いために、表側は乾いても中が乾かないのだ。 最近、気温の低い日にはよく軽い風邪を引くことが多いのだが、それは決まって髪を洗った時だ。 寒気がしたり、頭痛がしたり、鼻水が流れたりするのだ。
もう一つ支障がある。 それはある程度以上伸びると、横や後ろの髪が内側にカールしてしまうということだ。 髪を伸ばすと後ろ髪が外にはねるというのをよく聞くが、ぼくの場合はその逆なのである。 ぼくは高校時代に髪を伸ばしていたのだが、その時もそういうふうに髪がカールしていた。 そのためラーメンやうどんのスープを飲む時(ぼくはレンゲを使わない)に、髪が丼の中に浸かっていたものだった。 前々から床屋に行こうと思っていたのは、最近そういった麺類を食べる機会が増えたためでもある。
(2) さて、今日床屋に行って、髪をばっさり切ってもらったわけだが、その時床屋の姉さんから気になることを言われた。 それは、「髪が黒くなったね」である。 それを聞いて、ぼくはちょっとショックを受けた。 なぜなら、ぼくの持つ自分のイメージが、黒髪から白髪に変わっているからだ。
一昨日写真のことを書いた時にも言ったが、ぼくはすでに黒髪の自分に馴染めなくなっているのだ。 もしこのまま黒髪が増えていっても、頭全体が黒くなるわけではない。 中途半端な黒髪、そう、俗に言う「ごま塩頭」になってしまうのだ。 この「ごま塩頭」ほど見苦しいものはない。 かなり老けて見えるのだ。 今は真っ白な頭のほうが若く見られるのだから、出来たらこのまま真っ白のほうがいい。 いや、そうあってくれないと困る。 なぜなら、この頭が、これから就く職業では、大きな武器となるからだ。
(1) 今日は朝から職業安定所に行ってきた。 失業保険対策のためである。 失業手当というのは、何もしないでもらえるものではない。 常に就職活動をしていなければならないのだ。 その就職活動というのは、企業に出向いて面接を受けたり、職業訓練を行うことだけを指すのではない。 ハローワークでの企業閲覧だけでも、立派な就職活動になる。 というわけで、今日ぼくはその閲覧に行ってきたのだ。
まあ、ぼくのように次の仕事が決まりかけている人間が企業閲覧をしても無駄なことである。 だが、もしそこがダメになった場合に、何も活動をやっていなければ、失業手当はもらえないのだ。 その際に「決まりかけていた仕事がダメになりましたから、失業手当をください」と訴えても、おそらく認定してもらえないと思う。 まあ、先方に経緯の説明などをしてもらえれば何とかなるかもしれないが、その場合はその手続きに奔走しなければならなくなるだろう。 そういう面倒なことをするより、たとえ無駄な閲覧であっても、やっておいたほうがいいわけだ。 つまり、この閲覧が、失業保険をもらうための保険なのである。
(2) さてその閲覧、今日が初めてである。 もちろん15年前の失業の時にやったことはあるのだが、その当時の閲覧というのは、職種別に分かれたファイルを見ることだった。 ところが、今はすべてパソコンでの閲覧である。 希望する勤務地と職種などを入れて検索すれば、その条件にあった企業が出てくるわけだ。
ぼくが職安に希望職種として申請しているのは、販売と営業であるから、まずその項目を調べてみた。 すぐにその結果が画面に出てきたが、その数はかなり少なく、区内だと数件しかなかった。 そこで範囲を広げて、市内で検索してみると、今度はけっこう多く出てきた。 だが、今度は条件面で合わないのだ。 どういう条件かというと、もちろん給与面である。 どれを見ても、40代の平均収入を満たしていない。 酷いところは、4時間パート並みの収入しかないところもあった。 これを見た限りでは、この歳での再就職は非常に難しいと言わざるを得ないだろう。
実家の書棚を整理している時、一冊のアルバムを見つけた。 何の写真だろうと見てみると、以前(前の前)勤めていた会社の仲間と耶馬溪に行った時のものだった。 日付を見ると、昭和59年6月14日になっている。 ぼくは11月生まれだから、この時は26歳だ。
その頃のぼくは、まったく別人である。 痩せているし、黒髪だし…。 痩せているのはともかく、黒髪が似合ってない。 というより、何か違和感を覚える。 これを見ると、「ぼくはきっと白髪になるために生まれてきたのだ」と思わざるをえない。 それほど黒髪がいやらしいのだ。
さて、それらの写真の中に、面白い人を見つけた。 この人もいっしょに行っていたのだ。 「この人」とは誰かというと、嫁ブーである。 見るからに健康的で、体全体にプクプクしている。 まさに脂がのっているという感じである。 ぼくがここに「嫁ブー」と書くようになったのは、おそらくこの時のイメージが、ぼくの潜在意識の中に残っていたためだろう。 それほどブーなのだ。
ところで、この時のぼくのいでたちだが、LEEのジーンズにリーガルのスニーカー、上はBVDのTシャツである。 ジーンズとスニーカーはすでにない。 ところがTシャツは健在で、いまだによく着ている。 とはいえ、オレンジ色なので、この歳になって表に出すのは若干抵抗がある。 そのため、もっぱらアンダーシャツとして利用しているのだ。
それを買ったのは東京に出る前だったから、もう30年ほど着ていることになる。 そういえば、すでにないとは書いたが、LEEのジーンズも20年間はき続けたのだった。 どちらもそれなりに高かったのを覚えているが、やはりいい物は長持ちするものである。 おそらく、今着ている中国製のTシャツは3年と持たないのではないだろうか。
今日の昼食も外食だった。 今日は嫁ブーが休みだったので、ドライブがてら二人で食べに行ったのだ。 が、入った店は、ごく近くの居酒屋だった。 もちろん酒は飲んでいない。 そこのランチがおいしくて有名だというので、行ってみたのだ。
なるほど噂どおりの味だった。 日替わり定食を食べたのだが、まず吸った味噌汁で、おいしい店だとうことがわかった。 味噌にこだわりを持っている店というのは、全体的に味がいいものだ。 どこの味噌か聞くのを忘れたが、近辺の味噌でないのは確かだ。
以前行った店の味噌汁がえらくおいしかったので、どこの味噌を使っているか聞いたことがある。 「この味噌汁おいしいですね」 「そうでしょ。味噌がいいんですよ」 「味噌か…。W味噌(地場の味噌)とかじゃないでしょ?」 「ええ違います。うちは田川の味噌を使ってるんですよ」 ということだった。
今日入った店も、似た味がしていたので、おそらく同じところの味噌を使っているのだろう。 そこで、味噌の銘柄を聞いてみようと思った。 ところが、その店の店主は、いささか頑固者臭いのだ。 そのため、銘柄を聞くのはやめた。
なぜ聞くのをやめたのかというと、過去にこんなことがあったのだ。 高校時代に、お好み焼きのソースがえらくおいしい店があったので、軽い気持ちで「どこのソースを使ってるんですか?」と聞いたことがある。 ところが、店主はぼくを同業者の息子とでも思ったのか、急に怪訝な顔をしたのだ。 その次に行った時も、店主はぼくの顔を見るとやはり怪訝な顔をした。 結局その店に行きづらくなり、以来二度と行かなかった。 それ以来、店でそういうことを聞くのを躊躇するようになったというわけだ。
そういう苦い思い出があるため、今日も味噌の銘柄を聞くことが出来なかった。 案外、簡単に教えてくれたかもしれないが、心に残っている傷がそれをさせなかったのだ。 しかし、聞かないことには、永遠にその味噌を手に入れることは出来ないだろう。
しかし、お好み焼きのソースは、意外なところから知ることが出来た。 社会に出てからのことだった。 家でお好み焼きを作った時に、母が「このソース、最近発売されたんやけど、使ってみる?」と言われ使ってみたら、何と高校時代に行った店で食べた味と同じだったのだ。 そのソースというのは、あの「おたふくソース」である。
まあ、そういうこともあるので、ひょんなことから手に入れることが出来るかもしれない。 要は、「手に入れたい」と強く思って、諦めないことだ。
2006年09月25日(月) |
【日曜日のイオン】【楽しい超能力】 |
【日曜日のイオン】 昨日、親子丼を食べてから、そのまま歩いてイオンに行った。 特に用はなかったのだが、腹ごなしの意味で、ちょっと歩いてみたのだ。 ぼくはしょっちゅうイオンに行っているが、日曜日の昼間に訪れたことは一度もなかった。 本屋にも行きたかったし、ちょうどいい機会だと思ったわけである。
イオンに着くと、駐車場は一杯だった。 これを見て、歩きでよかったと思ったものだった。 とにかく待たされるのが、ぼくは嫌なのだ。 また、駐車場内をグルグル回って空いた場所を探すのも面倒である。 こういったことが嫌だったので、これまで日曜日のイオン行きを避けていた部分もある。
