頑張る40代!plus

2006年06月30日(金) うまい!!

前に手塚治虫の『鳥人大系』というマンガを読んだことがある。
鳥が知恵をつけ、人間に取って代わって、地球上の支配者になる話だった。
そこに興味深い話が書いてあった。
食肉鳥を祖先にもつ鳥人の話だった。
その時代の鳥人は、すでに理性も道徳も備わっていて、法律で鳥人を食べるのを禁じていた。
もし食べてしまうと極刑に処せられるのだ。
ところが、主人公の鳥人はひょんなことから、殺人(?)を犯し、いけないこととは知りながらも、その肉を食べてしまう。
そして主人公は「う…うまい!!」と口走るのだった。

これはマンガでの話だが、果たして本物の食肉鳥は、他の鳥の肉を食べた時、「うまい」などと思っているのだろうか?
いや鳥だけではない。
例えばネコもそうだ。
ネズミを食べる時、「うまい」と思っているのだろうか?

ぼくが小学生の頃、家でヒヨコを飼っていたことがある。
えらくぼくに懐いていて、ぼくのそばから離れようとしなかった。
ぼくがゴキブリや蝿などを殺すと、「ピーピーピー」と歓喜の声を上げて走ってきた。
そして、それらを一気に口の中に入れていたものだったが、果たしてうまかったのだろうか?

いや、それはぼくの考えすぎで、実際は単に腹が減っていただけで、餌を与えてもらったから「ピーピーピー」と歓喜の声を上げたのかもしれない。
しかし、ぼくが小学校から帰ってきた時の喜びようとは、ちょっと喜び方が違っていた。
ぼくが帰ってきた時は、ただ「ピヨピョ」と言って寄ってくるだけで、「ピーピーピー」などと歓喜の声は上げなかったのだ。
そのへんが、どうもよくわからない。
まあ、そんなことはどうでもいいと言えば、それまでなのだが。

ところで、そういう生き物を食べて生きている彼らが、人間が調理したものを食べた時は、どう感じるのだろうか?
例えばワシやタカなどがスパイスのきいた唐揚げを食べたとしたら、例えばカモメやサギなどがサバの味噌煮を食べたとしたら、彼らはいったいどう感じるのだろうか?
やはり「うまい!!」と感じるのだろうか?
それとも「こんなの食えんぞ」と思って、唐揚げや味噌煮を放棄するのだろうか?
考えだすと切りがない。



2006年06月29日(木) 犬は犬しか見てない

以前、仕事でお客さんの家にチラシを配りに行っていたことがある。
まあ、チラシ配りといっても、お客さんにチラシを手渡しするわけではなく、ただポストに入れるだけだったのでそんなに嫌な仕事ではなかった。

とはいうものの、一つだけ困っていたことがある。
それは犬である。
ジッと大人しくしていればばいいものを、人の姿を見ると必ず吠えてくるのだ。
ぼくは犬が恐いわけではないのだが、それでも吠えられるとドキッとしてしまう。
そこが静かな住宅街だと、不審者と思われるのも嫌だ。
だから、門や玄関に『猛犬注意』などという張り紙がしてある家には、なるべく近づかないようにしていた。

さて、その犬のことだが、ある時、面白いことを発見した。
やはりチラシを配っている時の話だ。
ある家にチラシを入れようとしていたら、突然「ウー」という唸り声が聞こえた。
そこには『猛犬注意』などという張り紙がしてなかったため、つい油断していた。
「あ、やばい」と思った瞬間、大きな犬がダッシュでぼくの目の前に走ってきて、例のごとく「ワンワン」と吠えだした。
幸い、ぼくと犬の間には柵がしてあったため、噛みつかれるようなことはなかった。
が、その大きさに圧倒された。
そこで、さっさとチラシを入れて、そこから立ち去ろうとした。

ところが、ぼくがチラシを入れ終わった時、その犬は元いた場所に戻っていった。
そして、垣根から口だけ出して「ワンワン」吠えだした。
吠える対象はぼくではない。
「おかしいな」と思い、その犬の見ている先を見てみると、そこに一匹の野良犬がいた。
野良犬のほうも、負けじと吠えている。

そこでふと気づいたのだ。
自分が不審だと思った人間にはいちおう吠えるが、それは他に対象がなかった時だけのことだ。
もしそこに他の犬がいたら、不審者なんてもうどうでもよくなるわけだ。
かつて、親戚の家で犬を飼っていたことがあるが、その時も他の犬を見つけると、いくら飼い主が制しても言うことをきかなかった。
つまり、基本的に犬は犬しか見てないということだ。

ぼくは小さな犬が歩いていると、「チ、チ、チ」と呼ぶことがよくあるが、犬のほうはいちおうこちらを見るものの、すぐにそっぽを向いてしまう。
おそらく、「ちっ、人間やないか。人間なんかに用はないわい。それよりも犬はおらんかのう」などと思っているのだろう。



2006年06月28日(水) 体からバラの香りのするガムが出たらしい

YAHOO!ニュースを見ていると、こんな記事が載っていた。
『かんでから1〜2時間後に、体からバラの香りがする機能性ガム『オトコ香る。』
毎日新聞の記事である。
何でも、汗とともにバラの香りが体外に放出するらしい。
体臭を気にする人のために作られたガムのようだ。

やはり体臭というのは気になるのかなあ。
ぼくも若い頃には臭いを気にしたことがあるが、それは足の臭いのほうだったから、靴を脱がなければ気にすることはなかった。
それゆえに、普段は臭いについては無頓着だった。

例えば、ワキガの人はどうなのだろうか?
知り合いに何人かいたのだが、全然気にしてないようだった。
自分では気がついてない人が多いというから、全般にそうなのかもしれない。

しかし、周りはたまらない。
夏祭りなんかに行くと、ツーンと鼻をつく臭いがしてくることがあるが、あれはけっこうきついものがある。
もしあの臭いがバラの香りになるのなら…。
まあ、あってもいいガムだろう。
特に御輿を担いだり、山車を引いたりする人には必需品になるのではないだろうか。

ところで、このガムは、体臭をバラの香りに変えるのだろうか?
それとも、体臭にバラの香りがプラスされて出てくるのだろうか?
もし後者なら、想像しただけでも恐ろしい。
バラの香りの中にツーンが含まれているのだから、体調の悪い時には気分が悪くなるかもしれない。

そういえば昨日の昼間チャンポンを食べに行ったのだが、後から来た香水のきついおばさんがエアコンの前に座った。
その臭いが、チャンポンを食べているぼくのところまで飛んできた。
ぼくはチャンポンを半分まで食べていたが、もうチャンポンを味わうどころではなかった。
半分残したままで、さっさと店を出たのだった。
香水を付けている本人はそれでいいのかもしれないが、もっと周りに気を遣えと言いたい。

そのガムをかんだ後にでるバラの香りは、どうなのだろう。
微妙に香るくらいなら許せるけど、先の香水みたいに嫌味な臭いになるとちょっと困る。
こうなれば、実験するしかない。
今、身近に体臭のする人はいないから、足の臭い人に勧めてみることにしよう。
同じ体臭なんだから、効くだろう。



2006年06月27日(火) 今年最初の珍客

嫁ブーが、バルコニーで干してある洗濯物を取り込んでいる時だった。
突然大きな声で「しんちゃん、来て」と言った。
「どうしたんか?」
「あれ見て、あれ」
「どれ?」
「網戸のところ」
言われるままに見てみると、おお、お客さんがいるではないか。
今年最初の珍客だ。

バッタ1

珍客とは、このバッタである。
最初は色が鮮やかだったので、嫁ブーがオモチャか何かを貼り付けていたずらしているのかと思った。
そこでちょっと指で押してみた。
すると動くではないか。

「おい、これ生きとるぞ」
「あたりまえやん」
「てっきり、おまえがいたずらしよるんかと思った」
「いたずらなんかするわけないやん」
「いや、おまえならやりかねん」
「しんちゃんじゃあるまいし」
「しかし、よくマンションの6階まで飛んできたのう」
「うん」
「飛ぶのが専門の蚊とか蝿が飛んでくることが出来んのに、バッタごときがここまで飛べるとは思わん」
「壁伝いに這ってきたんやないと」
「そんなことしたら疲れるやろうが」
「そうやねえ」
「もしかしたら、下の階のバルコニーから順番に飛んできたんかもしれんぞ」
「ああ、なるほど」

