頑張る40代!plus

2006年08月31日(木) 迷惑メール(後)

さて、朝起きてみると、さすがにメールは来ていなかった。
いつも目覚まし代わりに使っているウェザーニュースも、時事通信も、西日本新聞も…、何にも届いてはいなかった。
普段当たり前になっていることが、当たり前になっていなかった時というのは、あまり気分のいいものではない。

さっそく受信拒否を解除することにした。
すると、とりあえずの受信拒否が功を奏し相手が諦めたのか、はたまた相手が寝ているのかは知らないが、ぼくが目を覚ましてからは、まったくそういうメールメールは来なかった。
それで「対策はもういいや」ということになり、放っておくことにした。

ところがである。
解除して2時間を過ぎた頃、来たメールを見て愕然とした。
再び「メール下さい」メールが来たのだ。
今度は知らない女性名で「何でメールくれなかったんですか?待ってたのに…」と書かれたものまである。
そしてあれよあれよという間に、その類のメールが10件を超えた。
その時は、さすがにメールアドレスを変えようと思った。
しかし、考え直した。
それをやると、かなりの数の人に変更通知を出さなければならないのだ。
それが面倒である。

そこで、朝やるはずだった対策を練ることにした。
まず考えたのが、いちおうパソコンからのメール受信を拒否して、必要なメールのドメインだけを許可登録する方法だ。
これだと確実である。
そこでやってみようと、必要なメールの数を数えてみたら、何とかなりの量あるではないか。
許可登録の限度は40件までなのだが、確実にそれ以上はある。
しかも、それをやるとなると、まずメールからドメインを拾い出してそれをコピーし、その上で画面を切り替え、そしてそれを貼り付けるという、変更通知よりもさらに面倒な作業を強いられることになる。

で、次の方法を考えてみることにした。
…ところが、長い間考えてはみたものの、何も出てこない。
そういうわけで、「まず考えた」方法を採ることにした。

今ケータイに送られてくるメールは2種類ある。
パソコンからの転送メールと、iメニューなどから拾ったケータイ向けメールである。
どちらのメールが多いのかというと、圧倒的に前者のほうである。
なぜなら、差出人が同じでも、ドメインが違うことがよくあるからだ。
そのため、当初パソコンメールはケータイには転送しないようにするか、もしくはYahooメールに転送して着信通知だけ受けとるようにしようと思っていた。

しかし、転送をやめてしまうと、タイムリーな情報が得られないし、着信通知だと同じ文面しか書いてないので、メールを見落とすことにもなりかねない。
そこで、何かいい方法はないかと調べてみると、あった。

前々から使っているリモートメールに、送られてきたメールをすべてリモートメールのドメインでケータイに転送するという、便利な機能があったのだ。
その機能を使えば、リモートメールのドメインを受信許可するだけで、パソコンからの転送メールはすべてケータイに届くというわけだ。
ということで、パソコンの転送メールはその転送先をリモートメールに変更した。

これで受信登録のための作業の量は遥かに軽減された。
件数も40件を下回わり、楽に作業が出来た。
まあ、転送メールは同じドメインのため、フォルダに振り分け出来ないというデメリットはあるものの、これでもう「メール下さい」とか「お金を借りるならココ」とか、「何でメールくれなかったんですか?待ってたのに…」などというふざけたメールを見なくてすむ。
めでたしめでたしである。



2006年08月30日(水) 迷惑メール(前)

昨日の夜、テレビを見ている時だった。
10時半を過ぎた頃から、部屋に置いていたケータイのメール着信音が頻繁に鳴りだした。
最近は懸賞やポイントメールがたくさんくるので、そういった類のものだろうと思いあまり気にはしなかった。

11時にテレビを見終わる。
部屋に戻りケータイを見てみると、そういう類のメールではなかった。
女性の名前で「メール下さい」だとか、「お金を借りるならココ」だとかいう内容のメールばかりである。

@から後ろ、つまりドメインはすべて同じ。
それも今まで見たことのないドメインだ。
アカウントもいいかげんで、アルファベットを意味なく並べているものばかり。
そう、迷惑メールなのである。
数えてみると、12件来ていた。
30分の間に12件だから、メールは2分半に1通の割で来ていた計算になる。
こんなことは初めてである。
パソコンで迷惑メールを受けたことがあるが、ここまで多くはなかった。

11時を過ぎてもメールは来続けている。
そう、相変わらず2分半に1通のペースでだ。

12時を過ぎると、さすがにメールの数は減ったが、それでも5分間隔で来るのだ。
ここまできて、ようやくぼくは腰を上げた。
何をしたのかというと、ケータイ以外のドメインで来たメールを受けとらないように設定したのだ。
これでメールは来なくなった。

それはそれでよかったのだが、これをやってしまうと大事なメールも受け取れなくなる。
依頼している仕事のメールも、ケータイに来るようにしているので、これではちょっと困る。
やはり受信拒否はすべきではない。

とはいえ、時間が時間だ。
大事なメールというのは、ちゃんとした企業からのものだから、夜中に来るとは考えられない。
また、相手は夜中でもこんなに多くメールを送っているのだから、当然午前中は寝ているはずだ。
ということは、仮にぼくが朝起きてからすぐに拒否解除しても、一時は迷惑メールは来ないということだ。
その間、対策を練ることができる。

また、相手はこれだけ集中して大量メールを出してくるのだ。
ということは、たとえそれが短い時間であったとしても、ことごとく受信を拒否されれば、メールアドレスを変えたと思い、ぼくにメールを出すのはやめるだろう。
もしそうしないなら、相手はよほどのバカだということになる。
ということで、朝拒否解除するということにして、寝ることにした。



2006年08月29日(火) 焼きめしとチャーハン

小学生の夏休み、昼飯というといつも焼きめしだった。
母が働きに出ていたので、作ってくれるのは叔母だった。
全体の色が変わるぐらいにウィスターソースをぶっかけて、汗を流しながら食べていたものだ。
その際に飲むのは水か麦茶と決めていた。
味が濃いので、熱いお茶を受け付けなかったのだ。

時は流れて20歳の頃、つまり東京時代。
横須賀の親戚に遊びに行った時、叔父からチャーハンを作ってもらったことがある。
味はまろやかで、それでいてコクがある。
添えてあった福神漬けの味とも調和していた。
まず、そのへんの中華料理店には負けてなかっただろう。

さて、この叔父と叔母は実の兄妹なのだが、二人の作ったものはまったく違っていた。
一番大きな違いは、玉子の有無である。
叔父が作ってくれたチャーハンは玉子がベースになっていた。
ところが、叔母が作った焼きめしには、玉子など入っていたことがない。
油でそのまま炒めていたのだ。

もう一つの違いを上げるとしたら、グリーンピースの有無である。
叔父の作ってくれたチャーハンには、ご丁寧にグリーンピースまで入っていたのだ。
一方の叔母の作った焼きめしは、基本的な野菜が入っているだけだった。

だが、その二つ、どちらがおいしかったのかというと、叔母のほうだ。
叔父のチャーハンは実に行き届いていた。
タマネギの切り方ひとつにもこだわりがあったようだし、盛りつけ方もきれいにまとまっていた。
一方、叔母の焼きめしはすべてが大雑把だった。
具を適当に刻んでぶち込んだような感があり、盛りつけ方も決してうまいとは言えなかった。
味はというと、どちらもそれなりの味をしていたように思う。
だが、ぼくはあえて叔母の焼きめしに軍配を上げる。

理由は二つある。
ひとつは、好き嫌いの問題である。
いや、別に叔父と叔母の好き嫌いではない。
何かというと、グリーンピースである。
ぼくはグリーンピースが全くダメなのだ。
あれが乗っているというだけで、おいしさが半減してしまう。
それだけ選って食べるというのも面倒な作業だし。
とにかくこれだけでも、10点は減点になる。

もう一つは、醍醐味である。
チャーハンというと、何かお体裁ぶっているような感じがするのだ。
中華料理屋に行ってチャーハンを注文すると、お焦げなどはあまりなく、さらにきれいに盛って出てくるから見た目もきれいだ。
しかし、ご飯はお焦げがおいしいのだ。
それがもしまずいとすれば、例えばお焦げが出来る炊飯ジャーなどは出来なかっただろうし、焼きおにぎりが売れることはなかっただろう。
また、見た目がきれいだと、ウィスターソースをぶっかけるのも気が引けるではないか。

一方の焼きめしは、実に野性的である。
ソースをぶっかけたり、生卵をや半熟目玉などを乗せてグチャグチャにかき混ぜたりしてもかまわない。
いや、そうすることでおいしさが増すのだから、これはもうやらざるを得ない。

かつて、うちの近くのデパートの食堂街のある店に、「男の焼きめし」というメニューがあった。
その名前を見ただけで野性味を感じ、おいしさを予感したものだ。
さっそく注文し食べてみるとこれが絶品で、仕事さえなければ毎日でも食べに来たいと思ったほどだった。

ところが、この間そこに行ってみると、確かに「焼きめし」はあったが、肝心の「男」が抜けていた。
性別不問にしたせいか、「チャーハン」に近いものが出てきた。
しかし野性味を感じなくなったせいなのか、味は落ちていていた。

今、町の食堂などに行くと、大多数の店のメニューには「チャーハン」とか「炒飯」とか書いてある。
一方、「焼きめし」と書いてあるところは実に少ない。
それが寂しい。



2006年08月28日(月) 推理

今日、ちょっと調べ物があって、Googleの地図を見ていたのだが、そこに面白いものを見つけた。
そのサイトは普通の地図だけでなく、航空写真も見ることが出来る。
そこでぼくは、自分の家を探してみることにした。
まあ、探すといっても、そこにある検索窓に住所を入れればすむはなしであるが。