駐車場と同じく店内も賑わっていた。 ぼくとしては、久しぶりの人混みである。 80年4月から今年の3月までの25年間、日曜日というと、いつも人混みの中で、気ぜわしく仕事をしていた。 もういいかげんにうんざりしていたのだが、そういう仕事から離れていると、懐かしく感じるものだ。
【楽しい超能力】 お目当ての本屋に向かっている時だった。 途中にある女性物の店の前で、一瞬場が変わったような感じがした。 「え?」と思って、店の中を覗いてみた。 すると、店の中からぼくを見ている店の女の子がいるではないか。 「こういう店に知り合いはいないはずだけど…」と思って、見ていると何とその子は手を振って近づいてきた。 そして「やっぱり、しんたさんですね」と言った。
よく見ると、3月まで働いていた店にいたアルバイトだった。 タマコの友だちで、ぼくがよくからかっていた子だ。 「お久しぶりでーす」 「おまえ、こんなところで何をしよるんか?」 「私ここに就職したんですよ」 「そうなんか」 「しんたさん、今どこのお店にいるんですか?」 「おれは今、プーよ」 …と、これまでの経緯を一通り話したのだった。
しかし、知っている人と偶然会ったりする時というのは、どうして場が変わるのだろう? どういう風に場が変わるのかというと、その空間がクローズアップされたような感じがして、そこが何か特別な場所のように感じるのだ。
そういえば、今回はなかったが、知人に会う時に、そういう予感がすることもある。 また、「この人にどうしても会わなければならない」と思っていると、ひょんなところで、それも絶妙なタイミングで会うこともある。
やはり人には超能力が備わっているのだろう。 まあ、そういうことを当たり前のことと思っている人にとっては、「何が超能力だ」ということになるだろうが、ぼくは超能力だと思っている。 なぜなら、そう思ったほうが楽しいからである。
2006年09月24日(日) |
日曜日の昼は外食している |
日曜日の昼は、いつも外食している。 会社勤めしている時もそうだった。 日曜日だけはカップラーメンをやめて、外に食べに行っていた。 外食といっても、別に贅沢をしているわけではない。 食べるのは、いつもラーメン、チャンポン、うどんといった類の物ばかりだ。
その外食、以前は車で行っていたのだが、最近は歩いて行っている。 わざわざ車で遠くまで行かなくても、歩いて行ける近場に、それぞれおいしい店があるのがわかったからだ。 だいたい片道15分くらいの距離だから、ちょうどいい運動にもなるわけだ。
さて、今日は当初ラーメンを食べるつもりで家を出た。 ところが、途中まで歩いたところで腹が急激に減ってきた。 そこで腹一杯にならないラーメンはやめ、逆方向にあるうどん屋で丼物を食べることにした。
丼物といえば、以前はいつも吉野屋で牛丼を食べていた。 東京にいた頃からの吉野屋ファンで、お金があればいつも吉野屋に行っていた。 牛丼に生卵を落とし、白菜漬けをつまみながら食べるのが、好きだった。 地元に帰ってきてからも、吉野屋に行けば、そのスタイルは崩さなかった。(スタイルというような大袈裟なものではないが)
吉野屋が牛丼をやめてからは、もっぱら親子丼を食べている。 玉子丼では物足りないし、カツ丼や天丼は食べるのが面倒くさい。 基本的に鶏肉が好きなのもあって、親子丼を選択したのだ。
今日食べた店の親子丼、鳥は地鶏を使っていた。 肉が堅めでコリコリしてしたため、食べにくいという難点はあったが、玉子がじゅくじゅくして最高においしかった。 しかし、親子丼を食べると、歯に肉がはさがる(「挟まる」方言)から困る。 あれさえなければ、チャンポン並みにハマると思うんだけどね。
2006年09月23日(土) |
予定では、今日はつま恋にいるはずだった |
昨年7月に立てた計画通りなら、今頃はつま恋で、吉田拓郎とかぐや姫のコンサートを見ているはずだ。 そのために毎日200円貯金をするなどして、今日のための準備をしていた。 ところが、コンサートの詳細が発表され、計画が狂ってしまった。 それは、当初このコンサートは31年前と同じように、夕方開演の翌朝終了と思っていたが、それが昼1時開演の9時半終了というふうになっていたことである。
最初思っていたとおりであれば、2日間休みを取れば行って帰ってこれる。 だが、昼の1時からだと前日から出発しなければならないし、終演が夜の9時半ということは帰りは翌日になってしまう。 つまり、3日間の休みを取らなければならないのだ。 その頃はまだ会社を辞めるなどということは考えてなかったから、3日間の休みをとることは到底難しい。 そのために、結局つま恋行きは諦めたのだった。
ところが今は、3日間どころか、80日以上も休んでいて、さらにあと一ヶ月以上もそれが続くのだから笑ってしまう。 こんなことなら、つま恋に行けばよかった。 しかし、その時の計画では、「会社を辞める」予定がなかったのでしかたない。
というわけで、今日は午後1時から、テレビでこのコンサートの中継を見ていた。 だが、うちはBSハイビジョンの契約をしてないので、「契約してくれ」という文章が出て、画面を見づらくしていた。 ただ、歌だけは聴けた。 コンサートの雰囲気が体感できないことだけ我慢すれば、これだけでも充分だった。
そのつま恋の模様だが、来月29日にBS2で総集編をやるらしい。 ところが、よほどつま恋に縁がないのか、この日ぼくは東京にいることになっているのだ。 まあ、HDDに録っておいて後で見ればすむ話だが、容量があまり残ってないので、すべて入るかどうかが問題である。 4時間あるらしいので、標準画像でDVDに収めることは出来ないし…。 やはり市販ものが出るまで待っておくか。
昨日の記事で触れた東京行きだが、どうやら来月の27日になりそうである。 もちろん仕事の件で行くのだが、これで失業生活からは、いちおう解放されるだろう。 ようやく光が見えてきたというわけだ。
さて、その日だが、嫁ブーを伴って行こうと思っている。 いや、嫁ブーが仕事に絡んでいるわけではない。 ただ、結婚してから新婚旅行も含めて一度も旅行に行ったことがないので、これがちょうどいい機会だと思ったわけだ。
実は、嫁ブーが「一度も東京に行ったことがないので、行ってみたい」と言っていたのだ。 今回、嫁ブーの仕事の都合はあるものの、三日くらいは休みが取れるらしい。 ということは、仕事の時間を差し引くと、実質的な活動時間は二日である。 まあ、東京ディズニーランドに行くわけでもないし、一日あれば「これぞ東京」と呼べる場所はまわることができる。
で、残りの一日をどうするかだが、これは決めている。 鎌倉に行くのである。 東京に住んでいた頃、あの街独特の落ち着いた雰囲気に浸りに、よく足を運んだものだった。 それで、前々から嫁ブーに鎌倉を見せてやりたいと思っていたのだ。 季節的にもちょうどいいし、北鎌倉からのんびりと寺社仏閣巡りをしようと思っている。 もしかしたら、円覚寺の紅葉も見ることが出来るかもしれない。
ということで、今からワクワクしている。 思わぬ新婚旅行をプレゼントされたわけだから、やはり会社を辞めたのは正解だったと言えるだろう。 しかし、結婚8年目にして、ようやく新婚旅行か。 今まで何やっていたんだろう…。
先日、彼岸の墓参りに行ってきたので、今月はもう何もすることがなくなった。 いや、今月だけではない。 来月予定している東京行きは、おそらく後半になるだろうから、それまで何もすることがなくなったのだ。 1ヶ月以上も何もすることがないとなると、気が滅入ってしまう。
その間アルバイトでもやっていれば気が紛れるのだろうが、それをやると、失業手当の支給に影響が出てくる。 失業手当を全額もらうには、その間無収入であることが絶対条件になる。 もし失業期間に収入があった場合、その収入額分を失業手当から差し引かれるのだ。 失業手当以上の収入があるのならともかくも、ほとんどの場合ないわけだから、動くだけ損という結果になるわけだ。
何もやらない理由はそれだけではない。 来月後半に予定している東京行きだが、これは文字通り予定であって確定しているものではない。 つまり、早まることもあり得るということだ。 そういうわけなので、いつでも動けるように、時間を空けておかなければならないのだ。
しかし考えてみると、こういったことも拘束の一種である。 せっかく会社からの拘束を受けなくなったと喜んでいたのに、思いも寄らぬところから拘束を受けるようになったわけだ。 しかもそれは、今まで以上に窮屈な拘束である。 だから気が滅入ってしまうのだ。
要は拘束と捉えなければいいのだ。 例えば、ありふれてはいるが、次のステージへの準備期間とか、充電期間などと捉えることにすればいいのだ。 現に、ぼくは今、毎日次のステージへの準備、つまり職業訓練をしているわけだから、そう思うことが妥当だろう。
(1) 昨日は角島(その後足を伸ばして青海島まで)に行ったが、今日は墓参りに行ってきた。 昨日もいい天気だったが、今日はそれ以上にいい天気だった。 そのせいか気温も高かく、エアコンはフル活動していた。 おかげで今は頭が痛い。