その後、パソコンに向かったぼくは、バッタのことをすっかり忘れていた。
2時間くらいたったころ、「そういえば」とバッタのことを思いだした。
「おい、バッタまだおるんか?」
「おるよ」
「そうか」
と、ぼくは先ほど撮った写真の写りが悪かったのを思い出した。
そこで再び携帯を持って、バルコニーに出た。

バッタ2

今度はうまくいったようだ。
あっ、嫁ブーまで写ってしまったわい。
まあいいか。



2006年06月26日(月) ビートルズ来日40周年

このところラジオを聞く機会が多くなった。
家にいてラジオを聴くことはほとんどないから、それだけ車上の生活が多くなったということだ。

それはともかく、ここ数日ラジオでよくビートルズがかかるようになった。
最初は「何でこの時期に?」と思ったのだが、よく考えてみると、今年はビートルズが来日してちょうど40年ではないか。
おそらくそれを記念してやっているのだろうと思っていると、案の定そうだった。

「またか」である。
実はこういう現象は今始まったことではないのだ。
ぼくが学生の頃にも、『ビートルズ結成10周年』だとか、『解散5周年』だとか、『来日10周年』だとかいったように、何かにつけてビートルズの特集を組んでいたものだ。
さすがにその頃の音楽界は、ビートルズの影響下にあったし、聴いているぼくたちも「かっこいい」という思いを持っていた。

が、さすがに40年もたつと、しかもあの頃と同じような特集を組んでいるのかと思うと、いささかうんざりする。
しかし、そういうふうに感じるのはぼくだけなのかもしれない。
なぜなら、ぼくが作曲を始めた頃に、おそらく一生分のビートルズを聴いたからだ。

あの頃は、寝ても覚めてもビートルズだった。
LP『アビーロード』のB面に入っている、「ポリシーン・パン」から「 シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」に切り替わるところを何度聴いただろう。
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に何度針を落としただろう。
おかげで、そういうアルバムは、もうボロボロである。
まあ、CDがあるから、聴きはしないのだが。

話を元に戻すと、ぼくがよく聴いているKBCラジオは、今週が『ビートルズ・ウィーク』になっている。
それぞれの番組で必ずビートルズをかけているし、それについてのコメントも入れている。
例えば、昼間の番組では、月曜日のレギュラーおすぎさん(おすぎとピーコのおすぎ)がビートルズについて熱く語っていた。
おそらく中央では、こういうことはしないだろう。

昨日は交通情報で「ドライブ・マイ・カー」をかけていたし、また、天気予報には「オブラディ・オブラダ」をかけていた。
まあ交通情報の「ドライブ・マイ・カー」はわかるものの、天気予報での「オブラディ・オブラダ」はどうかと思う。
やはりこういう時期だから『レイン』、もしくはてるてる坊主感覚で『グッド・デイ・サンシャイン』ではないだろうか。
そういえば、40年前ビートルズがやってきた時、日本は雨が降っていたのではなかっただろうか?
ああ、飛行機到着が台風で遅れたんだった。
で、着陸時の羽田の天気はどうだったのか?
まあ、どうでもいいや。
いずれにしても梅雨時だったのだから。



2006年06月25日(日) 皮算用

2週間ほど前から、ポイントサイトにハマってしまい、もらったメールにある情報をクリックする毎日だ。
登録しているのは一つだけではない。
それだとポイントも限界があるので、数ヶ所に登録している。

もちろん、そういったところには、ちゃんとしたメールアドレスを登録しているわけではない。
使っているのは転送メールである。
これで、もし変なメールが送られるようになっても、すぐに転送メールを解約すれば、被害を避けることが出来るわけだ。

ところで、ポイントはクリックだけで貯まるものではない。
資料請求したり、会員登録したりしないと、高いポイントはもらえないのだ。
そういう場合、住所や名前を書くことが必須になっているのだが、当然信用のおけるところでないと書かないようにしている。
そのため、今のところは身に覚えのないところからの封筒やハガキなどは来ていない。

実は、ぼくがハマっているのは、ポイントサイトだけではない。
それは懸賞サイトである。
ところが、ここはメールアドレスだけではなく、資料請求などと同じく住所・名前・電話番号が必須になっている。
そうしないと賞品を届けてもらえないから、しかたないといえば、しかたないといえる。
そこでいかがわしそうなところは避けて、応募している。

さて、今日のこと。
午前中、母を買い物に連れて行ったのだが、その途中、携帯に電話が入った。
見ると大阪からである。
大阪に知り合いはいないが、先日仕事のことで問い合わせをしていたところがある。
おそらく、電話はそこからかかっているのだろう。
運転中ではあったら、ちょうど店の前が渋滞して足止めを食っていたため、電話には出ることができた。

「もしもし、しろげしんたさんの携帯ですか?」
「はい、そうですけど」
「先日、懸賞に応募していただきまして、どうもありがとうございました」
「えっ、懸賞?」
「ええ、覚えてらっしゃらないですか?」
「はい…」
「ああ、たくさんの懸賞に応募されているんですね?」
「ええ、まあ…」
「ああ、そうですか。実はですね、今月の13日に、自社の懸賞に応募されているんですよ」
「はあ、そうですか…」

その時だった。
うしろの車がクラクションを鳴らしたのだ。
顔を上げてみると、すでに前の車はいなくなっていた。
そこで先方に「あ、ちょっと待ってください」と言って、車を動かそうとすると、先方はそれを察したのか「あ、もしかして運転中ですか?」と言う。
「はい」
「ああ、それは失礼しました。では、切りますね」
「ああ、すいません」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」

そう言って、先方は電話を切ったのだったが、その後電話がかかることはなかった。
夜、嫁ブーにその話をすると、「えー、それ当選の電話かもしれんよ。何の懸賞に応募しとったと?」と言う。
「それが、何の懸賞だったか覚えてないんよ」
「もしかしたら、現金かもしれんよ。そういうところに応募した覚えない?」
「あるぞ。『100万円当たる』とかいうの」
「それよ、それ。登録したのが本人かどうか確かめる電話やったんよ」
「そうか!」
「そうそう。きっとそうよ」
「そうやの。そう思っとったほうが楽しいのう」
「新しい車買う足しになるやん。家のローンの返済の足しにもなるし」
「えっ…?」
「そうそう、ノートパソコンも欲しいとか言いよったやん。沖縄にもも行きたいし」
「‥‥」

100万円で、そこまでは出来んだろうが。



2006年06月24日(土) ミミズの這ったような字

この間、定期購読書の代金を振り込むために郵便局に行った。
そこで振り込み先の住所やこちらの住所を書き込まなければならなかったのだが、なぜかうまく書けないのだ。
よく字の下手な人の書いた字のことを、「ミミス゛の這ったような字」と形容するが、まったくその通りの字なのである。

ここ最近は、書き物といえば何でもパソコンを利用している。
きっとそのせいで、ペンを持つ筋肉が弱ってきているのだと思う。
以前はペンダコ自慢をしていた指も、今やすっかりきれいになってしまっている。
まあ、これはグリップ部分の柔らかいボールペンを使っているせいでもあるが、とにかく書くことが減ったことは確かである。
何か寂しい気もする。

30年近く前、つまり学生の頃には、寝ころんで大学ノートに叩きつけるように、文章を書いていたものだ。
そのほうが、筆が進んだのだ。
余談だが、『詩集 吹く風』に掲載している詩のほとんどが、そうやって寝ころんで書いたものである。
もちろん、その頃が一番ペンダコの目立った時期だった。

最近、昔のように出版社などに投稿しようと思っているのだが、中にはワープロ禁止のところもある。
そうなると、当然手書きをしなければならない。
前は詩だったのでそれほど書かなくてもすんだのだが、今はエッセイなどに投稿しようと思っているから、かなりきつい作業になるだろう。
今はちょうど暇な時期なので、筋肉を鍛えておくか。
しかし、いったいどの筋肉を鍛えたらいいのだろうか。



2006年06月23日(金) 巣立ち

今日、嫁ブーの実家に行ったのだが、そこでツバメの巣を見つけた。
巣には5羽のヒナがいた。
どれもかなり成長しているようで、巣から身を乗り出していた。
中には巣から這い出し、巣の縁にとまっているのもいる。
いよいよ巣立ちをするのだろう。