ということで、一発でぼくの住むマンションが出てきた。
「なるほど、うちのマンションは空から見るとこう見えるのか」などと思いながら見ていると、そこにすごいものを発見した。
ぼくは思わず嫁ブーを呼んだ。
「おーい、ちょっと来てみ」
「何?」
「おいこれ、ちょっと見てみ」
ぼくは、そう言ってそれを指さした。

「航空写真やん。これがどうかしたと?」
「よく見てみ」
「えっ?」
「わからんか?」
「…、あっ、これうちやないね」
「そう。じゃあこれは?」
「あーっ!これしんちゃんの車やん」
「おう」
「こんなもんまで写るんやね」
「そうっちゃ。見つけたときビックリした」

「ねえ、これいつ写したんかねえ?」
「さあ?ここには2006年と書いとるけど、去年出来たホームセンター○○が写ってないんよ。いちおう整地はすんどるみたいやけどの」
「ということは、去年なんかねえ?」
「さあ、どうなんかのう…」

そこでぼくは、その写真がいつ撮られたものであるか、調べてみることにした。
まず、時期を推理してみた。
先に書いたホームセンター○○のオープンは、昨年の7月頭だった。
大型店舗の建築は3ヶ月位かかる。
ということは、建て始めは4月頭ということになる。
また、整地はすませているわけだから、写真は建てる直前、つまり3月の終わり頃に撮られたと考えられる。

さらに、車が写っているくらいだから、その日はぼくが休みだったということだ。
そこで昨年の3月最後の休みを調べてみると、29日になっている。
たぶんこの日で間違いないだろう。

では時間はどうかというと、それもわかった。
近くのマンションに知り合いが住んでいるのだが、そのマンションの影が、真北にかかっているのだ。
ということは正午頃だということだ。
そういうわけで、この航空写真は、2005年3月29日昼の12時前後に撮影されたことが判明した。

しかし、こんなことを調べて何になるのだろう?
今度は、「こんなことを調べて何になるのか?」ということを推理してみるか。



2006年08月27日(日) 夜の秋

今日も昼から雨で、降り出してから一気に秋になったように涼しくなった。
雨が降り込んでくるので、家の窓を全部閉めたのだが、まったく暑くなく、息苦しさも感じなかった。

ところで、俳句の歳時記で「夜の秋」というのがあるが、ちょうどこの時期の季語だ。
ぼくが昔作った詩に、『時の雨』というのがある。

 雲深き 夜の秋
 月隠れ 時の雨
 過ぎし人 傘もなし

 旅日記 日々は濡れ
 時はもつれ 時の雨
 懐かしき 想い消え

  風は濡れ 夜に冷たく
  時の雨 火もつかぬ

  虫は鳴き 夜に冷たく
  時の雨 咳はやまぬ

 実も触れず 枝は枯れ
 立ち止まる 時の雨
 遠き夢 闇に枯れ

これを書いたのは19歳になる年のちょうどこの時期で、やはり今日みたいな天気の日だった。
ここでいう「時の雨」というのは、時雨のことではなく、通り雨という意味で使った。
当初「瞬時(とき)の雨」としていたのだが、いちいち「瞬」を書くのが面倒だし、そう読ませるのも苦労するだろうから、「時の雨」に改めたのだ。

これを書いた日も今日と同じく面白くない日で、気分がクシャクシャしていた。
その面白くない気持ちのままに、当時日課にしていた日記を書いたのだが、支離滅裂な内容になってしまった。
そこで、グチャグチャに塗りつぶしたというわけだ。

いったい何が面白くなかったのかというと、それは勉強である。
何度も言っているが、その当時ぼくは予備校に通っていた。
その日、お盆明けの模試の結果が出たのだ。
結果は最悪だった。

そういうわけで、その日は何をやっても面白くなかった。
しかし、翌日になれば気は晴れるだろうと思っていた。
が、そうではなかった。
その翌日も翌々日も「面白くない」は続いたのだ。
そして面白くないまま時が過ぎ、いつの間にか「面白くない」は将来に対する不安に変わっていった。
結局ぼくはその不安から抜け出すことをしなかった。
それどころか、逆に受け入れてしまったのだ。
そのせいで、本格的に長い浪人生活が始まったというわけだ。

ぼくの書いた詩は、将来を暗示したようなものがけっこうあるのだが、そういう視点で読んでみると、この詩もそのような気がしてくる。
もしそうであれば、仮にあの日ハッピーな詩を書いていたら、その通りになったのかもしれない。
それを思うと残念な気がする。

ところで、今日は何で面白くなかったのかというと、ホークスが宿敵ライオンズに負けたからである。
これでまた2ゲーム差だ。
日ハムも0.5差で迫ってきているし、いったいこの先どうなるんだろうか。
…ホント面白くない!



2006年08月26日(土) 夕立

嫁ブーの会社は、ぼくの家からおよそ4キロ離れた場所にある。
だが、これはあくまでも車道の距離である。
直線距離だとその半分の2キロしか離れていない。

今日、そのたった2キロの距離でこんなことがあった。
夕方、ぼくがテレビでホークスvsライオンズの試合を見ている時に、電話が鳴った。
出てみると嫁ブーだ。

「しんちゃん、寝室の窓閉めた?」
「えっ?」
「今日閉め忘れとったんよ」
「いつものことやないか。何でそんなこと気にするんか?」
「今、すごい雨が降りよるやろ?」
「何も降ってないぞ」
「えーっ、こっちは土砂降りよ」
「こっちは晴れとるぞ」

…ということだった。
電話を切ったあとに外を見てみると、なるほど嫁ブーの会社があるあたりの空は真っ黒になっている。
たった2キロの違いで、一方は大雨、一方は晴れなのである。
「夕立は馬の背を分ける」と言われるが、こういうことがあると、ついその馬の背、つまり雨の切れ目を見てみたくなる。
そこでぼくは出かける準備をした。

ところが、こちらの空も徐々に黒くなってきたのだ。
嫁ブーから電話があった時に遠くに聞こえていたカミナリの音も、だんだん近づいてきた。
そしてその音が最も近くなった時、とうとう雨が降り出した。
土砂降りである。
ぼくは慌てて寝室の窓を閉めに行った。
もちろん、こうなってしまったので、外に出る気も失せてしまった。
雨はその後30分ほどでやんだが、その間けっこう大量に降ったのだった。

それから1時間ほどして、ぼくは実家に行った。
母はぼくの顔を見るなり、「さっき雨が降ったやろ?」と聞いてきた。
「うん、降ったよ」
「でも、空が真っ黒になったわりには、あまり降らんかったねえ」
「えーっ?!」
「その時ちょっと自転車置き場に行ったんやけど、パラパラ程度やったよ」
ぼくの家と実家は、直線だと200メートルくらいしか離れてない。
それでこの差だ。
夕立恐るべしである。

ところで、200メートル先がパラパラだったとしたら、300メートル先は、おそらくまったく降ってなかったのではないだろうか。
ということは、雨の切れ目はその間にあったということになる。
…やはり、見に行けばよかった。



2006年08月25日(金) 久しぶりにギターを弾く(後)

19日の記事の続きである。
今月の15日に久しぶりにギターを弾き、豆が出来かかったわけだが、翌日指の様子を見てみると、相変わらず前日のままで、白くプクンと盛り上がっていた。
しかも、指先が脈を打っている状態だった。

特に酷かったのが右手の中指で、脈打つたびに痛みを伴う。
そこで指を揉んでみたのだが、白く膨れているところはさほど痛くない。
痛いのはその周りだった。
どういう痛さかというと、指先をペンチで思いっきりつまんだような痛さである。

そういうわけで、その日ギターを弾くのをやめようかと思った。
しかし、そこでやめてしまうと、いつまで経ってもギターは弾けない。
次に弾いた時に、また同じ状態になるからだ。
ということで、痛みを我慢してギターを弾いてみることにした。
もちろん恐る恐るである。
とりあえず軽く押さえてみたのだが、それだけでかなり痛い。
白く盛り上がっている部分が押されて、周りに刺激を与えるのだ。

それでも我慢して弾いていると、今度は手のひらが痺れてきた。
もちろん中指の痛みからくるものである。
しかしぼくは負けずに弾いた。
そこでやめることを、ギター歴32年のプライドが許さなかったのだ。
結局その日は2時間近くも弾いたのだった。

その翌日、事態はさらに酷くなっていた。
白く膨らんだ部分の奥に赤い点が見えたのだ。
おそらく、白い部分の奥に血豆が出来ていたのだろう。
前日無理してギターを弾いたせいで、それが破れてしまったようだ。
そのおかげで、さらに痛くなったような気がしてきた。

この時、ぼくはあることに気がついた。
それは弦である。
これまでぼくは、弾き始めに痛くなったことは何度もあるのだが、今回のように血豆が破れる、いや血豆が出来るということすらなかった。
今回こういうことになって、「何でこんなことになるのだろう」と考えていたのだが、それはギター弦のせいだという結論ににいたった。

ぼくはこれまで、ギター弦はライトゲージもしくはコンパウンドゲージといった柔らかめのものを張っていた。
そのほうがフィンガーピッキングをしやすいからだ。
ところが、その日までギターに張っていた弦は、堅めのミディアムゲージだったのだ。
ギターを買った時のまま張り続けていたから気がつかなかったが、体は正直である。
32年間まったく使ったことのない弦ゆえに、素直に血豆という形で反応したのだから。

さて、それに気づいたぼくは、さっそく買い置きしていた弦(ライトゲージ)に張り替えることにした。
何で何ヶ月も張り替えなかったのかというと、答は簡単である。
それは面倒くさいからだ。
楽器を売っていた頃、ぼくはうんざりするくらい弦の張り替えをさせられていた。
そのせいで、あまり自分のギターの手入れをしなくなったのだ。
まったく、ギター弾きの風上にも置けない奴である。