結局、昨日と今日で300キロ走ったことになるのだが、いささか疲れた。 以前は、よく鹿児島日帰りとか、宮崎日帰りとかで600キロ以上運転していた。 それでも、翌日に疲れが残るようなことはなかった。 それを考えると、体力が落ちた気がする。
(2) そういえば、昨日でドラマ『結婚できない男』が終わった。 前にも書いたが、これまでどんな名作と言われるドラマでも、リアルタイムで全話見たことがなかった。 いつも3,4話あたりから見出すのが常だったのだ。 しかし今回は、タイトルに惹かれて1話を見、中身の面白さにハマり、結局全話見てしまった。
本当に最後の最後まで楽しめたドラマだった。 いや、ドラマの外でも楽しめた。 とにかく笑えるネタが満載で、翌日の話題に事欠かない。 ぼくの場合は、嫁ブーとの会話の半分以上がこのドラマの話題だったし、金田のホームページはブログのネタにもしたし。 最終回は、ドラマが終わった後に、「なるほど」とうなずかせるオチ(金魚2匹)があったりもした。
毎週火曜日を楽しみにしていたので、来週からはちょっと寂しい。
(3) 自民党総裁は安倍さんで決まった。 午後、その件で西日本新聞から速報が入った。 今朝の朝刊の見出しに「安倍総裁誕生」と書いていたくせに、何を今さらという感じだった。
ところで、今回の総裁選だが、地元のラジオで、しきりに麻生さんを応援している番組があった。 「麻生さんが福岡県出身だから」というのが一番大きな理由だったが、一般選挙ではないので、こればかりはいくら応援してもどうしようもないのにと思ったものだった。
しかし、もし麻生さんが首相になったとしたら、地元出身の首相は、あの広田弘毅以来ということになる。 広田が首相をやっていたのは戦前だから、ぼくが生まれるずっと以前のことである。 つまり、戦後は、地元出身の首相は出てないということだ。 そういう意味で、ぼくは麻生さんの当選をわずかながらも期待していたのだが、結果は前述の通りだった。 相変わらず、長州出身は強いということか。
下の写真、二人は海を見ているのではない。 浜にいた一人の男を見ているのだ。
ヒロミ(右)と嫁ブー
この写真を撮った後、ヒロミが「しんたさん見て。あの人棒切れ持ったよ」と言った。 見てみると、ヒロミの言うとおり、その男は棒切れを持っていた。 「あれがどうかしたんか?」 「あの人、絶対砂浜になんか書くよ」 「えっ?」 「ああいう場合、四文字が多いんよね」
そこでぼくもその男の行動を見ていた。 すると、ヒロミの言うとおり、その男は棒切れで砂浜に文字を書きだしたのだ。 遠くからだったのでよく見えなかったが、確かに四文字程度の文字を書いているように見えた。 そして男は、それをケータイのカメラに収めているようだった。
二人は浜に降り、男がそこに何を書いたのかを確認しに行った。 ぼくは例の写真を編集しながら、二人の後をゆっくり歩いて付いて行った。 するとヒロミは、いったん男の立っているところまで行って、口を押さえて笑いながら、ぼくがいるところまで走ってきた。 「どうしたんか?」 「やっぱり四文字やったよ」 「そうか。何と書いてあった?」 「『サヨナラ』。ブブブッ…」
男の立っている近くまで行って見てみると、なるほど砂浜には『サヨナラ』と書いてあった。 「きっとあの人、文字が波で消されたら帰るはずよ」と、小声でヒロミが言った。 どうもヒロミは、男の行動の先々がわかっているようだ。
結果はヒロミの予言どおりだった。 波が文字を消すと同時に、男はそこから立ち去って行ったのだ。 「ヒロミ、よくわかったのう」 「わかるよ。お決まりのパターンやん」 「お決まりなんか?」 「うん。ほら、よくドラマとかであるやん」 「そう言われればそうやのう」 「でも、古い青春ドラマやけどね」
「ということは、あの男は傷心旅行なんか?」 「うん。絶対そうよ。だってね、波が文字を消した時、ケータイを覗き込みよったんよ」 「それが何か関係あるんか?」 「大ありよ。あれはきっと、保存してある彼女の写真を消したんよ」
その会話をしている時、ぼくは去っていく時の男の横顔を思い出していた。 風采の上がらない男で、口を魚のようにポカンと開けて歩いていた。 そのせいなのか、あまり寂しそうには見えなかった。
2006年09月18日(月) |
【無事是貴家】【ひまな人】 |
【無事是貴家】 昨日の風は、観測史上二番目に強いものだそうだ。 その強さを裏付けるものがあった。 朝、嫁ブーを送るために駐車場に行くと、10メートルほどもある竹が二本、隅っこに横たわっていたのだ。 おそらく、マンション横にある竹藪の竹を風がなぎ倒し、駐車場まで運んだのだろう。 運転中、所々で街路樹の折れているのを見たが、竹を見た後だったので、特に関心も抱かなかった。
さて、嫁ブーを送り家に帰ってから、「家のすぐ横で竹をなぎ倒すくらいの風が吹いたのだから、我が家も何か被害を受けたのではないか?」と思い、調べてみた。 だが、バルコニーに置いてある洗濯ばさみが2,3個散らばっていた程度で、他に被害はなかった。 スカパー!もちゃんと映っているから、アンテナもずれることはなかったようだ。
そういえば、こういう天災の時、うちはいつも難を逃れている。 昨年の地震の時もそうだった。 あの時は、テレビの上に置いてある『ドラえもん』が床に落ちただけですんだのだ。 大雨が降っても土砂崩れもなければ、水害もない。 雪による害もない。 何といい家に住んでいるのだろう。
【ひまな人】 台風の爪痕で世間が騒いでいる状況の中、こういう暇な人もいる。 夜、一通のメールが届いた。 さっそく見てみると、文章は何も書いてない。 代わりに、こんな動画が貼り付けてあった。
ま、画はともかく、この歌は山本リンダの『じんじんさせて』である。 で、これを誰が歌っているのかというと、ヒロミちゃんである。 そう、これがヒロミちゃんの声なのである。
88年の台風19号もすごかったが、今日ほどは酷くなかった。 風の音が「ピュー」とか「ゴー」ではない、「ドドドドー」なのだ。 家にいてもけっこう恐いものがあった。
その風の一番風の強かったのは午後8時半頃だったが、その時間にぼくは実家に行く用があって外出したのだ。 その時の風ほど恐いものはなかった。 とにかく突風、突風、突風の連続なのである。
近場だったので、最初は歩いて行こうかと思っていた。 が、外の状況を見て考えを変えた。 街灯が、電柱が、そして隣のセブンイレブンの看板が揺れているのだ。 駐車場の隅っこに、どこから飛んできたのだろうか、トタンの切れ端が落ちている。 このまま歩いて行ったら、何が飛んでくるかわからない。 そこで車で行くことにした。
途中でタバコを買うために停車した。 ところが外に出ようとしたら、ドアが風に押されて開かないのだ。 風がやむまで待って、ドアを開けると、また突風が吹き、ドアを押し戻そうとする。 負けじとドアを押し返して外に出た。
外に出てみると、雨は小降りだった。 自動販売機の横に設置してあるビン・缶入れのボックスが倒れて、中のゴミがその辺一帯に散らばっていた。 自販機にお金を入れようとすると、その上のひさしがギシギシと言って、今にも落ちそうな気がする。 そこで素早くお金を入れて、タバコを取り出した。
車に戻りドアを開けると、風がドアの隙間から潜り込み、車の中をかき回す。 おかげで座席はタバコの灰だらけになった。 しかし早くこの場を立ち去りたいので、お構いなしに車を出発させた。
実家の駐車場に着くと、今度は車が大きく揺れだした。 それもそのはず、そこは普段でも団地風の強く吹くところである。 それに加えて今日の風だ。 道路沿いに立っているミラーは左右に大きく揺れ、周りの木々はその力で倒れんばかりにしなっていた。 またもやぼくは、風が収まるのを待ってドアを開けたのだった。
さて、用を終えて家に戻ろうとしたのだが、風はよりいっそう強くなっていた。 そこで、風が収まるまで実家でテレビを見ることにした。 テレビではしきりに「風が収まるまで、外出することのないように」と呼びかけていた。
1時間経った。 だが風が収まることはなかった。 家に帰らないと食事にありつけないので、しかたなく実家を出たのだが、テレビの呼びかけのせいで、風がさらに強くなったような気がする。 おかげで、家に戻るまで生きた心地がしなかった。
今月3日の日記に、夢が叶いそうだということを書いたが、それはイコール次の仕事が決まりそうだということである。 そのために、来月の下旬、東京に行くことになっている。 まあ、それはそれでいいことなのだが、ここでちょっと困ったことになってしまった。
ぼくの場合自己退職扱いなので、失業保険は3ヶ月後から支給されるようになっている。 会社を辞めたのが7月16日で、離職受理されたのが24日、それから据え置き期間があったため、11月から支給が始まる。 ということで、今は退職金を食いつぶしている状態である。