ツバメの巣

そこでぼくは、その巣立ちの決定的瞬間を撮ろうと思い立ち、携帯電話をカメラモードにして待つことにした。
ところが、いつまでたっても飛ぼうとしない。
おかしいなと思ってよく見てみると、どのヒナもずっと目を閉じたままなのだ。

と、そこに親鳥が帰ってきた。
それを見て、ヒナは「キーキーキー」と口を開けて、餌をねだった。
親鳥は餌を1羽の口の中に入れ、再び飛んでいった。

もしかしたら、巣から身を乗り出したり、巣の縁にとまっているのは巣立ちのためではなく、狭い巣の中にいると窮屈なので、出てきただけなのかもしれない。
そういうことであれば、いくら待っていても今日の巣立ちはないだろう。
ということで、馬鹿らしくなってやめた。

さて、用事を終えて帰る時に、ふたたび巣を覗いてみると、5羽はちゃんと巣の中に収まっていた。

続ツバメの巣

5羽が横一列に並び、まるで風呂に浸かっているかのように、ひょこっと顔だけを覗かせている。
相変わらず、親鳥は頻繁に餌を運んできてやっていた。
巣立ちは、もう少し先になりそうである。



2006年06月22日(木) 終日雨

昨日は一日中雨が降っていた。
しかも、そういう日に限って、嫁ブーの帰りが遅かったりする。
「終わったよ」という電話をもらったのは、もう11時を過ぎていた。
それから迎えに行ったのだが、ちょうど大降りになった頃で、前が非常に見にくかった。
まあ、運良く車が少なかったので、トラブるようなことはなかったが。

しかし、11時頃なら、まだ車はそこそこ走っているはずなんだが、なぜ車が少なかったのだろうか?
大雨のせいだろうか。
いや、そうではない。
きっと、早朝にあるサッカーを観るために、みんな早く家に帰ったのだ。
その証拠に、普段よりも早く消灯している家が多かった。
おそらく早寝して、中継を観るためだろう。



2006年06月21日(水) お世話になりました

18日の日記に四柱推命のことを書いたのだが、一つ書き忘れたことがある。
それは、ぼくの死ぬ時期である。
その本によると、どうもぼくは70歳から80歳の間に死ぬらしい。
ということで、例の「7のつく年は苦難の年」という法則に従えば、79歳か80歳の時に死ぬことになる。
あと31年の命である。
まあ、ぼくの今世における寿命はそんなものだろう。

それはそれでいいのだが、死因を見てちょっとびっくりしてしまった。
その本では、死因を四つに分けているのだが、その1が病死、2つ目が事故死、3つ目が自殺、4つ目が他殺となっている。
で、ぼくがいったいどんな死に方をするのかといえば、4つ目の他殺である。
つまり殺されるわけだ。

それを読んで、ぼくがすぐに思ったことは、「そんな馬鹿な」ではなかった。
「いったい誰に殺されるのだろうか?」だった。
周りを見ても、殺し殺されするような因縁のある人間はいないし、これからも出てくるとも思えない。
ぼくみたいな、叩いても日記と歌くらいしか出てこない人間を殺して、何が楽しいのだろう。

まあ、そういうことは別にして、その死亡期のところをよく読んでいくうちに、ちょっと疑問を感じた。
実は死因の4つの順番は、死因ベスト4といった多い順に並べたものではなく、ランダムに並べたものなのだ。
では、その確率はというと、4つ均等なのである。
4つ均等ということは、つまり25%ということだ。

いったいどの世界に、死因の25%が殺人というところがあるのだろうか。
まあ、この四柱推命という占いは、戦争に明け暮れている中国で生まれたものだから、死因が戦死という意味なのかもしれないが、25%というのは大げさである。
戦時中の日本だって、そこまで多くの人が戦争や空襲で死んだわけではない。
文化大革命時の中共だって、粛正したのは2000万人だから、当時の人口からすれば、わずか数%に過ぎない。

自殺だってそうである。
人口の25%の人の死因が、自殺だとは到底考えられない。
狭い範囲(例えば戦場)での、集団自決というのはあるかもしれないが、四柱推命というのは兵士を占うものではなく、この世に生を受けた人すべてを占うものなのだ。

やはり、占いの死因などはあてに出来ないということだろう。



2006年06月20日(火) 書き忘れていた日記

夜は飲み会だった。
最近あまり飲んでいないせいか、生ビール3杯、冷酒2合でかなり酔いが回ってきた。
場がグルグル回っているように感じる。
さらに会の最後のほうでは眠気もさしてきて、いちおう受け答えはしているものの、誰が何を言っているのかわからない状態になってしまった。

店を出てから、酔いざましにファミリーレストランでアイスクリームを食べたのは覚えている。
だが、それがどんなアイスだったかをは覚えていないのだ。

ということで、家に帰るとすぐに床に就いた。
普段は「将来の自分像」などといったイメージを浮かべながら寝ているのだが、酔いと眠気のせいでそれもしなかった。
朝起きてみると、夜のことはすっかり忘れてしまっている。
いったい誰と何の話をしたのだろうか。

そうだった。
何か忘れていると思っていたら、日記を書いてなかったんだ。
あらら、もう翌日も終わろうとしているじゃないか。



2006年06月19日(月) プロブロガー

このところブログを書くのが、いささかおっくうになっていた。
そのせいか、記事の内容も何かパッとしないものが多い。
昔のように時事ネタでも拾ってくれば、少しは気の利いたものが書けるんじゃないかと思い、いろいろなニュースサイトを覗いてみたが、どのニュースもサッカーW杯絡みのものばかりだ。
ぼくはさほどサッカーに興味があるわけでもないので、野球ネタを書く時のような、えらそうなことを書くことが出来ない。
仮に、今日の時点で記事を書くとしたら、
「あーあ、クロアチアと引き分けたか。これで一敗一分。残る相手はブラジルのみ。ちょっと分が悪いなあ…」
となるだろうが、これではそのまんまである。

BloMotion他に何かないかと探していくうちに、ふと右のようなバナーが目についた。
「いったい何の記事を書いたら、300円もらえるのだろうか?」と、そこに書いてあった“BloMotionでブログアフィリエイトを始めよう!”というのをクリックして見てみると、300円はそのBloMotionというところの紹介記事を書くともらえるらしい。
他にもいろいろな企業からの依頼があるらしく、紹介記事を書けば、その都度それなりの報酬がもらえるという。

バナー広告などを貼り付けて報酬をもらう制度は知っていたが、記事を書いて報酬がもらえるというのは初めて知った。
バナー広告貼り付けなどは、『ワンクリック数円〜数十円』であまりお金にはならない。
だが、これだと記事を書くだけで何百円かのお金になるのだ。
しかも、多い時には数千円になることもあるという。

こういうのは嬉しい。
また、ブログを続けていくための張りにもなるし、マンネリ化からの脱却にもなるだろう。
別に「これをいつまでに書け」と強制されるわけでもないから、空いた時間に気に入った企業や商品の紹介記事を書けばいいわけだ。
ということで、さっそく登録してみた。

よくブログを書く人のことを『ブロガー』と呼んでいるが、ブログを書くことで収入を得ることができれば、それはプロだということになる。
となれば、自ずと『プロブロガー』と呼ばれるようになるのだ。
『プロブロガー』か。けっこうプライドを満足させることが出来るのではないだろうか。



2006年06月18日(日) 苦難の法則を発見する

最近、占いの本を読むことが多くなった。
将来どうなるかとか、常々音楽関係に進みたいなどと言っているが、実際それは天職なのだろうか、などといったことを調べるためだ。
50歳を前にして、今さら何を言っているんだと思われるかもしれないが、今が人生最大の転機だと思っているから、そういう本で自分を確かめたかったのだ。

そのため、読んでいる本は、手相だとか星占いといった一般的なものではなく、深く運命や宿命がわかると言われている四柱推命である。
その四柱推命というのは、生年月日時で運命を割り出す、いわゆる運命学というもので、昔から歴史上の人物が人生の指針として用いていた。
例えば三国志の諸葛孔明は、この四柱推命で敵将の性格から運勢まで徹底的に調べあげた上で、戦に臨んだと言われている。
ちなみに「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という離れ業をやることができたのは、この四柱推命で自分の死期を把握していたからこそできた戦術である。