そういうわけで、それを境に、あまり痛みを感じることはなくなった。
そして三日前、ギターを再開してから一週間後に、ようやく豆の出来かかりはタコに変わり、完全に痛みから解放されたのだ。
血豆の破れたあとも赤から茶色に変わったし、あとは今後そういうことにならないように継続あるのみである。



2006年08月24日(木) 腰痛治療は金がかかる

今日の睡眠時間は6時間だった。
最近4時間が平均だから、久しぶりに充分睡眠が取れたことになる。
ただ、習慣というのは恐ろしいもので、就寝してから4時間後に一度目が覚めたのだ。
それもボヤッとした目覚めではなく、ピタッと目が覚めたのだ。
その後再び目を閉じて、眠りに就いたわけだから、つまり二度寝したことになる。
そのため、変に疲れて寝起きが悪かった。

まあ、寝起きは別として、普段より2時間多く寝たせいなのか、起き上がった時えらく腰が痛かった。
ほとんど這うような状態でトイレに向かったものだった。

ここ3ヶ月間、立ち仕事をやったことはなく、また重い荷物も持ったこともなかったので、腰痛を感じることはなかった。
そのため、腰痛は治ったとさえ思っていたのだ。
それがたかだか2時間多く寝ただけで、この有様である。
やはり3ヶ月間の安静ぐらいでは、腰痛は治らないということである。

さて、偶然なのかどうなのか、今日届いたメルマガにその腰痛に効き目のありそうな機械の紹介があった。

バックライフ (KT)【美容健康商品・コンタクトレンズ・家電専門店Blue-Lagoon】

これなのだが、この写真の姿勢、これが腰痛に一番良い姿勢だと、整体の先生に聞いたことがある。
それを聞いて以来腰が痛い時、ぼくはこの姿勢でいることが多い。
脚を浮かせることで、腰の部分が床に密着する。
そうなることで腰は楽になり、痛みも緩和していくのだ。

この機械は、その楽な姿勢に円運動を加えるようになっている。
かつて『腰痛、よく黙っていたもんだ』という本を読んだことがあるのだが、それに腰痛には円運動が有効だというようなことが書いていた。
つまりこの機械は、腰痛治療の理に適った治療器だと言える。

今はともかく、いよいよ腰痛が酷くなった時に考えてみようかな。
整体だと、一回につき3千円から5千円の治療費を取られるし、一回で治るわけでもない。
最低10回は通わなくてはならないのだ。
それを考えると、これは壊れるまで使えるわけだから、決して高い買い物ではない。
うん、その時にぜひ購入することにしよう。



2006年08月23日(水) ギター講座

ぼくがギターを始めたのは、高校1年の秋だった。
ギターを手に入れた日に簡単な入門書を買ってきて、それで調弦の仕方を覚えた。
当初入門書に頼ったのはそれだけで、あとは吉田拓郎のスコアブックでコードを覚えたのだった。
もちろんそれだけだったので、アルペジオなどというしゃれた弾き方は出来るはずもなく、ただ歌に合わせてピックでジャカジャカ弾くだけだった。
その当時のぼくは、それで充分だったのだ。

ところが、周りにはえらく上手い奴がいて、難しい曲をレコード通りに弾いていた。
それを聞いて、コードだけではダメだと思うようになった。
とはいえ、人に習うのは嫌である。
そこでまたもや入門書を開くことになる。
ところが、その入門書に載っていたのは、いわゆるフォークソングのスタンダードナンバーばかり、それもコピーなどではなく、そういう歌を「簡単なアルペジオで弾こう!」といったものだった。

新たに本を買い込んできたものの、当時市販の教本というのは、レコードやカセットテープなどはついておらず、ただ解説と楽譜で勉強しろというものだった。
そのため、どう弾いていいのかが、まったくわからない。

そういう時に読んだ本に、ギターがうまくなる一番の方法は、レコードをコピーすることだと書いてあった。
そこで、さっそく実行してみたのだが、基本が出来てないぼくには到底無理だった。

半分ギターのことを諦めかけていた時に見つけたのが、エレックレコードの通信教育だった。
パンフレットを見ると、それは半年の講座で、毎月レコードと教本が送られてくるというものだった。
また会員には、将来レコードデビューするチャンスもあるというようなことも書かれていた。
「将来レコードデビューするチャンス」、この殺し文句を見て、ぼくは即座に通信教育の手続きをした。
そして半年後、ぼくは何とか人並みにギターを弾けるようになったのだった。

それから数年後、ぼくは楽器を売るようになっていた。
そこには数々の楽器の他、楽譜や教本などが置いてあったのだが、その教本には教則用のカセットテープが付いていた。
もちろん、価格も通信教育よりずっと安かった。
またそれから数年して、今度はビデオ付きの教則本まで出てきた。
ここまで来れば、マンツーマンで人から教えてもらっているのと変わりはない。
ぼくが通信教育で苦労したコードのポジションも、これだと簡単にわかるのだ。
まさに至れり尽くせりである。
しかも、これまた通信教育よりは、ずっと安い価格だった。

時代は流れて、今はこんなものがあるのだ。
ネットで始める音楽レッスン「ヤマハミュージックレッスンオンライン」
ネットを利用して、ギターなど楽器を教える講座である。
懇切丁寧な内容だし、掲示板を使って情報交換も出来るという。
もしぼくが学生時代に、こういうのに巡り会っていたとしたら、今頃はプロになっていただろう。
ホント、うらやましい話である。



2006年08月22日(火) キャンディーズ…2

ちょっとショックなことがあった。
先月17日の記事に「50代のキャンディーズを見てみたい」と書いたのだが、あの時ぼくはかなり期待を込めて、その文章を書いた。
ところが2日前、その期待が崩れ去るようなことを聞いたのだ。
何と50代どころか、この先永遠に再結成はありえないらしいというのだ。

毎週日曜日の夜10時30分から、福岡放送で『ナイトシャッフル』というバラエティ番組をやっている。
その番組では毎週ゲストを呼び、地元で評判の店などに連れて行くコーナーがあるのだが、今週のゲストが元キャンディーズの田中好子だった。

そのコ−ナーの中で、スーちゃんはキャンディーズ時代の裏話をしていた。
面白かったのは、地方でホテルに泊まるとき、いつも三人いっしょの部屋だったらしく、そのために、いつも寝る時間が少なかったというのだ。
いや、別におしゃべりするからという理由ではない。
原因は風呂である。
部屋内のバスルームは狭いから、当然三人いっしょには使えない。
そのため、一人一人順番に風呂に入らなければならない。
もちろん女性だから、毎日頭を洗ったりする。
だから一人当たりの使用時間がけっこう長くなる。
というわけで、寝る時間が少なかったらしいのだ。

さて、そういう話があったあと、ぼくが一番聞きたかった部分をキャスターが突っ込んだ。
「キャンディーズの復活はないんですか?」
「ありません!」
即座にスーちゃんは答えた。
そのあとに、あの時代だからキャンディーズでいられた、というようなことを言っていたが、それでぼくの夢は潰えたわけだ。

だがその理由は、一部で囁かれている不仲とかいうのではなさそうだ。
なぜなら、彼女たちは今でも三人で集まっていると言っていたからだ。
その中で、「この間もランちゃんの家に集まった」という話をしていたが、「そこに突然、水谷豊が現れた」というような現実的(?)なことを言っていた。

しかしスーも年を取ったなあ…。
何とそのロケ中に老眼鏡をかけていたのだ。
日曜劇場「誰よりもママを愛す」に出ているランも、以前に比べるとけこう老け顔になってきたし…。
まさか、そういうこともあって、復活を拒んでいるのではないだろうか。

まあ、確かに懐かしの歌謡曲のような番組を見ていると、かつてのアイドル歌手がえらく太っていたり老け込んだりしていて、見るのも忍びなくなる時がある。
それを考えると、残るミキの顔を見るのが恐い。
やはり、あの時代だからキャンディーズ…、なんだろうなあ。



2006年08月21日(月) 鼻炎と今日のラッキー

昼頃から鼻水が出だして、それ以降ずっとクシャミを繰り返している。
扇風機は回しているが、エアコンなどは入れてない。
そのため体が冷えることもないので、風邪ではないと思う。

ということは、鼻炎か。
もしそうだとすると、いったい何の鼻炎なのだろうか。
花粉が舞っているようには思えない。
ハウスダストというのもあるが、そんなものは今に始まったことではないし、まさか、扇風機アレルギーなどということも考えられない。

ま、何にせよ、早く治さなければならない。
ぼくは鼻炎に悩まされた時にやっていることがある。
それは、ちょっとあごを上げた状態で仰向けに寝ることである。
そうすることで鼻水はのどに流れるし、うまくいけば鼻炎のもとになっている鼻水の塊みたいなのがストンと落ちて、それで治ることが多いのだ。

で、さっそくやってみたのだが、今日はどうも調子が悪かったようで、鼻水はのどに流れるものの、なかなか鼻炎のもとが取れないのだ。
とはいえ、のどに流れると楽にはなる。
それで起き出すのだが、もとが取れてないために、しばらくするとまた鼻水が出てくる。
そこでまた、仰向けに寝る。
というわけで、今日はこういうことを何度やっただろう。

さて、鼻水が流れる時は、鼻が詰まっていることが多い。
鼻が詰まると苦しいので、どうしても口を開けてしまう。
そうすると、口の中がカラカラに乾いてしまう。
その乾きは尋常ではない。
冬時によくなるのだが、口の中の水分がなくなることで、舌が水分を含んでないスポンジのように少し膨れるのだ。
それを放っておくとのどが痛くなったりするので、すぐに水分を補給するのだが、いったん乾ききった口の中はすぐに元にはもどらない。