退職金をなるべく残しておきたかったのだが、会社を辞めてからの出費がかなりかさんでしまったため、そうもいかなくなっている。 何の出費かというと、次の仕事に備えて必要なものを買い揃えたのだ。 辞めた端は、まだ混沌とした状態だったので、手当たり次第に買っていた。 そのため、無駄な出費もけっこうあった。 だが、それは想定内のことだったから、それほど負担は感じていない。
問題は、それ以外の出費にあった。 それは、税金・年金・保険料である。 不労所得ならぬ、不労支出だ。 一回の額はさほどではないのだが、それを毎月支払わなければならない。 これが徐々に効いてきているのだ。 現在は、迫り来る生活苦をじっと待っている状況なのである。
さて、冒頭に書いた困ったことというのが、仕事の件がうまくいったとして、すぐに収入に結びつくかということである。 なぜそういうことを言うかというと、次の仕事はサラリーマンではないからだ。 完全な出来高払い、それも収入に結びつくまでに、数ヶ月はかかるというのだ。 契約金をもらえれば(東京へはこの話合いに行くのだ)話は別だが、もしそれがなかったとしたら、当然11月支給の失業保険をもらわないとやっていけない。 ところが、職安の規約には、仕事が決まった場合は、収入がなくとも失業保険の支給はしないというふうになっている。 ということは、仕事が決まったら、生活できなくなる可能性があるということだ。
せっかくつかみかけた夢である。 これをやめる気はない。 とはいえ、当面食ってはいけないかもしれないのだ。 食いつなぎにどこかで働くにしろ、今さら企業で働こうとは思わない。 量販店やスーパーの契約社員になるのも気が引ける。 かといって、何かやらないと食べていけない。 残るはアルバイト、ということは中年フリーターか。 いややなぁ…。
『スランプ』 思い通りにならないことを 悩まなくてもいい 思い通りにならない時は 思い通りにならないんだから それは流れの中の通過点なんだから その場所に自分がいるんだから スランプ面なんかしなくてもいい 無理にいじらなくてもいい 思い通りにならないことは 決して不幸なんかじゃない それはその時の自分なんだから
早急に仕上げなければならない曲があるのだが、昔はあれだけ楽勝だった詩が、今書けなくて困っている。 いや、書いて書けないことはないのだが、ただ言葉を並べるしかできないのだ。 そこには情感も、思想も見つからない。
日記やエッセイといった散文は、情感や思想といったものを、文章の中に織り込んでいけばいい。 だが、詩の場合は、それを行間に織り込まなくてはならない。 それがややこしいのだ。 その作業を、日記のようにいちいち考えてやっていたら、頭が変になってしまう。
では、これまでぼくがどうやって詩を書いていたのかというと、とにかく思いつくままに筆を動かしていたのだ。 どちらかというと、殴り書きをしていたといったほうがいいかもしれない。 とはいえ、ただ殴り書きをしていたわけではない。 背景には、ちゃんと情感や思想というものがあった。 そういったものの昂ぶりが、詩になって現れたわけだ。 言い換えれば、感性で書いていたということだ。
ところが、ぼくの感性というのは実に気まぐれで、書ける時と書けない時があった。 書けない時は何ヶ月も書けない。 とはいえ、焦りはなかった。 「今は書けない時だ」と割り切ることができたからだ。 そこには感性の自覚というものがあったのだ。 ところが、今は割り切ることが出来ないでいる。 その感性が見えなくなっているのだ。
なぜそうなったかというのを考えてみたのだが、どうも毎日日記を書く生活が影響しているように思えてならない。 5年以上も休まずに日記のことを考えてきたため、きっと頭の構造が散文的になってしまっているのだろう。 器用な人なら散文と韻文の両立もできるのだろうが、ぼくは何ごとも不器用に出来ている人間である。 そのため、散文と韻文の両立なんて出来ない。 いつもどちらかに偏っているわけだ。
早く曲を仕上げなければならないのに…。 「詩が書けない!!!」 これがぼくの中で、ちょっと深刻な問題になっている。
2006年09月14日(木) |
ちょっとウォーキングを始めてみました。 |
夢見頃のおかげで四日間休むことが出来た。 ずっと寝不足が続いていたので、いい休養になったと思う。 実は会社を辞めてから、出勤を考えなくてよくなったので、ついつい夜更かしする癖がついてしまっていたのだ。 そうなるといろいろ健康に支障が出てくる。 微妙に風邪気味で鼻水が止まらないだとか、微妙に頭が痛いだとか、小便する時に微妙に痛いだとかいった症状が出てきたのだ。
ぼくは、ほとんどの病気を、睡眠を取ることで解消できる体質の持ち主らしい。 だからといって、これは健康自慢にはならない。 なぜなら、これを裏返すと、睡眠不足がほとんどの病気の原因だということになるからだ。 ということは、あまり夜更かしをしてはいけない体質だということだ。 そのいけない夜更かしを3ヶ月も続けていたのだから、いろいろな症状が出てきたのだろう。
というわけで、四日間充分に睡眠を取ったのだが、これで体調が元に戻ったのかというと、そうではない。 治ったのは微妙な風邪気味と小便時の微妙な痛みの二つだけで、微妙な頭の痛みのほうはまだ治ってないのだ。 頭の痛み…、これでぼくは悩んだ。 「もしかして、脳動脈瘤でも出来ているのではないだろうか…」 そう思ったとたん、『脳動脈瘤→破裂→くも膜下出血→運動障害→ギターが弾けん』という図式が頭の中に出来上がる。
臆病なぼくは、居ても立ってもいられずに、血圧を測ってみた。 「えっ!」 何と下の数値がえらく高いではないか。 「もし、興奮したり、力んだりしたら…」 図式が頭の中を駆けめぐる。 とはいえ、「病院に行こう」とか、「タバコをやめよう」などとは思わない。 ぼくの場合、こういう時はいつも「運動と黒酢しかない」と思うのだ。 特に、今回は「運動」のほうに思い当たる節がある。
これまでずっと立ち仕事だったので、特定の運動をしていなくても、仕事さえしていれば、多少の運動不足解消にはなっていた。 ところが、その立ち仕事がなくなったのだ。 効果はてきめんだった。 すぐに贅肉が付いたのだ。 腹はもちろん、背中までがプヨプヨしている。 せっかく人から「痩せたねえ」と言われるようになり、気分的にもすっきりしていたのに…。
そこで、ちょっとウォーキングを始めてみました。 今日で3日目になるのだが、一昨日はひとつ先の駅まで歩き、昨日は貯水池の周りを一周した。 だいたい1時間の距離である。 しかし、ただ歩くのも馬鹿らしいし、これだとすぐに飽きてしまう。 そこで、買い物などの用事をかねて、歩くことにした。 そうすれば飽きずに続けることが出来るだろう。 ということで、今日は隣の区に新しく出来たスーパーまで歩いて買い物にいった。 片道25分だったから、距離的にはちょうどいい。 また目的があるから、気分的な負担にもならない。
それが良かったのか、昨日まで高かった血圧が、今日は何とか正常に戻っていた。 そういえば、微妙な頭痛も治まったような気がする。 ところが、今度は別の箇所が痛くなった。 足である。 お尻、太もも、すね、足の裏、つまり足全体が痛いということだ。 これは微妙ではなく、かなり痛い。
2006年09月13日(水) |
還暦デビュー?(7月5日夢見頃より) |
金曜日(6月30日)のことだった。 若い頃いっしょにアルバイトをやっていた先輩から電話が入った。 ぼくの夢を知る、数少ない人の一人だ。 何の用かと思ったら、突然 「おまえ、曲作りという夢があるのに、いつまでもサラリーマンにしがみついとったらいかんだろう」と言う。 「そりゃそうやけど、その夢にたどり着く手立てを知らんのよね。昔なら、オーディションとかコンテストとかいう手もあったけど、今はシンガーソングライターの、シンガーの部分は捨てとるけね。曲だけで売り込む、何かいい方法はないかと探しよるんやけど…」 「今日電話したのはそのことなんやけど」 「えっ?」 「おれの知り合いに、音楽関係の人間がおるんよ。この間、用があって電話した時におまえこと話してみたら、『会ってみたい』ということになったんよ。おまえ、明日都合はいいか?」 「明日?うん、別に用はないけど」 「そうか、じゃあ、明日会おう」 ということで、土曜日の昼間に会うことになった。
さて、その音楽関係の方というのは、プロよりもアマチュアに顔の利く人らしかった。 自分でも音楽をやっているらしいのだが、コピーが中心で、オリジナルにはあまり興味がないとのことだった。 「で、あんたは、どういうふうに進んでいきたいわけ?」 「元々はシンガーソングライターを目指していたんですけど、年から言って、もうシンガーは難しいでしょ?」 「そうやね。40代の後半なら難しいやろうね」 「で、シンガーの部分を外したところで考えたいんですけど」 「ああ、ソングライターでやりたいということね」 「ええ」