さて、そうやって、将来のことや天職を調べていくうちに、ぼくは一つのことを調べてみたくなった。
それは、これまで何度か苦難を味わっているが、もしかしたらそこには何かの法則があるのではないか、ということである。
かつて天中殺という言葉が流行ったことがあるが、あの時ぼくは自分の天中殺を調べたことがある。
しかし、ぼくにとっての天中殺の年(午年と未年)は、何も悪いことはなかった。
どちらかというと、楽しい思い出ばかりが残っている。
それで、ぼくは天中殺というのを信じなくなった。

天中殺とは違うのもので、何かないだろうか?
そこで、ぼくは自分の悪かった年の年表を書いてみることにした。
すると、簡単に共通点があるのがわかった。
それは、悪い年は決まって西暦の一桁目が7になっているということだ。

例えば、ぼくの人生において最大の苦難の年だったのが、1977年である。
その10年後、つまり1987年にぼくは左遷の憂き目に遭っている。
この二つの年ことは、このブログにも書いているのだが、その10年後の1997年は、ここにも書けないような人生最大の屈辱を味わったのだ。
遡って1967年はというと、6年間の小学校生活の中で一番面白くない年だった。

つまりこの7の年は、ぼくにとっての厄年だということだ。
ということは、そこをうまく切り抜けることができたら、あとの9年間は安泰だということになる。
そこで、この先7のつく年を調べてみた。
いや、調べるまでもなかった。
なんと来年は2007年ではないか。
これからという時に、なんということだ。
今から何か対策を立てておかないと、来年はちょっとやっかいなことになってくる。



2006年06月17日(土) 【またまた続報】【焼鳥屋で『月夜待』を歌う】

【またまた続報】
火事の後発見された女性の遺体には、首を絞められたようなあとがあったらしい。
ほとんど事件確定である。
犯人は女性を殺害した後に、火を放ったのだろうか?
同居人の息子たちは、まだ行方がわかってないという。


【焼鳥屋で『月夜待』を歌う】
昨日、後輩の働いている焼鳥屋に、嫁ブーと二人して飲みに行った。
何ヶ月か前から「飲みに来てくれ」と何度か電話をもらっていたのだが、なかなか行く機会がなく、結局昨日になってしまったわけだ。

後輩とは時々電話で連絡を取り合ってはいたのだが、会うのは1年ぶりだった。
のれんをくぐると、すぐにその後輩の姿が目に飛び込んできた。
思わずぼくは、「なんか、その腹は!」と言ってしまった。
とにかくすごい腹なのだ。
おそらくウエスト1メートルはあるのではないだろうか。
さほど背は高くないために、ビア樽のように見える。
その後、後輩が動き回るたびに、その腹が気になってしかたなかった。

さて、店で飲み始めてから1時間ほどたった時だった。
突然その後輩が、「『月夜待』歌って」と言いだした。
「ここでか?」
「うん、ギターも用意してあるけ」
「他のお客さんに迷惑がかかるやろ」
「いや、いいよ。今ここにおるお客は、みんな知り合いやけ」
「でも、最近声出してないけのう…」

すると、嫁ブーが横から口を出した。
「せっかくああ言ってくれてるんやけ、歌っちゃり」
「歌詞も覚えてないんぞ」
「適当にごまかしとけばいいやん」
「適当にごまかすと言ってものう…」
「いいやん。どこにチャンスがあるかわからんよ。歌い、歌い」

『どこにチャンスがあるかわからんよ』という言葉に押されて、ぼくはギターを手に取った。
そして『月夜待』を歌ったのだった。
しかし、どうも人前で歌うといかん。
酒が入っているせいで、緊張のあまり胸がドキドキしたり腹が痛くなるようなことはなく、家で歌うようにリラックスした気分で歌うことはできた。
ところが、それが裏目に出てしまい、いい意味の緊張感まで奪ってしまったのだ。
とにかく腹に力が入らない。
そうなると声に張りが出なくなる。
結局気合いの入らない歌になってしまった。
ということで、チャンスは逃した。…と思う。

帰り際に、店主から「また来て歌ってください」と言われた。
焼き鳥がかなりおいしかったので、また利用したいと思ってはいたのだが、歌うとなるとねえ…。
やはり酒を飲む時は、酒に集中したほうがいい。



2006年06月16日(金) 【火事のこと】【続報】

【火事のこと】
テレビのニュースで、夜中の火事のことを言っていた。
75歳の女性が亡くなったとのことだった。
その家は、その女性と息子二人の3人暮らしだそうなのだが、火事の後、息子二人の行方がわからなくなっているという。
近所の人の話では、火事の前にその家から男が言い争っている声が聞こえたということだ。
何か事件の臭いがする。


【続報】
昼間、例の火事現場の検証が行われたらしい。
その時検証した警察官の話では、油の臭いがしていたという。
火元は寝たきりの女性の寝ていた部屋だというし、息子二人は行方不明のままだし、やはり事件の臭いがする。

さて、野次馬夫婦は、夜が明けても興奮が冷めやらないのか、火事現場が気になってしかたない。
そこで、火事現場を見てきた。
もちろん外からではあるが…。
手すりは折れ曲がり、外壁は黒く焼け焦げていた。
まあ、燃えた家はともかくも、かわいそうなのはその左隣の家で、火事を出した家と同じく外壁が黒く焦げていた。
迷惑な話である。

ところで、昨日の写真を見ていて気がついたのだが、その左隣の家の照明は消えているのに、右隣の家の照明がついている。
あの時間、右隣に住んでいる人は何をしていたのだろうか?
照明をつけたまま避難したのだろうか。
それとも家にいたのだろうか。
その団地は、二軒につき一階段の、よくあるタイプの団地である。
ということで、火事のあった家と、照明のついている家は階段が違う。
そのため、遠くの出来事として捉えていたのだろうか。
案外、テレビを見ながら眠っていたのかもしれない。



2006年06月15日(木) 野次馬夫婦

日記を書こうと準備している時だった。
突然けたたましく携帯電話のベルが鳴った。
何だろうと見てみると、消防署からの災害メールだった。

さっそく読んでみると、ぼく家の近くで建物火災が起きているという。
「おい、近くで火事ぞ」と、ぼくは嫁ブーに声をかけた。
「え、どこで?」
「すぐ近くみたい」
「そういえば、さっきからサイレンの音がしよったんよね」
「そうか。おれは聞こえんかったぞ」
「うん、わりと遠くで音がしよったけ、しんちゃんの部屋からだと聞こえんかったかもしれんね」
「どこかのう」

そう言って、ぼくたちは火の出ているところを探した。
「あっ、あそこよ、あそこ!」
嫁ブーが大声を張り上げた。
見てみると、なんとすぐそばの団地ではないか。
そこで、ぼくたちは現場に向かったのだった。

燃えていたのはその団地の5階で、消防署員がクレーン上から放水して消火にあたっていた。
ぼくたちが現場に着いた時は、一番火の勢いが強かった時だったようで、下から隊長らしき人がマイクを使っていろいろと指示を出していた。

ツバメの巣

周りには真夜中(午前1時過ぎ)にもかかわらず、けっこう多くの野次馬が集まっていた。
こういう時というのは、見ず知らずの人相手でも話が弾むようで、嫁ブーはまったく知らない婆さんと話し込んでいた。
ぼくたちが現場に着いてから20分ほど経って火は収まり、あとは白い煙がモクモクと湧き出ているだけになった。
そこで、帰ろうかと思い、嫁ブーのいる方を見ると、なんと嫁ブーはまだその婆さんと話していたのだった。



2006年06月14日(水) 雨が降っている

(1)
この日記を書いている今現在、雨が降っている。
毎年この時期に、雨を見て口ずさむのが、自作の『雨の降る夜は』という歌である。
予備校時代(まだ19歳にもなってなかった)のこの季節に作ったものだ。

 雨の降る夜は たった一人で
 蚊取り線香の 光を見つめて
 蛙といっしょに 歌をうたうと
 見知らぬ人が 傘をさして通り過ぎる
  街は濡れ 人は濡れ
  辺りは変わり 色も濃く
 遠くの船の 音に魅かれて
 異国の町に 立っているような

この歌詞は、6月のある日の真夜中を描写したものだ。
前にも書いたことがあるが、今はこんな風情はない。
マンションの6階には蚊はほとんどいない。
したがって、蚊取り線香を焚くことがない。
また、蛙の鳴く川は道路拡張のため埋められてしまった。
また、最近は船の汽笛の音も聞こえなくなっている。
この歌詞中、ただ一つ残っているものは、「見知らぬ人が 傘をさして通り過ぎる」の部分だけである。
ただ当時と若干事情は違う。
あの頃は、夜中に聞こえてくるのは大人の話し声だった。
で、今はというと、コンビニ帰りのガキの声である。
いつも大声を張り上げ、馬鹿笑いしているのだ。
ガキの声に風情は、…感じんなあ。
しかし、いったい彼らは、夜中に何をしているのだろうか?