その間、口の中が微妙に熱く感じて、実に気持ちが悪い。
何を食べても味はないし、タバコもおいしく感じない。
そいうわけで、今日は氷を口の中に入れておいた。
しかし、氷を口の中に入れていると、タバコが吸えない。
いや、吸って吸えないことはないのだが、ぼくはこの組み合わせがあまり好きではない。
なぜなら、氷にニコチンやタールがこびりつくような気がするからだ。

ということで、今日は鼻水が出る、鼻が詰まる、口が渇く、タバコが吸えないという、実にイライラのつのる、ろくな一日ではなかった。
7月以降、ぼくは毎日「今日のラッキー」を探しているのだが、今日みたいな日に「今日のラッキー」を探すのは至難の業である。

…あ、そうか。これがあった。
タバコが節約できたのだった。
ということで、今日もラッキーである。
ま、ちょっと苦しいラッキーではあるが…。



2006年08月20日(日) 誤算続きだ♪

18日、台風の日に、セシールのネットカタログで見つけた商品である。
サイトのトップに女性下着が載っているのでちょっと躊躇したが、こののれんを見つけたからにはしかたない。
さっそく会員登録して、こののれんを注文した。

実は、ぼくは前々から、この「『ゆ』のれん」がほしかったのだ。
20年ほど前、あるお客さんの家に行った時に、こののれんを見つけ、一目で気に入った。
そこで「これ、どこで売ってたんですか?」と聞いてみると、そのお客さんは「そんなのどこでも売っとるよ」と言う。
それを聞いて、ぼくはデパートやインテリア専門店などを探し回った。
ところが、どこにも置いてないのだ。

それから、そのことをようやく忘れた数年後のことだった。
友人と湯布院に一泊旅行に行った。
その時泊まった宿屋で、そののれんを見つけたのだ。
しかし、その時はおみやげを買ったり按摩さんを雇ったりしたため、お金があまり残ってなかった。
まあ、友人にお金を借りて買うという手もあることはあったが、湯布院にあるということがわかったから、別にそこまでしなくても次に来た時に買えばいいと思い、その時は買わずに帰ったのだった。

ところが、それが誤算だった。
何が誤算だったのかというと、その後何度か湯布院に行ったのだが、その宿屋がどこだったかわからなくなくなったのだ。
おみやげ屋さんに行っても置いてないし、もしかしてあるんじゃないかと思って行った温泉にも置いてなかった。
それでまた買う機会をなくしてしまったのだった。
というわけで、今回、20年かかってようやく手に入れたわけだ。

ところでこののれん、注文した時は21日発送、23日到着ということになっていた。
そこで、23日に予定を入れないようにしていた。
ところが着いたのは今日である。

午前中のことだった。
嫁ブーを送って、家に戻ってきた時だった。
「ピンポーン」というインターフォンの音がした。
出てみると、ペリカン便の人だった。
「お届け物があります」と言う。
ドアを開けると、その人は小さな箱を持っていた。
受けとってみると、その箱はえらく重いのだ。
最初はのれんかと思ったが、のれんがこんなに重いわけはないし、今日着くはずはない。
「では、いったい何だろう?」と思って箱を開けてみると、「お買い上げありがとうございます」と書いた紙が入っており、その下にのれんが入っていた。

早くも今日届いたのだ。
これはうれしい誤算である。
で、何が一体重かったのかというと、のれんの下に入っていたセシールのカタログだった。
何冊も積み重ねられていた。
これも誤算である。



2006年08月19日(土) 久しぶりにギターを弾く(前)

しばらくギターを弾いてなかった。
いや、正しくは弾けなかったと言ったほうがいい。
何で弾けなかったのかというと、関節炎である。
指を曲げると痛みを覚えるようになったのだ。
特に酷かったのが、左手の薬指第二関節で、物にちょっと触れただけでも激痛が走っていた。
原因はよくわからないが、おそらく倉庫勤務の時に、毎日重い物を持っていたツケが回ってきたのではないだろうか。

しかし、そう大して気にはしていなかった。
こういうものは、放っておけば自然に治るからである。
とはいうものの、ギターは弾けなかった。
いや、弾いて弾けないことはなかったのだが、痛みが気になってそれどころではなかったのだ。

それが5月のことだった。
あれからまったくギターを弾いてなかったから、丸3ヶ月はギターを握ってないことになる。
おかげで、左指に出来ていた押さえダコはすっかりなくなって、きれいな指先になっていた。

その間、関節炎に関しては、病院などに行くことはなかったが、時折指を引っ張るなどして自分なりに治療をしていた。
その甲斐あってか、左手薬指以外の指の痛みは、ほとんどなくなった。
痛い左手薬指も、以前のような激痛ではなくなった。

そこで、ちょっとギターを弾いてみることにした。
今月の15日のことだ。
3ヶ月も触ってないからギターは埃まみれ、おまけに弦は錆びているし、ネックも少し反っているように思える。
しかし、そんなことには頓着せずに、ぼくはギターを弾いた。

だいぶ握力が弱っているようで、満足な音が出ない。
それが悔しくて、つい力ずくで押さえてしまう。
すると何とか音は出るのだが、指先に余計な負担がかかってしまい、だんだん指先が痛くなってきた。
それでも無理をして弾いていると、今度は指が痺れてきた。

そこで中断したのだが、指先を見てみるとプクンと盛り上がって、その部分が白くなっている。
どうやら豆が出来かかっているようだ。
無理をせずに徐々に慣らしていけば、いい具合に硬くなってタコが出来るのだが、豆になってしまうとあとが大変だ。
ということで、その日はギターを弾くのをやめることにした。



2006年08月18日(金) 台風とセブン

早朝、外から「ギャーギャー」騒ぐ若い声が聞こえてきて、それで目が覚めた。
何を騒いでいるのかと見てみると、バス停でバスを待っていた学生の傘が、強風で飛ばされそうになっていたのだ。
そういえば、昨日は朝から風が強かった。
昼間、少し風は収まっていたが、夜また強くなった。
ニュースでは台風10号が近づいていると言っていたが、その時点では宮崎に上陸していたので、「これはそれる」と思っていた。

なぜかというと、台風が宮崎を通過する時は、だいたい大分から瀬戸内海に抜けることが多いのだ。
そのため、ぼくの住んでいる北九州は、雨が降るくらいで、あまり台風の影響というのはない。
それで昨夜は安心して寝たわけだが、その「ギャーギャー」声に起こされてからつけたテレビでは、「今夜、福岡直撃」というではないか。
予想外である。

こういう日は外に出るのがおっくうになる。
いや、ぼくは台風が嫌いなほうではない。
気分が高揚するので、どちらかというと、そういう天変地異は好きなのだ。
では何がおっくうなのかというと、車の運転である。
豪雨のために、視界が遮られるから嫌なのだ。
ただでさえ気分が高揚しているのに、視界が遮られたりなんかすると、さらに気分は高揚してくる。
そうなると自分がスーパーマンにでもなったような気がして、つい無茶をしてしまう。
それが恐いのだ。

しかし、幸いにも今日は嫁ブーは休みだった。
だから会社まで送っていく必要がない。
もちろんぼく個人は何も用がない。
そういうわけで、今日は外に出ずにすんだのだった。

ということで、今日は一日家にいた。
家で何をしていたかというと、前々から集めているネットカタログ(右サイド)で、いろいろな防災グッズを眺めていた。
昨年まで、ぼくが店で売っていたような商品が、いろいろと並べてあり、懐かしかったのだ。

その中に防災・防犯【セブンドリーム・ドットコム】というのがあった。
セブンイレブンのショッピングサイトである。
そのため、最初の頃ぼくは、そこで売っている商品は店舗でも売っているものとばかり思っていた。
ところが、そうでないことに気がついた。

ぼくはかつて、本の新刊やCD・DVDの新譜は、本屋やCDショップに行くのが面倒なため、セブンアンドワイで注文して取り寄せていた。
ところが、わざわざそんなことをしなくても、店舗でちゃんと売っていたのだ。
そういう経緯があったため、他の商品もてっきりそうだと思ったわけだ。

ところが、防災グッズに関しては、店舗では見たことがない。
他のものを調べたわけではないが、そういう商品は多々あると思われる。
ま、頼めば取り寄せてくれるのかもしれないが、それが出来るのはネットを見ている人だけで、ネットを見ない人にはそういう商品は買えないということになる。
そのへんをどうにかしてもらいたい。
例えば、シャディセシールみたいに、カタログを用意しておくようにするとかして。

何でセブンと関係のないぼくがこういうことを言うのかというと、最近隣のセブンは、目と鼻の先にファミマが出来たせいで、お客が減っているようなのだ。
このままいくと、どんどんお客をファミマに吸いとられ、潰れる可能性だって出てくる。
そうなると、ちょっと困るのだ。
タバコを買いに行くのに、少し遠いファミマに行かなければならなくなるし、将来のことを考えてセブン銀行に口座を作った意味もなくなってしまう。
何とかしてもらいたいものである。



2006年08月17日(木) 人が働いている時間帯はどうも落ち着かない症候群

土日が休みという会社に勤めている方にはわかりづらいかもしれないが、正月くらいしか休みのない会社、例えばデパートやスーパーに勤めている人間は、「会社が休み」という観念がないのだ。
なぜなら個人的には休みでも、会社が休みというわけではないからだ。

会社が休みでないということは、いくら自分が休みでも、誰かが仕事をしているということになる。
そのため、何かわからないことがあったりすると、すぐに電話がかかってきたりする。