「何か活動やってる?」 「企業に歌を売り込んだり…」 「企業に?」 「ええ。その会社のCMに自分の歌を使ってもらいたいとか」 「ああ、それはいいね。他には?」 「似たところで広告会社に売り込んだり…」 「なるほど…。レコード会社とかには売り込まんかったんね?」 「自分で歌っていた頃は、それもやったんですけど」 「どういうふうに?」 「その頃、会社のレコード部門にいたんですよ。それで、レコード会社の営業にデモテープ渡して、制作の人に聴いてもらえるように頼んでましたね」 「ダメやったろ?」 「はい。ダメでした」 「そうやろね。あいつら聴かんもんね」
「何か方法はないんですかねえ?」 「うーん、難しいなあ」 「難しいですか…」 「方法がないことはないんやけど」 「えっ、あるんですか?」 「うん。バンドやったらいいよ」 「バンドですか?」 「そう、バンド作って、ライブやって、自分の歌を売り込むんよ」 「弾き語りじゃダメなんですか?」 「だめ。インパクトが違ってくる」 「そうですか…」
バンドで自分のオリジナルを演る。 …って、それではシンガーソングライターではないか。 やはり、歌をうたうしか方法はないのかなあ…。 元々ぼくは歌が上手い方ではないし、それに加えて年齢が声の伸びを奪ってしまっている。 これを克服するには、かなり時間がかかるだろう。 とはいえ、それしか方法がないのなら、それをやっていくしかない。 しかし、ぼくはずっと弾き語りでやってきたから、バンドなんてやったことがないのだ。 バンドやるとなると、音も合わせないとならないし…。 これは時間がかかりそうだ。 還暦デビューなんて嫌だなあ…。
2006年09月12日(火) |
運を味方につけたい(2) |
そこで知ったのが、姓名判断だった。 これはけっこう深く研究したものだ。 その甲斐あって、最終的にはネーミングまでやることができるようになった。 何度か赤ちゃんの命名を頼まれたりしたが、その時付けた名前がよかったのか、いまだに感謝されている。 しかし、名前というものは、あくまでも人為的なものである。 人為的なものでは、人の持っている先天的な『運』まではわからない。 まあ、そういう名前になるようになっていたと捉えれば、先天的でないことはないのだが…。
ちょうど姓名判断の限界を悟った頃だったろうか、三国志を読んでいて、すごい占いがあるのを知った。 あの諸葛孔明が活用していた占いで、性格や運だけでなく死期までわかるというのだ。 「これだ!」と思ったぼくは、さっそくその関係の本を漁りに、本屋へと向かった。 それは四柱推命という占いだった。 生年月日時で占うもので、その組み合わせは60の4乗というから、何と1296万通りの型があるわけである。 12通りの型しかない星占いや、わずか4種類の型で分ける血液型占いとはスケールが違う。
本屋にはいろいろな四柱推命の本が並んでいた。 が、けっこう難しいものばかりだ。 とりあえず簡単な入門書を選び、それで基本を学ぶことにした。 ところが、その本はかなりいい加減な本で、そこに書かれていたぼくの性格は、まったく違うものだった。 悪いことを書かれていても、心当たりがあれば納得することも出来るのだが、心当たりのないことが綿々と書かれている。 おまけに初年運のところには、「父親の恩恵を受けて、ぬくぬくと育ってきた」などと書いてある。 冗談ではない。 ぼくの父親は、ぼくが3つの時に死んでいるのだ。 遺産があったわけでもなく、どう考えても父親の恩恵を受けたとは思えない。 しかもその本では、星占いのように12通りの型に当てはめ、それで占うようになっていた。 これではせっかくの1296万通りも役に立たないではないか。 ということで、その内容に嫌気がさしたぼくは、その時点でその本を捨て、同時に四柱推命も諦めた。
それからまたいろいろな占いを探し回ったが、どれも自分を納得させるものはなかった。 ということで、結局自分の持っている『運』がわからないまま、ぼくは社会に出たのだった。
社会に出てから、相変わらず姓名判断はやっていたものの、占いというもの、いや『運』という言葉から遠ざかっていた。 その間、昇進したり、左遷の憂き目にあったり、転職をしたりと、まあ普通のサラリーマン人生を歩いていたわけだ。 しかし、何か違う。 何か物足りない。 それは、そこに『運』を感じないことへのいらだちだった。
再び『運』を探す旅が始まった。 またいろいろな占いを研究するようになるのだが、最終的に行き着いたのは、若い頃に諦めたはずの四柱推命だった。 最初に諦めた時から、もう20年近い年月が流れていた。 そのため、自分の人生の資料も充分に用意できていた。 そこで、それまでの人生に起きたことを、四柱推命にいちいち当てはめてみた。 「すごい!」の一言だった。 どういう時に自分が強くなれて、どういう時に自分が弱くなるのかが、的確にわかるのだ。 そして、自分の持っている『運』も知ることができた。
もしあの時四柱推命を諦めずに、しっかりと研究していたら、『運』活用することも出来、もう少し違った人生を歩めたかもしれない。 しかし、それをさせなかったのは、ぼくの『運』であった。 どうもぼくは、先頭切って積極的に走っていくよりも、何ごとも人より遅れてスタートしたほうがいい『運』を手に入れることができるようなのだ。 だから花咲くのは、人生の後半なのである。 人生の後半か、そろそろその時期にさしかかっている。 …と思いたい。
2006年09月11日(月) |
運を味方につけたい(1) |
『運も実力のうち』という言葉があるが、成功者の自叙伝などを読んでみると、実力もさることながら、運による作用が実に多いことがわかる。 ぼくは若い頃に「どうすれば成功するのだろうか?」と思い、よく成功した人の自叙伝なんかを読んでいた。 その成功法則なるものにあやかろうと思ったわけだ。 そういう人たちというのは、なるほど苦労をしている。 その生い立ちの苦労、金の苦労、また人間関係の苦労、などなどである。
ところが、そういう苦労はしているものの、いつも節目節目になると、いつもどこからか助けが現れるのだ。 「いったいこれは何なんだろう?」とぼくは思った。 そしていろいろと考えていくうちに、それが『運』だということがわかった。 つまり、その助けこそが、その人の持つ運なのだ。 あとはその運に導かれるようにして、その人は成功している。
それがわかってから、ぼくはさっそくその『運』を手に入れる方法を考えた。 しかし、『運』を手に入れるといったって、雲をつかむような話である。 とにかく、何をやっていいのかがわからないのだ。 そこで、まず自分の持っている『運』というのを確認しておこうと思い、数々の占いを研究するようになったのだった。
まず手始めにやったのが、手相であった。 これなら、本に載っている手相と自分の手相を見比べながら、判断が出来ると思ったわけだ。 さっそく手相の本を買い込んできて、自分の手と見比べた。 ところが、その本の資料不足なのか、ぼくの手相が変なのかは知らないが、同じような手相が載ってないのだ。 似たような線を見つけては、それを当てはめてみるのだが、それだと主観に走ってしまう。 それでは自分の『運』を冷静に見つめることは出来ない。 ということで、手相はやめることにした。
次にやったのが、星占いである。 しかし、これはすぐにやめた。 なぜなら、12人に1人は同じ運勢だからである。 例えばぼくは蠍座なのだが、朝の占いとかで仮に「今日の蠍座の人は気分が湿りがち」などと出たら、その日の蠍座の人は、みな憂鬱な気持ちでいるのだろうか? そんなことはないだろう。 その当時ぼくの周りには、ぼくと同じ蠍座の人がけっこう多くいたのだが、同じ気分でいたためしがない。
これは血液型占いにしても同じことが言える。 それだと4人に1人は同じ結果になるだろう。 いや、血液型によってはそれ以上の割合になるだろう。 例えば日本人はA型が多いが、先の「気分が湿りがち」でいけば、日本人の多くが、その日は憂鬱な気分でいるはずだ。 「今日は憂鬱やね」 「おれもそう」 「私もそう」 …なわけない。 というわけなので、こういう大雑把な占いは却下したのだった。
2006年09月10日(日) |
【金田、更新してない】【好き勝手させてもらおう!】 |
【金田、更新してない】 インターネットを始めて7年くらい経つが、これまでドラマのサイトを見ることなどほとんどなかった。 ところが『結婚できない男』が始まってからは毎週見るようになった。 次回の予告が見たいからである。 その際、掲示板などを見ているのだが、回を追うにつれ書き込みが多くなっている。 ぼくと同じ世代の人の書き込みも結構あるので、読んでいて面白い。
さて、そのサイトを見るのは予告と掲示板だけで、その他のコンテンツはあまり見ない。 映画のメイキングを見ないのと同じ心理で、見るのが面倒くさいのだ。