(2)
ところで今年は、梅雨に入ってからというもの、晴れた日のほうが多い。
今日も午前中は晴れていた。
そのせいで、最近の天気予報では「梅雨の中休み」という言葉をよく使っている。
しかし、晴れた日のほうが多いのだから、その言い方はおかしいだろう。
逆に雨の日を、「五月晴の中休み」と言ったほうがいいのではないだろうか。

(3)
「五月晴」、最近では5月の晴れ間のことをそう呼ぶようになったと、ラジオで言っていたが、これは元々梅雨晴のことである。
旧暦の5月が今の6月に当たるので、そう言うのだ。
例えば今日は、旧暦で言えば5月19日に当たる。
「五月」なんて書くから紛らわしいのだ。
「皐月」という字を使えば、紛らわしくないと思うのだが。
ああ、そうだった。
「皐月賞」は5月にやるんだった。
やはり紛らわしか。



2006年06月13日(火) 飛行船

昨日小倉に行く途中でのことだった。
信号待ちしている時に、嫁ブーが突然「あれ何?」と大きな声で叫んだ。
「どれか?」
「あれよ、あれ」
と空の方を指さした。
昨日、こちらの天気は基本的には晴だったが、薄雲が空を覆っていた。
ということで、嫁ブーの指さした方を見ても、白い空しかなかった。
「何もないやないか」
「あるよ、ほら、あの木のところ」
よく見ると、そこに白いものが浮かんでいるではないか。
そこでぼくは携帯を取り出して、写真を撮った。

謎の物体

信号が青になり、車を進めて行くうちに、その白い物体が近づいてきた。
「あっ、あれ飛行船やね」
「ああ、そうか」
「横に何か書いとるよ」
「どこかの宣伝やろう」
「人乗っとるんかねえ?」
「人が乗ってないと飛ばんやろ」
「リモコンとかで動かせるやん」
「動かせるやろうけど、あんな大きなものをリモコンで動かして、失敗でもしたら大変やろ」
「ああ、そうやねえ」

飛行船は、ぼくが走っている場所までくると急に向きを変え、ぼくの車と並走する格好になった。
せっかくだから、その飛行船をアップで撮りたかったのだが、なかなか信号に引っかからない。
こうなれば、信号に引っかかるまで追いかけっこである。

そうやって5分ばかり走ったところで、ようやく信号に引っかかった。
車が停車すると、さっそくぼくは、先ほど撮りだしていた携帯を手に取り、目一杯ズームアップしてシャッターを押した。
が、うまく撮れない。
そこでもう一度撮ろうと携帯を構えた時だった。
無情にも信号は青になってしまったのだ。

結局撮るチャンスは、その時しかなかった。
その後、飛行船はスピードを上げていき、次に信号に引っかかった時には、もう姿が見えなかった。
ということで、失敗写真だけしか撮れなかったのだった。

飛行船

まあ、何とか格好になってはいるが、ぼくとしては全体像を撮りたかったのだ。
それにしても、もう少し色を考えてくれないだろうか。
青空が広がっている時なら白でも映えるだろうが、昨日のような薄雲が張った日には非常に見づらい。
横に広告入れているのだから、下界の人に見てもらうためにやっているのだろうから、もっと簡単に確認できるよう色にしてもらいたいものである。



2006年06月12日(月) 肉飯

前の会社に入ったばかりのころの話である。
入社して数週間後に、ぼくは広島に研修に行かされた。
その時、広島にかぶれていた先輩社員から「おこのみ村のお好み焼きはホントうまいんじゃけ」と言われて、食べに行ったことがある。
もちろんぼくは広島のお好み焼きが有名なのは知っていたのだが、まだ食べたことはなかった。
仕事が終わり、ぼくは胸を弾ませておこのみ村に向かった。

その時ぼくはそば入りを頼んだのだが、口にしたとたん、思わず「ま…」と言ってしまった。
『まずい』という言葉が口をついて出ようとしたのだが、その言葉を慌てて飲み込んだのだった。
何がまずいって、ネギとおたふくソースの味しかしないのだ。

翌日、広島かぶれの先輩が、「どうじゃった。うまかったろ?」と聞いてきた。
「…ええ」
本当は「あんなまずいものはなかった」と言いたかったのだが、それを言うと先輩の顔が潰れてしまうので、あえて言わなかったのだ。

それから何年かして、今度は地元で先輩と食事に行ったことがある。
その時行ったのは、先輩一押しのすし屋だった。
相変わらず広島にかぶれている先輩は、何年か前と同じように「あそこのすしは、ホントうまいんじゃけ」と言うので、その言葉に期待して行ったのだった。
ところが、運ばれてくるすしはどれもまずかった。
その時、Y子(今の嫁ブー)もいっしょに行っていたのだが、先輩と分かれた後、ぼくがY子に「あの先輩は、どういう味覚をしとるんかのう?」と言うと、Y子は「他のすしを食べたことがないんやないと?」と言う。
結局その時、先輩の味覚はおかしいということで、意見はまとまった。
それ以来、ぼくたちは先輩が「うまいんじゃけ」とお薦めする店には行かないようになった。

さて、今日のことだ。
用があって、嫁ブーと小倉に行った。
小倉に着いたのが、ちょうどお昼だったため、とりあえず昼食をとることにした。
「何食おうか?」とぼくが聞くと、嫁ブーは「○という店に、肉飯というのがあるんやけど、ホントおいしいんよ」と言う。
そこで、その○という店に行くことにした。

行ってみると、けっこう店は繁盛していた。
嫁ブーが「ほら、この店多いやろ」と得意げに言う。
それを聞いて、ぼくはてっきり、みな肉飯を食べているのだろうと思った。

お客が多かったせいで、ぼくたちはけっこう待たされた。
その間に、ぼくの中で期待が膨らんでいった。
嫁ブーお薦めの肉飯が運ばれてきたのは、注文して20分ほど経ったころだった。
ところが、運ばれてきたのは皿が一枚で、他のテーブルの上に乗っている食器とは違う。
そこでぼくは「他の人のと入れ物が違うぞ」と嫁ブーに言った。
「ああ、あれは定食やろう」
「みんな肉飯目当てじゃないんか?」
「ここは常連客が多いけ、そう毎日肉飯ばかり食べんとやないと」
「ああ、そうやの」

そんなことを言いながら、ぼくは肉飯を口に運んだ。
嫁ブーはぼくの顔をのぞき込み、「ね、おいしいやろ?」と言った。
「そうかのう」
「えっ?」
そう言って、嫁ブーは肉飯を口の中に入れた。
そして、「ああ、ここ代がかわっとるとるけ、味が変わったんかもしれんね。でも、おいしいやろ?」と言った。
「‥‥」

肉飯とは、肉といくつかの野菜を油で炒め、それを飯の上にかけてるという、牛皿のような料理だった。
しかし牛皿のようなルーなどはなく、炒めるのに使った油をそのままご飯にかけているだけだ。
これでは、肉入りの油かけご飯である。
しかも、いちおう塩胡椒はしてあるものの、あるのは油の味だけだった。

肉飯を食べ終わると、ぼくはすぐに店を出た。
そして後から出てきた嫁ブーに言った。
「おまえ年取ってから、味覚が先輩並になってきたのう」
「えっ?」
「おまえの『ホントおいしいんじゃけ』に騙されたわい」
「‥‥」
その後2時間近く、ずっと気分が悪かったのだった。



2006年06月11日(日) 応時得消散

5日の日記に『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』という経文のことを書いたが、忘れていたことがある。
それは、訳を書いてなかったということだ。
ということで、訳を書いておく。