ぼくはよく仲間と一泊旅行などをしていたが、そういう時でも電話はかかってきた。
あらかじめ、その日のスケジュールを会社の人間に教えていたのにである。
そのため、休みの日でも気持ちの半分は、常に職場に置いておかなければならなかった。
ということで、せっかくの旅行も、楽しさ半分だった。
つまり、落ち着いて休養を取れなかったということである。

そのせいか早帰り制度というのも、好きではなかった。
上司から「今日は帰っていいよ」と言われても、まだ多くの人が会社に残って働いていると思うと、どうも電話がかかってきそうな気がするのだ。
そのため、落ち着かず、仕事から解放されたような気分にならない。
というわけで、いつも早帰りは断っていたものだ。

本当に落ち着いて休めたのは、会社が休みの時、つまり定休日だけだった。
会社自体が休みなのだから、当然会社には誰もいない。
だから電話がかかることは、絶対にないというわけだ。
その定休日も最初は月二回あったが、そのうち一回に減り、二ヶ月に一回になり、最終的に定休日はまったくなくなってしまい、会社の休みというのは正月休みだけになってしまった。

昨日の日記の続きになるが、夕方風呂に慣れない理由の一つもここにあるのではないだろうか。
昨日の日記の冒頭に書いたとおりで、社会に出てからは、深夜風呂や朝風呂という、ほとんどの人が働いてない時間帯に風呂に入っていた。
そこには習慣というのがあった。
だが、それとは別に、深夜風呂に入るとホッとしている自分がいたのだ。
なぜ、ホッとしていたのかというと、その時間帯はもう会社が開いてないからである。
そういう思いが、後遺症として今なお残っているというわけである。

つまりぼくは、「人が働いている時間帯はどうも落ち着かない症候群」という病気を持っているのだろう。



2006年08月16日(水) 夕方風呂

昨年と比べると生活習慣がガラッと変わった。
その中で一番変わったと思われるのが、風呂である。
これまでの二十数年間、ずっと夜遅く帰宅するという生活をしてきた。
そのため家に帰るとかなり腹が減っている。
そこで、何よりも先に食事ということになる。
食事のあとは、アルコールと疲れから眠気が差してくる。
そうなると風呂に入るのがおっくうになる。
そういうわけで、風呂に入るのは、ほとんど深夜か朝だった。

ところが、今年の3月にその図式が崩れた。
それまでの店舗から、倉庫のほうに異動になり、それに伴い夕方5時半に仕事が終わるようになった。
6時には家に戻っている生活が始まったわけだ。
とはいえ、晩飯の時間が変わったわけではなかった。
嫁ブーの帰宅時間に合わせるため、これまでと同じように夜遅く食べるのだ。

そうなると問題になるのが、6時から食事までの空いた時間だ。
短くても3時間、長いときには5時間もある。
そこで、少しでもその時間を縮めようと、その間に風呂に入ることにした。
ぼくは風呂の中で本を読んだり、居眠りしたりするため、基本的に長風呂である。
そういうこともあり、時間消費にはもってこいなのだ。
ということで、それ以来、会社を辞めた今も夕方風呂を実行している。

さて、そうはいうものの、二十数年の習慣というのはたやすく抜けるものではない。
どういうことかというと、その夕方風呂がどうも慣れないのだ。
本を読んではいるものの、何か集中出来ない。
居眠りはしているものの、熟睡(?)出来ない。
つまり、落ち着かないということである。

その原因のひとつに、長い間、明るい時間に風呂に入ったことがないということが考えられる。
実は、夕方風呂の習慣は、社会に出る前、つまり20代前半までではなく、もっと遡って小学生までしかなかったのだ。
中学や高校時代は、クラブ活動で帰りが遅くなっていたから、当然夕方風呂なんて考えられなかった。
そのため、いつの間にか夜風呂が習慣になってしまった。
社会に出たあとは、仕事の都合もあり、それが深夜や朝にまでずれたというわけだ。

ということで、この夕方風呂、一体いつになったら慣れるのだろう。
まあ、落ち着きが欲しいのなら、元の生活に戻せばいいだろう。
だが、夕方風呂は長年の夢でもあったから、早くこれで落ち着けるようにしたいのだ。
何かいい方法はないものだろうか。



2006年08月15日(火) お寺での事件(後)

「もしかしたら?」
そう思ったぼくは、いったん「開き」から手を出し、ズボンのお尻のところに手を突っ込んでみた。
案の定、そこにボタンがあった。
パンツを後ろ前にはいていたのだ。

そこで、慌てて個室に入り、パンツをはき直すことにした。
ところが、個室は狭く、しかも和式である。
その和式も段上にあるものではなく、床にへばりついたヤツである。
つまり、油断するとトイレの中に落ちてしまうわけだ。
まあ、落ちるといっても、水洗だから濡れる程度ですむのだが、それでも気持ちいいものではない。

ということで、慎重に事を済ますことにした。
まず、ズボンを脱いだ。
これはうまくいった。
次にパンツを脱ごうとした。
ところが、これがうまくいかない。
パンツが汗でびっしょりになって、肌にくっついているせいだ。
広い場所なら、そういう状態でもそれほど苦もなく脱ぐことが出来るだろう。
だが、そこは畳半畳の広さもない密室の中、しかもそのど真ん中にデンと便器が座っているのだ。
まさに悪戦苦闘である。
それでも、何とかパンツを剥がすことが出来た。

ところが、まだ試練は続く。
今度は脚にまとわりついてきた。
狭いから充分に腰を曲げることも出来ない。
そこで逆に脚を上げることにしたのだが、このところの運動不足で体が硬くなっていているため、かなりきつい。
しかし、それをしないとパンツは脱げない。

と、脚に力を入れた時だった。
「痛っ!!」
右のふくらはぎが攣ってしまったのだ。
さらにその痛みでバランスを崩し、変な格好で倒れてしまった。
幸い便器の中に落ちることはなく、その変な格好のまま何とかパンツをはきかえることが出来た。
しかし、攣ったあとはかなり痛く、次の寺に行ったときには足を引きずりながら歩いたのだった。

まったく散々な墓参りになってしまった。
この運動不足、何とかしなくては…。



2006年08月14日(月) お寺での事件(前)

13日の午前中、母と伯母を連れ、父方と母方の墓参りに行った。
墓といっても、墓地に行ったわけではない。
どちらもお寺の納骨堂である。
父方のお寺は、市外にあるためそうでもなかったのだが、問題は母方の方だった。
区内で土地が高いためなのか、駐車場が確保できていない。
そのため、五台も駐まればすぐに満車である。
ということで、駐車場が空くまで、待たされることになった。

しかし、いつ空くのかわからない駐車場を待っていても、時間の無駄だ。
そこで、とりあえず母と伯母に先に行ってもらい、ぼく一人車に残ることにした。
その間、強い日差しが車内に、容赦なく差し込んでくる。
そのせいで、エアコンがまったく効かず、ほとんど扇風機状態だった。
窓を開けても風は吹かず、汗がどんどん流れてくる。
Tシャツはもちろん、パンツのほうもビショビショになっている。

その汗に反応したのだろうか、急に尿意を催してきた。
だが、ここでトイレに行くわけにはいかない。
ぼくの車の他、あとから来た何台かの車が駐車場待ちをしているのだ。
もしここでぼくが車から降りてしまうと、駐車場が空いた時に先を越されてしまう。
そこで我慢することにした。

15分ほど待っただろうか。
ようやく、駐車場から車が一台出てきた。
ぼくはすかさず車を動かし、車を駐めた。
そしてお寺の中にあるトイレへと直行したのだった。

トイレに着いたぼくは、さっそく便器の前に立って、ズボンのチャックを開けた。
そして、前あきパンツの「開き」の部分に手をやった。
「えっ!?」
出ないのだ。
いや、小便が出ないのではない。
どこを探しても、前開きパンツの「開き」の部分がないから、出せないのだ。

最初は汗でパンツが濡れていたせいで、生地同士がくっついていると思ってい、縫い目のところを指でたどってみた。
だが、やはりない。(続く)



2006年08月13日(日) 楽器時代

ぼくは電化製品やパソコンよりも、楽器関連のサイトを見ることの方が多い。
特にギターのカタログなどを見つけると、飽きもせずにずっと眺めている。
まあ、趣味がそうなのだから、別におかしくいことではない。
だが、考えてみるとぼくの趣味はギターを弾くことであって、ギターを収集したり、カタログを見たりすることではない。
とはいうものの、先に言ったとおりで、なぜか楽器のサイトに足繁く通っているのだ。

そういえば、忘れていたことがある。
ぼくは25年間、家電業界に携わってきたのだが、実はその3分の1以上にあたる9年間は、楽器を販売していたのだった。
楽器部門にいたのは、最初に就職した会社でのことだった。
その会社には11年勤めていたから、そのほとんどの年月を楽器販売に費やしたのだった。

あの時代、仕事柄、ぼくはよく楽器のカタログを見ていた。
最初の頃はカタログだけでよかったのだが、そのうちカタログだけでは追いつかなくなった。
下取りというやっかいなことを始めたからである。
機械ものは製造した年もわかるし、その当時の価格もわかるから、下取り価格は知れている。
だが、ギターはそうはいかない。
国産のほうは機種名などで価格はすぐにわかるのだが、輸入物はたやすくわかるものではない。

そこで、ギターの専門誌や、その歴史が書いてある本などを取り寄せて、勉強することにした。
とはいえ、最初は仕事感覚でだったので、あまり真剣にはやらなかった。
とはいえ、元々好きなギターである。
徐々にハマっていき、そのうちそこに載っているギターを仕入れてみたくなってきた。
そこで手始めに、カールへフナーのバイオリンベースを仕入れることにしたのだ。