ところが、今日たまたま他のコンテンツを見ていると、意外なものを見つけた。 信介(阿部寛)が劇中で見ていたサイトである。 これを金田(高知東生)をやっていて、信介が笑っていたんだった。
ここでぼくは思った。 「これがあるくらいだから、当然これもあるだろう」と。 さっそく調べてみると、やはりあった。 アトリエ・ヒロである。 残念ながら、先週の「ちょっとボーリングにこっています。」から更新してはいなかった。
【好き勝手させてもらおう!】 嫁さんは、ぼくのやることには何も口出ししない。 例えば、一昨年録音機材を買い込んだ時も文句は言わなかった。 昨年の夏にけっこう値の張るギターを買った。 しかし、その時も何も言わなかった。 最近は最近でバッキングマシンを買ったのだが、それに対しても口出しはしなかった。 この調子だと、ぼくが突然「会社を辞めて、夢を追うぞ!」と言っても、きっと咎めることはないだろう。
そのバッキングマシンを買った後だったか、そのへんのことを聞いてみたことがある。 「おまえ、おれがいろんな物買っても、何も文句言わんのう。何でか?」 すると、嫁さんは意外なことを言った。 「わたしたち、そういう相性らしいんよ」 「え?」 「いやね、去年の秋に占いの先生に観てもらったって言ったやん」 「ああ、そういうことがあったのう」 「その時ね、『二人の相性は最高ですね。ご主人は縛られることを極端に嫌うタイプだし、奥さんはご主人の行動に対して口出しするタイプじゃないし…』と言われたんよ。そう言われてみたら、わたし、買い物だけじゃなく、しんちゃんのすることに何も口出しせんやん」 「おう。で、それはいいことなんか?」 「うん。それがお互いにプラスになるらしいよ」 「じゃあ、おれは好き勝手していいということか?」 「そうみたいよ。そうしないと、しんちゃんは伸びんらしいよ」 「ふーん。そうなんか」
じゃあ、好き勝手させてもらおうじゃないか。 ということで今、ぼくは夢に向かっていつ発信するかを考えているところである。(6月23日夢見頃より)
2006年09月09日(土) |
夢見るバカ(6月21日夢見頃より) |
ぼくは、自己紹介を書くのはあまり好きではない。 うまく自分を言い表せないからだ。 しかし、どのブログでも、それは必須になっている。 ここも例外なくそうだった。 ということで、いつものようにダラダラとした文章で書いてみた。
そこに書いているとおり、ぼくは40代終盤になった今でも、プロのソングライターになるという夢を追っている。 高校の頃に、初めてその夢を持ってから、もう30年が過ぎている。 最初の頃こそ、いつか飽きるだろうと思っていたが、曲数が増えるにつれ、何かの折にふと曲が浮かぶような体験を重ねるにつれ、夢はだんだん本物になってきた。 しかし、若い頃は、それを口に出して言ったり、書いたりすることに抵抗を持っていた。
ぼくが23歳の頃、まだ就職したての頃の話だが、上司から「おまえ、夢はあるか?」と聞かれたことがある。 その時ぼくは「ありますよ」と答えた。 「ふーん、どんな夢か?」 「はい、ソングライターになりたいと思っています」 それを聞いた上司は、人をバカにしたような口調で言った。 「おまえなあ、いつまでも学生じゃないんだから、そんなバカな夢は捨ててしまえ」
ぼくは、上司が「夢を言え」と言うから言ったまでである。 その答が自分の気に入らないものだからと言って、人をバカにすることはないではないか。 ということで、そのことがずっと尾を引いていたわけだ。
それ以来、ぼくは夢を口にすることはなくなった。 また、会社に提出する自己申告書や、転職した際の履歴書にも、作詞・作曲などということは書かなくなった。 口にしたり書いたりすると、前の上司のようにバカにされるか、「こいつ、変わり者だな」という目で見られると思ったからだ。
ところが最近、「それではだめだ」と思うようになった。 やはり夢というものは、口にすることから始まるものだからだ。 夢はオープンなほうがいい。 内に秘めるよりも、ずっと明るい。 これまで、夢を遮っていたものは、実は『口にしない』、つまり『内に秘める』というぼくの姿勢にあったのではないか? ということで、この自己紹介に書いたわけである。
ところで、ぼくの自己紹介を読んだ方は、やはり「変わり者だ」と思うだろうか? いやいや、本当は普通の男なんですよ。 ただ、あまり興味のないことにには口を挟まないタイプなので、けっこう「無口な人」だと言われますけどね。 だけど考えたら、会社という狭い世界に、作詞や作曲に興味のある人なんてなかなかいるものではない。 だから、仕事以外の話はあまりできないじゃないですか。
さて、その自己紹介の最後に書いた『夢見るバカ』という言葉だが、書いている最中にチューリップの『夕日を追いかけて』という歌を思い出した。 ぼくのことをそう呼んだ人は、おそらくその歌の歌詞を引用したのだと思う。 その人はぼくより一つ年下だった。 しかし、チューリップの歌詞をそこに持ってくるとは…。 やはり同世代ですなあ。
6月21日、あるサーバーで『夢見頃』というブログを始めた。 こことは趣の違った記事を書いていこうと思ったわけである。 当初ここと同じくらいの文字数を書くつもりでいたので、毎日の更新は難しいと思い、二日に一編ペースで書くことにした。 最初のうちは好調だった。 場所を変えると、こうも違うものかと思ったものだった。
ところがである。 三編書いたあと、まったくネタが浮かばなくなってしまった。 「何か書かなくては」という思いがプレッシャーにつながる。 そうこうしているうちに、約束の二日目が過ぎた。 しかし三日目ならまだ取り返しがつくと思って臨んだのだが、やはりネタは浮かばない。 そうこうしているうちに四日目になった。 そして五日目にさしかかった頃、やる気をなくした。
だが、心の中にわずかながら、「何か書かなくては」という気持ちが残っていた。 その気持ちが、五日後、つまり三編目を書いてから十日後に記事を書かせた。 だが、これが限界だった。 書き終えたあと、心の中でもう一人のぼくが「やーめた」とつぶやいたのだ。 それで更新はしなくなった。
一度更新しなくなると、そのブログがどうでもいいように思えてきた。 また、メインブログにいろいろなものを貼り付けて不具合がおきてしまったため、移転せざるをえなくなり、いろいろ手間のかかる作業を強いられた。 そのため、そのブログの存在を完全に忘れてしまったのだ。
ようやくブログの存在を思い出したのが三日前だった。 サーバーからメール(定期的なメールマガジン。これまでも来ていたが、見たことはなかった)が届いたのだ。 「あ、そういえば、こういうブログも作っていた」 さっそくブログを訪れてみると、訪問者の訪れることがないままに、それはポツンと置かれていた。
このままでは、サーバーにも悪いと思い、さっそく『終了予告』なる記事を書き、今日解約の手続きをとったのだった。
ということで、せっかく書いた記事だから、今日から数日、ここに転記していこうと思っている。 まず今日は、プロフィールからです。
高校の頃に作詞や作曲を始め、以来ずっとそのプロになる夢を持ち続け、上京したり、レコード会社に売り込みに行ったりしたのだが、結局だめで、普通に就職。しかしいまだ夢が覚めやらず、悶々とした日々を過ごす40代男子です。人はぼくを「夢見るバカ」と言います。 あ、北九州人です。
2006年09月07日(木) |
結婚してない男(後) |
そういう心境になったとはいうものの、別れたわけではない。 休みになるといつもどちらかの家に行っていた。 また、嫁ブーの仕事が遅くなった時には迎えに行ったりもしていた。 当時流行った言葉で言えば、『週末婚』をやっていたわけだ。 そういう関係をお互いの親も、自然に受けとめていた。 つまり、籍を入れてないだけで、夫婦だと認識していたわけである。
それから5年後に結婚に到るわけだが、その間、いろいろな人からいつも同じことを言われていた。 それは「結婚はまだか?」である。 最初は「はいはい」という感じで聞き流していたが、そのうちだんだん頭に来るようになった。 まあ口には出して言わないものの、いつも心の中で「おれが結婚せんことで、何かあんたに迷惑かけたか?」と思っていたものだ。
一度、二人で参加した飲み会の席で、ある人から『結婚とはなんぞや』という講釈を延々と聞かされたことがある。 例のごとくぼくたちが適当に話をはぐらかしていると、その人は真顔になって怒り出し、「もう知らん、勝手にせ!」と言って自分の席に戻っていった。 ようやく終わったと思っていると、また他の人が「結婚はまだか?」と言ってくる。 もううんざりだった。