「暗雲は地を覆い、雷音は地を震わす。
 大雹は地を叩き、豪雨は地を埋める。
 念彼観音力、ひたすら呼び続けよ。
 魔はたちどころに消え去るだろう」

まあ、こういうところだろうか。
やはり『念彼観音力』は難しい。
いろいろと考えてみたが、訳せなかった。
で、そのまま使うことにした。

そういえば、かつてある人が、クレージーキャッツの植木等に「南無阿弥陀仏って、どういう意味ですか?」と尋ねたことがあるという。
植木等の生家は浄土真宗のお寺である。
それでそういうことを聞いたのだと思うが、その時の植木さんの答が実に味わい深い。
「ただいまーっていう意味だよ」
すごい人である。
『南無阿弥陀仏』を説明するとなると、本にすれば何冊にもなってしまうだろう。
それを植木さんは一言で言ってのけたのだ。

ある禅の本に、「本来の自己に取って返す」ということが書いてあった。
何かに心奪われそうになった時や、自分を見失いそうになった時には、すかさず本来の自己に取って返すことが大切だというのだ。
そのためには、念仏やお題目を唱えるのも一つの方法だということだった。
『本来の自己に取って返す』というのは、「自分に立ち返る」という意味である。
「自分に立ち返る」というのは、「自分に帰す」と言い換えることができる。
そう、「自分に帰す」のだから「ただいま」なのだ。

実は『念彼観音力』も同じ意味なのであるが、この経文に突然「ただいま」を入れてもおかしい。
ということで、ずっと悩んでいたわけである。

ところで、ぼくは一度この経文を実践したことがある。
前の会社で外回りをしている時のことだった。
夕方、それまで晴れ渡っていた空が、突如暗くなって、夕立が降り出した。
朝からずっと晴れていたので、傘なんか持ってない。
そのためずぶ濡れになってしまった。

どこかで雨宿りしようと思ったのだが、そういう場所もない。
「どうしよう」と途方に暮れていた時だった。
ふとこの経文が口をついて出たのだ。
『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』

ところが、これを何十回、何百回繰り返しても、雨はいっこうにやむ気配がない。
「『まさにその時、消散することを得る』じゃないか。何で祈りが通じないんだ。あれは嘘か!?」と、ぼくは経文を恨んだ。
と、その時だった。
急に雨がやんだのだ。
「おお、祈りが通じたぞ」と、ぼくは心の中で小躍りしていた。

しかし、それは束の間だった。
またしても雨が激しくなったのだ。
結局、その日は、雨がやむことはなかった。
家に帰るまで、ずっと「クソー」とお経を恨んでいた。
が、別にお経が悪いわけではない。
経文を鵜呑みにしていたぼくがバカだったのだ。
そう、お経は現世利益を説いているのではないのだから。



2006年06月10日(土) あのホテルには幽霊が出るらしい

毎年この時期になると、コンビニでホラー本や怪談本を買っている。
特によく読むのが、稲川淳二の恐い話で、あの語り口をイメージしながら読んでいる。

さて、先日、今年に入って初めて稲川本を買った。
そこに、えらく身近な話が載っていた。
北九州のテーマパーク近くにあるホテルに、幽霊が出るのだそうな。
何でも、そのホテル内にあるバーの窓に、子供の姿が映るというのだ。

そのホテルは、そのテーマパークが一望できる位置にあるらしい。
ということは、あのホテルしかない。
数年前に、日テレの雷波少年の中の企画で、ドロンズがロシナンテと泊まったホテルである。

しかし、そのホテルに幽霊が出るなんて聞いたことがない。
このへんでよく噂が立つのは、小倉駅前にある大手デパートくらいだ。
そのデパートの建っているところは、元々お寺やお墓があった土地だから、建つ前から「あそこは出るよ」と言われていた。
今のデパートになる前、そこは潰れたS百貨店が入っていたのだが、そこがオープンして数日後、さっそく「出た」という噂が流れた。
それを聞いて、ぼくの周りの者は、みな口を揃えて「やっぱりね。あんなところに建てるけよ」と言ったものだった。

では、今回のホテルの建っているところだが、そこもお寺やお墓があった場所なのかというと、そうではない。
そこには元々、某大企業の事務所が建っていたのだ。
その当時も、幽霊が出るなどという噂は聞いたことはない。

いったいその幽霊は、何ものなんだろうか?
そのホテルを建てる時に、事故に遭った人の霊なのだろうか?
しかし、それは考えられない。
なぜなら、最初に書いたとおり、それが子供の霊だからだ。
工事中に事故があったとも聞いてないし、仮に事故があったとしても、子供が工事現場にいること自体がおかしい。
事故死したのはおっさんだが、そのおっさんの霊魂は、実は子供の霊だった、ということは考えられない。

うーん、何なんだろうか…?
あっ、そうだ!、こういうことが考えられる。
それは、客を呼ぶ幽霊だということだ。
それなら合点がいく。
しかし、コンビニコミックでは、ぼくみたいな物好きしか読まないだろうから、その幽霊はあまり客を呼べない、つまり効果のない幽霊だということになる。



2006年06月09日(金) ケキョ、ケキョ…

最近、暇になると、いつも近くの貯水池に行っている。
そこで何をしているのかというと、昼寝である。
昼寝と言っても、外で寝ているわけではない。
車の中で寝るのだ。
最初の頃はエンジンをかけ、エアコンを効かせて寝ていたのだが、その場所が比較的涼しい場所だということを知ってからは、エンジンを切り、窓を全開して寝ている。

窓を開けていると、自ずと入ってくるものがある。
それは野鳥の声である。
その貯水池の周りは森になっているため、いろいろな野鳥の声を聞くことが出来るのだ。
とは言うものの、ぼくが知っている鳥の声というのは、ウグイスやホトトギスや山鳩くらいである。
他にもいろいろ鳴いているようだが、何の鳥なのかはわからない。

さて、そういった野鳥の中で、人一倍(?)声を張り上げているのが、ウグイスである。
『ホー、ホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ…』
「盛りでもついているのだろうか?」と思うぐらい声がでかい。
しかも、「よく息が続くなあ」と感心するほどの、「ケキョ」のリフレインである。
「鳴いて血を 吐くホトトギス」と言われているが、ここではホトトギスよりも、ウグイスの声のほうにそれを感じる。
彼らののどは尋常じゃない。
人間があんなに大きな声を、毎日張り上げていたとしたら、いつかのどにポリープが出来るだろう。

そのウグイスだが、その鳴き方が個々で違っている。
もちろん「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ…」という歌詞(?)はいっしょなのだが、曲(?)が微妙に違うのだ。
「ケキョ」を尻上がりに上げていくヤツもいれば、高低をつけて鳴くヤツもいる。
あの表現の違いは、一体何を意味しているのだろう?
生まれつきのものなのだろうか。
それとも人間と同じく、メスの気を引くために、意識してやっているのだろうか。
もし意識してやっているとすれば、彼らは生まれついてのシンガーソングライターということになる。
もしいい曲(?)があったら、パクってやることにしよう。

いや、待てよ。
そういえば、そういう話をマンガ(『ゲゲゲの鬼太郎』だったと思う)で見たことがある。
相手はウグイスではなく妖怪だったが。
あるバンドが、妖怪が歌っていた曲をパクってヒットさせた。
それを知った妖怪が、「歌を返せ」と言ってそのバンドを襲う内容だった。

うーん。
もし、ウグイスの曲(?)をパクったりしたら、ぼくはウグイスに襲われるかもしれないなあ…。
やっぱり、パクりはやめておこう。



2006年06月08日(木) そしりを受けないものはない

法句経(法華経ではない)というお経がある。
上座部仏教の経典で、仏教の論語のようなものである。
東京にいた頃、仏教書を読んでみたいと思い、古書街を探し回って見つけたのが、その『法句経(友松圓諦師訳)』だった。

このお経、例えば般若心経のように空の理論を展開しているわけではない。
例えば観音経のように、御利益を羅列しているわけではない。
では何を書いているのかというと、人として生きる道を丁寧に説いているのだ。