カールへフナーのバイオリンベース…、ビートルズの初期にポールマッカートニーが使っていたやつである。
なぜ、これを選んだのかというと、その時すぐに手にはいると聞いたからだ。
ぼくはこの商品に16万円の価格を付けて店頭に並べた。
すると、これがすぐに売れたのだ。
そこで追加注文したのだが、それもすぐに売れた。

これに気をよくして、近郊の店で扱ってない、それでいて歴史的な価値のある機種を仕入れることにした。
自分で仕入れたものだったし、好きなジャンルの商品だったから、売るのにも熱が入る。
その結果、自分で仕入れたものの売り上げは順調だった。

ところが、本社が仕入れたものは、まったく売れなかった。
そのため本社から、たびたび「ヘビメタ全盛の時代に、何でそういう歴史ものを仕入れるんか?」と文句を言ってきた。
しかし、ぼくは完全に無視していた。
こういう世界では売った方の言い分の方が強いのだ。

まあ、こういうこともあって、ぼくの楽器時代というのは、わりと充実していた。
その時代を振りかえる時、電器屋さんに勤めていたというよりも、楽器屋さんに勤めていたというイメージの方が強いのは、きっとそのせいだろうと思う。
楽器のサイトによく行くというのも、きっとその時代の印象が強いからだろう。



2006年08月12日(土) クリック

最近の更新は、いつも夜中である。
いや、朝方と言ったほうがいいか。
別に、その時間になるまで寝ているわけではない。
ちゃんと起きて、もちろん記事を書きながら、その合間にポイントメールや懸賞メールをクリックしたりしている。
そういうことをやって何になるのかというと、ちょっとした小遣いになるのだ。
小遣いといっても、日に50円もなればいい方だが。

最初は遊び感覚でやっていた。
だが、ポイントが貯まりだすと、真剣みを帯びてきて、ちょっとしたメールでも目を凝らして見るようになった。

そういうところは、ほとんどが「どこそこに登録したら○ポイント」というのが基本になっている。
そこで最初の頃は、差し障りのないところを選んで登録していたのだが、そのうち登録するところもなくなってくる。
いくつものサイトに登録しているが、どこも似たり寄ったりのところを登録させようとしているためである。

さて、そうなってくると、メールの中にある「ここをクリックで1ポイントGET」などと書いているところをクリックすることが、唯一のポイント獲得手段となってくる。
目を凝らして見るのは、そのためである。
そうしないと、ずっと同じような文章が書いてあるため、つい見逃してしまうのだ。

で、今現在、どのくらいポイントが貯まっているのかというと、多いところで約1万ポイントである。
1ヶ月でこれだけ貯まれば上出来だと思われるかもしれない。
ところが、このポイントというのがくせもで、そのサイトサイトでレートが違うのだ。
1ポイント1円のところもあれば、10銭のところもある。
ちなみに、先ほどの1万ポイント貯まっているところは、レートが10銭なので、1000円ということになる。

しかしね、ぼくはけっこうこういうのが嬉しいんですよ。
なぜなら、これまであまりギャンブルもやったことがないから、収入はいつも決まったところからしかもらったことがないからだ。
そのため、それが10円であっても喜んでいる次第である。

ところで、今、こういうポイントを、効率よく、かつ多く稼ぐためのノウハウを教える通信教育があるらしい。
だが、いくらそういう方法を学んだとしても、本人に素質がないと成功はしないと思う。
その素質とは何かというと、根気である。
「これだけやって、たった10円か!」と思う人や、「今日は忙しいからクリックやめとこ」という人は、まず成功しないだろう。
こういうものは、いくら稼いだ金額が10円だとしても感動でき、その感動を毎日継続していけるしか成功出来ないのだと思う。
ということは、10円稼いで喜んでいるぼくには、案外そういう素質があるのかもしれない。
ただ、継続となると、ちょっと…。



2006年08月11日(金) 夏の妖精

 『夏の妖精』
 君は黙って 星を見つめて
 静かに一人で 言葉にふるえる

 夜は君の すべてを変えて
 君は闇に舞う 星の妖精

  君はぼくの心を 狂わせながら
  窓越しにぼくを見る だけど
  君のひとつひとつのしぐさは 透き通った
  氷のように

 時の流れは 君を見守り
 君の幸せの 風はささやく

 君はすべての 自由をつかみ
 君は美しい 愛の妖精

  君はぼくの心を 狂わせながら
  窓越しにぼくを見る だけど
  君のひとつひとつのしぐさは 透き通った
  氷のように


こういう面映ゆい詩を、高校3年(1975年)の夏に書いた。
ぼくが初めて書いた恋愛詩である。
いや、それまでいくつか恋愛詩みたいなのを書いてはいる。
だが、それらは抽象的なものばかりで、ただ恋愛を賛美したものに過ぎなかった。
個人を対象にした詩は、この詩が初めてなのである。
それから堰を切ったように、その「君」を対象にした恋愛詩を量産していき、最終的に『月夜待』に行き着くわけだ。

まあ、そういうことは別にして、この記念すべき詩を、ぼくは今、パンツ一枚といういでたちでパソコンに打ち込んでいるのだ。
この詩を書いた時、すごく気持ちの昂ぶりがあったのを覚えている。
今日と同じく暑いさなかだったが、気持ちが研ぎ澄まされて、その暑さを忘れていたものだ。
それが31年後には、暑さに耐えきれず、パンツ一枚である。

いや、風呂から上がったあと、いちおうTシャツを着ていたのだ。
ところが、ジワジワと汗ばんできて、そのうちシャツが体にまとわりつくようになった。
そのために脱いだのだ。

しかし、脱いでもいっしょである。
相変わらず、体中ベタベタして気持ち悪い。

考えてみると、あの頃は汗が気持ち悪いなどと思ったこともなかった。
いや、もしかしたら気持ち悪かったのかもしれない。
だが、その気持ち悪さを忘れさせるほどの情熱があったのだ。
その情熱とは、もちろん「君」に向けられたものである。
汗を気持ち悪がる今は、そのかけらすらないのだろう。



2006年08月10日(木) ある人との会話

「あのー、このブログの右サイドにある『おみくじ』なんですけど…、何度やっても大凶とか凶なんですよね。どうにかなりませんか」
「どうにもなりませんよ」

「どうしてですか?」
「あれは借りてきたもので、別にぼくが作ったわけではないんですからね」

「えっ、そうなんですか?」
「ええ、そうなんです」

「私は、しんたさんが作ったものだとばかり思ってました」
「ぼくにはああいう高度なものは作れませんよ」

「いや、あまりに大凶と凶が多いので、てっきりしんたさんが大吉や吉を独り占めしてるんじゃないかと思ったものですから…」
「そんなことはない。ぼくも朝一番にやってみるんですが、最初に出るのは決まって大凶なんですよ。2回目もそうだし、3回目でやっと末吉とか小吉とかです。一度も大吉が出たことはありません」

「それを聞いて安心しました。大凶は私だけじゃないんですね」
「そうですよ、気にしないで下さい。それに大凶というのはラッキーじゃないですか」

「えっ、どうしてですか?」
「だって、一日の運を、そこで使わずにすむわけですからね」

「ああ、そうですね」
「運は他で使いましょう」

「そうします。しかし、ものは考えようですね」
「そうですよ。それに、大凶だからこそ、一日を緊張感持って過ごせるんじゃないですか。緊張感のない一日なんて、何も良くはありませんよ」

「なるほど。…ということは、大凶と出たら、大吉と捉えていいということですね」
「ええ、そうです。そう捉えてください」

「ありがとうございました。これで気が楽になりました」
「いえいえ、ぼくも気が楽になりましたよ」

「えっ…?」



2006年08月09日(水) 歩こう!

一昨日、ある人から、イオンで夏物の処分をやっていると聞いた。
Tシャツがボロになってきているので、そろそろ買い直そうと思っていたところだった。
その人の話では、VANでも安売りをやっているらしく、通常の4〜5割引なのだそうだ。
いつもVANのTシャツを愛用しているから、このセールは逃すことが出来ない。
ということで、昨日の昼間行ってきた。

さて、イオンまで何で行ったかというと、徒歩である。
嫁ブーといっしょなら車で行くのだが、一人の時は極力それを避けている。

理由は二つあって、一つはガソリンの値上げである。
ぼくが利用しているスタンドは、現在レギュラーが142円/Lで、3ヶ月前と比べると10円以上も上がっているのだ。
一時的に無収入になっている身に、この値上げは痛い。
特に近場の移動というのは、けっこう燃費が悪いものであるから、これは避けたい。

もう一つの理由、それは最近多少太り気味になっているということだ。
最近運動不足のせいで、腹周りに余分な脂肪がたまってしまい、座っているだけでもきつく感じるようになっている。
脇腹もプヨプヨして気持ち悪い。
さらにその脂肪は、背中にまで進出しようとしている。
そこで前々から「何かやらないと」と思っていた。

そこで考えついたのが、歩いて30分以内の場所なら、とにかく歩こうということだ。
そうすれば無駄なガソリンを食わなくてすむし、歩くことでダイエットにもなる。
ということで、イオンもその歩いて30分以内の圏内に入るので、今回もそうしたわけだ。

暑いさなかに歩くのも大変だろうと思われるかもしれないが、ぼくは歩くことにはまったく抵抗を持っていない。
特に一人で歩くのは好きである。
一人で歩けば周りに気を遣わずに、自分のペースで歩くことが出来るからだ。
そうすることによって、充分に汗をかくことが出来るし、歩いている間、思索に耽ることもできる。

例えば嫁ブーと歩いたら、すぐに「きつい」だの「ペースが速い」などとのたまうので、つい歩きがダラダラとなってしまう。
そのために汗をかくことが出来ないし、話しかけてくればそれに応えなければならないから思索も出来ない。