帰り道、嫁ブーが憮然とした顔で、ぼくが講釈中に思っていたことと同じことを言った。 「あの人たち、私たちが結婚せんことで、何か迷惑がかかっとるんかねえ?」 「知るか!」 「いいやんねえ。私たち、別に結婚せんとか言いよるわけやないんやけ」 「おう。どいつもこいつも同じことばかり言いやがって」 「そうよ」 「おれたちは結婚しないわけじゃなくて、今たまたま結婚してないだけやないか」 「うん、基本的には夫婦と同じやもんね」 「そう。そのへんが、あの人たちにはわからんのよ」
その後ぼくたちは結婚したわけだが、仲人を立てたり、式を挙げたりといった面倒なことはせずに、区役所に婚姻届を出すというお手軽な方法で結婚の手続きをとったのだった。
しかし、結婚したとはいえ、環境はしばらく変わらなかった。 嫁ブーは相変わらず実家に住んでいたし、ぼくはぼくで気ままな生活をしていたのだ。 会うのは結婚前と同じく週2,3回。 もちろん、嫁ブーの仕事が遅くなった時には迎えに行っていた。 つまり、結婚して変わったのは、嫁ブーの姓だけだったわけだ。
とはいうものの、嫁ブーは、職場では相変わらず旧姓を使っていた。 そのため、知り合いから「結婚はまだか?」と言われていたらしい。 一方のぼくは、生活臭がしなかったせいなのか、知らない人から「独身ですか?」と聞かれていたのだった。
2006年09月06日(水) |
結婚してない男(前) |
第1回放送から、ずっとドラマ『結婚できない男』を見ている。 なぜ「第1回目から」と強調するのかというと、今まで見たドラマは、どれも途中から見だしたのだ。 昔の『パパと呼ばないで』や『寺内貫太郎』から、『ダブルキッチン』『ショムニ』『ヤマトナデシコ』、最近の『花より男子』『トップキャスター』まで、どれも1回目からは見ていない。 現在他に見ているドラマに『不信のとき』があるが、これも今までと同様で1回目は見ていない。 1回目から見るのは、いつも再放送でのことだ。 ということで、ほくが新ドラマを1回目から見るということは、珍しいことなのである。
なぜ『結婚できない男』に興味を持ったかというと、この番組が始まる前に読んだテレビガイドで、「40歳で独身…」と書いてあるのを見たからだ。 なぜ「40歳で独身…」というのを見てドラマを見る気になったのかというと、実はぼくも40歳になるまで結婚しなかった男だからである。 つまり、そのドラマに、結婚するまでの自分を見たかったわけだ。
さて、ドラマが始まって見ていくうちに、その面白さでどんどんドラマにハマっていった。 だが、結婚するまでの自分の姿を、そこに見いだすことが出来ないでいる。 基本的な環境がまったく違うのだ。 それは、主人公には彼女がいないが、ぼくの場合、結婚はしてなかったものの早い段階から婚約者がいたということだ。 それに、ぼくは結婚に対して、意固地になっていたわけでもなかった。
当初ぼくは、35歳を目処に結婚しようと思っていた。 しかし、35歳の時にぼくは会社を辞めた。 それからあまり間をおかずに再就職したわけだが、収入が安定してからということで、結婚を先延ばしにしたのだった。 ところが、先延ばししている間に、車に興味を持つようになった。 そのせいで、収入は安定してきたが、生活が安定しなくなったのだ。 結局、また先延ばしである。 そのうち結婚なんてどうでもいいような気がしてきたのだ。
一方、嫁ブーはどうだったのかというと、やはりぼくと同じく興味を持っているものがあった。 それは仕事である。 彼女は元来仕事が好きなタイプなので、ぼくといる時間よりも仕事に従事する時間、またその仲間を大切にしていたのだ。 その辺は今も変わらない。 で、ぼくと同じように、結婚なんてどうでもいいという心境に到ったのだった。
昨日の続きになってしまうが、この33画を持つ人の多くは、とにかく目立つことが好きで、自分が目立つことなら何でもやる。 それが目立つことであれば、ゴマもすれば、嘘もつく。 他人の手柄を自分の手柄にするといったことも平気でやる。 極端に言えば、人殺しでもやる。
ぼくがかつて働いていた会社に、Zという男がいた。 その男が33画の持ち主だった。 入社した当初、彼は画数に導かれるように、華々しい活躍をしていた。 普通の社員が1千万円くらいの予算でヒーヒー言っていた頃、彼はあるコネを利用して億の仕事を取っていたのだ。 当然上からの絶大なる信頼を得ることになり、彼は出世頭となった。
ぼくは一度だけ、このZ氏といっしょの部署になったことがある。 彼は出世頭だったから、ぼくはもちろん彼の下だった。 売り上げの競争をしていた時のことだったが、その頃ぼくは絶好調で、首位争いをやっていた。 一方のZ氏はというと、お得いのコネがうまく絡まずに、苦戦を強いられていた。 Z氏はそれが気に入らなかった。 彼はいつも1番でいたかったのだ。
そこで、彼は姑息な手段を用いた。 売り上げの稼げる土曜日曜に、自分より売り上げのいい人間を、みな工事やクレーム処理にかり出したのだ。 その効果あって、彼は月曜には首位に躍り出た。 もちろん上司は、Z氏を褒め称えた。 逆に外に出ていたぼくたちには、「売り上げの取れる土曜日曜に、おまえたちはいったい何をしていたんだ!?」と叱咤したのだった。
Z氏の評価はうなぎ登り、もう誰も彼の勢いを止めることは出来なかった。 中にはZ氏の悪口を、上司の耳に入れる者もいたのだが、上司は「Z君に限って…」という感じで、まったく聞く耳を持たなかったらしい。
その後、Z氏は異例の昇進のチャンスを得た。 ある店の店長になる内示を受けたのだ。 彼の華々しさはここに極まった。
ところが、ここで彼は重大なミスをおかしてしまったのだ。 目立ちたがり精神のせいで、内示を自分の中に収めておくことが出来なかったのだった。 彼は会う人会う人に、「おれは今度○店の店長になるんだ」と言って回った。 そのことは本社の耳にも入った。
当然、このことは問題になり、さっそく人事の見直しが行われた。 その結果、「秘密を厳守出来ないような人間に、大事なポストを任せるわけにはいかない」ということになり、Z氏の店長昇進は却下されたのだった。 彼の信用は一瞬にして地に落ちてしまったわけだ。 結局彼は閑職に回されることになった。
その後、彼は這い上がろうと必死になり、いろいろ手を尽くしたみたいだが、一度落とした評価はもう元に戻ることはなかった。 今でも彼は、その閑職にいるらしい。
2006年09月04日(月) |
あの人どんな人?『堀江貴文』編 |
(1) 堀江貴文、名前の総画数は33画である。 古流だとさんずいを4画ととるので34画になるが、どう見てもこの人の運勢は33画的である。 というより、33画にもてあそばれているように思える。 小学生の頃、ぼくは初めて姓名判断に触れたのだが、その時読んだ本に「33画は『王様か死刑囚』運」だと書いてあった。 またその後読んだ本には、「一夜にしてスターになるが、一夜にして一文無しになる」と書いてあった。
そう、この33画という画数には、「いい時と悪い時が極端」だとか「一気に登り詰めるが、一気に落ちる」といった暗示があるのだ。 この画数の人が登り調子の時は、他の追随を許さないものである。 とにかく登る時の勢いはすごい。 だが、それ以上に落ちる時の勢いはすごいのだ。
近鉄買収劇で突如表舞台に登場した堀江氏が、時代の寵児ともてはやされるようになるまでに大した時間はかからなかった。 ところが、その勢いが最高潮に達した時から、没落、つまり逮捕までの時間はさらに短かった。 この経緯を見て、ぼくは「堀江、33画に遊ばれてるな」と思ったものだった。
さて、この人の名前から見える内面の性格について触れておくと、まず目立つのが執着心の強さである。 普通の人が見逃すような細かい部分にまで執着するのだ。 そのため、周りからは神経質と見られていたかもしれない。
表向きは目立ちたがり屋、尊大、大言壮語というものが見える。 だが、その根底には優柔不断さが隠れている。 というより、自分をうまく把握出来ないでいると言ったほうがいいかもしれない。 それが、彼に分不相応にも見える行動をとらせたのだろう。 案外、今日の公判で彼が一人無実を言い張ったのも、自分が客観的に見えてなかったからではないだろうか。
(2) そうそう、堀江氏のことを書いていて思い出したことがある。 こちらに『八ちゃん堂』という冷凍たこ焼きの会社があるのだが、以前そこのCMに堀江氏が出演していた。 絶頂期の頃だったから、ギャラも高かったものと思われる。 二つのバージョンがあって、そのどちらも「懐かしかー」だとか「うまかー」だとか、方言で言っていたのが印象的だった。
今年の冬に、近々最新バージョンを流すという噂が流れたが、逮捕のために流れてしまった。 それから間もなくして、新聞に『八ちゃん堂』の広告が出た。 けっこう大きなスペースを取っていたが、そこにはもうホリエモンの姿はなかった。 かといって、たこ焼きの写真が載っていたわけでもない。
じゃあ、何を載せていたのかというと、それは3文字の言葉だった。 「想定外」 苦肉の策で作ったのだろうが、けっこう地元では話題になっていた。