例えば、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着する人には、そのうらみは息(やす)むことがない」(友松圓諦師、現代語訳)
という句がある。
その通りである。
では、どうすればうらみが消えるのかというと、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着しない人にこそ、そのうらみは消え失せる」のだ。
実にわかりやすい。
つまり、根に持つなということである。
しかし、頭ではわかっていても、心のほうが素直に言うことを聞いてくれないから困るのだ。
それを解決するためにいろいろと工夫・実践した結果が、「すべてを空と見よ」とした般若心経であり、「一心に観音を念じよ。きっと救われる」という観音経なのである。

あっ、今日はそんなことを書くんじゃなかった。
今日久しぶりに読んだその法句経に、興味深いことが書いてあったのだ。
「人は黙って座っているものをそしる。多く語るものをそしる。ほんの少し語るものでさえそしる。この世の中にそしりを受けないものはない」という言葉である。

小学生の頃のぼくは、実にしゃべり好きな人間だった。
よく「口から先に生まれてきた」などというが、そういうたぐいの人間だったのだ。
そのしゃべりがいつもギャグを含んでいたため、クラスではわりと人気のあったほうである。
ところが、それをよく思わない人間もいた。
彼らは、ぼくを見るたびに、いつも罵声を浴びせていたものだ。
ぼくも負けじと応戦していた。
結局、最後の最後まで、ぼくと彼らは打ち解けることはなかった。
中学卒業以来、彼らと会うことはないが、もし会うことがあったとしても、話をすることはないだろう。
なぜなら、いまだお互いに根を持っているだろうからだ。

それから三十数年後、つまり今だが、ぼくは余計なことはしゃべらない人間になった。
すると今度は、無口だの、暗いだの言ってそしられるようになってしまった。

「しゃべればしゃべったで敵が出来る。しゃべらなければしゃべらなかったで溝が出来る。いったい、どうしろと言うんだ?」
というのが、最近の悩みであった。
だが、今日その言葉を読んで、思わず「なるほど!」膝を打ったのだった。
つまり、「そういう声に反発するのをやめて、執着しないことに努めよ」ということなのだろう。
たったそれだけのことで、悩みというのは消えていくものなのだ。
なぜかというと、実のないこと、つまり『空』だからだ。
しかし、たったそれだけのことが難しい。
また新たな悩みになりそうである。



2006年06月07日(水) 携帯電話を買い換える

今年の4月27日の日記に「だいたい1年に一度、携帯を買い換えている」というようなことを書いたのだが、その日記を書いてからしばらくして、急に携帯電話の調子が悪くなった。
電池が持ちが悪いし、通話の時に雑音が入るし…、である。
前の機種もそうだったが、FOMAは1年で悪くなるのだろうか。
そのことをFOMAを使っている知り合いに聞いてみると、「そんなことはない」と言う。
その人は2年使っているらしかった。
そういえば、嫁ブーも今の機種を使いだして2年以上になる。
もしかしたらぼくの場合、通話よりもiモードのほうを頻繁に使うので、その分人のよりも持ちが悪いのかもしれない。
しかし、以前使っていた携帯は、もっと長持ちしたように思う。
デュアルで使っているムーバなんかは、3年以上経つが、いまだ健在なのだ。
このへんは、どう考えたらいいのだろうか。
案外パケ・ホーダイにしたために、以前の十倍くらいiモードを使うようになったせいかもしれない。

まあ、そういうことはともかく、今月の3日でいよいよ1年が過ぎたのだ。
実は、その日に、ぼくは家の近くにあるドコモショップに問い合わせをしていた。
「そろそろ新製品が出ると思うんですけど、いつ頃になりそうですか?」
「機種によってまちまちですが、だいたい10日前後に入荷する予定です」
「Pはいつになりますか?」
「Pですか…、えーとPは7日に入荷するようになっています」

ということで、今日、ドコモショップに行ってきた。
もちろん買ったのである。
ポイントを使ったおかげで、予定通り安く買うことができた。

さっそく家に帰り、いろいろな設定をした後、説明書を読んだ。
するとそこに、今まで持っていた機種にはついてない機能があった。
『プッシュ・トーク』
この言葉、テレビのCMなどでは知っていたのだが、実際どういうものなのかがわからない。
ぼくの周りは、まだ古い機種を使っている人ばかりなので、その機能を使っているのを見たことがない。
いや、待てよ。
そういえば、最近買い換えたヤツがいる。
ヒロミである。
もしかしたら、ヒロミはすでにその機能を活用しているかもしれない。

そこで、ヒロミに『プッシュ・トーク』を試してみることにした。
まず、ヒロミの電話番号を登録した。
これは難なく終了。
かけるのもワンプッシュで簡単だった。
呼び出し音のあと、つなぐこともできた。
あとは会話だけである。
「おーい」
「‥‥」
「もしもーし」
「‥‥」
「聞こえるかー?」
「‥‥」
「‥‥」
「プツッ!」
何だこれは!
応答がないじゃないか。

そこで、ぼくはヒロミにメールを送ってみた。
『プッシュトークしてみたけど、わけがわからん』
さっそくヒロミから返事があった。
『わたしもよ。どこを押してもだめやん』
ということだった。
つまり、わからない者同士が、わからないままにプッシュ・トークをやって、失敗したというわけだ。

その後ヒロミから『わかったら教えて』と言ってきた。
だが、繋がらないことには話にならない。
先に書いたように、ぼくの周りにはプッシュ・トーク機能のついた携帯を持っている人もいないので、教えてもらうわけにもいかない。
ということで、嫁ブーが買い換えた時にでも研究することにしよう。



2006年06月06日(火) 教祖誕生

友人のオナカ君は、ぼくによく「教祖になれ」と言う。
独立を考えている今、それも悪くないとは思うが、ぼくは教祖になる素質を持ち合わせてはいない。
霊能者でもなく、人を導くような教義を持っているわけでもない。
何よりも教祖に不可欠なカリスマ性というものがないのだから、それは無理である。
もしそれでもなるとしたら、インチキ宗教の開祖になるしかない。

そういえば、昔読んだマンガに『笑う宗教』というものがあった。
辛い時も、悲しい時も、笑っていれば救われるというものだったが、これなら出来そうな気がする。
最近は笑うことが少なくなったが、ぼくは元来笑い上戸の男なのである。
小学生の頃などは、人のすることがおかしくて、いつも一人で笑っていたものだった。

しかも、笑い出すとなかなか止まらないのだ。
そのために腹は痛くなる、涙は出てくる。
そういう自分がおかしくて、また笑ってしまう。
先生はそれを見て、「あんた何がそんなにおかしいんね。他の人は誰も笑ってないやろ?」と言う。
「だっておかしいもん」
と、その問答がまたおかしく感じる。
で、また笑ってしまう。
すると先生は怒ってしまい、「授業の妨げになる。廊下に立ってなさい!」と怒鳴るのだ。
廊下に立っていても、しばらく笑いは収まらなかったものだ。

しかし、考えてみると、あの頃が一番楽しかった。
もしかしたら、それ以降あまり笑わなくなったから、楽しくなくなったのかもしれない。
楽しいことが福なら、やはり笑う門には福がくるのだろう。

そうだ。これだ。
笑っているだけで、儲かるのだから、これはいい商売だ。
元手がいらないのだから、お布施がすべて利益になるわけだ。
しかし、それならぜひオナカ君に教祖になってもらいたい。
何せ、オナカ君の高校時代のあだ名の一つが、『笑い仮面』だったのだから。
ぼくは教祖様の取り巻きでいい。
つまり、映画『教祖誕生』の中の、岸部一徳役で充分ということである。



2006年06月05日(月) パソコンにない漢字

『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』

言った手前、観音経のことを書こうじゃないか、ということになった。
が、最初からこの有様である。
上の経文を見てもらったらわかるように、パソコンには漢字の限界があるのだ。
この「ジュ」という字が出てこない。
書くのは簡単なのだが、パソコンの中には入ってない文字なのだ。
どういう字かというと、「樹」という字があるが、この木偏をさんずいにした字である。

こういうふうに、いちいち経文を書いていると、きっといつもイライラしてしまうことだろう。
「ジュ」というたった一文字を探し出すのにも、時間と神経を遣ってしまうのだ。
しかもどういう方向で書いていいのかがわかってない、ときている。
しかし「観音経のことを書く」と公言した以上、そう簡単にやめるわけにはいかない。