ま、そういうことで、昨日は一番暑い真っ昼間、一人で往復50分歩いてきた。
家に帰った時には、シャツもズボンも汗でびっしょりになっていたが、気分は爽快だった。

で、Tシャツはどうなったのかというと、思索に耽りすぎてしまい、イオンの中に入るのも忘れて帰ってきてしまったのだ。
しかたなく、夕方車で行った…。



2006年08月08日(火) お知らせ

今日、ある人から、「ブログを移したのはいいけど、メニューはどこに行ったんだ?」という問い合わせがあった。
その人は、このブログで『ショートホープブルース♪』を探していたらしい。
そこでさっそく返事を書いたのだが、まだまだわからない人がいるかもしれない。

で、お知らせしておきます。
このブログのメニュー欄は、一番下につけております。
今メインやっているブログは、いちおう全部リンクしていますので、ご活用下さい。



2006年08月07日(月) ネットカタログ

すでに気がついていることと思うが、このブログの右サイドに「ネットカタログ」をつけてみた。
前々からやってみたかったのだが、これまではなかなか暇が取れずに出来なかった。
で、今は暇だから出来るというわけだ。

ただリンク付きのテキストやバナーを貼り付けていけば終わる作業なのだが、それがなかなか大変なのである。
まず、リンクは勝手に張れない。
いちいち先方にお伺いを立てなければならないのだ。
中には断られたところもあるが、ほとんどが快く了解してくれる。

さて、OKが取れると、次にリンク張りをやるわけだが、これがけっこう神経を遣う。
何度か間違えてしまい、変なところに飛んでいったこともあるから、慎重にやらなければならない。。
こういう作業を、提携先が増えるたびにやっていて、その都度サイトを更新しているのだ。

しかし、出来上がってみると、どうしても得意分野のリンクが多くなっていることに気づく。
見ての通りで、電化製品関連のリンクがダントツに多い。
一番上の通販だとかスーパー・コンビニ、例えばシャディやセブンイレブンなどでも家電を扱っているから、ここにあるほとんどが家電絡みと言ってもおかしくない。

ぼくの家電人生は今年の3月までの、25年で終わったものと思っていたのだが、まだまだ続いているようだ。
こういうカタログを見て、「しんちゃん、あの商品が買いたいんやけど…」と言ってくる人もいるのだ。
いっそのこと、こんな紹介をやるよりも、自分で仕入れて商売やったほうがいいのかもしれない。
ぼくと家電と強い縁で結ばれているようだから、まず裏切られることはないだろう。

そうそう、縁で思い出したが、実はこのリンクの中の一つに、前(今となっては前の前)に勤めていた会社のものがあるのだ。
作業をやっている最中は気がつかなかったが、テキストを貼ったあとにクリックしてみると、何とそこに見慣れたロゴがあるではないか。
15年前に縁は切れたと思っていたのに、まさかこんなところで繋がるとは思わなかった。
そのうち、このブログのタイトルが『○○でんき 空を翔べ店』と、変わったりして。



2006年08月06日(日) あの人どんな人?『畠山鈴香』編

この夏、一番話題をさらったのは、この人だろう。
近所の子のみならず、我が子まで殺すという残虐性は、連日ワイドショーで取り上げられた。

で、この人、名前で観ると、どうなのかというと…。
基本的にはお人好しな性格である。
そのために人から頼まれると「イヤ」と言えない面を持っていて、それでいつも損をしている。
今回の事件の裏側には、もしかしたら、そういうことがあるのかもしれない。
全体的にはクールな雰囲気を持っているから、長くつきあった人にしか、そういうお人好しな性格はわからないと思う。

で、この人の心の性格を観てみると、外面的にはエリートっぽく振る舞いたがる癖がある。
そのため人から「プライド高そう」と思われることもある。
また目立ちたがり屋でもあり、自分が目立つためなら、平気で嘘をつくような面もある。

さて、この名前の一番の問題点は、心の奥底に潜んでいるものにある。
それは変人性である。
この人は何ごとにおいても、普通の人とはちょっと違った感覚を持っているのだ。
おそらくこの人の持つ殺人観というのは、我々のそれとは違っているはずである。

まあ、心の奥底だけで終わるなら、そう問題はないのだが、この名前のの場合、それが行動面にも現れるような構成になっている。
そこが問題なのだ。
単に変わった行動をとるだけの人なら多くいるが、この人ように心の奥底にしっかりと変人の根が張っているのは珍しい。
根がある分、この人の変人性は途絶えることはなく、どんどんパワーアップしていく。

おそらくこの人は、殺人犯として捕まった今も、心の奥底では悪びれてはいないのではないだろうか。
反省を口にしているらしいが、きっと心の奥底では「私のどこが悪いの?」くらいの感覚でいるはずだ。
ま、何をやっても悪びれない人は多くいるが、普通は態度には表さないものだ。
ところがこの人の場合、それがまた行動に出たりする。
そういう名前なのだから、それは避けようがない。
長生きせんだろうなあ、この女も。

ちなみに、この人の名前を姓名占いで観ると、何と良妻賢母運なんですよ。
考えてみると、当たっているのかもしれない。
犯罪者の夫という汚名を着せないために早々と離婚し、犯罪者の子どもというレッテルを貼らせないために子どもをあの世に送ってやったのだから。



2006年08月05日(土) またしても海を見に行った

今日、また海を見に行った。
この夏、六度目である。
さすがに今日は人出が多く、駐車場は満車状態だった。
次の土日はもうお盆だから、そろそろクラゲの出る頃である。
ということで、海水浴シーズンはおそらく明日で終わりになるだろう。
今年は梅雨が長引いたため、先週と今週の、たった2週間のシーズンになってしまったわけだ。
きっと海の家も今年は苦戦したことだろう。

しかし、たった2週間の海水浴シーズンか…。
もしぼくが小学生だったら、かなり嘆いていたことだろう。
ぼくの小学生時代は、夏といえば海だったからだ。
とにかく、一夏に三度は海に行かないと、充実した夏休みだとは思えない。
だから家族や親戚はもちろん、子供会や町内会、果ては近所のおっさんの会社の海水浴にも参加していたものだ。

ところで、前にラジオで言っていたのだが、海水浴客は年々減少の傾向にあるらしい。
その原因を作っているのが、子どもの海離れなのだそうだ。
その子どもたちに、どうして海に行かないのかと聞いたところ、その主な理由は、「海は汚い」「海水がしょっぱい」「砂が熱い」だったらしい。
では、泳がないのかというとそうではなく、「きれいなプールで泳ぐ」ということだ。
こんな贅沢を言っているから、いつまでたってもアトピーが治らないのだ。

それはそうと、「一夏に六度も海に行ったら疲れるだろう」と思う人がいるかもしれない。
が、それは大丈夫である。
前にも書いたが、泳がずに眺めるだけだからだ。
「しかし、海に行くだけでも大変じゃないか」と言う人もいるだろうが、それも大丈夫である。
何せ、家から海(海水浴場)まで、車で10分ちょっとで着くからだ。
以前はもう少し時間がかかっていたのだが、今年新しいバイパスが開通したおかげで、かなり海が近くなったのだ。
ほとんど高速道路のような作りの道を、無料で快適に走れるのだから、つい何度も行きたくなってしまうわけだ。

さあ、今年の夏も終わった。
来年はぜひ、海につかりたいものである。
が、そのためには、最近特にひどくなった腹まわりを何とかしなければならない。
大衆の面前で、この腹を見せる勇気を、ぼくは持ってないからだ。
しかし、5年かかっていろいろやっても変わらない腹まわりを、1年で絞ることができるのだろうか…。



2006年08月04日(金) このブログで姓名判断をやろうと思っている(2)

三つ目が、本字でとらえるやり方である。
これはちょっとややこしい。
漢字というのは、それを作った人の霊が込められた神聖なものである。
ゆえに、その文字が作られた時代に遡って画数を捉えなければならない、という考え方である。

どういうことかというと、例えば「さんずい」は3画であるが、元々「さんずい」は水という字を簡略化したものだから、「さんずい」は「水」に直して、4画で捉えなければならないということだ。

すべてがこの論法で、「くさかんむり」は今は3画だが、元々は「艸」だから6画、「けもの偏」の元は「犬」だから3画ではなく4画、「りっしん偏」は本来「心」だからこれも3画ではなく4画となる。
先の『海』の場合は「さんずい」だから、さらに1画増やさなければならない。
ということで、11画となる。

つまり、名前は一つなのに、そういう文字(例えば『海』という字)が一つ入るだけで、三通りの結果が出てくることになるというわけである。
ということはだ、ある流派の人が占うと『後家運』、別の流派の人が占うと『良妻運』、という場合もあるということだ。

本人はすがる気持ちで占ってもらっているのに、占う人占う人で答が違う。
そうなると、占ってもらっている方は、どれを信じていいのかわからない。
…実に迷惑な話である。

では、これらのやり方の、どれが一番当たっているのかというと、ぼくが調べた結果では、三者ともあまり変わらない。
人によって、三つの方法うちのいずれかが当てはまると言ったところだろうか。
こういういい加減さにうんざりして、ぼくは名前で占うことをしなくなったのだった。

さて、では名前を使って何をするのかというと、性格判断である。
ぼくは人と名刺交換をする際、相手の話は聞かず、じっと名刺を見る癖がある。
何をやっているのかというと、名前を見て性格を判断しているのだ。

それにはこういういきさつがある。
ぼくは社会に出てから、しきりに人から名刺をもらうようになった。
最初のうちは、見もせずに、机の中などにしまっておいたのだが、そのうち引き出しの開け閉めに邪魔になるようになり、いらない分を捨てることにした。
そのいらない名刺を見ては、いちいち「この人は、つきあいやすかった」とか「この人とはウマが合わなかった」とか言って、その人を思い出していた。