7月16日にぼくは会社を辞めたのだが、有給休暇を利用したので、会社には6月1日から行ってない。 ということで、実質的には6月1日で会社を辞めたことになる。 それ以来家にいるわけだ。
しかし、家にいる、つまり失業中だからと言って、気分がめいったり、焦ったりという暗い生活を送ってはいない。 そうならないために、あることを続けているからだ。 それは何かというと、「魔法の言葉」を唱えることである。
6月1日、会社に行かなくなった初日に、ぼくは本屋に行ったのだが、その時ある本を見つけた。 それは『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』という本だった。 読んでみると、ある魔法の言葉を唱えると、人生がガラリと変わるといったことが書いてある。 その言葉とは、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」である。 これを口癖になるくらい口にしろということだった。
さっそくそれを買って帰ったのだが、それを読んでいて、ふと「そういえば、昔そういう言葉を口にしていたことがある」ということを思い出した。 それは「大丈夫」という言葉だった。 この言葉は、人に教えてもらったものではない。 20年近く前に、ひどく落ち込んでいた時期があったのだが、その時自分の腹の底から沸いてきた言葉である。 それでその言葉に力があると感じたぼくは、例の延命十句観音経とセットでずっとその言葉を唱え続けた。 そのおかげで、無事に落ち込みから脱出できたのだった。
それから何年か後のこと。 たまたま見ていたテレビショッピングで、面白いものを紹介していた。 それは『大丈夫石』というものだった。 最初は何気なく見ていたのだが、「大丈夫」という言葉に触れたとたん、つい引きこまれるように見てしまった。 その説明では「嫌なことがあった時や、落ち込みそうになった時に、この石を握れば効果がある」というようなことを言っていた。
それを聞いて、ぼくは「なるほど商売にすると、こうなるわけか」と思ったものだ。 元々「大丈夫」という言葉には、すごいパワーが秘められているわけだから、石は必要ないのである。 しかし、言葉は商品に出来ない。 ということで、その企業は石を利用したのだろう。
さて、話は戻るが、その『魔法の言葉』という本を読んで、ぼくは「これらの言葉に『大丈夫』を付け加えたら、万能の魔法の言葉になる」と直感したのだ。 それ以来、ずっと『大丈夫』と付け加えた『魔法の言葉』を唱えているわけだ。
特に嫌なことをイメージしそうになった時に、この言葉を口にすると、イメージは『大丈夫』の方向に引きずり込まれ、嫌なイメージを回避できる。 それが積もり積もっていくと、毎日が楽しくなってきて、将来に対する不安はまったくなくなったのだ。
そういう心の形が、いい運を呼び込みつつある。 どんな運かと問われると、ちょっと返答に困る。 なぜなら、具体的な内容がまだわかってないからである。 今言えることは、長年追い続けてきた夢が、手の届くところまでやってきているということだけだ。 が、このブログをずっと読んでくれている方には、それだけで何のことかおわかりいただけると思う。 ということで、その夢が実現すれば、当然収入もあるわけだから、車を手に入れることが出来るというわけだ。
まあ、そんな七面倒くさい言葉を唱えずに、ただ単に「車が手に入りました。感謝します」と唱えるだけでもいい。 だが、ぼくの場合、夢の実現のほうに重きを置いているから、こういう七面倒くさいと思われる『魔法の言葉』を唱えているわけである。
嫁ブーを会社まで送っていく時に、いつも思うことがある。 それは「新しい車がほしい」ということである。
とにかくスピードが出ない。 ぼくの家は幹線道路に接しているため、けっこう交通量が多い。 その合間を狙って道路に出るのだが、素早くスピードを上げないと、すぐに後続の車に追いつかれてしまう。 こういう場合、後続の人は「入れてやったのにノロノロ走りやがって」と思うに違いない。 いや、ぼくもそういう場合はそう思うから、他の人もきっとそうだと思う。
また、登り道などでも、以前は若干アクセルふかすだけで速度は保てたのだが、今はかなり踏み込んでもスピードは出ない。 ということで、今は高速道路を使えない。 いや、使いたくないのだ。 高速道路の登坂車線はけっこう距離があるから、もしこの車で走るとすると、いいとこ50キロしか出ないのではないだろうか。 それも距離が伸びれば伸びるだけ、速度は落ちてくるから、かなり周りに迷惑をかけるだろう。 だから嫌なのだ。
車がほしい理由は他にもある。 それは燃費の問題である。 2年前までは、1リットルで10数キロ走っていた。 昨年は少し落ちて10キロ前後。 それが今では7キロもいかないのだ。 そのため、たかだか嫁ブーの送り迎えに使っているだけなのに、月2回、下手すれば3回もガソリンを入れなければならない。 ガソリンが高騰している今の2回分の価格は、2年前の4回分とあまり変わらない額である。 この出費が、失業者には非常にきつい。 このガソリン代を減らすためにも、新しい車が必要だというわけだ。
スピードと燃費、他にもエアコンの利きが悪いといった理由もあることはあるが、車がほしいという主な理由はこの二つにつきる。 で、問題はここからである。 車がほしいのはいい。 だが、それを手に入れるために必要な資金が、今のぼくにはないのだ。 まあ、資金がなくてもローンを組んで手に入れることはできる。 ところが、これが今のぼくには組めないのだ。 なぜかというと、失業中だからである。
だが、まったく方法がないというわけではない。 それは何かというと、「魔法の言葉」である。 「またわけのわからんことを言って…」と思われるかもしれない。 ところが、この「魔法の言葉」が実に効果があるというのを、ぼくは最近身をもって体験したのだ。
会社を辞めると、いろいろ面倒なことをしなければならない。 まずやらなくてはならないことは、職業安定所に行って、失業保険の手続きである。 これを怠ると、失業中の収入がまったくなくなるのだ。 ぼくの場合、自己都合での退職だから3ヶ月失業手当をもらえないのだが、手続きをしないと3ヶ月経ってからももらえない。 そのため、いやでも職安には行かなければならない。
手続きが終わると、今度は就職活動をしているかどうかのチェックが入る。 もし規定回数活動をやってないと、手当はもらえなくなるのだ。 そのために、月に最低二度は、何らかの就職活動をしなければならない。 就職活動というのは、職安などが指定した企業に面接に行く、職安に行って求人広告を閲覧する、などである。
職安の次は、社会保険事務所である。 年金や健康保険の切り替えをしなければならないのだ。 まあ、こちらの方は一度行けばいいだけだから、面倒はない。 が、ここに関連することは、すべて支払いにつながるのだ。 この支払いが精神的に苦痛を与えるのである。
これまでそういうものは給料天引きだったから、あくまでも給与明細上の確認ごとに過ぎなかったために、支払っているという感覚がなかった。 ところが、会社を辞めると、そういうものはすべて自分でお金を準備して支払わなければならなくなるなるわけだ。 年金は今後どうなるかわからないし、健康保険は病院嫌いなのであまり縁がない。 そのため、自分の中では、霊感商法にお金を遣っている気さえする。
支払いはそれだけではない。 市民税もあるのだ。 15年前に会社を辞めたとき、これが突然来たのでビックリしたことがある。 その時は「金がないのに、こんなの払えるわけないやん」と放っておいた。 そして再就職したときに、給与からその分を引き落とすようにしたわけだが、その分に加えて、その時点の市民税も払わなければならなかったから、けっこうきつかったのを覚えている。
さて、そういう支払いだが、とりあえず今現在は、銀行の窓口で支払うようにしている。 そのため、いちいち銀行に出向かなければならないのだが、これが一番面倒である。
ぼくは基本的に払い込みはすぐに払わないと気がすまないほうなので、そいうものが全部来るまで待ってからまとめて支払うなどということはしない。 つまり、自分で面倒にしてしまっているわけだ。 が、そういう姿勢を改めたりはしたくない。 なぜなら全部来るのを待っているうちに、最初にきた払い込みの通知書をなくしたという経験を何度もしているからだ。
…ということで、失業している間は、そういったことをずっとしていかなければならないわけだ。 それを避けるためにも、早く職に就かないとならないのだが、今は依頼している仕事の成り行きを見守るばかりである。 さて、どうなることやら…。
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