もしかしたら、こういうジレンマに悩んだ末に、ウツ的になるかもしれない。
そして「ああ馬鹿らしい。何でこんな面倒なことをせんといけんとか!」と自分に怒りを感じ、結局は自棄になって投げ出してしまうことだろう。
そうなると、このブログは終わりである。

そうならないためにも、じっくりと構成を考え、平常心を保てるように、常に自分を冷静に見つめていかなければならない。
そうすれば、この企画の方向も見えてくるだろう。

上の経文は、そんなことを言っているのだ。



2006年06月04日(日) お風呂で

最近、風呂に入った時に、鏡で自分の顔をじっくりと眺めるようになった。
これまでになく、とてもいい顔をしているのだ。
だから、思わず見入ってしまう。
第一に、顔に疲れが見えない。
少し前までは「病気でもしているんじゃないのか?」と思うほど、疲れ切っていた。
よく頬のあたりが痙攣していたし、肌も荒れていた。
ところが、今はそれがないのだ。
徐々にではあるが、肌の艶も良くなってきている。

次に目が殺気立ってない。
何か余裕があるというか、落ち着いた目をしている。
その目を見ると、救われる感じがする。

他にもいろいろあるのだが、全体的にいうとまとまった顔をしてきている。
それはもしかしたら、年のせいかもしれない。
例えば年配の俳優の顔だが、若い頃に比べると、実に味のある顔になっているように感じるものだ。
きっとそれと同じことなのだろう。

しかし、「だから何だというのだ?」と問われると明確に答えることは出来ない。
ただ、こういう顔つきの時というのは、けっこういいことがあるものだ。
それを信じていくことにしよう。



2006年06月03日(土) 『ザ・ヒットパレード』を見て

(1)
この間『ザ・ヒットパレード』というドラマを見た。
何気なくテレビのリモコンをいじっていたら、このドラマにぶち当たったのだ。
すぐにチャンネルを変えるつもりでいたのだが、あの「ヒッパレー、ヒッパレー…♪」という音楽を聴いたとたん、釘付けになってしまった。

『ザ・ヒットパレード(冒頭のドラマではなく歌番組のほう)』、ぼくは物心ついたころから見ていた。
その頃の記憶はあまりないのだが、ザ・ピーナツが歌っている横から、やたら大きな顔を覗かせるスマイリー小原を見て、「変なおっさんだなあ」と思っていたのは覚えている。

(2)
この番組を意識して見るようになったのは、やはりグループサウンズが全盛であった、昭和42年から44年にかけてだった。
当時大好きだったザ・タイガースがいつも出ていたのだ。
彼らは持ち歌の他、ビートルズやモンキーズの歌も歌っていた。
その中で、沢田研二だったかが「この間、ニューヨークに行った時に、偶然モンキーズのミッキーに会いましたよ」などと言っていたのを聞いて、モンキーズと知り合いだなんて、タイガースは世界的なグループなんだと思ったものだった。
実は大したことなかったというのを知ったのは、ずっと後のことだ。

そういえば、ビートルズの『ヘイ・ジュード』のプロモーションフィルムを見たのもこの番組だった。
ホームページのトップにも書いているが、ボーカルをとっていたポールマッカートニーが、やたらカメラを意識しているのが印象的だった。

(3)
ところで、このドラマでは、当時のヒット曲をガンガンかけてくれていた。
その中の一つに、クレージーキャッツの「スーダラ節」があった。
忘れもしない、この歌はぼくが自分で選んだ初めてのレコードなのだ。
4,5歳頃だったと思うが、買った時のことも、買った店もちゃんと覚えている。
親戚の人に買ってもらったのだが、「何が欲しい?」と聞くので、ぼくは躊躇せず「スーダラ節」と答えた。
その時の母がした苦虫を潰したような顔は、今でも忘れない。
おそらく母は、ぼくが質の良い童謡を選ぶと思っていたに違いない。

その『スーダラ節』だが、レコードを見た時にびっくりしたことがある。
それは、レコード盤が赤く透き通っていたことだ。
確かビートルズのレコードにもそういうのがあったような記憶があるが、発売年からすると『スーダラ節』のほうが確実に早く出ている。
今でもそのレコードは実家のどこかに眠っているはずだ。



2006年06月02日(金) ライフワーク

前にも書いたことがあるが、かつて極度の鬱状態に陥ったことがある。
いろいろ手を尽くしたがなかなかその状態から抜け出すことが出来なかった。
ところが、ある時ひょんなことから『延命十句観音経』というお経を知り、結局そのお経に救われることになる。
その時ぼくは、やけになって「もしこの状態から解放してくれるなら、観音経を一人でも多くの人に紹介していく」ということを誓ったのだった。
ちゃんと、願いは聞き入れられ、ぼくはすぐに立ち直ることができた。

ところが、あれから20年近くも経つのに、まったくその誓いを果たしていない。
もしかしたら、働く場を失ったり、人から中傷を受けたり、腰が痛かったり、背中が痛かったり、すぐに虫歯になったり、太ったりするのは、そのせいなのかもしれない。

まあ、そういうことはさておき、実はこの日記を書き始めた頃から、意識の奥に「いつか、しろげしんたというフィルターを通した観音経のことを書いてみたい」というものがあった。
昨年、ある人から「来年はいろんな意味で転換期になります」と言われた
手相や四柱推命を観ても、そう出ている。
ということで、転換期にあたって、その『観音経』のことを書いてみたい。

けっこう深い経典なので、まったく素人のぼくにとっては、重すぎるのかもしれない。
が、そういうことを書いていくうちに、一つの方向が見えてくることだろう。
肩に力を入れずに、そういう過程を楽しんでいくようにしていったら、案外ライフワークになるやもしれない。
これからどんどん忙しくなるので、ブログのほうもたまにしか更新できないかもしれないが、この企画だけは切らさないでいこうと思っている。



2006年06月01日(木) 蛍の光

【河内(八幡東区)】
何日か前に「大蔵で蛍が飛び交っている」という話を聞いた。
地元の蛍スポットとしては河内が有名だが、大蔵はそこに流れている川の下流になる。
その話を聞いて、ぼくはさっそく行ってみたいと思った。
実は、それまで何年か続けて見に行っていた蛍を、昨年は見ることが出来なかったから、「今年はぜひ」という思いがあったのだ。

ということで、今夕、大蔵に行ってきた。
ところが、大蔵どころか、その上流の河内にも蛍は出てなかった。
いや、河内にいることはいたのだが、ほんの数匹程度だった。
しばらく見ていたが、そのうち数匹も消えていった。
情報の主は、いったい何匹の蛍を見て「飛び交っている」などと言ったのだろうか。

しかし、せっかく蛍を見に来たのである。
ここはぜひとも見ておかなければ、今度はいつ来れるかわからない。
そこで、別のスポットに行くことにした。
どこに行こうかと迷ったが、手っ取り早いのは区内にある黒川である。
しかも、そこは河内のように山の中ではなく、幹線沿いの平地なので、運転も楽だ。

「黒川に行こう」と決めた時に、ちょうど出張に行っていた嫁ブーから「仕事が終わった」と連絡が入ったので、河内から駅まで迎えに行った。
結局、河内には10分程度滞在しただけだった。

【黒川(八幡西区)】
さて、嫁ブーを乗せてから、そのまま黒川に直行した。
時間はすでに午後9時を回っていた。
「もう店じまいしとるかもしれんの」
「蛍に店じまいとかあるんね?」
「だって、一晩中火を灯しとるわけじゃないやろ」
「ああ、そうか」

黒川に着いてみると、川沿いに何台かの車が停まっていた。
そして川のほうから、人の声が聞こえてくる。
「人がおる。たぶん、まだ店じまいしてないんやろの」
と、車を降りて、川べりに降りてみた。

「うわー」と、嫁ブーが思わず声を上げた。
川べりに生い茂ったけっこう広範囲の草むらで、淡い光がフワーと浮かんでは消えていくのだ。
色はというと、蛍光色とはよく言ったもので、その通りの色をしていた。
街灯や車のライトで、周りはけっこう明るいのだが、それでもしっかりと光っている。
時々こちらに近づいてくる蛍もいて、嫁ブーの肩にとまって光を放っていた。

こういう時、昔のぼくなら詩の一つでも書いていたのだろうが、今はそれが出来ないでいる。
それだけが残念である。


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