その時だった。
ふと「この人を姓名判断すると、どんな結果が出るのだろう」と思ったのだ。
そこでさっそく調べてみると、つきあいやすい人やつきあいにくい人の名前には、ある共通点があるのに気がついた。
それ以来、運勢や運命ではなく、性格を観るための姓名判断を研究するようになったというわけだ。

名刺をじっと見る癖というのは、裏返せば、いまだに研究段階だからということになるだろう。
その研究の意味も込めて、今度は名刺ではなく、話題の人物を観ていくことにしたい。



2006年08月03日(木) このブログで姓名判断をやろうと思っている(1)

前々から、このブログでやろうと思っていたことがある。
それは、昨日の日記にある姓名判断である。
いや、別に「あなたの運勢を占ってあげましょう」ということではない。
今話題になっている人の実体を、名前を通して判断してみようというものだ。

名前を通して判断するといっても、決して占いをするわけではない。
昨日も書いたが、ぼくは、基本的に姓名で人を占うことを好まない。
なぜなら占ったことに対しての責任を負えないからだ。
それに加えて、姓名だけの占いには限界があるからだ。

例えば「同じ名前なのに、どうしてこうも運命が違うのか」と聞かれたら、答えようがないのだ。
ある本にその問いに答えているものがあったが、そこには「生年月日が影響しているからだ」と書いてあった。
しかし、どう影響しているのかについての記載はなかった。
その著者は、その後もその答を記述している本は出していない。
つまり、その人は「同じ名前なのに、どうしてこうも運命が違うのか」という質問に答えたのではなく、生年月日を利用して逃げたわけである。

また、姓名占いで一番ネックになるのに、流派というのがある。
その流派によって吉凶のとらえ方が違ったり、姓名判断の材料となる画数でさえもとらえ方が違ったりするのだ。
どの流派も「うちが一番」などとやっているものだから、笑ってしまう。

例えば、昨日書いた『後家数』だが、それが大吉数として捉えている流派もある。
しかし、昨日も書いたとおりで、後家数を持っている人の多くが、あまりいい人生を送ってない。
果たして、後家数を大吉として紹介した流派は、責任をとることができるのだろうか?

姓名占いについては、もう一つネックになることがある。
それは、画数のとらえ方である。
これもまた流派によって違うのだ。

そのとらえ方だが、大まかに言うと三通りある。
一つは、戦後使われるようになった新字の画数を、そのまま使うやり方である。
つまり、日常使っている漢字がすべてだという考え方である。
例えば『海』という漢字があるが、日常使っている字で画数を数えると、9画になる。

もう一つは、戦前まで使われていた旧字に直して画数を数えるやり方だ。
これは、「漢字には長い歴史があるのだから、たった数十年しか使ってない文字で画数を捉えるのはおかしい」という考え方である。
このやり方だと『海』は10画になる。
つまり旧字では、「毎」の下の部分が「母」となるので、一画多くなるわけだ。(続く)



2006年08月02日(水) 後家数

(1)
姓名判断に『後家数』と呼ばれる画数がある。
その画数を持った女性の多くの人が、離婚したり、離婚はしないまでも別居したていたり、行かず後家だったり、悪い時には死別したり、という経験をしている。
あえてその画数をここには書かないが、その画数を持った人に共通して言えるのは、心のどこかに、男を見下している部分があるということである。

(2)
10年ほど前に、母の知り合いから「娘の名前を観てくれ」と頼まれたことがある。
その娘はその1年前に結婚していた。
そのため、最初は娘を心配しての親心だろうと思っていた。

さて、頼まれはしたものの、ぼくは基本的に人を占うことは好きではない。
そこで、「占いはしませんから」と断った。
ところが、「どうしても」と言ってきかない。
そこには、その人の母親もいたのだが、二人して頭を下げる。
さらにそばにいた母も頼みだした。
そこで、渋々観てやることになった。

名前を観たとたん、ぼくは絶句した。
その娘は『後家数』を持っていたのだ。
それに、性格がえらく強い。
最悪の名前だった。
そのため、何と言っていいかわからなくなって、ぼくはしばらく黙っていた。
するとその人は、しびれを切らしたかのように「どんなに悪くてもいいから、言ってくれ」と言った。
「いや、まだ未熟ですから、どう説明していいのかわからないので…」
とぼくは言葉を濁した。
しかし、相手はしつこく「言ってくれ」と言う。

そこで、ぼくは口を開くことにした。
「はっきり言うと、娘さんは家庭向きの人ではありません。性格がちょっときついみたいですね。男を見下すようなところがある。ご主人との相性も悪いみたいですし、先方の両親ともうまくいっているようには思えない。つまり、孤立しているわけですね。…もしかしたら、近々戻ってくるかもしれませんよ」
すると、その人は横にいた家の人と、意味ありげに目を見合わせ、苦笑していた。

「これは何かあるな」と思っていたら、案の定、その件で連絡が入った。
「娘が別れて戻ってきた」と言うのだ。
連絡を受けた母が「何でまた…?」と聞くと、その人は、
「理由は、前にしんた君に占ってもらったとおりなんよ。あの時、すで別れ話が出ていて、確認の意味で観てもらったんやけど…」ということだった。
ぼくが占ってから、数ヶ月後のことだった。

(3)
ぼくの知り合いに二人姉妹がいるのだが、二人とも同じ画数だった。
それも後家数…。
どちらも性格が強く、特に妹のほうは極端で、完全に男を見下していた。
で、二人はどうなったかというと、姉の方は若くして夫と死別し、妹の方は若くして離婚した。
で、今はどちらも一人暮らしをしている。
こういうふうに、『後家数』というのは、実に強烈なのである。

(4)
こういう話もある。
何年か前にある女性から、
「わたし、夫と離婚して一人でやっていきたいんだけど、それが可能になる名前ってある?」と聞かれたことがある。
「そういうのはありません」
「後家運というのがあるでしょ。名前でそういうはないの?」
「何で、不幸を欲しがるんですか?」
「わたしにとっては、それが不幸じゃないんよね」
「しあわせということですか?」
「そう。ね、教えて」

あまりにしつこく言うので、気は進まなかったが、『後家数』を教えてやることにした。
「これで、離婚できる?独り立ちできる?」
「本人の努力次第です」
その後、その人とは会ってないので、今どうなっているのかは知らない。
が、その名前を使って、コツコツと独立に向けて頑張っていたという話は聞いた。
しあわせの形は、人それぞれである。



2006年08月01日(火) 今日の運勢が良かった蚊

ぼくはマンションの6階に住んでいる。
エレベーター待ちのイライラという欠点さえ目をつぶれば、あとは長所だらけだ。

長所を上げれば切りがないが、何よりもいいのが、この季節である。
昼でも夜でも、思いっきり窓を全開できるのだ。
何度も書いているが、ぼくと嫁ブーはエアコンがダメである。
とはいうものの、暑すぎるのも耐えられない。
そこで窓を開けることになる。
この階数だと、けっこういい風が入ってくるのだ。

さらにいいのは、蚊が入って来ないということだ。
マンションの横にちょっとした竹藪があるため、ヤブ蚊が発生しやすい。
おそらく、4階くらいまでの家には入ってくるのではないだろうか?
エレベーターを待っていると、よく蚊取り線香のにおいがすることがあるのだが、やはりけっこう多いのだろう。

さて、今日のことだった。
夜テレビを見ていると、小さな虫がぼくの目の前を飛んでいった。
ぼくは嫁ブーに「今の虫、何か?」と聞いた。
すると嫁ブーは「蚊みたいよ」と答えた。
「何で、こんなところに蚊がおるんか?」
「知らんよー。どっかから入ってきたんやないんね」
「どこから入ってくるんか?」
「あ、さっきしんちゃんがコンビニから帰ってきた時に、ついてきたんやないと?」
「ああ、エレベーターの中におったんやの」

そういう話をしていると、またしてもその虫は飛んできた。
やはり蚊である。
黒い体に、白いまだらが見える。
ヤブ蚊である。
そこでぼくは、手で叩いた。
しかし、その蚊は素早く手の間からすり抜け、逃げて行った。

それからしばらくして、今度は嫁ブーがその蚊を見つけた。
で、ぼくと同じように手で叩いた。
ところが、今度も素早く手の間をすり抜けていった。

こういうことを何度か繰り返したのだが、なかなか蚊は捕まらない。
そこで、蚊が体にとまるまで叩くのを待って、とまったところを叩きつけてやろうと思った。

目の前を、その蚊が何度か往復する。
そのうち、だんだん高度を下げてきた。
そして、思惑通りぼくの足にとまった。
「チャンスだ!」と思い、ぼくは手を振り下ろした。

ところがである。
勢いよく振り下ろした手は、蚊を潰す寸前になって、なぜかブレーキがかかり失速した。
マンガ『あしたのジョー』で、力石を死なせた直後のジョーのパンチが、そういうパンチだった。
顔面に当たる寸前で失速してしまうのだ。
そんなジョーのパンチを見て、段平は「蚊も殺せないようなパンチ」と形容した。
ということで、ぼくも蚊を殺せなかった。

その後、しばらく蚊は姿を見せなかった。
そのうちぼくたちも、蚊の存在を忘れた。
ところが、ぼくたちが見ているドラマの終わりがけになって、またもやその蚊は現れた。
またしても格闘が始まる。
しかし、今日は何度やってもだめだった。
結局、その蚊は死なないまま、まだ家のどこかにいるのだ。

例えば星占いなどは生年月日で占うが、蚊にも生年月日があるわけだから条件は人間といっしょである。
ということで、その蚊の今日の運勢は、きっと良かったに違いない。


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加